赤月の悪戯

    

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Dragon-side
Human-side

「む・・・もう日が落ちたのか・・・」
今日はもうこれで4頭目の獲物となる猪にとどめの牙を突き立てると、私は狩りに夢中になり過ぎて気がつかなかった夜の訪れに空を見上げていた。
森の中から見える背の高い木々に囲まれた漆黒の空はキラキラと星々の瞬きを滴らせ、全身を覆った薄い水色の体毛を撫で摩る冷たい風が狩りの終わりを私に告げる。
これだけの食料があれば、この先1週間は寝床の上でゆっくりと甘い惰眠を貪っていることもできることだろう。
私は急所から血を流してぐったりと力尽きた獲物にグルリと尻尾を巻きつけると、夜風の当たらぬ暖かい住み処へと帰るべく森の中を歩き出していた。
森を抜けた先に広がっているウネウネと蛇行した尾根から見下ろす世界は穏やかな静寂を保っており、地平線の向こうから顔を出したばかりの満月が不気味なほどに赤く輝いている。
住み処の洞窟は、もうすぐそこだ。
私は緩やかな傾斜のついた岩棚を滑り降りるようにして再び深い森の中に足を踏み入れると、すぐそばの切り立った岩壁に口を開けていた大きな洞窟へと静かに入っていった。

さして深くもない洞窟の奥へと辿り着くと、私はつい今しがた捕えてきた大きな猪を寝床の横へ積み上げられていた獲物の山の上へポイッと放り投げた。
ドサリという音とともに堆く詰まれた猪達の山がまた1つ高くなり、奇妙な達成感にも似た感覚が胸の内に湧き上がってくる。
「さて、今日はもう寝るとするか・・・ふふ・・・またしばらくの間は、ここに篭りきりなのであろうな・・・」
もう十分に承知している己のものぐさな性格を自嘲気味に独りごちると、私は柔らかな寝床の上にゆっくりと蹲っていた。
長い尻尾を抱き込んでまるで枕のように頭の下へと敷いた途端、実に幸福な眠気が襲ってくる。
「ふぅ・・・・・・」
そして大きく1つ息をつくと、私はゆっくりと目を閉じて深い眠りの世界へと落ちていった。


翌朝、私は妙な違和感を感じて目を覚ました。
長年見慣れている筈の住み処の洞窟・・・それが、1回りも2回りも広くなったように感じる。
「・・・?」
ふと周囲を見回すと、昨夜確かに寝床の横に積んでおいたはずの食料の山が忽然と消えていた。
私の寝ている隙に、誰かがここへ忍び込んで私の獲物達を盗んでいったのだろうか・・・?
仮にそうだとしても、余程飢えに逼迫している者でなければドラゴンの住み処に忍び込んでその獲物を掠め取るなどというような馬鹿な真似はしないだろう。
途中で私が目を覚ませば、今度はその侵入者自身が私の獲物なってしまうだろうことは容易に推察できるからだ。
だがいくらクンクンと辺りの匂いを嗅いでみても、侵入者の痕跡どころか獲物の猪が流していたはずの生臭い血の匂いまでもが跡形もなく消え去ってしまっている。
「むぅ、どうにもよくわからぬが・・・今日もまた狩りに出かけねばならぬのは確かなようだな・・・」
私は寝ている間にどこかへ消えてしまった食料に何だかとてつもなく損をしたような気分になったものの、仕方なく狩りに出かけようと重い腰を上げるべく体に力を入れていた。

フワッ・・・
その時、いつもならギシリという骨の軋みを伴った鈍い動きで地面から起き上がるというのに、今日はまるで背中に羽が生えたかのように軽々と体が持ち上がった。
いや、実際大空を飛ぶに足る短毛に覆われた1対の翼を持ち合わせてはいるのだが、それは別としても明らかに昨日までの体とは何かが違うような気がする。
「何だ?妙に体が・・・軽くなったような気がするの・・・だ・・・が・・・」
だがそう呟きながら自らの体を眺め回すと、私はようやくその原因を見つけ出していた。
体が縮んでいるのだ。
いや縮んでいるというよりも、何百年も前の幼き子供の頃に逆戻りしてしまったかのような感じがする。
最早記憶もおぼろげだが、確かに私にもこんな小さな体をしていた時期があったのだ。
優に2メートルはあったはずの体高は今やその4分の1にまで小さくなり、ひょろ長く伸びた尻尾と小さな翼、そして頭の後ろから生えている短い乳白色の双角だけが、見る者にその小さな獣をドラゴンと認識させるだろう。
「こ、これは一体どうしたことだ?なぜこんなことに・・・」
長き生涯を通して培ってきたはずの知識やドラゴンとしての威厳と沈着さが、理解不能な出来事の前にまるで砂上の楼閣の如く脆くも瓦解していく。

