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砂塵舞う闘技場

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匿名ユーザー

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今より遥か昔、2世紀後半を迎えた古代ローマ帝国は暴君ドミティウスの圧政のもとで民衆達に野蛮な娯楽を提供していた。
決闘・・・そう言えば聞こえはいいが、その内容はほとんど公開処刑と変わらない。
奴隷に身を落とした者達が今日を生き残るため、あるいは腕に覚えのある闘士達が日銭を稼ぐため、巨大なコロシアムを埋め尽くした3万人を超える観衆の前で日々命を賭けた凄惨な戦いが繰り広げられるのだ。
ある時は鎧を身につけていない軽装の闘士達が剣と盾を打ち鳴らし、またある時は腹を空かせた獰猛なトラやライオンが憐れな挑戦者に牙を剥く。
戦いが終わる度に1つ、2つと命が燃え尽きていくその血腥い光景に、空気を震わせる歓声とどよめきが陽炎となって炎天下のコロシアムに燃え上がっていた。

「お兄ちゃん、今日も決闘を見に行くの?」
「いや、今日は仕事だよ、ローリア」
家を出ようとした矢先に妹に声をかけられ、俺はたった1人の家族に視線を向けた。
つい先月16歳を迎えたばかりの美しい娘の姿に、思わずそれが10歳も歳の離れた妹であるということを忘れそうになってしまう。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ。行ってくる」
不覚にも妹に見とれてしまったなどと言えるはずもなく、俺はそそくさと家を飛び出した。
滅多に仕事など入らないはずのうちの鍛冶屋に、突然大口の注文が入ったのだという。
婚礼に使用するための儀式用の銅剣を5本、それも急いで仕上げて欲しいとのことだった。
刃引きは向こうでやってくれるというので、原料の銅さえあれば1日で仕上げられるだろう。
久々の仕事で腕が鈍ってなければいいのだが・・・

「ごめん、待たせたかい?」
鍛冶場に入ると、いつも原料を調達してくれる初老の男が俺を待っていた。
「遅いぞアルウス。そら、言われた25リブラ(11.34kg)の銅はそこに用意しておいた。準備もできてる」
そう言われて近くのテーブルへと目を向けると、ごろりとした銅塊や折れた銅剣の類が山のように詰まれている。
「ああ、ありがとう。あとはまかせてくれ」
「さぼるなよ。奴さん、明日の昼には品物を取りに来るらしいからな」
彼はそれだけ言うと、俺を1人鍛冶場に残して外へ出ていった。
「さて、と・・・明日の昼までに5本か・・・こりゃ大仕事になりそうだ」
俺は大きく腕まくりすると、炉に銅を放り込みながら額に浮かぶ大粒の汗を拭っていた。

「あーあ、いつものことだけど暇だなあ・・・」
兄が出ていってしばらくすると、私は寝床から這い出して窓から明るい陽光の降り注ぐ外をじっと見つめていた。
何か暇を潰せるようなことでもあればいいのだが、皇帝がドミティウスに変わってからはほとんど町中での娯楽は消え去ってしまったように思える。
前は大通りにももっと活気があって歩いているだけで楽しかったものだが、今では香辛料とフルーツの叩き売りが連なっているだけのつまらない通りでしかない。
「そうだ、お兄ちゃんが仕事に行ってるんだったら・・・コロシアムに行ってみようかな」
兄はいつも"子供の見るようなものじゃない"と言って私をコロシアムには連れていってくれなかったけれど、確か16歳以上になれば1人でも入場が許されるはずだった。
もしかしたら、これはまたとないチャンスかもしれない。
私はそう心に決め込むと、手早く外出用の服に着替えて家を出ていった。

「わあ・・・」
通りの向こうにある巨大な建造物が近づいてくる度に、私は地を揺らすような激しい歓声の嵐を体で感じていた。
高い壁で囲まれているはずのすり鉢上の建物の外にまで、数万人の観客達の興奮と熱気が伝わってくる。
私も高鳴る胸を押さえながら入口を潜りぬけると、長い階段と回廊を渡ってようやく観客席へと辿りついた。
高さ7、8メートルはあろうかという高い壁で囲まれた楕円形の闘技場の中で、2人の男達が戦っている。
どちらの闘士も手足には胴剣で切り裂かれたと見える切り傷がいくつもついていて、そこから真っ赤な鮮血がポタポタと砂の地面に滴り落ちていた。
カン!ガキン!
支給された刃渡り40cmあまりの胴剣がギラギラと陽光を跳ね返し、剣戟の音が歓声の間を縫って私の耳にも届いてくる。
だがお互いの疲労の色は今初めて試合の様子を見た私の目にも明らかで、決着はかなり近いことだろう。

