悠久の欠片2

    

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「グルルルルルルル・・・・・・」
"今すぐそこから降りてくれば、命だけは助けてやる"
そんな脅迫の言葉が聞こえてくるような迫力で、彼女がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「あ・・・うぁ・・・ま、待って・・・」
地面の上にいた時と違い、今は巨大な飛竜と完全に目の高さが合っていた。
それ故に、鋭い視線から目を離すこともできずに体が言うことを聞かなくなる。
「す、すぐにお、おお、降りるよ・・・」
だがそうは言うものの、仮に降りていったとしても助かる保証などどこにもない。
結局その場から1歩も動くことができぬまま、俺は怒気を巻き散らす雌火竜に岩棚の上で壁際へと追い詰められた。
思わず胸の中に抱き抱えたままにしていた子竜はまだスースーと静かな寝息を立てているが、まさか彼女の見ている前でこの子を叩き起こすわけにもいかないだろう。
「グルル・・・」
子竜を盾にされていると思っているのか彼女はなかなか俺に攻撃してこようとはしなかったものの、相変わらず煮え滾る怒りの蒸気を口の端から吐き出し続けている。
俺はその恐怖に声を上げるのも憚られ、何も言わずに抱いていた子竜をそっと彼女の方へと差し出していた。

リオレイアは差し出された子竜を俺の手から優しく咥えると、依然として寝息を立てている愛しい我が子を慈しむようにそっと地面の上に降ろした。
そしてあちこち眺め回してどこにも異常がないことを確認してから、再び頭を持ち上げて俺を睨みつける。
その鋭い視線には、やはりまだ収まり切らぬ怒りが込められていた。
「そ、そんな・・・お、俺・・・その子には何も・・・」
リオレイアから逃げるように寝床の上を後退さってみたところで、すぐ背後には洞窟の壁が退路を塞いでいる。
ドスッという音とともに背中が壁についた拍子に、リオレイアは素早く俺の方へと首を伸ばしてきた。
「う、うわああああ!」
そして逃げる間もなくパクリと胴体を横から咥えられ、そのまま持ち上げられてしまう。
彼女の強靭な舌で支え上げられていなければ、下顎の牙が背中にズブリと突き刺さってしまうことだろう。
その上更に、俺を咥えたまま彼女がゆっくりと顎を閉じ始めた。

ギ・・・ギシ・・・
「ひっ・・・やめ・・・ゆ、許してくれぇ・・・」
ゆっくりと体が上下から牙の森に挟まれていく感覚・・・
まだ痛いというほどではないものの、このままでは腹の辺りをガブリと丸齧りされてしまう。
だが何とかその恐ろしい口から逃げようと体をばたつかせると、背筋に最初の牙がグッと押し当てられた。
「あっ・・・は・・・ぁ・・・助け・・・」
必死で牙が刺さらないように背中を反らして震えてみるが、リオレイアはそんなこともお構いなしに更に顎の隙間を狭めていく。
プツッ・・・
やがて小さな破裂音とともに、背中に鋭い牙の先がほんの少しだけ突き刺さった。
「いっ痛っ・・・た、頼むからもうやめ・・・てぇ・・・」
だが後ほんの少しで俺の体を噛み砕けるという所で、リオレイアは不意に俺を柔らかい地面の上へペッと吐き出した。

