Lunatic(another failure)

    

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月の光がもたらす狂気。
視界に伸ばしたその腕は、漆黒の鱗をまとう。


山々が赤と黄色に染まりきる紅葉の季節半ば。
道路にもその色使いの落ち葉が敷き詰められた山道。
1台の紅いステーションワゴンが軽快なエンジン音を唸らせ、
夜が更けて真っ暗な山道を登っている。

何のことは無い。
私がこんな所にいる理由はただひとつ、走ることだ。
このあたりの地方では雪が降らないし雨も少ない。
腕を上げるためには、低いグリップの元での限界走行が最も肝心だという。
しかし、この当たりには安全に走れるダート路面すらない。
そのため、私はこの季節になるといつもこの道を走っている。
数少ない雨が、道路に落ちて腐り欠けた葉に吸収されたとき、
この道路が真の姿を現す。
アスファルト特有の強い摩擦と、濡れた落ち葉独特の氷のような弱い摩擦。

一歩間違ったら吹き飛んでしまうようなスリルに、私は酔いしれていた。
次のカーブで山の頂上に着く。
そう思って気を抜いた瞬間、ヘッドライトの視界の中に黒い影が飛び込んだ。
ブレーキを踏む間もなかった。
100キロ近いスピードで、私はその影を跳ね上げてしまった。
シートベルトが胸に食いつくような強い衝撃。
光を失い、砕け散る視界。
正確にはヘッドライトが両方とも割れフロントガラスが完全に砕け散ったのだ。
まるで、硬い岩にでも当たってしまったようだ。

轢いてしまったという実感の後、遅れるようにブレーキを踏んだ。
緩いスキール音と共に車は停止する。
静寂の中に「ぎゃらぎゃらぎゃら」と異音を発するエンジンの音だけが鳴り響いている。
「ばかやろうっ!」
避けられなかった自分と、飛び出した何物かに向かって罵声を吐く。
高ぶって何も考えられない感情を抑えるように、私は3度ほどゆっくり深呼吸をした。
恐る恐る車を降りて、ドアを閉める。
閉めたその衝撃のせいか、エンジンは「がぎんっ!」と悲鳴を上げると停止した。

辺りを照らす光は上弦の月とブレーキランプ、そして事故の衝撃で発動したハザードランプだけだった。
私の轢いてしまった物体が、赤くぼんやりと道路に映し出されている。
チカチカと一定の間隔で光るハザードが、その姿を一瞬だけ克明に映す。
チカ、長い尻尾が見える。
チカ、大きな翼もあるようだ。
チカ、体全体がゴツゴツしているように見える。
この世にいるどんな生き物よりも凶悪なものに見えた。
「かっかっ…。」
怪物だ!
そう言おうとした時、その生き物が目を開けた。

ブレーキランプのように、赤く闇に光る眼を大きく開く。
その瞳が私を捉えた瞬間、怪物は私に向かって襲い掛かってきた。
とっさに避けた左肩に鋭利な何かが深く刺さりこんだ。
そしてその何かはペキリと折れて私の体に食い込んだ。
ブレーキランプに赤く照らされた私の体に、白く光る液体が飛び散る。
「うわあぁっ!」
私の悲鳴が山にこだまする。
しかし、真夜中と言う今の時間にその声を聞いてくれるものなどいない。
「はぁ…はぁ…。」
誰か、助けてくれ。
息が苦しい、頭が重くなってくる。
血が…、血が止まらない。



左肩に熱い感覚を覚えて、私の意識が舞い戻る。
無意識的に右腕で傷口を押さえようとした手が別なものを掴む。
何か、硬くてゴツゴツしたものが左肩の傷口に覆いかぶさっている。
その何かが、私の傷口に入り込もうとしているのだ。
とっさに引き抜こうとしたが、肩の奥まで根が張っているらしく、
鋭い痛みが走ってどうしても取ることができなかった。
そうしている間にも、それが私の傷口に根を伸ばす。
痛みは無いが、根が這い回っている熱い感触が分かる。
根が伸びた部分の感覚は痺れ、私は徐々に体の自由を失っていった。
体全体で、根が蛇の様にのたくり動き回っているのが分かる。
根は、私の体の中で徐々に数を増やし、私の皮膚の下で増殖していった。

