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禁断の意匠に抱かれて

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rogan064

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カッ・・・カキッ・・・ガッ・・・
町の片隅に佇む小さな小屋の前の広場に、断続的な金属音が響き渡っている。
岩肌に押し当てたノミにハンマーを叩きつける度に、砕けた細かな岩の破片がキラキラと辺りに飛び散った。
照りつける太陽の暑さに滲み出した玉のような汗を拭いながら、ハンマーを振るう手にさらに力を込める。
「はは・・・今日も精が出るじゃないか、ルイス」
不意に背後からかけられたその声に、俺は作業の手を止めると静かに後ろを振り向いた。
「何か用かい?グレッグ」
背後に立っていたのは、俺よりも3歳ほど年上の友人だった。
年が違うのに幼馴染というのもおかしな話だが、実際の所この小さな町では彼ほど親しい友人は数少ない。
「あんまり根詰めると日射病で倒れちまうぞ。ほら、こいつでも飲めよ」
そう言うと、グレッグは手にしていた冷たい水の入ったコップを俺の前へと差し出した。

「ああ、ありがとう」
グレッグから受け取った水をグイッと飲み干す間、彼は興味深そうに辺りを見回していた。
いや正確には、広場の周りにずらりと立ち並んでいる俺の作品を、だ。
「全く、お前の才能には毎度驚かされるよ。ノミとハンマーさえありゃ、どんな複雑な石像も作っちまうときた」
「それだけじゃ足りないさ。鋸や鑢だっているし、それに満足のいくものを創ろうと思ったら時間だって・・・」
「ふ~ん・・・それで、今までその"満足のいくもの"ってやつはできたことがあるのか?」
傍目にはまるで生きているかのような躍動感のある虎や猪の石像を眺め回しながら、少し意地悪な笑みを浮かべたグレッグが疑い深げに尋ねてくる。
「まさか・・・本当に満足のいくものができたら、俺はもうこんな仕事は辞めてるさ。でもこいつだけは・・・」
俺はそこまで言うと、今までノミを打ち込んでいた目の前の巨大な岩の塊に視線を戻した。
「どうしても自分で納得のいく作品に仕上げたいんだ」
「こいつはまたやけに馬鹿でかい岩だな。今度はマンモスでも創るつもりか?」
「そうじゃない。俺が創りたいのはドラゴンさ。巨大で威厳に満ち満ちた、美しいドラゴンを創り上げたいんだ」

それを聞くと、グレッグは呆れたとばかりに両手を左右に広げていた。
「ドラゴンならお前の親父さんも創ってただろう?尤も、できた途端に親父さんは行方不明になっちまったが」
グレッグの言葉に、俺は親父が家を出ていった日の記憶を思い出していた。
"あのドラゴンはまだ最後の仕上げが残ってる。だから、まだ売るんじゃないぞ"
それが、俺が聞いた親父の最後の言葉だった。
親父の作ったドラゴンの石像はそれから1年程はこの広場に置かれたままになっていたものの、収入源のなくなった俺達家族には親父の残した石像を少しずつ売って金に変えていくしか生活の方法がなかったのだ。
やがて最後に残っていたドラゴンにも買い手がついてしまい、結局親父の石像は未完成のまま売れてしまった。
「その話はよしてくれ・・・親父は多分、もうここには帰ってこないだろうから・・・」
「ああ、悪かったよ。だが体には気をつけろよ。お前はもう独り身なんだからな」
声を出して返事をする代わりに後ろ手を振ると、グレッグの気配が少しずつ背後から遠のいていく。
そして自分だけの静かな時間を取り戻すと、俺は再びノミに向かって小振りのハンマーを振り上げていた。