私は突如としてあまりにも身軽になってしまった体で、トコトコと住み処の洞窟の外へと出ていった。
元の巨大な体の時でさえ梢を見上げるのに骨の折れた長い木々の群れが、まるで茶色の壁のように私の前に立ち塞がっている。
長年の間走り回って鳥達が毎年巣を構える木や小動物達の逃げ込む朽木の場所まで熟知したはずの森が、今の私にとっては難攻不落の巨大な迷宮と化しているのだ。
しかもその森に怖気づいた私の腹を空腹の唸りがゴロゴロと震わせては、早く食い物をよこせと容赦なく急き立てている。
「と、とにかく・・・早い所何か獲物を獲らなくてはならぬな・・・この状況を考えるのはそれからにしよう」

だがいざ空腹を満たすための獲物を探そうと森の中に足を踏み入れると、私はいよいよ巨人の国に迷い込んでしまった小人の心境を味わっていた。
見る物全ての縮尺が何倍にも大きく見え、これまでは路上の石ころの如く見下ろしていた小さな岩も今では私の体と同じかそれ以上の巨大な障害物としてそこかしこに点在しているのだ。
やがていつもの3倍の時間をかけて普段狩りをしている猪達の縄張りへと到達すると、私は近くにあった岩の上に攀じ登って辺りをキョロキョロと見回した。
全く・・・そこらの茂みの高さにも視線が及ばず岩などに登って獲物を探している今の私の姿といったら、なんと情けないことだろう・・・
これでは、正に初めて狩りに挑戦しようとしている幼竜そのものではないか。

「フゴッ・・・」
その時、私は背後から聞き慣れた獣の唸り声が聞こえたのに気がついた。猪の声だ。
馬鹿め・・・私の前にそちらから姿を見せてくれるとはなんと好都合な・・・
だがようやく空腹が満たせると意気込んで後ろを振り向いた私の顔に驚愕の表情が貼り付くのに、そう多くの時間はかからなかった。
「う、うあ・・・」
高さ60cmはあろうかという自分より背の高い岩の上に登っているというのに、私は背後で唸り声を上げた猪の顔を見上げてゴクリと息を呑んだ。
恐らくは猪の中でも相当に体の大きな固体には違いないのだろうが、それにしても体の小さくなってしまった私の獲物というにはあまりにも大き過ぎる。
いや・・・どちらがどちらにとっての獲物なのかと問われれば、寧ろこの状況では私の方が・・・

「ブゴォッ!」
「ひっ・・・!」
ドテッ・・・
まるで威嚇するかのように上げられた猪の大きな声に驚いて、私は丸い岩の上からコロンと転げ落ちていた。
その瞬間、まるで仲間を食い殺されたこれまでの恨みを晴らそうとするかのように猪が猛然と突っ込んでくる。
ドドドドドドドドッ!
「ぬわあああ!!」
自分よりも2倍近い大きさの猪に執拗に追い掛け回され、私は情けない悲鳴を上げながら森の中を逃げ惑っていた。
あんな巨体の猪に踏み潰されたら、いかに私といえど無事ではいられないだろう。
だがどこをどう走り回ったのか分からなくなる程必死で逃げていたその時、突然地面の感触が消えてなくなる。
森の切れ間の崖で足を滑らせたことに気付く間もなく、私は急な下り坂をゴロゴロと転がり落ちていった。
「う、うああああああああっ!!」
ドーン!
やがて坂を転げ落ちた先で、何か固い壁のようなものに激しく体を打ちつけてしまう。
「ぐ、ぐふっ・・・」
大きな音と全身を貫いた振動にも似た衝撃で幾度も回りに回った視界はようやく止まったものの、私はその強烈な痛みに不覚にも気を失ってしまっていた。

