コーヒーブレイク/ブレンド

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「ここなの? こなたのお勧めの店ってのは」
「そそ。我が家だと思ってくつろいでくれたまへー」
「そういう台詞は自分の家で吐くもんじゃないのか」
「細かいことは気にしない。ささっ、どぞー」

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『コーヒーブレイク/ブレンド』

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 古ぼけた木製の頑丈そうなドアをこなたが開けると、カランコロンと涼やかなベルが鳴った。

「こんちゃー、マスター。また来たよー」
「失礼しまーす」

 一歩入って戸惑いを覚える。外の明るさに慣れた目には、店の室内は少し暗すぎた。目をしばたきながら何秒か待つと、しだいに暗さに目が慣れてくる。

 私たちの入った店は、今にも息が詰まるのではないかと思うくらい狭かった。二人がけの席がみっつと、四人がけの小さなカウンターがあるだけ。壁は古ぼけた無数のポスターで隙間なく埋め尽くされている。それを照らし出しているのは、十九世紀を連想させる小さなランプ。外の寒さを忘れさせてくれる暖かな空気がとても心地いい。一歩踏み出すごとに、木製の床が私の体重を受け、かすかな悲鳴をあげるのが聞こえた。

 ほんのりとコーヒーの香りが部屋を満たしていることに気づく。優しい、しかしどこか物悲しい音楽が不思議に雰囲気にマッチしている。そして、なにかしら人生を感じさせる初老のマスターが、無言の会釈で私たちを迎えてくれた。ぱっと見、私たちのほかに客は誰もいないようだ。

 いつの間にか、こなたが一番奥の席をキープしていて、私のことを「ほれほれ」と手招きしていた。
「ここがこの店の特等席なんだよ」
「そうか? どこに座ってもあまり代わりないような気もするんだが」
「そのうちわかるって」
 いつものニマニマ顔で、こなたは答える。
「じゃ、そゆことで。マスター、ブレンドふたつー」

 黙々とコップを磨いていたマスターは、こなたの注文を聞くなりそれを置き、手馴れた手つきで棚からコーヒーカップとソーサーを2セット取り出し、準備に取り掛かったようだった。

「あのマスター、ちょっといいわね。なんか仕事一筋って感じで」
「ほほー、かがみんはオジサマが好みと」
「なんでもそういう方向に話を持っていくなっ」
 軽く睨みつけてみるが、こなたは意に介した様子はない。
「くふふ。まあいいか。かがみには残念だろうケド、ここのマスターはね、男の人が好きなんだよ」
「……えっと、それってつまり、ゲイってこと?」
「そそ」
「マジですか」
「マジですよ」
「へー」
 無礼な仕草だということも忘れ、まじまじとマスターのことを見てしまう。
「世間にそういう人がいるって、噂には聞いてたけど、本物を見るのは初めてだわ」
「かがみぃ、そういう好奇と偏見に満ちた視線はいくないねー」
「……ん、そうね。なんか悪かった」
 こればかりは、こいつの言い分のほうが正しい。興味本位な目で見つめてしまったことを反省する。それで満足したのか、こなたはさっさと別の話題を振ってきた。
「そういえば、かがみは今流れてるこの曲は知ってる?」
「えっ……さあ、知らないけど。ここに入ってきたときから思ってたんだけど、なかなか感じのいい曲よね」
「んー、これは戦メリ、だよ」
「戦メリ?」
 聞き覚えのない単語だ。思わず私は首を傾げてしまう。
「『戦場のメリークリスマス』。八〇年代の戦争映画だよ。それのメインテーマ」
「私たちの生まれる前の話じゃない。なんでそんな事まで知ってるんだ」
「このくらい常識……と言いたい所だけど、残念ながらマスターの受け売り」
「そういうことじゃないかと思った。あんたが詳しいのって、アニメと特撮だけだもんね」
「いやいやかがみ、ネトゲ方面だってなかなかのものだよ」
「どれもこれも実生活には何の役にも立たないスキルだけどな」
 一瞬、こなたは「むぅ」と渋い顔をしたが、すぐに立ち直ったようだった。
「……まあ、それはさておき、この映画って戦争映画の皮をかぶってるけど、実は同性愛をテーマにした映画でもあるんだよね」
「へえ、そうなんだ。そういえばこの曲、なんだか暖かいけど……少し切ないような感じもするね」

