裏窓6

    

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中庭の内部は、東西南北に十字を描くようなメインストリートから、細かいフロックを形作るような枝が分かれたような地理になっている。
南と東に住宅街、北と西に工業施設や加工施設などの設備がそれぞれ存在する。
中心部にはメインストリートの交差点を覆うようにアーケードが設けられ、大型商用施設が設置されていた。
フィアと出会った直後に通り抜けたアーケードとは正反対の、計画的に整備された整然としたアーケードだ。
俺たちは一路、竜人連中や一部の人間(人間の寝返りも結構あったと見える)達が行動を開始してひしめき始めたメインストリートを北上する。
俺自身見慣れた町並みの中に物々しいカラーリングのトラックやらが雑多に並ぶと、何だか妙な気がした。
だがそれも南側のみ。
現在、竜人勢が制圧しているのは北側を除く全てのブロックと聞いていたが、中心部は恐ろしいほど閑散とし、アーケードの入り口まで行くともう、生き物の気配すら感じられない。
車内の緊張感も、否応なしに上がってくる。
ジープを減速させ、片側3車線の車道が抜ける巨大な建物の中に、ノロノロと呑み込まれる。
「うわー・・・。」
出口までは約300m。
何となく声が漏れる。
「・・・何台かで連れ立ってきた方が良かったなこりゃあ・・・。」
イリスがハンドルを握って舌打ちをしながら言う。
「あんまり大勢で行くと、逆に目立つと思ったんだが・・・。」
言い訳するように独りごちる。
「目立つって・・・。・・・目立っちゃマズかったの?」
イリスに聞くと、後ろで黒が代わりに答えた。
「もう大事件だからな。その勝敗がお前の存在にかかってんだ。」
「勝敗って・・・」
「お前が居なくなれば、人間が竜人に帰属って事態は避けられる。・・・当座はな。」
「お前という、それがうまく行った好例が居なくなればな。」
イリスがフロントガラスを睨みつけながら言う。
「んま、お互いの意地だわね。」
ルネが投げたように続けた。

――きっ。

その時、イリスがタイヤを軋ませて車を止めた。
速度は大して出ていなかったが、シートベルトをしていない後ろの席は、全員見事に鼻先を前の座席に叩きつけられた。
「熱ッ!」
「痛った・・・。」
「悪い・・・。」
リオンはどうやら、持っていた熱めの液体をこぼしたと見える。
車を止めたイリスが、珍しくすぐに謝った。
「どした?」
黒が座席の間だから身を乗り出して、車を止めた原因を探し始める。
「・・・角の2階の窓ガラス・・・。何か動いた。」
イリスが前方を指さして言う。
「どうする?」
俺が聞くと、イリスは無言でギアをリバースに入れる。
気の抜けるようなエンジン音を立てながら、ジープが後退する。
「・・・速度上げるぞ。」
アーケードの入り口付近まで後退し、ギアをローに。
後ろの3人が、一斉にシートベルトを着け始める。
独特の衣擦れと、金属音が鳴った。
全員が奥歯を噛みしめたのを確認し、イリスはアクセルを、蹴り飛ばすような勢いで踏み込んだ。
エンジンが唸り、またタイヤが軋む。
リアガラスから見える景色に、灰色の排気が重なる。
がこっ。
セカンドに。
一度甲高くなったエンジン音が再度負荷を増す。
がこっ。
クラッチを戻し、ハンドルに左手を戻す。
低くなるエンジン音。
がこっ。
タコメーターが慌ただしく上下し、スピードメーターが50km/hを回る。
がこっ。
交差点に差し掛かる。
進入する。
設置された信号が、虚しく明滅する。
エンジン音が安定し、メーターが80km/hを跨ぐ。

ぼしゅっ。

「畜生。」
イリスが歯の隙間から漏らし、ギアをファーストに戻す。
と同時に、左手で力一杯サイドブレーキを引く。
右側に大きく傾き、バランスを失った車体は、盛大に火花を散らせながらアスファルトを削り、交差点の反対側の信号機に横向きに突っ込んだ。
俺の乗った側のドアがものの見事にひしゃげ、サイドミラーが吹っ飛び、粉々のガラスが降り注ぐ。
信号機が嫌な金属音を立てながら壁を削り、粉砕音と共に地面に投げ出される。
ボンネットが半分開き、白煙が上がった。
「大丈夫か。」
リオンが後ろを振り返る。
「平気だ・・・。」
黒が後ろでリオンとルネを抱いて言った。
あの一瞬で座席を倒し、2人を捕まえて固定したらしい。
自身も無傷だった。
「あぁ・・・畜生。」
イリスがもう一度言う。
「お前は?」
俺の方を見る。
「あぁ・・・平気。」
「それにしても、」
黒が後ろで口を開く。
「よく当てたな。」
「ああ。」
イリスも言う。
「とりあえず、バックアップやら何やら呼んどけ。」
黒がリオンに言い、リオンは後部ハッチの無線機に向かう。
「・・・それにしても、」
イリス。
「走ってる車のタイヤ狙撃って・・・。・・・人間業じゃないな。」
「・・・そーね。」
ルネが後ろを見ながら、
「どーも撃ったのは人間じゃないみたいだし・・・。」
リアガラスを見る。
細い黒い線の間に、複数の人間と、頭一つ分飛び出した、ライフル付きの尾のある影。
薄暗いので顔は判別できないが、その影は間違いなく人外のそれだった。
「こいつぁ、なかなか素敵な事になったな・・・。」
イリスが言う。
「おい!」
影が声を発した。
「人間以外、車内の武装を全て持って車から出ろ!」

