地に墜ちた女王2

    

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「何?もうあの雌火竜を手懐けたと申すのか!?」
翌朝僕の報告を聞いた時の王女の喜びようは、とても言葉では言い表せないものがあった。
「はい・・・ですが彼女・・・レイアとの信頼をより深めるには、あの口輪をも外してやる必要があります」
「なんじゃと?ならん!それはならんぞ!万が一にもまた暴れられてはかなわぬからな」
「で、ですが・・・」
だが王女は言いかけた僕の言葉を手で制すると、椅子からピョコンと飛び降りていた。
「くどいぞ。前の雄火竜などは口輪をつけなかったせいで取り押さえられず、結局死なせてしまったではないか」
確かに僕がこの王宮で職についた直後、今のように頑丈ではない庭園の小屋で小柄なリオレウスが飼われていたのが記憶に残っている。
だが小柄とはいえ流石は飛竜の王というべきか、甲高い咆哮を上げながら小屋を破壊し辺りを飛び回る雄火竜に手を焼き、結局数人のハンター達を雇って討伐したという事件があった。
それなら最初から飛竜など飼わなければいいだろうという声が聞こえてきそうだが、その点については王女はなんら見直すつもりはないらしい。

「しかし・・・雄よりも気が荒いと言われる雌火竜をこうも容易く手懐けるとは、そなた一体何をしたのだ?」
「僕はただ・・・レイアに餌をやり、鎖を外してやっただけです」
「ふん・・・それで口輪も外してやろうと考えたのか?まあいい・・・わらわはレイアの様子を見に行くぞ」
王女はそう言うと、王や第二王子の心配そうな眼差しを振り切って庭園へと飛び出していった。
一緒に行ってやらなくても大丈夫だろうか・・・?
あのリオレイアが今更人間を襲うようには見えないが、それでも何となく嫌な胸騒ぎがする。
だが王女の後を追おうとした僕を、その場にいた王が引き止めた。
「行かせてやるがいい。お前が必要ならその時は、衛兵が呼びにくるだろう」
「・・・はい」
庭園を小屋に向かって駆けていく王女の後姿を回廊の窓から見つめながら、僕は胸に手を当てて何事も起こらないことを祈っていた。

ガラ・・・ガララ・・・
逸る気持ちを抑えながら小屋の扉を少しだけ開けて中を覗くと、奥の方で巨大な雌火竜が地面の上に蹲っていた。
ここへ来た時は壁から垂れ下がっている鎖に全身を雁字搦めにされていたというのに、今やその神々しいまでの姿態は何の束縛も受けずに悠然と小屋の中で佇んでいる。
飛竜特有の高い治癒力が全身の傷をみるみる癒していったようで、あれ程手酷く痛めつけられて傷だらけだった顔も翼も、既に元の刺々しさを取り戻しつつあった。
流石に切断された尾だけは修復に時間がかかるらしくまだ傷口を分厚い肉膜が覆っているだけだったが、他の生物なら命に関わるようなあんな深手でさえ、数ヶ月もあれば完全に元通りの姿を取り戻すのだろう。
わらわは高鳴る胸に手を当てながら小屋の中へと足を踏み入れると、放し飼いにされた雌火竜の動向を注意深く見守りながらそろそろと近づいていった。

「グル・・・?」
いつもと違う人間の気配を感じて、私は浅い眠りを中断して頭を持ち上げた。
見れば、年若い1人の娘が目をキラキラと輝かせながらこちらへと近づいてくる。
一体誰だというのだ?
ハンターの仲間ではないようだが、小屋の入口からハラハラと落ち着かない様子でこちらを窺っている数人の男達を見る限り、この娘は人間達の中ではいささか身分の高い者なのだろう。
本人はどうか知らないが、私から見ればあまりにも無防備に近づいてくるその娘の様子から、どうやら私は相当に甘く見られているらしい。
私の縛めを解いてくれたあの男に気を許したことがどうにかしてこの娘に伝わったのか、まさか私が危害を加えるとは微塵も思っていないようだった。
面白い・・・陸の女王たる私を軽く見るとどういうことになるのか、その身にたっぷりと思い知らせてくれる。
「グルルルル・・・・・・」
私はここしばらく胸の内に押し留めていた溢れんばかりの殺気を辺りに巻き散らすと、尾を引くように長い唸り声を上げて小さな娘を威嚇した。
鈍感な娘もこれには流石に身の危険を感じたのか、半ばニヤついていた顔から一切の笑みが消えていく。
だが既に単身小屋の中程までやってきてしまっていた娘に、私から逃げ切る術など残されてはいなかった。

