シグ2

    

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「トードー? ねぇトードー」

暖かな冬の布団に全身を埋めて、今まさに寝入らんとする俺の頭を揺さぶる奴がいる。
「起きてる? トードー?」
揺さぶり方がだんだん大きくなってきた。これはこれで心地いいものだが、残念ながら頭を揺らしながら寝られるほど俺は呑気ではない。
夢の沼に沈みつつあった俺の意識はすんでの所で現実に引き戻された。
しかし、徹夜が明けてやっと寝床についた人間にこの仕打ちは少々酷ではないかと、俺はんんと一言、鼻で反論した。
「トードー、ちょっとマズいことになってるんだ。ちょっと着いてきてもらうよ」
耳元でささやく声が聞こえて、夢うつつのまま、俺の体は宙に持ち上がった。
アルミサッシが軽い音を立てて開き、冷たい風が頬をなでる。

「寒いぞ」
「寒いよそりゃ」
早朝の風が容赦なく眠気を剥ぎ取っていく。目が開いた。
「………」

眼下に広がるのは町の風景。朝5時から運行している路面電車のヘッドライトが、薄暗い冬の朝にピンで着いたような
「うおほっ!」
いやいや、それどころではない。俺は今、住んでいる町を遙か低みに、パジャマ姿で空を飛んでいる。
目測二百メートルはありそうな地面との感覚に、思わず小さく身震いをしてしまった。
「起きた?」
頭の上から聞き慣れた声。背中からしっかりと抱きかかえるような感覚。三ヶ月前に出会った奇妙な同居人、シグの声だ。

俺がパジャマ姿で空を飛んでいる理由は後述することにして、この奇妙な生き物と俺との出会いについて少々解説しておく。
シグは自称水の龍で、実際水の龍である。といっても俺はこいつ以外に龍という生き物を見たことがないので、
こいつが本当に龍という生き物なのかは、正直なところ俺にも分かりかねる。
灰色がかった青のつるっとした肌、そして蛇のようにしなやかな体は、確かに水の流れを連想させる。
子犬っぽい顔は表情が豊かで、つい子供扱いしたくなるが、そうすると本人は怒る。

三ヶ月前、こいつが俺の部屋に転がり込んできたおかげで、俺は銃で撃たれたり、違う種のオスと肌を重ねることになったりと、
人生初の貴重な(散々な)体験をすることができた。その後、ペット禁止のアパートで龍と同居するのは駄目だの、
貧乏学生の収入では一人と一匹が満足に食っていくのが大変だのと様々な問題を抱えることにもなったのだが、
この下りは話しても面白くないので割愛する。さて、

「なんで俺、飛んでるんだ?」
シグに胸びれで抱きかかえられて身動きがほとんどとれない俺は、頭を若干上に向けながら質問した。
「マズいことになったんだよ」
まっすぐに前を見ながらシグが答える。
「マズいこと?」
「そ。着いたら説明するよ」
俺の体を抱える胸びれにぐっと力がこもる。
「さあ、飛ばすよ! 落ちないでね」
急加速。ホテル街のビルがすごい勢いで後ろに流れていった。
目指すは県下の最高峰、槌ヶ峰。ちょっとチビってしまったことは、シグには内緒だ。

 そいつらのそれから 第一部「妹」

シグに抱きかかえられたまま降り立った槌ヶ峰の頂。痛いほどに冷たい雪に足が埋もれる。
槌ヶ峰の山頂には、石碑と小さな祠以外に目立つものはない。はずである。

「こりゃあ……」
標高が刻まれた三角点のそばに、斜めに突き刺さる巨大な物体。
艶やかな黒い膚の表面を、縦横に溝が走っている。形だけ見れば、真っ黒なつららである。
そのつららが、まるで息づくように鈍い明滅を繰り返していた。
穏やかな黄色の光をじっと見つめていると、つららの「呼吸」に合わせてこめかみが痛む。

「マズいことになってるでしょ?」
「マズいったって、何だよこれ」

シグはぬっと体を伸ばして、尻尾で空を掻きながらつららの周りをくるりと回った。
「『SURMA(サーマ)』だよ」
言いながら、シグは胸びれでつららをそっと撫でる。

キィィィィィィィィ

剣山でガラスをひっかいた、と例えればいいだろうか。頭蓋骨に染みこむような、甲高くてヒステリックな音がどこからともなく聞こえてきた。
圧迫感と痛みがない交ぜになってこめかみから頭の中に入り込んでくる。目の前がちかちかと明滅し、
明滅に同期してつららが光を放つ。鎖で繋がれたように、中腰の状態から頭が上がらなくなり、そのまま雪の上にくずおれてしまった。

「……っぐ」

頭が割れそうになって、音がふつと止んだ。痛みも圧迫感も消え失せ、重かった頭も羽根のようだ。
そして辺りは、再び早朝の山頂の静けさに沈んでいった。
鎖から解き放たれて頭を上げると、つららは元の息づかいを取り戻していた。

