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竜の里親

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rogan064

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深い森の奥に隠された薄暗い洞窟。その中に設えられた鳥の巣のような温かい寝床の上に仰向けに寝転びながら、僕は自分の不思議な人生を思い返していた。
悪政のために今はもうなくなってしまったが、20年ほど前この森の近くには1つの小さな国があったらしい。
その国は、国土の大きさに対して人口が増えすぎては困るということで、全ての国民に第2子の出産を禁じていた。
だがそんな理不尽な御触れを出されて最も困るのは、図らずも第2子を孕んでしまった夫婦などではなく、やはり生まれてくる子供の方だったのだろう。
なぜならその子供は、国から罰せられるのを恐れる両親の手によって殺されてしまったり、あるいは森の中にひっそりと捨てられてしまうらしかった。
いずれにしても、生き延びることなどできない死の運命が待っているのだ。
そして、僕もそんな不幸な運命のもとに生まれてきた2人目の子供だった。

22年前―――
「ああ・・・あなた・・・どうしよう?」
「ど、どうするったってお前・・・産まれちまったものはしょうがないだろ。俺が森に捨ててくるよ」
「そんな・・・捨ててくるだなんて・・・」
出産を終えたばかりの母親は、羊水と血に塗れた赤子を抱き上げながらすでに3歳になる長男を見つめていた。
2人目の子供・・・もし子供が2人以上いることが国の役人に知られれば、その責は家族全員に降りかかってくる。
産まれた子供は国に取り上げられ、夫の方には厳しい懲罰が加えられる。
しかもその上、一生かかっても払えないような法外な罰金を科せられるのだ。
産まれた子供の運命を考えれば殺されてしまうよりはマシな道ともいえたが、親も所詮人の子、すでに1人子供がいるというのに、取り上げられてしまう子供のために全てを擲つ覚悟など、到底あるはずがない。
「捨ててくるなら今のうちしかない。朝になれば泣き声も辺りに聞こえるようになるし、とても隠しきれないぞ」
「・・・わかったわ。見つからないようにね・・・」
母親は別れを惜しむように赤子の額に軽く口付けすると、重責を担った夫の手に息子を引き渡した。

どんよりと曇ったお陰で星の光どころか月明かりさえも見えない漆黒の闇の中、俺は赤子を抱いたままそっと家を抜け出し、暗い森へ向かって走っていった。
森の奥深くに捨ててくれば、後はきっと獣達が始末してくれるだろう。
とても、自分ではこの子の息の根を止めることなどできない。
ガサガサと木々を掻き分けて森の奥深くまで辿りつくと、俺は大きな木の根元にそっと赤子を寄りかからせた。
ここなら、誰にも見つかることはないだろう。暗闇の中で眠る息子の最後の顔に、じっと目を凝らす。
「こんな馬鹿な親を許してくれ・・・俺も、死ぬほど辛いんだ・・・」
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟くと、俺は後ろも振り返らずに一気に家に向かって走り出した。
もし泣き声など聞こえれば、きっと足を止めてしまう。
いつのまにか、俺はボロボロと涙を流していることに気がついた。
当然だ。今、俺は自分の息子を死に追いやったんだぞ。くそっ・・・くそっ・・・

涙を振り払いながらなんとか家まで辿りつくと、俺と同じように泣き腫らした妻の顔が目に飛び込んできた。
「捨ててきたのね・・・あなた・・・」
「ああ・・・ああ・・・捨ててきた・・・畜生・・・俺はなんてことを・・・」
妻の顔を見た途端に自分のしてしまったことの恐ろしさを痛感し、俺は顔を覆って床に泣き崩れた。

「ふぎゃぁ・・・ふぎゃぁ・・・」
「んむ・・・」
どこからともなく聞こえてきた小さな泣き声に、洞窟の奥で眠りについていた巨大なドラゴンが目を覚ました。
「何か聞こえた気がしたが・・・」
洞窟の奥に蹲ったまま外の音に耳を澄ます。
「ふぎゃぁ・・・・・・ぎゃぁ・・・」
確かに近くで何かが泣いている。しかも、それはどうやら人間の泣き声のようだった。

突如聞こえ始めた声を不審に思って体を起こすと、ワシは洞窟の外へ出てみた。
辺りはまだ真っ暗で、吸い込まれるような暗闇が森全体に広がっている。
「こ、これは・・・」
ふとそばにあった大木の方へと目を向けると、毛布に包まれた人間の赤子が大声で泣き喚いていた。
一体なぜこんなところに・・・?親は何をしているのだ?
咄嗟に辺りの様子を窺うが、他に人間がいる気配は全くない。
「しかたない、とりあえずこのまま放っておいては危険だな・・・」
ワシは赤子の体を傷つけないように毛布ごと慎重に口で咥えると、そのまま洞窟の奥へと引き返した。
つい先程まで自分が寝ていた柔らかい寝床へと赤子を降ろし、その体をまじまじと見つめる。
産まれた後ロクに体も洗ってもらえなかったようで、体中にムッとするような血と粘液がこびりついていた。
とりあえず、体をきれいにしてやったほうがいいだろう。
ペロ、ペロペロッ・・・
「きゃっ・・・きゃきゃ・・・」
分厚い舌で腹や頬を擦り上げる度に、赤子がくすぐったそうに声を上げる。
体を包んでいた毛布も剥ぎ取って全身をきれいに舐め清めてやると、赤子は不快感から解放されたのかスースーと小さな寝息を立てながら眠りについてしまった。