黒達が、車から持ってきた荷物を地面に置く。
人間とおぼしき影が、1人ずつその後ろに立つのが見える。
開けっ放しのドアから、外の冷気が流れ込んだ。
俺は何も指示されていないので、勝手にドアを閉め、身を竦める。
後部座席にルネが置いていったと思われるコートを弄り、マズいものが入っていないことを確認し、羽織った。
周波数がさっきのままになっている無線機のダイヤルを適当に回し、電源を落とした。
・・・壊すまではやらなくてもいいだろうな。
助手席に戻ると、
かん。
運転席側のドアの窓ガラスが音を立てた。
右を見る。
「・・・げぇ・・・。」
いかにもヤバそうな風貌の竜人が、グロックの角でガラスを叩いていた。
・・・えーと。
まず目に入るのは、その体色。
紫て・・・。
で、それに、事もあればそれ自体が発光して見える長い長い白髪。
よく見えないが、これは多分腰辺りまで行ってる。
顔には・・・これってフェイスタトゥーなのか?
白で模様が描かれている。
目に痛いコントラストの顔。
それが真顔で車の脇に立ち、プラスチック製の小型拳銃持ってる様はなかなかシュールだ。
とりあえず、運転席側のドアノブを引く。
微妙にドアが開き、ポロポロとガラスの破片が零れ落ちた。
「すまんな。」
そう言いながら運転席に座る。
「いえ・・・。」
なんとなく敬語で返す。
「誰か呼んだのか?」
「・・・はい。」
竜連中、多分飛んでくるからな。
ここで嘘ついてもすぐバレる。
「そうか・・・。なら、あいつ等ここに置いてっても問題ないわけだな。」
紫の竜人はそう言って、外で人間にかなりの勢いでホールドアップな竜人の集団をしゃくる。
ちなみに、その間角張った銃口はずっと俺を向いている。
「はい。」
出来るだけ即答する。
背中に嫌な汗が溜まってきた。
「・・・これからどうなるか分かるな?」
頷く。
「大体は・・・。」
「・・・まぁ、俺もお前を殺したりはしたくない。」
竜人が続ける。
「俺がここで、こうしていられるのは、お前の存在によるところも大きいしな。」
そこまで言って黙る。
竜人の右腕の高そうな腕時計が、規則的な音を立てる。
「・・・・・・・・・・・・。」
外では相変わらず、黒達が寒そうな空気の中で棒立ちさせられている。
「・・・・・・・・・・・・ま、いいや。」
竜人が言って、ドアを開けて車から出る。
ドアを開け放し、銃口を俺に向けたままで、
「出ろ。」
と言った。
外は大分明るくなり、吐いた白い息が確認できる。
「どーせ誰かしら追っかけて来んだろ。」
黒達を指して竜人が言う。
白い空気の中、体色の紫が妙に浮き上がって見えた。
「あー・・・、はい。」
さっき呼んでたから間違いないな。
「因みにお前、自分という存在がどの程度ヤバいかは理解してるな?」
頷く。
さっき話したばっかりだし。
未だに銃がこっち向いてるので、声出すのが怖い。
全く、何でまた何奴も此奴も。
「んま、細かいことはあっちの車で話そうや。」
竜人が指さした先、北上するルートでは絶対に見えない場所に、ホロ付きのボロいトラック。
ああ、これは荷台だなと、反射的に理解した。

「しかしお前、イリスなんかとよく同居なんか出来たもんだな・・・。」
荷台の一番奥の隅に座らされると、竜人が口を開いた。
「・・・・・・。」
俺はなんと云えばいいんだ。
「・・・で、あれだ。」
竜人が仕切り直し。
「お前の存在は諸々の事情で抹消したい訳だが、個人的に俺はお前を殺したくないわけだよ。」
そう言って腕時計を確認する。
どうやらコイツ、左利きらしい。
「そろそろ上がるぞ!」
トラックの外に聞こえるように、叫ぶ。
「まあ、まずはこっちがお前のこと殺したくはないってことで理解してほしかったわけさ。」
荷台に強面のおにーさん達がドタドタと乗り込んでくる。
持ってきた武器一式のバッグは、一度荷台に持ち込まれてから、後ろから地面に落とされた。
甲高いエンジン音と共に、トラックが発進し、黒達のシルエットが遠ざかる。
「時間無いから簡単に。」
竜人が言う。
「俺はサヰ・・・と言えば、多分半分は分かるだろーから省略な。・・・聞いてるだろ?」
頷く。
俺が出てくる前に中庭に入った竜人。
「要約するとだな。」
竜人・・・サヰが、銃に入った弾を抜きながら言う。
「お前が放り出されたのは俺が入ったからだ。」
「は――?」
え・・・?
咄嗟に意味が分からない。
「人減らしには2つの意義があるって事。」
サヰが人差し指と中指を立てる。
「1つは単純なリストラ。中の人口が増えすぎたら減らす為に年寄りやら非労働者やら妙な思想持った奴やらを外に出し、優位性、発展性、安全性の高い者を増やす。」
・・・改めて聞くと酷い話だ。
「そして2つ目。外部から誰か、或いは何かが中庭に入ることを希望し、それが中庭に対しブラスになると判断された場合は、入ろうとしている者よりもランクが劣ると考えられる者をランダムに外に捨てる。」
「・・・・・・・・・・・・。」
サヰ以外は喋らないので、黙ると静かた。
エンジンが死にそうな叫び声を上げる。
いつものことなのか、全員特に気にする様子もない。
「因みに俺が入ったときは、中庭の中のほぼ全員の中からだった。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あれ。
コレってもしかして自慢されたのか?
笑うところなのか?
「・・・そりゃ、・・・人間と竜人じゃ、骨格からして体の造りが違いますからねえ・・・。」
一瞬遅れて反応する。
ギリギリ不自然ではなかった、と、思う。
「ははは・・・違いねー・・・。」
サヰがそう言って、抱えていた膝を伸ばした。
「人間なんて、所詮ニンゲンだしな・・・。」

