ドラゴンレース

    

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数多くのドラゴン達が平和に暮らす世界。
そこには人間界と同じように山があり、川が流れ、雄大な自然が満ち溢れていた。
世界各地に点在するドラゴン達の町では毎日多くの雄ドラゴンが狩りに出かけ、妻となった雌ドラゴン達が住み処を守り、中には原始的な娯楽にひたすら興じる者達もいた。
ドラゴンレース。
月に一度、腕に・・・いや、脚に自信のあるドラゴン達が一昼夜をかけて荒野を駆け抜ける。
レースの勝者は次のレース開催まで一ヶ月の間その町の長となり、毎日他のドラゴン達から狩り出した獲物を捧げ物として贈られるという名誉を授けられた。
もちろん他のドラゴン達はレースを賭けの対象として一日中熱狂し、その結果に一喜一憂するのが通例となっていた。

「う・・・ごふっ・・・」
「大丈夫か?」
町の外れに、年老いたドラゴンの夫婦が住んでいた。
夫のドラゴンは全身真っ黒な鱗に覆われ、太い手足や尻尾にはまだ力強さが残っていたものの、赤い鱗を纏った妻のドラゴンは数百年の歳月と栄養不足に体を弱らせ、ここ数年は毎日夫が狩り出してきた小さな獲物を少し口に運んではまた寝床に倒れ込むというほとんど寝たきりの生活を送っていた。

「すまぬな・・・ワシがロクな獲物を獲ってこれぬせいでお前をこんな目に遭わせてしまって・・・」
「あなたのせいじゃないわ・・・しかたないの・・・お互い、長く生きすぎたのよ」
赤い鱗を鈍く輝かせながら、妻は時折咳き込んで苦しそうに蹲った。
「お前を助ける方法が1つだけある。だが・・・ワシにできるかどうか・・・」
「レースに・・・出るつもりなのね?」
「・・・そうだ」
もはや、ワシの力でも簡単に仕留められる小さな獲物だけでは妻を養えなくなっていた。
だが、ドラゴンレースで優勝すれば十分な量の食料が手に入る。
それも若いドラゴンが仕留めた、栄養豊富な大型の獲物が手に入るのだ。
「レースはとても過酷だそうよ・・・毎月怪我をしたり死んだりする者が出るっていう話を聞くわ」
「だが、やるしかない。お前のためだ・・・わかってくれ」
その言葉に、妻はそれ以上何も言おうとしなかった。
「少し、出かけてくる。レースは1週間後だ。体を動かさねばならんからな」
「ええ・・・ありがとう・・・」
妻は寝床の上でワシに背を向けたまま、一言そう呟いた。

その日から、ワシは毎日狩りに行く度に長い距離を走った。
レースは凹凸や勾配のある荒野や砂漠、湿地帯などを含む1000キロの道程を24時間程かけて走りぬくという厳しいものだ。
毎月数十匹の若いドラゴン達が挑戦するが、無事完走する者は5匹に満たないという。
ある者は照りつける灼熱の太陽に耐え切れず砂漠の真ん中で倒れ込み、ある者は道に足を取られて怪我を負い、またある者は急激な温度変化に体調を崩した。
ドラゴン同士の干渉は禁止されているが、中には勝利の欲に狂い他のドラゴンに襲いかかる者もいた。

「ハァ・・・ハァ・・・ヌグッ・・・」
たまたま草原で見つけた小鹿を追い回したが、10分も全力で走ると息切れがしてくる。
小鹿は必死で草混じりの土を蹴立てて逃げ続けた。その土の礫が目に入る。
「グ・・・こんな調子では途中で野垂れ死ぬのが関の山だな・・・」
だが、日に日に弱っていく妻をこれ以上苦しめたくはなかった。
2日後・・・2日後のレースで勝つことができれば、きっと妻を助けられる。
またあの美しい妻の元気な姿が見たい!
「ヌアアアッ!」
ワシは疲弊して速度の落ちてきた小鹿に一気に飛びつくと、組み敷いて小鹿の頭をドシャッと踏み潰した。
小さな呻きを残して小鹿が動かなくなると、それを尻尾で巻き取り背中にドサッと乗せる。
「フゥ、フゥ・・・妻よ、待っておれ・・・」
すでに限界まで酷使された全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
ヨロヨロとよろめきそうになるのを気力で支えながら、ワシは妻の待つ住み処へと帰った。

