【学校で不発弾が炸裂、怪我人無し】
新聞の朝刊トップを飾ったニュースは、その物的被害の大きさから全国の注目を集めた。
深夜に学校一つを焼いた不発弾の爆発は、しかし時間が時間だったために生徒や教師に怪我人は無く、
それが幸いであるとメディアでは報じられていた。
元自衛隊員という専門家が、大戦中の兵器にしては破損の規模や状況がおかしいと意見を述べていたが、
これもいずれ他の情報に飲み込まれて消えゆく物なのだろう。

―――何故なら、この報道はそもそも嘘しか書いていないのだから。

学校の被害によって、学生には暫くの休みが与えられた。
何ら価値の無い情報を流す全国紙を床に置き、士郎は隣に座るキャスターを見た。
「それじゃあ、頼む。キャスター」
「ええ。でも、本当にいいの?」
キャスターの声色は疑問が僅かながらにあった。
「異存は無い。俺の令呪三画を、三人に一画ずつ移植してくれ」
畳の上に座る士郎の前には、三枝由紀香と、氷室鐘と、蒔寺楓がいた。


キャスターを含めた五人がいる場所は、衛宮邸では無い。三枝由紀香の家に一行は集まっていた。
あの後全員を家に送り届けた後、一晩かけて士郎はキャスターと考えた。

―――どうやって、三人を守るか?

凛のサーヴァントであるバーサーカーはともかくとして、襲う可能性のあるサーヴァントはアーチャー、アサシン、ライダー。
マスターであるイリヤスフィールが穏便に済ませると明言したセイバーとランサーを抜きにしても、三騎の英霊が襲う可能性を持っている。
しかもこの内の一騎は三人を手駒に変えた容疑者だ。
キャスターと士郎で守るにしても、限度というものがある。完璧に警護するには守る対象の周囲にいるしか無いが、問題は三人という人数だ。
住む家も生活パターンも違う三人。友人同士である事から共にいることが多いことがせめてもの救いだが、現実問題として一人を守っている間に他の二人が襲われていてはどうにもならない。
頭を抱えた士郎に対し、キャスターは一つだけ方法があると言った。
それは、己よりも他者を優先させる士郎しか取らないだろう選択肢。
サーヴァントに対する絶対の命令権、令呪の移植だった。


「終わったわよ」
「……これが『令呪』というものか。見た目にはただの変わった形の痣にしか見えないな」
鐘が自分の掌に刻まれた令呪一画をしげしげと見つめる。
「でもさー、こんなシールみたいに剥がした物で効果あんの?」
「あるわ。間違いなく。これで貴女達は何かあったときに間違いなく私を呼べる」
令呪はサーヴァントを縛るためだけに使われる物では無い。
凛がバーサーカーに使ったように、時としてサーヴァントの力を増幅させることもできる。
そして、「こちらに来い」と命令すれば、空間移動すら可能にすることもできる。
これならば、仮に誰かが襲われても、一回までキャスターを呼ぶことができる。

