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竜神恋譚

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匿名ユーザー

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『竜神様、御願いがあります』

『供え物』を我の前に置いた娘の手が合わさる。紅潮する白い肌、震える唇。
それでも彼女は、言葉を紡いだ。

『私の、はじめてを、もらって下さい』

はじめてとは……処女を捧げる事。我に?

わ、我は……どうすればよいのだ?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

事の起りは十数年前に遡る。

我は竜神。人の世でいう昭和の時代。古の大河より分かれし瑞々しき流れを守護するモノ
として造られた……筈だった。務めを果たさずして、祭られしばかりの我と社(やしろ)
はヒトの争いに焼かれ、飲まれたのだ。

願われ報いる、それが我が務めであり存在。

それは失われた。力は無くもう名前すら思い出せない程に衰弱し、神体の鏡と共に錆び朽
ち逝くのを待つばかりの歳月。
我は疲れていた。ひたすらに飽いていた。無意味に磨耗していくその日々に。永の眠りで
すらこの空虚は埋められぬ。

誰か。

誰でもよい。潰える前に一度だけ、我を……。

『ねえねぇ、おかあさぁん! こんなとこになにかおちてるよ?』

ふいにさしのべられた小さな手。幼き娘が我の孤独を拾い上げた。
彼女の名は永鋤 好美(ながすき このみ)。それが最初の出会いであった。

『んしょ。んしょ。ママ、小枝もってきたよ』

『その枝は棘が出てるから気をつけなさい。…・・・さてと、これでいいかしら?』

好美は母親と共に、ままごとの範疇ではあったが簡素な社を造ってくれた。手を合わせる
二人。唱和する声。

『おかあさんのからだがじょうぶになりますように』

『好美が元気に育ちますように』

……願われた。残念ながら叶える力は無かったが、今一度務めを果たす事を請われた。
これ以上の喜びが他にあろうか。我はその願いが叶う事を切に望んだ。

その後数年間。好美は何度も我の社を訪れては、他愛の無い雑談や小さな願い事等に興じ
た。今思えば幼子が玩具に友愛を求める感覚だったのかもしれないが、それでも我の無聊
を随分と慰めてくれたのは間違いない。

しかしある日を境に好美は我の前から去った。幾日か前にどこか遠くの街に住処を移すら
しい事を話していたので、覚悟はしていたが一抹の寂しさは延々と我を蝕み続けた。

また、我は独りになった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さらに十数年後。訪れる者は無く社も再び朽ち果てた。我の鏡もほぼ錆の塊と化し、やが
て金屑と化すであろう。もはや外の様子すらおぼろげにしか分からない。
しかし我は消えなかった。笑ってくれてもよい。あの娘、好美との日々が我を現世に繋ぎ
止めていたのだ。ある筈の無い再会を願って。

こうしてどれだけ時を刻んだであろうか。

『嘘? 本当に、まだ、あった……』

若き娘の声と手が、我の末期を救い上げた。

『よかった……! でも、こんなになって。ゴメンね。本当にゴメンね……』

泣いている見知らぬ温もりと声。しかし我は識っていた。あの娘が、好美が帰って来たのだ。

『引越しした後も時々夢に出てきたの。でも中々来る機会が無くて……ほったらかしにさ
れて怒ってるよね?』

(そんな事は無い! また逢えただけで我は嬉しいぞ)

聞こえる筈もなかろうに我は思わず応えていた。彼女はハッと顔を上げると何かを思い出
す様に首をかしげていたが、急に慌てて我を地面に置く。

『ごめんっ! 肝心なモノを自転車に忘れてた。スグ戻ってくるから待っててー!』

近くの木の根にでも引っ掛かったらしく、よろめきながら離れていく好美の気配。程無
く戻ってきた彼女は我を何かの中へ安置した。木製の小屋か棚の様な箱だ。
そして次第に明瞭になっていく視界。戻っていく力。

これはまさか……なんという事だろう。我は、我は再び祭られたのだ!