「ん・・・こ、ここは・・・?」
「お、気がついた」
サワサワと頭を何者かに撫でられているような感触に、私はそっと目を開けてみた。
その視界の中に、いきなり大きな人間の男の姿が飛び込んでくる。
「な、なんだお前は!?」
「ほらほら、そんなに怯えなくたっていいだろ?助けてあげたんだから」
助けた・・・?そう言われれば・・・私は何をしておったのだ?
確か森の中で大きな猪に追い回されて・・・そうだ、急な下り坂で足を滑らせて転げ落ちたのだ。
固くて平らな何かにガツンと頭を打った瞬間まではなんとか細々と覚えているものの、どうやらそこから先しばらくの間は気を失ってしまっていたらしい。
それに先程から、この人間と何故か話が上手く噛み合わぬ。まるで、私の話している言葉がわからぬかのようだ。
まさか・・・子供の頃に若返ったせいで、人語を話す能力まで失われてしまったとでもいうのだろうか?
立て続けに私の身に起こった不可思議な出来事に首を傾げて考え込んでいると、人間が再び口を開く。

「その怪我、大丈夫か?」
「怪我・・・?」
人間にそう言われて初めて、私は長く伸びた首や頭の回りにザラザラした布が巻かれているのに気がついた。
今までどこぞに強く打ったからだと思っていた後頭部の鈍い痛みの原因は、どうやらその怪我にあるらしい。
私は大きかった頃に比べれば随分とナマクラになってしまった爪でその布をカリカリと引っ掻いてみたものの、弾力のある布がぴっちりと怪我の場所を覆ってくれているお陰で別段不便はなさそうだった。
これも、怪我を治すための人間の知恵というものなのだろう。
私はふぅと小さく息をつくと、包帯を弄る手を止めて隣に座っている人間の顔を見上げていた。
「どうした?腹が減ったのか?」
「ち、違うわ馬鹿者!私はは、腹など減っては・・・」
キュルキュルキュルル・・・
怪我の手当てはともかく食い物にまで人間などに情けをかけられたくはなかったものの、私の反論を捻じ伏せるように飢えた腹が盛大に唸りを上げてしまう。
う、うぐぐ・・・し、仕方ない・・・ここは大人しくこの人間に施しを受けておいた方がよいのかも知れぬ・・・
それにこんな状態で万が一この人間の気分を害して外にでも放り出されたら、また猪に襲われるまでもなく野垂れ死にしてしまうかも知れないのだ。
私は騒ぐのを諦めてそっとその場に蹲ると、沸沸と煮え立つ屈辱を堪えて服従の証に尻尾を揺らしていた。

「よーし、待ってろよ。今何か食べさせてやるからな」
何やら嬉しそうにそう言いながら離れていく人間の後姿を眺めながら、心の内で怒りにも似た激しい感情を噛み殺す。
全く、何ということだ。これではまるで、人間のペットのような扱いではないか。
別段人間に非があるわけでもなく何故か幼少時代の体に戻ってしまったこの私が悪いのだろうが、それでもこれまで数百年間生きてきたという記憶と自負があるせいで、私はどうにも胸の内が煮え切らなかった。
だがこれほどまでに非力で小さな体に逆戻りしてしまった今となっては、これも仕方のないことなのかも知れぬ。
もう何百年前になるのか幼少時代のことはほとんど忘れてしまったが、初めて狩りに出かけた日のことだけは未だに昨日のことのように思い出すことができる。
あの頃は1日中森の中を駆けずり回って、ようやく野ネズミを1匹仕留めては諸手を上げて喜んでいたものだった。
流石に猪達の縄張りに踏み込んで追い回されるというようなドジを踏んだことは1度もなかったが、結局の所、食事の大部分は母親の捕まえてきた獣を分けてもらっていたに過ぎないのだ。
「他者に養われるのもまた・・・今の私の運命か・・・」
そう呟いた声が聞こえたのか遠くで人間が振り返った気配を感じたものの、私は静かにじっと俯いたまま"餌"がくるのを待ち詫びていた。

