桜が見た軌跡 第二章

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 見渡す限りの大空を翔る、豆粒ほどの大きさの物体。
 そこから吐き出された、一筋の白い棒線――飛行機雲が、
青いキャンパスの中へと広がっていく。

 地上には、陽炎。

 熱されたアスファルトの上を歩きながら、夏期講習へと向かう陵桜学園の生徒たち。
 校舎も。体育館も。グラウンドも。夏休みの最中にも関わらず、活気溢れる場所。
 そんな彼らのそばに立つ、青々とした葉を巡らせた、一本の年老いた桜。
 ですが、今日の桜の様子は、いつもと少し違っていて。


 <夏 ~summer~> 


 桜は、眠りについていました。年老いた為なのか、暑さが身に染みたのか。
 微睡みよりも、深く沈んだ意識の中で。桜は、自らの過去を振り返っていました。
 かつて、自分が生まれた日の風景。そこは、何十年も立ち続けた今の大地ではなく、
どこか遠い場所だったような。さらにそこでも、蒼と紫。二つの色を見たような。

 いつか見た空。繰り返して来た日常。

 そして、年老いた褐色の身体と、皺が刻み込まれた表皮からあふれ出た、琥珀色の樹液。
 甘美で、刺激的な匂いにひかれたのか。桜の周りに、生き物たちが集まってきました。

 ノバトは、枝の先で羽根を休め。
 アミメアリは、統率の取れた列を作り。
 ミンミンゼミは、甲高い鳴き声をあげつつ、樹液に舌鼓。

 そんな、色とりどりの声が体内に響いたのか……桜は、ようやく目を覚ましました。
 未だに視界は定まらず、南風にざわつく葉の方にまで気が回らないようですが、
頭頂部よりも遥か上空に位置する太陽の存在が、桜を現実へと引き戻していきます。

 ――おはよう。今日も貴方は、眩しい程に綺麗だ。

 疎かになっていた光合成を再開しながら、桜は太陽にお礼を言いました。と、その時。

「……遅いっ」

 自らが作り出した日陰の下に、春先の記憶の片隅に潜在していた“もう一人の女の子”が、
いつの間にか立っていました。腕を組み、額から流れ出る汗を拭うことすら忘れ、衣替え後の
セーラー服を着こなした紫髪の少女は、桜の幹に寄りかかっていました。

「真面目に夏期講習に出るっていうから、付き合ってあげてるのに。
 どうして初日から遅刻してくるのよっ」

 不満げにそう呟いた彼女は、ちらりと正門を睨んだ後、恨めしそうに空を見上げました。
 彼方には、先ほどよりも細い軌道を描く飛行機雲。
 一直線に伸びていく白は、まるで彼女の心情を現しているようで。

「アイツは、本当に受験勉強する気あるのかしら。
 保護者じゃない私にまで心配させるんだから、よっぽどよ」

 飛行機雲が、遠ざかっていく。彼女からも、桜からも見えなくなる位に。
 そして、雲の切れ端が、おぼろ気に消え始めた時。

「ごめ~ん。お待たせー」

 今度は、はっきりと桜の記憶に残っていた声。あの時見た、蒼髪の少女です。

「お待たせー、じゃないわよ。一体何時だと思ってるわけ?」
「いや~、何故か目覚ましに気が付かなくってさぁ。それに、荷物も予想以上に重かったし」

 彼女は、右手に持っていた通学用鞄に視線を落として、そう言いました。
 なるほど確かに。ぶら下げていた鞄は、はちきれんばかりに膨れ上がり、
手のひらから滲み出す汗を吸って、幾重にも陽光を照り返していました。

「なぁんだ、結構持ち込んできたじゃない。アンタもやっとやる気になったのね」
 と、堅くなっていた表情を崩した紫髪の少女。が、しかし。

「んっ……ああ、違う違う。この中身はカタログ。何せもうすぐ有明で本番があるんだから」
「カタログって。はぁ、少しでも夏期講習を真面目に受けに来たと思ってた私がバカだったわ」
「病まない病まない。ちゃんとお土産は買ってきてあげるからさぁ」

 ためらうことなく、真実が告げられたことに落胆する紫髪の少女と、
それを見てにやつく蒼髪の少女……どうやら、今回、桜が彼女達の間に入る隙は無いようです。

「ほらっ、バカなこと言ってないで、さっさと行くわよ。席はとっといてあげたから」
「サンキュー。やっぱり信頼すべきは親友だよねぇ。夏期講習……一緒に、がんばろうね」
「なっ、何か妙にしおらしいわね。帰りに大雨とか降らなきゃいいけど」

 とりとめない会話を再開しながら、彼女達は昇降口に向かって歩きだしました。
 しかし、桜はここで、ある事に気が付きました。蒼髪の少女が持っている、膨らんだ鞄の中身。

『――大学、問題と対策』
『大学受験ガイド』

 ちらりと見えた数冊の分厚い本(おそらく、中身の大半を占めているのだろう)
には、そんな言葉が書かれていました。
 しかし、桜には、やはり意味を問う事は出来ず仕舞いで。
 その後は、鳥と蟻とセミ達にその身を委ね、桜は短い一日を終えました。

 ――飛行機雲の煙は、まだ消えていないというのに。

 桜は、まだ知らない。自らの身を蝕み、食い付くそうとしている病魔に。
 紫髪の少女も、まだ知らない。共に歩いている少女が選択した、自立への道を。
 動き出した運命。物語は、折り返し地点を過ぎ、さらに先へ。
 次に訪れるは、秋。枯れ葉舞う、お祭りの季節。


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