森の主達

    

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直径2キロにも満たぬ、四方を深い森に囲まれた小さな村。
全部で100人程の村人達は皆食料を自給自足し、必要な品々は隣人との物々交換で補っていた。
とはいっても決して文明から取り残された村などではなく、人々は実に近代的で充実した生活を送っている。
だがこの村には、絶対に破ってはならないと言われる1つの掟が存在していた。
それは、村を囲む森の中に入ってはならないということ。
20年程前にこの村が作られた時、村の創始者達は森に住むある者達と契約を取り交わしていたのだ。
そのある者達とは、黒い鱗を全身に纏った巨大なドラゴン達。
元はドラゴン達の物であった森の一部に人間が住むことを許し決して村は襲わないという条件と引き換えに、人間達もまた彼らの領域である森を侵さないという不可侵の契約だ。
村の創始者達はそんなドラゴン達を酷く畏れていて、これまでその掟が破られたことは1度としてなかった。
だがそんな事実を知らぬ彼らの子供達が青年へと成長すると、森へ入ってはならないという掟は若者達の好奇心をいたく煽ることとなった。

今日で誕生日を迎えて20歳になるというのに、俺はベッドの上でいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
階下からは、もう昼近い時間だというのに両親の笑い声が聞こえてくる。
毎日毎日男達は農作業や果実の栽培に精を出し、女達は家事や洗濯をして1日を過ごすのだ。
夫婦仲は円満だし村人達は皆が皆家族のようにお互いを助け合っている。
他に比べるものを知らないからよく分からないが、きっとここは世界のどこよりも平和な村なのだろう。
だがこの村には、随分とおかしな掟がある。絶対に村を囲む森に入ってはならないというのだ。
確かに時折どこかから不気味な唸り声が聞こえてきたり、森の中に大きな影が横切ることがあるのは知っていた。
それに村で最も高い家の屋根から森を眺めて見ても、それが随分と深く険しい森であるのは容易に想像がつく。
恐らくは獣か何かが森の中をうろついていて、中に入るのがとても危険だからなのだろう。
だがそれでは、時折開かれる晩餐会や冠婚葬祭の会食に出される鹿の肉はどこで手に入れているのだろうか?
牛や鶏を家畜として飼っている家はいくつかあるが、鹿は見たことがない。
だがいくら考えても解け得ぬ謎を抱えたままベッドから這い出すと、俺は朝食を摂るために階段を降りていった。

「おはよう」
「あらおはよう。あなたも今日から大人の仲間入りね」
そう言いながら、母がテーブルの上に目玉焼きを乗せたパンとサラダを用意している。
「父さんは?」
「もう畑を耕しに行っちゃったわよ。どうして?」
「いや・・・何でもないよ」
だが言葉を濁してパンに齧り付くと、母がまるで俺の心を読んだかのように話しかけてきた。
「村の掟のことを不思議に思ってるのね?」
「ムグッ!?」
突然思わぬ図星を突かれ、パンを喉に詰まらせてしまう。
慌てて水を飲んで窮地を脱すると、俺は怪訝な眼差しを母に向けた。
「ゲホッ・・・ゴホッ・・・ど、どうしてそれを?」
「この村に住んでるあなた達くらいの子はみんな同じことを思ってるわ」
「じゃあ教えてよ。どうして森に入っちゃいけないのかさ」
そう聞くと母はちょっと困ったような顔をしたものの、質問されないようにか俺が再びパンを頬張るのを待って話し始めた。