体全体が徐々に熱くなっていく。
熱湯をかけられたような冷たさを伴った熱さが背中に走る。
しかし、なぜかそれを苦痛と思わない。
突然、背中の皮膚が膨れ上がると、皮膚が破ける音がした。
倒れた私を押し上げるかのように何かが私の体から生えてきた。
次に腰の下に走る熱さ。
再び、ズルズルと音を立てて、何かが私の体の後ろから生える。

這い回った根が私の皮膚を食い破ったのだろう。
自分の体が壊れていくのを感じながら、私はこの根に食い破られて死ぬのだ。
私は自虐的にそう思った。

次の瞬間、私の予想を待っていたかのように体全体に走る激痛。
意識などでは到底及ばない、痛みによる反射的で強大な力が体の制御を奪った。
腕を大きく広げ、背骨が悲鳴を上げるほど仰け反り返る。
べきべきと何かが体中の皮膚を食い破って出てこようとしている。
私は痛みに耐え切れず、意識を失った。



体全体に帯びた激痛。
いつの間にか日が昇っている。
先程より治まった痛みの代わりに少しだけ戻った自由を使って、私は起き上がろうとした。
首を上げた視界に飛び込んだのは、似ても似つかない自分の体だった。
全身に鱗が生え、尻尾が生えていた。
それを触って確かめようとした手には、鋭い爪が伸びている。
ただ、全身に渡って舞い上がるような白くなる感覚を覚えた。
何か考えようとしても、その感覚が意識の構成を吹き飛ばすような妙な感覚だった。

ふと、遠くからエンジン音が聞こえる事に気付いた。
確実にこちらに向かってきている。
とっさに、見られてはいけない、とだけ思った。
ふらつく足腰に無理をいいながら、道路の端にたどり着く。
斜面になっている森の中に入った瞬間、私は足を踏み外した。

転がり落ちる感覚、痛みはそれ程なかった。
しばらく転がり落ちると、斜面は終わり、私の体は静止した。
ゆっくりと抜けていく痛みと、それに伴い舞い戻る自由。
自分はどうなってしまったのだろう。
私は鋭い爪の生えた鱗だらけの両腕を見ながらそう思った。
とにかく車の中に携帯がある。
会社に電話して、有給を貰わないと…。

自分でも呑気なものだと思ったが他に何も思い浮かばなかった。
私は転がり落ちた斜面を見た。
見ただけでうなされそうな急な斜面、しかし登る意外に道は無い。
昇っていくと、妙なことに急な斜面をスイスイと昇れる自分がいた。
自分ではこんなことができるはず無い。
きっと、こんな体になったからだ。

転がり落ちた坂を難なく登り終えると、道路の真ん中に私の車が見えた。
太陽の光で改めてみてみると、私の車には相当の衝撃があったようだ。
エンジン部分が完全に正面からつぶれている。
その辺りにべっとりと液体がついているのが分かる。
赤のボディになじむその液体は、きっと私が轢いた生き物の血なのだろう。
そして、運転席のドアの付近に、飛び散ったような血が転々とついている。

そんな車を、紅葉を見に来たと思われる家族連れが、まじまじと見ているのだ。
3人の子供たちを抱え込むようにして必死に見させないように頑張る母親、
携帯で何か話している父親。
きっと警察を呼んでいるに違いない。

「あの、ちょっと中の携帯を…。」
私はそう話しながら、今にもその場所に出て行きそうになった。
しかし、自分がどうなってしまったのかを思い出して留まった。
どうせならば、「うわ~っ!」と声で驚かして携帯だけとって来てしまおうか。
いやしかし、大人だけならまだしも関係ない子供に悪夢を見させてはいけない。

