悠久の欠片

    

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歴史に残る雄大な伝説と、歴史から忘れ去られてしまいそうな儚い寂寥感・・・
その両方が同居したある小さな村が、緑の森と丘に囲まれながら静かに佇んでいた。
ココット村・・・この村に暮らしている村長は、かつて山のように巨大な龍を片手で扱えるような小さな剣で打ち破ったことがあるという、伝説のハンターだ。
今でこそハンターの仕事からも足を洗って平和なこの村をまとめ上げてはいるものの、あの老人を慕ってこの村にやってくる者は後を絶たない。
だが俺はハンターのような過酷な職業になど興味はなかったものの、こんな村に住んでいるが故にかつてとても奇妙な体験をしたことがあった。
それを、これから話そう・・・

今から10年程前、まだ俺が20歳になる直前の頃だっただろうか。
そういえば、村に新しく住み込みのハンターがやってきて間もない頃だったと思う。
それまではやたらと武勇伝を吹聴しているいけ好かないハンターが1人いるだけだったから、俺はいつも料理に使うハチミツを自分で森に取りにいっていた。
ハンターでもない俺がロクに武器も持たずに危険な生物達の棲む森へ入っていくのはいささか勇気の要る行動だったのは確かだが、それでも森に通い始めてから最初の1年はとりわけ危ない目に遭ったという記憶はない。
まあ流石に自分の身長より大きな猪やら尻尾の先に凶悪な突起のついた草食竜やらを見かけた時は、彼らがいなくなるまで草の陰でじっと身を潜めることを忘れなかったものだが・・・

「う、うわああああああ!」
「グオアアアアアアアーー!」
だがある日、俺は森の中でいつものようにハチミツを採集している最中に突然大きな悲鳴を聞いた。
その悲鳴を掻き消すようにして、なにやら恐ろしげな咆哮が辺りに響き渡る。
「な、何だ・・・?」
一体何事かと思ってその声が聞こえてきた草原の様子を恐る恐る窺うと、一面黄緑の短い草の海の中にポツンと灰色の大きな玉が転がっていた。
「・・・?」
初めて見るものだ・・・直径50cmくらいだろうか?
一見すると丸くて大きな石のように見えるものの、俺はもっとこれに近い形状のものを知っていた。
大きさなど比べるべくもないが、ぷっくりと片側が膨らんだ歪な楕円形は見る者に鶏の卵を連想させる。
近くには何だかとてつもなく大きな生物の足跡らしきものがいくつも残っていたが、俺は辺りに誰もいないのを確認するとその不思議な卵にそっと近づいていった。

「何だこれ?本当に卵か・・・?」
どう見ても石に見えるその殻を手で叩いてみると、コンコンと中が空洞になっているような澄んだ音がした。
卵の底の方は高いところから落とされでもしたのか大きなひびが入っていて、今にも割れてしまいそうな危うさを辛うじて保っている。
だがそのひびに指をつつっと沿わせてみたその瞬間、パキッという音がして卵全体にひび割れが走った。
「あっ・・・」
突然のことに驚く余裕もなく欠けた卵の殻がモコッと盛り上がり、何やら小さな生物がぴょこんと卵に空いた穴から顔を突き出す。
薄っすらと緑がかった灰色とでも言えばいいのだろうか?
幾重にも折り重なった瓦のような甲殻、顎の先から少しだけ突き出した短い刺・・・
ハンターではない俺には森と丘に棲む生物達についての深い知識はなかったものの、俺はやがてコロンと転がった卵から全身を抜け出した子供の姿を見てその正体に思い当たった。

小さな翼状の膜が手の代わりに背中から体の両側に突き出しており、長く伸びた尻尾の先からは短い刺が幾本も生えている。
こいつは飛竜の子供だ。
どういう経緯でかはわからないが、今俺の目の前にあるのはいわゆる飛竜の卵というやつなのだろう。
医者や美食家が盛んに手に入れようとしている貴重な品だということはたまに聞くが、こうして実際に目にするのは初めてだった。
産まれたばかりの小さな子供は体中についた粘液を鬱陶しがるようにゴロゴロと草の上に体を擦りつけると、危なっかしい足取りで立ち上がって精一杯体を反らせながら俺の顔を見上げている。
「ピィ?」
そして不意に上げられた甲高い鳴き声に緊張の糸がプツンと音を立てて切れ、俺は思わずその場にドサッと座り込んでいた。
「ピィ!ピィィ!」
「はは・・・何だ・・・結構かわいいな・・・」
手の代わりに尻尾で必死にバランスを取りながら歩く幼竜の様子に、何だか心が和んでしまう。
だがそんな穏やかな一時は、突然体に走った大きな衝撃によって終わりを迎えた。

