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捨てたはずの剣

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rogan064

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「おお、こいつはまたでかい獲物だな!それにここらじゃ滅多に採れない薬草までこんなに!」
「全部で幾らだい?」
「これなら金貨10枚は払うよ。それで譲ってもらえるならワシとしては安い買い物だ」
目の前に並べられた大きな2頭の猪と化膿止めや痛み止めに効果のある薬草の束。
それらを目にして、町の通りに露店を開いていた老齢の店主が喝采の声を上げる。
「よし、それで売ろう」
その提案に快く交渉成立の声を上げると、俺は彼から金貨の入った麻袋を受け取った。
空を見上げれば茜色に染まった山々の稜線が、町の周囲をグルリと取り囲んでいる。
もう日が落ちる・・・町の外で待たせている彼女も、そろそろ痺れを切らしてくる頃だろう。

「ありがとうよ、若いの!」
帰りがけに背後からかけられたご機嫌な店主の声に片手を上げて応えると、俺は家への帰路につく人々の群れに混じってそっと山道へと続く町の門を潜った。
薄暗い森の中を1歩1歩進む度に、騒がしい人々の生活の気配が彼方へと遠のいていく。
そしてやがて人目につかない森の中程まで辿り着くと、俺は声を潜めてそっとある名前を呼んでいた。
「エルダ、出てこいよ」
「きゅくぅ!」
その声に呼ばれて木の陰から姿を現したのは、美しい赤鱗を身に纏った小さな雌ドラゴンの子供。
嬉しそうに駆け寄ってくる彼女の姿を見て、俺は束の間の緊張をフッと緩めていた。


もう2年以上も前、俺はこれでも町や村を回りながら人間に仇成すドラゴンを殺すドラゴンスレイヤーだった。
だがドラゴンを殺す職業に就いているはずの俺が、ある時ふとしたきっかけで巨大な雌の火竜と心を通わせ合い、短い間だったが彼女とともに洞窟の中で暮らしたことがある。
俺がエルダと名づけた彼女は、崖から落ちて怪我をした俺にこの上もなく優しく接してくれた。
そんな彼女のあの柔らかな腹の感触や竜族だとはとても思えない穏やかな笑顔は、長い時間がたった今でも忘れることができないでいる。

だが残酷な運命の悪戯か、近隣の村から生贄を取っていた彼女を、俺はやむなくこの手にかけてしまったのだ。
あれ以来、俺はもう剣を握ることもなく竜殺しの仕事からは完全に足を洗っている。
俺と彼女の間にできたこの仔竜に母親と同じ名をつけて無事に育てること・・・それが彼女の遺言だったからだ。
幸い、ドラゴンスレイヤーとして身につけた狩りの技術や採集の知識は、人々の目を避けるようにして暮らすことになった今となっても十分に役に立っている。
そして様々な町や村を転々としながら、俺は今この小さなエルダとともに安住できる土地を探し続けていた。


「エルダ、今日は何が食いたいんだ?」
「きゅぅ!きゅるるぅ!」
いかにも空腹を我慢しているかのようなエルダの様子にそう尋ねてみると、彼女がさっきまで隠れていた木の陰からそそくさと何かを引っ張り出してくる。
それは、さっき俺が町まで売りにいった獲物に勝るとも劣らない程に大きな2頭の猪だった。
その全身には無数の爪や牙の跡、それに火傷の跡までがたっぷりとつけられていて、俺がいない間に彼女が必死になって狩り出した獲物なのだろうことはすぐに見て取れる。
きっと彼女は、父親の俺が戻ってくるまで早く獲物を食べたいのをずっと我慢していたのだろう。
「はは、まだ小さいとはいっても流石はドラゴンの・・・いや、エルダと俺の子だな」
「きゅっ!」
誉められたことが伝わったのか、エルダが誇らしげに小さな胸を張る。
「じゃあ、早く食べようか」
俺がそう言うと、彼女は待ってましたとばかりに仄かに香ばしい香りを漂わせる獲物の肉に食らいついていた。

「どうだ、自分で獲った獲物は美味いか?」
「きゅっ、ふぐ・・・うきゅぐむ・・・」
肉を食いながら返事をしようとしているのか、エルダが咀嚼音に混じって甲高い声を漏らす。
「ほらほら、食べるか喋るかどっちかにしろよ」
「・・・・・・」
ガツッ・・・モグ・・・
そんな俺の言葉に、彼女はどうやら食べる方を選んだらしい。
全く・・・彼女の母親の方はなんていうかこう、もっと気高い気品に満ちていたっていうのにな・・・
夢中で獲物に齧りつく仔竜を眺めながら、俺は自分の食事に手をつけることも忘れてしばし昔を思い出していた。

あの赤鱗を纏った巨大な火竜と初めて遭ったのは、ある岩山の中腹にある大きな洞窟の中だったと思う。
彼女は崖から足を踏み外して川に落ちた俺を拾って、目を覚ますまで顔を舐めて介抱してくれたのだ。
"・・・怪我はないか・・・?"
それは今でも記憶の底にこびりついて離れない、初めて聞いた彼女の声。
初めて目にする巨大なドラゴンを前に怯えていた俺が、彼女のその穏やかな第一声にどれほど救われたことか。
そんな彼女の双眸に輝いていた赤い体とは対照的な美しい蒼い瞳は、目の前で黙々と腹を満たしている小さなエルダにもしっかりと受け継がれている。