ドサッ
「うぐっ・・・ぐ・・・」
恐怖と痛みで全く体に力が入らず、俺はしばらく地面に落ちた時のままの体勢で呻いていた。
これは警告なのだ。
この洞窟の中に俺が身を置くことはなんとか許してもらえたのかもしれないが、自分の子供には絶対に近づくなということなのだろう。
それは恐らくあの子竜が彼女にとっての唯一の愛娘であり、更にはその娘にこれ以上人間である俺を父親として認識させたくないからに違いない。
やがて何とか体が動かせるようになった頃には、子竜は目を覚ますこともなく元通りに寝床の上へと寝かされていた。
まだ子供故なのか、どうやら随分と深い眠りについているらしい。
そしてリオレイアの方は洞窟へ入る時に咥えていた獲物を再びその口で拾い上げると、なぜか子竜ではなく地面の上に転がっていた俺の方へとその獲物を持ってきた。
彼女が持ってきた獲物は、どうも昨日の昼頃にあの断崖の下を歩いていた豚らしかった。
らしかった・・・というのは、こんがりと香ばしい匂いととともに全身がほとんど真っ黒焦げに近い状態になっていたせいで判別がつきにくかったためだ。

「これ・・・は・・・?」
もしかして、これは俺の為の食料なのか?
ハンター達が生肉を焼いてから食べることを知って、雌火竜がその口から吐き出す高温の火の玉でわざわざ獲物を焼いてから俺のところへ持ってきてくれたとでもいうのだろうか?
「グルッ・・・ルルル・・・」
俺が疑問を込めた眼差しをリオレイアに向けると、彼女は見つめ返されて目のやり場に困ったのか、そそくさと自分の子供の面倒を見にいく振りをしてその場から離れていった。

眠っている子供をじっと覗き込むようにしながらも時折彼女の首がほんの少しだけ俺の方へと傾けられるのは、やはりどこか俺を意識しているところがあるのだろう。
まあ折角獲ってきてくれた獲物だし、ほとんど丸1日何も食べていなくて腹が減っていた俺としてはこの差し入れが素直に嬉しいことには変わりない。
俺は真っ黒焦げになった豚の脚を1本だけ力任せに引き千切ると、骨付き肉のようにしてそれにかぶりついた。
「ん・・・結構美味いな・・・」
外側は焦げているものの、肉の中の方は程よい具合に火が通っているようだ。
彼女はああ見えても、割りと料理上手なのかも知れない。
そんなことを考えながら、俺は空腹を満たすように次々と肉へ食いついていた。

一体、なぜ私はこんなことをしているのだろうか・・・?
この私があの人間の為にわざわざ食料を持ってきてやったなど、自分でも未だに信じられぬ。
それにさっきもあやつを殺そうと思えば・・・いや、私は確かに殺そうとしたのだ。
最後に残った愛しの我が子に手を出そうとしていたあやつをゆっくり噛み砕いてやろうとして・・・また、あの子の顔が頭に思い浮かんでしまった。
あの子がロクに騒々しい鳴き声も上げず静かにあの寝床の上で過ごしていられるのは、忌々しいことだが間違いなくこの人間がそばにいるからなのだ。
だがあの人間をこれ以上ここへ置いておくとしたら、私の方にもそれなりの覚悟が必要になるだろう。
余程腹が減っていたのか夢中で肉を食べている人間をチラリと見やりながら、私は溜息をつく代わりに小さく唸り声を上げた。

それから数日の間、俺は雌火竜の母子とともに奇妙だがどことなく穏やかな生活を送った。
多少は信用してくれたのかリオレイアは俺が塒の外で日光を浴びることくらいは許してくれているし、何より飛竜がどうやって子供を育てているのかを間近で見ることができるのだ。
子竜の方も日が経つにつれてどんどん食欲が旺盛になり、最初の頃はほとんど寝てばかりで食事も1日1回だったのが今では1日3回は何かを食べている。
母親は餌の調達に忙しいのか、昼の間はほとんど外を飛び回っていて塒の中に帰ってくるのは夜寝る時と子竜に餌を与える時だけだった。
まあその上文字通り石潰しの俺がいるのだから、俺の所に焼いた獲物を持ってくる時はいささか腹立たしげな態度を表すこともあったのだが・・・