「あなたの産まれる少し前、私達はここからずっと北にある村に住んでいたの。正確にはあった、だけど」
「今はない?」
もごもごと口を動かしながら、俺はなるべく簡潔な質問を投げかけてみた。
「ええ・・・村は隣接する2つの大国の国境近くにあったの。ずっと平和だったけど、ある日戦争が起こった」
母は昔を思い出しているような仕草をしていたが、俺の目にはどこかその動きがぎこちなく見えた。
「私達は国同士の争いに荷担していたわけじゃないけれど、敵国の兵士達から激しい略奪を受けたの」
「村人が殺されたりしたの?」
「酷かったわ・・・400人近くいた村の人達はほとんどが殺されて・・・家もみんな焼かれてしまった」
もしそれが本当の話だとしたら、今この村に住んでいる100人程の人達はその時の生き残りだということになる。
中にはその略奪で家族を失ってしまった人もいることだろう。
「今生き残っているのは、兵士達がきた時咄嗟に地下室に隠れることができた40組にも満たない家族達なのよ」
「それからこの村に移り住んだんだね」
「ええ。でも私達が生きていることは誰も知らない。もしあの村の者だとわかれば、また命を狙われてしまうわ」
だから母はこの村の存在を外から隠す必要がある、と言いたいのだろう。
でもそれなら、森から聞こえてくるあの唸り声や大きな生物の影は関係ないのだろうか?
俺は今ひとつ腑に落ちず、さらに母に尋ねてみた。母はまだ何か隠しているような気がする。
「じゃあさ、たまに晩餐会で出される鹿の肉はどうやって手に入れてるのさ?森には入っちゃいけないんだろ?」
その問に一瞬母の表情が強張ったような気がしたが、彼女はすぐに平静を装ってその場を取り繕った。
「さぁ・・・それは私にはわからないわ。村長に聞いてみないと・・・」
「そう・・・わかったよ」

俺は朝食をすっかり食べ終えると、家を飛び出して村と森の境界線へと様子を見に行ってみた。
村の周りはロープと木の杭で囲まれてはいるが、通ろうと思えばいくらでも通り抜けることができるだろう。
これでは村に獣が入ってくるのだって防ぐことはできないし、第一こっそり森へ入っていっても誰も気がつかないんじゃないだろうか?
だがほんの少しだけそんな気はしたものの、耳を澄ませば聞こえてくる唸り声が気になって俺はどうしても森へ入ってみようという気にはなれなかった。
少なくとも、冒険をするのは鹿肉の入手方法を突き止めてからにするべきだろう。
それにしても、絶対に森に入ってはいけないと言いながら、なぜそれについては罰則を定めていないのだろうか?
理由は3つ考えられる。
1つ目は、実は森に入っても何も起こらないから・・・
母の言った敵国の兵士、いや、村人以外の誰かにさえ姿を見られなければ問題はないからだ。
2つ目は森に入ったが最後、入った者が生きて帰ってくることはないから・・・
人間以外の"何か"が確かに森の中にいることを考えれば、あながち有り得ない話ではないかもしれない。
3つ目は流石にないだろうけど・・・誰かが森に入ると、村そのものがなくなってしまうからという考えだ。
つまり森に入った個人を罰する必要どころか、その意味さえなくなってしまうような場合だ。

「ふう・・・考え過ぎかな・・・?」
俺はしばらく暗い森を見つめながらあれこれと考え事をしていたが、結局何の結論も得られないまま家に帰ることにした。
明日は週に1度の晩餐会がある。多分、例の鹿の肉が料理として振舞われるだろう。
今日は夜通し起きて村の外を見張ることにしよう。
少しは村の謎が解けるかもしれない。

村の夜はとても暗かった。
何しろ外には街灯もランプの明かりもなく、それに今夜は月すら出ていない。
そういえば晩餐会は毎週開かれるけど、鹿の肉が料理として出されるのは決まってこんな新月の晩の翌日だ。
村人達の家は村と森との境界線からはある程度離れているし、窓から漏れてくるランプの明かりはほんのりと家の周囲を照らす程度の役にしか立っていない。
夜になってからこっそりと家を抜け出してきてはみたものの、その予想以上の暗さに俺の心臓は早鐘のように打ち続けていた。
ひんやりとした森の空気が村に向かって押し寄せてくるのを感じる。
一切灯かりのない本当の闇は、見ているだけでそこに吸い込まれてしまうのではないかという錯覚を覚えさせた。
なんという恐ろしさだろう・・・平和な村だと思っていたが、この静寂の持つ恐怖は計り知れないものがある。
だが森が湛える暗闇をじっと息を潜めて見つめるうちに、俺はあることに気がついた。
「あの唸り声が・・・聞こえない・・・?」
昼間の喧騒の中でも耳を澄ませば聞こえてくる何かの唸り声・・・それが、今は全く聞こえない。
声の主達が眠っているのかも知れないが、昼間とのあまりの状況の違いに言い知れぬ不安が募っていく。