―――もっとも、何の問題も無いというわけでもなかったが。


「でも、これで衛宮君の令呪は無くなったんでしょ?それってまずいんじゃあ……」
由紀香が心配して士郎の身を気遣う。
とどのつまり、この作戦の問題はそこにあった。
令呪のアドバンテージをマスターである士郎自身が全て失った。
令呪による援護ができないだけで無く、本人の危機にも使う事ができない。
最悪な想像をすれば、士郎とキャスターが戦っている最中にキャスターだけが三人のいずれかに呼ばれれば、
敵の前には無防備の士郎だけが取り残される形になるのだ。そうなった場合の結末は想像に難くない。
それでも、士郎は安心させるように微笑した。
「大丈夫だ。簡単に死んでやる程ヤワじゃない」
そして三人を見回す。
「とりあえず、夜は絶対に出歩かないでくれ。遠坂の話だと聖杯戦争は夜に行われるらしいからな。それから、昼間でも出来る限り三人で行動するようにしてくれ。」
三人とも頷いた。士郎に言われるまでも無く、あのような怪物達の闊歩する夜など出歩きたいとは思わない。
「……だけどさ、衛宮とキャスターさんは大丈夫なのか。お前が一番危険なんだぞ」
楓の言葉に、緊張が大きくなる。今ここにいる人間で一番危難に晒されやすいのは戦いに赴く士郎とキャスターだ。
由紀香達はまだいい。最悪の場合冬木から遠く離れた街に、聖杯戦争が終わるまで隠れていればいいのだから。
だが、この場で言う最悪の場合は、キャスターもバーサーカーも消滅し、身を守る術が無くなることだ。
当然、最悪の場合が起こったときに、衛宮士郎の命は無いだろう。
「キャスターさん、私達が別の場所に身を隠すわけにはいかないのか?」
鐘の問いかけに、キャスターは言いにくそうに答えた。
「おすすめはできないわ。貴女達の体内にあるモノは、あくまで英霊の宝具。
それの担い手が、現在地を分からないという保証は何処にも無い。ひょっとしたら、身を隠した場所を特定されるかも知れない。そうすれば私達でも守りきれない」
キャスターの言葉は筋が通っていて、残酷だった。更に言葉が紡がれる。
「士郎の選択は良いとは言えないけど、悪いとも言い切れない。少なくとも貴女達はそれぞれ一回までなら身を守れる。もしもの時は遠慮無く使いなさい」
そこまで言うと、キャスターは霊体化して消えた。
「まあ、とりあえず今日の用は済んだ。氷室も蒔寺も、日が暮れる前に家に帰るようにな」
令呪全てを他人に譲り渡した少年も、立ち上がる。そこに何かを惜しむ気持ちは見て取れなかった。


昼間の街は人通りが少なかった。
士郎達が歩いている中、途中で自動車とすれ違った程度で、歩いている人間は見当たらない。
「なあ……妙に人通りが少ないと思わないか。キャスター」
『ヒトというより生き物の持つ本能で理解できるんでしょう。この街に恐ろしいモノがいると。出歩きたくも無くなるわ』
霊体化したキャスターの分析に、士郎は想像してみた。
住み慣れた街にサーヴァントという七人の怪物がいて、しかもそれは目に見えない。
それが得体の知れない恐怖となって冬木に住む人々の精神を苛んでいるのだろう。
「……助けないと」
士郎は決然と呟いた。
救う。
男も女も子供も老人も誰一人として取りこぼしはなく、誰一人として犠牲は無く、眼前にいる人々を一人も余さず救ってみせる。例えこの身が砕け散っても。
『―――僕は、正義の味方に憧れていた』
それが養父から理想を受け継ぎ、炎の地獄を生き残り、空っぽの自分を持つことになったエミヤシロウの為すべき事だ。
少年の決意は硬い。
当然の如く自分自身が勘定に入っていない歪さに気づくこと無く、士郎とキャスターは家路を急ぐ。


屋根の上である。
そこに立つ人影は、古代日本の様式が色濃い鎧を身につけている。
「……十分か」
弓に矢をつがえ、弦を引くその相貌は、まだ年端もいかない少年のそれだった。しかしその眼には冷徹な光が宿り、道を歩く一組の主従を標的に捉えている。
霊体化している女。
歩いている少年。
狙いは両方。本来ならば霊体化しているサーヴァントに攻撃は通じないが、手持ちのある宝具を使えば仕留めることは十分に可能。
此度の戦争においてアーチャーとして召喚された若武者はそう結論づけると、弦を引き絞る。二本の矢が標的に飛来するまであと数秒―――



世の中には絶対に力を持たせてはいけない人間がいて、そしてそういう人間に限って力を持つことがままある。
現在新都の高層ホテルに逗留しているアーチャーのマスターはその典型だった。

それなりの家に生まれた魔術師の長男。男は、ある魔術に関してその才覚を発揮した。

―――人間の精神操作。

人の脳を受信装置に見立て、魔術師の手によって幾らでも操れる人形に変える魔術を手にした男は、その力を欲望と興味のままに使った。
弄ばれたのは、男の周囲に偶然いただけの一般人だった。
まず最初に、通常人間が忌避感を覚える行為をどれだけさせることができるかという実験が行われた。

例えば、運転する自動車を人混みに暴走させる。
例えば、妻子や友人など親しい人間をナイフで滅多刺しにさせる。
例えば、風の強い日に住んでいる街の建物に火を付けさせる。