「サーマ?」
こいつにそんなけったいな横文字を教えた覚えはなかったはずだが。
「SUbstantial Recollection MAterializer。物質が内包している記憶を再生し、具現化する装置だよ」
「SUbstantial Recollection MAterializer。物質が内包している記憶を再生し、具現化する装置だ」
難しい言葉を並べるシグに、別の声が重なった。声の主は俺のすぐ後ろにいる。

「久しぶりだな」
声の主にシグは答えない。俺の腹がずきりと痛んだ。三ヶ月前の光景が目の前に蘇る。
めくれ上がり宙を舞う床板。体の中に広がっていく猛烈な熱感、後ろにはじき飛ばされる身体、シグの叫び声。
黒いブーツ、黒いスーツ、黒いネクタイ、黒いサングラス。朝の薄暗い山頂にあっては、相手の顔すら判別し得ない。
だがその男は、かつて俺に鉛弾を撃ち込んだ、あの黒服と同じ格好をしていた。
「何の用だ?」
シグがそういうよりも早く、俺が黒服に問いかけた。
「『彼の処分は任せる』と言ったはずだぞ? トードー・スキマ」
黒服はジャケットの内側に腕を忍ばせながら、答えになってない返事を返した。
「エージェントが一人でこんなところまでやってくるなんて、大した冒険だね」
シグが俺より半歩前に出る。たてがみが逆立ち、頭を少し下げ、あからさまな敵対心をちらつかせている。
「僕のことはほっといてくれるんじゃなかったんだ?」
「貴様がこっちに干渉してくるというなら、話は別さ」
黒服の手がジャケットの内側で動くのが分かった。

胸びれを大きく広げて、シグが俺の前に立ちふさがる。辺りに立ちこめていた霧が、シグの胸の前に渦を巻きながら集まり始めた。
黒服を睨み付け、シグの口元に鋭い牙がのぞいた。円盤状の霧の渦の中心から、一条の糸が放たれる。
霧粒を集めて水の塊に変え、極限まで水圧をかけて放ったのだ。さながら工業用のウォータージェットである。
水の刃は雪の上に一本の筋を残し、逆袈裟懸けに黒服を斬った。黒服の背後、コンクリートでできた案内板の上半分が音もなく倒れ、
鈍い音を立てながら雪の中にめり込んでいく。しかし黒服はと言えば、何事もなかったかのようにそこにただ立っているだけである。
シグはその場で宙返りをして、二発目、三発目と水撃を放つ。今度は斬るのではなく、直接黒服を狙った「弾丸」である。
左胸と眉間。正確に急所を狙った攻撃。その弾筋には一点の慈悲も感じられない。明確な殺意を持った「弾丸」はまっすぐに黒服に向かい、
そして空中に爆ぜた。またしても黒服は無傷。

「うちのエージェントを一人殺ったぐらいで調子に乗ってもらっちゃ困る」

ジャケットに忍ばせていた腕が躍り出る。握られたその手には黒光りする拳銃。銃声。一瞬の沈黙。
俺の前に浮いていたシグの身体が、どさりと雪の上に崩れ落ちた。青白い雪を染め上げていく鮮血。生臭い鉄の臭い。
腹を撃ち抜かれていた。

「強甲弾だ。貴様のような奴向けにカスタムしてある」
シグが震えながら頭をもたげる。その頭に銃口が向けられた。
「手を出すな。もう一度言っておく」
「ちくしょう……」
掠れた声でシグが呻いた。
「貴様はその男とくっついていればいい。その方が貴様のためになる」
「『SURMA』で……、な、にを……」
黒服は答えなかった。
「何を……企んで………っ」
突然支えを失ったように、シグは雪の上に突っ伏した。
「大丈夫だ。こいつは丈夫にできている。一発や二発で死にはしない」
黒服は銃を再びジャケットにしまい、かけていたサングラスをつまんで押し下げ、斜めに俺を見据えた。
眼光鋭い瞳が、まぶたに切り取られて半分になる。
「我々のすることに、こいつを干渉させないでもらいたい。殺すのはこっちも本分じゃない」
サングラスをかけ直し、回れ右をして、黒服は歩き始めた。そのあと三歩歩いて、思い出したように足を止めた。
「ああ、それからこれは貴様自身のために忠告しておくことだが………。我々に干渉しないならシグと何をしようと勝手だが、
 あー、なんだ……こっちとしてもあんまり見てて気持ちのいいもんじゃないから、その……あんまり恥ずかしいことは、
 しないほうがいいと思うぞ」
ぽかんとする俺を尻目に、黒服は霧の中に消えていった。ギュッ、ギュッという雪を踏みしめる音もやがて遠くなる。

「見られてた……?」

霧の立ちこめた山頂に、一筋の光が横から差し込んでくる。一日の始まりを告げるべく昇る朝日に、山頂の雪は黄色く染め上げられていった。

つづく


感想

  • 続きが気になる -- 名無しさん (2007-10-07 02:50:37)
  • ↑激しく同意 -- ふいんき(何故か変換できない) (2007-12-29 01:46:11)
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