子竜の成長は、一番間近で見ている俺にも目を瞠るものがあった。
産まれた時は尻尾を含めて体長1mほどだった小さな体は日に日に大きくなり、10日も経つと2mに手が届きそうなまでになっている。
特に尻尾の先はメキメキと大きく膨らみを持ち始め、猛毒を持つとされる6本の巨大な刺の片鱗が既に顔を出し始めていた。
これほど成長が早いのならば、あの子供は産まれてから1年も経たないうちに20m近い母親と同等の姿態へと変貌を遂げることだろう。
飛竜の小さな個体がほとんど全くと言っていいほど確認されていないのは、ひとえにこの成長速度のお陰なのに違いない。
「はは・・・こりゃあ、俺が用済みになる日もそう遠くないな・・・」
それが何を意味するかはもう何度もこの身に刻み込まれて知っていたものの、俺はもう何故か死の恐怖というものを感じなくなってしまっていた。

バサッ・・・バサバサッ・・・
「ん・・・な、何だ・・・?」
初めてここへ連れて来られてから3週間が過ぎた頃だろうか、俺はいつものように暖かいリオレイアの翼に包まれて眠っていたものの、朝方になって顔に当たる不自然な微風で目を覚ました。
見ると、体長3m程になった子竜が寝床のあった岩棚から飛び降りながら空を飛ぶ練習をしている。
何度も何度もあの子にとってはもう狭くなった岩棚の上へと攀じ登っては、必死に翼を羽ばたかせながら柔らかい地面の上へと力強く飛び跳ねているのだ。
母親の方もその様子に気がついたのか、むくりと顔だけを上げて我が子の微笑ましい様子を見守っている。
そして思わず巨大な彼女と同時に顔を見合わせてしまい、俺は思わず噴き出しそうになるのをグッと堪えていた。
あの子が自力でこの洞窟から飛び立っていくことができるようになれば、彼女にとって俺はもうただの邪魔な存在、道端の石ころほどの価値もなくなってしまうのだろう。
無表情に人間の顔を覗き込む彼女からはその暗い思考を読み取ることはできなかったものの、俺と目を合わせたということは少なくとも今後の俺の処遇について考えるところがあったのに違いない。

「なあ・・・あの子がいなくなったら・・・俺、やっぱりあんたに殺されるのか?」
人間の言葉など通じるはずもないことは重々承知していたが、俺はどうしても彼女の胸の内を尋ねずにはいられなかった。
毎日毎日何の役にも立っていない俺の為にも食料を探し回り、その上夜はこうして大きな翼で暖めてくれるのだ。
仮にあの子竜の父親代わりとして生かされているだけにしても、飛竜がここまで人間に尽くしてくれるということが果たして他にあるのだろうか。
「グルル・・・」
だが彼女は穏やかな唸り声とともに俺から目を逸らすと、そっと地面の上へ顎を擦りつけて眠ってしまった。
きっと、今は何も考えるなということなのだろう。
巨大な雌火竜の葛藤を少しばかり掬い取ることができて、俺は黙って腕枕をすると子竜の飛行練習を飽きることもなくずっと眺め続けていた。

昼過ぎになって母親が狩りへと出かけていくと、子竜は一時休めていた体を起こして再び巣立ちの練習を始めた。
「ピィー!」
俺に見られているのが嬉しいのだろうか、地面の上にバフッと柔らかい着地をする度に子竜が甲高い声を上げながら俺の方へと視線を向けてくる。
「ああ、もうちょっとで飛べるようになるぞ、頑張れ」
そしてそう声をかけてやると、子竜はまた意気揚揚と岩棚の上へ登っていくのだった。
バサッ・・・バサァッ・・・バサァッ・・・
それまでは必死に上下に動かしていただけの翼がやがて一定のリズムを持ち始め、鳥の羽ばたきのように無駄のない大気の煽りが少しずつではあるが確実に子竜の滞空時間を増していく。
一部の鳥類は飛ぶ練習を始めてから数時間で自在に飛び回れるようになるという話を聞いた事があるが、それはきっと飛竜も同じなのだろう。
そしてやがて母親が今日3度目の餌を捕えて塒へ戻ってきた頃には、子竜は既に自力で宙空に浮いていることくらいはできるようになっていた。

