Chapter1 Early Morning I




早朝――

市街地から数キロ離れた郊外の森。
柔らかな陽光と、鳥達のさえずりに満たされた静寂の空間。
ここは、広大な森林公園の中央付近に位置しながら、地形的要因から半ば捨て置かれた領域だ。
日中に公園を利用する市民は多いが、ここに足を踏み入れる者は極めて稀。
ましてや早朝とあっては近付く者などあるはずもない。

その一角、少しばかり開けたところに奇妙な人影があった。

古き時代の騎士を思わせる鎧。
素顔を覆い隠す白羽の兜。
使い込まれながらも手入れの行き届いた槍。
不規則な輝きを放つ神秘的な盾。

――まさしく、騎士。
騎馬こそ伴っていないものの、ここが中世の欧州だと錯覚させうるほどの威容であった。

「…………」

騎士はおもむろに周囲の木々を見渡した。
そして、凛とした声を響かせる。

「いつまでこうしているつもりだ。遠慮せずに攻めてこい」

兜越しの声は篭っていて、老若男女の判別がつきにくい。
だが、声の主の精強さを知らしめるには充分過ぎた。

「よもやこの私を恐れたわけではあるまい?」

鳥が一斉に飛び立つ。
羽ばたきの音に紛れるように、数名の兵士が木の陰から姿を表した。
数は四人。騎兵が一騎と歩兵が三人。
いずれも亡霊じみた気配を纏って――


――否。彼らは紛れもなく亡霊であった。


「ようやく出てきたか」

数の上では圧倒的に不利だというのに、騎士の声色に恐れはない。
亡霊騎兵が手綱を強く握り、騎馬を駆けさせる。
輝く盾の騎士と亡霊の距離はたかだか十数メートル。
騎兵の突撃ならば瞬く間に詰められる距離だ。


「正面切っての突撃を選んだ覚悟は見事。だが、遅い!」

亡霊騎士の繰り出した槍が宙を切る。
輝く盾の騎士は巧みに身をかわし、槍の先端で亡霊騎士の胸を突いた。

次の瞬間。
亡霊の駆る馬が、凄まじい衝撃を受けたかのように傾き、内側から弾けて霧散した。

輝く盾の騎士が突いたのは騎兵の方だ。馬には指一本触れてはいない。
だが、騎士の繰り出した一撃は、騎兵のみならず騎馬までもを破壊した。
これが尋常な攻撃であるはずがない。

「使役された亡霊では話にならん」

輝く盾の騎士は槍を横に振るい、百舌の早贄のように突き刺さっていた亡霊騎兵を投げ捨てた。

「"サーヴァント"自身が出て来なければ、私を討つことなどできんぞ」

そう告げるや否や、亡霊兵士達は大気に解けるようにして消えていく。
騎士を囲む三人の歩兵も、今しがた打ち倒されたばかりの騎兵も。
残された騎士は、暫し周辺を警戒していたが、やがて落胆の息を吐いた。

「退いた、か。……残念ね。サーヴァントの一騎でも脱落させようと思っていたのに」

騎士が兜のバイザーを上げると、美しい目元が露わになる。
聖杯戦争への召喚に応じ、ランサーのクラスを得て現界したサーヴァント。
輝く盾の騎士――その名はブラダマンテ。

「先日のサムライといい、今回の聖杯戦争には臆病者しか召喚されていないのかしら。
 それにしても……亡霊を操るということは……キャスター、それもネクロマンサーの類ね」

騎士物語に明るい者であれば、女騎士と聞いただけで即座に彼女を思い浮かべることであろう。
十二勇士のひとりルノーの妹にしてシャルルマーニュ大帝の姪。
敵軍の騎士と恋に落ち、数々の冒険の末に結ばれ、エステ家の祖となった英雄である。
たかが亡霊程度ごときが討ち果たせる相手ではなかったのだ。




――ところで。
サーヴァントとしての召喚に応じた以上、彼女にも聖杯戦争に参加する目的があるはずだ。
聖杯の力で叶えたい願い。死闘を渇望する闘争本能の充足。胸に抱く動機は様々だ。
そして、彼女の場合は――