「え?レースに出るって?」
次の日、レースに出場するため町へ受付しにいくと、応対した若いドラゴンは相当に驚いたようだった。
「そうだ・・・構わぬだろう?」
「そりゃ構いませんけど・・・じいさん大丈夫かい?」
「黙れ!ワシを年寄り扱いするな!」
そう言って、いかにも年寄りくさい真似をしてしまったと心の中で苦笑する。
「はいはいわかりましたよ。でも途中で力尽きても知りませんよ?」
「む・・・わかっておる」
受付を済ませて住み処へ帰ると、妻が体を起こしてワシの帰りを待っていた。
「いよいよ明日ね・・・」
「うむ、きっと勝ってみせるぞ」
「私はあなたの体が心配なのよ」
何か葛藤するものがあるのか妻は俯いてそのまましばらく黙りこんだ。
「心配するな。お前は安心して待っていろ」
「ええ・・・でも無理はしないで・・・約束よ」
妻はそれだけ言うと、ゴホゴホと咳き込んで再び寝床に蹲った。

次の日、ワシは興奮のためかそれとも緊張のためか朝早く目が覚めた。
正午のレース開始まではまだかなり時間がある。だが、少し体を動かしておくほうがよかろう。
「妻よ、行ってくるぞ・・・」
まだ夢の中にいる妻にポツリと一言残すと、ワシは雲1つない晴天の中を町に向かった。

早起きしたのは皆同じなのか、町につくとレースに参加すると見える若いドラゴン達がすでに多く集まっている。
「よぉじいさん。あんたもレースに出るんだって?」
「そうだ」
そう答えたワシの耳に、若いドラゴン達の嘲笑にも似た冷やかしが聞こえてくる。
「悪いことは言わんからやめときなよ。死んじまうぜ?」
「そうそう、老いぼれじいさんは引っ込んでなって」
「グヌヌヌ・・・おのれ貴様ら言わせておけば・・・」
何度も浴びせられる若いドラゴン達の嘲笑と侮辱に、ワシは沸沸と怒りが沸いてきた。
・・・だが、今はこの怒りを力に変えなければならぬ。
妻のためにも、ワシはなんとしても勝たねばならぬのだ。

たっぷりあったと思われた時間があっという間に過ぎていき、レースの開始時間が迫ってきた。
出場するドラゴンは16匹。若く逞しいドラゴン達に混じって、ずんぐりとした黒い老ドラゴンがスタートラインに並ぶ。
そしてレースの進行役がスタートラインの脇に立つと、大きく息を吸い込んだ。
「ウオオオオオオオオオオオオオオン!!」
耳を劈くような咆哮が町中に響き渡り、過酷なドラゴンレースの幕が切って落とされる。
体力の有り余った若いドラゴン達は我先にとデコボコ道の荒野を疾走し、完走経験のある中堅のドラゴン達がその後に続いた。
ワシはなんとかその中堅ドラゴン達に遅れを取らぬように、重い体を必死で走らせた。
「わっははは、じいさん!応援するぜ~!」
「俺はお前さんに賭けたんだからな若いの!しっかりしてくれよ!」
「ほらとっとと走るんだよあんた!負けたら1週間は飯抜きだからね!」
スタートラインの周囲で見物に回ったドラゴン達が大声で出場者を急き立てる。

「チッ、勝手なこと抜かしやがる」
「飯抜きだって騒いでたのお前の奥さんだろ?お前も大変だなぁ」
「うるせぇ、黙って走れ!」
先頭を走る若いドラゴン達はお互いに冗談や皮肉を飛ばし合いながら、中堅ドラゴン達との差をさらに広げていった。

「全くじいさんも無茶するな。一体なんでその歳でレースになんか出る気になったんだい?」
すでに息を切らしながら走っていると、ワシの横を走っていた緑色のドラゴンが話しかけてきた。
「フン・・・ワシの勝手じゃ。お前さんにとやかく言われたくないわい」
そう言って顔を背けると緑色のドラゴンはなおも興味深げにこちらを見つめてきたものの、それ以上は何も言うことはなかった。
目一杯高く上った熱い太陽が、ワシにはこれから先に起こる苦難を暗示しているように見えた。

