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隣町2

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
結局、スラグはよく泣いた。
杯戸のワイシャツに水分がしっかりと染み入り、晩飯を食いながら涙を流し、風呂場からは嗚咽が聞こえてきた。
堰を切ったように流れ出した涙はなかなか止まることをせず、杯戸はいつもよりかなり早い時間に、疲れ果てて船を漕ぎ始めたスラグを部屋に運ばなくてはならなかった。
スラグをベッドの上に寝かせ、杯戸は自室に入る。
今夜は、寝られそうになかった。
まるで起きた直後のように脳が活発だ。
もっとも、最近は寝付きが悪く、朝は辛いことが多かったが。
カルーアミルクなんぞを傾けながら、ベッド脇のノートPCに向かう。
そろそろスラグにも1台用意してやろうか、などと、うつらうつらと考えながらパッドを擦り、叩く。
溜息をつきながら、メインPCに保管してある「見られたくない類」をノートに転送する。
・・・これから先、どの程度使うんかね・・・。
「さて、と――、」
杯戸は次々切り替わり表示される移動中のファイル名から目を離す。
マズルを鼻筋に沿って撫でながら、久々に埃を被った本棚に向かう。
何となく、今日はそんな気分だった。

――飼い主の竜がスラグの体に馬乗りになる。
苦しい。
胸郭が圧迫され、肺が広がらなくなる。
堪らずに息を吐いた瞬間、巨大な掌が気道をつぶす。
ぎゅぅ、と変な声が漏れた。
両手を使って竜の手を引き剥がそうとするが、やはりびくともしない。
一瞬で諦める。
と同時に、心の中に死の恐怖が沸き上がってくる。
つぶれた喉から蛙の鳴くような声を微かに上げながら、スラグは両手を滅茶苦茶に振り回した。
衣類や靴が金属製の足場に当たり、甲高い音がか細く響く。
拳が竜の腕に当たり、一瞬力が緩んだ隙に微かに呼吸をする。
竜が咆哮を上げ、更に力を込める。
「げっ――、」
スラグの口から叫び声の切れ端が漏れる。
一瞬で脱力し、微かに感覚の残る手が足場の金属に触れた。
残りの感覚を頼りに、辛うじてバタつくスラグの指先に、釘打ち機が触れた。
掴む。
残りの力を振り絞る。
振り回した勢いに引っ張られるように、機械を掴んだスラグの腕が上がる。
射出口が、竜の顎に触れる。
竜が下顎の柔らかい部分に触れた異物に気付き、ん?と声を上げた。
スラグは無我夢中でトリガーを引いた。
どすっ、どすっ、どすっ、
「あ、あ、あ、あ、あ、」
文字通り矢継ぎ早に、釘が射出される。
尖った金属片は、舌と上顎を突き破って頭骨内部に侵入し、頭蓋骨を砕いて外気に触れた直後、反射的に竜が出した右掌をも貫通し、顔面にその手を釘付けする。
一発打ち込まれるごとに、竜が意味もなく発声する。
「あ、あ゛、あぁ、んあ゛、ん゛ぇ、え゛ぇっ、げっ、」
声帯が破壊されて、少しずつ声が濁っていく。
スラグの首を絞めていた左手に、もう力は入っていなかった。
釘が一発体内に侵入する度に体が跳ね上がるように痙攣する。
弾を撃ち尽くした凶器が、引き金を引かれて無機質な音を立てる。
竜の巨体が、スラグの体の上に倒れ込み、どう、とこだまが帰るような音がした。
スラグは今度こそ脱力し、釘打ち機を放り投げた。
赤黒くてらてらと月明かりを反射しながら足場の上に落ちる。
大きな音が鳴り、機械に付着していた肉片が飛び散った。
スラグは横を見た。
顔面から無数の釘を生やし、片方の眼球は完全に潰れた竜の頭部。
急に、自分のしでかしたことを突きつけられる。
体をどかそうともがく。
揺れる竜の口内から、破壊された上額から流れ込んだ脳漿がどぼどぼと零れ落ちる。
スラグは吐き気を催し、口を両手で塞いだ。
「・・・うっ・・・、」