中庭の中枢は、北側に集中している。
北側のほぼ2/3の面積を占める庁舎の敷地の中に、国家の3権とエネルギーがすべて詰め込まれている。
北側のゲートからは、発電のための化石燃料を搬入するために、ひっきりなしに大型の車両が出入りする。
ゲートのすぐ脇に乱立するタンクに燃料を持ち込み、すぐにとんぼ返りしてまた外に出る。
運転しているのが誰なのか、何なのかは分からない。
そのタンク群のすぐ脇、中庭内の照明、気温などの管理を一括して行う気象管理部の巨大な建物の前に、トラックは停車した。
内部は、天井はほぼ全面強化ガラスに覆われ、隅の方にすし詰め状態で稼働するコンピュータが固まって設置されているが、中でも目を引くのは、
「ガレージ・・・?これ。」
ヘリやら何やら。
サヰが先に立ち、仰々しく解説を入れる。
「有事の際に軍事関係の中枢として稼働する。ま、大々的に作るわけにも行かなかったんだろ、こんな施設。」
中庭内で戦争なんて、確かに有り得ないな。
あったとしても住人が認めないか・・・。
軍事支配には反感大きいだろーし。
「あぁ、お前は悪いがあっちの部屋・・・つーかコンテナだ。」
そう言ってサヰが指さした先には、トレーラーの荷台部分に乗せられた、赤茶色のコンテナ。
入り口のすぐ脇だ。
錆びているわけではなく、そういう塗装なのだが、何となく嫌な雰囲気を発している。
外部から電源を引いているらしく、天井部分からコードが延びていた。
「殺さないから安心しろ。ただ、・・・これから36時間くらい行方を眩ますか、24時間以内に俺がこれからお前にすることを外に出てからずっとやられてたって言えばいい。」
段々声の調子が変わる。
笑いを堪えている様な、震える声。
「虚偽の証言でも、考える猶予は充分あるさ。」
コンテナの後部を開ける。
と、同時に、首を後ろから片手で握られた。
警部の大事そうな血管が、爪の先に当たっているのが分かる。
「あぁ、因みに、証言早めることも出来るぞ。」
そう言いながら握力をかけ、俺は引きずられるようにコンテナに足を踏み入れた。
「お偉いさんは竜側に不利な証言欲しくて先走り流しながら息子握り込んでる。」
卑下た笑い声を上げる。
コンテナの中は、ちょうど真ん中に金網の仕切があり、半分に分けられていた。
その仕切の手前に、・・・あああああ見ない。
見てない見てない。
奥にはキャスター付きのステンレス製の椅子がひとつ。
背もたれを支える金属棒は、一応可動式になっているらしい。
メタリックなオフィスチェアだな。
「ほら、分かるだろ、奥だよ。」
促されるまま、椅子に座る。
「手錠よりも布の方が良いだろ。後ろ手に縛るから、楽な体制になるように手ぇ出せ。」
因みに、金網はもう閉められている。
かなり重そうな引き戸式なので、今必死になっても逃げられそうにない。
サヰは手際良く、物の数秒で俺の両手首を連結する。
どうやら「絞り」の様な構造になっているらしい。
「次、足。」
言われた通りに足を曲げる。
椅子のキャスター部と本体を結ぶ柱を回り、足首が繋がれる。
両手首に戻り、テープの様なもので布を覆われた。
後ろ手の状態で引きちぎるのは絶望的な状況にされる。
足首も同じように。
「うーん・・・震えてんな・・・。」
サヰが言う。
「早々とギブアップされても面白味がないな・・・。」
にやつきながら俺を眺める。
椅子に座った状態から動けないので、おそらくわざとであろう間を作りながら顎を掻く紫の竜人を見上げる。
あの、地下のアーケードで竜が見せたのとは違う、背筋が寒くなる表情だった。
「そーだ。」
サヰが実に楽しそうに言って、俺の顎を掴んで上を向かせる。
「ちょっと待ってろ♪」
いったん金網から外に出て、猿轡と布切れを持って戻ってきた。
「口開けて、これ噛めよ。」
首を振って拒否する。
嫌だと言うほど勇気はないが・・・。
「そうか・・・。」
ふーん、と言って、
「ぎゃん?!」
呼吸が出来なくなる。
鳩尾を殴られたらしいぞと、えらく冷静な意識が言った。
口を開き、新鮮な空気を腹に溜めようともがく。
涎が垂れる。
口に入る異物を下が追い出そうとする。
伸縮性のある布製の猿轡が歯に食い込み、後頭部で結ばれる。
その上からもう一枚の布で顔の下半分を覆われ、声は殆ど上げられなくなった。
頭の中でさっきまでのサヰと今の状況がミックスされて、酷く混乱した。
「まー、先ずは軽めに行くか。」
サヰが椅子を押して、金網から出る。
置いてあるセロテープ。
右手で2枚取り、指に貼る。
左手で首を押さえられ、膝に跨られた。
「これは定番だから知ってるよな?」
「うー・・・。」
かなりの声を上げたつもりだったのだが、すべて塞がれた穴に阻まれて出てこられない。
声が咽に溜まる。
首が動かせないので、抵抗できないまま、開いた瞼を固定される。
サヰが立ち上がる。
左目が閉じられない。
床の方を眺めるが、リノリウムだろうか、白い床に反射する照明が目に痛い。
手で目を覆おうとしたが、拘束されていて動かない。
結構、辛い。
しかも、これだけでは済まないことはもう充分思い知らされている。
「セロテープだから長続きはしないだろーな・・・。」
サヰが言って、床の影が近づく。
「LEDは短時間でも結構来るぜ?」
髪の毛を捕まれて顔を上げさせられると、医療用、高輝度高指向性使用のペンライトを持ったサヰ。
もう、泣きたくなった。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!んんんんんんんんんんっ!!」
小指とはいえ、爪は痛い。
左手小指から始まったサディスティック博物館は、開館から1時間半近く経っても、未だに小指から動かなかった。
薄目のナイフが小指とその爪の間に進入する。
サヰの実況付き。
目隠しまでされているので、耳元で囁くサヰの声以外の外的情報は一切無い。
聞きたくないと声を上げようにも、塞がれてるので意味がない。
「おいおい・・・まだ半分弱だぞ・・・。」
含んだような声でサヰが言う。
一度手を離し、俺の太股に座って左肩に顎を置き、両手を後ろに回して作業再開。
サヰの体重と椅子に体が挟まれ、両手両足は繋がれてるので動かせるのが首だけだ。
俺、もう多分完全に泣いてた、と、思う。
細い針みたいな何かが小指の第2間接の間に差し込まれたときに、微々たる俺の覚悟は完璧に崩壊した。
脳味噌の何も考えられない部分は、止めろ止めろ止めろと口を動かそうと試みるが、やたら冷静な部分がその隣にあって、なかなか興味深いとか、しばらく左手使えないなとか考えたりしている。
それが惨めで惨めで、もう泣いてるのに泣きたくなった。
「頑張れー。後1/3位だからー。」
へへへ・・・。
サヰが耳元で言う。
爪に密着している肉を削ぎ落とす。
そのたびに、指先に集まる敏感な末梢神経が悲鳴を上げる。
上げた悲鳴が終わらないうちに、新しい神経がつつき回される。
痛みで意識が飛びかけるが、新たな痛みがそれを許さない。
脱力し、硬質な肌の方に体を預けて、ひたすら惨めな声を上げる。
爪が根元まで剥がされ、激痛と共に引っこ抜かれた。
俺はそれと同時に、声にならないまま泣き声を上げる。
サヰが息を荒くし、ひきつったような笑い声を上げる。
信じられないことに、俺の下腹部に当たるサヰの雄の部分が、鼓動に合わせて硬度を増していく。
彼は剥がされる生爪にか、俺のくぐもった泣き声にかは定かでないが、今の状況に興奮しているらしい。
距離を置くことも出来ず、サヰの気が済むまで、今の状況と指の痛みに耐えるしかなかった。