もう夜になろうというのに、私は塒に向かって飛びながら顔を叩く風に微かな暖かさを感じていた。
あの子が巣立ちを迎える頃には、この辺りにもまた照りつける太陽が熱い温暖な季節がやってくることだろう。
そしていざその時がきたら、あの人間はもう・・・
「キ、キィー!」
そんなことを考えながらいささか放心気味に空を飛んでいたためか、私は暴れた拍子に口から取り落としかけたランポスに慌てて舌を巻きつけると再び口の中へと引き戻した。
まずいことだ・・・ここ最近、私はどうもあの人間に入れ込み過ぎているような気がする。
あやつは娘の成長の助けにはなっても、私には必要のない存在だ。
しかし・・・私は眼下に見えた塒への縦穴に向かって翼を翻しながら、胸の内にもやもやとした濃い霧がかかってしまったかのような気分を味わっていた。

今日の狩りはこれで終わりだろう・・・
だがようやくゆっくりと羽を休めることができるという安堵感とともに塒への縦穴を降りていくと、私は見てはいけないものを見てしまったかのような感覚に襲われた。
娘が・・・満足げな笑みを浮かべながらあろうことかあの人間の元へと擦り寄って甘えていたのだ。
「よーし、よくやったぞ!はは・・・」
そしてうっとりと目を閉じて頭を垂れた娘を撫でながら、人間の方も楽しそうに声をかけている。
何ということだ・・・やはり、あの人間をこれ以上生かしておくことなどできぬ・・・!
私は羽ばたくのも忘れてドオンと荒々しく地面の上へ着地すると、口に咥えていたランポスを怒りにまかせて一気に噛み潰した。

グシャッ
「ギ・・・ギィ・・・」
そして短い断末魔を上げながら息絶えた獲物を脇へと投げ捨て、娘を誑かす人間の命を刈り取るべく血に濡れた牙を剥き出しにして獲物の元へと歩み寄っていく。
「ピィィ~!」
だが途中で私の殺気に気がついたのか、娘が大きく翼を広げながら私と人間の間へと立ち塞がった。
"そこをどけ!"
「グオアァー!」
私は娘を威嚇するように洞窟中に響き渡るような咆哮を上げてみたものの、娘の方も負けじと甲高い子竜の鳴き声を張り上げて抵抗する。
「ピィ!ピピィ~~~!」
"なぜその人間を庇うのだ!?そやつはお前の父親でもなんでもないのだぞ!"
私がそう叫ぶと、娘はキッと鋭い眼で私を睨みつけた。
娘は私の5分の1にも満たぬ程小さい体だというのに、既に女王としての風格と威厳は備わっているように見える。
そして私に見せつけるかのように目の前でバサバサと音を立てながら力強く羽ばたきを始めると、信じられないことに娘の体がフワリと宙に浮き始めた。

まさか・・・娘は今日の朝から、初めて空を飛ぶ練習を始めたはずなのだ・・・
それがもう自らの体を浮かせることができるようになっているなど、私にはとても信じられることではなかった。
これまで私が育ててきた子供達は精々早くて3日、遅い時には1週間以上もの時間をかけてようやく翼の使い方を覚えてきたというのに・・・
これも、あの人間が娘のそばにいて励ましてやったことによる効果なのだろうか・・・?
そして1分程にも及ぶ優雅なホバリングを終えると、娘はハァハァと息を切らして喘ぎながらも再び陰で怯えている人間を庇うように翼を広げた。
きっと、この人間のお陰で空を飛べるようになったと訴えたいのだろう。
可愛い娘にそこまでされては、流石の私もここは引き下がらざるを得ない。
"フン・・・どうしてもそやつを殺すなというのか・・・"
相変わらず私を睨みつけている逞しい娘から逃げるように目を離すと、私は彼らの邪魔にならぬように洞窟の隅でそっと地面に蹲った。
娘には、私よりもあの人間の方が必要な存在なのに違いない。
それならばあの子をここから巣立たせるのではなく・・・娘を残して私がこの地を去るとしよう・・・
ようやく緊張を緩めた娘と人間を洞窟の隅からそっと見守りながら、私は胸の内で密かにそう決意していた。