実験はつつがなく成功という結果で終了し、大勢の犠牲者が出た中を男はほくそ笑みながら闊歩した。
表の世界で凶悪犯罪と呼ばれたケースが、男の実験によるものだとは誰も気づかなかった。
魔術協会は知ってか知らずか、何の行動も起こさなかった。男の用心深い性格は魔術の痕跡の悉くを消し去っていた。
仮に協会が知っていても、凶悪事件の『犯人』が既に捕まって、大半が獄中で自殺している以上、男を罰することは無かっただろう。

実験という名の罪をどれだけ重ねても、罰せられない環境下で、男の捻れ曲がっていた性根は確実に腐り始めた。

親に子供を殺させる。子供に親を殺させる。無差別に銃撃させる。泥酔状態で運転させ、大事故を起こさせる。
内戦が終結したばかりの国で適当な兵士に敵対側の子供を惨殺させ、内戦を再び勃発させた時には、安全地帯のホテルで小躍りしながら歓喜した。

その頃には、家の悲願だった根源への到達など既にどうでもよくなっていた。
銃で撃たれた子供の顔。
刃物で斬られた女の顔。
ロープで絞殺された老人の顔。
その悲痛と痛苦に満ちた表情は男を際限なく興奮させた。
なによりも、素晴らしいのはそれをやった実験動物達が正気に戻ったときに見せる表情だった。
初めは自分が何をしたのか分からず、次に状況を理解し、そして例外なく絶望する。
子に、親に、妻に、夫に、友人に、会ったことも無い人々に、自分が何をしたのかを思い出し、大半はその場で自殺するか、
世間から人非人と罵られながら、絶望的な裁判で自分の無罪を訴え、それが無駄な抵抗であると知り、一刻も早く死刑になることを望むようになる。
そこまで見て、あるいは想像し、幸福の内に人生を送っていた男は、風の噂で聖杯戦争の事を知る。
あらゆる願望が叶う万能の釜。
それを自分が手にした時のことを考えた。


何一つ、誰にはばかること無く人間を玩具として扱っても、凡俗の一般人は勿論、同じ魔術師でもどうにもできない絶対的な力を手にした時、自分は神になれる。
例えば、数百万近い人間一人一人を操り、殺しあいをさせる。かつて内戦を煽ったときには絶頂に匹敵する幸福を味わったが、今度はどのような幸福を味わえるだろうか。
悪徳の神がいるとすれば、男は確かにそれに愛された存在なのだろう。
冬木に入った男の右手にはつつがなく令呪が刻まれ、持ち主を全員殺して手に入れた聖遺物を用いてサーヴァントを召喚した。決して力を与えてはいけない人間が、歩く暴力のような存在を従えた瞬間だった。

いつも通りに、その男は獲物を物色していた。
アーチャーの第二の宝具である宝珠は、三体まで擬似的なサーヴァントを生み出すことができる。
洗脳で兵隊にするのに、適当な人間を探していたときに身体に誰かがぶつかった。
「あっ、すいません」
眼鏡をかけた灰色の髪の少女はぺこりと頭を下げると、後に続いてきた二人の少女と共に立ち去った。
幸福そうな少女だ。友人らしい二人との会話だけで、それが分かる。

―――三人まとめて目茶苦茶に使い潰して人生をグチャグチャにしてやったら面白そうだ。

アーチャーに命じて追跡。そのまま捕まえ、宝具を呑ませた。
アーチャー自身は、『この宝具は信用できる人物に託す物だ』と不満だったようだが、男に信用できる人物はいなかったし、使い魔風情の言い分は聞かなかった。
それよりも強力な手駒を『四匹』も従えることができる征服感に酔いしれていた。

ケチが付いたのはそれからだった。
手駒に変えた凡俗三匹がキャスターらしいサーヴァントの手で精神操作をあっさり解呪され、敵マスターの手に落ちてしまったことは、誤算だった。しかもバーサーカーとそのマスターとも関係を持っているらしい。
キャスターに自分の魔術が解呪されたのも屈辱だったが、それ以上に手駒が敵の手に落ちてしまったのがまずい。
とにもかくにも邪魔なキャスターとそのマスターを排除しなければならない。
アーチャーにキャスターの抹殺を命令した男は、柔らかいソファに身を沈め、高価な酒を飲み干した。
―――その後で手駒はゆっくり躾けるとしよう。
男は再び黒い欲望を滾らせた。
男にとって、この世界の全ては自分の玩具であり、自分は玩具箱の支配者だった。
神は全ての命を支配する権利があり、命を捨てるも生かすも自分次第。
自分に与えられた力を男は心底愛し、神として振る舞っていた。
だからこそ奪う。だからこそ踏みにじる。何故なら自分は神だから。全ての命は自分の手にある。
ほくそ笑む男は、ある一つの事柄に気づくことは無かった。