ガッ!
「ぐあっ!」
手の平にじっとりとかき始めた汗を握った瞬間、相手の闘士よりは多少やせ気味だった男が持っていた剣を弾き飛ばされた。
ドサリという重そうな音とともに剣が2人から離れた地面の上へと落ち、観客達の歓声が一層大きくなる。
だがもはや勝負あったかに見えたその時、武器を失った男が盾を構えて敵の闘士にタックルを敢行した。
勝利の確信に油断した闘士の腹に全体重を乗せた体当たりが命中し、闘士の方も剣を地面に取り落としてしまう。
そして息を呑む斬り合いから一転して、2人の戦いは最後の力を振り絞った肉弾戦へと突入していた。
さすがに拳の当たる音までは聞こえてはこないものの、打ち据えられた男達の体から弾け飛ぶ汗の飛沫がその戦いの凄まじさを感じさせる。
今まさに、彼らは己の命を賭けて戦っているのだ。
「あっ・・・」
フラフラとよろめきながら男が闘士に組みついたかと思うと、そのままゴロゴロと砂の上を転がっていく。
だがそれが止まった時、なぜか男の方が敵に馬乗りになられて窮地に立たされていた。
ロクに抵抗もできないまま顔面を幾度となく殴られ、次第に男の意識が薄れていくのが私にも感じられる。
だが投げ出された右手の甲に微かに金属の感触を感じ取った男は、素早く地面に落ちていた胴剣を拾い上げるとドスッという音とともにとどめの一撃を大きく振りかぶった闘士の喉元にその切っ先を叩き込んでいた。
誰もが予想だにしなかった意外な決着に全ての音が一瞬ピタリと止み・・・
続いて猛烈な歓声がコロシアムの空気を波打たせていた。

「す、凄い・・・」
息絶えた闘士の亡骸が闘技場から運び出され、勝った男もまた2人の人間の手助けを借りて控え室へと戻っていく。
その血と砂と汗に塗れた逞しい背中に、観客達の惜しみない賞賛の拍手が注がれていた。
「諸君!静粛に!」
その時、突如皇族席の方から聞こえてきた声に歓声が静まり返る。
声の聞こえてきた方へと目を向けると、いつのまにか皇帝ドミティウスが演台の前に立っていた。
突然の皇帝の出現に何事かと訝る間もなく、闘技場に剣と盾を身につけた新たな男が送り出される。
「素晴らしい戦いだった。先程の戦いの勝者バッススには、後世にまで残る栄誉と名声が与えられるだろう」
続いて巻き起こったオオオッという観衆達のどよめきを制するように、ドミティウスが右手を掲げる。
「だがしかし、諸君らを楽しませる素晴らしい男がいる一方で、ここに重大な罪を犯した男がいる」
その言葉に、数万人の視線が闘技場の中で狼狽えている1人の男に注がれた。
「そこにいるカルドゥスは、己の私利私欲の為に幾人もの若い娘を誘拐し、奴隷商人へと売り渡した男だ」
一体、これから何が始まるというのだろう?
ドミティウスの威厳も相俟って周囲に流れていた不穏な空気に、私は席に座ったまま胸に両手を当てていた。
「したがって、余はその男に死刑を言い渡した。しかしこの場でギロチンにかけたとしても、それは面白くない」
まるでその言葉が合図であったかのように、闘技場の壁の一部がゴゴゴっという音とともに左右へと開いていく。
その暗闇の奥に、私は何か恐ろしいものが潜んでいるのを本能的に感じ取っていた。
「諸君、楽しんでくれ給え。その男の死刑執行役は・・・ドラゴンだ」

「ド、ドラゴン・・・?」
まさかという思いに、私はぽっかりと口を開けた暗闇の奥を見つめていた。
やがてそこから、巨大な体躯を誇る恐ろしい生物が姿を見せる。
燃えるような赤い鱗に覆われた、異形の生物。
長い首と尾が滑らかに振られ、獲物を睨みつける2つの鋭い眼は金色の光を放っていた。
背に並ぶ幾本もの棘が見る者に恐怖を与え、どんな猛獣も敵わない凶悪な爪牙が獲物を絶望の淵へと叩き落とす。
「う、うわあああ!」
そのドラゴンが持つ圧倒的な威圧感に、カルドゥスと呼ばれた男は思わず腰を抜かして後退さった。
手にした剣を振り上げる勇気までもが殺ぎ取られ、ジリジリと迫ってくるドラゴンから目を離せないままでいる。
「た、頼む!助けてくれぇ!」
だが悠然と構えるドミティウスの方を向いて必死に助けを乞うカルドゥスに、ドラゴンが容赦なく襲い掛かった。
「ひぃっ!」
飛び掛って来たドラゴンを間一髪避けた男の様子に、観客達が憤りを感じながらも息を呑む。
もはや戦うしかないと悟ったのか、カルドゥスは何とか剣を構えるとガクガクと震えながらドラゴンに相対した。