私は前にも後ろにも引けず、
道路わきの斜面から隠れるようにその様子をうかがっていることしか出来なかった。
ふと、母親の腕を抜けた1人の子供がこちらを振り向く。
私と子供の目が確実に合った。
「あっ!デスブラゴンだ!」
豪快な声を出して私を指さした。
私はその声と同時に体を下げた。
きっと、親子連れ総動員の視線がこちらに向いていることだろう。

しばらく何も聞こえなかったので、ゆっくりと頭を持ち上げた。
すると、さっきの子供が目の前にいた。
「あっ!いや…あの…。」
今度こそアウトだ。
「おかあさ~ん!ここにデスブラゴンがいるよぉ~!」
子供が振り向きながら大声で言った。
「そう!良かったわね。ショーちゃん。
デスブラックドラゴンがいたのね。
じゃあ、しばらく車を見ないで、そっち向いていなさい。」
子供の話した名前より長ったらしいのは正式名称だろうか、
母親の方が子供より知っているのはよくある話だ。

子供越しに母親たちを見ると、
全員この子供に興味無しといった感じで、2人の子供は母親につきっきり、
父親に至っては話すら聞いていない様子だった。
「あの…。ねぇ。坊や…。」
「なに?」
「そのデスブラゴンって、…何かな?」
子供は、私を指さした。
「あ…、そう。僕が、デスブラゴンなのね。」
なんかのキャラクターか何かだろうか。
「君、名前はなんていうの?」
「名前?名前は~、ショースケ!」
私と同じ名だった。
ふと、心なし子供の頃の私にも見えた。


「あ、ショースケ君ね。悪いんだけどさあ。
あそこの壊れた赤い車のダッシュボードから、携帯電話持って来てくれるかな。」
「うん!分かった。」
子供ことショースケは勢いよく頷くと、私の車に向かって走っていった。
開きっぱなしのドアに飛び込んで、もぞもぞとやっている。
すると、そんな奇行に目をつけた母親に車から引きずり抜かれた。
「ショーちゃん!なにやっているの!」
「だって、デスブラゴンが取って来いって。」
「じゃあ、ショーちゃん。それ触ってていいから、あっち行ってなさい。」
どうやらショースケは携帯を手に入れることに成功したらしい。
他人の携帯を触らせたままにするなんて、さすが母親だとある意味で感心した。
二人の子供は母親にしがみ付いたままだったが、
ショースケは、放り出されるようにこっちに戻ってきた。
「はい。」
「ああ、ありがとう。」
私は携帯を受け取ると、
長くなってしまった指と爪を使って不器用にボタンを操作した。
アドレス帳から会社の電話を開くだけなのに、何度も何度も操作に失敗した。

何とか電話を掛けると、私は有給を全部使って1週間休むことを伝えた。
「何か声変だね。よっぽど悪い風邪かい?」
口吻のように伸びてしまった口に、携帯電話が合わない。
耳にあてながら駄目もとで会話していたが、携帯はどうやら音を拾ってくれている。
全く、最近の携帯のマイクは凄いもんだ。
「はい、すみません。ちょっと時間がかかると思うので、多めに…。
直り次第、出社しますので…。」
何とかそう取り次いで、電話を切った。

ショースケがこちらを見ている。
「ねぇ…。」
「何ですか?ショースケ君。」
私は、ブラドラゴンだかデスドラゴンだかと言う「キャラ」に思われているのだろう。
怖いという感情を全く持たない輝いた瞳がそこにある。
「キャプチャライザー持って無いけど、僕がマスターでいい?」
マスター?所謂主人になりたいってことか?
「え、いや…、そのキャプチャライザーが無いと、マスターにはなれないんだ。」
よく分からないが、できないことはできないと返したほうがいいだろう。
「ふーん、ケチ。」
「ああ、ごめんね。」
何か知らないが、謝ってしまった。
「ショーちゃん、行くわよ。」
いつの間にか警察が来てたらしく、家族御一行はパトカーの後ろを付いて行ってしまった。
父親に抱きかかえられて連れて行かれるショースケが、
「ブラドラゴンと話すの!」
と異常なくらいに暴れていたのが印象的だった。
さっきと言い方が違うのだ。
そんなショースケが乗った車は、心なしか左右に揺れている様に見えた。
きっと、中でショースケが頑張っていたのだろう。
私の車には、残ったもう一台のパトカーがへばりついている。
さっきよりも面倒なことになってしまった。到底近づけそうも無い。
私は、どうしようもなくなってとにかく山を降りることにした。