「はぁ――。」
杯戸は本を閉じ、埃まみれの本棚に戻す。
書物や音楽、映画なんかはあっちの物の方が良いな、なんて事を考える。
「・・・スラグも来たし、一回くらい連れて行きてーな。」
独り言を零しながら、ベッドに横になり、天井を見つめる。
「・・・寝るか。」
スラグを部屋に入れてから、もうすぐ3時間になる。
時計を見ながら、電気を消すために立ち上がると、
「お?」
部屋の入り口に、枕を持って立つスラグ。
「どうした?寝てなかったのか。」
スラグは首を横に振り、
「・・・あんまり、良くないことを・・・思い出したから・・・。」
「・・・寝られそうか?」
スラグは首を横に強く振る。
杯戸は少し考えてから、
「・・・ま、嫌じゃなかったら、入れよ。」
と、布団をめくりながら言った。
うん、と肯いたスラグは、枕をベッドに置き、その脇に腰掛けた。
杯戸はそれを見て口元を緩め、スラグのスペースを空けて横になる。
スラグは腰掛けた体勢のままで体を横に倒し、杯戸に背を向けるような格好で体を横たえる。
「電気消すぞ。」
スラグが肯くのを待って、杯戸は電気を消した。

――――。

ぴー。
壁に掛けてあるデジタル時計が、0時丁度を示して電子音を鳴らす。
昼間散々泣いたスラグは、嗚咽こそ漏らさなかったが安定しない様子で、深呼吸を繰り返すように呼吸していた。
「大丈夫か?」
杯戸はスラグに触らずに、声を掛ける。
「・・・おーい。」
スラグの呼吸が浅くなる。
「んー。」
だいぶ落ち着いてから、杯戸に背を向けたままのスラグが返事・・・、なのかよく分からない発声をする。
「だいじょぶ・・・。」
やや間を空けて、今度は返答を返す。
「何を、・・・思い出したって?」
杯戸が今度はスラグの肩に大きな手を置き、言った。
「まぁ、差し支えなければ教えてくれればいいんだが。」
そう言って、杯戸は待った。
何度か口を開きかけ、また閉じる動作を繰り返した後、スラグは、
「・・・サイクロイドで、竜を・・・、殺しました。」
「・・・え。」
唐突に言った。
スラグ自身、ここまであっさりと話してしまえるとは思っていなかったのだが。
ただ、話しても良いと思ったタイミングで、杯戸がそのことについて触れてきただけだ。
それだけのことだが、スラグにはとても有り難かった。
「そうか・・・。」
杯戸は言った。
特に感慨もない声であったし、杯戸自身、それに関してある種の納得と言える以外の深い感情は抱かなかった。
むしろ、それだけ大きな秘密を抱え、スラグ自身がしてしまったことに、保護するべき杯戸と言う存在に怯えながら耐えてきたスラグが不憫で仕方なかった。
ここで聞いてしまって、今日引っかかりを多少でも流せてしまって良かった。
杯戸はスラグの体を、再度強く抱いた。
熱を持ち、熱かった。
「・・・その後、・・・逃げて、そのまま遺棄物扱いで列車に乗りました。」
スラグがまた声を震わせながら話す。
「――――ッ。」
杯戸はその胸にスラグの顔を押し付ける。
「・・・もう、良い。」
杯戸は言った。
「辛いなら思い出さなくても良い、怖いなら話さなくても良い。」
スラグを抱く手に力を込める。
「どーせ俺は、お前のこと捨てやしねーから。」
スラグが杯戸を見上げ、髪の毛に触ろうとしていた杯戸と目が合った。
「・・・迷惑かもしれんが、・・・俺はスラグのこと、好きだし。」
杯戸はそう言うと、スラグの顔の涙を拭う。
「・・・いや、俺も、遅かれ早かれお前に話しとかないといけない事があってだな。」
杯戸は視線を正面に戻した。
スラグと同じように、言いたいことを一気に吐き出す。
「・・・俺、人間の雄が好きなんだよ。」
スラグの頭を撫でながら言う。
「性的な対象としても、文字通りも、だが。」
杯戸はスラグを抱く手を緩め、頭を撫でる手を止める。
「それでも、・・・お前のこと、・・・好きだっつっても良いか?」
「・・・・・・・・・。」
スラグは何も言えず、自分を抱く手に触れた。