それから3週間、俺は寝食の間も惜しんで巨大な岩の塊を彫り続けた。
これまでにも特に気合を入れて石像を創る時は早朝と深夜に2度の食事を摂る以外は雨の日も雪の日もひたすら創作に打ち込んだことが何度かあったのだが、今回だけは何かが違うような気がする。
それはもしかしたら、親父の作ったドラゴンの石像を超えたい、それ以上の意匠を凝らしたいという意志というのか、ある種の競争心の表れだったのかもしれない。
長くくねらせた首の周りに滑らかな鱗を彫り込む時も、背後に小さくまとめた太い尾に力強い筋肉を形作る時も、そして背から生えた1対の大きな翼の翼膜を磨くときも、俺はまるで命を吹き込むかのように魂を込め続けた。
大きく見開かれた2つの竜眼が創造主である俺の姿を鋭く睨みつけ、躊躇いがちに小さく開けられたドラゴンの顎の端からは研ぎ澄まされた刃のような湾曲した牙がいくつも覗いている。

「おお、こいつは凄いな!」
最後の仕上げにと両手の指先から生えたドラゴンの爪を鑢で磨いていると、いつものように差し入れの冷たい水を手にしたグレッグが背後で感嘆の声を上げたのが聞こえた。
「そう褒めるなよ。これでもまだ、やっと親父に追いついたってところさ」
「まだやり残しが残ってるっていうのか?石像のことは俺にはよくわからんが、もう十分な出来じゃないか」
グレッグの言葉に、俺は磨き終わった鋭い竜爪にフッと息を吹きかけると9割9分完成した作品を見上げていた。
確かに、素人目ではなく子供の頃から多くの石像を見てきた俺から見てもこのドラゴンにはもう手を加える所がまるで見当たらない。
だがそれは、親父が最後に創ったあのドラゴンの石像にも同じことが言えるだろう。
「確かにそうなんだが・・・何かこう、足りないんだよ・・・」
「ふぅん・・・そんなもんかね・・・まぁ、本物のドラゴンに比べたら物足りないってのもわかる気はするがな」
「え・・・?」
それを聞くと、俺は思わず勢いよくグレッグの方を振り向いた。

「グレッグ・・・今何て言った?」
「ん?ああ、気を悪くしたなら謝るよ。別にお前の石像を貶したわけじゃないんだ」
「そうじゃない。石像は本物には敵わないって言ったよな?」
グレッグは別段俺に険悪な雰囲気が無いことを見て取ったのか、おずおずと先程の言葉を認めていた。
「あ、ああ・・・それがどうかしたのか?」
「わかったんだよ・・・親父が、あのドラゴンの石像に何をやり残したのか」
俺はそれだけ言うと、ここ数週間は食事と寝る時以外にはほとんど足を踏み入れることのなかった自分の家へと取って返していた。
その後ろを、怪訝そうな顔を浮かべたグレッグが一緒についてくる。

「お、おいルイス、一体どうしたっていうんだ?お前の親父さんがどうかしたのか?」
「きっと親父は、あの石像に命を吹き込もうとしたんだ。そしてその方法を探しに、家を出ていったんだと思う」
「そんな馬鹿な。幾らなんでも、石像に命を吹き込む方法なんてあるわけないだろ?」
グレッグの言葉を内心では認めつつも、俺はかつて親父が使っていた書斎に入ると部屋の隅にある使い古された埃っぽい書棚の中をゴソゴソと漁り始めた。
「親父に聞いたことがあるんだ。この地方には、昔から不思議な力を宿した黒い石があって・・・」
「そいつを使えば、石に命を吹き込むこともできるってのか?」
「ああ・・・多分な・・・」
もちろんそんな確証はなかったものの、俺はグレッグの言葉に小さく頷いていた。

