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2006/6/24

6年目に数多くの世界大会で好成績を収めたシエロは、7年目ついに世界ランキングで1位となりました。機会を見て増強してきた選手層の厚さ、とくに地味だけれどもしっかりしたDF陣に支えられ、統率力のある司令塔(中山俊輔、森島寛晃)と個性的で貪欲な攻撃陣を備えたシエロは世界王者にふさわしい陣容でした。

この年エースストライカーとして活躍していたフェルナンデスを金に目がくらんで15億で移籍させますが、ロゼイ、久保がいるため戦力の低下を感じることはありません。

MFでは三都主アレッサンドロ、松並貴俊、野村大樹、甲斐雅哉、稲村瑞樹ら第二世代が成長し、外人枠を気にしてソウザを放出しました。

DFでは岬健二がこのころ恐るべき成長を遂げ、また辻元孝允、古沼多喜夫、森崎敬らが優秀な働きを見せてくれました。辻元はのちに4億で台北FCに移籍させますが、その後も日本代表として活躍してもらうことになります。

GKには世界の守護神となったドフと楢崎が君臨していました。

こうして7年目のシエロの成長ぶりを実感したので、8年目に日本代表の監督要請をうける決意を固めました。世界最強のシエロ軍団をほとんどそのまま代表として起用すれば、おそらくかなりの成績を上げられるだろうと思ったからです。安西ジャパンは思った通り、9年目に見事インターナショナルカップで準優勝という快挙を成し遂げました。

しかし安西監督個人の躍進とは裏腹に、シエロ自体は重大な岐路に立たされていました。経営状態が思わしくなかったのです。シエロの収入の大半は試合での入場料と様々な大会での賞金に依っていました。ところが安西が日本代表監督になると、シエロがプレシーズンマッチやJリーグ以外の国際大会に出る機会が奪われ、収入にかなり打撃を受けることになりました。また国際大会に出なかったシエロの世界順位も下がり始めます。一方選手の年俸はこのころ莫大な金額になっていました。かといって、シエロには若手が不足しており、これら高額プレイヤーを安易に手放すわけにもいかない状態でした。チームの建て直しのために、10年目は代表監督を断り、世代交代と経営のスリム化を目指して改革に着手することになります。


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最終更新:2006年08月29日 03:14