素直に、嬉しい。
スラグと杯戸の決定的な距離を埋める何かはまだ無いかもしれないが、スラグも確かに、杯戸のことは嫌いではない。
嫌われたくないし、自分のせいで傷ついて欲しくもない。
他の存在に好いてもらえる、と言う事実も、心強い。
が、明らかに異常だ。
スラグはこれまで恋愛沙汰なんて物とは無縁で生きてきたから、そこまで偉そうな口を聞けるとは思わない。
が、竜と人間だ。
しかも雄同士。
これが普通でないことくらいは分かる。
そこに飛び込む覚悟が足りない気がした。
「・・・やっぱ、そこまでは駄目か・・・。」
黙ったままのスラグに、杯戸が笑って言った。
抱いていた手を離す。
「・・・あ・・・。」
スラグは反射的に出た自分自身の声を聞いた。
片手は無意識に杯戸の手を掴んでいた。
心細い・・・?
はたと気付く。
スラグ自身、自身が異常だと思っていた状態を、心地よく感じていた・・・?
「あ・・・あの・・・。」
何も考えず、言う。
「い・・・嫌じゃ・・・ない・・・です・・・。」
杯戸の動きが止まる。
「・・・ホントか?」
「・・・うん。」
スラグが頷く。
杯戸が、今度はゆっくりと、スラグの背中を抱き寄せる。
スラグは力を抜き、杯戸に身を委ねる。
そのまま暫く、お互い黙ったままで時間が流れた。
時計は、0時15分を回った。
「・・・もっと触って良い?」
スラグが肯く。
杯戸はスラグの服の上から、胸を、腹を、竜の大きな掌でその形をくまなく眺めるように擦る。
今まで押さえつけてきた雄の部分を解放する。
スラグが杯戸の太い腕に細やかな指を這わせる。
それが杯戸の興奮に拍車をかける。
杯戸は、スラグを抱く手に力を込める。
「・・・ん・・・?」
スラグは自分の股に触れる杯戸の腕から逃れるように、杯戸に尻を押し付ける。
「・・・これお前起ってんじゃねーか?」
スラグのそれを触りながら杯戸が言う。
少し、頬が緩んでいた。
「・・・ちょっとだけ・・・。」
恥ずかしそうに顔を赤くするスラグの胸を抱き、杯戸はスラグの、竜のそれとは全く違う男根を、片手で優しく包む。
ぅ・・・、と声を漏らすスラグの赤い顔を見ながら、
「これでちょっとなら、全開がどうなるか興味あるな・・・。」
敏感な先端部分を少しずつ露出させる。
指先で刺激すると、スラグが明らかに今までの比でない反応を示した。
湿った声を上げながら、悶えるように押し付けられる腰を、杯戸が抱く。
染み出してくる粘性のある潤滑剤を用いて、先端を手の中で転がす。
スラグは自分を抱く竜の腕を抱き、入らない力を入れてその感覚から逃れようとする。
歪めた顔から泣き声のような、押し殺した叫び声が漏れる。
杯戸は叫び声を聞き、手を止めた。
抱かれたままで荒い息をするスラグを覗き込み、大丈夫かと聞いた。
「・・・・・・う・・・ん・・・。」