うねるドラゴンの尾が勢いよく振られ、カルドゥスの眼前でブンという音とともに空を切っていく。
「うわっ!」
あの尾撃の前では、盾など何の役にも立たないだろう。
男に打つ手がなくなったのを確信し、私はドラゴンの顔ににやりと不気味な笑みが浮かんだような気がした。
「く、くそ・・・来るな・・・うう・・・」
引け腰で剣を構えながら、カルドゥスが情けない顔でドラゴンに懇願する。
だが観客の中に、その臆病さを笑う者はただの1人もいない。
数万人の観衆の誰もが、カルドゥスの確実な死を予感していたのだ。
再び風切り音とともに硬い鱗を纏った鋼鉄の鞭が振られ、男の剣を弾き飛ばす。
ギィン!
まるでよく鍛えられた鋼同士が打ち鳴らされたような甲高い金属音が辺りに響き渡り、痺れた手を庇ったカルドゥス目掛けて返しの尾撃が叩き込まれた。
ガスッ
「ぐああっ!」
辛うじて盾で受け止めたものの、その激しい衝撃に男の体が盾もろとも吹き飛ばされる。
そして剣も盾も失って砂の地面の上に倒れたカルドゥスに、ドラゴンのとどめの一撃が振り下ろされた。

ズドッ!
「・・・っ・・・ぁ・・・」
無防備な腹に思い切り尾を叩きつけられ、カルドゥスは一声苦しげな呻きを上げてぐったりと地面に横たわった。
まだ息はあるようだが、すでに戦う力など残ってはいないだろう。
獲物が力尽きたのを確認し、ドラゴンがゆっくりと仕留めた男のもとへと近づいていく。
そして男の右足にグルリと尾を巻きつけると、そのまま闘技場に出て来た時の暗い穴へと向かって歩き出した。
「な、何を・・・」
力強い歩みが地面を踏み締める度に、命運尽き果てた男の体がズルズルとドラゴンに引きずられていく。
やがてドラゴンと男が日の当たらぬ暗がりへと消えると、恐らくはカルドゥスのものだろうと思われる悲痛な叫び声が辺りに響き渡った。
「よ、よせ!やめろ!う、うわあああああああああああ!!」
暗闇の中で起こったであろう悲惨な光景を想像し、いつもは残虐なショーを楽しむ観客達すらもが声を失う。
そしてしんと静まり返った闘技場に、再びドミティウスの声が響いた。
「では諸君、本日は閉場だ。気をつけて帰ってくれ給え」

薄暗くなったコロシアムからの帰り道、私は今日見た光景を何度も何度も頭の中で思い返していた。
確かに、2人の男達が繰り広げた戦いは手に汗握る素晴らしいものだった。
兄が毎日のようにコロシアムに入り浸るのも、わからない話ではない。
だがあの処刑劇は・・・正直、私には刺激が強すぎる。
ブラブラと歩いて日の沈む頃には家に着いたものの、兄はまだ帰ってきてはいないようだった。
もしかしたら、今日は帰ってこないつもりなのかもしれない。
明日は兄が帰ってくるのを大人しく待っているとしよう。
私は全身にじっとりとかいた汗を洗い流すと、薄着に着替えて寝床へと潜り込んだ。

翌朝、俺は叩き上げた銅剣の最後の仕上げに取りかかっていた。
いずれは刃引きをするために本当なら刃を研ぐ必要などあまりないのだが、念入りに研いで磨かないと綺麗な光沢が出てこないのだ。
婚礼用の剣というからには、半端な出来にはしたくない。
シャリッ、シャリッという刃物を研ぐ音が、徹夜で仕事に明け暮れた俺の眠気をくすぐってくる。
だが依頼人に出来上がった品を渡すまで、眠るのは我慢しよう。
「ふう・・・これでよし、と」
その時、まるで俺が剣を研ぎ終わるのを待っていたかのように1人の男が鍛冶場に入ってきた。
「できたか?」
「あ、あんたは?」
顔を黒いローブで覆った怪しげな男の風貌に、思わずそう聞き返してしまう。
「その剣を注文した者だ。剣はできたのか?」
「あ、ああ、今仕上がったところだ。刃引き前だけど、いいんだよな?」
「問題ない」
男は素っ気無くそれだけ言うと、テーブルの上に金貨の詰まった袋をドサッと置いた。
その袋の中身を確認し、思わず息を呑む。
「お、おい、儀礼用短剣5本に金貨50枚はもらい過ぎだよ」
「いいから取っておけ。剣はもらっていくぞ」
予め用意してあった皮の鞘に剣を収めながら、男がそう呟く。
どうにも怪しいが、これだけの金貨をもらってしまっては余計な詮索をする気にもなれなかった。

