「あやか編後編」(2006/06/07 (水) 22:44:45) の最新版変更点
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暗がりの中、両者はジリジリと間合いを詰める。
黒ローブの小柄な怪人が、服の裾から取り出したのは巨大なナイフ。下手すれば本人の身長ほどもある。
その刃の煌きに、あやかの額に脂汗が滲む。あれが、亜子を切り刻んだ凶器。悪意の刃。
「……ケケケッ!」
2人の間合いが、ある1線を越えたその瞬間。小さな怪人は奇声と共に飛びかかる。
逆手に握った巨大な刃を振り上げ、驚くような跳躍力で、あやかの頭上から真っ二つにせんと迫る!
――が、あやかの表情は、落ち着いたままで。
「雪広流合気柔術……『雪中花・朧』!」
古流柔術の流れを汲む合気柔術は、武器持つ相手に素手で対処する技に長けている。
そして、相手の攻撃の勢いを利用した返し技、特に投げ技と関節技に長けている。
迫り来る凶悪な刃に怯むことなく、あやかは逆に間合いを縮め、ラリアットのような形で相手の身体を――
「――!?」
見事に宙を切る刃。宙を舞う怪人。決まったかに見えた技――だがあやかの表情は、逆に驚きに染まる。
「自分から……跳んだ!?」
全く感じられぬ手応え。あまりにも大きく吹き飛んだ敵。これでは押さえ込みに移行できない。
クルリと一回転、受身を取って立ち上がった敵の動きに、ダメージは全く見られず。
間違いない。コイツの体術は、あやかのソレを遥かに凌駕している……!
「……ヤレヤレ。免許皆伝ッテ言ウカラ、結構期待シタンダゼ。全ク、ガッガリサセテクレル。
『雪広流』トカイウ新興流派、大シタコトネーナ。すぽーつ化シタ骨抜キノ柔術。武道トハ呼ベネーナ」
「なッ……!?」
ほんの1回のやりとりで互いの実力を見極めた2人。小さな怪人は嘲り声を上げ、あやかは顔を引き攣らせる。
そして小さな怪人は、手にした巨大なナイフを、なんとポイッと放り捨ててしまって。
「悪イガ……モウ刃物ハ使ッテヤラネー。オ前ノ得意ナ無手デ、相手シテヤル。魂マデ、ヘシ折ッテヤルゼ」
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……それからの数分間は、あやかにとってまさに悪夢だった。
必死に汗を流し時にアザを作り、苦労の果てに身に付けた合気柔術。
それが、幼稚園児ほどの体格の相手に、ポンポンと投げられてしまう。受身さえも間に合わない。
この怪人――とんでもない達人だ。それも、あやかと同系列の武術、合気柔術の使い手。
「そんな……! う、嘘ですわ……!」
投げられる度に、あやかの肌にすり傷が増え、打撲が増え、豪奢なドレスが破けていく。
信じられない。パワーもスピードも、はっきり言って大したことはない。どちらも間違いなく、常人未満。
なのに、歯が立たない。純粋に、身に付けた体術のレベルが違い過ぎる。
完全に遊ばれている。まるで勝ち目が見えない。
「ドウシタ? 最初ノ頃ノ元気ハドウシタヨ? ケケケッ!」
「うッ……うあッ……!!」
地面に倒れ伏していたところを、右中指を掴まれ、強引に引き起こされる。
相手は指1本握っているだけなのに、軽く捻られただけで指から手首、肘、肩までの関節全てが極められて。
「こ、こんな技……聞いてませんわッ……ひぎぃっ!?」
「『指捕り』ッテノハナ、古流ジャ基本中ノ基本ダゼ?