中休みを挟みながら、口を解放されないままで出血し続け、感覚が無くなった指の骨を数本折られる。
目玉が飛び出るような錯覚に陥りながら、絶叫してみる。
それの呼吸が大体落ち着いてきた頃、唐突に目隠しをはずされた。
湿った目に光が滲みる。
「とまぁ。」
サヰが肩を揉みながら言う。
「大体6時間経った訳だがな・・・。」
右腕の腕時計を見やりながら、頭を掻く。
「ここいら辺で、君に何を求めてるのか教えることにしようかな・・・。」
さっきと口調が全く違う。
それはそれで不気味ではあった。
「簡単なんだけどな。」
サヰはそう言って、俺の頬に手を伸ばし、涙をすくった。
「単純に、今お前がやられてることを、外でやられた事にすればいいだけ。」
指についた俺の涙を嘗める。
「この体の写真と、証言の記録だけあれば、後は動くところが勝手に『報復』してくれる。」
分かるな?と言って、金網から出る。
「それで泥沼化しても、その頃には上ランクに居る奴は退避完了だ。面倒臭くなったら、庭ごと崩しちまえばいい。」
ランク、というのはさっき話していた、中庭に対して有益云々の話だろう。
金網を閉めて、置いてあるパイプ椅子に腰掛けた。
「そのためにこんな形になってんだしな・・・。」
「・・・?」
喋れないので疎通が出来たかどうかは微妙だが、崩す・・・?
「あぁ、そう言えばふつーの奴はそこから知らねーな・・・。」
サヰが手でドームを形作り、それをテーブルに伏せる。
「この中庭はな・・・、壁自体にC4が埋設してあってだ。」
伏せた手を持ち上げ、俺に内側を見せる。
「ここからその気になれば爆破できる。」
再度手をテーブルに戻す。
「ま、そーすると、」
手を開いてテーブルを叩く。
防音されているらしいコンテナの中に、派手な音が響き、消えた。