突然雌火竜が上げた恐ろしげな唸り声に、わらわは思わず足を止めていた。
真っ直ぐにわらわの顔を睨みつけているリオレイアの眼から、はっきりとした敵意が見て取れる。
「う・・・な、なんじゃ・・・レイアを手懐けたのではなかったのか?」
ポツリと漏らしたその言葉に反応したのか、リオレイアが突然その巨体を持ち上げた。
同じ種の中でもとりわけ異常な程に大きな体躯を誇るキングサイズのリオレイア・・・
その握り拳よりも大きな爛々と輝く瞳に射抜かれ、恐怖に魅入られた本能が激しく警鐘を打ち鳴らしている。
「グルルル・・・」
やがて低く唸りながら身を引いた雌火竜の様子に、わらわは踵を返すと全力で逃げ出していた。

「グオアアアアアーッ!」
「ひいぃぃぃぃ!」
次の瞬間、地響きのような振動とともにリオレイアがこちらへ向かって突進を始めていた。
あまりの恐怖に心の余裕がなくなり、フラフラと足元が縺れてしまう。
ガッ
だがグラリと傾いだ視界にあっと思ったその時には、わらわは自らの足に躓いて地面の上に激しく転倒していた。
「ああっ!」
無様に転んで地面に強かに打ちつけた胸の痛みに呻く間もなく、背筋を凍らせるような飛竜の足音がすぐそこにまで迫ってきている。
ドドドドドド・・・
「だ、誰か・・・!」
「お、王女様!」
わらわの助けを呼ぶ声に小屋の外から様子を見守っていた数人の衛兵達が一斉に中へと雪崩れ込んできたものの、なぜかその足が急にピタリと止まった。

ふと気がつけば、あれほど盛大に鳴り響いていた足音は何時の間にか消え、辺りを不気味な静寂が覆っている。
ズシッ・・・
だが何事かと思って衛兵達が見つめている視線の先を追おうとしたその時、うつ伏せに倒れ込んだわらわの背の上に何か巨大なものが乗せられる感触があった。
それがリオレイアの脚だと理解するのに、パニックに陥った頭が数秒の時間を要する。
「な、何をするのじゃ・・・誰か助け・・・あぅ・・・」
巨大な飛竜に踏みつけられた割にはなぜかさほど苦しくはなかったものの、一切の抵抗が封じられてしまう。
そしてそこから逃れようともがくわらわの生白い首筋に、おぞましいリオレイアの舌が這わせられた。
シュルッ・・・ペロ・・・ペロペロッ・・・
「ひっ・・・よ、よせ・・・よさぬかぁ・・・」
首筋にたっぷりと塗りたくられた唾液がリオレイアの生暖かい吐息でゆっくりと冷やされ、わらわの心を徐々に恐怖で蝕んでいく。
「おい、早く・・・早くあの男を呼んでこい!」
「あ、ああ、わかった!」
慌てた衛兵達が小屋の外で何やら話している声が聞こえたが、わらわは必死に目を瞑って拳を握り締めたまま飛竜の女王の拷問に耐え続けていた。

