※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「ねぇ、美砂。謝りに行こうよ」
3時間目頃になって宮崎のどかは保健室から戻ってきたのだが、授業時間中は終始陰鬱な空気を纏っていた。
だから、放課後になって謝りに行くのは当然の事だと円は考えていた。
「はぁ?何で?」
「何でって……当たり前でしょ!あんな事やっちゃったんだから」
「だからぁ、言ってるじゃない。本屋ちゃんが全部忘れてくれればそれで済むんだって。ただの悪戯なんだから」
なんて身勝手な考え方だ。そう思わずにはいられない。美砂は全く悪びれる様子もなく続けた。
「双子とか美空が悪戯して、いちいち相手に謝ってる?たかが悪戯でそんな事してたらキリがないじゃない」
「本屋ちゃんは倒れて保健室にまで行ったんだよ!? どうしてそんな平気でいられるの!?」
「ならあんた一人で行ってよ。そんな偉そうな事言えるんだったら、出来るよね?私はもう無かったことにするから」
「無かったことって……」  
しばし呆然とした。彼との喧嘩がここまで美砂を変えてしまったのだろうか。
「いい?よく考えてみてよ。もし、私達が謝りに行って、その場は丸く収まったとするでしょ?でも私達がやったって
いう噂は消えないよ。それでもいいの?本屋ちゃんがこの件を忘れてくれさえすれば、誰も私達がやっただなんて
気付かない。あんなリアクション起こして、誰も本屋ちゃんがあの写真を持ってただなんて疑わないって。そうで
しょ?所詮は他人事なんだから、『そういえば昔、あんな悪戯があったなぁ』って感じで、どうせみんな忘れてく
って」
一気に捲し立てられて、つい納得してしまいそうになる。

丸く収まる。恐らく大半の日本人が惹かれてしまうだろうこの言葉が、円の胸に重くのし掛かった。
確かに、無かったことになるのなら、それはそれでいいのかもしれない。
「ホラ、みんな部活終わったみたいだし、そろそろ帰ろ」
優しく語りかけるその言葉は、天使の声のようにも、悪魔の囁きにも聞こえた。
「で、でも……」
大会が近いらしい桜子の声が聞こえた。部活仲間に別れの挨拶をしている。
「ごめ~ん、円、ミサミサ。チアの練習出られなくて。二人じゃあ大変でしょ?」
「ううん、そんな事ないよ。それよりアンタこそ、ガンバんなさいよ。ラクロス。応援しに行くからね」
美砂が桜子の肩に手を置いて微笑んだ。
そうだ、美砂は優しい人だ。そんな酷い事をする筈がない。今だって、練習に出られない桜子を、優しい言葉で
慰めているじゃないか。だからきっと、美砂の言い分は正しいんだ。きっと、私の事を思いやっての言葉だったん
だ。そんな風に、心が自然と誘導されていく。これでいいんだ。多分。

「円、どうしたの?なんか元気ないけど。牛丼食べ過ぎてまた“お肉”が増えちゃったとか?」
「ち、違うわよ!」  慌てて手を振って否定した。増えるのは丼の上の肉だけで十分だ。
そんな下らない掛け合いが、不安定な円の心を安心させていった。美砂も笑っている。みんなが笑っていられる
なら、それに越した事はない。この上、“いい人”を守ろうだなんて、欲張りだったのかもしれない。
円は、僅かに残った心の中の不安を追い払おうとした。
今にして思えば、それは違う形のサインだったのかもしれない。自分が抱えている不安は、別の方向を指している。
そう気付くには、ここの空気は暖かくて、円の判断を鈍らせるための十分な材料になっていた。


上体を起こすと、顔に柔らかい感触があった。雰囲気から早乙女ハルナだと分かった。保健室のベッドの上で、
抱きしめて背中をさすってくれているらしかった。布団を被っているみたいで、居心地がとてもよかった。
「どう?落ち着いた?」
「うん……。ありがとう」  半ば、ぼやけた頭でそう答えた。「今、何時?」
「二時間目が終わって、休み時間。まだ休んでていいよ。ネギ君も、今日は早退してもいいって言ってくれて
るし。委員の仕事は私と夕映でやっておくから」
「ありがとう。でも、もう大丈夫。授業には出なきゃ」
「無理しなくてもいいよ。アンタ頭いいんだし。ちょっとくらい休んだって……」
「ハルナ」  優しさは十分過ぎる程伝わった。ハルナの言葉を遮って、尋ねる。
「ハルナは、どう思った?」  信じてくれる?と聞きたかったが、白々しいかな、と思って、言い方を変えた。
「私は最初から、気付いてたさ」  ちょっと偉そうに胸を反らせている。その姿が可笑しくて、少し吹き出した。
「私はね、のどかの趣味は熟知してるの。アンタはあんなガチガチの筋肉で、洋モノの男になんて興味ない。
みんなも信じてくれたよ」
その妙な説得力が、気休めの言葉にはない安心感を与えてくれる。やっぱりハルナは親友だ。でも、ちょっとだけ
興味があったので、意地悪な質問をぶつけてみた。
「じゃあ、もし私の好みの写真が出てきたら、どう思った?」
「え!?えぁ~っと、そうねぇ……。いやほら、大丈夫よ、と、多分」
今度は本当に吹き出した。あまりにも一杯一杯なハルナの姿が珍しかったのだ。
「の、のどかぁ~!図ったなこの!」
「わはぁ! ご、ごめんごめん、パル! くすぐったい! アハハ!」

しばらく戯れた後、教室に向かった。途中、足が竦んで膝を落としかけたが、ハルナの肩を借りてなんとか教室
まで連れて行ってもらった。
先生の言葉は耳には入ってきていたけれども、別の事を考えていて、内容を理解しているとは言い難かった。
教師の目を盗んで、密かにパクティオーカードを胸ポケットの中から引き抜く。
この時間帯なら、まだみんなさっきの悪戯の事を考えているかもしれない。悪戯に引っかけた相手が戻って来たと
なれば、尚更そうだ。忘れられてしまう前に全員の頭の中を読んでおけば、何か解るかもしれない。

額に汗が滲み出てきた。犯人を知って、そしてどうする。ひょっとしたら、ただの悪戯なのかも。もしかしたら
相手も今頃、悪い事をしたと思っているのかもしれない。後で謝りに来るかもしれない。今、その人の頭の中を
読んで嫌な気分になるよりも、後で謝りに来たら、笑顔で許して、それで終わり、でもいいんじゃないか。
もし謝りに来なかったら、今後その人の顔を見る度に今日の出来事を思い返してしまうかもしれない。
だったら、そのまま知らずにいた方が、丸く収まる。
もしこの悪戯がずっと続くようであれば、またその時に見ればいいじゃないか。そうすればすぐに解る。
のどかは引き抜いたカードをポケットの中に戻した。
そうだ、これでいい。変に空気を悪くするよりも、自分が忘れて物事が終わるのなら、その方が絶対にいい。
額の汗を拭って、改めて授業に耳を傾けた。