「ほら、食べてみなよ」
突然かけられた人間の声に、私はどこか遠くへと旅に出かけていた意識を慌てて引き戻していた。
どうやら、余程深刻に考え事をしてしまっていたらしい。
状況を把握しようと辺りを見回すと、私の前に小皿に乗せられた肉の山(火が通してあるようだ)が置かれている。
そしてもうもうと立ち昇る餌の香ばしい香りについつい引き寄せられるように鼻を近づけると、私は人間が期待に満ちた表情で様子を窺っているにも関わらずそれに口をつけていた。
パクッ・・・ムシャッムシャッ・・・ングッ・・・
取り敢えず一応の警戒はしながらも一口だけ温かい肉を口に頬張り、まだロクに尖ってもいない牙で一生懸命に噛み締めてみる。
その瞬間生肉とは違う濃厚な旨みが口の中一杯に広がり、私は思わず美味い食べ物をくれた人間の顔を見上げるとバクバクと一心不乱に餌に食いついていた。

ものの数十秒で皿に盛られた肉の山を平らげると、私は満腹とはいかないまでも十分に膨れた腹を抱えてゴロンとその場に寝転がった。
なんという美味しい食事だろう・・・
今までに何かを食べ終わってからこれほどの幸福感を感じたことが、果たして1度でもあっただろうか?
最早私の中でこの人間に対する警戒心はさながら熱した鉄板の上に置かれた氷の欠片のように勢いよく溶け始め、長い間孤高のドラゴンとして生きてきたという自尊心には早くも大きなヒビが入り始めている。
「満足したか?」
「ああ・・・旨かった・・・」
心地よい暖かさに身を擦りつけるように床の上を転がりながら、私は人間の問いに素直に答えていた。
「そうか」
言葉は通じていないようだがどうやら私の言わんとしていることは伝わったらしく、人間の顔に笑みが広がる。

「じゃあ、体を洗おうか」
「体・・・?」
この人間は一体何を言っているのだろうか・・・?
確かに私も月に1度くらいは冷たい森の泉に浸かって体についた土や埃を洗い落としてはいるが、体毛に覆われている体を水に濡らすと後で乾かすのに骨が折れるのだ。
「ほら、風呂に行くぞ」
だがそんな私の複雑な胸中を知ってか知らずか、人間が木戸の奥に隠れていた広めの水場へと私の小さな手を半ば無理矢理に引っ張っていく。
「ま、待て、待てというのに・・・」
何とか抵抗しようと暴れてみたもののこんな小さな体では人間の力に敵うわけもなく、私は結局ズルズルと床の上を引き摺られるようにして湯気の充満した風呂場へと連れ込まれてしまっていた。

「ほら・・・まずは包帯取らないとな」
「や、やめ・・・」
私は何やら熱そうな湯の張られた風呂釜を見て思わず逃げようと試みたが、やはりそう簡単には逃げられるはずもなく人間にガッチリと押さえ込まれてしまう。
そして人間は私の頭に巻かれた白い布を取り払って傷口に目をやると、何やら微かに安堵の表情を浮かべていた。
もう傷の痛みはほとんどないが、それでも慣れていない人間に間近で体を観察されるのには抵抗がある。
ドラゴンが人間相手に何をという気もしないでもないが、私はこれでも雌なのだから・・・
バシャッ
「うぶっ・・・な、何を・・・」
頭に生えた水色の体毛を掻き分けて弄られる感触にじっと耐えていたその時、私は突然容器に汲まれたお湯を頭から勢いよくかけられていた。
当然心の用意などできているはずもなく、驚いて思わず息を吸い込んだ際にお湯を鼻に詰まらせてしまう。

「ゲホッゴホッゴホゴホ・・・」
「ごめん、痛かった?」
どう見ても水を吸い込んで苦しんでおるのだろうが!
だがそう怒鳴ろうとして顔を上げた途端に、顔の周りに生えている毛が水に濡れてしなっと垂れてしまっている自分の情けない姿が近くにあった鏡に映る。
「い、いや・・・」
仕方ない・・・結局お湯をかけられてしまった以上、ここはもう大人しくこの人間に従うことにしよう・・・
「そんなに落ち込むなよ・・・後でちゃんと元通りに乾かしてやるからさ」
その時、人間がまるで私の悩み事を読み取ったかのようにそう呟いた。
バシャシャッ
そして再び頭からお湯がかけられ、濡れていなかった背中や尻尾にもダラリと水を含んだ毛が垂れ下がっていく。
確かに後で乾かしてくれるならありがたいのだが・・・私は、一体何故こんな目に遭っているのだろうか・・・?
人間に食事をもらった挙句にあまつさえ体を洗われるなど、屈辱以外の何物でもないではないか。
この人間を新たな親として、また長きに渡る幼少の時を過ごさねばならぬとでもいうのか?
何やらモクモクと泡立つものを全身に擦りつけられているようだが、そんな現実など今はどうでもよかった。
ずっと独りで生き抜いてきたという記憶と自負がある故に、酷く理不尽な己の境遇に不覚にも涙が零れてしまう。
だが幸いにも涙は大量のお湯で洗い流され、私は泣いている所だけは人間に見られずに済んで小さく息をついた。