―――神は全ての命に対する采配を持つ。それはつまり、『神』の命もまた『神』の手に握られているという事。


死神の銃弾が窓ガラスを破壊し、男の頭に直撃する。今まで大勢の人々を不幸にするための邪悪な考えを構成していた脳がぶちまけられ、大量の血と共に床に染みを作るまで、男の思考は汚れた欲望に支配されていた。



高層ホテルの上階と同程度の高さを持つビルの上に、アサシンは佇んでいた。手には小銃が握られている。
そのまま感覚共有をしている自分のマスターに聞こえるように呟く。
「終わった。あの男がバゼットの言っていた死徒とかいう化け物でも無い限り、死んだのは間違いない」
アーチャーのマスターが逗留しているホテルを探すのはさほど難しくなかった。
魔術師が工房を設置しそうな場所をバゼットがリストアップし、その周辺の残留魔力を調べ上げる。
それだけで魔術師は見つかった。都合のいいことにアサシンが狙撃ポイントに指定していた場所の射線上に宿泊していた。行動パターンとして窓際に座り、酒を飲む癖があったのはどうか攻撃してくれと言わんばかりだ。
当然、アサシンが狙撃しない理由は無い。
結果的にアーチャーのマスターはあっさりと死亡した。

『終わりましたか。そこから令呪は奪えますか?』
「無理だな」
今から距離のあるホテルに移動するには時間がかかりすぎる。それにアーチャーは既にマスターの死に気づいている筈だ。下手をすれば鉢合わせなんて事態もあり得る。そうなれば、アサシンに勝ち目は全く無い。
『分かりました。とりあえずそこから立ち去ってください』
「ああ……さっさと逃げるか」
そこでアサシンは霊体化して消える。ビルの屋上は風だけが吹いていた。


「……っ、殺られたか」
身体に繋いでいた糸が切れる感覚がする。アーチャーはマスターが死んだことを理解した。
そのまま、矢の狙いを敵から外し、矢を矢筒の中にしまう。
「運がいいな。魔術師の主従……拙者の運が悪いだけか」
踵を返して、拠点にしている宿へと向かった。屋根から屋根を飛び越え、全身から魔力が抜けていく感覚を振り払いながら走り続ける。気がつくと十分もしないうちにマスターの死体の前に立っていた。
半分無くなった顔は、嗤いの形に歪んでいた。見ていて愉快な表情では無い。人の皮を被った獣がそこにいた。
現世に召喚した術者の本性を、アーチャーは大体理解していた。
召喚したのがその程度の男で、おまけにすぐに死んでしまったというのなら、やはり運が悪い。
そんな事をアーチャーは思いながら、テーブルの上の刃物を手に取った。儀式に使う物らしく、切れ味はいい。

「まだ消えられぬ……まだ戦わねばならぬ!」

そこで何の躊躇も無く、マスターだった死体の腕を切り落とした。
令呪が刻まれた腕を持ち、魔力が漏れ続ける身体を動かして、別の場所へ向かう。


―――自分という存在をほしがっているであろう場所へ。


―――『あの』場所へ。



「……」
三枝由紀香が、何度も手に刻まれた令呪を見る。
「……」
氷室鐘が持っていた小説を見るが、それは『見て』いるだけで、読んではいない。
「……」
蒔寺楓は、何故か腹筋をしている。筋トレは衛宮士郎とキャスターが出ていったときから続いていた。
いずれも無言でいる。思い沈黙の中を、ようやく筋トレをやめた楓が口を開いた。
「衛宮とキャスターさんとこに行こう!」
突然宣言した楓に、上の空だった由紀香と鐘が驚いたように楓の顔を見つめる。
「これからの事を話しに行くんだよ。スパナとキャスターさんと!」


