※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「……ゆーな。ねぇ、ゆーなってば」
「!?」
肩を揺すられて、裕奈は気がついた。いや目を覚ました。
「……あれ? ここは?」
「しっかりしてよー、ゆーな。帰ってきてから何か変だよー?」
裕奈の顔を至近距離から覗き込む、まき絵の顔のドアップ。
裕奈は未だはっきりしない頭を振って、周囲を見回した。
……寮の自室だった。
まき絵とアキラ、3人でテーブルを囲んで、これはデザートでも食べていたのだろうか。
机の上には剥かれたグレープフルーツの残骸と、お皿と、あとは果物ナイフ。
お皿が1枚足りない他は、ごく普通の、いつもの仲良しグループの団欒の一時だった。
足りない1枚が誰の物かは、言うまでもない。
「……え? あれ?」
「亜子のことがショックだったのは分かるけどさー。そんな暗い顔しないでよ」
「裕奈、大丈夫? 顔色も悪いし……」
心配そうに裕奈の顔を覗き込む、まき絵とアキラ。
裕奈は混乱する。
いつの間に帰ってきていたのだろうか? 亜子の病室の途中から、記憶が無い。
時計を見れば、あれから数時間後。
手や口の周りが果物の汁で汚れているから、普通にまき絵たちとこうしていたのだろうが……
裕奈は慌てて笑顔を浮かべ、ちょっと大げさに手を振ってみせる。
「い、いや、大丈夫。ちょっとボーッとしちゃった。で、何?」
「本当に大丈夫? ……でさ、さっきの話の続きだけど」
アキラは少し裕奈を気遣う表情を見せたが、彼女の「大丈夫」という言葉を信じ、話を続ける。
まき絵とアキラにとっては「さっきの続き」の、裕奈の主観からすれば「唐突な」話を。
「亜子のあの事件って……私たちが亜子を待っていれば、防げたのかな……」

「え――!」
それは、裕奈はまるで考えつきもしなかった事だった。アキラの言葉は続く。
「あの時、亜子の部活が長引いちゃったわけだけど……もうちょっとだけ、私たちが待ってれば」
「ん~、でもどうかな~。私たちが一緒にいても、一緒に襲われてただけだったかもよー?」
悔恨の表情で俯くアキラ。必死に自分たちの正当化を図るまき絵。
そんな2人を前に、裕奈は血の気が引いていく自分を自覚する。
……あの日、遅れる亜子を「待ってても仕方ないよ!」と置いていくことを提案したのは。
他ならぬ、裕奈だったのだ。
多分裕奈が言わずとも、2人のうちどちらかが言い出していたことだったのだろうが……それでも。

明石裕奈は、自分が嫌いだった。ほんのちょっとだけ、嫌いだった。
能天気な自分が嫌いだった。考えなしに行動する自分が嫌いだった。暴走しがちな自分が嫌いだった。
けれども、シリアスな話はもっと嫌いだった。自分のことを見つめるのはもっと嫌いだった。
だから、考えなかった。考えることはしなかった。
けれど。だからこそ。そんな自分が。本当は。時に殺してしまいたいくらいに……

「キャァァァァァッ!!」
「な、何やってるの、裕奈ッ!?」
まき絵の悲鳴とアキラの悲鳴に、裕奈はハッと正気に返った。また一瞬、ボーッとしていたらしい。
裕奈は瞬き1つすると、事情が飲み込めないままにアキラに聞き返す。
「あ、あの、どうしたの2人とも? 何をそんな、慌てちゃって……」
「ゆ、ゆーな、血がッ! 血がッ!!」
「何で、急にそんなこと……!」
パニックに陥るまき絵、顔面蒼白で震えるアキラ。裕奈は訳が分からない。
訳が分からないまま、左手に鈍い痛みを感じ、視線を下ろして……
そして、裕奈は見た。真っ赤に染まる自分の左手首と、果物ナイフを握ったままの自分の右手。

「……あ、あれ? 私、どうして……??」
手首の傷から、ドクドクと噴き出す動脈血。テーブルの上に広がる血の水溜り。鮮血に濡れたナイフ。
どう考えてもこの状況、裕奈がリストカットを試みたとしか見えない。いやきっと多分そうなのだろう。
けれど、裕奈自身がこの状況を理解できない。引きつった笑みを浮かべて2人の友人に問いかける。
「ね、ねぇ、これってどういうこと……? わ、私が、私が亜子の代わりに斬られていれば良かったってこと……?」
「裕奈、いいから! とりあえずナイフ置いて! 手当てしないと!」
「血がッ! 血がッ!」
「まき絵も落ち着いて! あと誰か呼んできて! 医務室に連絡を!」
珍しく大きな声を上げるアキラ。彼女はまき絵を宥め、裕奈の手から血まみれのナイフを取り上げる。
まき絵が応援を呼びに部屋を飛び出していく。その後姿を見ながら、裕奈の混乱は収まらない。
「ね、ねぇ、わた、私が切ったの、これ……? 私、自殺しようとしたの……??」
唇を振るわせる裕奈。その視界が暗くなる。精神的なショックと貧血に、意識が再び遠のく――