「ああ、愛しいロジェロ……もう少しだけ待っていて」

先程までの凛々しさは何処へ消えたのか。
ランサーは切なさに潤んだ瞳で空を見上げ、ここにはいない夫の名を呼んだ。

「聖杯さえ手に入れたなら、貴方と私はもう一度ひとつになれる。
 この時代で共に生きることができるの……!」

――ランサーことブラダマンテの願い。
それは、裏切り者に殺された夫ロジェロを蘇らせ、受肉した肉体で第二の生を送ること。

ブラダマンテとロジェロの恋路は困難と障害に覆われていた。
魔術師アトラントの妨害。魔女アルシナの誘惑。皇太子レオの求婚。
その全てを乗り越えた先に待っていたのは、悲しき死別。
本来であれば、そこで二人の愛は終わるはずだった。

しかし、聖杯の奇跡があれば。
克服することができないはずの終焉が、克服可能な『障害』へと姿を変える。

それに気付いた時、ブラダマンテの心は救われた。
困難ならば幾つも打ち破ってきた。
障害ならば幾つも乗り越えてきた。
聖杯戦争もそのひとつ――愛を掴むための冒険なのだ――!




"聖杯戦争は愛する者を得るための戦いだ"――研ぎ澄まされた直感が導き出した、奇跡的とすらいえる思考転換。
これは彼女自身も知らぬ間に、とある副次作用を生じさせていた。

ランサーのサーヴァントとしてのブラダマンテは、3つの固有スキルを保有している。
これらのうちの一つ「蛮勇」スキルは、その状況にロジェロが絡んでいるか否かが発動条件となっている。
そして今、ランサーは聖杯戦争自体をロジェロのための戦いと認識しており――

「こうしてはいられないわ! 一刻も早く他のサーヴァントを倒して、聖杯を手に入れないと!」

――蛮勇スキルは常時全開。ただひたすらに向こう見ず。
恋する乙女の暴走はバーサーカーすら道を譲る。
亡霊兵士の存在など、とっくの昔に思考から弾き出されていた。


故に、彼女を観察する者の存在になど、到底気付くはずもなかったのである。


――――Chapter1 Early Morning I END



Chapter2 Early Morning II




「うーむ、鎧袖一触とはあの事だな。全く相手になってねぇ」

ランサーが亡霊兵士を退けたのと同時刻。
森林公園で最大の大樹の梢で、髭面の男がぼやいた。
細かにカールした髪と髭、そして彫りの深い顔立ちは、彼が日本人ではないことを如実に示している。

「流石の三騎士クラスってところかね、やっぱ」

男は太い枝に腰掛けたまま双眼鏡から目を離した。
左目は布で隠されているので、左側のレンズは意味をなしていないのだが、それを気にしている様子はない。

「バルカ師、何か分かりましたか」

男の隣に座っていたもう一人の男が、遠慮気味に話しかける。
こちらも日本人とはかけ離れた顔立ちだが、髭面の男とは人種が違う。
高い鼻。短く刈り揃えられた金髪。小さな眼窩に収まった碧眼。
両者の背丈は同じくらいだが、こちらの男の方が体格的には大柄だった。

「おいおい、その呼び方はおかしいって言っただろ?」

髭面の男――ライダーのサーヴァント、ハンニバル・バルカは呆れたように言った。

「俺はサーヴァントであんたはマスター。ここんとこ間違えちゃいけねぇよ。
 第一、真名の秘匿ってセオリーがあんだろ。隻眼かつバルカ姓って言ったら俺しかいねぇじゃねぇか」

しかし、もうひとりの男の返答はなおも愚直。

「Yes, Sir。しかし、やはり違和感が拭えません」
「……ま、マスターがそう呼ばせろっていうなら文句は言わねぇけどさ」

ライダーのマスターの言動は魔術師と言うよりも軍人のそれだ。
事実、彼は純粋な意味での魔術師ではない。
どちらかと言えば、魔術師の血を引いた軍人、という表現の方が正しいだろう。
ライダーの召喚に用いられた触媒も、このマスターが真っ当な魔術師ではないことを如実に表している。