ようやく耐え難い水浴びの時間が終わると、人間は私をその場に残したまま風呂の外へと出ていった。
だが、まだここから出してくれる気配はないらしい。
私は何となく不安を感じて、風呂の木戸を少しだけそっと押し開けると外の様子を覗き込んでいた。
その瞬間、扉の目の前で陽気に鼻歌なんぞを歌いながら自らの服を脱いでいる人間の姿が目に飛び込んでくる。
「な、なな、何をしておるのだ!?」
私は突然のことに思わずその場から飛び退くと、冷え始めた体を抱えて風呂場の隅でブルブルと震えていた。
かつて私は2、3度だけ、山の中で人間が服を脱ぐところを見かけたことがある。
そしてそれは、どうやら異性との交尾をするための準備らしかった。
「ま、まさかあの人間はこれから私を・・・い、いや、そんなことは・・・」
だがもし仮にそうだったとしても、今の私はあの人間に抵抗する術など持ち合わせていない。
爪や牙はお世辞にもまだ鋭いとは言えず、精々がこの尾でパチンと払ってやるくらいのことしかできぬだろう。
それにつまらぬ抵抗などすれば、もっともっと酷い目に遭わせられるかも知れないのだ。
そんな私の不安など露知らず、素っ裸になった人間が突然風呂の扉を勢いよく開ける。
ガララッ
「ひっ・・・!」
私は恐怖で思わず情けない悲鳴を上げてしまったが、人間には小さな鳴き声にしか聞こえなかったことだろう。
それでもブルブルと怯えている私の様子を不審に思ったのか、人間が怪訝そうな顔でこちらに顔を近づけてくる。
「どうしたんだ?急にそんなに怖がらなくたっていいだろう?」
だがそう言った人間の顔には、妙にぎこちない作ったような笑みが貼り付いていた。

「よ、よせ・・・もう逆らったりせぬから・・・そ、それだけは・・・」
惜しげもなく私の目の前に曝け出されている人間の肉棒は興奮にそそり立っていて、その今にも私を貫こうとしているであろう雄のシンボルから目が離せなくなる。
「ああ、あああ・・・」
やがてもう逃げられないと悟って頭を抱えながらその場に蹲まると、私は翼と尻尾を丸めて震えていた。
だがその時、人間がお湯をかけるザバッという音が私の耳に聞こえてくる。
恐る恐る顔を上げてみると、人間は私の方に背を向けて自分の体を洗い始めていた。
私にそうしたように何やらブクブクと泡を立ててはそれで体を擦り、気持ちよさそうにお湯をかけては若干黄みがかった人間独特の滑らかな肌を輝かせている。
「・・・?」
もしかして・・・私は何かとんでもない勘違いをしていたのだろうか?
力では逆らえぬというのにこんな狭い水場に連れ込まれて恥部を曝け出されてしまっては流石に身の危険を感じてしまうものだが、どうやら人間は体を洗う時にも服を脱ぐものらしい。
やがてすっかり体を洗い終えたのか、人間がゆっくりと私の方を振り向いた。

「少しは落ち着いたか?」
まさか無理矢理犯されることを心配していたなどとは口が裂けても言えず、私は人間と視線を合わせないように俯いたままコクコクと小さく頷いていた。
「そっか・・・じゃあ、一緒に湯船に浸かろうか」
「え・・・?」
だがそう聞き返したのも束の間、私は人間の両手にしっかりと抱き上げられてしまっていた。
そしてペタッと垂れた翼と尻尾からはちょろちょろと冷たく冷えた水滴が滴り、とてもドラゴンとしての威厳など保っていられないようなみすぼらしい姿を間近でじっくりと眺められてしまう。
「う、う~・・・」
は、早く降ろしてくれ・・・
急に手を離されても困るのでグネグネと少しずつ体を捩るくらいの抵抗しかできなかったものの、人間は結局私を床に降ろすどころかそのまま熱い湯の中にチャポンと身を沈めてしまっていた。