そういえばこのドラゴンの母娘と長い間生活をともにして気がついたことなのだが、ドラゴンというものは声や仕草以上に眼に感情を込める生物らしかった。
まだロクに言葉を話すこともできないエルダとこうして互いに意思の疎通ができているのも、深く訴えかけてくるような彼女の視線のお陰だといっても過言ではないだろう。
かつてのエルダが終始俺に向けてくれたあの優しげで暖かな笑顔も、今から考えれば本当に心の底から俺のことを大切に思ってくれていた証だったのかもしれない。

「きゅう・・・?」
「ん・・・」
やがて心配げなエルダの一声で、俺は唐突に現実へと引き戻された。
見れば、すっかり1頭の猪を平らげてしまったエルダがまだ足りなそうな様子で俺とその目の前にあるもう1頭の猪とを交互に見比べている。
きっと俺の分の肉も食いたくて仕方が無いのだろう。

「ああ、食いたいなら俺の分も食っていいぞ」
「ふきゅきゅぅ!」
そう言った途端に、エルダが面白いほどに予想通りの反応を示しながら嬉しげに新たな肉へと食いついた。
可愛い子だ・・・彼女の姿は紛れも無く立派なドラゴンだというのに、自分と血が繋がっているというだけでこんなにも愛しさを覚えるものなのだろうか。
「それを食い終わったら、今日はもう寝るんだぞ。明日はサファス山の麓の村まで、半日以上は歩くんだからな」
今度はコクコクと首を縦に振りながらも相変わらず食事の手は止めようとしないエルダの様子に、俺は苦笑を浮かべながら頭を掻いていた。

その翌朝、俺は幸せそうな顔で眠っているエルダをそっと揺り起すと野宿のために建てていた小さなテントを片づけ始めていた。
地域や周囲の環境によっていくらか程度の差はあるのだろうが、多くの町や村はドラゴンという生物に対してあまりいい印象を持ってはいないものだ。
それはかつてドラゴンスレイヤーとして様々な地域を渡り歩いた俺の持つ、一種の経験則と言ってもいいだろう。
まあ中には仔竜くらいなら受け入れてくれる所もあるのかも知れないが、流石に突然エルダを人目に晒したりすればいずれ大きな騒ぎになるのは目に見えている。
それ故に、ここ最近はいつも人里から離れた山や森の中で彼女と身を寄せ合って夜を過ごしていた。

「これでよし、と・・・」
やがて暗い茶色の幌でできた目立たぬテントを元の小さな荷物に畳み込むと、俺は未だに寝ぼけた頭をブンブンと振って目を醒まそうとしているエルダに目を向けた。
もう2歳になるとはいえ未だに子供らしい仕草が目立つのは、もしかしたら俺の影響なのかも知れないな・・・
「さ、エルダ・・・そろそろ出発するぞ」
「きゅっ!」
だがそんなことを考えながらエルダの頭を一撫でして出発を促すと、彼女はすぐに元気な声を上げていた。

今日の目的地はここから40キロ程西に聳える、霊峰サファスの麓に佇む小さな村。
サファス山は元々は巨大な死火山であり、大昔に大規模な火山爆発があったために山の形が円錐を深く削り取ったかの様な歪な三日月型をしていることで割と世界的に知られている。
その三日月の切れ間に広がっている平地に、目的の村が静かに存在しているのだ。
山脈でもない1つの山に3方を囲まれているという奇妙な立地の村ではあるのだが、その大きさの割に村民は100人近くもいるらしい。
収益も農業ではなく近隣の他町村と山で採れる山菜を取引して得ているということだから、生活水準も決して低くはないことだろう。
尤も村へいく目的は、サファス山の向こうにある別の町へ行くに当たって山越えの準備をするためなのだが・・・

昼を過ぎてしばらく経った頃、前方に薄っすらとかかった霧の向こうに、巨大な山とその麓に佇む小さな村の影が浮かび上がってきた。
もう村まで後数キロといったところだろう。
「ほらエルダ、見えてきたぞ」
「きゅう・・・?」
朝から7時間近く休みなく歩いているせいか、エルダが疲れ切った声でそう呟きながら顔を上げる。
まあ、無理もないだろう。
旅などとうに慣れたはずの俺でさえも、山を越え丘を越えひたすらに歩き続けるのは辛いものなのだ。
ましてやエルダの方はと言えば、狩りの時間もないままに出発してきたお陰で朝から何も食べていない。
できることなら少し休ませて何か食べさせてやりたいところなのだが、平原の続くこの辺りでは彼女の食事になるような獲物の存在はまず見込めなかった。

「大丈夫か?どこかその辺で少し休んだ方が・・・」
「うきゅ・・・きゅっきゅぅっ!」
だが辛そうなエルダの身を心配してそう声を掛けると、彼女が両手と尻尾を大袈裟に振ってそれを拒絶する。
あと少しだから我慢するとでも言いたげに気丈な眼差しで俺を見つめるその蒼い瞳には、彼女の母親からも幾度か感じられた有無を言わせぬ迫力が滲み出していた。
「そうか・・・じゃあ、早いとこ向こうに着いて休もうな」
「ふきゅっ・・・」
やがて返事とも溜息とも取れる小さな声を漏らして再び歩き出した彼女に少しばかり感心すると、俺は間近に迫った村の様子を遠くから窺うかのようにじっと目を凝らしていた。