足腰が軽快になったとは言っても、車で2時間以上も分け入った山の中だ。
歩いているうちに、当たりはすっかり日が暮れてしまった。
途中、パーキングエリアがあり、私はそこで用を足すことにした。
明かりの点いているトイレを見たら、無性に用がしたくなるものである。

服がすっかり破けてしまって、ほとんど全裸で歩いているようなものなのに、
トイレだけはきちんとするなんておかしなものだ、と自分の状態に馬鹿馬鹿しさを感じていた。
済ますものを済まして、私は手を洗おうと洗面台に向かった。
内側から錆の生えた汚い鏡には、初めて見る自分の顔があった。
「ブラドラゴン…。」
私はそう呟いた。
鏡に映っていたのは、真っ黒な鱗に全身を包まれた2速歩行のドラゴン。
おまけに、さっきまで気がつかなかったが翼まで生えている。
尻尾から来る新しい感覚には気付いていた。
歩くときに、なんとなく動かすことで、バランスが取れて実に具合がいいのである。
こんな便利なものがどうして人間には無いんだろうと、
馬鹿馬鹿しい考えに至るほどに、快適なのであった。

翼を爪先で強くつまむと、今までなかった神経の場所に痛みが走る。
これが翼をつままれる痛みか。
一人でそう納得しながら、私は翼の神経の場所を闇雲に動かしてみた。
何のことは無い、腕がもう一本は得たような感覚。
背中の新しい腕を自由に動かすことで、私は飛べるのだ。
喜んで勢いよく羽ばたいた私は、トイレの天井に強か頭を打ち付けたのだった。
あまり痛くはなかったが、天板に穴が開いてしまった。
誰も見ていないというのに、自分のドジぶりに思わず顔が赤くなってしまった。

どうせ夜だし、家まで飛んでいこう。
羽ばたく翼は、難なく私を空へと運ぶ。
飛ぶとは、実に気持ちがいい。
ホバーリングしている間は、落ちてしまわないかと心配だが、
自分が疲れさえせず、羽ばたき続ければいいのだから、あまり考えないことにした。
滑空は、車の運転に似ていた。
全くの未知のスピードで、風を体に受ける。
もしかすると、バイクを乗っている人の感覚にも近いのだろうか。
歩いてあんなに時間がかかった道のりを、私は数分で飛びきってしまった。
まぁ、ぐねぐねと曲がりくねった道と、真っ直ぐ飛ぶのではわけが違うだろう。

光り輝く町の上をすぅっと通り抜ける。
この町のいくつの明かりが、私を目撃しただろう。
私は、驚いている彼らの顔を想像し、愉快な気分になりながら家へと向かった。
3階建てのアパート。
3階の角部屋の前に、直接舞い降りる。
安いアパートには変人が多いというが、
このアパートはその逆だ。
誰もいない。
駅から遠い、町の中心から遠い、主要な勤め先からも遠い、そしてボロい。
このアパートは何故存在しているのだろうか。
そんな疑問を抱かせるのだが、
車を運転することが人生の一部だった私には、
浮いた多額の家賃をガソリンに回せるという点では、最高のアパートだった。
いつものポケットに手を挿した瞬間、服を着ていないことに気付いた。
「あ、鍵ないや…。」
こんな体になってしまったときに、服が破けたのだろう。
財布と鍵が無い。