『ケケケッ』
どこかから、笑い声が聞こえる。耳障りな、魂を切り裂くような声。
漆黒の闇の中で、裕奈は確かに、その声を聞いた。
『な、何がおかしいの?! あなたは誰!?』
『俺ハ、オマエノ『心ノ闇』サ』
闇は答える。裕奈の心の一部だと言うにはあまりに異物感のある、悪意に満ちた声。
けれども裕奈自身は疑うことなく、その声を受け入れる。
『私の――闇』
『オマエハ、オマエガ嫌イナンダロ。殺シタイ程ニナ。
 ――ナラ、殺シチマエヨ。切リ裂イテ、血ィ流シテ、殺シチマエヨ』
『殺して……いいんだ。私は、私を、殺せばいいんだ――』
闇の中に、刃の煌きが見える。刃の煌きが、この闇の中の会話を思い出すためのキー。
それが、悪意をもって仕掛けられた催眠術と気づかぬ裕奈は、声の主に対して深く頷いて――

――翌日。
明石裕奈は、しかしちゃんと学校に登校してきた。
ほんの少し青い顔色で、左の手首に包帯を巻いて。
「裕奈……らしくないよー、そんなコトするなんて……。裕奈は全然悪くないんだからさぁ」
「もう学校来ていいの? その、怪我の具合とか……」
「アハハ、ごめんねー、心配かけちゃって。ちょっと疲れてたのかも……」
裕奈を心配するクラスメイトたちに、笑って答える彼女。しかしその笑顔に、以前のような底なしの明るさはない。
どこか、陰のある笑顔。どこか、見る者に不安を与える笑顔。

そんな彼女を、見つめる視線があった。
今日もまた茶々丸の頭の上に乗って来た呪いの人形、チャチャゼロ。
裕奈もゼロが視界に入っているだろうが、全く何も反応しない。病院で会ったこと自体、すっかり忘れている。
「ケケケッ……催眠術ハ、シッカリ掛カッテイルヨウダナ」
「催眠術、ですか?」
「昨日1人デ歩イテル時ニ、運悪ク出会ッチマッテナ。俺ノ記憶ヲ消サセテ貰ッタノサ。ケケケッ」
ゼロの独り言を聞き咎めた茶々丸に、ゼロは平然と応える。重要な部分を語っていないが、まあ嘘ではない。
魔法仕掛けの人形・ゼロの秘密を守るための、記憶操作。魔法使いが一般人の記憶を消す事の、延長に当たる話。
それだけで済むなら、エヴァも認めていることだ。いちいち報告せずとも許されることになっている。
だが、実際にゼロがかけた催眠術の内容は……!

あるいは、これは半分は裕奈の側にも責任のあることかもしれない。
血筋によるものか、生まれつき術に掛かり易い体質。感受性の高い体質。
幽霊としては未熟極まりない、相坂さよの憑依にさえも抵抗できぬ彼女だ。
ゼロの巧妙な催眠術に、耐えられるわけがない。
魔法も気も使わない、純然たる催眠術。
そのガラス玉のような眼球は、振り子や蝋燭の炎のような催眠術の道具として使えるのだ。

――そして、裕奈は今日も手首を切る。
どこかで刃の煌きを見る度に、彼女は激しい自己嫌悪に襲われ、やがて手首を切る。
能天気で明るい暴走少女は、もう居ない。欝な気分に包まれた、暗い少女が居るだけだ。
バスケ部の練習もサボリがちになり、教室でも黙り込んでいることが多くなって。
裕奈の手首に、日に日に傷が増えていく。医務室の世話になることも少なくない。もう立派なリストカッターだ。
手首を切りながら、裕奈は呟く。ブツブツと呟く。いつまでも呟く。
「……何やってるんだろ、私……。こんな私、死んじゃえばいいのに……亜子の代わりに、襲われればいいのに……」
それでもなお、裕奈は嫌いだった。シリアスな話は嫌いだった。苦手だった。
だから、それ以上考えないことにしていた。
考えなければ、この状況に出口など無いのだが。
自分にかけられた呪いに気づき、脱出することなどできないのだが……。

『ケケケケ。ガキハ陥トシ易イナ! サテ、次ハ……!』 

 3rd TARGET →出席番号29番 -雪広あやか