それからまた1時間程歩いた頃だろうか・・・
俺とエルダはようやく目的の村のすぐそばまで辿り着くと、村の中で何やら慌ただしく歩き回る人々に見つからぬように少し離れた所から様子を窺っていた。
一見すると何だか騒ぎが起こっているようにも見えるのだが、ここからでは詳しいことは何もわからない。
「よしエルダ、俺はあの村に行ってみるから、お前はいつものように山の中で待ってるんだぞ」
「きゅう!」
その元気のいい返事を聞くと、俺はそっとエルダを町から離れた森の方へと放してやった。
あの様子なら、この半日何も食べていなくとも狩りをする元気くらいはあるのだろう。
やがて可愛い彼女の後姿が薄暗い森の中へと吸い込まれるようにして消えていったのを見届けてから、しばしの間離していた視線を再び村の方へと戻す。
夕焼けに染まり始めた空の下、広大なサファス山の懐に抱かれた村はある種の殺伐とした喧騒に満ち満ちていた。

ザワザワ・・・
村の入口にあった簡素な門を潜ると、予想以上に大きな村の全景が目の前に広がった。
農業はしていないと聞いていたものの、自分の村で消費する野菜や穀物程度は自給自足しているのか比較的大きめの田畑がそこかしこに点在している。
家々を結ぶように村内を貫いた幅広の通路は山を背にした村で1番大きな村長の家へと続いていて、その途中に村人達が数人ずつ集まっては焦燥に駆られた様子で何かを頻りに話し合っていた。
そんな騒がしい村の中を一介の旅人を装って歩き回っている内に、何やら不安げな表情を浮かべた村人達の話し声がプツプツと断片的に耳へと届いてくる。

「今度はマーサが森から帰ってこないのか?」
「ああ・・・これでもう若い娘ばかり5人目になるぞ・・・皆、どこかで遭難してるんじゃ・・・」
「馬鹿なことを言うな!彼女に限って、あの歩き慣れた森で迷うなんてことがあるわけないだろ!」
どうやら彼らの間から漏れ聞こえてくる話を繋ぎ合せてみると、森に入った娘達がもう何人もサファス山の裾野に広がる森へ入ったまま帰ってきていないらしい。
まあ、ここでは山での採集が村人達の貴重な収入源になっているということだから、娘達が山へ入ること自体はさして珍しいことではないのに違いない。
だが娘達の失踪の原因が何であれ、俺には全く何の関係もない話だ。
さっさと村長に軽く挨拶の1つでもして、適当な買い物を終えたら村を出るとしよう。

やがて長い長い道を1人の村人に見咎められることもなく村長の家の前まで歩き通すと、ちょうどその大きな家の中から老齢の夫婦が姿を現していた。
あれがきっと、この村の村長とその妻なのだろう。
最近になって急激に痩せたと見えるその華奢な体と頬のこけた顔は、彼が今この村を襲っている不気味な失踪事件に対して真剣に頭を悩ませていることを如実に物語っていた。
「おや・・・そなたは・・・?」
村中で様々な憶測が飛び交う様子を悲しげな目で見回す内にそばに立っていた俺の存在に気がついたらしく、村長がやや驚きの表情を浮かべて誰何の声を上げる。
「ああ、俺はその・・・山越えの準備のためにこの村へ寄ったんだ。旅をしている最中でね・・・」
「そうですか・・・今この村は、山へ入った娘達が何人か帰ってこんお陰でご覧の有様でな・・・」
そう言いながら遠く村人達の方へと視線を移した村長に釣られて、俺もついつい背後を振り向いてしまう。

「ワシらでは旅の方には何もお構いできんですが、どうぞゆっくりしていってくだされ」
「ああ、ありがとう・・・そうするよ」
そして俺とそんな簡単な挨拶を交わすと、年老いた村長夫妻は再び家の中へと入っていってしまった。
村の行く末を心配しているというのに自らの力ではどうすることもできないという切ない虚無感・・・
彼はきっと、これまでにも何度となくそんな苦い思いを味わってきたのに違いない。
竜殺しの仕事に手を染めていた頃の俺だったなら、こういった問題を抱えている村は何とか救ってやろうと知恵を絞っていたことだろう。
何故なら、それこそが正に俺の生活の糧となっていたからだ。
だがエルダを連れて人目を忍ぶ旅をするようになった今、俺は苦悩する村長の姿にほんの少し胸を痛めるだけの傍観者になってしまった自分を酷く恥じていた。

雲1つない空が次第に鮮やかな朱色に染まり始めた頃、俺は数人の気さくな村人達から夜を過ごすための幾許かの食料を水をもらうと、彼らに手を振って村を後にした。
もちろん彼らには昨日の町で得た金貨を必要な分だけ支払ったし、これから森を抜け山を越えるつもりだと告げたことで失踪した娘達について色々と話を聞かされたりしたことは言うまでもない。
まあ、村人達も何故最近になって立て続けに行方不明者が出始めたのかについては皆目わからないということだから、今更通りすがりの俺が気にしても仕方のないことなのだろう。
やがて村の背後でサファス山の稜線に夕日が沈みかけているのを目にすると、俺は森が完全な闇に包まれぬ内にと足早にエルダの消えていった森の中へ入っていった。