全く・・・よりによって私の巣から孵化を直前に迎えた卵を盗み出すとは、八つ裂きにしても飽き足らぬ人間だ。
あと1歩の所であの人間を仕留め切れずに取り逃がしてしまったのは何とも口惜しいが、幸いにも柔らかい草の上に投げ捨てられた卵は無事に原形を留めていたらしい。
だがむしゃくしゃしながらも卵の元へと舞い戻ってみると、今度は別の人間が私の卵に手を出そうとしているではないか!
しかもどうやら背後から見ていた人間の仕草から察するに、子供は既に卵から孵ってしまっているらしかった。
下手にあの人間を脅かして私の可愛い子供に万が一のことがあっては困ると思い、そっと足音を殺して人間に気づかれぬように静かに近づいていく。
そして子供が無事に自立しているのを確認すると、私は怒りを込めて鼻先で人間を背後から突き飛ばした。

ドンッ
「うぐっ・・・い、いて・・・」
子竜に和んで油断していた隙に何者かに背中を力強く突つかれ、俺は勢いよく前につんのめってしまった。
だが半ば怒りを滲ませて背後を振り向こうとしたその刹那、低く抑えた、それでいて殺気のこもった唸り声が聞こえてくる。
「グルルルッ・・・!」
「えっ・・・?」
背中を突き飛ばしたのがどうやら人間の仕業ではないことを悟って、俺は恐る恐る後ろを振り向いた。
その瞬間、くすんだ緑色の山が視界の中に飛び込んでくる。
目の前にいたそれ・・・確かリオ・・・リオレイアとかいう雌の飛竜種だろう。
なぜいきなり俺を襲わずに鼻先で背中を突ついたのかはわからないが、どこか虫の居所の悪そうな雌火竜は割れた卵から飛び出した自分の子供と地面にへたり込んだ俺とを交互に見比べるとギラリと牙を剥き出した。
「ひっ・・・ひぃ・・・!」
圧倒的な巨体に獲物を見据える冷たい視線を突き刺され、全身の力が抜き取られていくような気がする。
「グルル・・・グルルル・・・」
もう逃げられないという絶望感が背筋を駆け上がり、強者の獲物と化した俺の全身がビリビリと痺れていく。
後退さる体力も悲鳴を上げる気力も消え失せて、俺は徐々に肉薄してくるリオレイアを見上げながら震えていた。

この人間も、卵を盗んだ人間と同じく私の子供を奪おうとしていたのだろうか?
いや・・・仮にそうではなかったとしても、憎き盗人を仕留め損ねたこの鬱憤は誰か適当な生贄にでも晴らしておくべきだろう。
私は逃げようにも恐怖で金縛りにかかってしまっている目の前の憐れな獲物を睨みつけると、大きく翼を左右に広げて咆哮を上げた。
「グオオオオオオオオオン!!」
「あ・・・あぁ・・・・・・」
そして悲壮な表情を浮かべている人間を巨大な脚でドスッと容赦なく踏みつけ、柔らかな地面の上に押しつける。
「た、たす・・・け・・・あぐ・・・ぁ・・・」
力なく喘ぎながらもがく獲物を嬲るように少しずつ脚に体重をかけてやると、人間が苦しげな呻き声を上げながら爪の間から飛び出している手足をバタバタと激しくばたつかせていた。

メキ・・・メキ・・・
「ひぐっ・・・ぐ・・・あっ・・・かは・・・」
更に踏みつける力を強めてやると、骨の軋む音を響かせながら人間がまた少し肺の中の空気を口から吐き出す。
「グル・・・」
私はしばらくそんな絶体絶命の窮地に追い込まれた鎮静の生贄を眺めていたものの、やがて小さな唸り声とともに溜息を漏らした。
足元の人間をグリグリと踏み躙りながらも、脳裏に浮かぶのはあの忌々しいハンターの姿ばかり。
やはり、この人間をいくら痛めつけたところで私の溜飲が下がることはなさそうだった。
最早もがく力もなくなってしまったのか、人間は私の脚の下でぐったりとその弛緩した体を横たえている。
この人間には可哀想なことをしてしまったが、いっそこのまま一思いに楽にしてやった方がいいだろう・・・
私はそう心に決めると、人間を踏み潰そうと巨大な脚を大きく振り上げていた。

