受け継がれた救い

    

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「まあ予想はしていたけど・・・こりゃ相当古い建物だな・・・」
鬱蒼と木々の生い茂る森の中に建てられた、小さな木造の山小屋。
辛うじて家としての体裁は保っているものの今にも崩れ落ちてしまいそうなその様子を目の当たりにして、僕は別荘での一人暮らしを決めたことを既に後悔し始めていた。
家の玄関口にかけられている"アイザック"と書かれた古ぼけた表札が、この家が先祖代々受け継がれてきた遺産であることを物語っている。
アイザック・ヴァルアス・ウィリアム、それが僕の名前だ。
学者の家系の子として生まれはしたものの、僕は正直落ちこぼれだった。
お世辞にも頭がいいとは言えなかったし、こんな隙間風の吹き込んでくるような酷い山小屋で暮らすことを決意したのだって、もともとは両親に勉強を強要されるのが嫌だったからなのだ。
ミドルネームの意味は知らないが、父も祖父も曽祖父までもがVというミドルネームを持っていることを考えれば、これも親から子へと受け継いでいくべき何かの伝統なのだろう。

僕は1つ大きく溜息をついて家の扉に近づくと、ガタガタと音を立てる木の扉をそっと開けてみた。
意外にもというべきか、家の中は割と綺麗に片付けられている。
台所を除いて3つある4畳半ほどの小さな部屋にはそれぞれ本棚と書斎机が備えつけられていて、どことなく近寄り難い堅苦しい雰囲気を醸し出していた。
僕はその中でも唯一ベッドの置かれていた部屋に入ると、玄関と同じようにガタガタと建付けの悪い扉を閉めて荷物を床の上へと放り出した。
「さて・・・これからどうしようか?」
一人暮らしとはいっても、どうにも実感がうまく湧いてこない。
ここが別荘だということもあるのかもしれないが、なんだかここにいると歴史に名を残した偉大な先祖達に見張られているような気がしてしまうのだ。
町から別荘のある山の中まで歩いてやってきたとはいえ、時間はまだ昼の2時過ぎ。
流石に今からベッドで一眠りという時間でもないだろう。
相変わらずぼーっとした頭で緑の木々しか見えない窓の外を眺めているうちに、ふと森の中を散歩でもしてみようかという気持ちになってくる。
よし・・・これからしばらくの間はここで暮らすんだ。
少し家の周りを歩き回ってみるのもいいかもしれない。
僕はそう思い立ってベッドに降ろしかけた腰を上げると、書斎机に居ついた先祖達の亡霊から逃げるようにして家を飛び出していた。

厚く生い茂った葉が陽光を遮る森の中は、昼間だというのに妙に薄暗かった。
所々葉の間を擦り抜けて差し込んでくる光の筋がまるでシャワーのように降り注いでいて、影の広がった地面に明るい点をいくつも投げかけてはゆらゆらと揺れている。
「ん・・・なんだろう、あれ・・・?」
だがしばらくそうした神秘的な自然のトンネルの中を歩いているうちに、僕は灰色がかった岩で囲まれた大きな洞窟が見えてきたのに気がついた。
遠目から見ても中がかなり広い洞窟のようで、黒い口をぽっかりと開けているその光景はどこか現実離れした別の世界の景色のようにすら思えてくる。
時計は持ってきていなかったが、恐らくもう昼の3時を回った頃だろう。
午後5時を過ぎると今の季節はあっという間に暗くなってしまうから、今日の散策はあの洞窟の中を見て回って終わることにしよう。
そう胸に決めて、僕は大きく開けられた洞窟の巨口の中へ吸い込まれるように入っていった。

洞窟の中は、天井の所々から漏れてくる光のお陰で思っていたほど真っ暗闇というわけでもなかった。
辺りに注意を払いながら少し曲がりくねった道を歩いていくうちに、奥の方に広場のようなものが見えてくる。
そうしてまるで部屋のようになった洞窟の最奥へと足を踏み入れると、僕は信じられないものを目にしていた。
「わっ・・・」
地面に蹲るようにして体を丸めた巨大なドラゴン・・・の石像だ。
初めは本物のドラゴンかと思って一瞬ビクッと身を縮めたものの、淡い光に照らされたその体の表面は明らかに石でできている。
しかも地面に蹲った姿をしているというのに、ドラゴンの背中は僕の身長と同じ位の高さにあった。
その巨大さにもかかわらずあまりにも精巧に作られた雄々しい姿態に、思わず本能的に足音を殺してしまう。
「す、凄いな・・・」
どこからどうみても、生きている本物のドラゴンのように見えてくる。
背中を覆った鱗は1枚1枚までが滑らかな光沢を持っているというのに、その中には刃物ででも斬りつけられたかのような小さな傷跡までが緻密に再現されていた。
それにドラゴンの石像を作るとしたら、荘厳に立ち上がった姿を表現するのが普通だろう。
なぜこんな苦しげに蹲った様子を石像にしたのだろう?
それもこんないかにもドラゴンの住み処と言わんばかりの洞窟の奥で・・・
これではまるで、本物のドラゴンがここで石に変わってしまったかのようだ。