『小学生の時工作で作ったんだよ。粗末で申し訳ないけどしばらくこれで我慢してね』

謝罪か祈りか、手を合わせながら語りかける娘。黒髪を後ろに束ね、顔付きは大人に近づ
いていたが紛れも無い好美だった。
彼女の想いが社を通じて我に活力を注ぎ込んでくる。神たる者が言うのも可笑しいが、奇
跡としか思えない。

『高校が転校になってまたこちらに引っ越してきたから、今後とも宜しく御願いします』

深々とお辞儀をした瞬間垣間見えたうなじに、我は何故か見とれてしまった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


願いを告げる拍手(かしわで)の音が幾度と無く積み重なる日々。好美と我の日常が再び始
まった。

――パン、パン。

『明日の期末テストなんだけど、数学がちょー危ないの。せめて赤点取りません様に』

(鯛焼き買ってここに来る暇があるなら勉強せい)

『お供え物も出さずに何を言うかって? じゃあ鯛焼き半分あげるからさっ』

(……約束はできぬぞ)

結局赤点は免れたようではあった。

――パン、パン。

『となりのクラスにカッコいい男子がいるんだけど、結構ライバル多そうなんだ。偶然の
出会いとか無いかなぁ』

(……それは我の務めではない。他を当たれい)

縁結びの心得は多少はあったが本職ではない。とにかく知らぬ。

『ねね。やっぱりちょっとエッチな下着とか選んだ方がいいのかな? も、もちろんいき
なり見せたりしないけど、廊下でぶつかったひょーしにとか……キャッ』

(だから、そのような色事は我は知らぬし興味も無い!)

『はしたない真似は止めなさいって? うーんそうだよね。やっぱり清純派路線でいこう
かなっ。うんうん』

(…………)

――パン、パン。

『水泳の時とか皆アタシを頭でっかち胸貧乳とか言ってからかうの。成績で叶わないから
だって思ってもなんかもう……確かに言えてるのよね。お願い。アタシの胸を大きくして
くださいっ!』

(わ、我を何の神だと思っておるのだっ!)

む、胸は見せんでもよい。はしたない真似はよさぬか、よさぬかと言っておる!

『はぁい。ご開帳。……か、形はいいと思うんだけど、どうかな?』

……我は見なかった事にした。

繰り返すが我の声は好美には届いていない。とりあえず彼女について分かったのは、概ね
才色兼備と言えるものの年頃の娘としては幾分かずれている性格だった。

一度壁を越えたら遠慮が無い。それ故周囲からも浮いた存在であるようで、生じる鬱憤を
我に話す事で解消しようとしているのだろう。
その点では力になってやりたいが、蘇ったばかりで神としての力は殆ど無い。口惜しいが
我にできるのはささやかな助けでしか無い。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『もう駄目眠ぃー。宿題一度ぐらいさぼっても……ぃけないそんな事かんがえちゃぁ……
グーグー』

ゴトンッ!

『いったぁーい! ……ってなんで辞書が落ちてくるのよ。まあ目覚めたしいっか』

(蟻の穴から堤もなんとやらだそうだからな。油断するでない)

好美の部屋。手足となる眷属を持たない我はこうして直接出向くしかない。手荒な手段で
あるものの、これが精一杯の神通なのだ。

『ふぁー。お、終わったぁ……』

よくぞ務めを果たしたの。だがそこで寝るとは何事だ。風邪を引いてしまうではないか。
とは言えもう一度起こすのは忍びない。

ジリジリジリジリ!

『きゃっ! もう朝? 机の上で寝ちゃったんだ……あれ? ジャンパー? アタシ着た
覚えないのに』

我の腕はこんな作業には向いていないらしい。思ったより小さな……肩に掛けてやる事し
かできないが。

『さてと、学校に行ってきまーす。お留守番宜しくね』

窓際の我、ではなくてぬいぐるみに挨拶すると好美は寮を後にする。それを見届けると我
は社に戻……るのを止めた。別に頼まれたわけでは無いがもう少しだけ居る事にしよう。
実際この前変な男が下着を盗みに入ろうとしたではないか。

(しかし、あの慎みの無い造りはなんとかならんのか。かえって淫らに見え)

……我は今、何を考えたのだ? 

このたわけが! 我は慌てて自分を叱り付けた。よりによってあの、扇情的な布切れを身
に付けた……の姿を想うとは何事だ。
そもそも一人の人間にここまで構う事がおかしいのだ。我は神、神なのだぞ! この土地
一帯を守護するという大任を果たさずしてなんとするか!