ガサッ・・・
その時、じっと見つめていた場所とは少し離れた所から何やら茂みを掻き分けるような音が聞こえてきた。
ハッとしてその場に身を伏せると、音がした森の方を恐る恐る覗き込んでみる。
すると森の中からいきなり何かが飛び出してきて、ドサリという音とともに地面の上に落ちた。
何者かが大きな黒い塊を境界線を越えて村の中に投げ入れているようだ。
1つ、2つ、3つ・・・全部で20個。
堆く積み上がったその塊の山に最後の1つが投げつけられると、再びガサッという音がして静寂が戻って来た。
「な、何だ・・・今の・・・?」
俺は暗闇の中で起こった突然の出来事に恐怖でしばらく動けなかったものの、やがて精一杯の勇気を奮い起こしてその塊の山へと恐る恐る近づいていった。

「これは・・・全部鹿の死体だ・・・」
だが死んでいるのは一目見れば暗い中でもすぐにわかるが、一体どうして死んでいるのか皆目見当がつかない。
何しろどの鹿も、血を1滴も流してはいないのだ。
だがゴソゴソと手探りで死体を調べていくうちに、決定的な死因に思い当たる。
指先に感じるフニャリとした頼りない感覚。全ての鹿の、首の骨が折れていた。
それもポッキリと2つに折れたというよりは、まるで恐ろしい力で握り潰されたかのように粉々に砕け散っている。
俺は思わず、鹿を村に投げ入れた何者かがついさっきまでいたと思われる暗闇に目を向けていた。
やはり、森には何かがいる。恐ろしい何かが。
そう確信した途端ゾワゾワと寒気が全身を駆け巡り、膝が震えてしまう。
逃げよう・・・!
俺は森から目を離せぬまま少しずつ後退さると、家に向かって思いきり駆け出していた。

翌日、俺は綺麗な夕焼けに染まった空を見上げながら村の晩餐会へ出かける支度をしていた。
だが俺は昨夜見たことが本当に現実だったのかどうか、今以って確信が持てないでいる。
朝方家を出た時に昨日の森の辺りを覗いてみたが、あれほどあった鹿の死体はすでに跡形もなく消えていた。
恐らくは村の創始者達の誰かが、夜明け前に回収してしまったのだろう。
そしてそれは、今日の晩餐会に料理として出されることになるのだ。
つまり、新月の晩に何者かが鹿の肉を提供してくれることを知っている者が村にいるということになる。
まあ、それはいい。問題は、なぜそれを他の村人達には隠しているのかということだ。
この村に人々が移り住んだ時、その人数は恐らく7、80人あまりだったことだろう。
だがそれら全員が、この村の謎を知っているのだとはとても思えない。
恐らく何人かが先に村を作り、その後で残った人々を移動させたのだ。
その村を作った数人の人々・・・彼らこそ、この村の謎を全て知っているのに違いない。

俺は服を着替え終わると、両親とともに家を出た。
村の真ん中にある大きな集会場の前に長テーブルが3列に並べられ、村人達全員が一同に会している。
ガヤガヤと賑やかな人々の前に出された料理の皿には、美味しそうな鹿肉のステーキがずらりと並べられていた。
全員が席についたのを確認し、中央のテーブルの真ん中の席についていた村長がワインの入ったグラスを持ったまま立ち上がる。
「皆さん、今日も誰1人欠けることなくこの場に集まることができて、私は幸せです」
さして老齢なわけではないだろうが、白髪と白髭に覆われた顔は実際の年齢以上に彼を老けて見えさせていた。
「これまでの平和な日々に、感謝を捧げましょう・・・乾杯!」
短い乾杯の挨拶とともに村長がグラスを持ち上げると、村人達も挙って手元のグラスを持ち上げた。
「乾杯!」

つい昨日成人を迎え、俺の席には初めて赤いワインの注がれたグラスが置かれていた。
だがやはり、目を引くのはワインではなく鹿のステーキの方だ。
なぜ誰もこの肉の出所を追及しないのだろう?
昨夜見たことも含めて、村長に尋ねてみたい・・・
だが昨日の母の様子を見れば、それも恐らくは秘密にしておかなければならないことなのだろう。
やはり、事実は自分の目で確かめなくてはならないのだ。
俺はそれだけを胸の内で決意すると、目の前のワインを一気にグッと呷った。
そして香ばしい香りを発する鹿のステーキにナイフを入れ、今は食事を楽しむことにした。
もしかしたらこの世で最後になるかもしれない、家族や、村人達との楽しい食事を。