ドラゴンのきつく閉じられた双眸を覗き込みながら鼻先に手を触れてみると、その表面が体温でもあるかのようにほんのりとした熱を持っている。
微かに差し込んでくる日光で暖められたのかとも思ったものの、それは陰になって日の当たらぬ滑らかな腹の辺りを触ってみても同じことだった。
いきなり動き出しはしないかとまだそれが石像であることを信じられないでいたが、それでもそっとその石像の上へとよじ登ってみる。
「暖かい・・・」
石の感触とドラゴンの体の凹凸がゴツゴツとはしているものの、この温もりは肌寒い今の季節にはとても気持ちがいい。
昼寝はしないつもりだったが、僕はドラゴンの体の上でついウトウトとうたた寝を始めてしまっていた。

「ん・・・」
あまりの気持ちよさに不覚にも眠りに落ちてしまった僕は、午後5時を過ぎてかなり薄暗くなった洞窟の中でそっと目を開けた。
そろそろ、家に帰らなければならないだろう。
この心地よさを手放すのは惜しい気もしたが、それなら明日もここにきて昼寝を楽しめばいいのだ。
僕はドラゴンの上からタッと地面の上へと飛び降りると、空が闇に包まれる前に急いで帰路についた。

冷たい隙間風の吹き込む家の中で寒い夜を過ごすと、僕は遅い朝食を摂って再びあの洞窟へと足を向けてみた。
心のどこかでは昨日の出来事が全部夢だったのではないだろうかという疑念が渦巻いていたが、昨日と寸分違わぬ姿で洞窟の奥に横たわっていたドラゴンの姿を確認してなぜかホッと安堵の息をつく。
石像に触ってみると、やはりほのかな暖かみが冷えた手にジンと伝わってきた。
一体、これはどういうことなのだろう?何から何まで謎だらけだ。
だが昨日の昼寝の心地よさを思い出すと、僕は答えの見つからない疑問を頭から追い払って石像に登り始めた。
固い感触の羽毛布団というと矛盾しているような気がするが、この優しい暖かさを保つ石像を形容する言葉が他に見つからない。
昨日と同じように滑らかな鱗に覆われたドラゴンの背中の上に寝そべると、僕はむにゃむにゃと眠気を咀嚼しながら夢の世界へと落ちていった。

それからというもの、僕はほとんど毎日のようにピクリとも動かぬドラゴンのもとへと通った。
他にすることがないわけではなかったが、気がつけばまるで引き寄せられるようにあの洞窟へと足を運んでしまっているのだ。
朝からドラゴンに会いに行く日は寝てばかりいるせいか、食事は朝と夜の2回だけで十分だった。
だが初めてドラゴンの石像を見つけた日から1月ほど経った頃、僕はいつものように洞窟へと向かう途中で木々の葉の間から見える空が黒い雨雲に覆われているのに気がついた。
もしかしたら、帰りには雨が降るかもしれない。
まあ、差し当たって大雨が降った記憶はこれまでなかったので、僕は特に気にも止めずに洞窟の中へと入っていった。
奥へ進むと、ドラゴンがいつもと変わらぬ姿で僕を出迎えてくれる。
その大きな顔はいつ見てもきつく目を閉じた苦しげな表情を浮かべているが、僕はなぜかこのドラゴンのそばにいると心が落ち着くのだった。
もしかしたらそれは、このドラゴンが今まで不思議な温もりで僕を暖め続けてくれたからなのかもしれない。

太陽が西に傾き洞窟の中が薄暗くなると、僕は頬に落ちてきた冷たい水滴の感触で目を覚ました。
どうやら洞窟の天井に空いた小さな穴から、岩肌を伝って雨水が垂れてきたようだ。
少しばかり嫌な予感がして、僕はドラゴンの背から飛び降りると外の様子を見に行ってみた。
だが外の景色を見る前に、ザーザーという雨音が僕の耳に届いてくる。
「ああ、しまった・・・こんなに降ってくるなんて予想外だったよ・・・」
洞窟の外には、弾けた水滴がまるで霧のように見えるほどの激しい水のカーテンがかけられていた。
これでは、仮に走って帰ったとしても家に着く頃にはびしょ濡れで酷い有様になっていることだろう。