ドタドタドタッという酷く慌てた足音を立てながら2人の衛兵達が城の中へと駆け込んできたのを目にすると、僕は嫌な予感が的中したことを確信していた。
「す、すぐに来てくれ!王女がレイアに襲われているんだ!」
襲われている?それならもう手遅れじゃないか。
それとも、あの狭い小屋の中でリオレイアを相手に鬼ごっこでもしているというのだろうか?
だが息を荒げた衛兵達はこれ以上にない程激しい焦燥感に満ち満ちてはいたものの、とにかく王女の方はまだ生きているらしい。
とりあえず、呼ばれたからには行ってやるとしよう。
「待て、ワシも行く」
僕が2人の衛兵達について王の間を後にしようとすると、王が慌てて後をついてきた。
普段は冷静な王も流石に自分の娘が飛竜に襲われているとあっては、心配で心配で仕方がないのだろう。

やがて庭園に辿り着くと、相変わらず数人の衛兵達が小屋の外から小さく開けた扉の中を覗き込んで何やら騒ぎ立てていた。
その喧騒の中に飛び込むようにして、僕も小屋の中を覗き込んでみる。
そこでは、リオレイアに踏みつけられた王女が体中をペロペロと舐め回されては泣きながら助けを求めていた。
「ひ、ひぃ・・・」
「グオアッ!グルルル・・・」
だが周囲を取り囲んでいる衛兵達が少しでも彼女に近づこうとすると、途端にそちらの方をギラリと睨み付けては頻りに唸り声を上げて威嚇している。
なるほど・・・多分、リオレイアは最初から王女を殺すつもりなどないのだろう。
ただ王女の振舞いか、或いは言葉を交わさずとも読み取れるその他者を見下したような高圧的な態度にか、誇り高い彼女が何らかの原因で腹を立てたのは確からしかった。
「おお!なんということだ・・・おい、早くなんとかせぬか!娘を助けてくれ!」
少し遅れて小屋の中を覗き込んだ王が、慌てて僕へと掴みかかってくる。
だが僕は王の肩に手を添えると、彼を落ち着かせようと努めて穏やかな声をかけた。

「大丈夫ですよ。落ち着いてください。あれは襲っているのではなく・・・その、ちょっとしたお仕置きですよ」
「お、お仕置きだと・・・?何を言っているのだお前は!?」
「きっと、王女がレイアをどうにかして怒らせたのでしょう。ですが、あれに飽きれば勝手に離してくれますよ」
だが王は先程より多少落ち着きを取り戻したものの、依然として娘の身を案じて心配そうな表情を浮かべている。
「し、しかし・・・これ以上は見ておれん。すぐに止めさせてくれ」
「・・・わかりました」
僕はそう小さく頷くと、衛兵達を押し退けて小屋の中へと入っていった。
そして入口近くの壁際に山と詰まれている生肉の塊を2つばかり手に持ち、それを振りながらリオレイアに近づいていく。
彼女は人間達の群れの中に僕の姿を見付けると、少しだけ穏やかな表情を見せた。

「もういいだろ?王女を離してやってくれ」
そう言いながら手にした肉をポイッと口元に投げてやると、彼女はもう口輪の存在など意に介していないかのようにパクリと肉に食いついた。
それで僕の意図を読み取ったのか、彼女が踏みつけていた王女からようやく足を離す。
王女があまり苦しんでいなかったのを見ればさして体重をかけられていたわけではないのだろうが、仮にも国王の娘が地べたの上に大の字で転がっている様は、僕にはいささか憐れに見えた。
「それじゃあ、王女を頼みます」
「あ、ああ・・・わかった」
皆一様にホッと安堵の息をついた衛兵達に王女の世話を任せると、僕はリオレイアを小屋の奥へと誘った。
よほど楽しいガス抜きになったのか、彼女の顔に満足げな笑みが浮かんでいるようにすら見える。
そのまま彼女が地面の上に蹲ったのを確認すると、僕は彼女の巨大な顔をそっと撫でながら衛兵達や泣き腫らした娘を伴った王が小屋から出ていくのを静かに眺めていた。