夕方から始まった晩餐会は、夜の10時過ぎにまで及んだ。
ワインを飲んだ人々のほとんどは皆泥酔に近い状態で、夫婦共々肩を組んで家に向かったり、素面の誰かの助けを借りて家の中に運び込まれたりしている。
子供達も遊び疲れてしまったのか、家に帰る前から眠気眼をゴシゴシと擦り始めていた。
今夜は、誰もがグッスリと深い眠りに落ちてしまうことだろう。
俺も酷く酔ってしまった両親を家のベッドに寝かせると、自分の部屋に篭って村全体が静かな眠りにつくのをじっと待っていた。

深夜1時を回り、窓から見る限り村からは起きている人の気配がほとんど消えていた。
あるのは家々の窓から漏れる微かなランプの明かりと、恥じらいながら顔を出し始めた細長い月の欠片だけ。
俺は携帯用のランプに火を灯すと、灯かりを誰かに見られぬようにそれを黒い布で覆い隠してから外に出た。
足音と息遣いを殺し、そろそろと村の境界線へと近づいていく。
昨夜と同じく、森は深い深い闇と静寂に包まれていた。
ランプを覆っていた布を取り払い、頼りない灯かりを森の闇に向けて翳してみる。
まだ間に合う。引き返すなら今の内だ。こんなことをして何になる?
心の内で悪魔が小さく囁いた。
いや、もしかしたらそれは俺の良心の囁きだったのかも知れない。
木の杭とロープで隔てられた、入ることを固く禁じられた森。
俺は緊張に乾いた唇をペロリと舐めると、大きく息を吸って1度も越えられることのなかった境界線を越えた。

「う・・・うぅ・・・」
禁を破った良心の呵責か、それともまだ見ぬ何者かの存在に対する恐怖なのか・・・
俺は1歩森に踏み込んだ瞬間、胸がギュッと締めつけられるような息苦しさに襲われた。
ランプの弱々しい明かりは足元を照らす役にすら立たず、振り返れば遠くに霞む村の小さな明かりが俺に向かって別れの手を振るばかり。
怖い・・・怖すぎて気持ちが悪い。
だが、今更引き返すわけにはいかない。その決断の期限はすでに1分前に切れている。
森に住んでいるのは何者なのか、そしてなぜ村の人々にはその存在そのものが伏せられているのか、ここまできたら突き止めなくてはならない。

パキ・・・ペキ・・・
ランプで照らしても全く何も見えぬ足元から、小枝や枯れ葉を踏む音が辺りに響き渡っていく。
そんな不穏な音が自らの存在を周囲に知らしめる度に、俺の鼓動は激しく跳ね上がった。
鳥の声も、虫の声も、風の音さえもが身を潜め、森に巣食う何者かに向けて畏怖の静寂を保っている。
眼前に張り出している幾本もの細い木の枝を掻き分けながら足を踏み出している内に、いつしか俺は前も後ろも完全な闇の中へと閉じ込められていた。
「グル・・・グルルル・・・」
どこからともなく、村で聞こえたあの唸り声がよりはっきりした大きさで聞こえてくる。
俺は思わずランプの火を吹き消すと、その場にそっとしゃがみ込んで辺りの様子を窺った。
何かが、俺のすぐそばにまで迫っている。
木の枝が折れる音、枯れ葉が舞う音、そして巨大な獣の息遣いが、方向感覚を失った俺の耳に入り込んできた。
「はっ・・・はっ・・・はあ・・・ぁ・・・」
一体、この森には何がいるというのだろう?
恐ろしい存在が近づいてくる、確かな予感がある。

ガサ・・・ガサガサガサッ!
だが次の瞬間、茂みを揺らすような凄まじい音とともに俺は後ろから何かに思いきり突き飛ばされた。
そのまま枯れ葉の積もった地面の上へと押し倒され、巨大な生物にうつ伏せに組み敷かれてしまう。
そしてもがく間もなく背後から首を大きな手でガッシリと掴まれ、俺は身動きもできぬまま首を締め上げられた。
「が・・・ぁ・・・」
一瞬首を握り潰された鹿の様子が脳裏を過ぎる。
薄っすらと見える視界の端には、まるで爬虫類のそれを彷彿とさせるような切れ長の青い瞳が揺れていた。