「仕方ない・・・今日はここに泊まることにしよう・・・」
家に帰るのを諦めると、僕はとぼとぼと洞窟の奥に向かって引き返し始めた。
辺りは更に薄暗さを増し、洞窟も奥へ行けば行くほど闇の度合いを深めていく。
やがてドラゴンの石像がある広場へと辿り着くと、僕は何とも言い難い奇妙な不安に襲われた。
暗闇の中で見るドラゴンの石像が、昼間とは打って変わって明らかに異質の存在感を放っている。
1度そばを離れてしまったせいもあるが、僕は流石に再びドラゴンの背中に乗ろうという気にはなれなかった。
仕方なく、ドラゴンに背を預けるようにして地面の上へと座り込む。
それでも衣服を通して伝わってくる暖かさのお陰で幾分気分が落ち着くと、僕は膝を抱え込んだまま眠りにつこうと意識を揺らし続けていた。

「・・・今日は帰らぬのか・・・?」
「え!?」
ほとんど真っ暗といっても差し支えなくなった洞窟の中で突然聞こえた声に、僕はギョッとして飛び上がった。
「だ、誰かいるの?」
キョロキョロと辺りを見回してみるものの、当然の如く何も見えるはずがない。
「私の腹に背を預けておいて、"誰かいるの?"とはご挨拶だな」
その言葉に、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。これは僕の後ろにいるドラゴンの声なのだ。
や、やっぱり・・・石像のように見えただけで、本当は本物のドラゴンだったのか・・・?
背中が当たっているドラゴンの体が動いた様子は全くなかったものの、僕はあまりの恐怖に凍りついて動くことができなかった。
「ぼ、僕をどうするつもりなの・・・?」
逃げようとして動いた途端に捕まえられそうで、相変わらずドラゴンの体に背をつけたまま擦れた声で恐る恐る尋ねてみる。

その問に、しばらくの間沈黙が流れた。
微動だにできぬままドラゴンの返事を待つ時間が、やけに長く感じる。
考えてみれば僕はこの1ヶ月もの間、ほとんど毎日のようにこのドラゴンの上に攀じ登ってはゴロゴロとだらしなく惰眠を貪っていたのだ。
ドラゴンがそれを怒っているのだとしたら、僕は食い殺されてしまってもおかしくないだろう。
「フフフ・・・」
静かに聞こえてきたドラゴンの実に楽しそうな含み笑いに、僕は情けない声を上げて命乞いをしていた。
「い、今まであなたの背中で寝たりしたことはあ、謝るから・・・だ、だから許して・・・」
だが僕のその言葉を聞くと、ドラゴンはまるで堪え切れなくなったかのように大声で笑い出した。
「フ・・・フハハハハハハハハ!震えながら命乞いとはなかなか面白い奴だ」
「うう・・・お、お願い・・・」
身を竦めてブルブルと震えていた僕の耳元で囁くように、ドラゴンが声を低めて話しかけてくる。
「何をそんなに怯えているのだ。石と化したこの身では、お前には何もできるわけがなかろう?」
「え・・・?」

ドラゴンにそう言われ、僕は思い切って背後を振り返ってみた。
暗いせいで確かではなかったものの、ドラゴンは昼間と全く同じ姿勢で地面の上に蹲っているように見える。
試しに顔も覗き込んでみるが、やはりそこには苦しげに歪めた表情が貼り付いているだけだった。
「ほ、本当にあなたの声なの?」
「お前の頭の中に直接話しかけているのだ。今の私には、こんなことくらいしかできぬのでな・・・」
その話は俄かには信じられなかったものの、僕は大きく息をつくとドラゴンの鼻先にゆっくりと腰を降ろした。
「フフ・・・随分と変わった人間もいたものだ。毎日のように私のもとにやってきた人間など、お前が2人目だぞ」
ドラゴンの声にはどこか呆れたというような雰囲気が混じっていたが、そうかといって僕のことを疎んでいるわけでもなさそうだった。
「まだ完全には信じられないけど・・・ただの石像じゃないだろうとは思ってたよ」
「石像とは失敬な。こうなったのにはいろいろと複雑な訳があるのだ。聞く気があるのなら、話してやろう」
「ああ、是非お願いするよ」
きっと、誰かに身の上話を打ち明けたくて仕方がなかったのだろう。
ドラゴンの表情はわからないが、その声に込められた感情は実にわかりやすいのだ。
僕の返事に気をよくしたのか、ドラゴンはまるで昔を懐かしむかのような響きで己の過去を語り始めていた。