冬の道は人気が少なく、車もあまり通っていなかった。その中を三人は歩いていく。
「いきなりで驚いたけど、安心もしたよ。蒔ちゃんはいつも通りだね」
由紀香の言葉に、鐘も続く。
「ああ、こんな非日常に迷い込んでしまった時に、変わらないものがあるというのは、ほっとするな」
「よせやい。そんなんじゃないって」
ぷいっとそっぽを向く楓の頬は少し赤らんでいた。
「ただ、さ。不安だったんだ」
楓はおもむろに跳躍した。空中で一回転した後、猫のように音も無く着地する。
「軽く飛び上がっただけでこうなんだ。呑まされたあの『珠』が何か影響してるんだ」
そこで、少し声を落とした。
「以前、『何の脈絡も無く強くなりたい』って言ってたよな。あれ取り消す。やっぱり、こんな風に凄くなっても自慢できない。他人にも、自分にも」
「……確かに怖いな」
そこで鐘が少し背中を揺すった。するとそこに巨翼が出現する。
「こんな風な事がもう簡単にできる。何処まで変わっていくのか、全く分からないというのが怖い」
そこまで話すと、翼は空気中に溶けるように消えた。
「蒔ちゃんも、鐘ちゃんも、私もそうだけど……衛宮君はどうなんだろ」
由紀香の言葉は、問いかけるような響きだった。
「大事な令呪を人に渡して、人のために命がけの戦いに参加するなんて、普通はできないよ」
「うん。確かにすげー奴だよな。何の見返りも無しに戦うんだよな」
「ああ、よくよく考えれば凄い人物だな。まずできるもんじゃない」
「―――そうかな」
「えっ?」
「あっ、ううん。本当に凄いよね。衛宮君って」
「うん。だけど、頼りっぱなしでもいけないよな」
「うむ。だからこそ、こうして衛宮達の負担をどうにか減らせないか話しに行くんだからな」
三人の話は驚く程弾んだ。弾むのも無理は無い。それぞれが抱えている不安を、何とかこの瞬間だけでも忘れさせる事ができないか、お互いで思っているからこそ、話が弾むのは当然と言えた。
だが、僅かな間の安らぎも終わりを迎える。



「五月蠅いんだよ!このグズ!」



「僕が何をしようとお前には関係ないだろ?分かったらさっさと消えろ」
吐き捨てるようにがなり立てる慎二の前で、間桐桜はビクッと身を震わせた。
「……でも、でも、兄さん。本当に学校の火災には関係ないんですか」
縋るように問いかける桜に、慎二はあからさまに舌打ちをする。
「あれは、僕たち以外だよ。大方金が有り余ってるアインツベルンあたりじゃないのか」
慎二の言葉に、桜はようやく息を吐いた。
「……そう、ですか。でも兄さん……あまり危険なことはもう……」
「五月蠅い!!お前はさっさと衛宮の家にでも行ってろ!!」
そのまま桜を突き飛ばした。尻餅をついた桜はそれでもすぐに立ち上がって慎二に縋る。
「でも……兄さん」
「五月蠅いって言ってるだろ!!」
慎二は再び手を上げた。しかしその手が突然動かなくなる。見ると、誰かの手が腕を掴んでいる。
「やめなよ!」
険しい顔で腕を止めているそれは、同じ学校の違うクラスの女子だった。


三枝由紀香がそこに駆けつけるまで、さほど時間はかからなかった。
聞こえた怒鳴り声は、街全体を覆う嫌な空気のせいか人気の無い公園から聞こえた。
すぐに突き飛ばされた少女を目にした。
立ち上がった少女に対し、怒鳴っている顔見知りが手を上げようとする。
気がついたら駆けていた。
手を上げようとする少年の腕を押さえつけた。
「妹さんでしょ。こんなことしちゃダメだよ!」
「なっ、お前の知ったことじゃないだろ!」
由紀香相手に慎二は振り払おうとするが、思いのほか力が強い由紀香を振り解けない。いつも自分の妹にやっているようにがなり立てるが、妙に頑固な少女は怯みはしても、力をゆるめようとはしない。
「お兄ちゃんやお姉ちゃんは、弟や妹を守ってあげなくちゃダメなんだってば!」
誰にでも、譲れない部分はある。
三枝由紀香にとってのそれは、家族だった。手のかかる弟達、しかしそれを嫌だと思ったことは無かった。根本的なところで愛しているからだ。だからこそ、顔見知りがやっていることを無視できなかった。
間桐慎二は、本来守らなければならない筈の妹を傷つけていた。それも一方的に、無抵抗な間桐桜に暴力を振るう形で。それは、誰かが止めなければならないことで、それを自分は止める事ができた。だからこうして暴力を止めている。
果たしてこれがいつもの自分なのか、判別はできない。非日常の世界に巻き込まれてから、自分の中にある何かが脈動していることには由紀香も気づいていた。
いつもの自分だったら、震えながら遠くから注意するだけで終わっていたのかも知れない。
今こうして、暴力を止めている自分は、あの珠がもたらした自分とは別の誰かなのかも知れない。
それでも、三枝由紀香は自分の意思でこの暴力を止めていると信じたかった。
今、間桐桜を助けなかったら、きっと自分は本当に自分でなくなってしまうと思うから。
慎二の手を掴みながら、由紀香は虚空に向かって口を開いた。


