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こなたとかがみが、まだ高校に通っていたころの、ある日曜日のこと。 今日も今日とて、こなたは柊家を訪れています。 桜の季節を過ぎ、風も暖かくなってきました。 「こんちわー」 「あら、こなたちゃん、いらっしゃい」 「こ、こんにちは。あれれ、えーと・・・・・・・・」 「かがみ? ごめんなさい、今、神社の方に行っているの」 「そうでしたか」 「あの子、こういうことに、妙に意気に感じるところがあるの」 「へ? 」 鷹宮神社の神域の、参道を少し外れたところに、小さな慰霊碑が立っています。 すっかりおなじみの場所ではありましたが、こなたにとっては初めて目にするものです。 碑文は、難解な漢語調に書かれていますが、 『第○○○振武隊・・・・・昭和二十年五月二十八日払暁出撃・・・・・・沖縄東海域・・・・・・散華・・・・・・・』 と、所どころ、こなたにも読むことができました。 「ごめん、もうすぐ終わるから」 こなたの呼びかけに、タワシで碑石を丹念に磨きながら、かがみが応じます。 ジャージの上下に軍手にゴム長、こんな泥臭い格好でも、 邪魔にならぬようキリリと後ろに結んだ髪といい、折り目正しい立居振舞といい、 かがみは、どこか凛とした気品を失いません。 はじめは、にんまりとその様子を眺めていたこなたでしたが、 かがみの、なにか思いつめたような表情と、時々潤んだようになる瞳を見て、 何かがあったことに気付いたのでしょう、 かがみが汗を拭き拭き、甲斐甲斐しく働く傍で、 こなたはそわそわと落ち着かない様子でいました。 やがて草取りを終え、熊手と箒で丁寧に清めると、 慰霊碑の周りは、少しさっぱりした感じになりました。 かがみがひと息つくと、こなたは、すぐに並んで寄り添いました。 周りに設えた花壇には、今はまだ蕾ですが、 五月に入ると、コスモスに似た黄色い花が、一斉に咲き揃います。 この花の世話をしていた老人が、先頃亡くなりました。 鷹宮神社に昔から、住み込みで働いていた人で、身寄りがなく、 神社の関係者だけで、ささやかな葬儀が行われました。 かがみにとっては、幼いころからの、ごく身近な大人の一人であり、 こなたにとっても、よく参道の掃除をしていたこの老人とは、顔見知りでした。 「あのおじいさん、もういないんだ。寂しいね」 「うん」 かがみは、この花の世話をしていた時の、老人のことを思い出していました。 いつもにこやかでしたが、普段はあまり話をしない人でした。 「お嬢様、この花には、あの人たちの魂がこもっているのですよ」 あの人たち、とは、今から六十年前、知覧の基地を飛び立って二度と戻らなかった、 千百余柱の英霊たちのことです。 かがみの曽祖父も、そのうちの一人だったと、聞かされています。 戦争の終ったあと、あちこちに咲くようになったため、 この花を彼の地では『特攻花』と呼んでいるそうです。 そして、この老人について、かがみは、もう一つ、忘れられない思い出がありました。 まだ幼かったころの、ある年の八月十五日、 蝉時雨の降る炎天の下、あの碑の前で老人が、誰かと昔話をしていました。 すると、感極まった老人が、やおら絶句し、顔を覆って泣き始めたのです。 「柊中尉殿に申し訳ない。共に死のうと誓った仲間たちに申し訳ない。  私だけが、こうして、おめおめと生き残ってしまいました。  今、こうして生きていることが、皆に申し訳ない・・・・・・・・・・」 申し訳ない、申し訳ない、と、繰り返す言葉を、かがみは驚きと共に、はっきりと記憶しています。 あとで知ったことですが、この老人は飛行隊長だった曽祖父のかつての部下であり、 あの日、曽祖父とともに出撃したものの、乗機の不調のため引き返し、 そのまま終戦を迎えてしまったのです。 せっかく助かった命。 なのに、生きているのが申し訳ない、老人は確かにそう言いました。 それがどんなことを意味するのか、当時のかがみには理解できませんでした。 ☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★ 段ボール箱三つに満たない、老人のわずかな遺品を整理していると、手紙が出てきました。 いずれも、あの日飛び立った、同じ隊の仲間たちの遺書でした。 特攻作戦に選ばれた者は、若い独身者が多く、跡を継ぐべき子供がいません。 遺された両親の亡きあと、遺品は処分されてしまうことが多く、 この老人は、ひそかにそうした品々を集めていたのです。 特攻作戦は、紛れもない悲劇でした。 当時でさえ「統帥の外道」と批判があったほど、非常識な軍事行動だったのです。 しかし彼らは、自分たちの愛する親兄弟を、国を救うためには、この方法しかないと信じていました。 少なくとも、言うだけで何もしない傍観者でいることだけは、彼らには耐えられなかったのです。 四通の手紙にはそのことが、それぞれの、十八歳の言葉で述べられていました。 かつての部下たちに会わせたいと思ったのか、柊家に遺されていた曽祖父の手紙を、父が持ってきました。 隊で唯一の妻帯者だった曽祖父が、当時十一歳だった祖父に宛てたものです。 そこには我が子と、まだ見ぬ子孫たちの幸せを祈る、三十二歳の、平凡な父親の姿がありました。 生まれる前から、かくも深く愛されていたことを悟った母も、二人の姉も、つかさも、皆、涙しました。 手紙を読み上げた父も、声を震わせていました。 かがみには、あの時の老人の言葉の意味が、少しだけ理解できたような気がしました。 飛行隊長だった曽祖父は、正規の特攻隊員ではなく、特攻機の直掩を任務としていました。 戻って来たとしても、誰も咎めなかった筈です。 それでも、部下だけを死なせて潔しとする人ではなく、彼らと運命を共にしたのです。 にもかかわらず、自分ひとりが生き残ってしまった運命の皮肉に、あの老人は、生涯苦しみ続けたのです。 彼にとっての、つらく長い戦後は、今ようやく終わったのです。 ☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★ 慰霊碑を少し離れて望む、拝殿の石段に腰かけ、かがみは少し前にあった、そんな話をしました。 こなたは、膝を抱えたまま、それをじっと聞いていました。 自分たちとさほど年齢の変わらない若者たちが、つい六十年前、生と死のドラマの主人公だったのです。 ふたりとも、運命というものを、考えずにはいられませんでした。 「ねえ、こなた」 「なに・・・・・・かな?」 「自分の命より大切なものって、あるのかな?」 普段のふたりには、あまりにも似つかわしくない話題でした。 しかしこなたは、からかう様子も、訝る様子もなく、少し考え込むふうをしています。 そして躊躇いがちに、あると思うよ、と答えました。 「お母さんのことなんだけれど・・・・・・」 こなたは俯き加減に、訥々と語り出しました。 「お母さん、前から体を壊していて、もう、わかっていたんだって。  私を産んだら、命が危ないって。それでも、産んでくれたんだ。私を」 人の死を背負って生きている少女がここにいたことを、かがみは迂闊にも忘れていました。 「人命は地球より重いって言うけど、もしお母さんが、自分の命のほうが大事だと思っていたら、  私は、どうなっていたんだろうね・・・・・・・・・・・・・・・・」 母かなたは、自らの命よりもこなたを愛し、この世に送り出したのです。 そして、笑顔で旅立っていったといいます。 不意にかがみの脳裏に、あの日、機に乗り込む曽祖父の姿が浮かんできました。 彼もその時、精一杯の笑顔を見せたのではないか、と。 「よくわかんないけど、自分の命より大切なものは、必ずあるんだよ。  お母さんが死んだのだって、無意味なわけないよ?   絶対、無意味なんかじゃないよ! 私、生きているもん! ほら、ちゃんとここに!」 こなたは、涙を浮かべながら、かがみを見つめ、精一杯胸を張って、そう言いました。 そんなこなたが愛おしく、かがみは、泥だらけになった手を気にしながら、思いきり抱きしめたのです。 