スラグは自分の鼓動を聞きながら肯いた。
杯戸はスラグをを抱いた手で彼の顔を撫でる。
「・・・もう、止めるか?」
恐る恐る聞く。
スラグは今度は首を横に振る。
止めないで、と言って、杯戸の腕に自分の細い腕を絡み付かせる。
離れたくない、独りになりたくない。
スラグは自ら杯戸の手を掴み、自身の物へと導く。
太股の付け根に圧力を感じる。
杯戸も興奮してくれている、と思う。
それを嬉しいと思うことに、もはや何の抵抗もなかった。
「う・・・わ。」
スラグに導かれるまま、その竿を片手で覆った直後、杯戸は体に似合わない声を上げ、眉間に皺を寄せた。
スラグの太股が、立ち上がってきた杯戸のそれを挟み、瞬間的に快楽の電流が走った。
スラグ刺激を与える度、自分自身にも強烈な波が帰ってくる。
それは決して今まで自分や、スラグ以外の存在によって与えられた物よりも上質であったわけではない。
刺激そのものについて言うのならば、自分自身でそれを行うときの方が圧倒的に上だ。
それとは根本的に異なる快楽が、そこにはあった。
この状況。
竜である自分の胸に抱かれ、細い腰をくねらせ、押し寄せる波に押し倒されまいともがく人間。
その人間と同じ場所にいて、感覚を共有している竜である自分。
スラグという存在が、自分の中で大きな物になり続ける事実。
スラグの中の自分の存在が、確実に育ち続けている感覚。
人間を抱いている竜。
杯戸自身。
人間に、スラグに与え、与えられる刺激。
その感情の高ぶり。
すべてを超え、スラグが世界中で一番愛しい存在になる。
自分とか例外の存在が、この世界から消え去る。
「はぁっ・・・!」
「くっ・・・ッ!」
杯戸がスラグの太股に乳白色の液体を吐き出すのと、スラグが杯戸の両手を白濁液で汚すのはほぼ同時だった。
スラグはしばらく揺れ戻しに体を振るわせ、高い声を漏らしながら最後の一滴まで感覚を味わう。
杯戸はなかなか萎えない自身の一物に、スラグの液体で汚れた掌を這わせ、反対の腕でスラグを抱きしめる。
最初にお互いの鼓動。
暫くすると息遣い。
蛍光灯の光。
脳に入る情報が少しずつ増加し、断片的だったそれはやがて元通りに意味を持ち始める。
杯戸に求められるがまま、スラグは杯戸の手を握る。
杯戸の呼吸に併せて上下する胸の上で肩を上下させながら、杯戸の顔を見上げる。
杯戸は放心したように天井を見上げていた。
杯戸は深呼吸して呼吸を整える。
かなりの時間、天井を睨みつけていた。
スラグの顔を見るのが、怖かった。
数分掛けて呼吸を落ち着ける間、スラグは何も言わず、行為の最中に服がはだけて露出した杯戸の胸に耳を当て、鼓動で鼓膜を振るわせていた。
「・・・シャワー、行かねーとな。」
数分掛けて、杯戸はスラグを見下ろし、言った。
素の声だった。
スラグは杯戸を見上げ、疲れて目を腫らしてはいたが、穏やかな顔で頷いた。