慌てて事故現場へと戻った。
目撃者なんて考えていない。
どうせ、この街には空を見るロマンを持った人間なんていないだろう。
1回飛んだことで手馴れた私は、少々スピードを上げ、ほぼ一瞬で事故現場に着いた。
空を滑空しながら、自己したはずの現場を見たが、車が無い。
人の気配も無いようなので、降り立ってみると、
案の定、事故処理の後になっていた。
チョークで丸がいくつもついている。
車の形どおりにチョークが引いてあるのは滑稽だった。

ドアの付近に丸がいっぱいついているのは、私の血と財布と鍵だろうか。
破けた服なんて風で飛んでしまったに違いないから、
この丸のどれかが私の財布と鍵だったのだろう。

警察は、きっと熊にでも食べられたと思っただろう。
バラバラに引きちぎれた服と、飛び散った血。
でも、死体は無い。
まさか、ブラドラゴンとかになって、
第一発見者の子供とファーストコンタクトを取っていたなんて想像もつかないだろう。
誰もいない山道で、私は声を立てて笑った。
笑っているうちに、涙が出てきた。
涙を流している自分に、なぜかさらに可笑しさを覚えた。


もう一度飛んで、家に帰ると私はドアを壊した。
元々古いドアで、隙間が開いているような代物だ。
鍵だって、ちょっと間違ったらコンビーフのマジックツールと勘違いしそうな、
実にアンティークなものだった。

ノブを掴んで、グッと押す。
元から体当たりすれば外れそうだった蝶番は、私の力もあいまって、
腐ったネジと一緒に外れた。
ドアを閉めると、拳で蝶番を叩く。
ネジを釘のように打ち込んで、蝶番は元の場所に収まり、一応かぎとしてのメンツを取り戻した。
また体当たりでもしない限り、外れたりはしないだろう。

部屋へと入ると、冷蔵庫を開け、ビールと半額マークのついた惣菜、
食いかけのピーナツを取り出した。
ピーナツまで冷えているのは、何故なのか自分でも理解不能だ。
いつの間に入れたのか記憶が無い。

とにかく、私はビールを飲んだ。
半額の惣菜を箸を使って食べようとしたが、思うように箸を使うことができない。
トレイを掴むと、口に流し込んだ。
腹ごしらえが終わったところで、私はもう一度鏡の前に立った。
見れば見るほど、ドラゴン。
さっきの子供に言われた分、余計そう見える。
「ブラドラゴン…だっけ…。」
母親がもっと長ったらしい名称を言った気がするが、覚えていない。
私は、部屋の電気を消すと、布団にもぐりこんだ。
よくよく考えれば、昨日は1晩まるまる道路の上で過ごしたのだ。
私の意識が眠りに付くのに、そう時間は掛からなかった。

どんどんどん。
「有賀さん!いますか?」
時計を見ると、朝の7時。
「あ、はい、います。少々お待ちを…。」
…しまった!
寝ぼけた勢いで返事をしてしまった。
ここは、ドアを開けないでやり過ごすしかない。
「あの、今服着てないんで…、何ですか?」
「警察のものですが、お話を伺いたいと思いまして…。
あなたの車ですが、友人にでも御貸しになったのですか?」
「え、いえ、あの…。」
嘘をつくべきか否か、頭の中でフル回転で思考する。
「あ、いえ、自損です。」
「ほぉ…。」
警察が変な相づちを打つ。
「あなた、熊でも轢いたんですかね。その後襲われませんでした?」
「轢いたのが何だか私も知りたいくらいです。
あと、襲われたら、ここで刑事さんとお話できませんよ。」
「それもそうだ。」
ドアの向こうで何人かが笑った。
複数いるらしい。
「では、あなたの服がボロボロになっていたのは?
財布と家の鍵が落ちていたのは?」
「車から降りて、身代わりに置いたんです。
轢いた何かに襲われるとも限りませんし。」
「ふむ。して、あなたはどうやって帰ったんですか?」
「歩いてです。山は歩いて…、町の途中はタクシーですね。」
「何時間ぐらい掛かりました?」
「分かんないですが、日が明けましたね。」
「…、じゃ、今日はこのくらいと言うことで…。」
警察はそう言った、そして、
「あなた、本当に有賀さんですか?」
そう聞いた。
私は、笑った。
自分は、警察の言ったとおりの名前なのだ。
警察は、私の笑い声に真実味を嗅ぎ取ったのか、帰って行った。
ドアの隙間から、警察の車が出て行くのを見て、ほっとゴツゴツした胸をなでおろした。