その後、拘束を解かれた俺は、コンテナから引きずり出された。
塔のエレベーターで竜人が俺に向けたような表情の人間が数人、俺を遠目から眺めていた。
事務所のような一角に連れて行かれる。
普通の事務所の待合室。
部屋の内側に鍵穴がついている以外は、だが。
置かれていたソファーをベッド代わりに、そこに放り出される。
気力も余力も使い果たしていて、抵抗できない。
部屋の填め殺しの窓ガラスはただのガラスのようで、ホールが見渡せた。
テーブルの上に、高カロリー高蛋白の固形食量が皿に盛られて放置され、その脇にペットボトルに入り、ストロー付きのゴム栓で蓋をされた水。
体を起こして、サヰと向かい合うように、ソファーに座る。
体がソファーのクッションに吸い込まれて、沈んでいくような気がした。
「気分は?」
ギャグで言っているのか。
首を振る。
「だろーな・・・。」
サヰはそう言って、背もたれに体を預ける。
「・・・手ぇ出せ。」
天井を睨みつけて言った。
従う俺。
どっこいしょと立ち上がって近くの机の上の救急箱を持つ。
そのまま戻ってきてその蓋を開けると、中には大量の包帯とガーゼ、それに添え木数本に瓶。
慣れた手つきで瓶を取り出し、中の液体をガーゼに含ませる。
爪の剥がれた左中指の先端にガーゼを当て、俺が微妙に上げた声を無視して包帯を巻く。
「・・・その気になったか?」
包帯の先端同士を結びながら、サヰが言った。
俺は何も答えられず、黙る。
「・・・そうか。」
包帯を鋏で切る。
今度は薬指。
同じようにガーゼに液体を飲ませる。
「何なんだ。」
爪を押さえながらサヰが静かに言った。
「何がお前のこと縛ってるんだ。」
包帯を取る。
淡々と、台本を読んでいるような口調だった。
「・・・実際、この事件がこの後どうなろうと、・・・お前は蚊帳の外じゃねーのか。」
さっきよりもきつく巻く。
「・・・・・・・・・・・・。」
それをただ見てる俺。
「1回だ、・・・1回嘘吐けば、俺もお前も何事もなく外に出られる。・・・お前が陥れた奴らもどーせ全員死ぬ。」
静かだが真に迫るサヰの台詞。
聞いていていたたまれなくなる台詞。
「いざとなったら俺が面倒見ても良い。・・・それ位の義理はある。」
「・・・・・・・・・・・・それは、」
「お前に落ち度は無いはずだ。・・・ここに、・・・あそこでお前が拘束されたのも、元はと言えばあいつ等の不手際だ、だろ?」
「違う・・・」
「違わねえ!」
サヰが大声を出し、テーブルを叩く。
「お前のせいじゃない、お前は何も悪くない、なのに・・・、何で耐えようとするんだ、・・・こんな理不尽に、・・・、」
また椅子に座って、呟きながら折られた指に添え木を当てる。
「何故だ。」
それっきり黙る。
指が包帯で覆われた。
一通りやることは済んだらしく、黙ったままでソファーに座り、床の一点を見つめる。
・・・。
「・・・・・・違う・・・と、思う。」
俺が口を開くと、サヰが俺の目を見る。
「借りって言うんなら・・・多分、サヰと同じように、俺もあいつ等に借りがある。」
叫んだせいか、声が嗄れている。
「それに、あいつ等のこと、それなりに好きだし・・・。」
これ飲んで良い?と聞いて、水を口に含む。
包帯が巻かれた手が滑り、持ちにくかった。
「だから、あいつ等には死んで欲しくない。・・・それに・・・。」
サヰの方を見る。
「人間のやることだから、俺もサヰも、捨て駒にされる気がする・・・。」
がたん、と立ち上がり、サヰが俺を睨む。
「・・・おい、手前ェ・・・、」
襟首を捕まれる。
「俺は体よく使われてるだけだってーのか・・・。」
「ただ・・・そんな気がするだけだよっ!」
サヰと同時に声を荒げる。
暫く睨みつけられる。
正直、怖い。
下腹部の毛が逆立つような気がした。
サヰが舌打ちして、俺をソファーに突き戻す。
「まぁ、」
自分は座らずに続けた。
「24時間もしたら結論も出るだろ・・・。」
救急箱を持つ。
「次・・・楽しみにしてるぜ?」
目が泳いでいたように見えた。

サヰはまた来ると言って部屋から出て、外側から鍵をかけた。
外にいる人間数人となにやら話をしてから、建物の外に出ていく。
元から逃げようなんて思ってないが。
適当に食事を済ませ、ソファーに座る。
上体を寝かせて、包帯を巻かれた手を眺める。
押さえてるからか、空気に触れないせいか、痛みはあまり感じない。
右手で包帯をなぞる。
「畜生・・・。・・・まぁ、・・・」
仰向けになって天井を見上げた。
・・・さっき言ったことだって根拠はない。
竜連中のことだし、多分俺がここにいることはもう感知してる。
そのうち誰か来るだろう。
・・・それにしても気になるのは、ここのあまりにちぐはぐな建物の構造だ。
この部屋自体はある程度使われた痕跡はあるのに、家具は新品。
しかも何でこんな施設がサヰ専用みたいな造りなんだ?
・・・これは、・・・やっぱり・・・。
「・・・その内全部分かるさ。」
考えるのを止めたかった。
15分程、そのまま時間をやり過ごす。