「あった・・・これだよ」
やがておぼろげな記憶を頼りに書棚の中から数冊の本を抜き取ると、それらをベッドの上にボンと放り出す。
超大国 ルミナスの興亡 歴史評論家 J.オーガス著
知られざる歴史の素顔 冒険家 I.ウィルシュ著
世界の呪われた宝飾品100選 宝石商 M.エリー著
今、我が人生を振り返り 竜獣学者 I.V.ウィリアム著・・・
「おいおい、こりゃまた随分と古い本を引っ張り出してきたもんだな」
「まあいいから読んでみてくれ。どの本にもほんの触り程度だけど、黒曜石に似た黒い水晶の話題があるんだ」
「最初の記録は1274年か・・・確かに550年以上も前からそういう石があったことは確かなようだが・・・」
グレッグは手早く何冊かの本を読み終えると、俺もどこか心の内で引っかかっていたことをズバリと言い当てた。
「用途が胡散臭過ぎやしないか?例外もあるが、ほとんどがドラゴンや人間に呪いをかけるために使われてる」
「た、確かにそうだけど、要は使い方の問題だろ?善良な使い方をすれば問題はないはずだ」
「まぁ・・・百歩譲ってそうだったとしても、その石の在り処ってやつはわかっているのか?」

グレッグの言葉に、俺は思わず口を噤んでしまっていた。
もちろん、そんなこと分かるはずがない。
もしかしたらこの近くに例の石が産出する場所でもあるのかもしれないが、親父はそれを探しに行ったきり戻ってこないのだ。
この石自体がかなり貴重なものであることも考えると、採取に危険が伴う場所にあるのかもしれない。
「なぁルイス・・・叶えられなかった親父さんの夢を引き継ぎたい気持ちはわかるが、こんなのは夢物語だよ」
グレッグはそれだけいうと、俺の肩をポンと叩いて家から出て行ってしまった。
夢物語か・・・確かに、その通りかもしれない。
だがもしほんの1%でも実現の可能性があるのだとしたら、俺は自分の創ったあの巨竜が自らの意思で動く様を見てみたい。
そんな悶々とした気分をついに振り払うことができず、俺はその日いつもより早めに床に就いていた。

それから2ヶ月後、俺は相変わらず創り上げたドラゴンの石像を見上げてはまるで空を飛ぶ鳥に憧れる子供のような心境で叶わぬ夢を思い描いていた。
「まだ諦めきれないのか?」
背後から聞こえてきたグレッグの言葉にも、小さく頷く以外の反応を示す気になれない。
「お前、あれから全く何も創らなくなっちまったじゃないか。このままじゃ、そのドラゴンもまた売れちまうぞ」
「この石像は売らないよ、グレッグ。金に困ったら、また新しい物を創るさ・・・」
それを聞くと、グレッグはいつかもそうしたようにまた両手を広げて呆れてしまったらしかった。
「ふぅ・・・頑固な奴だな・・・それはそうと、町で古物展が開かれてるんだが、気分転換に行ってみないか?」
「古物展・・・?」
「旅の行商人が来てるのさ。何でも、各地で寄せ集めた骨董品を売ってるんだそうだ」
古物展か・・・まあ、流石にそんな所で探し物が見つかるとは思えないが、グレッグの言う通り俺には気分転換が必要なことは確かなようだ。
「そうだな・・・ここ最近ロクに買い物にも出かけたことがなかったし、たまには羽を伸ばすとするか」
「ハハ・・・よく言うよ。俺から見たら、お前なんて毎日羽を伸ばしっぱなしに見えるんだがな」
そんなやり取りに久し振りにグレッグと大声で笑い合うと、俺は古物展が開かれているという町の中央部に向かって彼とともに歩き出していた。

しばらくグレッグと談笑しながら町の中央部へと近づいていくと、噂の古物展とやらは思いの外多くの人々で賑わっているようだった。
とはいっても、ほとんどの人は普段お目にかかることのできない貴重な品々や一風変わった芸術品を眺めにやってきているだけなのだろう。
その証拠に目の前には黒山の人だかりができてはいるものの、立ち並んだ露店の行商人達の顔にはあまり明るい表情は窺えない。
「へえ・・・随分と面白そうじゃないか」
グレッグも古物展のことは人伝にでも聞いたのか、今初めてこの喧騒を目の当たりにしたといった様子だった。