1日中家にいるというのはつまらない。
ゴロゴロしているだけでは、時間は経たないのだ。
眠ろうとしても眠れない。
いつもなら、すぐにでも車に飛び乗るのに、肝心の車はどこへ行ったのやら、
廃車置場か、それとも警察の安置所か。
とにかく、夜が来るまで私は暇と言う暇を持て余した。

夜、やっと私が大手を振って、ほどでは無いが動き回ることができる。
羽が邪魔で服も着れず、尻尾が邪魔でズボンもはけず、
結局素っ裸のまんまだった。鏡でチェックした所、なんとなく恥ずかしいというより、
カッコいい感じがしたので、このままも悪くないと自分に決め込んでいた。

空を飛んでいると、夜の街がどれだけ静かかが分かる。
住宅街であるため、深夜ともなると暴走車のエンジン音以外に聞こえる音が無い。
一定の間隔で灯る街灯と、時折ついたままの家の電気だけが空気に揺らいで瞬いている、

突然、ピピピピ、とけたたましい電子音が聞こえた。
住宅街とは全く無縁の人工的な音。
これが所謂防犯アラームか、そう納得すると、
私は現場に向かった。
空から傍観すると、地面に這いつくばるようにして腰を抜かしている女性と、
その場から走り去る男が見えた。
私は素早く男の前に舞い降りた。
あえて、街灯が私を照らすように立ったことで、男は私の姿をはっきりと見ることが出来た。
男は、
「あは~ぁっ!」
などと言う裏返った声を出すと、ひっくり返って気絶してしまった。

「向こうだぞ!」
他の声が聞こえる。
どうやら、防犯アラームで正義感に火がついた人は私だけではなかったようだ。
私は、早々と空に舞い上がり、姿を消した。

夜の空を楽しみながら、私は色々と考えをめぐらせていた。
どうしたら元の姿に戻れるか、
でもこのままの姿と力ならヒーローになれるかも、
でもそういうときに限って悪の科学者が、
いやいやその前に人権がどうだとかややこしい問題が…。
しかし、私はどうしてこんな姿に…。
どんなに上の空(うわのそら)で空の上を飛んでも、
ぶつかるものが無いというのはいいことである。

とにかくまとめると、私は車で轢いた何かに襲われて、何かを植え込まれた。
その植え込まれた何かが増殖したら、私がこんなになってしまった。
それだけである。他には何も無い。
現場百回とは、警察の言葉だったろうか。
私は、再び現場に向かった。

空を飛ぶのも板についたもので、思っている間にたどり着いてしまう。
飛び回っては見るが、何も分からない。
私は現場に降り立つと、道路沿いの斜面の縁に腰を掛けた。

私を襲ったやつは、轢かれたことに腹を立てたのか、それとも元から強暴だったのか。
出来れば前者を願いたい、平謝りすれば何とかなるかもしれない。
もしかすると、元に戻してくれるかもしれない。
後者だったらどうしようか、元に戻る術も絶望的だ。
「おーい、俺をこんなにしたやつ、出て来い。」
私は、投げやりにそう言った。

その声が届いたのか、思いがけず崖の上から黒い影が目の前に飛び降りてきた。
まさに、私が轢いた影。
「うわ、もしかして…。」
そう言った私に、影は飛び掛った。
私と全く同じ姿。
しかし、どうやら4足歩行らしい。
「いや、轢いたことは謝るから!
だから手を離して…。」
「ぐるるるる…。」
全く知性を感じる事のできない唸り声。
私は、仕方なく相手を振りほどいて、足でけり払う。
ドサッと仰向けに落ちた相手は、起き上がると4本足で道路に張り付いた。
唸り声を上げ、私を睨んでいる。
まるで、獣のような…。