地面の上に点々と刻まれたエルダの小さな足跡を追うようにして、薄暗い森の中へと足を踏み入れていく。
森の入口からはまるで過去に何人もの人間が通ってできたかのような不自然な獣道が伸びていて、エルダの足跡も自然とその小道に沿って延々闇の奥へと続いていた。
これは、採集のために村人達が使っている通路なのだろうか・・・?
いや、数年に1度程度の頻度で往来があるというのならわかるが、毎日のように山へ採集に向かう人々が使っている道にしてはここは野生の色が残り過ぎている。
それに、あの村は入口のある方角を除いて3方が全てサファスの森に囲まれているのだ。
少なくとも俺には、わざわざ一旦村を出てから再び森の中に入っていく理由が何1つとして見当たらなかった。
恐らく、採集のために山へ入る道は別の何処か・・・恐らくは村の中から伸びているのだろう。

やがて森へ入ってから約30分程経った頃、ようやくエルダの足跡がそこら中に見られるようになった。
恐らくは手頃な獲物を見つけることに成功して、空腹を堪えながら必死に追い掛け回した跡なのに違いない。
だとすれば、エルダが待っているのも恐らくこの近くのはずだ。
「エルダ?いるんだろ?」
「・・・きゅう・・・」
何処からともなく耳へと届いてきた、エルダのか細い声。
その声の出所を探るようにして、鬱蒼とした森の中を手探りで進んでいく。
快晴の空にはどうやら明るい満月が出ているらしく、所々木々の葉の薄い所では幻想的な淡い銀光が森の中へと降り注いでいた。

「エルダ・・・?」
ややあって心許無い月明かりの残滓に身を委ねながら何とかエルダの居場所を探り当てると、彼女が尻餅をついたまま力なくその場にへたり込んでいる。
「大丈夫か?」
どこか具合でも悪いのだろうか・・・?
だが可愛い雌竜の無事を確かめるかのようにその背を摩ってやったその時、俺は初めて彼女がブルブルとその身を小刻みに震わせていたことに気がついた。

寒がっている・・・というよりは寧ろ、頻りに何かに怯えているように見える。
しかも小さく身を縮込めているのにもかかわらず、エルダの視線はずっと前方を見上げたまま固まっていた。
そのエルダの視線を追うようにゆっくりと顔を上げ、辺りの様子をグルリと見回してみる。
そこにあったのは森の木々がある一帯をぽっかりと避けるように立ち並んだことで形作られている、自然の広場。
まあそれだけならこの広大な森の中のこと、別に珍しい光景でも何でもないだろう。
だが空から漏れてくる微かな月明かりが周囲の状況をほんのりと照らし出したその瞬間、俺はザワッと背筋が冷たく凍りついていくような感触を味わっていた。

広場の片隅に静かに聳え立つ、一際大きな1本の大木。
そのささくれた幹のあちらこちらに、無数の麻縄の跡が刻みつけられている。
更に恐ろしいことにその大木の根元に近い地面の上には、朽ち果てた麻縄の残骸に混じってほんの数ヶ月前のものと思われる真新しい縄の切れ端までもが散乱していた。
他にも広場を取り囲んでいる木々には深く巨大な爪跡が幾条も刻まれていて、この広場そのものが極めて異質で不穏な空気を辺りに漂わせている。
「こ、ここは・・・」
早鐘のように打ち始めた鼓動を沈めるべくゴクリと息を呑みながら数歩後ろに後退さると、俺は思わず背後で震えていたエルダと不安げな視線を絡ませ合ってしまっていた。

無条件に見る者の恐怖心を煽るこれに似た光景を、俺は前にも1度見たことがある。
エルダと初めて出会う直前に、ある小さな町を脅かしていた雄ドラゴンの退治を依頼された時のことだ。
町のそばに広がる深い森で見つけたドラゴンの住み処・・・
その中型の洞窟の周辺に並んでいたたくさんの木々の幹にも、こんな痛々しい爪痕がいくつも刻みつけられていたのを覚えている。
あの時は猛り狂ったドラゴンが見境なしに爪を振るった跡だろうくらいにしか考えていなかったものだが、今ならこれが一体何を意味しているのかは容易に窺い知ることができた。
かつて見た物などとは比べ物にならぬ程に大きなその無数の爪痕は、ドラゴンの住み処や安息の場所に余計な生物達を近づけぬようにするための無言の威嚇。
つまりこれは雄のドラゴンによる縄張りを示すためのマーキングであり、それと同時にこの広場で定期的にドラゴンに対して生贄が捧げられてきたことを物語っていた。

「に、逃げよう・・・エルダ・・・」
ガタガタと震えるエルダを何とか落ち着かせようと体を抱き起こして静かにそう囁いてはみたものの、不覚にも不安と恐怖に震えた声が余計に彼女の恐れを煽ってしまう。
「きゅ・・・ふきゅ・・・」
ブルブルと震えたまま1歩もその場を動こうとしないエルダの様子から、俺はいかに彼女がまだ見ぬ巨大な同胞に恐れの感情を抱いているのかがよくわかった。
だが今は、一刻も早くこの森を抜け出すことが先決だ。
爪痕の巨大さを考えれば、恐らくこの森に棲むドラゴンはこれまでに見たことがない程の巨竜に違いない。
もしこの闇の中で何の武器もなしにそんなドラゴンに出遭ってしまったとしたら、到底勝ち目などないことは火を見るよりも明らかだった。