俺はグレッグとともに人込みの中へと体を滑り込ませると、いくつも並んだ露店の品物に目を通していった。
いかにも歴史を感じさせるような古めかしい雰囲気を醸し出す陶器や、どこかで見たことがあるような画風の絵画などが、所狭しと行商人達の前に並んでいる。
中でも宝飾品を取り扱っているようなところではグレッグに気付かれないように誤魔化しながらもそれなりに注意深く品定めをしてみたものの、やはり目当ての物がそう簡単に見つかるはずもない。
やがて長い長い露店の列を一通り全部見て回ると、大勢の人々の間を歩いたせいか俺とグレッグはお互いにすっかり疲れ切ってしまっていた。
「ふぅ~・・・なかなか楽しかったよグレッグ・・・もう、帰ろうか」
「そうだな・・・久々にどっぷり疲れちまった。まあ、いい気分転換にはなっただろ?」
「ああ、まあな・・・」

来た時と同じように再び人込みの中を縫うようにして露店の列を抜けると、俺は1度だけいまだ賑わいを見せる古物展の様子を振り返ってみた。
とその時、最初来た時は気がつかなかった小さな露店が1つだけ、他の行商人達のテントに隠れるように店を出しているのが目に入る。
「あ・・・グレッグ、待ってくれ。まだ見てない店が1つあるぞ」
「ん?何だ、またあそこに戻ろうっていうのか?俺はもう疲れちまったから、行きたいなら1人で行ってこいよ」
「じゃあ、グレッグは先に帰っててくれ。俺もすぐに帰るよ」
そう言うと、グレッグは右手を軽く上げただけでそのまま家の方へと歩いていってしまった。
さてと・・・例の黒い石が見つかる可能性はほとんど期待できないだろうが、あの小さな店だけ見ないで帰るのは何となくもったいないような気がする。
俺はグレッグの姿が見えなくなると、疲労の溜まった足に力を込めて他に比べるとやや見劣りしてしまうその小さな露店へと向かった。

「いらっしゃい兄ちゃん、わざわざあっしの店を見にきてくれるなんて嬉しいねぇ」
店に近づくと、それまであまり客がいなかったのか中年の店主が気さくに俺に声をかけてきた。
「どうしてあんただけ、こんな目立たない所に店を出してるんだ?」
「へへ・・・なぁに、うちらの世界にもちょいと上下関係ってものがね・・・つまり、あっしは下っ端なんでさ」
「ふぅん・・・置いてる品物が少ないからかい?」
俺はそう言いながら、台の上に置かれている品物を1つ1つ見ていった。
「まぁ、そんなところで・・・あ、でも扱ってる品物は確かな物ですよ」
「ん・・・これは・・・?」
そんな何気ない店主とのやり取りの最中に、俺は無造作に台の上に置かれていた1本の樫の杖に目を止めていた。
2尺程度の短い杖で一見すると樫の木を無造作に切り出しただけの杖に見えるものの、確かに長い年月を感じさせる不思議な存在感を全身から放っている。
しかもよく見てみると、俺は柄に比べて少し丸い膨らみを持った杖の先端に美しく輝く直径5センチほどの小さな黒い石がはめ込まれていることに気がついた。

「ああ、その杖はいわゆる曰くつきの品でね・・・ここ数百年の間に、次々と持ち主が変わってるんだそうでさ」
「どうして?そんなに頻繁に売られるほど貴重なものなのかい?」
「違いますよ。そいつの持ち主は大抵早死にするらしくて・・・あっしも本当は早いとこ手放したいんですがね」
持ち主が早死にする杖だって・・・?
そう言えば以前に読んだウィルシュって人が書いた本の中に、体を石に変えられたドラゴンの話があったはずだ。
そのドラゴンは例の黒い石を埋め込んだ杖で石化の呪いをかけられはしたものの、呪いをかけた人物もドラゴンの逆襲にあって命を落とし、杖はそれから数百年間ずっと行方知れずなのだという。
確かにそれと知る者が見なければ、こんな杖などどこにでもあるくだらない安物に見えてしまうことだろう。
でももしかしたら・・・この古ぼけた杖がその話に出てくる失われた杖なんじゃないだろうか・・・?
だとすれば、この杖の先端に埋め込まれている小さな石こそが正に、俺が、そして親父が探し求めていた目的の石なのかもしれない。