――ばたん。
「クソッタレ・・・。」

不意に扉が開き、俺は瞬時に身構えて体を起こした。
サヰだった。
俺が何か言う前に、来いと言って、首根っこを掴んで引きずり出す。
そのまま頚部に爪を立てる。
外には高級そうな白い車が1台止められて、中に偉そうな人間が座っていた。
サヰの悪態の真意を悟った気がした。
「コイツはどーなる・・・。」
サヰが車に向かって言う。
助手席の人間が言った。
「何度も言わせるな。私達はその人間にも、お前たちにも興味はない。」
運転席の人間が、助手席に何か耳打ちすると、助手席が頷く。
「私らはただ、増えすぎた人口を処理する必要があっただけだ。」
周りを見ると、サヰの周りにいたあの人間達はどこにも居なかった。
先に逃げたのかは知らんが。
「因みに起爆スイッチはゲートが閉まらんと使用できんぞ。・・・もっとも、もうゲートは動いているがな・・・。」
ゲート方面の壁はシャッターになっていたらしく、ガラス天井のホールの壁に大穴が開いていた。
「あぁ、ゲートが動いているからもう行かないと間に合わんな・・・、・・・ご苦労、後は勝手に処理しろ。」
と捨て台詞を残して車が急発進する。
サヰは俺を投げ捨ててから車に突進するが、流石に間に合わないだろうな、と思った。
中庭が潰れるのは避けられず、俺たちはやっぱり使い捨てだったな、と妙に納得した。
サヰが色々と絶叫するのを、地面にへたり込んだままで見つめる。
あぁ、何時の間にこんなに冷めちまったんだろうと思った。
車は広い広いホールを縦に走り抜け、外に出た、瞬間、シャッターの端から黒い4灯のヘッドライトのもう1台が顔を出し、重そうな音を立ててテールを派手に振りながら高級車同士、ケツをぶつけ合った。
白い方はそのまま、シャッターの反対側の壁に横向きにぶつかり、白をガードレール代わりにした黒が入れ違いに中に入ってきた。
あぁ、あの運転はイリスだなと思った。
サヰはシャッターと反対側の入り口付近に走り、車から距離を取る。
黒のベンツはそのまま横滑りしながら停車し、イリスが窓から顔を出す。
「上だ!早く入れ!!」
と叫ぶ。
サヰとほぼ同時に天井を見上げると、天井のガラスの向こうに、逆行の影。
サヰがコンピュータの一角の机の上のアタッシュケースごと下に入る。
車まで浮いたように走った俺はそのままイリスに車に引き込まれた。
今更白高級車が交代し、ホールの中で人間が外に出るのが見えた。
その遙か向こうでゲートが閉まる。
次の瞬間だった。
床のコンクリートが跳ね上がり、俺がさっきまで居た部屋のガラスが割れ、ソファーが弾ける。
派手な音を立てて脱落した強化ガラスと、アルミ合金の枠が、空中で静止した後降り注ぐ。
形を保ったままのガラスがヘリの上に置ち、プロペラが可哀想なことになる。
運転席と助手席で伏せてる俺たちの上にも色々降り注ぎ、ベンツの天井がぺこんぺこんと。
そのまましばらく待つ。
音が大分大人しくなる。
「・・・人間が北から一気に逃げたようだが、何があった。」
イリスが頭を抱えたままで言った。
流石、竜と組むと情報が早くなるな、と思った。
「中庭が崩れる・・・かもしれない。・・・アイツが・・・爆弾が・・・。」
考え込み過ぎか疲労からか、口が回らない。
「・・・とりあえずこっちも中庭内の手が回る範囲は避難させたが、他にやることは?」
「・・・逃げないと・・・、サヰも・・・逃がさないと・・・・・・。」
「・・・出来る限り頑張る・・・。・・・期待するな。」
ガラス片とコンクリートの中に、甲高い音と共に機銃が落下する。
サヰがそれを確認し、同じ様な銃が取り付けられている、近くの車に走った。
「おおおおおおおおおおおおおおおおらああああああああああああああああああああああああああっ!」
サヰが車に乗り込む寸前乗り込む寸前、猛スピードで突っ込んできた影がサヰにぶつかる。
機銃と同時にスタートし、彼に向かって飛び込んだ竜が、サヰを仰向けにして床に組み伏せる。
ガラス片の上を派手に滑り、サヰがうめき声を上げる。
サヰが引きずられた後のガラス片が赤く染まった。
サヰを押さえ付ける竜の顔を見る。
懐かしい顔。
桐生だった。
銃を投げ捨てた時点である程度勘はあったが、まぁ、撃ち合いは避けたのだろう。
アイツ、射撃関係はホントに駄目だし。
「右手だ!」
イリスが叫ぶのと、サヰがケースにぶら下がったスイッチに手をかけるのは同時だった。