ああ・・・俺・・・殺されるのかな・・・
持ち上げられたために視界一杯に広がった巨竜の脚をぼんやりと眺めながら、俺はもう逃げようとするのも忘れて大の字になったまま最期の瞬間を待っていた。
やがてこれからとどめを刺す獲物を確認しようとしたリオレイアと偶然に目が合い、ぎゅっときつく目を瞑る。
「ピィ!ピィピィィ!」
だがいよいよリオレイアの脚が俺の上に振り下ろされようとしたその時、それまで静寂を保っていた飛竜の子供が唐突に甲高い声で鳴きながら俺の頬へと擦り寄ってきた。
そして予想外の事態にピタリと動きを止めて狼狽する母親を睨みつけながら、子竜が飾りにも似た小さな翼を一杯に広げて抵抗を示す。

「グルッ・・・ルル・・・」
"そこをどけ"と言わんばかりの荒い鼻息を吹きかけられて子竜は一瞬たじろいだものの、それでもなお頑なに俺の身を母親に引き渡そうとはしなかった。
「お、お前・・・」
俺のことを父親だとでも思っているのだろうか?
飛竜にも卵から孵った雛が最初に見たものを親だと思い込む刷り込みというものがあるのかはわからないが、理由はどうあれこの子竜はこんな恐ろしい実の母親に逆らってまでどうしても俺の命を守りたいらしかった。
そんな我が子の不可解な反抗に気勢を殺がれてしまったのか、リオレイアが少しだけ身を引いて俺の顔を覗き込んでくる。
「うっ・・・う・・・」
そして人間など軽く一呑みにできそうな巨大な口が開けられ・・・俺は胴体を丸ごとその口に咥え上げられた。

「う、うわああああああ!」
一瞬食い殺されると思ったものの不思議と尖った牙の感触はあまりなく、痛みもほとんど感じられなかった。
どうやら、まるで動物が産まれたばかりの子供を持ち運ぶ時のように俺の体を軽く顎で挟んでいるだけらしい。
そして呆然と草の上で守り切れなかった父親を見上げている子竜を裏返した鉤爪でひょいと掬い上げると、リオレイアの体がフワリと宙に浮き上がった。
バサッ・・・バサッ・・・
これから、俺をどこかに運ぶつもりなのだろうか・・・?
子供も一緒に連れて行くからには恐らく飛竜の巣へと帰るつもりなのだろうが、そんなところに連れ込まれたらもう逃げ出すことなどできないだろう。
なにしろ、飛竜が塒にしている場所は森に囲まれた非常に高い岩山の頂上付近にあるのだ。
屈強なハンター達であれば岩壁やツタの茎を攀じ登って飛竜の巣に出入りすることができるのかもしれないが、特に体を鍛えているわけでもない俺がそんな絶壁を降りることなど到底できるはずがない。
俺は最早絶望的に暗い先行きを考えるのにも嫌気がさすと、自らの体を咥えているリオレイアに逆らわぬようにグッタリと体を弛緩させていた。

遥か眼下を流れていく森の木々や広大な平原、そして切り立った岩肌の露出した崖の様子などをぼんやりと眺めていると、やがてリオレイアは大きく翼を羽ばたきながら下降を始めていた。
巨大な岩山の天頂に空いた穴から空洞となった薄暗い洞窟の中へと飛び込んだ途端に、体に感じていた風の肌寒い感触がぽっかりと暖かな熱を帯びたような気がする。
岩山の頂上に構えられた飛竜の塒・・・それは、俺が想像していたよりもずっと大きく、そしてずっと住み心地のよさそうな広大な空間だった。
辺り一面は柔らかい土や草、或いは踏み拉かれた朽木の破片がぎっしりと敷き詰められていて、ポカポカとした地熱にも似た温もりが洞窟内の温度を一定に保っている。
そして壁際にできた地面から一段高くなった岩棚のような狭いスペースの中に、まるで鳥の巣のように藁を組んで作ったと見える大きめの寝床が目に入った。
人間が寝るのに丁度よさそうなその寝床は、大きさから察するにどうやら子竜を育てるためのものらしい。

