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病気からの贈り物 - Yahoo!ブログ

病気からの贈り物

あるうつ病人からのメッセージ

病気は未来からやって来る

  「病気は未来からやって来るものだ」、となぜか私は昔から信じていました。過去の原因だけで病気は発症しないと。もしそうでなかったら、病むことの意義がなくなってしまいます。

哲学者アリストテレスは、ものごとが存在するためには4つの要因が必要である、と考えました。うつ病にこれを当てはめると、少々アバウトですが、以下のようになると思います。
1、もともと、うつ病になりやすい気質、体質を持っていた。その人がたまたまストレスの多い、あるいは孤独な環境にいた。(資料因 material cause)
2、そこへ、辛い出来事、ショックなこと、体の病気、引っ越し、そして結婚や出産などのハッピーなことも含めて、いくつものストレスが蓄積されていった。(作用因 efficient cause)
3、蓄積された精神疲労により脳細胞間の信号伝達に異常が生じ、抑うつ、やる気の低下、疲れやすさ、その他の身体症状を伴う「うつ病」になった。あなたがこのような症状に苦しむのは、うつ病がそういう病気だから。(形相因 formal cause)
4、最後に「目的因」。○○のためにこの人はうつ病を患った。例えば、「家が建ったのはそこに人が住むため」「雨が降るのは植物が育つため」など、自然発生的に起こることにも、人為的に行われることにも、必ずこの「目的因」があると、アリストテレスは考えました。

目的因は英語でfinal cause ラテン語でcausa finalis。
うつ病を患い、うつ病とともに生きること。そこにも必ず、この目的因があると私は思っています。しかし、残念ながら、病気のただ中にある時、私たちの目には目的因が見えません。病気が治った後でさえ、何のために病んだのか解らないことも多いでしょう。でも、病気には必ず、その人の個人的な目的因と、人類全体から預けられた目的因が存在していると思います。

つまり、「将来こんな人になってこんな使命を果たしたい」、という願いを、あなた自身の潜在意識がすでに持っていて、そのために必要な経験として、今病気になっている、ということ。一方で、「あなたには人類のため、社会のために、将来こういう働きをしてほしい」、という、み〜んなの潜在意識からのお願いがあって、その仕事ができる力をつけるために、今、どうしてもこういう苦しい経験をしなくてはならないから、病んでいる。もちろん、あなたのお願いとみんなからのお願いは、一致しているはずです。

「病気は未来からやって来る」というのは、こういう意味です。

以上の文章は、こちらの記事を参考にさせて頂きました。

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湿気にやられて・・・

 天候、気候の変化は、うつ病をはじめ、精神疾患を抱える人にとって、とても大きな負担です。たとえば、こんな感じです。

友だちからの電話。
「もしもし・・・」
「どうしたの? 調子悪そうだねぇ? 何かあったの?」
「湿気にやられて・・・」
「はぁ?」
「いきなり湿度が上がったでしょ。息が吸えないのよ。だって、外、空気ないじゃない。さがしても、空気ないのよ。」
「とにかく家にこもって除湿かけて寝な!」
「酸素ボンベ持って歩こうかなぁ。どう?」
「アホ! 過呼吸になるでしょ! それじゃなくたってしょっちゅうぶっ倒れてるんだから。」
「あぁ、そうか。」

冬から春になる頃。
「体が動かない・・・」
「どうしたの?」
「春よ、春。」
「はぁ?」
「朝寒くて、昼一気に気温が上がるでしょ。体中の血管がいっせいに開いて、動けない・・・ とりあえず、寝るわ。」
「うん、おやすみ。」

もちろん、最悪なのは、ザッ台風!
台風発生の予報を聞いた瞬間から祈ります。
「それろ、それろ、それてくれ〜! 今入院するカネがないんだ〜! 来週仕事入ってるんだ〜!」

必死の祈りも効かず、いざ直撃の際は、お察しの通り、発生時から通過直後まで、寝ているほかありません。吐き気、頭痛、倦怠感、気分最悪。通過後何日も台風後遺症に悩まされることもあります。そのままうつ状態に陥ることもあります。近年、台風の数は減ったものの、巨大化する傾向にあり、非常に迷惑しております。お手やわらかにお願いしますm(_ _)m

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いちばんの助け

 どうやってうつ病の人を支えたらよいか。何をしてあげられるか。そんなあたたかい気持ちをもってくださる方々に、心からの感謝をこめて、いくつか提案をさせてください。これはあくまでも私の主観的な意見で、何が助けになるかは、人それぞれでしょう。でも、ちょっぴり普遍的な部分もあるかも知れません。

