「千雨編―第二話―」(2006/08/25 (金) 02:31:08) の最新版変更点
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満月までもう少しといった感の、僅かに真円に足りぬ赤い月。
人の気配が全くしない夜道。ざわりと周囲の森を揺らす生暖かい風。
「な……なんだよ、こりゃ」
よく知るはずの学園内の道、それが急に何か、異世界にでも飲み込まれたかのような光景。
勘のいい千雨は、敏感に「日常」との差異を嗅ぎ取り、身構える。
周囲を見回しながら、ジリジリと動く。
立ち止まるのはマズい――しかし、慌てて逃げ出すのはもっとマズい――
根拠のない、しかし胸の奥より湧き上がる確信に、千雨の額に汗が滲む。
千雨自身も気づいていないことだったが、彼女の危険察知能力というのは、実はかなり高い。
一般人としては、破格のレベルにあると言っていい。
なんとなく全てを素直に受け入れてしまいがちな麻帆良学園にあって「常識」を失わない彼女。
その堅実な現実感覚が、「何かがおかしい」と告げる。「このままではヤバい」と告げる。
「逃げる……しかねェッ……!」
助けを呼んでも、誰にも届くまい。戦おうにも、千雨にそんな能力はない。
三十六計、逃げるに如かず。他の人々が居る場所まで、逃げ切れれば。
『ケケケッ!』
再び耳触りな哄笑。背後に出現した、何者かの気配。
千雨は振り返りもせず、相手の姿を確かめることすらせずに、全力で駆け出した。
「畜生ッ、何なんだよこれは……! 何なんだよ、コイツは……!」
駆ける千雨。距離を変えずに追いかけてくる気配。
振り返らずとも分かる、剥き出しの殺意。剥き出しの悪意。
そして――相手の気配の、小ささ。
そう。敵は小さい。信じられないほど小さい。まるきり子供、あるいはそれ以下の体格。
これではまるで――!
----
『 夜中の学園で、満月の夜に1人で歩いていると、耳障りな笑い声が聞こえてくる。
笑っているのは小さな呪いの人形。1人で会ってしまったら、助からない。
立ち尽くせば、切り刻まれる。
抵抗すれば、体中の骨を折られる。
そして逃げれば―― 』
「まだ満月じゃねぇだろッ! 何で出るんだよ、くそッ!」
千雨は毒づく。毒づきながらも走り続ける。
毒づいてから、改めて自分の頭をよぎった思いに気づき、怒りを覚える。
あんな都市伝説、そもそも真に受ける方が間違ってるじゃねーか!
単なる連続暴行魔なら、満月も何も関係ない。いつだって出現しうる。
そして逃げても無駄ということもあるまい。捕まらなければ、きっと大丈夫。
たとえこの犯人が、あの都市伝説と関係あったとしても――
「しかし……最初の2つは分かるが、3番目は何なんだ? 大体、逃げる奴をどうやって……」
千雨が、ふと疑問を持った、その瞬間。
駆ける彼女は、首に凄まじい衝撃を感じた。
見えない腕にラリアットされたような衝撃。フワリと浮く体。シュルリと何かが巻きつく感触。
「な――ピアノ線!? ワイヤートラップ!?」
気づいた時にはもう遅い。
肉眼視すら困難な、細く強靭な糸。千雨の逃げるルートを予測し、首の高さに張られていた糸。
それが生き物のように首に巻きつき、そのまま千雨の身体を持ち上げる――!