あ、温かい・・・
私は背後から人間に抱き締められているという緊張にギュッと身を固めていたものの、全身をポカポカと包み込んだお湯の感触に思わず体の力が抜けてしまう。
「どうだ、気持ちいいだろ?」
「ああ・・・」
いい加減、この人間に対する警戒を解いてもいい頃合なのではないだろうか・・・?
どうにも先程から私の早とちりでビクビクと怯えてしまっているが、差し当たってこの人間に私に対する悪意はないように見える。
私は昨日まで人間など山を荒らすちっぽけな邪魔者くらいにしか考えていなかったというのに、こうして子供の体に戻ってしまった今となっては彼らの存在が今まで以上に大きく、そして身近に感じられていた。

「よし、そろそろ上がろうか?」
言葉の意味はちゃんと通じていることを薄々感じ取っているのか、この人間はほとんど無言な私にもよく話しかけてくれている。
そのお陰で、私は頷くだけで人間に肯定の意を伝えられるようになっていた。
そして人間に成すがままに抱き抱えられて風呂の外へと連れ出されると、何やら大きな白い布を1枚手渡される。
「これは何だ・・・?」
「それで体を拭くんだよ。濡れたままだと寒いだろ?」
成る程・・・長年生きてきた私でも、人間の知恵には度々驚かされてしまう。
尤も、森の泉で水浴びをした時などは体についた水滴を拭き取ってくれるものなどあるはずがないのだが。
私はコクコクと2回程頷くと、使い方のよく分からぬその布を取り敢えず体に巻きつけてみた。
手が短いせいもあるのだが、どうにも上手く水滴が拭き取れていないような気がする。
「むぅ・・・」
ええいよくわからぬ!
大体この私に人間の道具を使えという方に無理があるではないか!
だがこの期に及んでまさかこの人間に体を拭いてもらうなど私の自尊心が・・・
最早何の意味も成していない小さな葛藤に頭を抱えている内に、人間の心配そうな、それでいて多少は面白がっているかのような声が聞こえてくる。
「拭いてあげようか?」
ぐ、ぐうぅ・・・仕方ない・・・
正面きってその言葉肯定してしまうと何だか私の中で大切なものが壊れてしまいそうで、私はしばし迷った挙句にグッと歯を食い縛ると無言で人間の前に拭きかけの頭を突き出していた。

ゴシッゴシゴシッ
私はまるで皮膚がゴリゴリと摩り下ろされるのではないかと思えるくらい人間に力強く体を擦られたものの、そこまでしないと体毛の奥深くまで浸透してしまった水滴は拭えないのだろう。
やがて冷えていた体がポカポカと温まるくらいにまで水分が乾くと、私は仕上げとばかりに人間に背中を撫でられていた。
そしてようやく風呂に入る前の風に靡く体毛を取り戻し、ブルンブルンと体を震わせる。
「疲れたかい?」
まあ、疲れてないと言えば嘘になるだろう。
何だかんだで今日は朝から随分と悲惨な目にばかり遭っている気がする。
大きな猪には襲われるし、おまけに頭を打って気絶した挙句に今やほとんど人間のペットの扱いだ。
まあ昼に食べさせてくれた焼いた肉は美味しかったし、今の風呂も中々心地よかったのは確かなのだが・・・
「ああ・・・少し休ませてくれぬか・・・」
「じゃあ、あそこで寝ようか」
そう言うと、人間は私に見えるように何やら白くて大きな台を指差した。
どうやら、あれが人間の寝ている所らしい。
風呂とやらがあれほど心地よかったのだから、もしかしたらあの寝床も・・・
だが次の瞬間、私はまんまと人間の策略にはめられてしまったことを痛感していた。