そこには、かつて一人の母親が振り絞った勇気の証が、確かに息づいていました。 そして自分の胸には、かつて一人の父親が見せた、また別の形の勇気の証が、確かに受け継がれていました。 「わかってる。わかってるよ。あんたに逢えたのも、お母さんのお陰だからね。  だから、ほら、泣くな・・・・・・・・」 若葉の香りのする風の吹く中、ふたりはしっかりと抱き合ったまま、長い間、涙を流していました。 自分にとっての、命よりも大切なもの。 それが何なのか、かがみには、まだ分かりません。 しかし、かつて自分でない誰かを愛し、自らの命を捧げた男と女がいたこと。 そして、そのおかげで、こうして自分が生まれ、こなたと出会い、いまのこの日がある、ということ。 そのことだけは、いつまでも、忘れずにいようと思いました。 この慰霊碑は、いつも誰かに手入れをされ、毎年五月、黄色い花に包まれています。 そしてあの手紙たちは、今でも鷹宮神社に大切に祀られています。 (おしまい) **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3) - らき☆すたが好きで今迄散々色んな作品を拝見しましたが、これ程感動したものはありません・・・ &br() &br() &br()自分の命より大切なもの、それが無ければ確かに戦死者の方々も自らの命を捨てる事はなかったでしょう。 &br() &br() &br()今あるこの国の平和、その平和の中安心して暮らしている我々の幸せ、それを守る為に戦ってくださった方もいると考えると、今ここにあるこの命、より一層無駄には出来ぬと思います。 -- 勝負師 (2011-03-05 17:31:06) - 命の重みが感じられる &br()いい作品ですね。 &br()ジ〜ンとしました(T^T) -- 無垢無垢 (2009-01-03 23:11:53) - ええ話や‥‥ -- 名無しさん (2009-01-03 01:31:50)
こなたとかがみが、まだ高校に通っていたころの、ある日曜日のこと。 今日も今日とて、こなたは柊家を訪れています。 桜の季節を過ぎ、風も暖かくなってきました。 「こんちわー」 「あら、こなたちゃん、いらっしゃい」 「こ、こんにちは。あれれ、えーと・・・・・・・・」 「かがみ? ごめんなさい、今、神社の方に行っているの」 「そうでしたか」 「あの子、こういうことに、妙に意気に感じるところがあるの」 「へ? 」 鷹宮神社の神域の、参道を少し外れたところに、小さな慰霊碑が立っています。 すっかりおなじみの場所ではありましたが、こなたにとっては初めて目にするものです。 碑文は、難解な漢語調に書かれていますが、 『第○○○振武隊・・・・・昭和二十年五月二十八日払暁出撃・・・・・・沖縄東海域・・・・・・散華・・・・・・・』 と、所どころ、こなたにも読むことができました。 「ごめん、もうすぐ終わるから」 こなたの呼びかけに、タワシで碑石を丹念に磨きながら、かがみが応じます。 ジャージの上下に軍手にゴム長、こんな泥臭い格好でも、 邪魔にならぬようキリリと後ろに結んだ髪といい、折り目正しい立居振舞といい、 かがみは、どこか凛とした気品を失いません。 はじめは、にんまりとその様子を眺めていたこなたでしたが、 かがみの、なにか思いつめたような表情と、時々潤んだようになる瞳を見て、 何かがあったことに気付いたのでしょう、 かがみが汗を拭き拭き、甲斐甲斐しく働く傍で、 こなたはそわそわと落ち着かない様子でいました。 やがて草取りを終え、熊手と箒で丁寧に清めると、 慰霊碑の周りは、少しさっぱりした感じになりました。 かがみがひと息つくと、こなたは、すぐに並んで寄り添いました。 周りに設えた花壇には、今はまだ蕾ですが、 五月に入ると、コスモスに似た黄色い花が、一斉に咲き揃います。 この花の世話をしていた老人が、先頃亡くなりました。 鷹宮神社に昔から、住み込みで働いていた人で、身寄りがなく、 神社の関係者だけで、ささやかな葬儀が行われました。 