(だが、今の我にはそんな資格も、力も無い)

そう。我に務めと力を与えてくれる筈の信者はいない……いや、強いて言えば好美だけだ。
ならばその、貴重な信者に報いるのも立派な神の務めではないか。いつしか我はそう考え
る様になっていた。

間もなくその欺瞞を思い知らされるとも識らずに。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ある満月の晩。

我はいつもの様に好美が眠りに付くまで見守っていた。床に着く彼女に今日も大事は無さ
そうである。やや寝苦しいのか布団の中で軽く身じろぎする彼女の寝顔は、実に穏やかで
美しい。

『んッ!くふっ……』

その表情が不意に歪んだ。全身を軽く仰け反らせ、唇からは明らかな苦鳴が漏れ始める。

(どうしたのだ! しっかり、しっかりせい!)

慌てて痙攣する彼女に近づく。我に見えぬ災厄が潜んでいたとでもいうのか……不覚!
あらん限りの霊力で正体を見極めようと力を凝らした時だった。

くちゃり。

『アッ……う、ふうぅっ! ウウんッ』

粘った水音と、甘い喘ぎ。何故か我の動きは止まっていた。

くちゃり、くちゃり、くちゃっ。

『ウクッ! イイ、いいよぉ・・・・・・』

掛け布の上からも分かる程の大胆な動き。好美の腰が艶かしく動いては淫らな音を紡いで
いく。これは、これは何、なの、だ?

(そ、そなたは何を)

知らずに我は問うていた。いや知っていた。いたのだが。この場にいてはいけないと承知
しているにも関わらず……体が、体が動かせぬ。

(お、おのれ……なんたる事、ぞ)

我はせめて無かった事にしようと目を閉じ、周囲の感覚から己を切り離す事に集中した。
しかし好美の盛りの歌声は、その守りをいともたやすく突き崩していく。

くちゃくちゃくちゃ。くちゃくちゃくちゃりっ。

『あアあはッ! もっ、と。もっと締めてぇ、アはっ、こすって……くだ、さい』

掛け布を勢い良く撥ね退ける気配。情欲に踊らされ、より大胆にくねる雌の喜びがひしひ
しと我の感覚を犯して来る。無心になろうとする程淫らな光景が鮮明に喚起され、目を見
開きたくなる衝動に駆られてしまう無限地獄。甘美な誘惑に我は必死に耐え続けた。

(な、ならぬ、ならぬのだ!)

くちゃっ……ぐちゅちゅ! ぐちゅっ。

あと少しの様だ。しばし堪えれば大事には、至らぬ。

『ほ、欲しぃのお! りゅ……神、さまぁ……!』

我は、目を、見開いてしまった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(おぉ……おおおぉ……)

小ぶりながら先端は確かな勃起を示す剥き出しの乳房。

腰から下、濡れそぼった下着の中を蠢き犯す指。

絶句する我の前には、半裸を晒しだらしなく乱れる好美の痴態が在った。

ぐちゅ! ぐちゅぐちゅ、ぐちゅん!

『ハァ、ハアッ! き、きてアはッ、はアアアアーッ! ……アッ』

絶頂を迎えた肢体が何度となく痙攣。余韻の喘ぎがそれに続く。

『ハアッ、ハあーっ。はぁああん……』

(……ぁ……我は、我は……)

もはや己が何をしたいのかも分からない。我はただただ呻くしかなかった。いったい
この身はどうしてしまったというのだ?
年頃の娘が想い人に愛される事を願って、自身の性を慰めるのは珍しく無い。相手が人間
ならば我はまだ対処の仕様があったであろう。専門の務めではないにせよ神としてその成
就を援ける事もできた筈だ。

だが、しかし、何故に。

(好美よ。我を求めてくれたのか?)

我がそう問うた瞬間。彼女の蕩けた瞳が我を向いた。捉えた。見ていた。

(ば、馬鹿な! ありえぬっ!)

常人には不可視の我は思わずたじろいだ。そんな筈は無い。この娘がただの人間なのは、
長い付き合いで明らかではないか。気の迷いだ。観えてなどおらぬっ……!

『あ、あぁ、想ったとぉり、きれい……』

まだ意識は混濁しているのかも知れぬが、うっとりと我を見つめる好美。
何たる事ぞ。確かに彼女は神の姿を観ているのだ。

(わ、我はその、み、見るつもりは)

愚かしくも弁解を試みる我の舌。戯言を吐き出そうとしたが、この期に及んでは為す術の
無い事は悟っていた。
同時に屈辱と恐怖、歓喜がないまぜになった暗い感情の渦が湧き上がってくる。神たる我
のこのような失態を知られたのだ。ただでは……すまさぬ。すましてはならぬ。

いっその事……してくれよう、か。

(よ、よさぬかっ)

我は心底恐ろしかった。形骸の誇りにすがる余り道を違えようとする己が浅ましさ。そ
のように我を惑わす好美の存在。そして神すら弄ぶこの運命―全てが全てが全てが。

彼女ヲ犯セ。モノニシロ。

衝動に押し潰される。

彼女をクラエ。消シテシマエバ。

無かった事に。楽に、なる?