1、特定の治療法を勧めない、強要しない
 これはもちろん、「精神科の受診を除いて」の話です。健康法や生活改善法、サプリメント、カウンセリング、ヒーリング、○○療法などなど。「こういうものもあるよ」、とちらっと話すだけで充分です。それで本人が興味を示さなかったら、それ以上勧めない方が良いと思います。なぜなら、本人は症状と闘うだけで、もうせいいっぱいなのです。しかし、真面目な性格の人は、「やはりこれをやった方が良いのだろうか」、と相手の勧めを真剣に受け止めてしまい、その健康法にさらなるエネルギーを費やし、余計に消耗してしまうことが多いからです。精神科医の友人が、「治療もある意味、刺激だから。今はとにかく刺激から自分を守って。」、と言ってくれたことがありました。この言葉は深く心に響きました。

2、助ける側が無理をしない
 共倒れにならないためにも、助ける側が自分に出来ないことをする必要はありません。私の場合も、母は実家での療養を提案してくれましたが、私はあえて、入院を選びました。それは正解でした。病院では堂々と患者でいることが出来ますし、お世話をしてくれるスタッフの方々はちゃんとお給料をもらって、それを仕事としているわけです。

3、うつ病に特定の原因はない
 幼少期の何かが原因だったのだろうか。職場の人間関係のせいなのだろうか。性格が原因だろうか・・・ これは、うつ病の本人も、しばしば悩み、結局答えが出ない問いです。うつ病は数えきれないほどの、さまざまな要因が積み重なって、発症します。「きっかけ」となる出来事はつきとめられても、それはきっかけでしかありません。原因探しは本人も周りの人も消耗するだけで、実りがありません。医療関係者としてうつ病の人と向き合う場合も、ある特定の「解釈」は、大きな落とし穴だと、私は思います。「何だか解らないけれど、この人は疲れすぎてうつ病になってしまった。」 少々極端かも知れませんが、私はこの解釈が一番正解に近いと思っています。

4、ぜったいに絆を絶たない
 「私たちみたいに精神の病気を抱えている人って、人との絆にすがって生きているところがあるよね。」 入院友達とこんな話をしたことがあります。それは、決して四六時中一緒にいろということではありません。むしろ、放っておいてほしい時もたくさんあります。でも、一度、うつ病の人と信頼関係を築いたら、それを裏切らないでほしいと思います。逆に、出来ない約束はしない。例えば、「苦しくなったらいつでもメールしてね」、と言ったなら、どんなに忙しい時でも、一言でもいいから、必ず、すぐにメールを返す。健康な人なら、返信がなくても、「まぁ、あの人は筆不精だから」と見逃すことも出来るでしょう。しかし、本当に苦しい時に、迷惑かなぁという気持ちを乗り越えてメールや電話をして、返事がない、ということは、うつ病の人にとって、大きなダメージになります。「信頼していたのに・・・」という落胆と、孤独感に襲われます。誰かひとりでも、そういう信頼の出来る人がいると、それは、この上なく大きな支えであり、回復の助けとなります。

5、必ずいつか本人が道を見つける
 うつ病の人を傍から見ていると、「いつになったら元気になるのだろう」「私が何とかしてあげないと、ずっとこのままなのではないだろうか」、と焦ってしまうことも多いのではないでしょうか。でも、必ずいつか、本人が自分で回復への道を見つける、私はそう信じています。そして、その「道」は、ぜったいに「本人が」見つけなくてはならないのです。時間はかかると思います。でも、きっかけは、どこに潜んでいるか分かりません。私の知り合いは、ある日、転んで足を骨折し、その途端に長年のうつ病が治ってしまったそうです(笑)。私は、入院中のある日、散歩がてらに本屋に行って、「わたしはマララ」という本を見つけました。15歳にして教育の機会均等のために立ち上がり、タリバンに撃たれ、その後も活動を続けているマララさんの手記でした。病院で一気に読んで、「私も、私に出来ることをせいいっぱいやろう!」、と思いました。これが、新しい職業、新しい目標へと私を向かわせるきっかけになりました。そして、まさにその目標が、うつ病からの回復の、大きな力になっています。

