山中の追跡

    

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「また行方不明か・・・」
出かける前少しだけ広げてみた新聞の記事に、俺はつい目を奪われた。
といっても、別段珍しいニュースが載っていたわけではない。
極めてありふれた、とはいえ他人事と無視することもできない事実が、白黒の写真つきで紙面に躍っている。
山菜を採りに山へ入った老人が行方不明になったというものだ。
これが他の人であれば夜の寒さに凍えてしまったのだろうとか、道に迷ってしまったのだろうなどと勝手な憶測に終始してしまうのだが、俺にとっては割と身近な問題と言えた。
何しろその老人が消えた山というのは、俺がこれから趣味のキノコ採りに向かう予定の山だったからだ。
確かに年老いているが故の不覚で災難にあったのであれば、若さに溢れる俺には心配することなど何もない。
だがクマや何かに襲われたというのなら、話は変わってくる。
まあ、その時はその時で採取用のナイフでも投げつけてやればいいだろう。

俺は新聞をたたむと、件の山に向かって車を飛ばした。
空は雲一つない快晴で、風すらも吹いていないのではないかという穏やかな天気だ。
たっぷり1時間のドライブを楽しんでから山の麓に車を停めると、俺は意気揚揚と薄暗い森の中へと踏み入った。
さすがに標高の低いところはあらかた人の手が入っているせいか、山菜はほとんど収穫がない。
目的のキノコを手に入れるには、少しばかり高いところまで山を登っていく必要があるのだ。

時折ペットボトルに入れた水を口に含みながらゆっくりと緩やかな坂道を登っていくと、やがて木々の根元にちらほらと大きな嵩をつけたキノコが姿を現し始めた。
そろそろこの辺でいいだろう。さすがに毒キノコにあたるのだけは御免なため、手には一応キノコのハンディ図鑑を準備してある。
俺は手近な木の下に生えたシメジを見つけ、いしつきにナイフを入れた。
本来なら根元から引っこ抜いていくべきだろうが、いかんせん料理が面倒に感じてしまうタイプなのだ。
嵩から下の部分を少し残して持っていけば、後はよく洗うだけで鍋に放りこむことができる。
持参した小さな袋の中が美味そうなキノコで満たされていく度に、俺は上機嫌になって森の奥深くまで足を踏み入れていた。

「よし・・・今日はこれぐらいでいいだろう」
これで最後と決めた椎茸にナイフを入れようとしたその時、突然俺の周囲が大きな影で覆われた。
木々の葉の間から落ちてくるまだらな影模様の中に不自然な黒い塊が出現し、ゆらゆらと小さく揺れている。
「小僧・・・そこで何をしている・・・?」
小僧だって?随分と失礼なことを言う奴だ。俺は内心カチンときて、やや不機嫌な眼差しを残したままゆっくりと背後を振り返った。
だがそこにいた者の正体を知って、俺はその目を大きく見開くことになった。
「え・・・?」
見上げるような巨大な黒い影・・・全身が分厚い漆黒の鱗に覆われたドラゴンが、怒りを滲ませた黄色い眼で俺を見下ろしていた。
思わず、手に持っていたナイフをポトリとその場に取り落としてしまう。
「そこで何をしていると聞いておるのだ!」
「う・・・あ・・・」
突然の事態に、声がうまく出てこない。その圧倒的な恐怖に、自然と体がゆっくりと後ずさり始める。
「我が縄張りを荒らすとは・・・いい度胸だな小僧・・・」
「ま、待ってくれ・・・俺はキノコを採りにきただけで・・・それ以外のことは何も・・・」
ドスっという音とともに、椎茸を生やしていた大木が俺の退路を断った。
獲物が逃げ場を失ったのを確認したのか、ドラゴンが悠々と近づいてくる。
「ほ、本当なんだ!信じてく・・・ひっ・・・」
スッと差し出されたドラゴンの太い指が、俺の喉元に押し当てられた。
その先に、槍のように鋭く尖った黒い爪が伸びている。
顎を下から突き上げられるように爪先を押し込まれ、俺は木に背を預けたまま思いきり首を仰け反らせられた。