すぐにこんな森など抜け出したいのはやまやまなのだが、ここは森の入口から30分も歩いた先にある闇のど真ん中。
1度パニックに陥ってしまったせいか、どうやってここまで辿り着いたのかがまるで思い出せない。
だが相変わらず自分からは動こうとしないエルダを半ば引き摺るようにして広場から遠ざかると、俺は少しでも樹木の生え方が疎らな方角を選んで歩き始めていた。
森から抜け出せるかどうかは別としても、とにかくあの広場からは早く離れた方がいい。
マーキングがあったということは、少なくともこの近くに巨大で凶暴なドラゴンの住み処があるはずなのだ。
生い茂った葉の間から漏れてくる薄い月明かりが暗い森の中をゆらゆらと不規則に照らし出し、視界の端で何かが動いているかのような錯覚がさらに俺とエルダの不安を募らせていく。
やがて手探りのまま1本の獣道らしき細い通りを見つけると、俺はエルダを引っ張ったまま心なしか足を速めていた。

「きゃ・・・・・・あ・・・」
「・・・どうかしたのか、エルダ・・・?」
「ふきゅ・・・?」
しんと静まり返った森の中で唐突に聞こえた、今にも消え入りそうな程の小さな小さな声。
俺は一瞬エルダが漏らした声なのかと思って背後を振り向いたものの、彼女の方も声の出所を探るかのように辺りをキョロキョロと見回している。
この夜の森に・・・俺達以外の誰かがいる・・・?

「・・・や・・・・・・て・・・」
本当に微かにではあるものの、森の中を通り抜ける涼しげな風に乗って確かに誰かの声が聞こえてくる。
だがその声に導かれるようにして進んでいく内に、やがてその断続的な声が意味のあるものへと変化していった。
「もう・・・やめて・・・・・・お願い・・・」
「クククク・・・まだ随分と元気があるではないか・・・もう少し楽しませてもらうぞ・・・」
果たして暗い闇の奥で絡み合っていたのは、涙ながらに助けを訴える若い娘の声と、高圧的で野太い雄の声・・・
やがて茂みの陰からそっと声のする方の様子を窺った俺の目に最初に飛び込んできたのは、全身に黒鱗を纏った巨大なドラゴンに捕らわれて強引に犯されている、1人の小柄な娘の姿だった。
そしてその俄かには受け入れ難い光景を目にした瞬間、俺は麓の村で次々と娘達が消えている原因を悟っていた。

ギュッ・・・ミシ・・・ミシッ・・・
「ああっ・・・は・・・」
やがてしなやかに蠢くドラゴンの長い尾が、既に逆らう気力も失われた娘の体をゆっくりと締め付け始める。
漆黒のとぐろの中で喘ぐ全裸の彼女の秘部には到底収まり切らぬようなドラゴンの巨根が強引に捩じ込まれ、一切の身動きを封じ込められた獲物をグイグイと無慈悲に蹂躙し続けていた。
「そら、もっと鳴かぬか・・・ククククク・・・」
「うあぁっ・・・い、いやぁ・・・」
まるで血のように真っ赤に輝く2つの竜眼が、そんな悲痛な声を上げる娘の歪んだ顔を満足げに眺め回す。
規格外の肉棒に貫かれたまま徐々に体を締め上げられるという苛烈な責め苦を受けて、娘の体力がみるみる奪い取られていく様子が少し離れた茂みの陰から様子を窺っていた俺にも見て取れた。
もし彼女が村で話題になっている"行方不明になった娘達"の1人だとするならば、少なくとももうかれこれ数時間はあの悪竜の玩具として弄ばれ続けていることになる。
そして体力を消耗しきったあの娘がもう使い物にならなくなった時、彼女を待ち受けているであろう運命はたったの1つしかない。
だが仮にいざその瞬間を目の当たりにしたとしても、今の俺にそれを食い止める方法などあるはずもない。

ブシュッ
「ひあっ・・・」
唐突に辺りに響き渡った鈍い水音とともに押し殺したような娘の悲鳴が上がり、今にも張り裂けんばかりの緊張を保っている結合部から熱く煮え立つドラゴンの精が勢いよく噴き出す。
もう何度目の射精になるのか尻尾のとぐろに持ち上げられた娘の足元には既に白濁の水溜りができていて、その上にまた新たな粘り気のある雫が垂れ落ちていった。
「も、もう・・・やめ・・・あうぁ・・・」
そして一方的な快楽の余韻を味わい尽くすと、ドラゴンがまるで小さな子宮を一杯に満たしたであろう自らの精を絞り出すかのように命乞いをする娘の体を再びきつく締め上げる。
「くそ・・・なんて惨いことを・・・」
いつまで経っても終わりの見えぬ地獄の苦しみに声を上げることもできなくなってしまったのか、憐れな娘は醜く顔を歪めたまま揺れる尻尾のとぐろの中でぐったりと項垂れていた。