「ふぅ・・・さて、これからどうしたものか・・・」
あどけない顔で眠る赤子の顔を見つめながら、ワシは今更ながらに途方に暮れていた。
とてもではないが、人間の子供を育てることなどできそうにない。
だが近くにある人間の国へと返してやるにしても、わざわざ真夜中にこんな森の奥まで子を捨てに来ているのだ。
おそらく、国へ戻ってもどこにも居場所はないのであろう・・・
フサフサの青い毛で覆われた手で頭を撫でてやると、赤子は気持ちよさそうにスリスリと頬をワシの手に擦りつけてきた。
とにかく、この憐れな捨て子をどうするかは後で考えるとして、ワシも中断されてしまった夢の続きを見るとしよう。
今まで他の誰にも侵入を許したことのなかった寝床を人間の子供に譲ると、ワシは固い岩の地面の上に蹲って静かに目を閉じた。

「おぎゃあ・・・おぎゃあ・・・あぎゃあ・・・」
朝方になって、ワシは再びけたたましい赤子の泣き声に叩き起こされた。
見ると、赤子が寝床の上でウニウニと動きながら必死で泣き喚いている。
「今度は一体何だ・・・?」
ワシは慌てて駆け寄って赤子の様子を窺ってみたが、なぜ泣いているのか見当もつかない。
「・・・腹が減ったのか?」
よくわからないが、他に泣く理由が見当たらない。だが、一体何を食べさせれば・・・
「ふむ・・・しばし待っておれ」
ふと思い付き、赤子をその場に残したまま急いで洞窟の外へと飛び出す。
辺りの木を見渡すと、所々に林檎が実っていた。とりあえず・・・当面はこれを与えるしかなかろう。
ワシは林檎の木から少し離れて身構えると、思いきり木に向かって体当たりした。
ドガッという音と共に激しく木がしなり、衝撃で林檎の実が1つ落ちてくる。
それを落とさないように、ワシはサッと実を口で受け止めた。そして、そのまま洞窟の中へと引き返す。

「おぎゃあ・・・ぁぎゃあ・・・おぎゃあああ・・・」
泣き声が少し大きくなったような気がする。
ワシは赤子の元までやってくると、口に含んだ林檎を噛み砕いた。
そして赤子の小さな口に己の口を重ね、溢れ出した果汁をその中にゆっくりと流し込む。
「ん、んぐ・・・んぐ・・・」
甘酸っぱい林檎の味に興味を示したのか、赤子が黙って与えられる果汁をすすり始める。
だがまるまる林檎1つ分の果汁を飲み干すと、再び洞窟中に大きな泣き声が響き渡った。

「ふぎゃああ・・・ふぎゃああああ・・・」
「むう・・・違うのか・・・それなら一体なぜ泣いておるのだ?」
そう問いかけても、赤子は泣くばかりで一向に答えてはくれなかった。
その小さな手を優しく掴んでみるが、やはり泣き止む気配はない。
「む・・・少し冷えておるな・・・」
もしや、朝の寒さに凍えて泣いていたのか?
半信半疑のまま、ワシは仰向けに寝転んで赤子を柔らかいフサフサの毛に覆われた腹の上へと乗せてやった。
「ふぎゃあ・・・ふぎゃ・・・・・・・・・すー・・・すー・・・」
呼吸と共に膨れたり萎んだりする暖かい腹の感触に、赤子が気持ちよさそうに寝息を立て始める。
「ふう・・・やっと静かになりおったか・・・」
赤子を寝かしつけた途端、ワシは突然どっと疲れたような気がした。
・・・一体ワシは何をやっておるのだ・・・?人間の子供など放っておけばよいではないか。
何かというとすぐに泣き喚き始めるし、おまけに何をして欲しいのかわからぬときた。
しかもその上・・・だが、穏やかに眠る赤子の顔を見ていると、愚痴を言う気すら薄れていく。
「・・・まあ・・・もう少しだけ置いてやってもよいか・・・」
赤子が腹の上からずり落ちぬように両手で支えながら、ワシはいつまでも飽きることなくその可愛い寝顔を見つめ続けていた。