「今から300年近く前のことだ。数人の賞金稼ぎと呼ばれる者達が、私の命を狙ってやってきたことがあった」
「この洞窟に?」
「そうだ。まあ、私にとってその頃は命を狙われるのもさして珍しいことではなかったのだがな」
頭の中に聞こえるドラゴンの言葉を何度も何度も反芻しながら、僕は当時の様子を想像を頼りに思い描いていた。
「来る日も来る日も安穏としてはいられぬ生活に、私は多くの人間の命を奪ったものだった・・・」
「・・・・・・」
石と化して鈍く輝く鋭い爪や牙が数多の血を啜ってきたことを物語っているようで、僕は改めてドラゴンという生物の恐ろしさにゴクリと唾を飲みこんだ。
「だがその時ばかりは様子が違っていた。3人の男達の息の根を止め、残った1人へとどめを刺そうとした時だ」
「ど、どうなったの?」
「酷く年老いたその男はしわがれた声で何かを呟くと、手にしていた杖を私に向かって振り翳したのだ」
僕はその行動がどういう結果を引き起こしたのかは容易に想像がついた。
「私は激しい焦燥に駆られたよ。自分の手足が少しずつ石に変わっていく様をこの目で見ていたのだから」
「石化の呪いをかけられたんだね・・・」
「ああ、その通りだ。体が完全に石に変わる前にその男を殺しはしたものの、結局呪いが解けることはなかった」
誰もいなくなった洞窟の中で、ドラゴンが徐々に石化していく己の四肢を見つめながら地面に蹲る様が浮かんだ。
手足を冒し尽くした呪いは滑らかに揺れる尻尾を襲い、背を覆った艶やかな鱗を襲い、そして苦悶に顔を歪めたドラゴンの頭を次々と石に変えていったのだろう。

「それから・・・?」
ドラゴンは自分が石に変わっていく時の恐怖と絶望を思い起こしていたのかしばらく声を発さなかったものの、やがてなんとか気持ちを落ち着けると静かに後を続け始めた。
「それから100年近くの間、私はこの洞窟でじっと苦しみに耐え続けた。飢えや渇きや、人間達の暴力や嘲笑にな」
なんて気の遠くなるような話だ。
成す術もなく生き続けなければならない呪いがあるのだとしたら、その苦しみは死の何百倍にもなることだろう。
たくさんの人間の命を奪ったとはいえ、ドラゴンはきっとこの洞窟で平和に暮らしていただけのはずだ。
決して自ら進んで人間を襲うような凶悪なドラゴンでないことは、こうして話をしているだけでも確信が持てる。
僕は人間の身勝手で不運な運命を背負わされたドラゴンに憐れみを感じながらも、次の言葉を待っていた。

「誰からも救われず、私は未来永劫ここで苦しみ続けるのか・・・そんな絶望に駆られ始めた時だった」
辺りは既に完全な闇の中へと沈み込み、僕は辛うじて石となったドラゴンの気配を視界の中で手繰り寄せていた。
だがそう言ったドラゴンの声は、わずかだが興奮しているように感じられる。
「ある男がこの洞窟を訪れた。そして無様な姿と化した私を一目見てこう言ったのだ。"お前を助けてやりたい"」
「それが、随分と変わった人間の1人目だね」
特に茶化した覚えはないのだが、僕の言葉にドラゴンが楽しそうに笑う。
「フフ・・・そうだな・・・その不思議な男の名はウィルシュ。アイザック・ウィルシュと名乗っていた」
「え・・・?アイザックだって?」
突如として耳に飛び込んできたアイザックの名前に、僕は思わずドラゴンに聞き返していた。

「どうかしたのか?」
「実は、僕の名前もアイザックっていうんだ。アイザック・V・ウィリアム。ウィルって呼んでくれ」
「そうか・・・お前は、あの男の子孫なのだな。物好きな性格まで世代を超えて受け継がれたというところか」
ドラゴンは相変わらず苦しみに歪めた表情を変えることはなかったものの、いつの間にかその言葉に親しみのようなものが込められている。
「あの男も、今のお前と全く同じことを私に言ったよ。"ウィルと呼んでくれ"とな。実に懐かしい響きだ・・・」
微かに洞窟の中へと吹き込んでくる冷たい風を肌に感じて、僕はそっと立ち上がるとさっきまでと同じようにドラゴンのそばへと寄り添ってその命の温もりを確かめた。
「200年前の"ウィル"は・・・そう・・・とても賢そうな引き締まった面持ちに短い髭を生やした老齢の男だった」