ドサッ
「うぐっ・・・」
どうせならゆっくりと地面に降ろしてくれればよいものを、リオレイアは地上に降り立つと俺の体を2m近い高さから地面の上へペッと吐き出した。
まだ俺に気を許してはいないというリオレイアの意思の現れなのかも知れないが、幸いふっくらとした地面のお陰で怪我はせずにすんだらしい。
そして相変わらず器用に鉤爪で掴んだままの子竜をそっとその藁の寝床の上へ乗せると、リオレイアが初めて俺に迫った時よりもさらに険しい表情を浮かべながらこちらに首を振り向けた。
「ピィ~!ピピィ~~!」
またしても母親の殺意が俺に向いたのを感じ取ったのか子竜が盛んに騒ぎ始めたものの、ただでさえ立ち上がるのもやっとという体ではすり鉢状になった寝床から抜け出すことさえ困難に見える。
その上仮に子竜が寝床を抜け出すことができたとしても、その岩棚から俺のいる地面まで150cmほどもある大きな段差を飛び降りることはできないに違いない。
つまり俺はもう、子竜の命乞いに期待することはできないのだ。

ズシッ・・・ズシッという重みのある足音を響かせながら雌火竜が近づいてくる度に、心臓がギュッと締めつけられていくのが感じられる。
だが1つだけ疑問に思ったのは、リオレイアはその気になれば空を飛んでいる最中に俺の体を噛み砕くことも、落ちれば決して助からない高さから俺を遥か下界に投げ落とすことも簡単にできたはずだったということだ。
それをしなかったのは、邪魔者がいなくなってから俺をじわじわと嬲り殺そうとでも思っていたのだろうか?
1度は確かに死を受け入れようとしたはずなのに、今や俺はなまじ助かりかけただけにその覚悟に大きくて深いひびが入ってしまったことを感じていた。
「うぅ・・・あ・・・ぅ・・・」
やがて地面にへたり込んだまま動けないでいた俺の方へ、リオレイアがぬっと首を伸ばしてくる。
今度は先ほどのように大きく口を開けることはしなかったものの、俺は大きな舌で頬をベロリと舐め上げられた。
そしてクンクンと鼻を鳴らしながら体の臭いをあちこち嗅ぎ回られ、時折鼻先で手足を突ついたり持ち上げたりされてしまう。
ドスッ
「うわっ!」
「グル・・・グルルッ・・・」
そうして一頻り舐め回されたり捏ね繰り回されたりした挙句に胸板を鼻先で突き飛ばされると、リオレイアは威嚇するような唸り声を上げて俺から離れていった。

呆然とする俺を尻目にリオレイアが再び大きく翼を羽ばたかせて何処かへと飛んでいくのを見届けると、俺は心の底からほっと大きな安堵の溜息を漏らしていた。
どうやら命は助かったらしいが、あの鋭い唸り声は何を意味していたのだろうか?
とっととここから出ていって、2度と姿を見せるなということか?
だがそうだとすれば、わざわざ俺をこんな塒の中にまで連れてくることはしないだろう。
それに体や衣服の臭いを嗅がれ味を確かめるかのように体を舐め回されたのには、きっと何か意味があるのだ。
つまりもし俺がここから逃げ出してもすぐにわかるように・・・
そして、その時は今度こそ容赦なく食い殺してやるぞという脅しが込められているのだろう。
そうでなければ、俺を唯一の大事な子供と一緒に塒の中に放置したりなどするはずがない。

だが俺には、実際問題としていざという時にここから逃げ出せるのかどうかを調べておく必要があった。
この広大な洞窟から外に続いていると見える入口は2つあったが、今は飛竜達が子を育む繁殖期。
外敵の侵入を阻むためなのか片方の入口は真っ黒な鉄にも似た大岩が塞いでいて、とても俺には通り抜けることなどできそうにない。
だがそうかといって反対側に開いていた入口から外の様子を窺ってみると、そこには目も眩むような絶壁が待ち受けていた。
「う、うわぁ・・・」
下を覗き込むだけで吸い込まれそうになる奈落の底は薄っすらとした緑色の苔がそこかしこに生えていて、キノコを好む豚の一種がのほほんと太陽の光を浴びながら辺りを散策している。
そして眩しさに目を細めながら雲1つない晴れ渡った空を見上げてみると、大きく翼を広げて風に舞うリオレイアがギラリと俺を睨みつけていた。