「全く・・・お前は自分が一体何をしたかわかっておるのか!?」
「・・・はい・・・父上・・・」
衛兵達の目に付かぬようにして娘を寝室の中へと連れ込むと、ワシはまだグスグスと目を擦っている娘を大声で叱りつけていた。
「あの男のお陰でリオレイアの方に殺意がなかったからよかったようなものの・・・少しは自分の立場を弁えろ」
こやつがいくらワシの言うこともロクに聞かぬじゃじゃ馬娘であっても、いずれはこの国の中枢を担うべくして世に産まれた王女の身分なのだ。
それが飛竜をペットにしたいなどと戯けたことを目論んだ上にその飛竜に危うく殺されかけたというのだから、ワシの怒りはしばらくの間容易には収まりそうになかった。

だがまあ、今回のことは娘にもよい薬になったことだろう。
これを機にもう子供っぽい駄々を捏ねるようなことがなくなってくれれば、それに越したことはないのだが・・・
最早十分に反省したのか、ベッドの上に腰掛けて視線を落としたまま無言で鼻を啜り上げている娘をその場に残すと、ワシはそっと寝室を後にした。
そして近くにいた1人の衛兵を小声で呼びつけ、寝室の扉を見張らせる。
「晩餐に呼ぶまで、娘が部屋を出ないようにここを見張っていてくれ」
「はっ、かしこまりました!」
よし、これでいい・・・後は・・・あの男にも、いずれ改めて礼を言わねばならぬだろうな・・・
昼下がりの陽気に明るく照らし出された回廊を歩きながら、ワシはぼんやりとそんなことを考えていた。

その日の夜、晩餐を終えてようやく寝室への監禁から解放された王女が、丁度前を通りかかった1人の衛兵を呼び止めた。
「これ、そこの。1つわらわの頼みを聞いてほしいのじゃが、よいか?」
「は、はい!何でしょう・・・?」
そして怪訝そうな表情を浮かべて改まった衛兵に、王女が長い間握り締めていたのか手汗でじっとりと湿ってしまった1枚の羊皮紙を手渡す。
「これを今すぐ、ハンターズギルドへ届けてもらいたいのじゃ」
「これは・・・?」
だが衛兵がそこに書いてある内容を確認しようと羊皮紙を広げかけた途端、王女が慌てた様子でそれを制止する。
「待て、見てはならん!」
「し、しかし王女様・・・」
「ええい!そなたは黙ってこれを届ければよいのじゃ!よいか、決して中を見てはならんぞ!」
次々と大声で捲くし立てる王女の剣幕に押され、衛兵は思わず頷いてしまっていた。
「は、はい・・・確かに承りました!」

ハンターへの密かな依頼を託した衛兵の姿が見えなくなると、わらわは自室のベッドの上にドサリと倒れ込んだ。
わらわにあのような屈辱的な仕打ちをしたリオレイアを、これ以上生かしておくことなどできない。
あやつがあの雑用係の男にしか懐かぬというのなら、最早わらわのペットとしては何の価値もないのだ。
だがこれで、あろうことかこのわらわを踏みつけにしたあの憎き雌火竜の命も精々明日の夜明けまでだろう。
そんな歪んだ復讐の喜びが顔に表れそうになるのをグッと堪えると、わらわは漆黒の闇を映す大きな部屋の窓をほんの少しだけ開けた。
そして微かに部屋の中に吹き込んでくる生暖かい風に衣服を揺らしながら、首にかけていた小さな鍵を手に取る。
「・・・ふん・・・これももう、わらわには必要ないわ」
誰に言うとでもなくそう独りごちると、わらわは手にしたそれ・・・
リオレイアの口輪を唯一外すことのできる鍵を、眼下を流れる水路目掛けて放り投げていた。