 コーヒーがくるまでの間、私たちは無言で戦メリを聞いていた。言葉など必要ない。ただ何も考えずに、このひとときを全身で味わっていたかった。


「どうぞ」
 それほど待たずにコーヒーが運ばれてきた。なんともいえない、いい香りが立ち上ってくる。
「いただきます」
 味を確かめるために、まず一口含んでみる。

 若干薄めな印象。でも美味しい。少し酸味が強いけど、不快なほどじゃない。舌先でしばらくもて遊んでから、ごくりと飲み込む。すっきりとした後味が広がるのがわかる。

 とても美味しい。
 すごく美味しい。

 これまで飲んだことのある、どんなコーヒーともレベルが違う。いや、そんなものと比較するのは、このコーヒーに失礼じゃないだろうか。
「これ、なんか凄い」
「でしょでしょ?」
 満足そうな笑顔で、こなたが解説を始める。
「ここのブレンドの粉はね、ロバーツなんだ」
「ロバーツ?」
「そそ。ロバーツ・コーヒーのスペシャルブレンド。フィンランドのコーヒーチェーンなんだよね」
「へえ、フィンランドって、コーヒーの栽培もやってるんだ?」
「いや、お約束のボケはいいから。熱帯の植物があんな寒いところで育つわけないじゃん」
 苦笑いを浮かべるこなた。結構めずらしいかもしれない。
「ブレンドって言うんだけど、複数のコーヒー豆を混ぜることで、さらにいろんなバリエーションが生まれるんだよ。今飲んでいるのもそのひとつ」
「ああ、そういやそうか。まさに字の通り『ブレンド』っていうわけね。でも、なんでフィンランドなわけ?」
「あの国が一人当たりのコーヒー消費世界一ってのは知ってるかな? そこでスタバやドトールも寄せ付けない一番人気のコーヒーがこれ。そういうわけだから、不味いわけないよね」
「なるほど。確かにすごく飲みやすい。ひょっとして、薄めになっているのはそのためか」
「そだねー。あまり濃いと何杯も飲めないかも」
 そんなことを言いながらコーヒーカップを舐めていると、こなたが何かを思い出したらしい。今までうっとりと閉じていた目をぱっちりと見開く。碧色の瞳を真正面から見据えるような格好になり、少しばかり私はどぎまぎとしてしまう。
「そういえばさー、フィンランドと言えばムーミンだよね」
「そうなのか?」
 あまりにも遠い国の話題だからだろうか。どうにもイメージがわいてこない。
「かがみって、意外に物を知らないねー。ムーミンの原作者、トーベ=ヤンソンはフィンランドの人なんだ。もともとは第二次大戦の時の風刺漫画としてはじまったんだよ」
「それは初耳だわ。でも確かにムーミンって、童話らしからぬ醒めた感じがあるかもね」
「童話と言えば、そこにもムーミンの絵本が何冊かあるよ」
「え、マジですか」
 目線をこなたの指差すほうに向ける。私たちの座った席のすぐ脇に、小さな本棚があつらえてられていて、様々な本たちが無造作に突っ込まれていた。
 私は席を立つと、そろそろとその本棚に近寄った。もちろんそれはムーミンの絵本を探すための行動だったが、その前に興味深いタイトルに目を引かれてしまう。簡潔な、見なれない二文字の熟語で構成された表題の単行本に。
 そのくたびれた本を手に取ってみる。いかにもという感じの、けばけばしい表紙が目に飛び込んでくる。とりあえずそれは無視して中を開く。それが間違いだった。やばい、どうしよう。ページをめくる手が止まらない。

「かがみ、かがみってば」
「え……あ、ごめん」
 呆れかえったようなこなたの声に我に返ると、すでに十数ページは読んでしまっていた。棚に戻そうと思ったが、どうにも先のストーリーが気になってしかたがない。
「マスターに断れば、貸してもらえるよ」
「ほんとに?」
「ホント」
「それじゃあ……お願いできますか、マスター」
 後半の発言は店のマスターに対するものである。果たして彼は、例によって無言の頷きで許可をくれた。
「ありがとうございます」
 私は軽く頭を下げながら一旦席に戻ると、その本を鞄の奥深くに、まるで百カラットのダイヤモンドでも取り扱うような気分でしまい込んだ。
「『征途』……か」
 久しぶりに宝物を掘り当てたような、いい気持ちだった。今夜は楽しいひと時を過ごせそうだ、と思う。それは限りなく確信に近い予感だった。

「ほら、これだよ」
 さすがに業を煮やしたのだろうか、こなたがありかを教えてくれた。サイズが他の単行本や文庫本と比べてかなり大きい。いやまあ、絵本なのだからむしろ当然か。