ソンナダカラ『すぽーつ柔術』ダッテ言ウノサ。ケケケッ」
嘲り笑う怪人。あやかには反論すらできない。右腕に走る激痛が、彼女の思考力を奪う。
……『闇の福音』エヴァンジェリンが1世紀ほど前に習得した、実戦的な合気柔術。
そのエヴァの研鑽に付き合ったのは、他ならぬチャチャゼロだった。ゼロを始めとする、人形たちだった。
そして門前の小僧は何とやら。エヴァの修練の過程で、ゼロもまた、合気柔術を身につけていた。
基本的に派手な流血を好むゼロには、あまりこの技を振るう機会は無かったが……
それでも、並大抵の達人より遥かに高い技術を誇る。またそうでなければエヴァの練習相手は務まらない。
エヴァはあの刹那を手玉に取るほどの使い手。それよりは多少劣るとはいえ、ゼロの腕前も、また。
長い平和の中でスポーツ護身術と化した雪広流と、100年前の超実戦合気柔術。
なんとか達人の世界の入り口に立ったばかりのあやかと、人外の世界で豊富な経験を積んできたゼロ。
最初っから、勝負は決していたのだ。
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世界が、意識が、闇と激痛に満たされる。
深い闇の中、あやかの意識は、極められた右腕だけに集中する。
ゼロはゆっくり右腕を捩じ上げながら、あやかの耳元に囁きかける。
「……オ前ノ築キ上ゲタ技、オ前ノ流シテキタ汗ハナ。全ク無意味ダッタンダヨ」
「そ……そんな事はありませ……げぎゃぁッ!?」
バキン。ゼロに口答えしたあやかの指の骨が関節が、軽く捻られただけで破壊される。
激痛が意識を塗り潰す。激痛が意志力を削り取る。思わず下品な悲鳴が口から飛び出す。
「イイヤ、無駄サ。柔術ダケジャネェ、勉強ノ努力モ何モカモ、全部無駄ダッタノサ」
「そ、そんなッ……がぎッ!?」
ブチンッ。折れた指に、さらに容赦なく捻りが加えられて。今度は肘のあたりから嫌な音が響く。
伸びきったゴムが切れるような、そんな音。ありえない方向に曲がる肘関節。
優雅さの欠片もない惨めな表情で、あやかは髪を振り乱して悶絶する。
「オ前ノ人生、ミ~ンナ無駄。コノ自己満足ナ自己犠牲モ、全部ムダ。ケケケッ!」
「わたくしは、自己満足のつもりなど、自己犠牲のつもりなど……あげぇッ!?」
ゴキッ。折れた指・折れた肘がさらに捻られ、肩関節までも外される。ブチブチと嫌な音が続く。
涙と鼻水と涎を撒き散らし、無様に地面をのたうち回るあやか。
ゼロは破壊しつくした右腕から手を離し、今度はあやかの左足に手をかける。
「な、何を……ぎひぃッ!?」
「知ラネーノカ? 最近ノ柔術ジャ、腕関節ダケカ? 古流ニハ、足ノ関節技モアルンダゼ!」
倒れ伏したあやかの足を担ぐようにして持ち、足首を、膝を、股関節を極めてしまうゼロ。
休む間も与えず、言葉を続ける。激痛を与え続ける。心を犯し続ける。
「デ、コレガ自己満足ジャナカッタラ何ナンダヨ? ケケケッ。
くらすめーとノ仇討ちノタメニ身ヲ張ル自分ノ姿ニ、酔ッテタンダロ? マ、返リ討チダガナ」
「わ、わたくしは決して、そんなつもりじゃ……あぎゃぎゃぎゃぎゃッ!?」
ブチブチブチッ。断裂していくアキレス腱の痛みに、あやかは踏み潰された蛙のような声を上げた。
身体のどこかが壊されるごとに、あやかの大事な何かが壊されていく。
ゼロが囁くごとに、あやかの心に絶望が刷り込まれていく。
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――わたくしは、雪広家の人間なのです。雪広家の名に傷つけぬためにも、わたくしは。
……名門ト言ッテモ、所詮ハ極東ノ島国ノ成金一族ダロ。大シタコトネーゼ。屑ダ、ソンナモン。
みしっ。みしみしッ。ぶちぃッ。
――和泉さんに、わたくしは酷いことを。その罪滅ぼしのためにも。クラス委員長としても。
……「和泉のため」ジャネーヨ。オ前ハ「和泉のせい」ニシヨウトシテルノサ。コノ怪我、コノ敗北ヲ。
ごりっ。ぐぎっ。めきめきっ。ぐぼっ。
――わ、わたくしは……わたくしは、雪広あやか。わたくしは、優雅で、高貴な……!
……ケケケッ。オ前ハ屑サ。クダラネェ家ニ寄生スルダケノ、人間ノ屑サ。ケケケッ。
ごきん。ばきん。ぶちん。べちん。ぼきん。……。…………。………………。
闇の中に、風が吹く。風が厚い雲を吹き飛ばし、一部が欠けた月が大地を照らす。
月明かりの下、地面に打ち捨てられたままの人影が1つ。ゼロの姿はもうどこにもない。
両手両足、全ての関節をグシャグシャに破壊され、ありえぬ方向に曲げられた四肢。
こういう壊され方をして、果たして元通りに治るものかどうか。かなり絶望的だ。
あたりにはほのかにアンモニア臭。股間に広がるシミ。激痛の中、彼女は無様にも失禁していたのだった。
しかしそんな自分の姿を気にする余裕もなく、倒れ伏したままあやかは笑う。虚ろに笑い続ける。
「わた……くしは……屑……。人間……の……屑……。あは、あはは、あはははは……」
15年かけて築き上げてきた、彼女の人格。彼女の努力。それを全面否定するような、この敗北。
あやかは、完全に壊された。心身ともに、壊された。
瞳からは光が消え、知性が消え、自信に満ちたオーラが消え。
もう、満開の花の幻影を背負うこともないだろう。二度とあの華やかさは戻らないだろう。
いかに薔薇の棘が鋭かろうとも、花を摘み取らんとする悪意を防ぎきれるものではないのだ――
『ケケケッ。御主人ノ柔術ノ練習ニ付キ合ッテオイテ、良カッタゼ。
マ、何事モ手ヲ出シテオクモンダナ――!』
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