「世話になった」
「ああ・・・こちらこそ」
相変わらず無愛想なまま出ていった不思議な男を見送ると、俺は金貨の袋を持ったまま帰路についた。
さっきまでは酷く眠かったというのに、ずっしりと重い袋の感触が眠気を吹き飛ばしてしまったような気がする。
家に帰り着くと、ローリアが俺を出迎えてくれた。
「お帰りお兄ちゃん。大仕事だったの?」
「ああ、金貨50枚の仕事だ」
「5、50枚?そんなにもらえたの?」
妹の驚いた様子に、俺は改めて金額の高を実感した。
儀礼用の剣など、金貨が3枚もあれば十分によいものが買えるだろう。
手間賃を考えてもあの銅剣1本に金貨10枚の価値があるとはとても思えない。
「ちょっと変わった客でさ。あれだけの大金を惜しげもなくポンと放り出していったよ」
「もしかして大金持ちなのかな?」
「そうかも知れない。顔もローブで隠してたし、きっとこっそり買いたかったんだろうな」

それから数日の間、兄は例によって毎日コロシアムへと入り浸った。
まあお金のかからない娯楽だと思えば、酒や賭博に溺れるよりはずっとマシだろう。
だがある日の昼頃、いつものように服を洗濯していた私のもとに数人の役人らしき男達が押し掛けて来た。
「アルウスはいるか!?」
「な、何ですかあなたたちは・・・」
「アルウスを探している。ここにはいないのか?」
明らかにただ事ではないことを窺わせる男達の剣幕に怯えながら、私はやっとのことで声を絞り出した。
「あ、兄は今・・・コロシアムにいると思います」
「コロシアムだな?おい、急げ!」
私の返事を聞いて、バタバタと男達がコロシアムの方へ向かって走っていく。
「お兄ちゃん、一体何をしたの・・・?」
家の戸口に立ちながら、私は徐々に小さくなっていく男達の姿を見ていい知れぬ不安に駆られていた。

「グルルルル・・・」
ネコ科の猛獣が発する、威嚇の唸り声。
闘技場では今まさに大型のトラが軽装に身を包んだ2人の闘士達に襲い掛からんと身を屈めていた。
何やら作戦でも立てているのか、小声で何かを話し合いながら闘士達がトラを挟むようににじり寄っていく。
500リブラ(226.8kg)はあろうかというその巨体がどちらの獲物に狙いをつけるのか、観客達がゴクリと息を呑む。
やがてトラが一方の闘士の方へと顔を向けると、すかさずトラの背後に回ったもう一方の闘士が盾と剣をカン!と大きく打ち鳴らした。
その音に驚いて背後を振り向いたトラの正面から、今度はガッという音とともに盾が投げつけられる。
だが流石は野生の猛獣というべきか、トラは鉄でできた厚手の盾を頭に直撃されても声1つ上げることなく、怒りの表情を湛えたまま盾を投げつけた闘士の方へと向き直った。
それを合図に、両側から闘士達が一斉に銅剣を構えて突っ込んでいく。
「うおおおお!」
しかもトラの死角にいる闘士だけが雄叫びを上げていて、敵を混乱させるための統制が実によく取れていた。

鋭い爪の生えた手が横薙ぎに振られた瞬間トラの前方にいた闘士がサッと身をかわし、背後から振り下ろされた剣がトラの背にドスッと一筋の傷を刻みつけた。
真っ赤な鮮血が辺りに飛び散り、観客達のどよめきが高まる。
だが手傷を負ったトラは素早く身を翻すと、己を傷つけた闘士に勢いよく飛びかかった。
「う、うわあっ!」
そして凶悪な体重で獲物を組み敷いて動きを封じると、口の両端から生えた恐ろしい牙を一気に振り下ろす。
相棒の助けも間に合わず、トラの牙は悲鳴を上げる間もなく深々と獲物の首筋に食い込んでいた。
「ああっ!」
観衆の興奮が辺りに弾け、とどめを刺された闘士の体から力が抜ける。
獰猛なトラと残った闘士との戦いは、すでに結果が見えていた。