それから3日後、私はようやく塒の縦穴から外へと飛び出していけるようになった娘に狩りの方法を教えるべく、人間を洞窟の中に1人残したまま母子で出掛けていった。
上空を吹き荒ぶ強風の影響にはまだ慣れていないせいか娘が時折失速して落ちていくものの、すぐに体勢を立て直してまた私についてくる姿には小さな感動すら覚えてしまう。
後はこの子に狩りの仕方を伝えれば、いよいよ娘との・・・そして、この地との別れがやってくるのだ。
私は高い崖の上に広がる草原に数匹の草食竜達の姿を認めると、チラリと娘の方を一瞥して急降下していった。
そして獲物達に逃げる間を与えぬように素早く地面の上へ着地すると、すかさず近くにいた大きな草食竜を毒針の生えた巨大な尻尾で薙ぎ倒す。
「グルルル・・・」
そして短い唸り声を上げて合図すると娘も逃げ遅れた小さな子供の草食竜に激しく突進し、全体重を込めた頭突きで獲物の体を横倒しにしていた。

バサッ・・・バササッ・・・バサバサッ・・・
静寂の中に周期の違う2つの羽ばたき音が不規則に重なって聞こえてきて、飛竜の塒の中で1人寂しく待っていた俺はゆっくりと天を仰いだ。
見れば両脚から生えた巨大な鉤爪で獲物を鷲掴みにした雌火竜の母子が、塒から空へと向かって伸びる縦穴をゆっくりと降りてきている。
これで、あの母親は我が子に受け継ぐべきものを全て伝えたのだろう。
後は、子竜の巣立ちの瞬間を見届けるを残すのみなのだ。
そしてドオンという重々しい音を立てながら地面の上に降り立つと、母親の唸り声に促された子竜が自分で捕えたと見える小さな草食竜の死体を俺の所まで押し転がしてきた。

初めて自力で捕えた獲物を、俺に自慢したいのだろうか?
だがゴロンという音とともに目の前に転がった草食竜の姿を見て、俺はそれが間違いだったことを悟っていた。
ホクホクという香ばしい香りとともに、子竜の持ってきた獲物が程よくこんがりと焼けていたのだ。
「ピピィ!」
「お前・・・俺の為にこいつを獲ってきてくれたのか・・・?」
もちろん俺の言葉など理解しているはずもないのだが、子竜がまるで返事をするかのように再び声を上げる。
「ピッ!」
「はは・・・そうか、ありがとな・・・」

さて・・・もう私の出る幕ではないだろう・・・
"幸せに暮らすのだぞ・・・"
そんなことをわざわざ言わなくても既に十分に幸せそうな娘にそう声をかけると、私は大きく翼を羽ばたいた。
この地の覇権はあの娘に譲り、私は遠く熱帯の密林にでも移り住むとしよう。
娘もそんな私の意図を察したのか、人間とともに何も言わず静かにこちらを見上げている。
そして晴れ渡った空へと勢いよく舞い上がると、私は新たな塒を求めて長い間住み慣れた森と丘を離れていった。