スイッチのトリガーを握りしめたサヰの手を、上から桐生が握り、サヰが悲鳴を上げ、俺とイリスは頭を抱えてうずくまった。
そのままで暫く時間が過ぎる。
サヰの荒い息だけが聞こえた。
「・・・・・・・・・あれ。」
爆発・・・しない?
桐生とサヰの手に握りしめられて、スイッチは間違いなく動作しているはずなのだが・・・。
・・・一瞬考えて理解する。
あれが間違いなく起爆装置のスイッチだとして、だ。
確かに押されてはいる。
が、動作するのは手を離したとき。
少し前までのテレビやなんかのスイッチと同じだ。
と、言うことは、
「桐生!手ぇ離すな!」
イリスが叫ぶ。
「そいつを、」
イリスの言葉が止まる。
語尾は、乾いた破裂音にかき消される。
桐生の背中が赤く破裂し、血液と肉片が飛び散る。
腹から零れ出た臓腑にまみれたPA3が、傷口に密着していた。
桐生が、ごぷ、と吐血する。
口から出てきた血液は、傷口のそれと違ってどす黒かった。
浮いていた体がサヰの体の上に崩れ、握った手が震える。
踏みとどまって空いた手で短いショットガンの銃口付近を掴み、地面に叩き付ける。
「来るな!」
桐生が血液と一緒に叫ぶ。
「・・・スイッチの手・・・ヤバいんだよ・・・。」
そう言って左手をしゃくる。
「お前ら早く逃げろ。」
あいつ等に宜しく頼む、と言いかけ、口を噛みしめて声を上げる。
イリスが俺の肩を引き、車に引っ張る。
俺は動かない。
「・・・早くしろよ・・・、最期ぐらい・・・花持たせろよ・・・。」
声がぶれていなかった。
何というか、超越した人生観の向こうの声だった。
人間には吐けない重さだなと思った。
「あぁ、それから、」
桐生がまた口を開く。
「・・・お前、これから桐生名乗れよ。俺が許可するから。」
あぁ、この台詞が最後だなと思った。
「お前、俺のこと、影薄い奴だと思ってんだろ、どーせ。」
こーすりゃ忘れさせねーな、と言って笑った。
俺は首を振ることしかできない。
「ほら、桐生、早く行けよ。」
あああああ畜生、臭い台詞吐きやがって馬鹿野郎。
「・・・いろいろありがと。」
俺の台詞無いじゃねーか。
桐生が頷くのを確認し、ベンツに戻る。
桐生の首にしがみつきたい衝動に駆られた。
エンジンかかったベンツのドアを閉める。
「・・・よろしくだってさ。」
「・・・あぁ。」
ベルトしとけよ、とイリスは言い、そのまま俺の方を見ずにアクセルをふかした。
後ろもミラーも見ない。
見たら、仮にここを出ても、永久に出られない気がした。
アクセルをふかし、ギアを上げる。
ホールから出てすぐ左折する。
白のベンツと、ガラスまみれの死体を掠める。
6速まで上げたギアを一気に落としてブレーキをかけ、メインストリートに出る。
と、同時にハンドルを切り、アクセルをふかして後輪を浮かせたまま回転させる。
片側2車線の両側をフルに使ってドリフト。
体勢を立て直す、直後、シフトアップ。
メーターが凄いことになる。
直線的な道路を一気に抜け、アーケードの交差点を走り抜ける。
住宅街に入ると、100km/h程度に減速する。
前方に、北側のそれと比べるとずいぶん味気ないゲートが見える。
人気のない町を振り返った。
北側に、いつもの空が見えた。
瞬間、天井が火を噴き、ドーム型の空が曇る。
北から順に、円形を描くように、壁に埋設されたプラスチック爆弾が火を噴く。
ゲートを抜ける。
アーケードの上に、巨大な人工照明が覆い被さり、轟音が響いた。
ベンツはゲートから一気に飛び出し、急な坂を飛び越えて地面に激突する。
サスペンションが衝撃に負け、シャフトがくの字に曲がり、車体の底部が地面をこする。
派手に土煙を上げて、見慣れた塔の近くに、横向きに滑り込みながら「停車」する。
シートベルトはしていたのだが、衝撃でドアに思い切り体を叩き付けられた。
轟音を上げて飛び出したボコボコの高級車に、外に居た竜と竜人と人間が群がる。
出来た人だかりの中の一人が(たぶん竜人だったと思う)、ドアをこじ開けて俺のことを引っ張り出した。
イリスは自力で脱出する。
ふら付きながら車の周りを半周し、俺に肩を貸す。
野次馬をかき分けてルネと黒とリオンが顔を出し、ルネが俺に駆け寄った。
とりあえず誰が呼んだか知らないがやってきたストレッチャーに乗せられ、ゆっくりと移動する。
ルネが何度も、俺とイリスに無事を確認していた。