ハァハァと荒い息をつきながら1時間程走ると、遠くに森の木々が見えてきた。
ここから数十キロに渡って鬱蒼としたジャングルが続くのだ。
体力を削り取る太陽の光は幾分和らぐだろうが、地面は柔らかくなる上に所々に木の根が顔を出し、毎月何匹かのドラゴンが転倒して怪我を負っていた。
先頭を行く5匹の若いドラゴン達がスッとジャングルの中に消えていった。
数分遅れてワシのいる集団もジャングルに突入する。
乾燥してガチガチに固かった荒野の地面が一転して湿り気を含んだ土に変わり、足が地面にめり込んだ。
「む・・・ヌゥ!?」
重い体重が災いしてか足元が滑りやすくなり、時折転びそうになる。
「じいさん、思い切り足の爪立てて走りな。もし転んだりしたら怪我じゃすまんぜ」
見ると、先程の緑色のドラゴンが柔らかい地面に長く伸びたかぎ爪を器用に突き刺して走っている。
それを真似してひび割れた爪を地面に突き刺してみると、思った以上に走りやすくなった。
「むぅ・・・これは・・・」
「な?たまには若いモンの話も聞くといいってことさ」
緑のドラゴンはそう言うと少しだけ速度を上げた。ワシも負けじと体にムチ打ってそれを追いかける。

ドドドドドドドドドド・・・・・・ガッ
「グアッ!」
ジャングルの中を怒涛の勢いで疾走している途中、木の根に足を取られて3匹のドラゴンが怪我を負った。
「くそぉ!こんなところで・・・」
「ううぐ・・・」
中には足を襲う激痛に呻きながら、レースをリタイヤせざるを得ない悔しさに涙を見せる者もいた。
それでも、生きて町に帰れるだけ彼らはまだ幸せだ。
この先、下手をすれば命を落とす者も出てくるかもしれない。
さらに2時間ほど走り続けると、やがて木々に覆われた視界が開けてきた。
鬱蒼と茂っていた樹木が徐々に少なくなり、やがて短い草がまばらに生えた砂地が見えてくる。
先頭の若いドラゴン達は思ったほど遠くにはいっておらず、500メートルほど先でチラチラと後ろを振り返りながら走り続けていた。
「おい、あのじいさんまだついてくるぜ?」
「ほっとけよ、どうせ最後までもちやしねぇんだから」
「それよりそろそろ砂漠だ。気合入れんとホントに死ぬぞ」
いつのまにか、若いドラゴン達の行く先に草木が一本も見えぬ広大な砂漠が広がっていた。
半径約160キロの円形のコースはその半分以上が砂漠になっており、レースを走るドラゴン達は太陽が傾き涼しくなる夕方から約18時間かけてこの死の砂地を駆け抜けねばならなかった。
深夜ともなれば気温は氷点下に達する。寒さに凍えて命を落とすドラゴンもいれば、砂漠越えに時間がかかり過ぎて灼熱の太陽が照りつける昼の砂漠を横断する羽目になるドラゴンもいた。
まかり間違ってもここで力尽きることは許されない。
「ハァ・・・ハァ・・・クッ・・・」
悲鳴を上げ続ける全身を酷使して、ワシは夕焼けに赤く染まる砂漠を決死の覚悟で突き進んだ。

太陽はすでに西の空に沈みかけ、辺りはさっきまでの暑さが嘘のように急激に寒くなってきた。
ワシは筋肉の疲労に耐え切れず、徐々に寒さの激しくなる砂漠をザクザクと歩き始めた。
他のドラゴンも疲労が限界に達したのか、すでに昼間のように元気一杯で走り回る者はいなかった。
薄暗い中でも先頭を歩く若いドラゴンの集団が見える。
彼らもさすがに疲労困憊の様子で、ガクリと頭をうな垂れてトボトボと歩いていた。

やがて太陽が完全に沈み、辺りは星の光しか見えない真っ暗な闇に覆われた。
「う・・・」
呻き声とともに、ワシの背後でドサッという音が聞こえた。
ゆっくりと後ろを振り返って見ると、中堅ドラゴンの1匹が乾いた砂の上に倒れ込み、寒さにガチガチと歯を鳴らしている。
「う・・・あぅ・・・寒い・・・」
憐れな・・・彼は最早助かるまい。だが、ワシ自身もいつあのドラゴンと同じ目に遭うかわからなかった。
寒さはさらに厳しくなったが、大分長い間歩いたせいか体はほんの少しだけ力を取り戻したような気がする。
ワシは少しだけ歩を早めると、苦痛と絶望に苛まれている他のドラゴン達を1匹、また1匹とゆっくり追い抜いていった。