「この杖、幾らだい?」
頭の中で突拍子もない1つの仮説が出来上がった次の瞬間、俺は店主に杖の値段を尋ねてしまっていた。
「へっ・・・その杖を買ってくださるんですかい?それでしたら、銅貨2枚も頂ければ十分でさ!」
「払うよ」
そう答えてポケットの中に手を突っ込むと、もう残り少なくなった生活費の中から銅貨を2枚取り出す。
「へへ・・・毎度あり!」
不気味な杖を手放すことができた喜びか、それとも初めて品物が売れた喜びなのか、嬉しそうに破顔した店主を残して俺は胸の高鳴りを押さえながら家路へとついていた。

しばらく行くと途中で腰を休めていたのか、それとも俺が来るのを待っていたのか、グレッグが道端に座り込んで夕焼けに染まり始めた空を見上げていた。
「結構遅かったな、ルイス・・・何だ、杖なんか買ってきたのか?」
「ああ、銅貨2枚だと・・・安いもんさ」
それを聞くと、妙な買い物をした俺に向かってグレッグが意地悪げに唇の端を吊り上げる。
「今度の作品の参考にでもする気か?例えば杖をついた老人の石像とか・・・」
「からかうなよ。ちょっとした好奇心の問題さ」
俺はそこまで言うとまだ何か言いたそうなグレッグから逃げるように自分の家へと入っていった。

とりあえずドラゴンの石像にこの杖の効果を試すのは、日が暮れてからの方がいいだろう。
それまでに、この石のことをもう少し詳しく調べてみる必要がある。
親父の書斎になら、他にも石のことを書いた本があるに違いない。
いつにも増して質素な夕食もそこそこに薄暗くなった書斎へと駆け込むと、俺はゆらゆらと揺れるランプの灯かりを頼りに再びもう使われなくなった書棚を漁り始めていた。
日暮れ前の黄昏の時間など、すぐに過ぎ去るだろう。
やがて首尾よくそれらしい本をいくつか掘り当てると、俺は親父のベッドに寝そべって夢中で本のページをめくり続けた。

空を朱に染めていた太陽が西の稜線の向こうに身を潜め、いよいよ待ちに待った夜が訪れた。
あのドラゴンの石像に、この杖を試す時がやってきたのだ。
夜を待つ間に読んだ数冊の本によると、この黒い石は人間の思念のようなものを吸収して増幅し、自在に放出することができるという特性があるらしい。
そして石に触れて念じたことが石に吸収されると、黒曜石にも似た漆黒の石が雪のように白くなるのだという。
俺は流石にこの石の真贋に関しては半信半疑だったものの、石の像に命を吹き込みたいと願った俺の手の内で杖の石が真っ白に変色した時には思わず驚きと喜びで飛び上がりそうになったものだった。
これでこの杖が例のドラゴンを石化した杖かどうかは別としても、石が本物であることは証明されたことになる。

俺は杖を持ったままそっと家を抜け出すと、辺りに誰もいないことを確認してドラゴンの像の前までやってきた。
空を見上げれば細い三日月の淡い光が像の顔を照らしていて、まるで今にも動き出しそうな雰囲気を放っている。
いや・・・このドラゴンは、もうすぐ本当に動き出すはずなのだ。
俺は微動だにしない石の巨竜に向けて杖を振り翳すと、心の内で強く願い事を念じた。
シュウウウ・・・
水が蒸発するような低い音とともに杖の先に埋め込まれた真っ白な石が少しずつ元の色を取り戻し始め、淡い光の粒が石像に向かって降り注いでいく。
そしてその非現実的な光景が終わりを迎えると、ドラゴンの石像が突然その長い首を俺の眼前に突き出した。
「グルルル・・・!」
「うわああ!」