それは何と、ライダーの代表的戦術たる包囲戦術を教材として記載した、陸軍士官学校の教本であった。

確かに現代の軍事教本は、ライダーの戦術が二千年以上の時を経てなお輝きを失わないことを証明している。
ある意味、掘り返されるまで存在を忘れられていた発掘品よりも、本人との繋がりが強い品なのかもしれない。
しかし、いくらなんでも聖遺物の代わりにそれを触媒にしようなど、真っ当な魔術師の考えることではない。
……そんな触媒で召喚に応じるライダーもライダーなのだか。

「さて。あちらさんの様子はっと」

ライダーは再び双眼鏡を覗き込んだ。
レンズ越しの視界には鎧姿のランサーのサーヴァントが大写しになっている。
兜のバイザーを上げているようだったが、ライダーに背を向けているので、顔までは確認できない。

「ふぅむ……これ以上の情報は得られそうにねぇな」

両者の距離は数百メートル程度。
サーヴァントの視力であれば、わざわざ双眼鏡に頼らずとも良い距離だ。
しかし、ライダーはマスターが持っていた双眼鏡をいたく気に入り、あえてこれを使い続けていた。
戦術家であるが故に、斥候の能力を強化し、なおかつ大量生産可能な装備に興味を持ったのか。
それとも、初めて使う道具を楽しんでいるだけなのか。


「マスターよ、ランサーをどう見る? あんたも双眼鏡で見てただろう」
「はっ。やはり英雄豪傑というだけあって凄まじい身体能力かと」
「そんなのは分かりきってんだよ」

ライダーは走り去っていくランサーを見やりながら言葉を続けた。

「恐らく、宝具は最低でも二つある。ひとつは盾。多分、あの光には目眩ましの効果があるんだろうな。
 この距離からでも直視しにくくて仕方ねぇ。撤退させた兵に訊いて、視覚妨害を感じていたらほぼ確定だ」
「となると、もうひとつは槍でしょうか」

マスターの問いに、ライダーは頷き返した。

「ああ。兵を刺したら馬が砕けるなんてシロモノだ。普通の槍なわけがねぇ。
 騎乗物を確定でぶっ壊すなら間違い無く騎乗兵(ライダー)殺しの宝具だが……」

二人が物見台とする大樹の下で、四脚の巨体が"鼻"を掲げた。

「肝心のライダーが俺だったのは不幸だな」

戦象――
体長は六メートルにも達し、数トンもの重量で大地を駆ける、人類史上最大の動物兵器。
ハンニバルがアルプス越えに率いた三十七の戦象は、その偉業ゆえに英霊の格にまで高められている。

彼らの召喚と使役こそがライダーの宝具のひとつ――"崩落する峻嶺(アルプ・スルス)"である。

そして、これらの戦象はその地に彷徨う亡霊を兵士として従える力を持つ。
先の戦いでランサーと戦った歩兵と騎兵がそれだ。
三十七頭の戦象。亡霊の数だけ増える軍勢。
如何に騎乗兵殺しのランサーといえど、これだけの数を殺し尽くすのは容易ではあるまい。

「だがまぁ、懸念がないってわけでもねぇんだが」
「懸念と申しますと」
「そりゃあんた、アレだよ」

ライダーは双眼鏡の角で額を掻いた。

「真名解放だ。さっきは何も言わずに使ってたみたいだが、ランサーの宝具が常時発動型だけだとは限らねぇだろう。
 もしかしたらとんでもない隠し玉を用意してるかもしれねぇ……そう考えて動いた方が損失を抑えられる」
「……真名、解放……」