「全く・・・元気なじいさんだな・・・」
「どこにあんな体力があるんだ一体?」
ジャングルでリタイアして1匹減った先頭集団のドラゴン達が、ヨロヨロとよろめきながらも徐々に距離を詰めてくる老ドラゴンを振り返って呟いた。
「うぅ・・・俺ももうだめかも・・・」
その時、1匹の若いドラゴンがグタッと地面に倒れ込んだ。
頭の先から尻尾の先までをブルブルと震わせて必死で寒さに耐えてはいたが、恐らく2度と起き上がることはできないだろう。
「おい、体動かしてないと死んじまうぞ!?」
「ああ・・・お前ら先に行っててくれよ・・・俺も後から行くから・・・なんか凄く、眠いんだ・・・」
口を半開きにしたまま、力尽きたドラゴンは上の空で答えた。
「おい・・・おいっ!」
別のドラゴンが大声で呼びかけたが、反応はなかった。
そして、道半ばで倒れた若いドラゴンは永久に覚めぬ永い眠りについた。
「くそ・・・行くぞ」
漆黒の闇に溶け込みながら、黒い老ドラゴンもすぐ近くまでやってきていた。
若いドラゴン達が、不運にも力尽きた仲間をそこに置いたまま再び先へ進み始める。
すでに5匹のドラゴンが戦線を離脱し、レースは中盤戦へと突入し始めていた。

11匹のドラゴンが長い列をなして夜の砂漠を横断していた。
誰もがお互いの位置を確認しあって隙あらば追い抜こうと考えていたが、実際にそれほど体を動かせるものはいなかった。
気温はなおも下がり続け、濃い紫色の空に浮かぶ星の輝きが一層強くなる。
「ゼェ・・・ゼェ・・・」
「ハァハァ・・・」
猛烈な寒さと体の軋み、そして先の見えない不安がないまぜになり、まだドラゴンレースに潜む魔物を知らない若いドラゴン達を蝕み始めた。
前半に飛ばしすぎたせいで、先頭集団の3匹のドラゴン達は皆一様に酷く疲弊し、ひっそりと追い上げてきていた1匹の中堅ドラゴンと老ドラゴンの存在に気がつかなかった。

「ウク・・・ムヌ・・・」
全力で足を一歩一歩前へ踏み出し、ワシはようやく疲れ切った若いドラゴン達に追いついた。
その横には、常にワシの隣を走ってきたあの緑色のドラゴンが並んでいる。
「う・・・じいさん・・・いつのまに・・・?」
ワシに気付いた若いドラゴンが驚いてこちらを見る。
そのスラッとした端正な顔には、苦悶とも言えるほどの辛そうな表情が浮かんでいた。
「時間がかかり過ぎてる。このままじゃ明日の一番暑い時間に砂漠をさまよう事になるぞ」
緑色のドラゴンは皆に言い聞かせるように呟いた。砂漠に入ってすでに10時間が経とうとしていたが、恐らくまだ半分も進んでいないだろう。深夜2時半・・・最も砂漠が冷え込む時間だ。
チラリと後ろを振り返ると、最後尾にいた1匹のドラゴンが力尽き、冷たい砂の上に倒れ込むのが見えた。
「こんなところで死ぬわけにはいかぬ・・・」
またも失われた命を目の当たりにして、ワシは少しずつ少しずつ歩く速度を上げた。
全力でなど走らなくてもいい。
この極寒の地獄に耐えるため、再び灼熱の太陽に焼かれる前に砂漠を抜けるため、今は少しでも体を動かし、延々と続く青白い砂丘を急ぐことが必要なのだ。
老いぼれたドラゴンが走る姿を見て、若いドラゴン達もそれに続いた。

数分後、10匹のドラゴン達は皆砂埃を巻き上げるほどの速さで走っていた。
「じいさん、俺はあんたを見直したよ」
「ああ、朝はひどい侮辱をして済まなかった」
若いドラゴン達は再びワシを追い抜いて先頭を走っていたが、時折後ろを振り返っては詫びの言葉を口にした。
疲れが限界を遥かに超えたせいか、どのドラゴンも逆に疲労から解放されたように軽い足取りで冷たい砂漠を走り続けた。
何も考えている余裕などない。ただただ見えない糸に操られる人形のように、ひたすら両足で交互に地面を蹴り続けた。
ふと気がつくと、東の空に薄っすらと太陽の光が漏れ出してきていた。