「グルルル・・・なぜ人間が我らの森にいるのだ・・・?」
低く唸るような、それでいて脳の奥にまで浸透してくるような声が、背後からかけられた。
「答えぬか!」
そう言った瞬間俺の首を掴んだそいつの手に力がこもり、メキッという骨の軋む音とともに短い呻き声を上げさせられる。
「うっあ・・・」
「貴様らは我らの森を侵さぬという契約を結んでいたはずだ・・・答えぬのならばこのまま握り潰すぞ・・・」
「た、助け・・・は、離してくれ・・・ぇ・・・」
そう言うと俺がロクに声も出せなくなっていることに気がついたのか、意外にもあっさりと手が離される。
「ぐ・・・う・・・」
息苦しさと恐怖に荒くなった呼吸を整えながら、俺はこの人語を話す怪物の正体に思い当たっていた。
こいつはドラゴンだ・・・確か、村長の家にあった本で読んだ事がある。
背に当たる固い鱗の感触、優に1トンを超えるであろう巨大な体、そしてあの恐ろしい瞳・・・

「し、知らなかったんだ・・・あんた達がこの森に住んでいたなんて・・・」
こんな怪物が住んでいるのだと知っていれば、俺は森になど入らなかっただろう。
だが昨日の夜村に鹿肉を提供してくれた所を目撃して、どこか友好的な生物なのではないかという期待があったことも事実だった。
「知らなかったで済むと思っているのか・・・?貴様は20年に及ぶ我らと人間との契約を破ったのだぞ」
首筋に生暖かい息が吹きかけられ、熱い唾液にぬめる舌が頬を舐め上げる。
「ひぃ・・・」
「我らが森にいることは余計な人間達には知られたくないのだ。だから、貴様を生きて村へ帰すわけにはいかぬ」
「そ、そんな・・・」

このままではドラゴンに食い殺されてしまう・・・やっぱり、森には入るべきじゃなかったんだ・・・
「覚悟するのだな・・・それに、貴様の村ももう終わりだ。契約の守れぬ者達を森におくわけにはいかぬからな」
「お願いだ・・・助けてくれ・・・誰にも言わないって約束するから・・・うああっ・・・」
再び頬に舌を這わせられ、俺は絶望に言葉を失った。
この巨体に押さえつけられてしまっては、とても逃げることなどできない。
それに村が・・・父や母や友人が・・・俺のせいで死ぬことになるっていうのか・・・?
後悔の涙がボロボロと溢れ出し、乾いた地面を濡らしていく。
「心配せずとも、すぐに村の連中にも後を追わせてやる。我らにかかれば、日の出を待たず皆殺しになるだろう」
そう言うと、ドラゴンは鋭い牙がズラリと並んだ巨大な顎をガバッと開いた。
「せ、せめて村だけは見逃してくれ・・・掟は知っていたんだ・・・もう誰も森には入らないから・・・」
だがか細い望みを託してそう呟くと、ドラゴンが意外にも俺の頭を噛み砕こうとしていた顎を引く。
「フン・・・それほど後悔しているというのなら、貴様の命は助けてやってもいい・・・2つだけ選択肢をやろう」

その言葉とともに、頬を這い回っていたドラゴンの舌が離れる。
「せ、選択肢って?」
「貴様を見逃す代わりに村を滅ぼすか、村を見逃す代わりに貴様の命を我の奴隷として捧げるか、選ばせてやる」
「一生・・・あんたの奴隷に・・・?」
本来なら、これは迷う選択ではない。村を救う方法は1つしかないのだから。
だが、俺はドラゴンの奴隷という一言に返事を躊躇っていた。
「言っておくが、これは我の譲歩なのだぞ。もしこの場を他の仲間に見つかれば、貴様も村も助かりはせぬ」
もう、迷っている時間はなかった。
別のドラゴンのものであろう低い唸り声が、少しずつここへ近づいてくるのが俺にもわかる。
「早く答えるがいい・・・それ、仲間がすぐそばまで来ておるぞ・・・ククク・・・」
「わ、わかった・・・村を助けてくれ・・・」
その返事を聞くと、ドラゴンは俺の体に黒鱗で覆われた長い尻尾を巻きつけ始めた。
仲間の目につかぬように、これからどこかへ運ぼうというのだろう。
手に入れた奴隷を見つめる暗闇に浮かんだドラゴンの眼には、妖しげな笑みが貼りついていた。