「あなたも見ているだけで、何で止めないんですか!?」



突然走り出した由紀香を追って、楓と鐘は通り道の途中にある公園に辿り着いていた。
見ると、なにやら見覚えのある人物と言い争っている様子だった。温厚な彼女にしては珍しいと思いつつも、声をかける。
「由紀っち、どうしたんだよ。いきなり走り出して」
「衛宮からも別行動はしないように言われていただろう。由紀―――」
鐘の言葉は最後まで続かなかった。
何も無い空間に光の粒子が集まり、人型を作り出す。それは2メートル近い巨漢で、髭を生やした武人の姿になった。
「マ、マジかよ」
「サーヴァント……」
二人の足が知らず知らずの内に後ずさる。間桐慎二の手を掴んでいた由紀香も、呆気にとられていた。
「―――儂の事に気づくとはな。気配が尋常ではないとは思っていたが」
武人が手に持った大刀を振りかぶった。
「霊体化している儂を見破る程だ。それもうなずける」

「逃げろ!!」

誰が言ったかは定かではないが、瞬間的に三人は駆けだした。



「どうしたんだ?キャスター」
自宅に帰ってきた士郎は、鏡を覗き込んでいるキャスターに話しかけた。
「あの娘達に、使い魔の目をつけておいたから、一応そのテストをね」
キャスターが持つ鏡には、ここではない別の地点の映像が映し出されていた。キャスターの千里眼の術は距離に関係なく任意の場所を映し出すことができるらしい。
士郎が覗き込むと、雑談をしながら歩く三人の姿が映っている。
「よし。今のところ、大丈夫みたいだな」
その時、三人の中で三枝由紀香だけが別の方向に走り出した。見ると、他にも知り合いが映っている。
「あれ、慎二と桜か?」
「知り合いなの?」
「友人とその妹だ。」
どうやら、三枝由紀香と間桐慎二は口論をしているらしい。その映像を見ている内に、士郎の顔色が変わる。
三枝由紀香が何も無い場所に何かを言ったかと思うと、大刀を持った武人が顕現した。
息を呑んで展開を見ていると、鏡には出現したサーヴァントから逃げ惑う、さっきまで一緒にいた三人組の姿が映っていた。
まともに見ていられたのはそれまでで、気がつくと家の外に出て、駆けだしていた。
走り続けて暫くすると、すぐ横にキャスターがいることに気がついた。
「あそこの場所は知っているの?」
「ここから少し離れた公園だ。そうだ、皆はなんでキャスターを令呪で呼ばないんだ?」
「どうも、混乱しているようね。さっきから念話で呼びかけてはいるけど、反応が無いわ」



どれだけ走り続けても、息が切れるという事がない事に驚いたが、今は驚く暇すら無い。
「動くでない。外れれば苦しむことになる」
「うるへーキョンシー野郎!てめーなんか額にお札貼られて跳びはねてろー!」
鐘と由紀香を連れて必死に駆ける楓の悪態も何処吹く風と、サーヴァントは大刀を振りかぶった。
「待て、ライダー」
「ふむ?」
「色々聞きたいこともある。口を利ける程度に留めておけ」
「まあ、それもそうだな」
大刀を背に背負う“ライダー”だが、その眼光は鋭いままだ。殺しはしないらしいが、捕まってもろくな事にならないのは間違いないだろう。
「足動かせぇ!メ鐘、由紀っち!」
楓の叱咤に二人は必死で走る。勇気を振り絞って後ろを少し振り返ると、ライダーの姿は遠くに離れていた。