やはり、リオレイアには俺をここから逃がしてくれるつもりなど毛頭ないらしい。
俺は無謀な逃走を諦めてすごすごと薄暗い飛竜の塒に引き返すと、その場にドサッとへたり込んだ。
俺・・・これから一体どうなるんだろうか・・・
生身の人間ではとても太刀打ちできそうにない強大な飛竜に捕えられ、澄み渡った空とは対照的に胸の内を不安という名のどす黒い暗雲が覆い尽くしていく。
ともすれば今にも恐怖で泣き出してしまいそうになるのを必死で堪えながら、俺は両手で足を抱えて地面の上に静かに蹲っていた。

バサッ・・・バサッ・・・
「・・・!」
暖かい地面の感触についウトウトと転寝の世界へ足を突っ込みかけたその時、風を叩く大きな翼の音が俺の耳に聞こえてきた。
慌てて顔を上げてみると、ゆっくりと下降してきたリオレイアの口に何か青っぽい色をした生き物が咥えられている。
一見すると小型の肉食恐竜のようにも見えるそれを、俺はハチミツ採集の途中で何度か見かけたことがあった。
確か、ランポスとか言ったっけな・・・
両足の先から生えた鋭い鉤爪が特徴的なそれは、リオレイアに咥えられている間中まるで死んだようにピクリとも動きを見せなかった。
だが地面に降り立った彼女が俺をそうしたようにペッと獲物を吐き出した途端に、ランポスが何事もなかったかのようにむくりと起き上がってその場から逃げようと走り始める。
そして、俺は見ていた。巨大な飛竜が、餌となるランポスを見事に仕留めるその一部始終を・・・

折角捕まえてきた獲物が逃げ出したというのに、リオレイアは全く慌てた様子も見せずにその巨大な脚をゆっくりと持ち上げていた。
そしてそれを、無表情を保ったまま逃げようとして背を向けていたランポスの上へと勢いよく振り下ろす。
ドシャッ!
そして次の瞬間、なんとも名状し難い湿った音とともにリオレイアが憐れなランポスを思い切り踏みつけていた。
更に柔らかな地面の上に半分体がめり込んだ獲物にとどめを刺すべく、強大な鉤爪でその小さな体を握り潰す。
ベギッグシャッ
「ひっ・・・」
ほんの一声の悲鳴を上げる間もなく絶命した無残にひしゃげたランポスの姿に、俺は思わず顔を背けた。
いつか俺もあんな風な恐ろしい死に様を迎えるのかも知れないと思うと、今すぐにでもここから逃げ出したくなってしまう。
たとえそれが、あの絶壁から転落するという悲惨な結果を招くことになるとしてもだ。

だがそれでも震えながら恐る恐る目を開けてリオレイアの様子を見てみると、彼女はたった今仕留めた獲物にガブリと食いついてその肉を抉り取っていた。
そして口の端に真っ赤な血の滴るランポスの肉片をぶらさげると、それを岩棚の上で巣から顔を出していた子竜の元へとそっと近づけていく。
「ピィ!ピピィ!」
嬉しそうな声を上げながら産まれて初めて与えられた餌にむしゃぶりつく子竜を目にして、俺はようやくドキドキと鼓動の弾む胸を押さえている手を離していた。