夜が空けた。濃い青紫だった空は再び抜けるような青空に変わり、照りつける朝日が凍えていた体を少しずつ温めていった。
その温もりに力を取り戻したドラゴン達は、なんとか昼前までには砂漠地帯を抜けようと全力で駆け出した。
「フゥ・・・フゥ・・・グ・・・グハハハハ」
つい先程まで死に直面していた者達が再び元気を取り戻して走るのを見て、ワシは思わず笑い出した。
体中がギシギシと軋んだが、不思議と疲れは感じなくなっていた。
砂漠だろうが氷河だろうが沼地だろうが、今ならどんなところでも走り抜けられるような気さえしていた。
冷たく冷え切っていた砂が太陽に炙られて再び陽炎のような熱波を吐き出し始める頃には、前方に十数時間振りに見る木々が顔を覗かせていた。あの森を抜ければ、沼に囲まれた湿地帯に出る。
それを過ぎて再び荒野をしばらく走れば、ゴールとなる町に辿りつけるのだ。
ジリジリと背中を灼く太陽から逃げるように、ドラゴン達は一斉に森の中に飛び込んだ。
乾いたサラサラの砂の地面がぬかるみに変わり、皆色とりどりの体を泥で真っ黒に染め上げながら走り続けた。

「うわぁ!」
「うおっ!」
突然、ぬかるんだ地面に足を取られた後方の2匹のドラゴンが、脇にあった沼地へと滑り落ちた。
なんとか抜け出そうと柔らかい水底を必死で掻き毟るが、爪も尻尾もむなしく泥を巻き上げるばかりで彼らの体を岸へ上げることはできなかった。
溺れることはなかろうが、ゴールを目前にして彼らは無念の涙を飲むことになった。
ワシは前を行く若いドラゴン達に追い付こうとさらに軋む体を強引に動かした。
だが、速度は上がるどころか逆に落ち出した。体中が痺れるような異常な疲労感が襲ってくる。
他のドラゴン達も、走りにくい泥の上を進むにつれて今までひた隠しにしてきた疲労が一気にどっと溢れ出したようだった。
勢い勇んで湿地帯に飛び込んだ時のような力強さが消え、いまや8匹のドラゴン達は再び強烈な疲労と戦いながらノロノロと進むことを余儀なくされた。

「う・・・あく・・・」
「がぁ・・・」
先頭にいた若い2匹のドラゴンが、ドシャッと泥の海に倒れ込んだ。
前半の無理が祟り、疲労に疲労を重ねた彼らの足はもはやピクリとも動かせなくなっていた。
残っていたもう1匹の若いドラゴンも滑りやすい泥の上をヨロヨロと歩き、今にも泥の海に倒れそうだ。
その頼りない足取りを見守っていると、背後で崩れ落ちたドラゴンがいた。
ずっとワシとともに走ってきたあの緑色のドラゴンだ。
「う、ぐぅ・・・じいさん・・・俺も、もうだめらしい・・・」
「何を言う。お主はずっとワシとともに走ってきたであろうが。立て、立つのだ」
だが彼には、その励ましの言葉に応える体力はもう残っていなかった。
「だ・・・だめなんだ・・・もう動けねえ・・・へへ、な・・・情けねえな・・・」
目に涙を浮かべて喘ぐ彼の姿を、ワシは複雑な心境で眺めていた。
だが、そのワシにもそろそろ体に限界が来ているようだった。

「ヌ・・・ヌアア・・・」
ビキッという音とともに両足に激痛が走り、ワシは緑色のドラゴンと同じように泥の上にくずおれた。
「ア、グァ・・・ヌアアアアッ!」
全身の筋肉が弾けるような強烈な痛みに、ワシはバタバタと地面をのたうち回った。
だが、この老体がここまでもったこと自体が奇跡のようなものだ。
「グ・・・ワシも・・・これまでか・・・」
見ると周囲を歩いていた他のドラゴン達も皆、肉体の許容量を超えた疲労に倒れ伏している。
昼間だと言うのにどこか薄暗い沼地は、無謀なドラゴン達の苦痛の声で満たされていた。

正午になった。
いつもならすでにトップのドラゴンがゴールに駆け込んできている時間だが、不思議なことに見物のドラゴン達がいくら待ってみても、誰一人として姿を見せる者は現れない。
「どうしたんだ?誰もこないぞ?」
「みんな脱落したのか?」
「ああ・・・あんた・・・」
レースの見物者達の間に、あちこちで不安と憶測を孕んだ会話が巻き起こった。