―――逃げられる。

そんな考えが脳裏をよぎった時、内臓にまで響き渡るような怒号が鼓膜を貫いた。


「回り込めぇ!!!!!赤兎ぉ!!!!!!!!!!」


爆発するような―――いや、実際に爆発の勢いを持つ土煙が晴れたとき、そこに在ったモノに三人は目を見張った。
巨馬である。
全身に戦車の装甲を思わせるプロテクターを装着していても、筋骨隆々としていることが分かる巨大な騎馬がそこにいた。
その威容を前に動けなくなった三人に、ライダーと呼ばれた武人は悠々と近づいてくる。
「逃れられぬよ。その赤兎は日に千里を駆ける駿馬ゆえ」
そこでライダーはその手を三人に伸ばした。
慌てて飛び退くが、背後には赤兎と呼ばれた馬が退路をふさいでいる。
「こんなん馬じゃねーよ!UMAだよ!まてよ、赤兎……げえっ関羽!!」
楓の絶叫に驚愕したのは由紀香と鐘だった。
「か、関羽ってあの三国志の?」
「彼があの関羽雲長だというのか蒔の字?」
関羽。
武に秀で、学問に通じ、後年は神にまでなった。三国志を、いや、中国を代表する大英雄。
自分達も知っている本物の英雄が自分達を追い詰めている状況には、全員が震えるしか無かった。
ライダーのサーヴァント、関羽は少しだけ嘆息した。
「やはり儂の名は知られておるなあ。まあいい。慎二が色々と知りたいことがあるそうだ」
「良くやったぞ。ライダー」
ライダーの背後からは、見知った知り合いが歩いてくる。その顔は嗜虐と冷酷さが見て取れる。どう足掻いても事態はいい方向へ行きそうに無い。
「まっ、間桐兄!あたしら同じ学校の顔見知りだろ?お手硬くしていいと思ってんのか!?」
「……それ、『お手柔らか』の反対を言ってるつもりか?そんな言葉ねえよ。これは聖杯戦争なんだぜ。勝率を上げるには何でもするに決まってるだろ。ライダー、少し黙らせろ」
「自分で何とかせいと言いたいところだが、まあ仕方ない」
手に余るかもしれんからな、と小さく呟くと、ライダーが手を伸ばした。
「ひっ……」
これが、結末。身体能力は宝具の影響で多少上がったとは言え、元が普通の人間ならば限度はある。
救いをもたらす令呪の存在にも気づかないほど、三人は狼狽していた。



救いなど無い―――普通ならば。


「あら、大陸の大英雄も零落れたものね。武器も持たない相手を嬲り殺し?」


鈴を転がすような少女の嘲り声と共に、黄金の剣を持った若者と、銀の槍を持った戦乙女が顕現する。


この冬木の地は死者が既に無い筈の命を奪い合い、奇跡の釜を求め合う地、『普通』など、最早何処にも存在しない。

セイバーたるシグルドの剣が、ライダーたる関羽の大刀と激突する。
瞬間、灼熱と雷撃がぶつかり合い、周囲の空気を燃焼させた。火に包まれた中で、由紀香達の前に立つ青年は、その火から三人を守るように仁王立ちしている。
「あ、貴男は……」
「一度だ」
呆然と声をかけた由紀香に対し、青年は振り向かずに口を開いた。
「君は俺の主であるイリヤを助けてくれた。一度だけ、借りを返す」
それだけ言うと、青年はライダーとの斬り合いを続ける。
「そういうことよ。えーと、貴女の名前は?」
「えっ?ええと、三枝由紀香です。三枝が名字で由紀香が名前で」
戦闘の傍らを、槍を持った女性と共に悠々と歩いてきたイリヤスフィールに呆気にとられ、由紀香は思わず自己紹介をした。
「なっ、なんだよお前、なんでサーヴァントが二騎もお前に従ってるんだよ!!」
「別に難しい話じゃ無いわ。令呪が二人分と、二人を賄えるだけの魔力があれば、二人のサーヴァントを呼ぶこともできるし、従えさせることもできるもの」
喚くように疑問を吐く慎二に対し、イリヤはあやすように言葉を紡いだ。
慎二はしばし呆然としていたが、何かに気づいたように目を見開いた。
「……お前、本来の令呪の他に、別のマスターから令呪を奪ったのか」
それまで昆虫を見るような目で間桐慎二を見ていたイリヤスフィールが、ほんの少しだけ驚いたように由紀香には見えた。
「失礼ね。令呪はお金を払って買ったのよ。令呪は授かったけど、命のやり取りをする程の度胸も無い魔術師からね」
「ひっ、卑怯だぞ。そんなの!二対一なんて―――」
「まあ、召喚された当初は私も納得しにくかったが」
槍を持った美女が前に進み出た。その槍にはリング状に炎が渦巻いている。
「『敵』に卑怯だの言われる筋合いは無い。覚悟を決めるのだな。お前の聖杯戦争はここで終わりだ」