かがみにとっては、幼いころからの、ごく身近な大人の一人であり、 こなたにとっても、よく参道の掃除をしていたこの老人とは、顔見知りでした。 「あのおじいさん、もういないんだ。寂しいね」 「うん」 かがみは、この花の世話をしていた時の、老人のことを思い出していました。 いつもにこやかでしたが、普段はあまり話をしない人でした。 「お嬢様、この花には、あの人たちの魂がこもっているのですよ」 あの人たち、とは、今から六十年前、知覧の基地を飛び立って二度と戻らなかった、 千百余柱の英霊たちのことです。 かがみの曽祖父も、そのうちの一人だったと、聞かされています。 戦争の終ったあと、あちこちに咲くようになったため、 この花を彼の地では『特攻花』と呼んでいるそうです。 そして、この老人について、かがみは、もう一つ、忘れられない思い出がありました。 まだ幼かったころの、ある年の八月十五日、 蝉時雨の降る炎天の下、あの碑の前で老人が、誰かと昔話をしていました。 すると、感極まった老人が、やおら絶句し、顔を覆って泣き始めたのです。 「柊中尉殿に申し訳ない。共に死のうと誓った仲間たちに申し訳ない。  私だけが、こうして、おめおめと生き残ってしまいました。  今、こうして生きていることが、皆に申し訳ない・・・・・・・・・・」 申し訳ない、申し訳ない、と、繰り返す言葉を、かがみは驚きと共に、はっきりと記憶しています。 あとで知ったことですが、この老人は飛行隊長だった曽祖父のかつての部下であり、 あの日、曽祖父とともに出撃したものの、乗機の不調のため引き返し、 そのまま終戦を迎えてしまったのです。 せっかく助かった命。 なのに、生きているのが申し訳ない、老人は確かにそう言いました。 それがどんなことを意味するのか、当時のかがみには理解できませんでした。 ☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★ 段ボール箱三つに満たない、老人のわずかな遺品を整理していると、手紙が出てきました。 いずれも、あの日飛び立った、同じ隊の仲間たちの遺書でした。 特攻作戦に選ばれた者は、若い独身者が多く、跡を継ぐべき子供がいません。 遺された両親の亡きあと、遺品は処分されてしまうことが多く、 この老人は、ひそかにそうした品々を集めていたのです。 特攻作戦は、紛れもない悲劇でした。 当時でさえ「統帥の外道」と批判があったほど、非常識な軍事行動だったのです。 しかし彼らは、自分たちの愛する親兄弟を、国を救うためには、この方法しかないと信じていました。 少なくとも、言うだけで何もしない傍観者でいることだけは、彼らには耐えられなかったのです。 四通の手紙にはそのことが、それぞれの、十八歳の言葉で述べられていました。 かつての部下たちに会わせたいと思ったのか、柊家に遺されていた曽祖父の手紙を、父が持ってきました。 隊で唯一の妻帯者だった曽祖父が、当時十一歳だった祖父に宛てたものです。 そこには我が子と、まだ見ぬ子孫たちの幸せを祈る、三十二歳の、平凡な父親の姿がありました。 生まれる前から、かくも深く愛されていたことを悟った母も、二人の姉も、つかさも、皆、涙しました。 手紙を読み上げた父も、声を震わせていました。 かがみには、あの時の老人の言葉の意味が、少しだけ理解できたような気がしました。 飛行隊長だった曽祖父は、正規の特攻隊員ではなく、特攻機の直掩を任務としていました。 戻って来たとしても、誰も咎めなかった筈です。 それでも、部下だけを死なせて潔しとする人ではなく、彼らと運命を共にしたのです。 にもかかわらず、自分ひとりが生き残ってしまった運命の皮肉に、あの老人は、生涯苦しみ続けたのです。 彼にとっての、つらく長い戦後は、今ようやく終わったのです。 ☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★ 慰霊碑を少し離れて望む、拝殿の石段に腰かけ、かがみは少し前にあった、そんな話をしました。 