ドンドルマの街の夜・・・大人数を収容できる大闘技場前の広場では歌姫の幻想的な歌声が辺りに響き渡り、命がけの狩りに疲れたハンター達に一時の憩いの場を提供している。
そんな心落ち着く静かな空間とは対照的に、酒場では新たに届いた王女の依頼に大勢のハンター達が名乗りを上げていた。
しかめっ面をしながらマスターが娘に手渡した羊皮紙に書かれていた依頼は、王宮の庭園に捕らえたリオレイアを討伐すること。
咆哮も上げられず火球も吐けぬ雌火竜など、熟達したハンター達にしてみれば正に達磨同然なのだ。
これ幸いにと酒場のカウンターに差し出された受注の希望に、娘は小さく溜息をつくしかなかった。

コンコン・・・コンコンコン・・・
深夜の城内に突如響いた、眠りを妨げるドアのノック音。
僕は手放し難いまどろみに埋もれながら、目を閉じたまままだ見ぬ訪問者を誰何した。
「・・・誰だい?」
「開けてください。お話があります」
男の声だ。多分、衛兵の1人だろう。いや、つい最近どこかで聞いた声のような気もする。
僕はふうっと息を吐き出すと、ベッドから這い出して扉の鍵を開けてやった。
「一体どうしたんだ?こんな夜中に・・・」
「失礼します」
扉を開けて中に入って来たのは、昼間王女の助けを求めて城の中に駆け込んで来たあの衛兵の1人だった。
その衛兵が、たかが雑用係を相手に妙に畏まっている。
だが彼は僕が勧めた椅子に座る時間も惜しいといった様子で、すぐに用件を切り出していた。

「あのレイアが殺されます」
「え・・・?」
「晩餐が終わった後、私は王女に呼び止められました。そしてギルドにある依頼を届けてくれと頼まれたのです」
眠気でぼーっと靄のかかっていた頭に、彼の言葉が突風のように吹き荒ぶ。
「そ、それで?」
「決して中を見るなと言われましたが、ギルドの情報屋のもとへ向かう途中でつい堪え切れなくなって・・・」
なるほど・・・どうせ王女に懐かぬのなら、昼間の腹いせに殺してしまおうと考えたというわけか。
あの王女らしいといえばらしいが、リオレイアの気持ちを考えれば、それだけはさせてはならない。
「ありがとう、よく知らせてくれた。それで、ハンター達はいつこっちに着くんだ?」
「恐らく夜明け前には・・・ああ・・・情けない話ですが、一体私はどうしたら・・・」

僕は王女を守る立場であるはずの衛兵が何故こんなことで悩んでいるのか不思議だったが、やがてある前提がその問を答えに導いた。
つまり・・・彼もまた、昼間の一件で王女を懲らしめた粋な雌火竜に傾倒してしまったのに違いない。
それ程にあの王女は人遣いが荒く、それでいて他人の迷惑を省みない困った性格なのだ。
更に言えば、また火竜を飼うからと言ってあんな小屋を急遽作らさせられたのは他でもないこの衛兵達だ。
王女が殺されると思ってリオレイアを牽制していた時は必死だったのだろうが、後になって何と言うかこう・・・胸がスカッとしたのだろう。
だがこうなってしまったら、僕の取るべき道はもう1つしかない。
「いや、あんたはもうこのまま知らない振りをしていた方がいい。後は僕が何とかする」
「レイアを・・・逃がすんだな?」
「そうだ。夜明けも近いし、もうそろそろハンター達が到着してもおかしくない」
だが心得たとばかりに頷いた衛兵の顔には、まだ不安の影が見え隠れしている。

「どうかしたのか?」
彼の心境を読み取って投げかけたその質問には、すぐに答えが返ってきた。
「他に、私にできることはないか?」
「それなら、王女の部屋を見張っていてくれ。僕の邪魔をするとしたら、王女以外にいないからね」
「ああ、わかった。まかせてくれ」
今度は歯切れの良い返事を返した衛兵が王女の部屋の方へと走っていくと、僕は着替え終わった服をベッドの上に放り投げて庭園へと急いだ。