……我は、我はこのまま堕ちるのであろうか? 

『すぅ……すううっ……』

(こ、好美?)

行為に疲れ果てたのか、不意に眠りに落ちた彼女の寝息。それに押し流されるかの如く我
の惑いは徐々に消え去っていった。

(……我は……我は……すまぬ)

いかんともしがたい罪悪感にかられ我は深く頭を垂れた。詫びにもならぬが視線を逸らし
ながら好美の乱れた衣服を整え、できるだけ自然に布団を掛けてやる。

(そなたが見たのは……夢。夢なのだ。忘れるがよい)

白々しい弁解を置き土産に、我は逃げるように社へと去った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あの狂おしい夜が空けたその日の内に、好美は社を訪れた。
当然我は顔向けなどできる筈も無く、ただ叱責を受けんとして畏まっていたのだが。

『ごめんね竜神様。今日はちょっぴりへんな夢見ちゃって……その、ごにょごにょシテた
から来るのが遅れちゃった』

彼女は顔を赤らめながらもいつもの様に我と過ごした。どうやらあの事は夢と思ってくれ
たらしく、今は我の姿も観えていない様だ。一瞬安堵したがすぐに自責の念に苛まされる。
結局神として申し開きのし様の無い大失態を犯したのは事実なのだ。

その後幾日かは彼女の顔をまともに見れない日々が続いた。

彼女が傍にいるだけで、あの夜が心に蘇る。

我の名前を呼ばれるだけで、狂おしい想いに満たされる。

顔でも見ようものなら我は……今度こそ好美をどうにかしてしまうのではないか。せめて
今までの繋がりだけでも壊したくはなかった、のだが。

(うっ……好美よ、我は、我はぁッ!)

我は独り追憶に悶えるのを止められなかった。実体の無い己が身ではあったが、それは自
慰と呼ぶに相応しい淫らな行為。付近に魑魅魍魎の類でもいようものならさぞかし物笑い
の種になった事だろう。

だが有り難い事に我に本当の性は無い。時が経つにつれ、いつもの様に好美と接する事が
できる様になっていった。いくら形を精密に造り、その情動を真似たとしても所詮は霊体。
生身の者達とは違うのだ。

そう、違うのだ……あの時の事は経験としてこの身に修めるしか無い。せめて二度と道を
踏み外さぬ為の枷として役立てようではないか。我は己に誓いを立てて務めに邁進し続けた。

……あの冬の日が訪れるまでは。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

当時好美は珍しく背荷物付きの大所帯で我が社を訪れた。山登りか野営でもするのであろ
うか。もし後者なら少しだけ嬉しい。

『はぁ……し、死ぬかと思った』

(無理をするでない。ほれ、髪が乱れておるではないか。襟元もだ)

風を吹きつけてやると、彼女は慌てて身繕いを始めた。直接では無いが意図が通じるのは
とても楽しい瞬間だ。

『やだ。ブラがちょこっと出てる! ……ひょっとして中、見てないよね?』

背負う時の苦しさか襟元のボタンを外したのが仇になり、胸元がややはだけ気味になって
いる。気が付かず屈んだ時の事を気にしているのだろう。

(ふん、そなたから見せた事もあったというのに。今更何を恥らっておるか)

『あー! 今アタシの胸についてなんか言ったでしょ! セクハラだ。セクハラー』

噛みあわない言葉のやりとりもいつもと変わらず。彼女は我に供え物をくれた。後から思
えばそこから何かが違っていたのだが。

『はいこれ……手作りなんだけど。どう、かな?』

きらびやかな包装に包まれた西洋風の菓子箱。丁寧に帯まで掛けてあるとは豪勢だ。我は
感覚の手を伸ばして中身を探った。思った通りの西洋菓子、チョコレートか。

(いつもすまぬな。ありがたく頂くぞ)

彼女にはわからないが、我はチョコレートを存分に楽しんだ。ちなみに神の食事とは供物
に込められた『供えた』という想いを受け取るもので、その点では非常に美味しかった。
後は頃合を見て持ち帰ってもらえばよいのだが。

(ん……どうしたのだ? にやにやして気持悪いではないか)

我の鏡を見つめる好美の表情がいつになく怪しい事に気が付いた。

『え? ううん。何でもないよ……うれしぃ』

何故かそこで恥らう彼女に少々戸惑ったが、これもまた楽しい偶然であろう。さて今日は
どんな話をしてくれるのだろうか。

(体に大事はなかったか? 学業は上手く言っておるか? その……想い人とは一緒にい
なくてもよいのか?)