シャワーヘッドから熱めのお湯が噴出し、竜と人間の体を舐める。
それぞれ向けに作られた2種類のヘッドからの流水は、溶け合い、混ざり合ってタイルの上でその境界を失くす。
「・・・大丈夫か?」
今日何度目かの問いを、杯戸が口にする。
スラグが頷くと安心したのか、杯戸は目を閉じて上を向く。
鼻先に滴り落ちた湯が、栗色の髪の毛に、喉に、その下の鎖骨を回って隆々の胸へと流れる。
暫くの間、2人ともそのままひたすら水を受ける。
きゅ。
杯戸が水を止め、言った。
「・・・また・・・、今日みたいな事、しても良いか?」
「・・・俺の部屋・・・、要らなかったね・・・。」
スラグはそう言うと、先に出て待ってると言って浴室を後にする。
ごわごわした布が、体を擦る音が聞こえた。
一人残った杯戸の耳には、二つのヘッドから落ちる雫の音が残る。
「・・・・・・必要だったさ。」
杯戸はスラグの後を追う。
タイルの上に波紋が1つ、大きく広がり、やがて、消えた。

あの一件から2日経った。
杯戸は光を放ちながら声を発し始めたばかりのテレビから目をそらし、リモコンをテーブルに放り投げた。
腰から首までをソファーの曲線に合わせ、天井を仰ぐ。
溜息をつく。
何も纏っていない胸が、呼吸に合わせて広がり、縮む。
脱衣場の扉が開き、スラグが姿を見せた。
濡れた髪を拭きながら、杯戸の隣に腰掛ける。
あの日、スラグは結局自分の部屋に戻らずに、杯戸と一緒に寝た。
その翌日、つまり昨日だが、杯戸とスラグでスラグのベッドを杯戸の部屋に移動させた。
スラグの部屋は、西日が射し込む書庫になった。
杯戸の部屋にあった現地版の若干高価な書物のコレクションは、スラグもストレス無く取り出せる高さの本棚に入れ替えた。
都会のマンションとしてはかなり広い部屋の模様替えと掃除がすべて完了したのは今日の昼過ぎで、杯戸たちは若干早めの入浴を済ませたところだ。
「何とか年明けまでに間に合ったな。」
大幅に家具の配置が変わったリビングを見渡し、杯戸が言う。
「思ったよりも早く済んだね。」
「お前が思ったよりも動いたからな。」
杯戸が鼻先をスラグに向け、微妙に塗れたスラグの頭をわしわしと撫でた。
スラグは猫がそうするように目を細め、「飼い主」である竜の肩に体を預けた。
「晩飯、まだ掛かるな。」
時計は午後7時を回ったところだ。
杯戸は掃除に丸1日掛けるつもりでいたため、夕食の出前をかなり遅い時間に予約していたのだ。
横を見ると、スラグが肩に頭を乗せたまま寝息を立てていた。
「おーい。」
肩を揺らして起こす。
「大晦日くらい起きてろよ、もうじき晩飯届くから。」
スラグは「うー」と返答をし、コーヒー煎れてくる、と言ってダイニングに向かった。
「時間あるだろ?インスタントじゃない奴にしてくれ。」
杯戸に返事を返したスラグは、早速薬缶に湯を沸かしはじめ、冷凍庫から大陸産の豆の大袋を取り出す。
フィルターをセットし、ドリップしながら大小2つのカップを取り出す。
忙しく動き回る小さな背中を見ながら、杯戸は綺麗に通った自らの鼻筋を撫でた。
癖だ。
今日スラグにそう言われたのを思い出し、何となく手を引っ込める。
それにしても、と杯戸は思う。
それにしても、この短期間によくまあこんだけ丸くなったもんだ。
スラグの適応能力に内心舌を巻きながらも、何事もなく年末を迎えられたことにほっと胸をなで下ろす。
よく頑張った、と思う。
ん、と目の前に置かれたカップに目をやる。
持ってきた人間を見る。
スラグはカーペットの上に腰を下ろし、自分で煎れたコーヒーを啜っていた。
「ちょっと苦いね。」
「・・・ああ。」
杯戸はコーヒーに口を付けていなかったが、そう言った。
「・・・俺は好きだが・・・。」
杯戸はコーヒーを口に含み、そう言った。
隣に座ったスラグの背中。
僅かに猫背になり、押さえようとしてはいるが左膝が貧乏揺すりをしていた。
細い背中が振り返り、カップの中身とスラグの瞳が見えた。
「どしたの?」
スラグは杯戸の鼻先を覗き込む。
「・・・いや、何でもない。」
杯戸はコーヒーを飲み干した。
かなり熱かったが、気にならなかった。
スラグがカップから手を離すのを待ち、その体を膝の上に載せる。
いきなりの杯戸の行動に驚いたスラグが何も出来ないでいる間に、杯戸はスラグの右肩に自分の顎を載せ、体を強く抱く。
半裸の体に、薄着のスラグの体温が伝わる。
口を開きかけ、言葉が出てこずにまた閉じる。
そこを何度も何度も徘徊する。
喉まできている蟠りを、咄嗟に言葉に紡ぎ出すほど、杯戸の脳味噌は立派ではない。
「・・・お疲れ様。」
長い時間かけて、その一言を吐き出した。
うん、とスラグが頷く。
「ありがと。」
杯戸がスラグの手を握り、スラグも握り返した。
僅かに残ったコーヒーが湯気を上げ、窓を結露させる。
その外を、冷たい、霙混じりの雨が伝い始めた。

