幼い頃から、「正義の味方」に憧れた。悪を倒し世界に平和をもたらす、ヒーローになりたかった。
魔法使いの端くれとして、サウザンドマスターとその一行に憧れた。自分も、ああなりたかった。
ヒーローを目指し、魔法と戦闘の修行を重ねる青春の日々。
成長して、やがて彼は思い知る。
世の中には、「分かりやすい英雄」も「分かりやすい巨悪」もいないことを。
社会には秩序があり、ルールがあり、そしてルールを乱すささやかな小悪党がいるに過ぎぬことを。
伝説の「サウザンドマスター」のような破天荒な英雄など、なろうとしてもなれるものではないことを。
少年は青年になり、大人になり、そしていつしか、溜息と共にその事実を受容する。
自分はヒーローになどなれないのだ、と。
自分は既存の秩序に組み込まれた、ただの「大人」になってしまったのだ、と。
物分りのいいフリをし、本音を建前に隠し、言い訳を重ね、いつしか己の保身をも考えるようになり。
魔法先生として、陰から学園を守り続ける日々。「今、目の前」にある秩序を維持し続ける日々。
どこかで何かを間違った。時にそんな思いが頭をよぎるが、しかしでは一体どうすればいいのか。
子供先生・ネギの真っ直ぐな態度に眩しさを覚えつつも、もはや自分にはそんな生き方はできない。
落胆と。諦めと。それでも、学園を陰から守る「知られざるヒーロー」という役回りに、自分を慰めて。
自分を、誤魔化して。
それが「大人の生き方」なのだと、自分自身に言い聞かせて。
……だから、だったのかもしれない。だからこそ、珍しくこんな気紛れを起こしたのかもしれない。
独断で訪れた、エヴァの家。独断で決意した、学園にのうのうと居座る「巨悪」・『闇の福音』の成敗。
彼は――ガンドルフィーニは、「ヒーロー」になりたかったのだ。
――ログハウスの前に、張り詰めた空気が漲る。
笑みを浮かべ振り返るエヴァ。その小さな身体に拳銃の狙いをつけたガンドルフィーニ。
「いいだろう、『正義の味方』。かかってこい。久しぶりに、戦ってやるよ」
エヴァの自信に満ちた、凶悪な笑み。ガンドルフィーニの額に、脂汗が滲む。
600万ドルの元賞金首、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
『不死の魔法使い』『人形使い』『闇の福音』……数多くの異名を持つ、恐るべき巨悪。
しかし彼女も、15年前にかのサウザンドマスターに破れ、この学園に封じられた。
強大な呪いをかけられ、魔力は極限まで封じられたと聞く。
現在、彼女がマトモに魔法を使えるのは、満月の時期くらいのもの。
その満月期でさえ、『魔法の射手』程度のちょっとした魔法にも触媒を要するという。
いや、触媒薬だけが方法でもあるまいが……ともかく、その魔力総量は見習い以下というわけだ。
運の悪いことに、今夜はちょうどその満月に当たる。しかし、まだ日が昇ってさほどしない時間。
相手が日光に耐性持つ『吸血鬼の真祖』(ハイ・デイライトウォーカー)だとしても、この時間なら。
彼女の能力は、ギリギリ押さえ込まれているはずだ。
見たところ手ぶらにしか見えぬエヴァ。魔法の触媒薬を隠し持っていても、たかが知れている。
一方の彼は、準備万端。
拳銃の中には、聖別された銀の弾丸。ポケットの中のナイフにも、銀のコーティングと魔法処理。
これらによってつけられた傷は、吸血鬼の『再生』では治りにくい。有効打になりうる。
密かに胸に下げているのは、邪眼避けの御守り。吸血鬼の眼力にも、耐えられるはず。
十字架もある。ニンニクも食べてきたし持ってきた。トドメ用の木の杭と木槌も用意してある。
着ているスーツにしても、裏地に魔法的な防護が張り巡らされた、一種の戦闘服のような代物だ。
さりげなく、しかし万全の装備を整え挑んだこの場。十分以上に勝算を確信して来たのだ。
なのに、何故だろう――まるで、勝てる気がしない。
こうして拳銃を突きつけているのに、逆に、刃物でも突きつけられているかのようで――
- 「――来ないのか?」
「!!」
どれだけの間、凍りついていたのだろう。エヴァの笑うような声に、ガンドルフィーニはビクリと震える。
その弾みで、力の篭る指。引かれる引き金。当然起こるべき銃声――
しかし、弾は発射されず、銃声は響かず。指がかかった引き金は、動かない。
「……は?」
「クックック……坊や、他人に銃を向ける時は、安全装置を確認してからにした方がいいぞ?」
なにやら奇妙な指つきで宙を掻きながら、笑うエヴァ。
見れば確かに、安全装置がかかっている。これでは撃てない。
しかし、いやまさかそんな。ガンドルフィーニも初心者ではない、こんな初歩的なミス、するはずが――
慌ててレバーに指を伸ばした彼は、その指先に何か触れるモノを感じる。
これは……糸? パッと見には見えないくらい、細い糸?