例えそれがどんなに事前に予想できていた光景だとしても、いざ実際に現実離れした事態が突然起こった時、人は誰しも驚きの声を上げる。
今の俺の置かれていた状況が、正にそうだったに違いない。
あれほどこのドラゴンが自分の意思で動くところを想像していたというのに、俺はたった今までただの石だったはずのドラゴンに突然唸り声を上げられて尻餅をついてしまっていた。
「グル・・・ルルル・・・」
「あ・・・ああ・・・」
俺・・・殺されるのか・・・?
じっくりと目の前の人間を品定めするような鋭い視線とともに、低く抑えた声がドラゴンの口から漏れている。
だが落ち着いてその眼をよく見てみると、俺に対する殺気のようなものは全くと言っていいほど感じられない。

石の色そのままの黒ずんだ灰色のドラゴンとじっと目を合わせたまま、俺はゆっくりと地面から立ち上がった。
そして平静さを保つために数歩だけ後退さると、恐る恐るドラゴンに声をかけてみる。
「お、お前・・・俺のことがわかるのか・・・?」
「クルル・・・」
ゆっくりと頷きながらドラゴンが上げたのは、先程までの唸りとは異なるまるで甘えるようなトーンの高い声。
どうやら、このドラゴンは俺に創られたということは理解しているらしい。
そしてそれはつまり、人間の言葉をも理解しているということになる。

「さ、触ってもいいかい・・・?」
そんな俺の問に答えるかのように、ドラゴンがそっと首を前に伸ばして来た。
その全身を覆った細かな鱗は、一見すると確かに石そのもののような無機質なものに見える。
だがとても石とは思えぬ程しなやかに動くその体は、まるで柔らかな皮膚にでも覆われているかのようだった。
静かに眼前に差し出されたドラゴンの鼻先にゆっくりと手を伸ばし、その不思議な感触を味わおうと細長い顔をそっと撫で上げてみる。
スリッ・・・
「う、うあああっ・・・!」
だがドラゴンの体に手を触れた途端、俺は一瞬にして全身から力が抜けてその場に崩れ落ちてしまっていた。

「あ・・・あぅ・・・」
何だ・・・これは・・・?
突如として全身を襲った謎の凄まじい倦怠感に、声すらもが上手く出てこない。
まるで息継ぎなしで100メートルを全力で泳ぎ切った後のような後を引く疲労感が、体中に重い鉛のようにのしかかっていた。
「グル・・・?」
当のドラゴンも何が起こったのか分からないといった様子で、不安げな表情を浮かべながら倒れ込んだ俺を覗き込んでいる。
だがややあって倒れた主を助け起こそうとでもしたのか、ドラゴンがその大きな手でそっと俺の腕を掴んできた。
グッ・・・
「う・・・ああ・・・ぁ・・・」
やがて熱くも冷たくもない不思議な感触の手が肌に触れた瞬間、再び耐え難い息苦しさがドラゴンに掴まれた腕から全身に広がっていく。
ドラゴンも流石に異常を感じたのか、俺のか細い呻き声を聞き取ると慌てて掴んだ腕を離していた。

「はぁ・・・はぁ・・・あ・・・はぁ・・・」
まるで、このドラゴンに生気を吸い取られたかのようだ。
今のほんの1分足らずの間に、5歳か10歳は歳を取ってしまったかのような錯覚さえ覚えてしまう。
だがその時、俺はドラゴンが踏み締めていた地面の短い草が茶色く枯れてしまっていたのに気がついた。
まさかこのドラゴンは・・・その身に触れた生物の命を吸い取ってしまうのだろうか・・・?
もしそうだとしたら、これは大変なことになる。
取り敢えず明日にでも、グレッグにこのことを相談した方がいいだろう。
多分小言の1つも聞かされるかもしれないが、このままこのドラゴンを放置しておくわけにはいかない。
幸いにもこのドラゴンは創造主である俺の言うことは聞いてくれるようなので、今晩はあまり目立たぬように家の前で静かに寝ていてもらうとしよう・・・
俺は杖を拾って相変わらずどうしてよいかわからずに困惑気味だったドラゴンをそっと家の前まで連れてくると、朝までそこでじっとしているように言いつけて家の中へと入っていった。

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