その時、俺は突然背後から何者かに肩を掴まれた。
「刀剣鍛冶のアルウスだな。我々とともに来てもらおうか」
「な、何だあんたら?」
わけもわからず役人と思しき数人の男達に取り囲まれ、嫌な予感が背筋を駆け上がっていく。
「いいから来るのだ。お前には皇帝暗殺未遂の疑いがかかっている」
「何だって!?」
反論する間もなく、俺は両側から取り押さえられるとそのままコロシアムの外へと引きずり出された。
「くそ、やめろ!これは誤解だ!離せ!俺が何をしたっていうんだ!?」
その質問に、役人の1人が慇懃に答える。
「一昨日、決闘を観覧されていたドミティウス皇帝に観客席から剣を投げつけた者達がいる」
「一昨日だって?確かに俺はコロシアムにいたが、そんな事件なんてなかったはずだ」
「早朝、お前が来る前の話だ」
一体これはどういうことだ?
俺が現場にいなかったのなら、なおさら俺に暗殺の疑いがかかる理由がわからない。
「皇帝は辛うじて腕に怪我をされた程度で済み、剣を投げつけた5人の者達は後に斬殺された」
「そ、それで、俺にどうして疑いをかけるんだ?」
「皇帝に投げつけられた銅剣が、いずれもお前の造りによるものだったからだ」

役人のその言葉に、俺は数日前に受けた銅剣の注文を思い出していた。
"婚礼用の銅剣を5本、急いで仕上げてほしい"
"こちらで手配するから、刃引きは不要だ"
"報酬は金貨50枚"
「くそっ・・・そういうことか・・・」
「何か思い当たることでもあったのか?」
訝しげな顔で、役人が尋ねてくる。
「確かに数日前、俺は5本の銅剣を叩き上げた。婚礼用に急いで仕上げてほしいと・・・」
「婚礼用ならなぜ刃引きをしていない?見たところ、お前の剣は実によく切れるよう磨き抜かれていたそうだぞ」
「必要ないと言われたんだ!こんなことに使われると知っていれば引き受けなかった!」
だがそれを聞いても、役人は顔色1つ変えずに言い放った。
「ならば、50枚の金貨を受け取った時にそう申し出るべきだったな」
「頼む、ドミティウス皇帝に会わせてくれ」
「暗殺者の一味を皇帝に会わせるわけにはいかぬ。それに、お前如きの希望で会うことのできる方ではない」

諦観にガクリと肩を落とした時、俺は視界の中に妹の姿を認めて顔を上げた。
「ローリア・・・どうしてここに・・・」
「私、お兄ちゃんが心配で・・・全く身に覚えのないことなんでしょう?」
返事をする気力も湧かず、俺はゆっくりと頷いた。
それを見て食って掛かろうとしたローリアを、役人が言葉で押し留める。
「残念だが娘、皇帝はこの男の死刑を所望しておられる」
「なっ・・・」
兄妹ともに顔色が変わったのを見届けて、役人の1人が俺に囁いた。
「お前なら、死刑を宣告された者がどうなるかは知っているだろう?」
「ド、ドラゴンと・・・戦わせるつもりなのね・・・」
だが意外にも、その言葉に反応したのは妹の方だった。
何故知っている?ローリアをコロシアムに連れていったことはないはずなのに・・・
「そうだ。2日後、お前の兄はドラゴンの餌食になる。観客席から、その様子をじっくりと眺めていることだな」
「そ、そんな・・・ああ、神様・・・」
その場に泣き崩れた妹を尻目に、俺は刑の執行まで罪人を閉じ込めておくための牢獄へと引き立てられていった。

結局何もできずに家へと引き返すと、私は寝床に突っ伏して声を立てずに泣いていた。
あと2日で、たった1人の家族である兄が死んでしまう。
それも数万人の観衆が見守る闘技場の中で、あの恐ろしいドラゴンに嬲り殺されるのだ。
「うう・・・う・・・」
一体どうすればいいというのだろう?
皇帝ドミティウスは、その残酷さで民に知られている。
あのコロシアムすらもが、ドミティウスが皇帝の座についたあとに建設されたものなのだ。
その皇帝に私のような一庶民が許しを乞うたところで、聞き入れられるはずなどない。
絶望の淵に沈む私の心を映すかのように暗く暮れていく空を見つめながら、私は一晩眠れぬ夜を過ごしていた。

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