ガシッ
「なっ・・・!?」
突然両脇の下に差し入れられた人間の手・・・
私は人間の寝床に視線を向けたその隙に、背後から人間に抱き上げられてしまっていた。
そしてそのまま、大きくて柔らかそうな寝床の上まで半ば強制的に連れていかれてしまう。
更には決して逃げられぬように私の体を腹の下で手を組むようにして抱き締めると、人間が厚手の布でできた大きな寝具の中へと私諸共潜り込んでいった。
「ま、待て、確かに休むとは言ったが・・・まさかお前まで・・・」
しかしいくら反論したところで時既に遅く、私はしっかりと人間に捕まったまま寝床の中でグリグリと体を擦り付けられては温もりを貪られるただの熱源と化してしまっていた。
しかもその上私の感触がよほど気持ちよかったのか、息が詰まるほどに柔らかな腹をギュッと絞られてしまう。
「う・・・うぐ・・・」
く、苦しい・・・息ができぬ・・・
だがそんな私の口から漏れたか細い悲鳴に気がついたのか、人間が慌てて力を緩めてくれた。

「あ・・・ごめんよ・・・大丈夫かい?」
「だ、大丈夫なわけがあるかっ!お、お前は私を一体どうする気で・・・う、うぐ・・・ふぐ・・・」
そこまで叫んだところで人間などにいいように遊ばれてしまう弱々しい己の姿を直視してしまい、私は思わず人間が見ている前だというのにポロポロと悔し涙を流してしまっていた。
突然泣き出した私の様子には流石に罪悪感を感じたのか、人間の顔ににわかに心配そうな表情が浮かぶ。
「そ、そんなに泣かないでくれよ・・・俺が悪かったから・・・」
人間はそう言いながら私の体を撫でたり慰めの言葉をかけたりしてくれていたが、その親切心が逆に私の惨めな自尊心を深く深く抉っていく。
どうしてこんな目に・・・風呂場でも1度は発露しかけた悲しみを伴った奔流が次々と目から溢れ、私は最早自分でもこの涙を止めることができそうになかった。
「うぅ・・・あぐ・・・ひぐぅ・・・」
一気に泣き過ぎたせいか時折息がつまり、喉から漏れる声が小さくぶつ切りになってしまう。
人間もこれ以上下手に私を刺激するのは逆効果だと悟ったのか、後は私の頭を静かに撫でながらじっと優しげな眼差しを注ぎ続けてくれていた。

「ごめんな・・・お前の気持ちを考えてなかった・・・さっきは・・・いや、全部無理矢理だったもんな・・・」
私の涙がどうにかこうにか収まったのを見届けたのか、人間がおずおずとそう呟く。
「お前が嫌なら、俺、別の場所で寝ることにするよ」
だがそう言いながら寝床を抜け出してどこかに行こうとした人間の腕を、私は思わず反射的に力強く握っていた。
「一緒にいてくれ・・・」
「許してくれるのか・・・?」
私はこの時ほど人間に正確な言葉が通じないことを感謝したことはなかった。
人間を逃がすまいと必死で首を縦に振ると、暖かくて大きな私の"里親"が再び寝床の中に潜り込んでくる。
「じゃあ、今日はもうずっと寝ていようか・・・」
「ああ・・・」
さっきとは違って今度はお互いに向き合って抱き合いながら、私は自ら人間の大きな胸板に顎を擦りつけていた。


「はっ・・・!」
顔に吹きつける冷たい風の感触に、私は勢いよく飛び起きていた。
辺りを見渡せば、そこはよく見知っている私の住み処の洞窟。
私の寝床のすぐ横には猪達の死骸が積み重なっていて、円らだが虚ろなその瞳が洞窟の中に差し込んでくる朝日を反射してキラキラと輝いている。
「わ、私は・・・夢を見ていたのか・・・?」
そう呟きながら恐る恐る自分の体を眺め回してみるが、どこにも異常はない。
いつも森の中で猪達を追い回しては自由な生活を続けている、1匹の成竜の姿がそこにあった。
大きく胸一杯に吸い込んだ空気が、長い長い安堵の溜息となって吐き出されていく。
「ふうぅ・・・不思議な夢だったな・・・」

幼少時代に戻って人間とともに過ごした1日の記憶・・・夢のはずだというのに、私の頭の中にはそれがまるで現実であったかのようにはっきりとした形で刻みつけられていた。
火を通した香ばしい豚肉の香り・・・風呂場で嗅いだ白い泡のツンとくる匂い・・・
そして、あの人間が最後に私に向けてくれた優しげな眼差し・・・
細部に渡る記憶の全てが微塵も色褪せることなく、まるで昨日あったことのように次々と思い出されてくる。
「行ってみるか・・・」
本当に夢だったのだろうか・・・?
あの人間は、私の夢の記憶の中だけに存在する架空のものなのだろうか?
普段はよほど空腹に苛まれた時以外は滅多に外出などしたことがないというのに、私は夢の真偽を確かめるためだけに重い腰を上げて洞窟の外へと出ていった。
森の中を記憶と勘を頼りに歩き回り、ようやく自分が転げ落ちたと思われる森外れの下り坂を見つけ出す。
そしてその坂からそっと下を覗き込んだ瞬間、私は図らずも大きく目を見開くこととなった。