『 夜中の学園で、満月の夜に1人で歩いていると、耳障りな笑い声が聞こえてくる。
笑っているのは小さな呪いの人形。1人で会ってしまったら、助からない。
立ち尽くせば、切り刻まれる。
抵抗すれば、体中の骨を折られる。
そして逃げれば、 吊 る さ れ る ―― 』
----
「……ケケケッ。オヤ、紐ノ引ッ掛カリガ悪カッタヨウダナ。
ジタバタシヤガッテ、見苦シイゼ。ケケケッ!」
まるで絞首刑のように空中に吊るされ、両足をばたつかせて苦しむ千雨。哂うチャチャゼロ。
首を絞められ死に瀕する千雨には、足元のゼロを見る余裕などない。
本来首吊りは、上手く動脈を圧迫する位置にかかれば、ほとんど苦しまずに数秒で意識を失う。
それがこれだけ苦しんでいるというのは、少し紐のかかる位置が悪かったのか。
千雨は白目を剥き、舌を突き出して苦しむ。両足が宙を掻く。両手で首元を掻き毟る。
まあ、どっちにせよ、時間の問題である。
いくら首元を掻き毟ったところで、紐が解けたり切れたりするはずもない。千雨の苦しみは続く。
細く、強靭で、肉眼で視認することすら困難なヒモ。
それは、そう、人形使いエヴァンジェリンが使う、人形繰り用の糸であった。
千雨はピアノ線だと考えたが、実際にはそれよりもさらに細く、さらに強靭なもの。
ターゲットの逃亡に備え、予め張り巡らしたワイヤートラップ。それを扱うのは人形使いの技術。
そう――自身も人形であるチャチャゼロは、エヴァ同様、人形使いの技を身につけているのだ。
最大で300体の人形を操作できたエヴァ。しかしその全てを一箇所で操作しても意味は薄い。
「別働隊」が必要な際、その指揮を任されたのがエヴァ第一の従者であるゼロだった。
自律行動も可能な自動人形、チャチャゼロだった。
又の名をゼロ番目の人形、人形使いの人形、『マスタードール』チャチャゼロ――。
合気柔術。人形繰り。そして人形使いの技術を応用した、糸を使ったトリッキーな戦闘。
『闇の福音』エヴァンジェリンにできることは、大抵チャチャゼロにもできる。
吸血鬼としての肉体特性に依存する、再生や吸血などといった技以外は、一通りできる。
流石に本家本元のエヴァに比べれば数段劣るが、それでもその技術は十分に一流。
素人に過ぎない千雨に、避けられるはずがない。抜けられるはずがない。
いくら危険を察知できようとも、いくら勘が良かろうとも、それだけではどうしようもない。
----
足がつかない。首の皮膚が破け血が出るまで掻き毟る。
首が痛い。息が苦しい。意識が遠くなる。
苦しい。
苦しい。
苦しい
真っ赤に染まった、満月には少しだけ足りない月を見上げながら、千雨は最後に想う。
「やっぱり、あの都市伝説、関係あるんじゃねーかよ……。モロにコイツ、そうじゃねーかよ……。
根も葉もある事実なら、誰か、早く気づけよ。誰か居るんだろ、気づかなきゃならない奴が。
こんなのは、私なんかの役目じゃねーんだよ……! ったく、使えない奴らだ……な……」
何処の誰とも分からぬ人々を恨みながら。何処の誰とも分からぬ者たちに期待しながら。
千雨は、意識を失った。
意識を失っても、紐は緩まない。脳の酸欠が続く。血流が来ない。脳細胞が壊死していく……。
……動きを止めた千雨。
だらりと垂れ下がった腕から、ノートパソコンを収めた鞄が落ちる。
響く水音。完全に意識を失った千雨から、失禁した糞尿が滴る。
しばらく風に揺られる千雨の身体を見上げていたゼロだったが、溜息1つついて彼女を解放。
ドサリ、と地面に崩れ落ちた彼女の首元から、ワイヤーを回収する。
首元にくっきりと残った、ヒモの跡。
ゼロは倒れた千雨の胸に足を乗せると、乱暴にマッサージを開始する。
数度踏みつけられたところで、千雨は蘇生する。咳き込みながら、自発呼吸を再開する。
潰れた喉がヒューヒューと鳴って、彼女がまだ生きていることを知らせる。
けれども……おそらく、後遺症は残るに違いない。
脳というのは、極端に虚血に弱い臓器だ。特に人間らしさを司る高次の機能は相当に脆い。
たとえ意識が戻る日があったとしても、おそらく千雨の知性は帰ってこない。
動かぬ彼女を見下ろして、『哂う人形』は耳障りな声で笑い続ける――
『ケケケッ。オ前ガ逃ゲタリスルカラ、イケナインダゼ。
マ、何シタッテ酷イ目ハ避ケラレナインダガナ……。キャハハハハッ!』
NEXT TARGET → ???