人形使いの……技術?! いったいいつの間に!?
「……予想外の事態に弱いのは、『貴様ら』の大きな欠点だ」
糸に気を取られた、その僅かな隙に。エヴァは一瞬で間合いを詰めていた。
この距離では拳銃はアテにならない。慌てて左手にナイフを抜き、下段から斬り上げる。
が、しかし、必殺の気合をこめたこの攻撃も、あっさりかわされる。
かわされたのみならず、ガンドルフィーニの身体に、ついっ、と小さな手が添えられて。
ほんの少し押されただけなのに、自分の攻撃の勢いで盛大にすッ転ぶ。無様に地面を舐める。
攻撃者の力と勢いを利用する、高度な合気柔術の投げ技の1つだった。
「悪いが、貴様の力にも人間性にも興味がないものでな。
立ち上がる隙もやらんぞ。呪文の1つも、唱えさせてやらん」
無様に大地に倒れ伏したガンドルフィーニを、エヴァは冷たい目で見下ろす。
再び宙を掻く指。舞い踊る糸。
ガンドルフィーニの手足に糸が絡みつき……たちまち、複雑な形に関節を極めてしまう。
全身に与えられる激痛が、彼の全意識を支配する。 -
エヴァンジェリンが、数ある格闘技の中から合気柔術を選んで習得したには、訳がある。
1つは、その技術体系が腕力や体格をほとんど要求しない種類のものであったこと。
そして、もう1つは――「痛み」によって相手を制する、関節技や押さえ込み技の数々の存在。
相手が抵抗し暴れる力さえも利用して、関節を極め、痛みを与える。
あるいは、押されれば激痛の走る「ツボ」をピンポイントで指圧し、痛みを与える。
そして、それらの痛みをもって敵の抵抗力を奪い、押さえ込む。
元々、刀を持つサムライを素手で制するための技術だ。サムライですら刀を取り落とす「痛み」だ。
そんな痛みを与えられたら、「魔法使い」が抵抗などできるはずもない。
ほんのデコピン1発で呪文詠唱が妨害されてしまう「魔法使い」。
そんな彼らを相手にするのに、これほど有効な技術体系はそうそう無いわけで。
さらにこれに、人形使いとしての超一級の技術を加えれば。
人形使いの糸は、言ってみればどこまでも伸びる第三・第四の「腕」。
両の腕でできることは、大概できる。両の腕でできる技は、大概再現できる。
これらの技術を駆使すれば、今のガンドルフィーニのように、触れずして関節を極めることも――
「なっ……!? 『魔法使い』の力も、『吸血鬼』の力も、使わずに……!?」
苦しい息の下、ガンドルフィーニは呻く。
もがけばもがくほど、絡まる糸。軋みを上げる関節。魔法のための集中など、とてもできない。
自分自身も「万能型」の「魔法使い」として、魔法のみならず射撃や格闘についても修行を重ねた彼。
その多岐に渡る経験が、揃って1つの結論を告げる。
「格が違う」、と。
この目の前の小さな怪物は、あらゆる意味で自分を上回っている、と。
体術も、戦闘の駆け引きも、引き出しの多さも。全て自分とはケタ違いで。
……その上で、全く何の慢心もなく、残酷なまでの完璧さで、自分を封殺しようとしている。
全く、容赦がない。全く、迷いがない。
-
「そうか――せめて『魔法使い』か『吸血鬼』に倒されたいか。いいだろう。
だが、貴様の血は臭い。『吸血鬼』としてはカケラも食欲をそそらん。
『悪の魔法使い』として、我が最大の呪文でトドメを刺してやる」
ガンドルフィーニの言葉に、彼女は笑う。片手で糸を繰り彼を封じながら、もう一方の手に魔力を集める。
「リク・ラク ラ・ラック ライラック 集え力よ 智の光よ 我が下に集まりて器を成せ……」
長い呪文詠唱が始まる。長い長い、普通ならとても実戦などでは使えるはずのない呪文。
魔力増幅の魔法。大掛かりな儀式魔法などでまれに使われる、複雑極まりない術式。
さらに、対象限定。効果範囲縮小および消費魔力軽減。障壁破壊。遅延呪文に発動条件設定。
矢継ぎ早に唱えられてゆく、数々の「魔法そのものを操作する系統の呪文」。
各種系統の中でも最も複雑で難しい、魔法操作系。西洋魔術のハイエンド。
1つでも高度なその技を、いくつも重ねていく。重ねることで、不可能を可能にする。
ガンドルフィーニは再び驚愕する。魔法使いとして、彼女の技術の高さに驚く。
魔法とは、これほどの可能性があるモノだったのか。これほどのことが、できるのか。
「契約に従い 我に従え、氷の女王。来たれ! とこしえのやみ、えいえんのひょうが!」
数分間にも及ぶ長い長い予備呪文を終え、エヴァの詠唱はようやく本文に入る。
本来は150フィート四方を覆いつくす、広範囲無差別殲滅呪文。