眼下に建てられているあの人間の家・・・いや、山小屋というやつだろうか。
その小屋の手前で、あの人間がしきりに壁の様子を調べている。
あれは・・・あの辺りは、丁度私がこの坂から転げ落ちてぶつかった辺りではないのか・・・?
だがやがて何の異常も見受けられなかったのか、人間が半ば落胆した表情でおもむろに私の方へと顔を向ける。
そして、私と人間は思わずお互いに目を合わせてしまっていた。
「あ、あう・・・」
成竜である私の姿を初めて目にして、人間の顔に途端に恐怖の色が浮かぶ。
逃げようとしてか人間の足が数歩後ろに後退さるが、その退路はすぐに小屋の壁によって断たれてしまっていた。
そんな彼の顔から視線を外さないまま、急な下り坂をゆっくりと滑り降りていく。
「うぅ・・・うああっ・・・」
そして彼を壁際に追い詰めると、私はほとんど泣き顔に近い崩れた表情で震える彼の顔をペロリと舐めてやった。

「た、助けてくれっ・・・!」
私に殺されるとでも思ったのか、人間が必死に壁に体を摺り寄せながら哀願する。
そんな彼の仕草が滑稽で、私は思わず無表情を保っていられずに噴き出していた。
「ふ、ふははははは・・・お前でも、そのような顔をするのだな・・・ふふ・・・ふははは・・・」
「え・・・?」
何が何だかわからないといった様子で呆けていた人間に向かって、私はようやく正体を明かしていた。
「また、私の体を洗ってくれぬか?」
「あ、あんた・・・あの、小さかったドラゴンなのか?」
「小さいとは失敬な・・・私はここ数百年もの間、ずっとこの姿のままだ。あの、夢の日を除いてはな・・・」
それを聞くと、人間の顔にようやく落ち着きが戻ってきた。

人間に誘われて小屋の中へと入ると、彼は"昨日"と同じく風呂の用意を始めていた。
やがて湯気立つ熱いお湯を流す音を響かせたまま風呂の外に出てくると、人間が唐突に夢の話を切り出してくる。
そしてやはり、この人間の方も私と全く同じ夢を見ていたらしかった。
「今だから打ち明けるが、お前が服を脱ぎ始めたとき、私は本当に犯されるのかと思って怯えておったのだぞ」
「はは、そんなまさか・・・まあ、全然興味が無かったといえば嘘になるけどね・・・」
「では・・・今も興味があるのか・・・?」
私はそう言いながら、うっとりと頬を上気させて人間を誘ってみた。
小さな体の時はこの人間に逆らうことができなかったが、立場が逆転した今なら安心だろう。
それに・・・とても非力だった私にいろいろと尽くしてくれた彼になら、この体を許してもよいかも知れぬ。
「そ、そうだな・・・じゃあ風呂から上がってから・・・どうだい?」
「フン・・・本性を現しおったな、人間め」
私はそう言って彼の体を軽く小突くと、お互いに大声で笑い合っていた。


すっかり陽の落ちたその日の夜、1人の人間と水色の体毛を纏った1匹のドラゴンが山小屋の大きなベッドの上で絡み合っていた。
空では少しずつ欠け始めた赤い月が地平線のそばをうろついていて、見るものに微かな不安と、そして不思議な期待感を振り撒いている。
魔力に満ちた赤月の気紛れな悪戯は今日もどこかで誰かを惑わし、そして今日もどこかで誰かを深く結びつけているのかもしれない・・・



感想

  • ほのぼのとしていて好きだ・・・w -- 名無しさん (2008-11-10 14:21:43)
  • もう大好きだこれ --   (2008-11-10 23:58:08)
  • そう言ってもらえるとうれしいです -- SS便乗者 (2008-11-13 20:46:58)
  • かなりいい話でした。新しい話を期待しています。 -- 名無しさん (2009-05-02 12:38:28)

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