満月までもう少しといった感の、僅かに真円に足りぬ赤い月。
人の気配が全くしない夜道。ざわりと周囲の森を揺らす生暖かい風。
「な……なんだよ、こりゃ」
よく知るはずの学園内の道、それが急に何か、異世界にでも飲み込まれたかのような光景。
勘のいい千雨は、敏感に「日常」との差異を嗅ぎ取り、身構える。
周囲を見回しながら、ジリジリと動く。
立ち止まるのはマズい――しかし、慌てて逃げ出すのはもっとマズい――
根拠のない、しかし胸の奥より湧き上がる確信に、千雨の額に汗が滲む。
千雨自身も気づいていないことだったが、彼女の危険察知能力というのは、実はかなり高い。
一般人としては、破格のレベルにあると言っていい。
なんとなく全てを素直に受け入れてしまいがちな麻帆良学園にあって「常識」を失わない彼女。
その堅実な現実感覚が、「何かがおかしい」と告げる。「このままではヤバい」と告げる。
「逃げる……しかねェッ……!」
助けを呼んでも、誰にも届くまい。戦おうにも、千雨にそんな能力はない。
三十六計、逃げるに如かず。他の人々が居る場所まで、逃げ切れれば。
『ケケケッ!』
再び耳触りな哄笑。背後に出現した、何者かの気配。
千雨は振り返りもせず、相手の姿を確かめることすらせずに、全力で駆け出した。
「畜生ッ、何なんだよこれは……! 何なんだよ、コイツは……!」
駆ける千雨。距離を変えずに追いかけてくる気配。
振り返らずとも分かる、剥き出しの殺意。剥き出しの悪意。
そして――相手の気配の、小ささ。
そう。敵は小さい。信じられないほど小さい。まるきり子供、あるいはそれ以下の体格。
これではまるで――!
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『 夜中の学園で、満月の夜に1人で歩いていると、耳障りな笑い声が聞こえてくる。
笑っているのは小さな呪いの人形。1人で会ってしまったら、助からない。
立ち尽くせば、切り刻まれる。
抵抗すれば、体中の骨を折られる。
そして逃げれば―― 』
「まだ満月じゃねぇだろッ! 何で出るんだよ、くそッ!」
千雨は毒づく。毒づきながらも走り続ける。
毒づいてから、改めて自分の頭をよぎった思いに気づき、怒りを覚える。
あんな都市伝説、そもそも真に受ける方が間違ってるじゃねーか!
単なる連続暴行魔なら、満月も何も関係ない。いつだって出現しうる。
そして逃げても無駄ということもあるまい。捕まらなければ、きっと大丈夫。
たとえこの犯人が、あの都市伝説と関係あったとしても――
「しかし……最初の2つは分かるが、3番目は何なんだ? 大体、逃げる奴をどうやって……」
千雨が、ふと疑問を持った、その瞬間。
駆ける彼女は、首に凄まじい衝撃を感じた。
見えない腕にラリアットされたような衝撃。フワリと浮く体。シュルリと何かが巻きつく感触。
「な――ピアノ線!? ワイヤートラップ!?」
気づいた時にはもう遅い。
肉眼視すら困難な、細く強靭な糸。千雨の逃げるルートを予測し、首の高さに張られていた糸。
それが生き物のように首に巻きつき、そのまま千雨の身体を持ち上げる――!