やがて15分程かけた初餌やりを終えて満足した子竜が膨れたお腹を抱えて寝床の上にゴロリと寝転がると、母親が地面に残った獲物の残骸をペロリと綺麗に食べ上げた。
そして傍らで震えていた俺には一瞥もくれずに、崖側の出口へと向かってその巨体を揺らしながら歩いていく。
「グルゥ・・・グルルゥ・・・」
だが溜息に似た低い唸り声とともにリオレイアが唯一の脱出口を自らの体で塞ぐようにして地面に蹲ると、相変わらず表情の読めない鋭い視線が俺へと向けられた。
彼女は今、一体何を考えているのだろうか・・・?
子竜が眠ってしまった今なら、誰にも見咎められずに俺の命を奪うことも容易いに違いない。
もしかしたら、俺はただ子竜の安寧の為だけに仮初めの父親として生かされているのかもしれないな・・・
そう考えれば一応の納得はいくものの、あの子竜が成長すれば俺など遅かれ早かれ用済みになることだろう。
時刻はもう、夕方の5時を少し回った頃だろうか。
洞窟の天井にぽっかりと空いた穴から薄っすらと赤く色づき始めた空を見上げながら、俺も飛竜の母子が寝静まった薄暗い洞窟の中でともに眠りにつくことにした。

人間が眠りについてからしばらくして、私はできるだけ音を立てないようにそっと体を起こした。
今朝ハンターに盗み出された卵は、今年私が産んだ卵の内の最後の1つだったのだ。
当初は4つほどあったはずの卵は憎きハンター達によっていくつも盗み出されてしまい、お陰で今のあの子には1匹の兄弟も姉妹もいなかった。
そんな薄幸の独り娘を寂しがらせまいとしてあの人間をここへ連れてきたまではよかったものの、果たしてこのままあやつを生かしておいてもよいものなのだろうか・・・?
こんな無防備な姿を晒したちっぽけな人間など、今なら一瞬で息の根を止めてやることができるだろう。
そんな危険な考えが脳裏を掠めた途端に、私の内にある獰猛な攻撃本能がふと頭をもたげてしまう。
だが鋭い牙の生え揃った口を半分ほど開きかけたところで、私はハッと我を取り戻した。
自分の父親だと思い込んでいるこの人間を殺せば、きっとあの娘はいたく悲しむだろう。
少なくとも娘が巣立つことができるようになるまで、もうしばらくは生かしておいてやってもよいか・・・
私は疲労と不安に憔悴の表情を浮かべた人間の寝顔をじっと覗き込みながら、しばらくの間揺れていた葛藤にようやく決着をつけていた。

「ん・・・」
夕方などという半端な時間に眠ってしまったからだろうか、俺は夜になってから目を覚ました。
寝る前には夕焼けが見えていた洞窟の天井の穴からは満月が半分だけ顔を覗かせていて、真っ暗な洞窟の中へ斜めに切り取られた銀色の光のカーテンを引いている。
夜風はほとんど吹き込んでこない上に地面からは相変わらずほんのりとした柔らかな熱が発散され続けていたが、それでも俺は森の蒸散で冷やされた外気に触れている部分を微かな寒さに震わせていた。
ゴロッ・・・
そして冷たくなりかけた体の反対側を暖めるようにゴロンと寝返りを打ち、それまで恐らくは意識的に見ないようにしていたであろうリオレイアの眠っている方向へと顔を向ける。
「・・・!」
だがその瞬間淡い月明かりに照らされたくすんだ緑色の巨大な山が視界を一杯に覆い尽し、俺は驚きにビクッと体を硬直させた。

俺の目と鼻の先で・・・いや、これはもうほとんど沿い寝と言っても差し支えないような至近距離で、圧倒的な体躯を誇る雌火竜が体を横たえている。
眠っているが故か普段の彼女に見られるような剣呑とした険しい表情はすっかりと溶けており、初めてあの子竜の可愛らしげな仕草を目にした時のような安息感が胸の内を満たしていった。
いつの間に俺のそばへとやってきていたのだろうか・・・?
いや、理由など今はどうでもいい。
重要なのは、今ならもしかしたらここから逃げ出すことができるかもしれないということと、今のところ彼女には俺を殺す気がないということがはっきりしたことだ。
今の内に逃げ・・・るのはやめておこう。
無理にそんな危険を冒さなくても、もしかしたらこれは無事に生き残ることができるチャンスかもしれないのだ。