届かぬ無い問いを投げかける我の前で、好美ははにかみながら話を切り出した。

『あのね。今日は2月14日、ば、バレンタインデーの日なんだ』

(ふむ。愛を伝えるあの行事か)

人間達の風習にも大概慣れてきた。それにしても想いを物に託し、食してもらう事で伝え
ようとするのは我々神に通じる様で何か可笑しい。我にくれたのは驚きだがこれは所謂義
理の類であろう。それでも十分嬉しかったが。

『ぎ……じゃないんだよ。材料、高かったんだから。あのね、これはね、その……』

先の言葉でなんとなく合点がいった。今回の訪問はおそらく意中の人に対する相談であろ
う。供え物ついでに我を練習相手に選ぶとはいかにも彼女らしい思い付きである。

(いかんな。払った金の多寡では想いは伝わらぬ。こういった事は相手が悟っていても言
葉に出すべきものであろう?)

聞こえはしないが彼女の部屋にあった恋に関する書物の一文をそらんじる。本来は関係な
いと突っぱねる話だが、なんとなく興が乗ったので助力してやるとしよう。とは言え我に
できるのはせいぜい話を聞くぐらいだが。

しかし当の好美は『う~』と唸るばかり。落ち着き無く足をもじもじさせては、こちらを
睨み付けるだけで一向に話をしそうに無い。

(全くそなたらしくも無い。いつもの威勢はどうしたのだ?)

『バカ……ほ、本当にい、言っちゃうからね。し、知らないんだから』

どうした事か今度は多少怒っている様子。……正直ワケが分からぬ。いつにも増して彼女
は読み辛くなっていた。

戸惑いを隠せない我の前で、ようやく決意したのか彼女の手が合わさる。

『竜神様、御願いがあります』

急に畏まり紅潮する白い肌。震える唇が願いを紡いだ。

『私の、はじめてを、もらって下さい』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(な……)

はじめてとは……処女を捧げる事。我に? 

ふ、不可解だ。肉体すら持たぬ異形の存在を初めての男性に選ぶなぞ……ままごとにして
も度を越しているではないか。

『ふぅ、イッ、言っちゃった……』

緊張の糸が切れたのか、社の前にへたり込む好美。ちらりと見えた足の付け根の情景に
さらに混乱が高まっていく。

わ、我は……どうすればよいのだ? 基本的には彼女に手も足も出せぬ己が身だ。困惑の
末動いたのは間抜けな口先だけであった。

(こ、好美よ、いくら何でも悪ふざけが過ぎるではなッ! か、な、何をするか)

不意に鏡が社からひったくられた。中に宿る我に噛み付かんばかりの勢いで叱責が飛んでくる。

『竜 神 様 の バ カ! バカバカバカバカ! ……なんで、なんでそうなのよ! 
神様のクセに人間の小娘如きの気持も読めないの?』

神に対して不遜極まりない言動だったが、怒る気すら起きず我はただ彼女の激しい想いに
圧倒されるばかりだった。

『あ、あんなにしっかり見てたのに……わ、悪ふざけなんて、この朴念仁のインポ龍!』

(ぶ、無礼な! いくら我とてそこまでされては許……)

混乱の中男性格にとって最悪の侮辱は理解できた。さすがに我も耐えかねて鏡の中から牙
を剥いて飛びだそうと、したが。

『う、うううっ……うううっ』

伏せた顔に流れる涙、漏れる嗚咽。

(……ぅ……ぁ)

先程の怒りから一転……泣いていた。あの天真爛漫を絵に描いたような娘が泣いていた。
初めて目にするその悲しみが我が怒りの矛先をあっさりと止め、へし折る。
理屈抜きで己がとんでもない失態をしたと悟ってしまい、我は鏡の中から乗り出した頭を
垂れていた。