~約200年前~
苦しい・・・決して癒されぬ飢えと渇きがこれほどまでに耐え難い苦しみだったとは・・・
私は石と化してからもう幾度迎えたかわからぬ朝の光に、深い絶望を感じ始めていた。
「・・・?」
ふと、洞窟の中に誰かが入ってきた気配がある。
またどこぞの人間が、呪いで苦しむ無様な私の姿を笑いにきたのだろうか?
それとも、石になったとはいえ痛みは感じる私の体をさらに苦しめようとやってきたのだろうか?
だがやがて私の前に姿を見せた年老いた男の目的は、そのどちらでもないようだった。
「だ・・・誰だ・・・お前は・・・?」
これまでやってきた他の人間とは明らかに違う穏やかな雰囲気に、思わずそう語り掛けてしまう。
だがその男は突如聞こえた私の声にも特に驚いた様子を見せることなく近づいてくると、優しげな笑みを浮かべたまま私の顔をそっと擦って言った。
「私はウィルシュ。アイザック・ウィルシュという名だ。お前がよければの話だが・・・ウィルと呼んでくれ」
「ここへ何をしにきたというのだ?・・・これ以上この私を苦しめるつもりなのか?それなら・・・」
「そうじゃない・・・ワシは、お前を助けてやりたいのだ」

予想だにしていなかった男の言葉に、私は一瞬言葉を失った。
何だ?この男は一体何を言っているのだ?
「私を・・・助けたいだと・・・?」
そもそも私がこんな憂き目に遭っているのは、他でもない人間のせいだというのに・・・
「お前がどうしてこんな仕打ちを受けているのかは概ね知っている。この国の歴史を調べていた過程でな・・・」
「フン・・・私を救ってどうするつもりなのかは知らぬが、お前にこの呪いを解くことができるというのか?」
「それはわからない。だがお前は決して粗暴なドラゴンではないのだろう?こんな仕打ちは受けるべきじゃない」
その言葉に私はまるで心の中を見透かされたような気がしたものの、石と化した首筋をそっと撫でられた心地よさに身を委ねてみることにした。
いずれにしろ、この体では何をどうすることもできないのだから。

その日から、ウィルは毎日私のところへやってくると日がな1日私と言葉を交わすようになった。
雨が降ろうが強風が吹こうが、毎朝ほとんど同じような時間に彼が満面の笑みを浮かべて私の前に現れるのだ。
そしてお互いに他愛のない雑談をすることもあれば、苦痛を和らげるために私の体を撫でてくれることもあった。
「ああ・・・ありがとうウィル・・・幾らか楽になったよ・・・」
朝から1時間以上も飽きずに私の背を優しく擦っていたウィルは、その言葉を聞いて地面の上へと腰を下ろした。
「済まないな・・・まだお前の呪いを解く方法が見つからんのだ」
そう言いながら、申し訳ないといった面持ちでウィルが視線を落とす。
「とんでもない。この100年間味わい続けた孤独と恥辱と苦痛に比べれば、今の私はこの上なく幸福だよ」
「ハハ・・・40年連れ添った妻でさえ、ワシにそんな慰みの言葉はかけてくれなかったぞ」
「本当のことだ。それに、お前ももうそれほど先の長い人生ではないのだろう?私などに構わずとも・・・」
だがそこまで言うと、ウィルはサッと片手を上げて私の言葉を制した。
「いいんだ。お前のような者を苦しみから救えないというのなら、ワシの学者人生になど何の価値がある?」
「ウィル・・・」

それからしばらくの間、彼は何も言わぬまま私の姿をじっと見つめていた。
だがやがて薄暗くなった洞窟の様子に日没の予兆を感じ取ったのか、ウィルがゆっくりとした動きで腰を上げる。
「そろそろ日も暮れる。明日は冷たい水を持ってくるとしよう・・・他に、何かほしい物はあるか?」
「いや、十分すぎるくらいだ」
「そうか。もう少し待っていてくれ。きっとお前を助けてやるからな・・・」
ウィルはそう言いながら私の顎を一撫ですると、足早に洞窟の外へと出ていった。
「う・・・うぅ・・・」
石になっていなかったら、きっと私の目からは涙が零れ落ちていたことだろう。
こんな姿になっているがために、私はウィルの貴重な人生の一部を削り取っているというのか・・・
激しく渦巻いていた憎悪の炎は既に跡形もなく消え、それはいつしか彼に対しての深い感謝へと変わっていた。