マスターは言い慣れない単語を喋るように、ライダーの発言を反復した。
事実、このマスターにとっては身近ではない言葉なのだろう。

「対サーヴァント戦の戦略(ストラテジー)と戦術(タクティクス)についてはバルカ師にお任せします。
 史上第三の指揮官が下す判断であれば、これ以上の命令はありえません」

マスターの発言にはサーヴァントに対する全幅の信頼が込められていた。
それは己が使役する下僕の性能に抱く信頼ではない。
軍事に携わる者として、偉大なる先人に捧げる混じり気のない尊敬の現れだ。
ところが、ライダーはそれを聞くなり、顔をしかめて髪をボリボリと掻き始めた。

「え、まさか史上第三って俺がスピキオの奴に言ったセリフ?
 うっわ、マジで? 二千年経っても残ってんの? 死にてぇ」

ハンニバル・バルカは人類史においても屈指の指揮官である。
故にその戦術は悠久の時を経て伝えられ。
その言葉は深い意味をもって人々に受け継がれる。

……たとえ、その真相が単なる負け惜しみであったとしても……


――――Chapter2 Early Morning II END



Chapter3 Midday I




紙袋を抱えた小さな少年が、人気のない坂道を下っていく。
袋の中身は雑多な品物の数々だ。
新鮮な野菜や果物から、保存の効くカップラーメンやカレールゥ。
たまたま安売りをしていたアルミホイルまで顔を覗かせている。

「まったく。人使いが荒いなぁ」

お使い帰りの小学生にしか見えないこの少年。
彼がアーチャーのクラスを得て現界したサーヴァントであると、一体誰が気付けるというのか。

「……聖杯戦争ってこういうのだっけ?」

アーチャーは袋の中身をこぼさないようにしながら、ゆったりとした足取りで坂を歩いてる。
通常、敵サーヴァントとの戦闘が無い場合、サーヴァントはマスターの護衛や偵察に従事するものだ。
なかには勝手気ままに動く輩もいるだろうが、それはサーヴァントの性格に問題があるといえる。
こんな雑用――それも魔術と無縁なことを命じるマスターなど、そうそういるわけがない。

「大丈夫かなぁ、マスター」

それでも、アーチャーはマスターを疑いもせず、むしろその身を案じてすらいた。
疑いを知らぬ素直な少年――
アルスター神話のコンラという英雄を、これ以上的確に表す表現はないだろう。
どれほどの刺客を送り込まれようと、会ったこともない父との誓いを頑なに守り続けた、若すぎる戦士。
彼にとって、マスターの選択を拒絶するなど最初から思慮の外。
たとえそれが自身の破滅に繋がるとしても、その結末を自然体のままで受け入れるに違いない。

「……おっと、人が来た」

アーチャーは道の向こうから近付く通行人の気配を察し、進行方向を斜めにずらした。
アーチャーが抱える紙袋は視界を塞ぐほどに大きい。
だが、彼の生まれ持った危険予知能力をもってすれば、この程度の視覚妨害は問題にもならなかった。
道を譲り、通行人とぶつからないようにすれ違い――


「――――ッ!」


――第六感というより他にない。
アーチャーは反射的に身体を捻り、曲芸じみた側転で距離を取る。
その刹那、薄い片刃の切っ先がアーチャーの鼻先を掠めた。

「くっ……!」

卓越したバランス感覚を発揮し、袋の中身をこぼすことなく着地する。
姿勢は重心を低く。視線は刃を振るった男の方へ。

「残念。外しちゃったか」

ただの通行人かと思われた男の手には、細身かつ片刃の刀剣が握られていた。
男は現代人と同じ服を纏い、黒い長髪を背に靡かせ、にこやかに目を細めている。
背丈はアーチャーよりも十五センチほど高い程度。
人のことを言える立場ではないが、どちらかと言えば矮躯の部類に入るだろう。

だからこそ、この男は脅威だ――アーチャーは瞬時にそれを悟った。

体格的に恵まれていれば、それだけで一定の強さを得ることができる。
逆に、小柄な者が戦士として英雄の域にまで登り詰めるには、単純な力以外の何かが必要となる。
一騎当千の父に近付くため、ありとあらゆる技術を修めた自分のように。
すなわちこの男にとって、先ほど見せた奇襲は数ある技の一つに過ぎないはずなのだ。