「そういえば、」
2人で布団に潜り込んだ直後、杯戸が思い出したように呟いた。
「もうすぐお前、誕生日だよな?」
「ん・・・?あぁ、うん。」
スラグは沈みかけていた意識をサルベージされ、半分寝ぼけて答える。
「・・・覚えてたんだ・・・。」
「あぁ、1月29日だろ?資料に書いてあったしな。」
最近は2人での生活も板に付いてきた感がある。
野郎2人で1つの布団で寝るのも、そろそろ慣れた。
「・・・そんなことまで書いてあるんだ・・・。」
スラグは前を向いたまま、こぼすように言った。
「ああ、・・・19だよな、次。何か、欲しいものとかあるか?」
「いいよ、そんなの。杯戸には俺、なんにもあげられないし。・・・あれ?」
何か言おうとする杯戸に気付かず、スラグは続ける。
「今、俺何歳?」
「18だろ?資料に書いてあったぞ?」
「いや・・・17なんだけど・・・。」
杯戸が、は?と言って、ベット脇の机の鍵付きの引き出しから資料を取り出す。
「ここには18って書いてあるぞ。」
因みに、杯戸はスラグにその資料を見せようとしないし、自分から見ることもあまりしない。
杯戸なりの気遣いだ、と、スラグは思う。
「早生まれだから間違えられたんでしょ。前にもそんなことあったし。」
「あー待て待て。っつーことは、だ。」
杯戸がスラグを遮って言う。
「コレでお前18ってことは、ハタチまではあと2年ある、と。」
「あー、うん、そうなるね。」
人間の自立は大体20歳がボーダーだ。
インボリュートでもそれは同じで、20歳を過ぎた人間は、たとえ飼われている身であったとしても、自らの意志で自立することが認められる。
無論、「飼い人間」の立場を捨てない、という選択しも存在するわけで。
「でも、生活力全然無いから、多分もうしばらく面倒見て貰うことになるよ。多分、この町で1人でなんか暮らせないし。」
「・・・ああ。」
杯戸はスラグを抱きながら、返事とも溜息ともつかない声を発した。
「明日から出張だったよね?」
スラグはそのまま、杯戸の腕を抱き寄せながら言った。
「土日になんて珍しいじゃん。」
「世の中には、土日も働きたいやつらも多いんだろ。」
杯戸はスラグの頭に喉で触れながら、独りごちるように言って、
「日曜の日没までには帰る。」
と、スラグに向かって言った。
前日から降り始めた雪が、窓の外を舞い、音を吸い取っていった。

杯戸を見送り、スラグはいつもの平日のように1人で家事を済ませた。
男2人の家の家事は、基本的に半日程度で一区切り付く。
1人で軽めの昼食を済ませ、ソファーに座った。
――あと2年。
長いようで、短い。
正直な話、いつまでもここに居たい。
が、大きな問題が1つ。
人間は、誰しも老化する。
人間でなくてもそうだが、スラグのような者は100年もすれば死ぬのが普通だ。
かたや杯戸。
現年齢が100歳で、まだまだ現役。
と、言うか若い方。
スラグは間違いなく、杯戸より先に死ぬ。
自分が老衰していく様を見て、その時はまだ元気であろう杯戸はどう感じるだろうか。
こんなことを心配できる時点で、自分は幸せ者だと思う。
少し前まで、自分が明日まで生きていられるかの心配をしていたくらいなのに。
だが、杯戸の年齢があと100歳上がるまで、生きている自信はない。
雪は細かい粒になり、窓の外を滑り落ちていく。
窓に吸い付いた結晶が、一瞬でその形を失い、水滴が残った。

土曜の夜、杯戸はいつもと同じ隔離区域を抜け、人間向きの地下鉄のホームの壁1枚奥にある専用線の駅に降り立った。
東京は通い慣れている。
コンクリート1枚を隔てて、自分たちが存在することをすら知らない人間たちの生活と接続している。
その事実が心地よくもあり、歯痒くもあった。
今日のミーティングを終え、普段から通っているバーに顔を出すことにする。
20年来のつきあいで、昔からこの町に来たときはこの店に顔を出すことに決めている。
業界最大手の人間用会議室に半日座らされ、低い天井に頭をぶつけないように首を縮めていたせいで、肩に石が詰まっているようだった。
腕を回してほぐしながら、いつもの店に入る。
カウンターに居たのは、マスターの妻だけだった。
「あれ・・・マスター居ないなんて珍しいな。」
椅子に座りながら、妻に話しかける。
キープしていたボトルを傾けながらそれを聞いていた彼女は、表情を変えずに答えた。
「・・・あの人なら、年末に亡くなりましたよ。」
グラスか出される。
「・・・え?」
グラスに手を付けずに、杯戸は聞いた。
「死んだ・・・ってこと・・・ですよね・・・。」
「そう。貴方、随分と長いこと通ってくれてたみたいね。主人がよく話してたわ、貴方のこと。」
口に小さく寂しげな笑みをたたえながら、未亡人は言った。
「前に来たときは元気だったのに・・・。」
スラグが来る直前のことだ。
「そりゃあ、75超えたらいつ逝ってもおかしくはないでしょう。」
ようやく飲み物に口を付けた杯戸に向かってか、自分に向かってか。
彼女は呟いた。
「でも、決定的に老衰するところを貴方に見られなくて、主人はまだ幸せだったでしょうね。」
手を止める。
彼女が続ける。
「老衰ってのはね、若い人に見られてると惨めに感じる人も居るから。」
その目は、杯戸でも店の中でもなく、どこか遠くを見ているような目だった。
杯戸は自分のグラスを弄びながら、氷が音を立てる様を眺めていた。
「ただ、ね。」
不意に、彼女が口を開いた。
「貴方のように、数百年生きていられる存在に慕ってもらえたと言うことは、数百年の間、自分のことを覚えていてもらえるということだわ。それは、とても幸せなことだと思うのよね・・・。」
彼女の言葉が、杯戸の頭蓋の中で、残響のように、長い尾を引いた。