「お前の母さん・・・いっちまったな・・・」
まるで娘への餞別だとばかりに母親が塒の中に置いていった大きな草食竜を見つめながら、俺は小さく呟いた。
何度も恐ろしい目に遭わされたというのに、いざ彼女がいなくなってしまうと何とも心細い気がしてしまう。
「ピィィ・・・」
だが子竜は母親がいなくなってしまった寂しさをほんの少しだけ声に出すと、おもむろに俺の前に蹲ってまだ巨大とはいえない翼を広げていた。
「どうしたんだ急に?・・・もしかして、俺に乗れっていうのか?」
思わずそう聞き返してみると、子竜がまたしても俺の言葉を理解しているかのようにコクリと頷く。
賢い子だ・・・きっと、俺が言わんとしていることを事前に読み取って返事をしているのだろう。
可愛らしげな顔でこちらを振り向いている子竜をそのまま待たせるのも悪いと思って、俺は誘われるがままにゴツゴツした甲殻に覆われた雌火竜の背中へと攀じ登っていた。
そして俺が彼女の首の周りに腕を回したのを確認すると、バサッ、バサッという音とともにこれまでとは比較にならないほど力強い羽ばたきが開始される。

フワリ・・・
やがて重力など全く感じていないかのように、人間を背に乗せた小柄な雌火竜の体が地面から持ち上がった。
更にはそのままゆっくりと上昇を続け、ついに青々と澄み切った空の下へと飛び出していく。
「おお・・・!」
ここへ連れてこられた時には恐ろしい牙に挟まれてそれどころではなかったが、俺は今眼下に広がるモコモコとした緑の絨毯をその深い陰影とともに一望していた。
背に乗せた人間の重さなど微塵も意にも介さず、子竜が楽しそうに自由な空を舞い降りていく。
そして永遠に感じた非日常的だが幸せな一瞬を過ごした後に、俺は短い草の靡く草原の真ん中に降ろされていた。

「ここは・・・」
「ピィッ・・・!」
そうだ・・・ここは、俺が初めてこの子竜と会った・・・あのひび割れた卵の置かれていた草原じゃないか。
「俺・・・戻って来たんだな」
この子竜は、俺が心の内ではずっと人間の村へ帰りたがっていたことを知っていたのだろう。
母親というあの子竜を締め付ける鎖がなくなって、彼女はようやく俺を解放することができたのだ。
「ありがとう・・・俺、またお前に会いにくるよ」
「ピイィ・・・?」
"本当に・・・?"という彼女の言葉が理解できたようで、俺は1度深く頷くともう両手に余るほどに大きくなった彼女の顔を抱き締めていた。
「ああ、本当だよ・・・」

こうして、俺は約1ヶ月振りに懐かしのココット村へと帰ってきた。
後で本人から聞いた話だが、どうやらあの日リオレイアに追われて悲鳴を上げながら逃げ惑っていたのは村に来たばかりだった例の駆け出しのハンターだったらしい。
彼はその後も半年程は細々とハンター稼業を続けていたものの、やがてリオレイアとの一件がトラウマにでもなってしまったのかハンターの仕事から足を洗うと王宮の雑用係になるといって村を出ていった。
そしてそれ以来、俺はあのリオレイアと森にハチミツを取りにいく度に会うようにしている。
彼女はもう俺が森に入っていく時間や場所を覚えてしまったらしく、ある時などは目当ての蜂の巣の前で彼女が眠りながら俺を待っていてくれたことすらあった。


これが、かつて俺が体験した奇妙な出来事の全てだ。
俺は貴重な飛竜の子育ての場に立ち合った証人ということで何度か街に呼び出されたりしたこともあったが、早々に母親より大きくなってしまった新たな陸の女王との不思議な関係は10年経った今も続いている。
途中とある事件のせいで顎に頑丈な口輪をはめられた姿にはなってしまったものの、彼女が母親譲りの暖かい優しさを失うことは決してなかった。
そして元通りの平穏な生活を取り戻した巨大な雌火竜はあの駆け出しだった元ハンターを背に乗せて、今日も晴れ渡った空からこのココット村を暖かく見守ってくれているに違いない。



感想

  • 泣ける… (T.T)シクシク -- パーオリ (2011-03-31 22:52:57)
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