東の稜線のすぐ向こうに朝日の気配を感じながら小屋の前までやってくると、僕は小屋の扉を一杯に開いた。
奥で眠っていたリオレイアがその音で目を覚まし、不思議そうな顔でこちらを眺めている。
そしてようやく彼女も通れそうなくらいの入口を確保すると、僕は急いで彼女のもとへと走っていった。
「グルルゥ・・・?」
まだ夜も明けきっていないこんな早朝から一体何事かと訝るように、彼女が困惑した唸り声を上げる。
「早く、ここから逃げるぞ!」
僕はそう言いながらなかなか動こうとしてくれない彼女の顔に生えた刺を力一杯引っ張ってみたが、所詮人間の力では彼女を力尽くでどうにかなどできるはずがない。
「レイア!ハンター達が来るんだ!お前を殺しに来るんだぞ!」
それでも、彼女は動かなかった。
なんてことだ・・・こんなところでぐずぐずしていたら、きっと彼女なんてあっという間に殺されてしまうに違いない。
本来ならリオレイアの一番の武器である毒刺の生えた尾は途中からぷっつりと切断され、口輪のせいで火球も、咆哮も、あまつさえその巨大な牙までもが無力なものとして封じられてしまっている。
王女がハンター達に彼女の討伐を依頼したのだとしたら、きっとこのこともハンター達に知られているだろう。

「グオッ・・・?」
その時、彼女が突然顔を持ち上げた。
まさかと思って彼女の視線の先・・・大きく開けられた小屋の入口の方へと目を向けると、ゴツゴツしたシルエットを纏った数人の人影が立っている。
飛竜の甲殻で作られた防具を纏う、手練のハンター達だ。
「くそっ!間に合わなかった・・・」
だがそう毒づいた僕の様子で、彼女は己の身に差し迫った事態を察したらしかった。
のそりという静かな音とともに巨大な緑色の山が動き、数日振りに現れた彼女に敵対する人間達を怒りのこもった眼で睨みつける。
「だめだよレイア、まだ戦えるような体じゃないだろ!?」
見上げるような高さにまで立ち上がった彼女の脚に縋りながら、僕は必死で声を張り上げていた。

「グルル・・・」
突如目の前に現れた憎きハンター達に敵意を燃やしながらも、私は足元で必死に何かを訴えかけている人間に視線を戻した。
恐らく彼は、この私に逃げろと言っているのに違いない。
確かに今の私の体は、とてもではないがあの人間達と戦えるような状態ではなかった。
いや、寧ろ満身創痍といっても過言ではないだろう。
しかしいくらこの身が傷ついていようとも、あの者達に一矢報いずに逃げることなど到底できそうにない。
「頼むよレイア・・・僕・・・お前を失いたくない・・・」
だがいざハンター達を蹴散らそうと突進を始めかけたその時、私は足元の人間の声が急にくぐもったのを感じた。
見れば、人間が私の脚の爪の上に突っ伏して泣いている。
何故だ・・・?何故、この人間は私の身を案じて涙を流すのだ?
それ程までに私を気遣わなければならぬ、一体どんな理由があるというのだろう?
「グルルルル・・・」
私は本当に、このままハンター達と戦うべきなのだろうか・・・
逡巡している間にも徐々に近づいてくるハンター達を鋭く睨みつけながら、私は激しい葛藤に苛まれていた。

「レイア・・・うぅ・・・お願いだよ・・・」
半ば絶望に近い黒々とした悲しみに嘆いていたその時、突然僕の耳に生暖かい風が吹きつけられた。
それとほぼ同時に、涙で濡れた頬を彼女の大きな舌がペロリと這い上がっていく。
「う・・・レイア・・・?」
鼻を啜り上げながら顔を上げると、彼女は武器を構えながらじりじりと近づいてくるハンター達には目もくれずにじっと僕の顔を覗き込んでいた。
そしてその巨体を深々と沈め、まだ切断されたままの尻尾を曲げて僕の前へと近づけてくる。
何をするつもりだと思ってもう1度彼女の顔に視線を戻すと、僕はようやくその意図を悟ることができた。