「フン・・・もう呻き声すら上げられぬのか・・・つまらん獲物だな」
力尽きた娘を眺めながらそう呟いたドラゴンの眼から、嗜虐的な喜悦の色がスウッと消え去っていく。
それは最早狩るべき獲物に対する殺意や敵意ですらない、後は食い尽してやるだけの骸を見つめる冷たい視線。
グギュッ
「ぁ・・・っ・・・・・・」
やがて娘がかろうじて呼吸が止まらぬ程度に加減されたと見えるとどめの一撃にも蚊の鳴くような声しか上げられなくなったのを確認すると、ドラゴンが弛緩した獲物の体を天高く持ち上げる。
そしてその真下でガバァッという音とともに巨大な顎を広げると、ズルリととぐろの中から滑り落ちた娘の体が一瞬にしてドラゴンの口内へすっぽりと収まってしまっていた。

ヌチャッ・・・クチュ・・・
「ひっ・・・た、助け・・・やあぁ・・・」
口中に捕らえた獲物を逃すまいと娘の体には長い舌が幾重にも素早く巻き付けられ、反射的に脱出を試みようとした彼女の儚い抵抗はあっさりと捩じ伏せられた。
食い殺される恐怖に戦慄く獲物の悲鳴を一声も聞き逃すまいとしているのか、半開きのドラゴンの口の中で今度は舌のとぐろに巻かれた娘の体がゴロゴロと左右に舐め転がされる。
熱い唾液が露出した柔肌にたっぷりと塗りつけられる度に、耳を覆いたくなるような引き攣った叫びが暗い森の中へと響き渡った。
「ああ・・・いや・・・だ、誰かぁ・・・」
やがてずらりと生え揃った恐ろしい牙の間から、唾液に塗れた細腕がほんの少しだけ口の外へと突き出される。
だが決して差し伸べられることのない助けの手を求めて虚空を掻くその生白い娘の腕にもシュルリと這い出したドラゴンの舌先が絡みつけられたかと思うと、最後の微かな希望が再び暗い口内へと引きずり込まれていった。

「あ・・・ああ・・・」
身も心も執拗に嬲り弄ばれて力尽きた娘のか細い断末魔が、なおも薄ら笑いを浮かべるかのように微かに開けられたドラゴンの口内から漏れ聞こえてくる。
まだ息のある獲物の震えと絶望を喉の奥で感じているのか、天を仰いで娘を飲み下す憎むべき悪竜の顔には至福の笑みが宿っていた。
やがて大きな膨らみがゆっくりとドラゴンの喉を流れ落ち、幾人もの命を呑み込んできた腹の中へと消えていく。
「ああ・・・なんてことを・・・」
自分のすぐ目の前でうら若い娘がドラゴンに凌辱され食い殺されたというのに、力がないばかりに何もしてやれなかったやり切れぬ悔しさ・・・
かつて胸に抱いていた俺の竜殺しとしての気高い矜持は、エルダとの邂逅ですっかりと溶かされてしまっていた。

「ふ・・・きゅぅ・・・」
ふと隣りに目をやれば、初めて目にする巨大な同胞が犯した恐ろしい所業にエルダが目を伏せている。
産まれた時から人間の俺とともに暮らしていた彼女にしてみれば、たった今しがた眼前で繰り広げられた光景はさぞ衝撃的なものだったのに違いない。
パキッ・・・
「・・・!」
その時、信じられないものを見てしまったとばかりにヨロヨロと後退さったエルダが、背後に落ちていた細い木の枝を後足で踏み折った。
静寂に包まれていた森の中にその弾けるような音が無情なほどに大きく響き渡り、その場を立ち去ろうとしていた黒竜の足が止まる。

「・・・何の音だ・・・?」
まずい・・・今あいつに見つかったら、確実に殺されてしまうだろう。
エルダも自分のしてしまった失策に気がついたのか、今にも泣き崩れそうな顔で俺の方を見つめていた。
彼女はきっと、自分よりも俺の身を心配してくれているのに違いない。
ドス・・・ドス・・・
だがドラゴンの優れた聴覚は暗い森の中でも正確に音の出所を捉えていたらしく、恐ろしい死神は微塵も迷う様子すら見せずに真っ直ぐ俺とエルダの潜んでいる茂みの方へと近づいてくる。
もう、覚悟を決めるしかないだろう。
仮に今更逃げ出したところで、この深い森は奴の庭のようなものなのだ。
今日初めてこの森に足を踏み入れたような俺が、あのドラゴンから無事に逃げ切れる道理などあるはずもない。

くそ・・・もうだめか・・・
だがそんな諦観が頭の中を支配し始めた正にその時、さっきまでひたすらに怯え震えていたエルダがキッと顔を上げたかと思うと、あろうことかバサッという音とともに茂みの中から勢いよく飛び出していた。
「きゅうう~~!」
ボォウ!
そして甲高い威嚇の声を上げながら、エルダが自らの何倍も大きな敵に向かって小さな炎を吐き出す。
「な、なんだお前は・・・ウヌ・・・」
だが黒竜はエルダの突然の出現と炎の熱に一瞬たじろいだものの、すぐにその巨大な腕で仔竜の吹き上げる火炎を振り払っていた。