「我の縄張りにある物は全て我の物だ・・・それを我に断りなく取っていくとは許せぬな」
「あ・・・う・・・」
グリッと更に深く爪を押し上げられ、今にも喉を貫かれそうな痛みに俺は呻き声を上げた。
ほとんど真上を向くような形に固定された俺の顔に、ドラゴンが歪に並んだ牙をこれ見よがしに見せつける。
「ククククク・・・」
不気味な笑いとともにドラゴンの丸太のような黒い尻尾がうねり、俺の足元からゆっくりと木に巻きつけられ始めた。
上を向かされたまま足元から大蛇が這い上がってくるような感覚に、ザワザワと背筋が騒ぐ。
「た、助け・・・いつっ・・・うああっ」
命乞いの言葉をかき消すようにドラゴンの爪先が捻られ、プツリとその先端が皮膚に食い込んだ。
鋭い痛みと恐怖に悲鳴を上げている間にも、幹の周りを這い登る尻尾が俺の胸から下でグルグルと真っ黒なとぐろを作っていく。
そして筋肉の塊でできた極太の鞭に体を絡め取られ、俺は完全に身動きを封じられてしまった。
それを見届けて、ドラゴンがようやく喉に食い込んだ爪を離す。
「お、俺をどうするつもりなんだ・・・?」
恐怖に青褪めた顔でドラゴンに話しかけると、ドラゴンは返事をする代わりに尻尾を引き絞った。
ミシッ・・・ギシィッ
「うあ・・・ぐ・・・ぅ・・・」
俺の体とともに締めつけられた木の幹が、先に甲高い悲鳴を上げる。
ミキミシミシミシッ・・・ベキッ・・・グシッ・・・
「や、やめ・・・て・・・ぐああああ・・・」
全身を押し潰すような強烈な締めつけに、俺は息を詰まらせて喘いだ。
柔らかい木の皮に、硬い鱗で覆われた尻尾が徐々に食い込んでいく。
このままでは、俺はひしゃげた木の幹に括り付けられた小さな肉塊に変えられてしまうだろう。
だが手足にいくら満身の力を込めてみても、次第に耐え難くなる死の圧迫感を緩和することはできなかった。

メキッ・・・メキャッ・・・ギギギギ・・・
「た・・・すけ・・・て・・・くれぇぇ・・・」
今にも全身の骨という骨が砕け散ってしまいそうだ。
だが苦痛と息苦しさに気を失いかけたその時、ドラゴンはようやく尻尾を緩めてくれた。
「う、ぐ・・・」
凶悪な締めつけから解放され、俺は解かれた尻尾の渦の中にドシャッと崩れ落ちた。
朦朧とした意識の中で後ろを振り向くと、まるで雪の塊を握り潰した時のように綺麗な尻尾の跡が木の幹に数本刻まれている。
そして地面に膝をついた俺の顎を、ドラゴンが2本の指で摘み上げた。
「ククク・・・なかなかいい顔をするではないか・・・」
「う・・・うぅ・・・許してくれ・・・」
口の端から覗く牙が、じわじわと俺の恐怖心を茹で上げてくる。
俺はこのまま、ドラゴンに食い殺されるしか道はないのだろうか?
だが涙目を震わせてドラゴンの顔を見つめ返していると、思いもかけない言葉が聞こえてきた。
「気に入ったぞ・・・本来ならすぐに食い殺してやるところだが、お前には助かるチャンスをやろう」
「ほ、本当に・・・?」
「1度だけ逃がしてやろう。だがお前の姿が見えなくなったら、我がお前の後を追い始める」
それはつまり、この俺に巨大なドラゴンと鬼ごっこをしろということか?
「無事に山を下りられればお前は助かるだろう。だが再び我に捕まればその時は・・・」
ドラゴンは俺の顔を覗き込むと、牙をギシギシと軋らせながら後を続けた。
「わかるな・・・?」