「物騒だなぁ。聖杯戦争って真夜中にやるものじゃないんですか?」



アーチャーは男から視線を逸らさないように気をつけながら、紙袋をそっと地面に置いた。

「あはは。素直でいいね」

男は屈託のない声で笑った。
奇襲を回避された悔しさを微塵も感じさせない態度だ。

「だけど、こういうのはバレなきゃいいのさ。
 神秘の秘匿とやらが目的なら、人目にさえつかなければ、白昼堂々でも問題はないだろう?」

爽やかさすら感じさせる笑顔を向けられ、アーチャーは警戒を抱かずにはいられなかった。
この男がサーヴァントであることに疑いの余地はない。
クラスはセイバーか、或いはアーチャー自身と同じく刀剣をサブウェポンとする別のクラスか。
いずれにせよいきなり宝具を晒していい場面ではないようだ。
アーチャーはそう判断し、もう一つの得物である片手剣を出現させた。
こちらの武装も、刀身に刻まれたルーンから出自が割れる恐れはあるが、宝具を知られるよりはずっといい。

「お、やる気だね」

男が太刀を構えようとする。
アーチャーはそれよりも疾く踏み込み、横薙ぎの一撃を繰り出した。
――が、その刃は滑るように動いた薄刃の刀に凌がれる。

「っ――――!」
「――――おっと」

強度で防がれたのではない。
剣の側面に刀の鎬を触れさせて、軽く力を加えることで巧みに受け流したのだ。
アーチャーは間髪入れず刃を返す。
二撃、三撃、四撃、五撃。
回数を重ねるごとに勢いを増す斬撃は、しかし回数を重ねるごとに精度を増す剣捌きに流される。
ここに至って、アーチャーは初めて男から距離を取った。

(……おかしい。何か、違和感がある……)

確かに男の技術は目を見張るものがある。
しかしそれだけでは、この異常な凌ぎ方の説明がつかない。
――思い返せば、最初の一撃。
あのとき男は『斬撃を凌いでから、攻撃されたことに気付いた』ように見えた。
いや、一手目だけではない。
アーチャーの人並み外れた動体視力は、先ほどの攻防で男が反応しきれなかった瞬間を何度も捉えていた。
この直観が正しければ、男の武器――宝具の力は――

「子供かと思いきや、凄まじい豪剣じゃないか。完全に力負けだ。
 それじゃあ……次は防御の腕前を見せてもらおうか」

彼我の間合いはサーヴァントであっても三歩を要する距離。
だが、男の流れるような歩法は、その間合いをただの一歩で詰め切った。
流れる剣閃。弧状の光とも錯覚しうる斬撃が、無防備なアーチャーの脇腹に食い込んだ。

が、それだけだった。

刃は確かに食い込んだ。
しかし、エイワズのルーンによって護られた肉を断つことはかなわず、着衣に切れ込みを入れるに留まっていた。

「こいつは……ッ!?」

男の顔から初めて笑みが消える。
エイワズ。イチイの木。死と再生、そして防御のルーン。
紙袋を道路に置いたとき、アーチャーは予め右脇腹にエイワズのルーンを記していた。
万が一攻めあぐねた場合は、ここにわざと隙を作って攻撃を誘い、反撃の機会を得るために。
そして今、もうひとつのルーンを刀身に記し終える。


「――――ラグズ」

それは車輪を表す移動のルーン。
引き出す力は、加速。

「はぁッ――――!」

神速の刃が振り下ろされる。
使い手の意志に関わらず動く刀ならば、それすらも凌駕する速度で断てば良い。
回避も防御も成し得ぬ絶対の一撃。
それは狙い過たず男の脳天を襲い――空を切った。