 手にとって表紙を見る。アニメで見慣れた絵柄とはだいぶ違う。なんだか土俗的で、おどろおろどしいイメージだ。おまけに字が読めない。英語とも違う横文字が散りばめられている。
「これ、フィンランド語なのかな」
「それはね、スウェーデン語」
「スウェーデン語? だって、原作者はフィンランドの人って言ってなかったっけ」
「あの国の人口の一割はスウェーデン語を話すんだって。隣がスウェーデンだしね。原作の人もそのひとりってわけ。噂によると、ムーミンにあこがれてフィンランド語を習いだしてから、実は原書がスウェーデン語だって知って慌てる人が時々いるとかいないとか」
「それはなんとも悲惨ね。あ、ムーミンと言えば、あのマスター、なんとなくスナフキンって感じじゃない?」
「ほほー、かがみんはスナフキンの嫁、と?」
「いい加減、そっち方面の話題から離れんかっ」
「じゃあさしずめ私はムーミンで、かがみはフローレンだね」
「なんでよ」
「だって、かがみは私の嫁じゃーん?」
「……はいはい」
 得意げに宣言するこなたに、呆れかえった私はつい生返事を返してしまう。

 だが次の瞬間、突如として私の脳内の一部が反逆を起こした──



『ただいまー。今日も疲れたな』
『お帰り、かがみ。ご飯、お風呂、それともわ・た・し?』
『いやさあ、そういう冗談はせめて相手の目を見て言わないか』
 スーツの上着をハンガーに引っかけると、私はこなたの頭を両手でがしっと掴んで、無理やりこちらに振り向かせようとする。
『PCの画面を真剣に見つめながらそんなこと言っても、説得力ゼロだっつーの』
『ちょ、ちょっと待ってよ。いま重大な局面を迎えてるんだって。ボスの逆襲で、今にもパーティが全滅しそうなんだからっ!』
 悲痛な声で窮状を訴えるこなた。それとほぼ同時に、どこからともなく黄色い悲鳴が沸き上がるのが聞こえた。
『こなたママ、後ろから何やってんの! この状況で味方の下着盗んでる場合じゃないでしょ!!』
『シーフに戦闘までは期待してないけど、せめてポーション使って回復するくらいの機転、利かせてよっ!』
 私たちの愛しい娘たちが、奥の部屋から転がるように飛び出してくるなり、こなたに向かって文句を言い始める。
『ちょ、おま。子どもたちまで巻き込んでネトゲ三昧かっ!』
 頭を抱えたくなるほどの惨状。ようやく今日の激務を終えて我が家にたどり着いたというのに、まったくこいつらときたら。
『かがみー、助けてよーーー。このままじゃ私まで死んじゃう。せめて死体だけでも教会に連れて行ってくれなきゃ、復活も出来ないよーー』
『かがみママー、助けてー』
『お願い、かがみママ。愛してるからっ』
 しかも代わる代わる懇願してくるじゃないか。
『ああっ、もうっ!』
 髪をかきむしりたくなるような気分を我慢しながら、私はタイトスカートのポケットから携帯端末を取り出す。
『それで、今どこなの? これから助けに行くから、三人ともちょっと待ってなさいっ』
『さすがはかがみママ!!!』
 狂喜する三人の歓声が、十五年のローンを残した我が家いっぱいに響き渡った──



「どったの、かがみん?」
「え……い、いや別に。なんでもない」
 自分でも驚くほどの盛大なため息が出てしまう。
 ったく、何考えてるんだ、自分。私たちは女同士だぞ。ありえんっ。
 そう言い聞かせることで、妙な思考を切って捨てた。

 しかし、心のどこかで鈍い痛みを感じている事実までは、消し去ることができなかった。

 帰り際に私は、出入口をくぐったところで振り返る。ドアの脇に真ちゅう製の小さなプレートがはめ込まれているのに気づいた。それには小さく『地球の緑の丘』と書かれている。おそらくそれが店の名前なのだろう。確かハインラインの作品に同じ名前のがあったと思い出す。あの店の本棚にはかなり古典的なSF小説も含まれていたし、マスターがそういうセンスの持ち主だとしても不思議はない。

 だが今の私の胸中を支配していたのは、まったく別の疑問だった。

 なぜこなたは、この店に私を連れて来たのだろうか。ただ美味しいコーヒーを振舞うためだったのだろうか、それとも何か別の意図があったのか。あいつの後ろ姿を見ながら、何度その質問を発しようと思いかけたことだろう。

 だが結局、私はそれをぶつける事ができなかった。そのような愚行は、何かとてつもなく怖ろしい結果を招くだろう、と思う。それは限りなく確信に近い予感だった。

  (Fin)



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