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病名を公表するということ

 自分がうつ病であることを公表するか、しないか。どちらにも利点と欠点があると思います。これも、心療内科の病棟仲間たちとの間で、よく話題になったことです。

もし、どこかの企業、組織などに所属している場合、これは自分だけで決められる問題ではありません。その組織の責任者と話し合って決めるのがベストでしょう。病名を公表することの欠点は、「キャリアにキズがつく」「保険に入れなくなる」「再就職が難しくなる」・・・などなど。考えればいくらでも出て来ると思います。特に、以前と同じ職場、または職種への復帰を考えている人、比較的早く症状が改善している人は、こちらを選ぶことが多いようです。

病名を公表すると、就くことの出来る職種が制限されます。以前の職場への復帰の可能性は、その会社によるでしょう。むしろ、公表した方が、適切な待遇を受けることが出来る場合もあるはずです。また、年金や福祉サービス、就労支援など、公の支援を利用する場合は、どちらにせよ病名を明かすことになります。

 私の場合は、うつ病によって、セラピストという以前の仕事が出来なくなりました。まず、出張が不可能になり、その理由として、最初は特定の人たちにだけ、病名を明かしました。それでも、前の仕事は、私にとって若い頃からの夢であり、とても大切にしていた仕事だったので、手放したくありませんでした。しかし、何度目かの入院中に、「私はもう、この仕事は出来ない」、という現実をはっきりと自覚しました。この仕事をしている限り、症状は改善しないし、回復しても、この仕事をすると、また状態が悪化する。それがはっきりと解ったので、悲しかったけれど、その職を辞めました。すると、肩の荷が下りました。

その後、もうひとつの現実を受け止めました。「私はもう、以前のように定期的に、決められた時間、働くことが出来ない」、ということです。つまり、何とかして生活費を得なくてはなりません。「うつ病で年金が下りる可能性は低い」と言われていましたが、私は幸運にも申請が通り(ようするにそれだけ症状が重かっただけの話!)、年金をもらうことが出来るようになりました。この時点で、すでに「日本年金機構」に、私の病名はバレたわけです(笑)。

 うつ病を抱えていても出来るしごとをしてゆきたい。それが私の願いです。病名を公表しても、私と一緒にいてくれる人たちと、活動してゆきたい・・・ 幸い、私は、たくさんのそういう仲間たちに恵まれました。もう、元気な自分を演じなくていい。頑張って回復しようとしなくてもいい。ありのままの私を、みんなが知っている。これは、ものすごくラクで、最高に幸せなことです。ただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。そんな仲間たちに支えられながら、私は今、新しい職業への小さな一歩を踏み出しています。

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「薬」は症状を操縦するために使うもの

 抗うつ剤、安定剤、睡眠薬、頓服・・・ うつ病になると、いろいろな薬の助けが必要になります。

私は長いこと、これらの薬を嫌っていました。「薬は体に悪いもの」だと思っていました。だから、自分の力で病気を治そうと、いろいろなことを試しました。漢方、気功、体操、カウンセリング、ヒーリング・・・ 睡眠薬をやめようとして、朝まで一睡も出来なかった夜が、幾度あったことでしょう。結果はどうだったでしょうか。努力の甲斐もなく、症状はどんどん悪化してゆきました。

さすがに、心療内科で抗うつ剤を処方されるようになってからは、医師と相談して決めた薬は、必ず服用しています。それでも、一日も早く抗うつ剤を減らしたくて、先生にお願いして、量を減らすことを何度か試みました。結果、決まって症状が悪化し、入院しなければならなくなりました。

「どんなに長い期間でも、どんなに高量でも、必要な薬は飲もう。」
そう決心出来たのは、やっと最近のことです。いやというほど痛い思いをして、ようやく腹をくくることが出来ました。

同時に、大切なことに気づきました。うつ病を克服するための第一歩は、「自分」が「うつ病の症状」と「薬」の一段上に立って、この二つをうまく操縦する能力を身に着けることです。つまり、「自分」で「うつ病の症状」にいち早く気づき、悪化する前に、必要な「薬」を使って症状を抑えることです。

私の場合、現在、睡眠薬は毎晩必ず服用しています。これがないと、今は絶対に眠れないことが分かっているからです。抗うつ剤の量に関しては、医師の指示に従い、「足りない」と思った時は、増量をお願いしています。減量に関して、私の医師は、私の意向を尊重してくれますが、今のところ、考えていません。「もうちょっと少なくても大丈夫かな?」と思うくらいでは減らせないということを、経験から学んだからです。「余裕で減らせます!」と言えるくらいになってから減らさなければ意味がないのだと、ようやく分かりました。薬は、ぎりぎりの線で頑張って減らすものではないようです。