「ふきゅっ!きゅきゅぅ~!」
更に敵を攪乱するかのように小さな体を生かして黒竜の周りを跳ね回りながら、エルダが黒竜を必死に挑発する。
あ、あいつ・・・一体何を・・・
「おのれ・・・突然飛びだしてきて何をするかと思えば・・・鬱陶しいぞ小娘が!」
バシッガスッ!
「ふきゅっ!」
次の瞬間、ブンという音とともに大きく振り回されたドラゴンの太い尾が跳ねたエルダを見事に捉えていた。
そして撥ね飛ばされた先で大木の幹に強か背中を打ちつけ、エルダが苦しげな呻き声を上げる。
「う・・・ふ・・・ふきゅ・・・」
エ、エルダ・・・
やがてそのままぐったりと気を失ってしまったエルダを、黒竜がつまらぬ奴だとばかりに傲然と見下ろしていた。

エルダはきっと、あのドラゴンの注意を俺から逸らすために敢えて自分から飛び出していったのだろう。
いかにあの黒竜が凶暴極まりないとはいえ、同胞ならば少なくとも殺されることはないと踏んだのに違いない。
だがそれは、何1つ確証のない危険な賭け。
俺は苦しげな表情を浮かべたまま木の根元に力なく転がっているエルダの姿に、彼女の母親の最期を重ねていた。
大切な者の身を守ろうと自らを犠牲にするエルダに、俺はまたしても救われたのだ。
そんなエルダの体に、黒竜がゆっくりと長い尾を巻きつけていく。
エ、エルダ・・・!
今にも彼女の名を叫びながら茂みから飛び出していきそうになる衝動を、俺は必死に押し殺していた。
もし今あいつに見つかったら、エルダの命懸けの行動が全くの無駄になってしまう。
大丈夫だ・・・尻尾で絡め取ったということは、奴はきっとどこかへ・・・
恐らくは自分の住み処へとエルダを連れ帰るつもりなのだ。
後を尾けなくてはならないだろう・・・絶対に気づかれぬように・・・エルダを助け出すために・・・

やがて小柄なエルダの体を余す所なく尻尾でグルグルに包み込むと、ドラゴンがクルリと踵を返す。
やはり、このまま住み処へ帰るつもりに違いない。
俺は枯葉や枯れ枝の散らかる地面をできるだけ音を立てないように慎重に歩きながら、今にも闇の中に溶け込んで見えなくなってしまいそうなドラゴンの後姿を視界の中に捉え続けていた。
そして極度の緊張に胸が痛くなるようなドラゴンの追跡を開始してから約20分後、ようやくあのドラゴンが棲んでいると見える山肌に掘られた大きな洞窟が見えてくる。
その入口の周囲に立ち並んでいる木々の幹にはあの生贄の広場と同じく無数の禍々しい爪痕が残されていて、俺には淡い月明かりに照らされたその洞窟の光景がまるで地獄への入口にように感じられた。
そんな近づくことさえも躊躇われるような深い闇の中に、エルダを捕らえたドラゴンが静かに消えていく。
「待ってろよ、エルダ・・・少し時間はかかるかも知れないが、絶対にお前を助け出してやるからな・・・」
エルダにというよりは寧ろ自分に言い聞かせるかのようにそう呟いて強く拳を握り締めると、俺は無力な自分に腹を立てながらも来た道を引き返し始めていた。

「きゅ・・・ふ・・・う・・・」
おぼろげながらもようやく意識を取り戻した私は、光らしい光が何1つ見当たらない完全な闇の中にいた。
地面に触れているらしい私の頬にあるのは湿った土のそれとは違う、硬くて冷たい岩の感触。
何とか体に力を入れようとしてみても、ただただ背中に鈍い痛みが広がるばかりで何故か一向に動く気配がない。
まるで、私の意思など最初から存在すらしていないかのようだった。
やがて自分が生きているのかそうでないのかも判然としないまま、ぼんやりとした脳裏にいくつかの疑問が浮かんでは消えていく。
ここは一体何処なのだろう?
あの人は、無事にドラゴンから逃げ出すことができたのだろうか・・・?
「グルルゥ~~・・・」
な、何・・・?今の声は・・・?
突如として闇の中に響き渡った不気味な唸り声に、私は思わずビクッと身を縮めていた。
「グルゥ~~・・・グルッ・・・ルルゥ・・・」
なおも断続的に聞こえてくる野太い空気の震え・・・これはもしかして・・・あの黒いドラゴンの寝息・・・?
じゃあ私は、気を失っている間にあの恐ろしい巨竜の住み処へと連れ込まれてしまったのだろうか?

逃げなくては・・・そんな焦燥にも似た思いが、覚醒した私の頭の中を一瞬にして埋め尽くす。
だがどうやっても動かない体に妙な違和感を覚え、私は恐る恐る自由の利く顎の先で体の周囲を探ってみた。
ズ・・・ズズ・・・
やがて下顎の先端が硬く滑らかな何かに触れ、皮膚と鱗の擦れる何とも言えない摩擦音が静寂の中にこだまする。
ああ・・・そんな・・・
それは私の全身に隙間なくみっちりと巻き付けられた、あのおぞましい黒竜の尾の感触だった。
道理で全く体が動かせないはずだ。
このまま朝を迎えて彼が目を覚ましたら・・・私は一体・・・?
つい先程目の前で凌辱されていた人間の娘の姿が脳裏を過ぎり、私は次々と湧き上がる恐怖と不安に押し潰されそうになるのを必死に牙を食い縛って耐え忍んでいた。