俺の目には暗闇以外に全く何も見えないというのに、ドラゴンは俺を尻尾で包み上げたまま立ち並ぶ木々をすいすいと縫うようにして森の中を進んでいった。
それでも時折不意に向きを変えるのは、きっと他の仲間と鉢合わせるのを避けているからなのだろう。
20分程暗い森の中を歩き続けると、やがてひんやりとした空気が肌に纏わりついてきた。
だがドラゴンの足音はまるで岩の地面を踏んでいるかのようにドスッドスッという硬質な音へと変わり、さわさわと髪を撫でていた弱々しい風がパッタリと感じられなくなる。
多分、どこかの洞窟の中へと入ったのだろう。
ここがこのドラゴンの住み処なのだろうか?
最奥らしき所まで辿り着くと、ドラゴンは俺の体をそっと地面に降ろしてくれた。
見た目は確かに恐ろしい生物だが、俺を助けてくれたことといいそれ程性格が悪いわけではないのかもしれない。

「ここが、これから貴様が住む所だ」
少しずつ暗闇に目が慣れてきたのか、藁のようなものが地面に広々と敷かれているのが見える。
だが手で触ってみると、それは細い木の枝を踏み拉いて作ったもののようだった。
「これは・・・寝床かい?」
「そうだ。貴様をここに拘束する気は毛頭ないが、逃げようとすればどうなるかは・・・わかるな?」
そうだ・・・これは、俺1人の問題ではないのだ。
もし俺がここから逃げ出せば、それは即ち村の壊滅を意味している。
両親も友人も、俺は村に住む大切な人々を全て人質に取られているも同然だった。
「あ、ああ・・・わかってるよ」
これではたとえドラゴンがどこかへ出掛けて行ったとしても、俺はここから動くことができないということだ。
俺はずっとこの暗い洞窟に縛られたまま、逆らえばいつ殺されるかもわからないドラゴンの影に怯えながら暮らさなければならないというのか・・・
俺は諦観と絶望に俯いたまま少し肌がチクチクと痛む寝床の上に寝転がると、そっと目を閉じた。
もう2度と、村の皆の顔を見ることはできないのだ。
だが、彼らはまだ生きている。
ここから俺が逃げ出そうとしない限り、村の人々はいつもと変わらぬ平和な日常を過ごしていられるだろう。
俺が消えたことで多少は騒ぎになるかもしれないが、全ての真相は結局この夜と同じ闇の中へと葬られるのだ。
ドラゴンは眠りについた俺の隣りに蹲ると、悲しい決別の涙が溢れ出した俺の寝顔を夜通しまんじりともせずに眺め続けていた。

翌朝目を覚ますと、俺は間近で顔を覗き込んでいたドラゴンに驚いて思わず大きな悲鳴を上げた。
「うわあっ!」
鋭い牙が、青く輝く瞳が、そして熱い吐息が、朧げだった意識を一気に覚醒させる。
だがそのまま飛び起きるわけにもいかず、俺は目を見開いたまま心臓の鼓動が落ち着くのを待つしかなかった。
そんな俺の様子を、ドラゴンがクックッと笑いを噛み殺しながら見つめている。
腹の辺りを除いて全身を覆った黒い鱗はキラキラと光沢を帯びていて、それが金属のように硬いことは一目見ただけでも容易に想像がついた。
地面を踏み締めている手足の指からは鋭く研ぎ澄まされた爪が伸びていて、見ているだけでも寒気がしてくる。
この恐ろしさを目の当たりにして、なおも逆らおうなどと考える生物は恐らくどこにもいないことだろう。
俺はごくりと唾を飲み込むと、相変わらずニヤニヤと俺の顔を見つめているドラゴンの反応を待っていた。