『敵』
ランサーらしいアインツベルンのサーヴァントが放った言葉は、慎二の中の撃鉄を押し上げた。
冷静になった頭で、その場でする事を考える。
ライダーの援護……できない。自分には魔術が使えない。
敵マスターを狙う……サーヴァントがマスターの近くにいる以上、不可能。
自分自身の防衛……逃げることは、サーヴァントがいる以上難しい。
「赤兎!その小娘を狙え!!」
思考に埋没していた自分を、聞き慣れた大声が現実に引き戻した。
かつては霊獣であり、超軍師の手により改造された巨馬は一瞬で距離を詰め、敵マスターを踏み潰そうとする。
「ハァッ!!」
スレッジハンマーのような蹄を止めたのは、ルーンが彫刻された槍だった。
強大な力を前に、戦乙女は一歩も引く様子は無い。身の丈程もある槍の突きを巨馬に見舞う。
火花が一閃した。
大槍は巨馬の歯で受け止められている。首を狙った一撃をこの英霊馬は口で止めたのだ。
「見事だな。流石は戦場を駆け抜けた駿馬。だが……炎よ(カノケン)!!」
炎を表す意味のルーンは、空気中に灼熱の炎を生み出した。その炎熱を、巨馬はその巨体からは考えられない程の跳躍によって逃れた。
その一部始終を、慎二は見ていることしかできなかった。


セイバーはライダーと打ち合いながら、ランサーと巨馬の戦いを時折見ていた。
ライダーの騎乗物である英霊馬、赤兎馬。一日に千里を駆けるという能力は伊達では無い。
自らの恋人であり、英霊の魂をヴァルハラへ送る戦乙女の槍を受け止める程だ。
「余所見をしている暇があるのか、剣使い!」
ライダーの大刀が、胴を薙ぎ払う。数歩分後退した敵の姿を見て、ライダーは憎々しげに睨んだ。
「宝具か」
「ご名答」
渾身の力で大刀が直撃した胴は、未だに傷一つ付いていない。
それだけではなく、頭部や手首など、ライダーが確かに攻撃した部位にも目立った負傷は見られない。
これ程の防御力は、最早宝具か固有スキルしかあり得ない。ライダーの帰結は当然と言えた。
「だが、儂はまだ宝具は使っておらん。もう一人のサーヴァントは赤兎が止めている。小僧、貴様ごとあの小娘を消し飛ばす程度簡単なのだぞ」
瞬間、セイバーの剣がライダーの首を落とそうと去来するも、それは大刀の一撃で止められた。
「……口ばかり良く回りやがる。二度と俺の前でそのような言葉を吐くな。もう少し長生きがしたければな」
怒気以外の全てをそぎ落としたような声色に、ライダーはふむ、と頷いた。



「慎二!」
「なっ、なんだよ!?」
突然話を振られ、慎二は動揺を隠せずに返事をしてしまった。
「そろそろ宝具を使うが、何か問題はあるか?」
あの傲岸なサーヴァントが自分に対し、宝具使用の意見を求めていることに驚いたが、ライダーはセイバーと、ランサーは赤兎馬と、それぞれ拮抗状態に陥ったこの状況では宝具の使用が一番では無いかと確かに思う。
「よ……よし。ライダー宝具を―――」
「兄さん、だけどこんな昼間に宝具を使った……ら……」
桜の咎めるような声を無視しようとしたが、その視線がある一角を凝視したまま動かないことに気づく。
「あ……あ……」
呻くように言葉を発しようとしている桜の視線の先を見た。


「慎二、これは一体どういうことなんだ」


知り合い―――衛宮士郎がそこにいた。