「ああ、わかった」
次の瞬間、僕は大きく頷くと眼前に差し出された尻尾を伝って彼女の体を攀じ登り始めた。
そして何層もの分厚い甲殻で覆われた彼女の背中に跨り、翼の付け根をしっかりと掴む。
「いいよ、レイア」
「グルッ」
ようやく、彼女は逃げる決断を下してくれたのだ。
僕の声に返事をするかのように小さい唸り声を発して、彼女がゆっくりと溜めを作るように体を引く。
やがてリオレイアの突進の予兆を読み取ったハンター達が身構えたのを確認すると、彼女は大きく開けられた小屋の入口へ向かって全力で走り出していた。
「グオアアアアアアアアーーッ!!」
禍禍しい凶器を構えようとするハンター達を威嚇するかのように精一杯の雄叫びを上げながら、傷ついた雌火竜が敵を殺すためではなく、無事に生き残るために疾走していく。

そして海が割れるかのように左右に分かれたハンター達の間を突っ切って小屋の外へと抜け出すと、彼女はそれまで畳んでいた翼を大きく広げて羽ばたき始めた。
バサッバサッという空気を叩く音とともに庭園に植えられた草花が靡き、飛竜の巨大な体を宙へと浮かせていく。
「ぐ・・・」
予想以上に凄まじい振動と衝撃に、思わず翼の付け根を掴んだ手が離れそうになる。
だが必死に力を入れて何とかそれを堪えると、僕は後を追ってくるハンター達の方を振り向いた。
その内の1人が、手にした大きなボウガンを構えている。
パシュン!カキン!
「うわっ!」
小さな火薬の爆発音と空気を切り裂く音、それに速度を失った弾が彼女の鱗で跳ね返る音が連続して聞こえ、僕は思わず悲鳴を上げて身を伏せた。
だが、なかなか2発目の弾が飛んでこない。
不思議に思ってもう1度背後を振り向くと、先程のハンターが別の弾をボウガンに装填しているところだった。
待てよ・・・あの黒と茶色を基調にした複雑な形状・・・確か、タンクメイジという名のボウガンだ。
となれば恐らく、今装填しているのはタンクメイジが最も得意とする弾種・・・散弾に違いない。
「レイア、早く!もっと高く飛んでくれ!」
だがそう叫んだ僕の背後から、ボウガンを構えるガシャッという音が聞こえてくる。

バシュッ!ビシッビスビスビスッ!
「うああっ!」
次の瞬間、ボウガンから撃ち出された弾が火薬の爆発と風圧によって四散する。
その容赦のない一撃で、無数の竜の牙の欠片が凶器と化して僕とリオレイアに襲いかかった。
逃げ場のない弾幕に曝されて腕と背中に数発の弾が食い込み、痛みと衝撃が全身を駆け巡る。
僕の悲鳴を聞き取った彼女が、激しい憤怒の形相を浮かべて眼下のハンター達を睨みつけた。
だが傷ついた僕の様子にここは逃げるべきだと判断したのか、ギリッと音がする程に食い縛った牙を剥き出しにしながらも彼女が顔を前に向ける。
「くそっ、逃がしたぞ!」
地上でハンター達が毒づくのが聞こえると、彼女は十分に稼いだ高度を生かして水平飛行を始めていた。
「よ、よかった・・・逃げ切れたね・・・レイア・・・」
顔に叩きつける涼しい風を感じながら小声でそう呟くと、僕はしっかりと彼女の背にしがみついてはいたものの、激しい痛みと出血でフッと意識を失ってしまっていた。