しかし今は範囲縮小の呪文を何重にも重ねられ、その効果範囲はほんの1.5メートル四方。
長さにして約1/30、体積にして2万7千分の1。消費魔力も減少し、今のエヴァにも扱えるレベル。
1.5m四方もあれば、地面に転がされた大人を包み込むには十分だ。
ガンドルフィーニの身体が、氷に包まれてゆく。絶対零度の絶対的な破滅に、飲み込まれていく。
「――貴様のように覚悟を持って挑んでくる者ばかりなら、むしろ私も楽なんだがな。
もうすぐ、『終わる』ぞ。最期に何か言い残すことはないか、『正義の味方』?」
「――ああ……。なりたかったな、『正義の味方』に――。
私も、いつか、『サウザンドマスター』のような、英雄、に……」
「…………」
「全ての命ある者に、等しき死を。其は 安らぎ也。――『おわる せかい』」
-
――あの日。揺らめく炎の向こうに、少女は探していたのだ。
彼女の処刑に、反対する誰かの姿を。体制と戦わんとする、誰かの意志を。
拘束など、いつでも解けた。拷問など、受けずに済ますこともできた。
けれど、ギリギリのその瞬間。逆らえば自らも「魔女」とされかねない、その状況で。
それでも、誰かが味方してくれると信じたかった。誰かが味方してくれる光景を、期待していた。
……いや、表立って戦えずともいい。そこまで強い「ヒーロー」でなくてもいい。
痛ましさのあまり、涙を浮かべて目を逸らす人が、1人でも居てくれたら。
彼女は、ただそれだけで、街の人全てを許せたかもしれないのだ。
たった1人で良かった。
孤独な彼女に手を差し伸べてくれる存在が、たった1人でも居れば。
彼女が「作った」人形たちは何があろうとも彼女の味方だが、しかしそれは実に虚しい味方。
人形たちは、彼女の一側面でしかない。彼女自身の延長でしかない。
無数の人形たちの中でも特別な存在、チャチャゼロであっても、また――
だから。
だから、彼女はあの日のあの手を、忘れられない。
あの型破りで自由で無茶苦茶な「ヒーロー」が差し伸べた、あの手の温もりを――
――麻帆良学園の外れ、森の中。
穏やかな午前の光に包まれたログハウスの前に、キラキラと光る欠片が舞う。
かつてガンドルフィーニだったモノ。絶対零度で凍結され、砕け散った、彼の残滓。
この世に居た痕跡すら残さず、塵となって消えた彼。
エヴァンジェリンは俯いたまま、呟いた。どこか寂しげな横顔で、呟いた。
「……馬鹿め。奴に憧れていたと言うのなら、何故、そんなつまらん『大人』になどなる。
お前と違って、奴はそんな『大人』じゃないぞ。わがままで、勝手で、ロクでもない奴なんだ――」
「……目標の消滅を確認。マスターの完全勝利です」
「ケケケッ。ダカラ言ッタロ。手ェ出ス必要ナイッテヨ」
遥か遠く。エヴァンジェリンの家を遠くに眺める、古い時計台の上。
一連の戦いを眺めていた、2つのヒトならぬ影があった。
エヴァの従者、ロボットの茶々丸。同じく従者の生き人形・チャチャゼロ。
朝から女子寮に出かけ、そして一悶着あった後、戻ろうとして――そして察知した、この戦闘。
咄嗟にエヴァを助けに飛びだそうとした茶々丸を留めたのは、ゼロだった。
「オ前ニハ、1度シッカリ見セテオキタカッタカラナ。本気ノ御主人ッテ奴ヲヨ。
覚エテオキナ。アレガ、本当ノ『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』ダ。
15年ノ学園生活デ腑抜ケタ奴ジャナイ、南海ノ孤島デ『正義の味方』ヲ狩リ続ケタ、『悪』ノ姿サ」
「はい、姉さん。メモリーに記録、認識を修正しておきます」
チャチャゼロの言葉に、素直に頷く茶々丸。
その顔に、表情はない。
普段から表情に乏しく感情の起伏の少ない茶々丸だが、今は奇妙なまでに表情がない。
……そんな「妹」をよそに、チャチャゼロは喋り続ける。
「デ、アアイウ奴ダカラナ。俺達ガ逆ラウノモ、簡単ジャネーンダ、コレガ。
オ前、御主人ガ魔法使エネー時期ナラ、楽勝デ勝テルト思ッテタダロ?」
「はい、姉さん。確かに私の見通しが甘すぎました。シミュレーションを再試行する必要があります」
「マダ、アレデモ見セテナイ技ガ幾ツモ残ッテルンダ。注意シロヨ」
まるでエヴァを敵に回すかのような会話を交わす、従者2人。
普段からエヴァをもからかうような言動をするゼロはともかく、忠実な茶々丸までもが。
ゼロの言葉に、生真面目に応える。無表情なまま、頷く。
「……はい、姉さん。
我々の完全勝利のためには、いくつかの準備と今しばらくの時間が必要かと思われます」
NEXT TARGET → ???