一方、沼地では多くのドラゴン達が泥濘に溺れ苦痛に喘いでいた。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」
ようやく全身の激痛から解放されたワシは、なんとか起き上がろうとしてみたが、相変わらず泥に自由を奪われてロクに立つことすらままならない。
「ウグッ・・・妻よ・・・待って・・・お・・・れ」
ズルズルと両手で地面を掻くようにして進む。後ほんの数キロで湿地帯を抜けることができるはずだった。
ちゃんとした固い地面であれば、まだなんとか歩くことくらいはできそうな気がする。
目の前に、最後に残った若いドラゴンが倒れていた。全身に巡る苦痛に身を縮めて耐えているようだ。
それを横目に、ワシは何度も何度も泥の海を掻き続けた。

1匹のドラゴンも帰ってこないまま、ついに太陽が傾き始めていた。
真っ赤に焼けた夕日が、ドラゴン達の帰りを待つ見物者達の不安を煽る。
その時、誰かが声を張り上げて叫んだ。
「帰って来たぞーーー!」
その声に、大勢の視線が荒野の遥か先で動く黒い点を凝視した。
あの年老いたドラゴンがヨロヨロと、しかし確実に、一歩一歩を踏みしめるようにゆっくりと近づいてくる。
「じいさんだ!じいさんが帰って来た!」
「頑張れ!もう少しだ!」
息も絶え絶えで地面を這うようにして黒い老ドラゴンがゴールに近づいてくると、見物のドラゴン達は一斉に応援を始めていた。

後数メートル・・・手を伸ばせば届きそうというところで、ワシは体を支え切れなくなって固い地面に倒れ込んだ。
だが、勝利はすぐ手の届くところにあるのだ。
ワシは最後の力を振り絞って地面を這うと、腕を大きく伸ばしてゴールを割った。
そして・・・そのまま力尽きてしまっていた。
「おめでとうじいさん!あんたが優勝だよ!」
意識が、薄れていく・・・もし今気を失えば、ワシは2度と目を覚まさないであろうことを確信していた。
そして静かに目を閉じたまま、擦れた声を絞り出す。
「つ、妻を・・・妻を頼む・・・」
それだけ言い残すと、ワシの意識は深い闇の中へと吸い込まれていった。

数匹のドラゴン達が町外れにある老ドラゴンの住み処に向かうと、赤いドラゴンが苦しそうに寝床に蹲って喘いでいた。
丸一日何も食べていないせいで体の衰弱が激しくなり、力なくグッタリとしてうわ言のように何度も何度も夫を呼び続けている。
「こりゃいかん。おい、すぐに何か食べる物を持って来い!」
若いドラゴンがそう大声で叫ぶと即座に大きな肉の塊が住み処に運び込まれ、妻のドラゴンは荒い息をつきながら無我夢中で2日振りの食事を味わった。

「ありがとう・・・」
一通り食べて落ちついたのか、年老いた赤いドラゴンはドサリと地面の上に座った。
そして、その時になって初めて周囲の状況を察していた。
若いドラゴン達がここまで来たということは、きっと夫は無事にレースを完走することができたのだろう。
そして恐らくは、優勝することができたのだ・・・だが・・・
次の瞬間、大きなドラゴンが力尽きた老ドラゴンを背中に乗せてのしのしと住み処に入ってくるのが見えた。
「あなた!」
ドサリと地面に寝かせられた黒いドラゴンは、もう息をしていなかった。
極限まで全身の筋肉を痛めつけられた彼の体力はとうに尽き果てていたにもかかわらず、この年老いたドラゴンは妻を思うあまりに、その朽ちた体を気力だけで歩かせたのだ。
見るも無残に変わり果てた夫の姿を目の当たりにして、妻が泣き崩れる。
「あぁ・・・あなた・・・あれほど無理はしないでって言ったのに・・・あうぅ・・・」
「奥さん、俺達は外にいるから何かあれば言ってくれ」
それからしばらくの間、しくしくとすすり泣く妻の声が辺りに響いていた。

町を治めるべき長が亡くなったために、その月を最後にドラゴンレースは廃止され、町に住む者達は偉大な老竜が息を引き取ったゴール地点に彼の墓を立ててその英霊を奉った。
妻のドラゴンは町の若い夫婦に引き取られて暮らし、毎日のように夫の墓を訪れては彼に対する深い感謝と悲しみに涙を流す生活を送っている。
最愛の妻への思いに枯れ果てた体を衝き動かし続けた老ドラゴン。
固い荒野の地面に無数に刻みつけられた彼の足跡は、数千年の時を経てもついに消えることはなかったという。



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