「グルル・・・グルルル・・・」
おのれ・・・許せぬ・・・あのハンター達め・・・八つ裂きにしてやっても飽き足らぬぞ・・・!
私の背に乗った人間が見えぬわけはないというのに、彼にまで危害を加えるとは一体どういうつもりなのだ!
気絶した人間を落とさぬようにゆっくりと森の上空を飛びながらも、抑え切れぬ怒りが今にも爆発しそうになる。
かつて感じたことのない大切な他者を傷つけられたことへの憤りを抱えながら、私は森の中にぽっかりと空いた水飲み場へと静かに滑空していった。
森と丘の中心にある、木々に囲まれた薄暗い天然の回廊。
その一角にある小さな広場が、私のお気に入りの水飲み場だった。
食事をするときも水を飲むときも、時には眠りにつくときも、かつてここへ足を運ばなかった日は1日としてない。

燦燦と辺りを照らし始めた太陽から隠れるようにして泉の辺へと着地すると、私は人間の安否を気遣った。
堅い鱗越しに暖かい体温と呼吸の波が感じられ、思わずホッと安堵の息を漏らしてしまう。
不思議なものだ。1度は殺そうとしたこともあったというのに、今ではこの人間が堪らなく愛しい。
できる限り身を低くしてそっと人間を背の上から振るい落とすと、私は地面に転がった彼の体を見回した。
背中と右腕に尖った牙の破片がいくつか突き刺さっていて、彼の衣服を血に染めている。
私はその光景に一瞬驚いたものの、傷そのものは比較的小さいようだった。
舌の先で傷口をなぞってやると、思いの外簡単に弾が抜けていく。
助けられるかもしれないという希望が胸の内を満たし、私は一心不乱に人間の体を舐め回していた。

「う・・・うぅ・・・レ、レイア・・・?」
全身に感じられる鈍い痛みと微かな快感に、僕は何とか意識を取り戻した。
王宮の庭園とは違う固い土と岩で覆われた大地の上で、彼女がひたすらに僕の背中を舐め回している感触がある。
「うぐ・・・く・・・」
軋む体に力を入れてゴロリと寝返りを打つように仰向けに転がると、彼女が心配そうな眼差しを僕に向けていた。
その顎には、今もまだ王女の呪いのように頑丈な口輪がはめられている。
「レイア、ごめんよ・・・その口輪・・・外してやれなかった・・・」
「グル・・・ルル・・・」
彼女と会ってからのこの数日間で初めて聞いた、穏やかで優しげな唸り声。
「許してくれるのか・・・ありがとう・・・」
ポツリと呟くようにそう漏らすと、僕は近づけられた彼女の顔を両手で抱き締めていた。

数ヶ月後、ドンドルマの街には不思議な噂が広がっていた。
森と丘を散策していると、稀に口輪をはめられた巨大なリオレイアを目にすることができるのだという。
その雌火竜はハンター達を見ても決して戦おうとはせず、すぐにどこかへと飛び去ってしまうらしかった。
中には、空を飛ぶリオレイアの背に人間が乗っているのを見たという者までいるという。
しかしやがてその人間と雌火竜が王女のもとから逃げ出した"あの"1人と1匹だということが知れると多くのハンター達は彼らに同情し、ハンター達もまたそのリオレイアに敵意を向けることはなくなっていった。

美しい木々に囲まれた森と遥かな絶景を望む緑の丘。
その自然の懐で、今日も1人の元ハンターとかつての陸の女王が仲睦まじい一時を過ごしている。
無惨にも切断されていた巨大な尾はすでに元通りの再生を果たし、今や顎にはめられた口輪だけがかつての屈辱と、そして甘酸っぱい人間との邂逅を雌火竜の脳裏に去来させていた。
「レイア・・・僕・・・これからもずっと、お前のそばにいていいかい・・・?」
くすんだ緑色の山に背を預けながらそう話しかけた人間を、飛竜の大きな翼膜がそっと包み込む。
数十年後死が彼らを別つまで、人間と飛竜はお互いに同族の誰もが経験したことのない数奇な、それでいて幸福な生涯を送ることになるだろう・・・



感想

名前:
コメント:
|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|