「あ、ああ・・・」
震える声でそう返事をすると、ドラゴンは俺の顎を捕らえていた指を離した。
「クク・・・さあ、行くがいい・・・」
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、ドラゴンが静かに呟く。よほど俺を捕まえる自信でもあるのだろうか?
とにかく、今はこのチャンスにしがみつくしかない。
俺は後ろから襲われはしないかと警戒しながらドラゴンから離れると、ダッと一目散に斜面を駆け下り始めた。
「グオオオオオオオオォン・・・」
背後から、ドラゴンの大きな咆哮が聞こえてくる。俺の追跡を始めたということだろう。
だが恐怖に駆られてチラチラと後ろを振り返りながら走っていたとき、俺は足元の岩にガッと蹴躓いて斜面を転げ落ちた。
「うわあああああああ!」
ゴロゴロと土の地面を転がりながら、大きく広がった茂みの中へと突っ込んでしまう。
そして先にあった木の幹に後頭部を強かに打ちつけ、俺は大量の草に埋もれたまま意識を失ってしまった。


「ん・・・」
カサカサと頬をさする葉の感触に、俺は暗闇の中で目を覚ました。
「うっ・・・いてて・・・」
樹木に強打した後頭部に鋭い痛みが走り、両手で咄嗟に頭を抱える。
辺りは既に暗くなっていて、体は厚い茂みに完全に覆われて見えなくなっていた。
どうやらドラゴンには見つからずに済んだようだが、方向を見失ってしまっている。
「どっちが麓だろう・・・?」
ドラゴンに締め付けられた体中の骨がギシギシと軋み、俺はゆっくりと茂みから顔を出してみた。
葉の間から零れ落ちる月明かりが、斜面の土を薄っすらと照らしている。
そこには転げ落ちてきた俺の体の跡と、深々と地面を踏みしめたドラゴンの足跡がくっきりとついていた。

ドラゴンが近くにいる・・・!

自然と脳裏に過ぎったその予感に、俺は背筋に冷たいものが這い上がってくるのを感じていた。
もしかしたら今この瞬間にも、闇の中からドラゴンがこちらの様子を窺っているかもしれない。
俺は再び茂みの中に身を沈めると、静かに息を潜めた。
ガサッ
「ひっ・・・」
突然聞こえた物音に、ビクッと身を縮める。
恐る恐る音のした方に目を向けたが、風に揺れた茂みが擦れ合っただけのようだった。
凶暴な獣に命を狙われるということがこれほど恐ろしいなんて・・・
しかも、相手は見上げるほどに巨大なドラゴンなのだ。
もし見つかれば逃げ切れないのはもちろん、抵抗したところで無駄に終わるのは目に見えている。
ザワザワ・・・
ヒュウゥゥゥゥ・・・
「う、うぅ・・・・・・」
そこかしこから聞こえてくる自然が作り出したいたずらな音に、俺は耳を塞いで茂みの中に蹲っていた。
どこにいるかも分からぬドラゴンに怯えながらこの山の中をさ迷い歩くなど、とてもできるわけがない。
恐怖に眠ることもできぬまま、俺は茂みに隠れて朝になるのをひたすらに待ち侘びていた。

一体どれほど見えないドラゴンの影に怯えて身を縮み上がらせたことだろう。
やがて空が白み始めると、俺は再びゆっくりと茂みから顔を出した。だが、近くにドラゴンの姿は見えない。
しかたない・・・このままここにいたら、ドラゴンには見つからなくても俺の精神力の方がもたない。
なるべく音を立てぬように茂みから抜け出すと、俺は姿勢を低くして辺りの様子を窺った。
とにかく、なるべく低い方へと歩くしかない。
何度も何度も足を止めては辺りを見回し、再びそろそろと歩を進めるのだ。

