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法華経について解りやすく解説
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html

Wikipedia 成立と流布に記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

広済寺ホームページ「法華経を成立させたのはだれか」の章に記述
http://www.kosaiji.org/hokke/hokekyo/seiritsu.htm

ここなどは、多くの書籍資料を参考に書かれていて、勉強になります
ここの後半部分に書いてあります。他のページも面白いので時間があればどうぞ
http://page.freett.com/ry/after.buddha.html

参考までに、Wikipediaでもそのお名前が出ていますが、中村元氏が、
「法華経が成立した年代の上限は西暦40年」と述べておられます。
私が今読んでいる本の訳者で、仏教学者として有名だと言う中村元さんの死去されたときの記事の紹介
http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_B035.htm
仏教関係の著書が多数あります。


逆に言うと、法華経をお釈迦様の教えと言っている学者は、ほとんど見当たりません。
日本から中国へ渡った僧は、まさか偽経があるなど考えもしなかったのでしょうし、
もともとインドから中国に伝わった(西遊記)のは大乗仏教らしいので、疑問も起きなかったのでしょう。


そもそも、大乗仏教はお釈迦様入滅100年後ぐらいに仏教教団の根本分裂がおこり、
厳格なグループである上座部から分かれた大衆部が大乗仏教の基となったそうです。
大乗経典の一つである法華経は、その内容から言ってもお釈迦様の教えとはいえないのです。
また、入滅以前に教えを明文化していないお釈迦様が、法華経の中では写経を奨めたりしています。
仏教の歴史を勉強された方ならご存知なのだと思いますが、お釈迦様は「小乗の教え」つまり個人の救済です。
最終的には出家しなければ「悟り」は達成できません。これが一般大衆には難しいわけですね。

出家は家族への執着も捨てる事で、執着を捨てる事はすなわち孤独を友にする事のようです。
何も欲しがらず、托鉢をして差し渡された食べ物だけを食べ、何も蓄えず、場所にも執着せず、
だから住居に住まず、山林で淡々と過ごすようです。本来の精舎は雨季の時期の仮の住まいだそうです。

私は今、原始仏教の最も古い経典と言われている「スッタニパータ」を訳した、
仏教学者 中村 元訳 -ブッダのことば- と言う本を読んでいますが、
その言葉は、とても人間的(俗物的と言う意味ではなくスケールとして)で、
法華経のような派手さはありません。まあまだ、読んだのは1/3ぐらいですけど・・・。
最初の方に、第3章 犀の角(サイのつの)で、
1~2行のことばの後、「犀の角のようにただ独り歩め。」と、繰り返し教えています。

犀の角の章では、こんな感じです。

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、
また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。
愛情から禍の生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。
親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

他の章ではこんな文章ばかりではありませんが・・・。「悟り」の道は厳しいですね。
本来の仏教は、教えを知り理解し納得し実践する事だと思うので、他にご利益などありません。
でも、欲を可能な限りコントロールするだけでも、苦は減るのではないかと思えてきます。


以下が平等大慧会の経典です
異常に短くこれだけを読んでも意味不明な気がします

会の経典 妙法華経見寶塔品第十一
其(そ)の時に寶塔(ほうたふ)の中(うち)より大音聲(だいおんじやう)を出(いだ)して歎(ほ)めて言(のたま)はく
、善哉(ぜんざい)善哉・釈迦牟尼世尊・能(よ)く
平等大慧・経菩薩法・佛所護念の 妙法華経を以(もつ)て大衆の為に説きたまふ。
是(かく)の如(ごとし)し、是の如し釈迦牟尼世尊所説の如(ごとき)きは
皆是(みなこ)れ真実(しんじつ)なり。其(そ)の時佛(ときほとけ)・大楽説菩薩(だいげうせつぼさつ)に告(つ)げたまはく。
此(こ)の寶塔(はうたふ)の中(うち)に如来の全身います。乃往過去(ないわうくわこ)に
東方(とうほう)の無量(むりやう)千萬億阿僧祇(まんのぅあそうぎ)の世界に、国を寶浄(はうじやう)と名(なづ)く。
彼(か)の中に佛います號(な)を多寶(たほう)といふ。その佛本菩薩(ほとけもとぼさつ)の道(だう)を行ぜし時、
大誓願(だいせいぐわん)を作(な)したまはく、我が塔廟是(たふめいこ)の経を聴かんが為の故に、
其の前に涌現(ゆげん)して為に証明と作(な)って、讃(ほ)めて善哉といはん、
我が滅度の後 我が全身を供養せんと欲(ほつ)せん者は一の大塔(だいたふ)を起(た)つべし。
其れ我が身を以って四衆に示さんと欲することあらば、彼の佛の分身の諸佛 十方世界に在(ましま)して説法したまふを。
?く(ことごと)一處(しよ)に還(かへ)し集めて、然(しかう)して後(のち)に我が身(み)乃(すなわ)ち出現せんのみ。
其の時に十方の諸佛各衆(しょぶつおのおのもろもろ)の菩薩に告げて言(のたま)はく、
善男氏、我今娑婆世界の釈迦牟尼佛の所(みもと)に往(ゆ)き。多寶如来も寶塔(はうたふ)を供養すべし。
時に娑婆世界即ち変(へん)じて清浄(しやうじやう)なり。地獄餓鬼畜生及び阿修羅あることなし。即時(そくじ)に釈迦牟尼佛。
大音聲(だいおんじやう)を以(もつ)て普(あまね)く四衆に告げたまはく。誰か能く此の娑婆国土に於いて廣く 妙法華経を説かん。
今正しく是れ時なり。佛此の妙法華経を以って付属して在ることあらしめんと欲す。
此の経を讀み持たんは是れ眞の佛子淳善(じゆんぜん)の地(ぢ)に住(ぢゆう)するなり。





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