もうひとつ大事なことは、いろいろな情報に惑わされないということです。「薬は体に悪い」という類の情報は、山ほどあります。そういう情報にも、もちろん根拠があり、当たっていることも多いのだと思います。それでも、もし、薬を服用した方がラクならば、ラクになることを優先するべきです。「苦しみながら頑張ることは決して正しい道ではなく、それこそまさに、病気につながる道だ」、ということを、もしあなたがうつ病ならば、身をもって体験したはずです。

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病気からの贈り物

 うつ病によって失ったものもたくさんあります。でも、うつ病によって得ることができたものも、たしかにあります。

それは、「本当に大切なことを見抜く力」です。

私の心の傷を癒し、溢れんばかりの力を注いでくれた人たちがいます。その中には、医療とまったく関係のない職業の人たちもいます。でも、彼らに共通しているのは、自分自身に対して誠実に生きることに、すべてをささげているということ。自分の行いのすべてに、惜しみのない愛を注いでいることです。

体力がなくなったおかげで、私は、本当に自分に合った仕事、つまり、自分がやるべき仕事に辿り着くことが出来ました。もし、あれもこれも出来る余力があったら、いろいろなことに惑わされて、自分の使命を見つけるのに、長い長い時間を費やしていたかも知れません。

もうひとつ、得たものがあります。それは、「光の中に宿る重みを感じる力」です。「重み」は、光を大地にとどめる力です。ぎっしりと中身がつまった木の実が重いのと同じです。

「木の実の重たさをしるまえに
話をはじめてはいけません
実のそとを すべる陽
実のなかに やどる夜
人の言葉の散りやすさ
へびと風との逃げやすさ・・・」
岸田衿子さんの「古い絵」という詩です。

いっせいに花が咲き、若緑がしげる春のような喜びを、私はおそらく、もう感じることが出来ないのだと思います。どんなに楽しい時でも、私の心には悲しみがあるからです。でも、訪れる冬の気配を抱きつつ、黄金色に染まった木々をあたためる秋の太陽のような喜びなら、私はずっと心に持ち続けてゆくことが出来るのではないかと思います。

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出来なくなったこと

 うつ病は、とても疲れやすくなる病気です。この病気になると、以前は出来ていたことが、ひとつひとつ出来なくなってゆきます。それを体験することは、とても辛いことです。誰でも、歳をとると、体力が落ちます。20代には軽々と出来ていたことが、30代になったら億劫になった、ということはあるでしょう。うつ病の場合、20代だった人が、急激に80歳になるようなものです。

以前、私は電車や新幹線や飛行機で、どこへでも軽々と旅行へ行きました。ユースホステルの6人部屋だって、平気で眠れました。今日は東京へ仕事に行って、明日は仙台へ・・・なんていうことも、へっちゃらでした。

 今はどうでしょう。よほど大事な出張でない限り、新幹線や飛行機を使って、泊りがけでどこかへ行こうとは思いません。ましてや、遊びが目的のいわゆる「旅行」など、考えられません。たまに、好きなコンサートを聴きに、神奈川から東京へ出ることはありますが、これも相当の決意と準備を必要とします。つまり、体力を温存するために、その日の前後二日間は、何も用事を入れず、在宅するようにします。

「渋谷で飲み会やってるんだけど、ちょっと出て来ない?」、なんていうお誘いには、残念ながら応じることが出来なくなってしまいました。

病気になる前の自分と、今の自分を比べると、とても悲しい気持ちになります。なぜなら、いつか再び以前のような体力が・・・せめてその半分でも、戻って来るという保証は、どこにもないからです。

「以前はささっとやれていた家事が、今はとても出来ない。ひとつのことに時間がかかって、すっかり疲れてしまって・・・」「私、料理が得意だったのよ。子供のお弁当だって、毎日作っていた。それが今は、料理をしても失敗ばかり。すごく情けない。」 こんな会話を、入院仲間たちと、病棟の談話室でよくします。お互いにため息をつき、慰め合っています。

フェイスブックなどで、旅行に行った写真や、美味しいものを食べに行った話を読むと、「楽しめて良かったね!」と素直に喜べる気持ちの傍らで、「いいなぁ、うらやましいなぁ」という気持ちが、影ぼうしのようにうつむいています。

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それでも私が自殺をしない理由

 うつ病は死にたくなる病気です。逆に言えば、あなたが死にたくなるのは病気だからです。

私も、しょっちゅう死にたくなります。そういう気分が何日も続く時もあれば、あまりそういうことを考えずに過ごしている時もあります。でも、「死にたい衝動」が来ている時は、もう、地獄です。体中が締め付けられているような感覚で、苦しくて、横になっていることすら出来ず、叫びながら床の上を転げまわることもあります。