昼過ぎになって、赤子はゆっくりと目を開けた。まだ、光以外何も見えていないのだろう。
「あ~、あ~~」
甲高い声を上げながら、赤子がフカフカのワシの腹の上で手足をバタつかせる。
自力では這って歩くこともできないその弱々しさに、ワシはいよいよもって不安になってきた。
やはり、この子は人間の元に返してやるべきだろう。
今はまだよいが、やがて目が見えるようになればきっとワシの姿に疑問を抱くようになるはずだ。
白い腹以外は全身真っ青な毛に覆われ、太い尻尾に鋭い爪や牙を持ったワシとこの子では、あまりに外見がかけ離れすぎている。
まともな人間の暮らしをさせるつもりであるならば、こんなところに置いておくべきではない。

ワシは赤子にグルグルと尻尾を巻きつけて包むと、辺りの様子を窺いながら洞窟の外へ出た。
こんな昼間に人間の国へ近づいてもし姿を見られたりすれば面倒なことになりかねないが、さすがにワシにも夜まで赤子の面倒を見きれる自信はなかった。
木々の間に身を潜めるようにして、少しずつ人間の居住区へと近づいていく。
「ふ、ふええ・・・ふぎゃあ・・・」
ワシの緊張を感じ取ったのか、尻尾を巻きつけていた子供が泣き声を上げ始めた。
黙らせようとして思わず尻尾で強く締めつけかけたのを、寸でのところで思い留まる。
「こ、これ・・・泣くでない・・・静かにしてくれ」
「ふぎゃああ・・・おぎゃあああ・・・」
切ない視線を向けながら懸命に尻尾を揺らしてあやしてみたが、赤子はなかなか泣き止んではくれなかった。
このままでは、町に近づく前に人間達に見つかってしまうだろう。
しかたなく、ワシは1度洞窟へと引き返すことにした。

「ふう・・・お前はそんなにワシと離れるのが嫌なのか・・・?」
元通り洞窟の寝床の上に赤子を降ろすと、ワシは目に涙を溜めたその顔を見つめながら問い掛けた。
「あ、あは・・・あ~・・・」
何事もなかったかのように泣き止んで笑う赤子の様子に、大きく溜息をつく。
ドラゴンともあろうものが、人間の子供にいいように翻弄されておるなど笑い話にしかならぬな・・・
そんなことを考えているうちに、赤子はおもむろにワシの顔へと手を伸ばしてきた。
フサフサの毛に覆われた顔の形を探るように、赤子が小さな手を動かしてワシの顔をなぞっていく。
やがて手が口までやってくると、ワシは小さく口を開けてその手を咥え込んだ。
牙で傷つけないように気を使いながらも、赤子の手に長い舌を巻き付けてみる。
レロッレロレロッ・・・
「きゃっきゃっ・・・」
柔らかい皮膚の上を湿った舌がジョリジョリと撫でる度に、赤子がくすぐったそうに笑う。
「ふふ・・・ふふふ・・・ぐおっ!?」
その笑顔につられて一緒になって笑っていると、突然赤子がワシの舌を掴んで思い切り引っ張った。
非力な子供とはいえ微塵の遠慮もなく全力がこめられた攻撃に、思わず情けない呻き声を上げてしまう。
「うぐぐ・・・やりおったな、このいたずら小僧め」
ワシは赤子の手から口を離すと、脇腹や乳首といった敏感なところを舌先でペロペロと舐め回した。
「あきゃ・・・きゃはは・・・」
くすぐったさに悶える赤子の様子を眺めながら、ワシはいつしか本気になって人間の子供と遊んでいた。

「今帰ったぞ」
「ああ、お帰り」
突然洞窟の入口からドラゴンの声が聞こえ、僕は寝床の上に寝そべったままそれに答えた。
「何をしておるのだ?呆けたような顔をして・・・」
「いや、ちょっと昔を思い出してね」
「フン、若造が気取りおってからに・・・どうせお前の思い出などワシを困らせたことばかりではないのか?」
それは、そうかもしれない。ドラゴンも物好きなもので、よくもまあ20年以上も僕の面倒をみてくれたものだ。
普通なら、途中で愛想を尽かしたドラゴンに食われてしまってもおかしくないくらいなのに。
「で、でも楽しい思い出もあるじゃないか。ほら、僕が5歳くらいの時にさ・・・」
「ああ、お前を少し離れたところにある泉へ連れて行ったことがあったな・・・」
ドラゴンがその時のことを思い出すように天を仰ぎ、再び僕に視線を向ける。
「あの時は確か溺れたお前をワシが助けに行ったような記憶があるが?」
顔をしかめながらそう言ったドラゴンの様子に、僕は慌てて他の話題を振った。
「そ、そうだっけ?あ、あと森に僕の大好きな林檎を採りにいったことも・・・」
「木から落ちてきたお前を受け止め損ねてワシも痛い思いを・・・」
「うぐ・・・」
そう言われると、僕はドラゴンにいつも迷惑ばかりかけていたような気がする。

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