私は、自分もこうなってしまうのではないかと言う恐怖に駆られた。
気付いたときには、無我夢中で相手に爪を立てていた。
ただ、相手の存在を否定するように…。

ふっと、力が抜けた。
動きを止めた両手を見る。
細かく震えた両手から、血が滴り落ちている。
両手越しに相手を見ると、顔が原形をとどめないほどに切り刻まれていた。
「ば…ばかやろう。」
私は、そう呟いた。
しばらく呆然と相手の亡骸を見ていた。
こんなことする私じゃない。
急に怖くなった私は、切り刻んだ相手を現場からはるか遠くの森へと捨てた。
どうせ、警察に見つかったら自分も駆逐されてしまう。
そう思ったのだ。

手短な公園を見つけ、体中についた血を洗う。
洗っても洗っても自分の体から噴出してくるように思えた。
気が遠くなりそうになりながら私は何とか家に帰った。
家に帰ると布団を被り、そのままうずくまった。
遮断された小さな空間の中で、私はただ震えた。
いつまで私が私でいられるのか。
ただ、自分がなくなって行くことに恐怖を感じた。


次の日、また警察が来た。
風邪だ何だと言って何とか追い返したが、何度も玄関越しの問答ももう通じないだろう。
今日だって、
「風邪でもいいですから、一目だけ…。
とにかく、署に来てきちんと話してもらわないと何にもなりませんから…。
保険だって降りませんよ?」
私は、なるべく自然にせきをしながら、
「すみません。」
とだけ謝った。
警察はその後しばらくドアの前にいたようだが、
私からそれ以上の反応がもらえないのが分かると諦めて帰って行った。

人を頼って手続きを代行してもらいたいが、
車だけが友達、私はそういわれても過言では無いほど人との付き合いが下手だった。
新しく会社に入った同僚が携帯と言う魔法のネットワークで繋がりあっていく中、
私はどういうわけか番号を聞き損ねる。
いまさら聞けなくなった頃に、彼らは飲み会と合コンをやり始める。
無論、誰も私を知らないから誘うことも出来ない。
こうして、私はどんどん仲良くなっていく同僚たちに反してどんどん孤立していく。

全く鳴る事の無い携帯を見ながら、アドレス帳を開く。
会社、実家、JAFロードセンター。
それだけだ。
その3つを見ているうちに、無意識に実家のダイヤルを回していた。
「ああ、かーちゃん?」
声だけは人間のままだ。
私がどうなっていようと関係ない。
「どなたですか?」
「いや俺だけど、実は事故起こしちゃってさ。」
無理に心配を掛けさせるわけではなかったが、
何にも話すことなんか無い、手短な事実を話した。
「へぇ、どんな事故?」
興味なさそうな、間抜けな声が返ってくる。
昔からそうだった。
二人の兄ばかり可愛がって、私はいつも後回しだった。
私は、いつものことだと思って話を続けた。
「山でなんか生き物轢いちゃってさ。エンジン滅茶苦茶になって車パーだよ。」
「それで、いくら銀行に振り込めって?」
「えっ?」
「うちの子はね、うちに電話で助けもとめるほど甘ったれてないの!
大体、うちの子は、自分で好きなことやるって出て行ってそれっきり。
振り込め詐欺でしょ、そんならもっとうまくやりなさい!全く!」
そういって電話は切れてしまった。

しばらく切れた電話を見ていたが、急にむしゃくしゃして、
私は携帯を思いっきり壁に投げつけた。
漆喰の壁に深い傷ができ、携帯は粉々に壊れた。
…壊すつもりなんかなかった。
この手が…。
私を引き止めている最後の伝手を、私は自分で壊してしまった。