奇跡的にというべきか、2時間ほど歩いて精神的にも体力的にも疲弊しきった俺の眼前に、明るい森の切れ間が見えてきた。
ああ・・・もうすぐ麓だ・・・俺は助かったんだ・・・!
脳裏に芽生えた一筋の希望に、疲れも忘れて足を早める。
早く・・・早くこんな恐ろしい山から逃げ出したい・・・!
だがあと少しで森を抜けられるというところで、どこからともなく巨大な黒い影が現れて俺の行く手を遮った。
「クククク・・・」
愉快そうな笑い声を響かせながら、あの黒いドラゴンが余裕たっぷりに道を塞いでいたのだ。
「あ・・・ああ・・・ど、どうして・・・」
突如として希望の光が閉ざされ、俺はペタンとその場に尻餅をついた。
「この森で本当に我から逃げ切れるとでも思っていたのか?」
まるで俺の行動など全てお見通しとでも言うように、ドラゴンが得意げに俺を睨め下ろす。
「なかなか楽しかったぞ・・・兎のように怯えたお前の顔を思い出しただけで、まだ笑いがこみ上げてくるわ」
「なんでそんなことを・・・み、みんな、みんな見ていたってのか?」
牙の生えたドラゴンの口角がニィっと持ち上がり、その顔から堪えきれなくなった含み笑いが溢れ出した。
「そ、そんな・・・最初から俺を助けるつもりなんてなかったんだな・・・」
「ククク・・・我が折角の獲物を見逃すわけがなかろう?近頃は年老いた人間しか口にしていなかったのでな」
結局、俺はドラゴンの手の内で踊らされていただけだったのだ。
獲物が絶望に打ちのめされたのを確認し、ドラゴンがゆっくりと近づいてくる。

「う、うああ・・・」
俺はあたふたと起き上がって逃走を試みたものの、そのふらつく足にドラゴンの尻尾の先が絡みついた。
そしてそのまま地面の上に引き倒され、体に更に尻尾を巻きつけられてしまう。
「や、やめ・・・助けて・・・」
「もう命乞いは聞かぬぞ・・・ククク・・・」
些細な抵抗もむなしく、あっという間に巻きつけられた尻尾になす術もなく高々と持ち上げられてしまう。
その俺の足元で、ドラゴンがグバッと巨大な口を開いた。
「わああああ!いやだ!いやだあぁ!」
突如として出現した暗く深い肉洞に恐怖を覚え、バタバタと足を暴れさせる。
だがドラゴンはフンと軽く鼻息をつくと、俺の体を尻尾でギュッと締め上げた。
「ぐあ・・・が・・・」
先程とは違って直接的に体を絞り上げられ、一瞬にして肺の中の空気が押し出される。
メキメキと体中の骨が悲鳴を上げ、俺は暴れさせていた足をぐったりと垂れ下がらせた。

ようやく静かになった獲物に、我は笑いを浮かべて更に大きく口を開いた。
そして尻尾の力を抜き、暴れる気力を奪い取った人間を口の中へと滑り落とす。
ペチャ・・・
見る見るうちに唾液の湧き出した舌の上に落ちると、人間は力なく呻いて我の牙を両手で掴んだ。
「た、頼む・・・出してくれぇ・・・」
耳に心地よい人間の最後の言葉を堪能すると、我はゆっくりと口を閉じた。

バクン・・・
「ああああ・・・」
一瞬にして周囲が真っ暗な闇に包まれ、頭の中が深い深い絶望で塗り潰されていく。
ぐにぐにと蠢く舌の上を右へ左へと転がされ、俺は少しずつ生暖かい唾液に塗されていった。
そして次第に口内が傾き、奈落の底へと通じるような深い食道へ向けて急峻な傾斜がつけられていく。
「う・・・わ・・・あぁぁ・・・」
涙を流しながらズルズルと舌の上を滑り落ちると、俺は確実な死の待つ闇の中へと消えていった。

3日振りの人間を飲み下したドラゴンは、ゴロゴロと満足げに喉を鳴らした。
「ククク・・・この次は若い娘の肉を味わってみたいものだな・・・」
そう呟いて、ドラゴンが重々しい足音を響かせながら巣へと帰っていく。
1人の若者が命を落とした森の入り口には、荒ぶる山の主が残した足跡が深々と刻み付けられていた。



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