ギ・・・ギュゥ・・・
「きゅ・・・・・・」
目覚めているのか、それともしばらくは止みそうにない私の小刻みな震えに反応しているのか、時折体に巻き付いた黒竜の尾が微かに締め付けてくる。
だが恐ろしさと息苦しさで小さな声を上げる度に黒竜の目覚めを早めてしまうような気がしてしまい、私は何も出来ぬままに複雑な心境で朝の訪れを待つことになった。
折しも洞窟の中には白み始めた外の光がそろそろと足を踏み入れ始め、隣りで悠然と寝息を立てている主の輪郭を視界の端に浮かび上がらせ始めている。
山のように大きな黒鱗の怪物・・・それが、初めてこのドラゴンを目にしたときに私が感じた第一印象だ。
自らの存在以外は皆悉く敵か餌だとでもいうような不遜な立ち居振る舞いには、最早嫌悪などというような生易しい感情を通り越してただひたすらに恐怖を覚えるしかない。
あの時の私は・・・きっとあの人の命を守りたくて必死だったのだろう。
もしもう少し明るい場所でもう少し冷静にこの黒竜の姿を目にしていたとしたら、果たしてあんな行動に出られたかどうかは甚だ疑わしいものだった。

ズッ・・・
とその時、私の耳に重々しい何かが蠢く不穏な音が聞こえてくる。
それと同時に、まるで私の存在を確かめるかのように漆黒のとぐろが左右に軽く揺すられた。
そして巨大な顎を地面から持ち上げた黒竜が、ゆっくりとあたしの顔を覗き込むように首を巡らせる。
「ふ・・・う・・・・」
身動き1つ取ることができぬまま深紅に血塗られた巨大な竜眼に睨みつけられる恐怖・・・
もし私がここから無事に逃げ延びてこの先の長い生涯を歩むことになるとしても、今この瞬間に味わった身の竦む思いは一生忘れられないだろう。

やがて一頻り獲物の怯える様を愉しんだのか、黒竜が太い指先に生えた鋭利な鉤爪の先端で私の顎を掬い上げた。
ツツ・・・
「は・・・ふ・・・きゅ・・・」
背中とは違って柔らかな白い皮膜に覆われている喉元が鋭く研ぎ澄まされた切っ先に晒されて、チクチクと断続的な痛みを送り込んでくる。
た、助けて・・・助けてぇ・・・
今にも泣き崩れてしまいそうになるのを必死に堪えながら心の中で誰にともなくそう叫んでみたものの、こんな邪悪な巨竜の巣食う薄暗い洞窟には助けなど来るはずもない。

「ククク・・・恐ろしいか・・・?」
「ひきゅぅ・・・」
いつしかそんな黒竜の望み通りの悲鳴を上げさせられていたことに気がついて、私は悔しさを滲ませた目で愉悦に浸った雄竜の顔を見上げていた。
「何故貴様のような小娘が我に挑みかかってきたのかは知らぬが、愚かなことをしたものだな・・・クク・・・」
私は・・・やはりあの人間の娘のように無残な嬲り殺しの憂き目に遭わされるのだろうか・・・
怯えきった同胞の子を見つめる彼の眼には温情や憐憫などとは無縁の嗜虐的な笑みが浮かび、新たな玩具を手に入れた子供のような期待感がその巨顔を綻ばせている。
やがて彼はおもむろに地面の上へ仰向けになると、尻尾で巻き取った私の顔を大きく広げた両足の間にじりじりと近づけていった。

フワ・・・
「う・・・うふ・・・」
突如として鼻を突く、咽返るような濃い雄の臭い。
恐る恐る顔を上げた私の眼前には醜悪な姿を露わにした歪で巨大な肉棒が突き出され、その向こうから黒竜がニヤニヤと不気味に笑いながらこちらを眺め下している。
「そら・・・いくら幼い貴様とて、何をすればよいのかくらいはわかるだろう・・・?」
そんな・・・まさか・・・い、嫌よ・・・こんなの・・・こんなの・・・
だが慈悲を求める私の弱弱しい視線を軽く受け流しながら、黒竜が更に先を続ける。
「ほう・・・何だ、嫌だというのか・・・?クククク・・・仕方ない・・・」
ギリ・・・メキ・・・メキキ・・・
「う、うきゅ・・・きゅ・・・きゅうぅ~~!」
突然何の予告も無く全身が締め上げられた苦しみに、私は悲鳴を堪えるのも忘れて大声で泣き叫んでいた。

「どうだ・・・少しは従順になったか?」
やがて全身を締め潰されるかのような容赦のない締め付けに意識が朦朧となりかけた頃、ようやく黒竜の尾がほんの少しだけ緩められた。
「か・・・かふ・・・ぅ・・・」
そんな荒い息をつきながら憔悴した表情を受かべていた私の顎を片手で持ち上げるようにして、黒竜がこの上もない優越感に浸った邪悪な笑みの前へと無理矢理に怯えた視線を向けさせる。
同胞の命を奪うことにすら微塵の逡巡も見せぬ黒竜の前に、私は涙ながらに小さく頷くことしかできなかった。
「フン・・・最初からおとなしく我に従っておれば、何も痛い目に遭わずに済んだのだぞ」
そう言いながら、黒竜が私の全身を絡め取っていた尻尾を半分だけ解いて両腕をとぐろの外へと解放する。
そしてすっかり抵抗する気力を殺ぎ落とされた私の前へ、再び巨大な怒張が突き付けられていた。

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