『 夜中の学園で、満月の夜に1人で歩いていると、耳障りな笑い声が聞こえてくる。
笑っているのは小さな呪いの人形。1人で会ってしまったら、助からない。
立ち尽くせば、切り刻まれる。
抵抗すれば、体中の骨を折られる。
そして逃げれば、 吊 る さ れ る ―― 』
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「……ケケケッ。オヤ、紐ノ引ッ掛カリガ悪カッタヨウダナ。
ジタバタシヤガッテ、見苦シイゼ。ケケケッ!」
まるで絞首刑のように空中に吊るされ、両足をばたつかせて苦しむ千雨。哂うチャチャゼロ。
首を絞められ死に瀕する千雨には、足元のゼロを見る余裕などない。
本来首吊りは、上手く動脈を圧迫する位置にかかれば、ほとんど苦しまずに数秒で意識を失う。
それがこれだけ苦しんでいるというのは、少し紐のかかる位置が悪かったのか。
千雨は白目を剥き、舌を突き出して苦しむ。両足が宙を掻く。両手で首元を掻き毟る。
まあ、どっちにせよ、時間の問題である。
いくら首元を掻き毟ったところで、紐が解けたり切れたりするはずもない。千雨の苦しみは続く。
細く、強靭で、肉眼で視認することすら困難なヒモ。
それは、そう、人形使いエヴァンジェリンが使う、人形繰り用の糸であった。
千雨はピアノ線だと考えたが、実際にはそれよりもさらに細く、さらに強靭なもの。
ターゲットの逃亡に備え、予め張り巡らしたワイヤートラップ。それを扱うのは人形使いの技術。
そう――自身も人形であるチャチャゼロは、エヴァ同様、人形使いの技を身につけているのだ。
最大で300体の人形を操作できたエヴァ。しかしその全てを一箇所で操作しても意味は薄い。
「別働隊」が必要な際、その指揮を任されたのがエヴァ第一の従者であるゼロだった。
自律行動も可能な自動人形、チャチャゼロだった。
又の名をゼロ番目の人形、人形使いの人形、『マスタードール』チャチャゼロ――。
合気柔術。人形繰り。そして人形使いの技術を応用した、糸を使ったトリッキーな戦闘。
『闇の福音』エヴァンジェリンにできることは、大抵チャチャゼロにもできる。
吸血鬼としての肉体特性に依存する、再生や吸血などといった技以外は、一通りできる。
流石に本家本元のエヴァに比べれば数段劣るが、それでもその技術は十分に一流。
素人に過ぎない千雨に、避けられるはずがない。抜けられるはずがない。
いくら危険を察知できようとも、いくら勘が良かろうとも、それだけではどうしようもない。
----
足がつかない。首の皮膚が破け血が出るまで掻き毟る。
首が痛い。息が苦しい。意識が遠くなる。
苦しい。
苦しい。
苦しい
真っ赤に染まった、満月には少しだけ足りない月を見上げながら、千雨は最後に想う。
「やっぱり、あの都市伝説、関係あるんじゃねーかよ……。モロにコイツ、そうじゃねーかよ……。
根も葉もある事実なら、誰か、早く気づけよ。誰か居るんだろ、気づかなきゃならない奴が。
こんなのは、私なんかの役目じゃねーんだよ……! ったく、使えない奴らだ……な……」
何処の誰とも分からぬ人々を恨みながら。何処の誰とも分からぬ者たちに期待しながら。
千雨は、意識を失った。
意識を失っても、紐は緩まない。脳の酸欠が続く。血流が来ない。脳細胞が壊死していく……。
……動きを止めた千雨。
だらりと垂れ下がった腕から、ノートパソコンを収めた鞄が落ちる。
響く水音。完全に意識を失った千雨から、失禁した糞尿が滴る。
しばらく風に揺られる千雨の身体を見上げていたゼロだったが、溜息1つついて彼女を解放。
ドサリ、と地面に崩れ落ちた彼女の首元から、ワイヤーを回収する。
首元にくっきりと残った、ヒモの跡。
ゼロは倒れた千雨の胸に足を乗せると、乱暴にマッサージを開始する。
数度踏みつけられたところで、千雨は蘇生する。咳き込みながら、自発呼吸を再開する。
潰れた喉がヒューヒューと鳴って、彼女がまだ生きていることを知らせる。
けれども……おそらく、後遺症は残るに違いない。
脳というのは、極端に虚血に弱い臓器だ。特に人間らしさを司る高次の機能は相当に脆い。
たとえ意識が戻る日があったとしても、おそらく千雨の知性は帰ってこない。
動かぬ彼女を見下ろして、『哂う人形』は耳障りな声で笑い続ける――
『ケケケッ。オ前ガ逃ゲタリスルカラ、イケナインダゼ。
マ、何シタッテ酷イ目ハ避ケラレナインダガナ……。キャハハハハッ!』
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