(またしても……好美よ、すまぬ)

申し訳なさと愛おしさの入り混じった何とも言えない感情に突き動かされ、我は泣きじゃ
くる彼女の頬をそっと舐めていた。もはや体面などどうでもよい。少しでもこの過ちを取
り繕いたくて仕方が無いのに、伝えられない己が境遇が呪わしかった。

……傍にいたい。話をしたい。その身に触れたい。

ようやく気が付いた。笑いたいものは笑うがいい。我は神でありながら、いつしか初心な
男子の如く好美に好意を抱いていたのだ。
今や好美の想いもはっきりと理解できていた。この身に向けられたるは真摯な求愛。男性
としてそれに応えずしてなんとするか。

(我は……我もそなたが愛しい)

無駄とは知りながらその身体をかき抱こうとし、

がしっ。

(う! ……ああ? こ、好美?)

ふいに身体に圧し掛かる重み。頭に感じられるたおやかな腕の感触に我は硬直した。
ま、まさか、ふ、ふ、触れておる……のか? 
お、思い返せば愚かにも気が付かなかったが、先程からの彼女の振る舞いはまるで我を観
ているかのようではあった……つまり。

『ウ、フフ……ウフフ、うふふふふ……』

漏れる嗚咽はいつの間にか忍び笑いへ。我の顔をしっかりと抱きしめたまま好美はゆっく
りと顔を上げる。そこにはいつもと変わらぬ、もといこれまでにない会心の笑顔。

『やったぁ! アタシも竜神様を愛してるよぉ』

強烈な頬擦りが我の顔を遠慮無く蹂躙。少々痛かったがその様な事はどうでもよい。

(そ、そなた、あの時から我を)

やはりあの夜の事は偶然ではなかったのだ。まんまと騙され通した事に唖然とする我の耳
元で、やや申し訳無さそうに彼女が囁く。

『夢だと思っていたのはホントだよ。でもあれから何度か姿が見えたり、声が聞こえたり
する様になったの。自分でも暫く信じられなかったけど』

確かにこの時代の人間なら、普通は己が異常を疑うだろう。

『それにね、ぉナニ……で見える様になったなんて恥ずかしい事認めたくなかったし』

(む、むう。なるほど)

異国には性の交わりを通じて霊力を高める呪術があると聞く。おそらく長年我に触れてい
た影響が自慰行為の時に開花したに違いない。その経緯故に自覚するのに相当の時間と覚
悟がいったのは納得できる。
その間彼女は耐えて信じてくれたのだ。我は嬉しくてしょうがなかったが、慌てて舞い上
がりそうになる己を抑える。こうして話せる間柄になった以上けじめは必要だ。

(ま、まず詫びねばならぬ事がある。そ、そなたの……あの行為を見てしまふがっ!)

『ハイそこまで。……ってせっかくイイ雰囲気なのにぶち壊すなんてサイテー』

我の謝罪は好美の両手で塞がれた。まずい事にまた怒らせてしまったようだ。彼女の顔が
正面から我に詰め寄ってくる。

『別に怒ってなんかいないよ。逆にふしだらな娘だって軽蔑されるか、怒ってるんじゃな
いかって心配したぐらい』

(そ、そんな事があるものか! 我を想ってしてくれたのであろう)

彼女が頬を染めて頷く。先程とは対照的なしおらしさに心が高鳴った。

『うん。その……見てて興奮した?』

(う、うむ)

我も素直に頷く。人間であればかなり赤面していた事であろう。

『あ、もしかして思い出して一人で慰めちゃったり、とか?』

(……すまぬ)

『なんでそこであやまるのかなぁ。好きな人のオカズになるって嬉しい事だと思うよ?』

理屈はともかくもはや完全に好美のペースだった。持ち前の遠慮の無い性格が我の躊躇い
を躊躇する事無く踏み潰していく。もはやどこにも逃げ場などありはしない。

『つまりアタシもシテしまう程竜神様が好き。竜神様もシテしまう程アタシが好き』

(そそそ、そうであろうか?)

止めを刺される予感。彼女の瞳が言葉が我の意志を思うが侭に染め上げていく。

『そ う な の。だからアタシと竜神様はラブラブ……難しく言うと相 思 相 愛。
わかった?』

(わ、わかった)

『宜しいっ。じゃあ、アタシの御願い……聞いてくれるよね?』 

無論……我に否はなかった。

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