「いのちの電話」にも、何度もお世話になりました。私は一人暮らしですから、「いのちの電話」は文字通り命綱です。家族は私の状況を知りません。心配させるので話していません。もちろん、本気で自殺を考えた時期もありました。でも、今は衝動的な自殺だけは絶対にしないと決めています。

なぜなら、「うつ病なんかに私の大事な命を取られてたまるもんか!」
と思うからです。

安定剤を飲んで、寝て、起きて、冷静になってみて、そういう気持ちが薄らいでいたら、死にたがっていたのは私自身ではなくて、「病気」です。

もし、本当に死を人生の目標にしたいと心から思ったら、私はその目標を達成するために、何年もかけて準備をするつもりです。「尊厳死」についていろいろな考え方を持った人たちと意見を交わし、そういうことが法的に認められている国に行って、実際に積極的尊厳死の道を選んだ人たちの話を聞きたい。賛成派の医師たちにも会って、意見を聞いてみたい。家族や友人ともたくさんの時間をかけて話し合ってゆきたい。何年もかけて、そういうことをすべてやり遂げた後に、まだ私の決意が変わらなかったら、その時には、私は冷静に、積極的尊厳死の道を選ぶかも知れません。

もし、あなたの周りに「死にたい」と言う人がいるなら、どんな場合であっても、その言葉を真剣に受け止めるべきです。その人が精神科または心療内科を受診し、適切な薬を処方されていることが、大前提です。もちろん、その薬をきちんと服用していることもです。

「生きたくても生きられなかった人だっているのだから。」
「あなたよりもっと苦しい環境の中で生きている人だっている。」
「家族や友人が悲しむでしょう。」
「産んで育ててくれた親に申し訳ない。」
このような励ましの言葉は、どれも、もっともです。しかし、死にたいと思っている人にとっては、少しの励ましにもなりません。重荷になるだけです。その人の苦しみは、その人にしか分からないものです。たとえ、同じように「死にたい」と思ったことがある人ですら、当人の気持ちを正確に理解することは不可能です。

とにかく、話を聴いてあげること、周りの人に出来ることはそれだけです。唯一言ってあげられる言葉があるとしたら、「それは本当にあなた自身の気持ち? 病気がそういう気持ちにさせているのではない?」という問いかけかも知れません。

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私は「仮面うつ」

 私は35歳です。10年前からうつ病を抱えています。ずっと、体調不良、パニック発作、不眠、抑うつ気分などの症状があったのですが、自分も周りも、まさかうつ病だとは思わず、8年間、カウンセリングや、スピリチュアルヒーリングを受けてみたり、気功やフラワーエッセンスを試してみたりしながら、過ごしていました。そのうち、どんどん症状が悪化して、睡眠薬なしでは眠れなくなり、仕事の後、疲れて駅まで歩くことも出来ないような状態になりました。

そうなってはじめて、私は自分が病気であることに気づいたのです!
しかし、周囲の人は、それでもまだ、私がうつ病であることを信じませんでした。私はいわゆる「仮面うつ」。人前では元気そうに見えてしまい、本来の状態がまったく伝わらない人なのです。

べつに、意識して元気そうにしているわけではないのです。幼児の頃から、人に迷惑をかけたくない、心配させたくない、という思いから、いつも元気にふるまうように、体と心がしっかり学習してしまい、今では完全に無意識にそうなってしまっているのです。

さらに困ったことに、私が助けを求めて訪ねていったカウンセラー、ヒーラー、そしてなんと医者(但し精神科医ではありませんでした)まで含めて、専門家であるはずの人たちさえ、誰も状態の深刻さに気づかなかったのです!

みなさん、どうぞ気をつけてください。日本では、今のところ、「仮面うつ」を含め、うつ病の徴候にきちんと気づき、対応ができるのは、精神科医および心療内科医だけ、ということがほとんどです。

こうして私は発症から8年経って、つまり、今から2年前に抗うつ剤を使った薬物療法を始めました。この2年、何度も入退院を繰り返しました。今は、仕事を大幅に減らしたこともあり、当初よりは多少良くなっていますが、抗うつ剤の量は、いまだに最高量から減らすことが出来ずにいます。

うつ病によって、私の人生はすっかり変わりました。外から見えないだけで、うつ病による生活範囲の制限度は、車椅子生活になった人と同じレベルなのだそうです。実感として、これは当たっています。

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