こなたは、膝を抱えたまま、それをじっと聞いていました。 自分たちとさほど年齢の変わらない若者たちが、つい六十年前、生と死のドラマの主人公だったのです。 ふたりとも、運命というものを、考えずにはいられませんでした。 「ねえ、こなた」 「なに・・・・・・かな?」 「自分の命より大切なものって、あるのかな?」 普段のふたりには、あまりにも似つかわしくない話題でした。 しかしこなたは、からかう様子も、訝る様子もなく、少し考え込むふうをしています。 そして躊躇いがちに、あると思うよ、と答えました。 「お母さんのことなんだけれど・・・・・・」 こなたは俯き加減に、訥々と語り出しました。 「お母さん、前から体を壊していて、もう、わかっていたんだって。  私を産んだら、命が危ないって。それでも、産んでくれたんだ。私を」 人の死を背負って生きている少女がここにいたことを、かがみは迂闊にも忘れていました。 「人命は地球より重いって言うけど、もしお母さんが、自分の命のほうが大事だと思っていたら、  私は、どうなっていたんだろうね・・・・・・・・・・・・・・・・」 母かなたは、自らの命よりもこなたを愛し、この世に送り出したのです。 そして、笑顔で旅立っていったといいます。 不意にかがみの脳裏に、あの日、機に乗り込む曽祖父の姿が浮かんできました。 彼もその時、精一杯の笑顔を見せたのではないか、と。 「よくわかんないけど、自分の命より大切なものは、必ずあるんだよ。  お母さんが死んだのだって、無意味なわけないよ?   絶対、無意味なんかじゃないよ! 私、生きているもん! ほら、ちゃんとここに!」 こなたは、涙を浮かべながら、かがみを見つめ、精一杯胸を張って、そう言いました。 そんなこなたが愛おしく、かがみは、泥だらけになった手を気にしながら、思いきり抱きしめたのです。 そこには、かつて一人の母親が振り絞った勇気の証が、確かに息づいていました。 そして自分の胸には、かつて一人の父親が見せた、また別の形の勇気の証が、確かに受け継がれていました。 「わかってる。わかってるよ。あんたに逢えたのも、お母さんのお陰だからね。  だから、ほら、泣くな・・・・・・・・」 若葉の香りのする風の吹く中、ふたりはしっかりと抱き合ったまま、長い間、涙を流していました。 自分にとっての、命よりも大切なもの。 それが何なのか、かがみには、まだ分かりません。 しかし、かつて自分でない誰かを愛し、自らの命を捧げた男と女がいたこと。 そして、そのおかげで、こうして自分が生まれ、こなたと出会い、いまのこの日がある、ということ。 そのことだけは、いつまでも、忘れずにいようと思いました。 この慰霊碑は、いつも誰かに手入れをされ、毎年五月、黄色い花に包まれています。 そしてあの手紙たちは、今でも鷹宮神社に大切に祀られています。 (おしまい) **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3) - 感動しました -- 名無しさん (2011-04-17 10:27:04) - らき☆すたが好きで今迄散々色んな作品を拝見しましたが、これ程感動したものはありません・・・ &br() &br() &br()自分の命より大切なもの、それが無ければ確かに戦死者の方々も自らの命を捨てる事はなかったでしょう。 &br() &br() &br()今あるこの国の平和、その平和の中安心して暮らしている我々の幸せ、それを守る為に戦ってくださった方もいると考えると、今ここにあるこの命、より一層無駄には出来ぬと思います。 -- 勝負師 (2011-03-05 17:31:06) - 命の重みが感じられる &br()いい作品ですね。 &br()ジ〜ンとしました(T^T) -- 無垢無垢 (2009-01-03 23:11:53) - ええ話や‥‥ -- 名無しさん (2009-01-03 01:31:50)

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