明くる日、ウィルはいつもの時間からはかなり遅れて洞窟へとやってきた。
その手にはたっぷりと水の入った大きな水筒が重そうに抱えられていて、ここへ来るまでに彼が老齢の体を相当苦しめたであろうことが容易に推察できる。
「済まない、待ったか?」
「ああ・・・もう見捨てられたのかと思って泣きそうになるところだったよ」
「ハハハハ・・・なら、もう少し後にくればお前の泣き声を聞くことができたかも知れないな」
ウィルは汗だくになった顔に何とか笑みを浮かべると、その水筒を私の鼻先へと運んできた。
そして水筒をゆっくりと傾け、私の顔の上へそっと冷たい水を垂らし始める。
「飲めるか?」
「いや・・・だがとても心地がいい。背中にもかけてくれないか?」
「よし、待ってろ」

バシャッという音とともに背中に水をかけられて、私は長い間忘れていた川の水の美味さを思い出していた。
「ああ・・・・・・」
いつかまた自由な体を取り戻して、獣達を追いかけながら森の中を走り回りたい。
あの頃はまだ若木だったあのブナの木は、もうどれくらい大きくなっただろうか?
次々と頭の中を駆け巡っていく切ない記憶が、私の胸をきつく締め付けていく。
だがややあって、私はウィルが悲しげな表情を浮かべてこちらを見ているのに気が付いた。
「どうかしたのか?ウィル」
「・・・気を落とさずに聞いて欲しいことがある・・・お前にかけられた呪いのことだ」
そのいつになく緊迫したウィルの様子に、私は覚悟を決めると小さく呟いた。
「・・・わかった」

特に意識しているつもりはないのだが、私は随分と言葉に感情を込めてしまう癖があるらしい。
ウィルは私の返事に悲壮な覚悟を読み取ってしまったのか、空になった水筒をその場に置いて地面に座り込むと視線を落とした。
「お前の体を石に変えたその呪いは、黒曜石に似た黒水晶を媒介にしてかけられたもののようだ」
「黒水晶・・・」
「呪いをかけられた時、お前は杖を振り翳されただろう?その杖に、黒水晶が埋め込まれていたらしい」
確かに、私に呪いをかけた男は木でできた杖を手にしていた。
男にとどめを刺した時には地面の上に落ちていたはずだが、長い年月の間にここを訪れた人間達によって持っていかれてしまったのだろう。
「まあ・・・呪いをかけるなんてのは簡単なことじゃないから、それは別に珍しくない。問題は別にある」
「どういう問題だ?」
「黒水晶を通してかけられた呪いは、その呪いをかけた黒水晶をもってしか解くことができないのだ」

それはつまり、100年前に失われたあの杖がなければこの呪いは解けないということだった。
だが死んだ人間の持っていた名も無き杖の行方を調べることなど、今更できるはずがない。
「かつてこの国より西にあったルミナスという国でも、ドラゴンにかけられた呪いを解いた記録が残っている」
「私と同じ呪いか・・・?」
「いや、毎日発作を起こすように激痛に襲われながら衰弱し、100年で死に至るという恐ろしい呪いだ」
ウィルの言葉に、私は結果的に助かったとはいえ酷い苦しみを味わったであろう同胞に思いを馳せていた。
「そうか・・・ではやはり、私は永遠にここで苦しみ続ける運命なのだな・・・」
「・・・まだ何か方法があるはずだ。せめて、お前を苦しみから解き放ってやれる方法が・・・」
再び暗い絶望の淵へと追いやられた私を気遣ってなのか、それとも彼の人生の意義をかけた奮起なのか、ウィルがまだ諦めぬとばかりに食い下がる。
だが解けぬと分かっている呪いのために、私はこれ以上ウィルに苦労をかけさせるのがしのびなかった。
「いや、お前はもう十分私を助けてくれた。これからは私のことなど忘れて、静かに余生を暮らすといい・・・」
「だがそれじゃお前は・・・くそ・・・許してくれ・・・」
それを聞くと、ウィルは悲しさと悔しさに両手で顔を覆って洞窟から走り去っていってしまったのだった。

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