俺は恐る恐る、こちらに投げ出されているリオレイアの翼にそっと手を触れてみた。
まるで岩のように硬い甲殻が何層にも重なり合っていて、並の刃物では傷1つつけることはできないだろう。
しかも鱗と鱗の間を埋めるかのように硬い針にも似た細い毛がびっしりと生い茂っていて、彼女の長くて大きな呼吸とともに微かに揺れ動いている。
翼膜は適度な薄さを保ちながらもやはり十分な丈夫さを保っており、数ある飛竜種の中でも頻繁に名前を聞くだけの強さと存在感を放っているのがよくわかった。
だが何時の間にか大きく聞こえていたはずの寝息が止まっているのに気が付いて、彼女の顔へゆっくりと視線を戻してみる。
そこでは飛竜特有の危険な雰囲気を醸し出すのに一役買っている彼女の無機質な目が半分ほど開かれており、それが獲物を睨みつけるのとはまた違った迫力を伴いながらじっと俺を見据えていた。

ゴクッ・・・
緊張で息を呑んだ音が静寂の中に響き渡り、それが合図になったのか雌火竜が唐突に翼をガバッと持ち上げる。
地面に寝そべったまま片翼だけを持ち上げたリオレイアのその姿は、まるでベッドの中に恋人を呼ぶために布団を持ち上げる人間の姿にどこか似ていた。
もしかして、中に入れと俺を誘っているのだろうか・・・?
だが自らこれ以上リオレイアに近づくことに躊躇していると、有無を言わせぬ短い唸り声が俺の耳に突き刺さる。
「グルッ・・・!」
「わ、わかったよ・・・」
そしてそろそろと大きな翼膜で形作られた屋根の下へと身を滑り込ませると、彼女が俺の上に翼を降ろした。
相当な重量が預けられることを覚悟して思わず身を固めてみたが、意外にも軽い感触に肩透かしを食ってしまう。
「あ・・・暖かい・・・」
雌火竜の鱗が放つ高い体温で暖められた翼のテントの中で、俺は寒さと恐怖で震わせていた体を弛緩させていた。

「さ、寒っ・・・」
恐ろしくも包容力のある暖かな雌火竜に抱かれて眠っていたというのに、俺は肌身に沁みる寒さで目を覚ました。
辺りはすでに明るくなっており、俺に翼という名の布団をかけてくれていたリオレイアの姿はどこにも見えない。
あれだけの巨体にも関わらず隣りで眠る人間を起こすこともなく、静かに何処かへと飛んでいったのだろうか。
物音1つしない辺りに一通り視線を投げかけて子竜がまだ寝床で眠りについているのを確認すると、俺は再びドサッと地面の上に寝転んだ。
それにしても寒い・・・
柔らかな地面は1日の間に蓄えた熱を全て使い果たしてしまったかのようにしっとりと冷たく、両手で自分の体を抱き抱えるようにしないと震えが止まらないほどだ。
昨夜彼女が俺を暖めてくれたのは、きっとあのまま寝ていたら凍えてしまうということを知っていたのだろう。

俺はしばらくゴロゴロと地面の上を転がりながら温もりを貪ろうとしてみたものの、結局寒さに耐え切れなくなって体を起こしていた。
しかたない・・・この際、あの子竜にでも暖めてもらうとしよう。
そう思い立つと、俺は自分の身の丈ほどもある岩棚を必死で攀じ登り始めた。
そして丸い寝床の中で丸まって眠っている子竜をそっと抱き抱えながら、俺もその寝床の中へと体を横たえる。
元々は数匹の子供を育てるために作ったのであろう寝床は人間の俺にもちょうどよい大きさで、子竜は安心しているのか寝ているところを俺に背後から抱き抱えられても目を覚ますことはなかった。
「ああ・・・」
まだ子竜とはいえやはり流石は火竜・・・
その小さな鱗は1枚1枚がポッと暖かい熱を放っていて、さながら竜の形をした湯たんぽのようだ。
俺はその暖かさに気をよくして、寝床の中で2度寝の準備を始めていた。

バサッ・・・バサッ・・・
だがちょうどその時、母親の翼を羽ばたく大きな音が洞窟中に響き始める。
彼女の口にはやはり何か獲物が咥えられていたが、今回はランポスとはまた違うものらしい。
そして彼女は地面に降り立って子竜とともに寝床の上に眠っている俺の姿を見つけると、口に咥えていた獲物を放すというよりはポトリと地面へ取り落とした。
「グル・・・グルルル・・・」
不意にリオレイアの口から漏れ始めた、不穏な威嚇の唸り声。
俺が寝床から顔を上げると、彼女はよほど怒りに燃えているのか口の端から高温の熱気を含んだ赤い息を漏らしていた。

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