「ククク・・・これから何をさせられるのか不安か?」
故意か偶然か、ドラゴンがそう言いながらペロリと舌舐めずりをする。
口の端からちらりと覗いた凶悪な牙に震えながらも、俺はゆっくりと頷いた。
「そう怯えた顔をせずともよかろう?我に逆らいさえしなければ貴様を殺したりはせぬ」
「じゃあ・・・俺は何を・・・?」
「そうだな・・・差し当たって、まずは腹でも掻いてもらおうか。我のこの爪で掻くのはいささか危険なのでな」
そう言いながらドラゴンはゴロンとその巨体を寝かせると、唯一硬い鱗に覆われていないブヨブヨの白い腹を俺の前にさらけ出した。
「さあ、満遍なく頼むぞ」
「は、腹を掻けばいいのか?」
「そうだ。だがもし手を抜けば、反対に我が貴様を掻いてやることになるぞ。この爪でな・・・ククク・・・」
ギラリと鈍い光を放つドラゴンの爪が、見せ付けられるように眼前に翳される。
「わ、わかった」
俺は恐る恐るドラゴンの巨大な腹の上に跨ると、両手の爪を立ててブヨブヨと波打つ皮膚を掻き始めた。

ドラゴンの腹はとても暖かくて柔らかかったが、その割に皮膚はかなりの厚さがあるのか思った以上に丈夫だ。
ボリ・・・ボリボリ・・・
「こんなんでいいのか?」
「クク・・・いいぞ・・・なかなか心地よい。岩や木に擦りつける手間が省けるというものだ」
人間なら普通1分も同じ場所を掻いていれば真っ赤に腫れ上がるものだが、ドラゴンの不思議な感触の腹はいつまで経っても炎症が起きる気配は全くない。
だがボリボリという腹を掻く音が辺りに響き渡る度に、ドラゴンはうっとりと心地よさに身をまかせていた。
「ところでさ・・・あんたの仲間がここに入ってくるってことはあるのかい?」
「その心配は無用だ。我らは互いに仲間の住み処には近寄らぬ。洞窟の前を横切った仲間に見つかる心配もない」
「そうか・・・」
それを聞いて、俺は少しばかり安心した。
俺に逃げる気がなくても、他のドラゴンに見つかって事が大きくなるのだけは避けたかったからだ。

「もう1つ訊いても?」
「何だ?」
「俺・・・何を食べればいいのかな・・・?」
静かに目を閉じていたドラゴンはその問に一瞬ギロリと俺を睨みつけたものの、再び目を閉じて呟いた。
「これが終わったら、貴様の食料も獲ってきてやる・・・腹が空いているのならさっさと他の場所も掻かぬか」
「あ、ああ・・・」
ドラゴンにそう言われ、俺は脇腹や下腹部の辺りにも爪を立て始めた。
ボリボリ・・・ボリボリ・・・
ドラゴンは本当にこんなことをさせるためだけに、わざわざ俺の命を救ってこの洞窟に連れ込んだのだろうか?
自分の爪で腹が掻けないのなら、大きな石の1つでも持ってくれば解決することだろうに・・・
だが今は、この命があるだけマシだと思うことにしよう。
元々こうなったのは俺の自業自得なのだ。
自分にそう言い聞かせて諦めをつけると、俺は幸せそうに息をつくドラゴンの顔色を窺いながらいつ終わるとも知れないドラゴンへの奉仕に没頭していった。

たっぷり20分はブヨブヨと柔らかく波打つ腹を掻き続けた頃だろうか。
「もういいぞ・・・十分だ」
ドラゴンはそう言いながら満足げに体を起こすと、俺の体を寝床の上へと組み敷いた。
「では、今度は我の番だな?」
「ええっ!?い、いや、俺は・・・その・・・ああっ・・・」
もはや恐ろしい凶器以外の何物でもないドラゴンの爪が有無を言わさず視界に入り、何か落ち度でもあったのかと今までの光景を脳裏で反芻する。
だが思考する間もなく圧倒的な巨体に全身をずっしりと寝床に押しつけられると、俺はゆっくりと振り上げられるドラゴンの爪を成す術もなく見せつけられた。
「ま、待って・・・や・・・やめ・・・うわああああ!」
殺されるという恐怖にギュッと目を瞑ると、俺は無駄だと分かっていながら力一杯首を竦めて体を縮込めた。

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