その後のことはあまりよく覚えていないが、暫くイリスと2人でダウンしていたことだけは確実だ。
同じ病室に入れられ(イリスは軽い打撲とむち打ちだったので早く開放されたが)、俺は5日程色々と入れられたり巻かれたりした。
ルネが許される限りずっといた手前、あまり騒げなかったのだが、翌日あたりから爪が剥がされた指が猛烈に痛み出した。
腫れが酷く、痛み止めの注射と薬を日に2~3度摂取しないといけないほどだった。
3日目にフィアがやってきて、桐生のことを色々と聞いていった。
俺も色々と聞いた。
俺は、名前のこと以外全部、フィアに話した。
もうちょっと付き合っておきたかったと思った。
桐生は、もう最初から死ぬつもりで行ってたんだと思う、と言われた。
あいつ、どうせ最期の台詞もあらかじめ考えてたんだよ、と言って笑っていた。
やっと、あのホールから出られたような気がした。
フィアはリオンと連れ立って帰っていった。
大丈夫だから、と言ったリオンの言葉を信じることにする。

「・・・ねえ。」
で、5日目、つまり俺の開放前日の夕方、ルネがベッドに座って話し掛けてきた。
ちなみに、イリスが寝ていたベッドだ。
彼は2日で退院したので、それ以降、来た奴の椅子はそのベッドになっていた。
「明日、退院だよね・・・。」
「・・・ああ。」
「・・・何処か・・・、住むアテある?」
「・・・・・・。」
ちょっと考える。
「・・・いざとなったら、イリスのとことか、竜のとことか、色々行き場はあるけど・・・。」
「・・・あのさ・・・。」
ルネが俺のベッドに移る。
短い間に冬になった空は、寒そうな風を窓に叩きつけていた。
「・・・わたしんとこ、住まない?」
夕焼けは見えないが。
「・・・迷惑じゃない?仮にも男だし・・・。」
「・・・私・・・、嫌いな相手と・・・その・・・、あんなこと出来るほど器用じゃないし・・・。」
顔が赤いぞ。
ああ、俺もかな。
じゃあ、夕焼けかな。
「・・・俺もだな。」
ルネはそれから暫くして、ん、とだけ言って帰っていった。
そのころには、もう月が出てたわけだが。
・・・日が短くなったな。
久々に月を見上げる。
少し欠けてはいたが、ほぼ満月。
あと少しで、完全な丸になるだろう。
珍しく雲の無い、澄んだ夜空だった。

――6週間後。
「桐生ー、ご飯出来たよー。」
ルネの声に接着されたかのような重い瞼を引き剥がす。
流石に、年が変わろうとする時期は寒い。
今朝はまた一段と寒い。
閉めた雨戸から流れ込む冷気が、ダブルサイズの布団をどんどん冷やす。
冷えてしまわないように俺が居てやってんのに・・・。
「おーう。」
今度は布団から体を引き剥がす。
塔の中のワンルームの食卓は、寝床から数歩だ。
「・・・またミネストローネとはハイカラな物を・・・。」
「リオンに教わった。ちょーど缶詰あったし。」
・・・それでもこの時期トマトは貴重品だが・・・。
強盗でもしてなきゃよし。
「それにしても寒いな・・・。」
もう癖になりつつある台詞。
この時期はいつもこうだ。
「だねー・・・。」
ルネも自分のパンを千切りながら言う。
因みにパンもバケットだ。
「・・・食べたら外行こう!」
「・・・いや・・・、・・・あぁ。分かった。」
はいはい、そんな目で俺を見るな。

人間が増えて、何人か居なくなった以外は何も変わらない塔は、相変わらず竜人と人間少しが生活している。
大半の人間は竜の方に行った。
まぁ、土地も広いしな。
それぞれ役割を分担し、それなりな社会生活を営んでいるらしい。
桐生との名前のことは、先週、初めてルネに話した。
その日から、俺の名前は桐生になったようだった。
まだ慣れないので、ちょっと違和感があるが。
もっとも、まだ一部の奴にしか伝えてない。
その内、フィアにもそうやって呼んでもらえたら嬉しいのだけど。
黒とリオンは相変わらずくっついてるが、イリスとは疎遠になったらしい。
リオンが黒と一緒に、竜の方に移ったからだと聞いている。
何かいざこざが有ったわけではないらしいので、安心した。
イリスの塔は、俺達と別なのであまり会う機会が多くなく、結局、あれから数えるほどしか顔を合わせていない。
相変わらず、のらくらとやってるんだろうが。
で、俺達は結局、あれからずっと同居してる。
手の爪も指の骨も完治はしてないが、そろそろ古傷と言えるようになってきた。
「お、着いた。」
エレベーターが止まると、ルネが外に走り出していく。
一度外に出て、また駆け戻ってきた。
目に星が貼り付いてる。
「早く来てよ!凄いから!」
俺の手を引っ張る。
外に出た。
そこは、
「おぉ・・・。」
雪だった。
白一色の地面で、一瞬目が痛くなった。
中庭には雪が降らなかったので、俺は生まれて初めてそれを見た。
「これは・・・凄いな。」
一晩の間に積もったらしく、深さこそ大したことはないが、一面の白はそれだけで何かしら迫る物があった。
山となった瓦礫を白く染める。
中庭の残骸が雪の下に埋もれて、柔らかい白になっていた。
あの日も、もう過去になったんだなと思った。
ルネの顔を見る。
吐き出す息は白くなり、風に流されて中庭だったものの方へ舞っていく。
「・・・うっわ、寒っ!」
風が吹き、雪が舞った。
瓦礫の一部が音を立て、そこから雪が落ちた。
相変わらず、粉のような雪が降っている。
「・・・中入るか。」
俺はそう言って、さっさと帰ろうと塔のほうに向かって歩き出した。
「・・・うん。」
ルネがコートの襟を立て、肩を縮める。
俺のことを追い越して、塔のエレベーターホールに入った。
俺は塔の入り口で、もう一度振り返って中庭を見る。
息をつき、風に吹かれる。
中庭に背を向けて、塔の中に入った。
新雪の上に、形の違う、2組の足跡が残り、風が抜けた。
冬の、朝だった。

――了――


感想

  • 何度か読んだがやっぱりラストが何かくるわ
    サヰもカワイソス
    しかしフィアが一番辛いんだろうなぁ…(´・ω・`) -- 名無しさん (2007-11-26 03:11:28)
  • 読み始めたら止まらなくなってこんな時間
    こんな物語を書ける氏はすごいね
    もっといろいろ読んでみたい -- 名無しさん (2007-11-27 03:04:03)
  • ごめん、低脳な俺にはよく解りませんでした。 -- 名無しさん (2008-08-14 05:21:17)

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