日曜の午後4時を回った頃、杯戸が帰ってきた。
「あ、おかえり。」
杯戸は何も言わず、荷物を床に置く。
「杯・・・、」
スラグは杯戸の名を呼ぼうとして、声を詰まらせた。
杯戸がスーツを着たまま、スラグの体を抱いたからだ。
窓から射し込む西日が、家具や壁の隙間をすり抜けて、清潔なフローリングの廊下に線を引いていた。
「・・・ねぇ・・・、・・・ちょっと、どうしたのさ。」
スラグはそうは言ったが抵抗はせず、側頭部を杯戸の胸元にもたせ、彼の左胸に手を当てた。
「・・・いや、・・・何でもない。」
杯戸はそれだけ言って手を離し、上着を脱ぎにかかった。
「・・・明日から、泊まりがけで出かけるか。」
脱いだ上着を掛け、ネクタイを緩めながら、杯戸は改めて口を開いた。
「・・・は?」
スラグが驚いたように言う。
「いや、ちょっと、連れて行きたいところがあってな。」
杯戸はリビングのテーブルの脇に腰掛け、その上に指で地図を描きながら、
「ここが、この町がある島な。」
と言って、小さな円を描く。
スラグは脇にちょこなんと腰掛け、その様を眺める。
「で、この中にインボリュートやらがあるわけだが、ここから若干南下すると、弓なりに反った列島がある。」
杯戸が示したその輪郭は、スラグの目にはタツノオトシゴのような形に写った。
「この列島が1つの国家になってるんだが、」
杯戸はその中の、ちょうど腹の部分の一点を指す。
「ここだ。」
未だにきょとんとしているスラグの方を見た。
「今まで居たんだが、次はお前連れて行こうと思ってな。」
「・・・で、何があるの?そこ。」
スラグがようやく口を開く。
「行きゃー分かるさ。」
杯戸は何となく腑に落ちない顔をしているスラグの頭を撫で、立ち上がった。
もう、明日、スラグに何を言うかは決めている。
彼が人間に混じって生活したければ、止めるつもりはなかった。
杯戸自身、完全に吹っ切れた訳ではないけれど。
「とりあえず、人間向きの物品が手に入りやすいからな。何かあったら買おう。」
「あ・・・いや、でも・・・、」
3ヶ月前には考えてもみなかったこと。
コイツが来てから、杯戸の中で何かが明らかに変化していた。
杯戸は、スラグの顔をもう一度見た。
西日の影が揺れる。
「・・・俺の誕生日には、お前が来た。俺はそれだけで良い。」
あと2年。
長いか短いかは分からない。
ひょっとしたらもっと長い間かもしれない。
杯戸には、スラグと一緒にいられる間に、彼に今まで与えられた以上の物を与えてやれる自信がない。
それでも良い、と言うのは、人生に達観するだけの時間の余裕を持った竜の傲慢かもしれない。
しかし、杯戸は、純粋にそれで良いと思えたのだ。
そこには、今まで培ってきた理屈とかいったものは存在しなかった。
少なくとも、一緒にいられる間に、できる限りのことをしてやろう。
それだけあれば、今の杯戸には充分だった。
これでとどめとばかりに、杯戸はスラグを抱いた。
竜のそれよりも高い体温が、心地良かった。

――了――


感想

  • ドラゴンとこんな関係になれるなら飼われたいです!!
    あと、釘打ち機を仕事で使ってるから、読んでて指に刺さった
    時の事思い出しちゃいましたW -- ct (2008-01-28 01:15:14)
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