部屋の窓を突き破る。
3階から落ちるに任せてスピードをつけ、一気に翼を広げ滑空する。
地面の塵を巻き上げながら道路を低空飛行する。
突き当たりのT字路まで滑空し、私は一気に上昇した。
空を飛んだ。
ただ、どこまでも飛びたかった。

翼を羽ばたかせて、山を越えた。
あっという間に隣の町へ着いた。
明かりが灯っているが、寝静まっている。
その隣の町へ行った。
明かりだけが灯っている。
その隣の町へ行った。
先程より大きい町には、光が溢れ、
メインストリートにはまばらながら人の姿が見えた。
しかし、誰もがせせこましく下を向き、空を見上げているものなどいなかった。
この明かりの中に私を見ている明かりは一つもなかった。

さらに空虚になった私は、街から離れるように光の無いほうへと飛び去った。
いくらか険しい山があって、その奥に大きな湖があった。
私は、湖に向かって吸い込まれるように飛び込んだ。

水の其処に向かって、翼を羽ばたかせた。
息が苦しくなっても構わない。
ただ、羽ばたいた。
どこまでも其処の無い水の中を私は潜って行く。
水圧に耐え切れない私の肺の空気が漏れていく。

思いのほかの苦しさに耐えられなくなって、私は息を吸い込んでしまった。
空気の代わりに肺全体に水が浸入する。
まるで、肺がひっくり返ったかのような苦痛で、肺の中の水が吐き出される。
暴れた肺が勝手に息を吸う。
そしてすぐに水を飲む。
こんなはずじゃない!
動転した苦しさの中で、私は懸命に揺れ動く水面の月に向かって手を伸ばしていた。
「誰か…。」



長い夢を見ていた気がする。
ひっくり返った車の中で、私の顔に水が掛かっている。
真っ暗で何も見えなかったが、慌ててシートベルトを外した。
ボチャリと、体が水の中に落ちた。
隙間から見えた光に向かって窓の間から這い出すと、辺りを見回した。
斜面の下の沼に、車がはまり込んだらしい。
月明かりのおかげで、私はそれを確認することができた。
転がってボロボロになっていたが、沼のおかげで、最後の一撃は免れたようだ。
車の正面が何かを轢いたように潰れている。
どこからが現実なのだろうか。

ハッと気付いて私は両手を見た。
きちんと人間の腕だった。
その腕を見た途端、急に力が抜けて私は車へともたれ掛かった。

私は、やっとの思いでダッシュボードからまだ濡れていない携帯を取り出した。
しかし、よくよく考えたらここは山の中、電波は届かず当たり前のように圏外だった。
アドレス帳を開く。
会社、実家、JAFロードサービス…。

私は、それらのデータを全て削除した。
力の抜けた手から、携帯が滑り落ちる。
落ちた先は沼。
…なんだ、消す必要なんかなかったじゃないか。

そして、願った。
何も無い宙に向かって伸ばした腕が、あのドラゴンの腕になります様に…。
もう一度、私に翼が生えますように…。
もう一度、飛べますように…。

私は、ドラゴンに変身したとき左肩から変身したことを思い出した。
左肩を見る。
何故気付かなかったのだろう。
私は大量に血を流している。
左肩には、木の枝がえぐり込んでいた。
思い出したかのように痛みが走る。
思わず傷口を両手で抱え込むように押さえた。
その動きで木の枝が外れ、傷口からは血が溢れた。

動転した苦しさの中で、私は懸命に揺れ動く視界の月に向かって手を伸ばしていた。


月に向かって伸ばした腕は、血を浴びていた。
蒼い月の光を帯びた紅い血は、その弱々しい光のせいで黒く光り輝いて見えた。

月の光がもたらす狂気。
視界に伸ばしたその腕は、漆黒の鱗をまとう。


もう一度、飛べる。


END


感想

  • 切なく、素晴らしい。前作のコメントと同一人物です。 -- 名無しさん (2009-11-08 02:09:05)
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