「っ!」

切っ先がアスファルトを掠め、数メートルに渡る断層が道路に刻まれる。

「消えた……いや……」

アーチャーの動体視力はその瞬間をしっかりと捉えていた。
刃が触れるか否かの一瞬、男の足が僅かに動いたかと思うと、目の前から男の姿が掻き消えたのだ。
残像すら見えぬ瞬間的回避。
移動の過程がまるで捉えられなかったということは、過程を飛ばした空間移動の類か。

「へぇ、あんなことも出来るのか。日の本の呪術じゃあないね」

後方から飄々とした声が聞こえた。
振り返ると、あの男が坂道の左右を囲む高い塀の上に立ち、刀を無造作に提げたまま黒髪をなびかせていた。
アーチャーは不満気に目を細め、男に視線を投げた。

「驚いたのはボクの方だって。今の何? 瞬間移動?」
「秘密。詳しくは想像にお任せするということで」

相手が戦意を失ったことを悟り、アーチャーも追撃を諦める。
あの瞬間移動らしき能力がある以上、逃げに徹されてしまえば攻撃のしようがない。
宝具を使えば仕留められるかもしれないが、正体を晒すリスクの高さを考えれば避けたい選択肢だ。

「それじゃ、今日のところは御暇させてもらうよ」

そう言い残して、男は塀の向こうへ姿を消した。
追いかけても無駄だろう。奴は既にアーチャーの手の届かぬ場所へ去っているはずだ。
周囲が静寂を取り戻したことを確かめ、アーチャーは剣を消し、紙袋を拾い上げた。

「……手の内、少し見せすぎちゃったかな。
 セイバーだと間違えてくれてたらいいんだけど」

アーチャーが見せた手の内は剣技とルーンの二つ。
出身地と生きた時代の推測こそされたかもしれないが、流石にクラスまでは見抜かれていないだろう。
逆に、今回の戦いで得られたものも多い。
瞬間移動能力を持つサーヴァント。本人の意志に関わらず動き、使い手を守る刀。
これらの情報は貴重だ。彼のクラスが何であろうと、厄介な相手であるのは間違いない。

「後でマスターにも伝えておかないと。……これでもうちょっと用心深くなってくれないかなぁ」

瞬間移動を駆使してマスターを狙われたら、流石に守り切れないかもしれない。
後をつけられないように、ちょっとだけ遠回りをして帰ることにした。




――Chapter3 Midday I END



Chapter4 Midday II




昼下がりの閑静な住宅街。
晴れ渡る空からは燦々と日が注ぎ、地上をほどよく暖めている。
その光を避けるように、物陰に身を隠す影ひとつ。

「――――ああ。手筈通り、四騎目と会ってきたよ」

アーチャーとの交戦を終えた暗殺者(アサシン)のサーヴァントは、携帯電話という文明の利器を手に、己のマスターとの連絡を取っていた。
身の丈五尺程度の体躯に女と見まごうばかりの長髪。
現代風の衣装を纏ったその姿からは、戦場における彼の姿は想像もできないだろう。

「もちろん。首尾よくやり遂げたさ。確認できた武装は両刃の片手剣。
 それと、確かルーン文字っていうんだったかな。文字を書いて発動する"まじない"も使えるみたいだ」

規格外の神秘たるサーヴァントと、魔導の体現者たる魔術師。そして両者を繋ぐ現代文明の産物。
見る者が見れば目眩すら覚える光景だろう。
しかし彼にとって、そんな常識は大した価値を持たない。
便利ならば使えばいい。有効ならば実行すればいい。しがらみに縛られた制約など邪魔なだけ。
千年の過去に生きながら、時に現代人すら上回る非情な合理主義――
それがこのアサシンという英霊の本質なのだ。

「ん、四騎目はセイバーだったのかって? そう考えるのは早計だね。
 聖杯戦争が始まってまだ間もない。本命の攻撃手段を隠していたとしても、おかしくはないさ」

少なくとも自分が彼の立場ならそうしていた――アサシンは心の中でそう付け足した。

「それじゃあ、報告な詳細は帰ってからにしよう」

通話を切り、携帯電話をポケットにしまい込む。
召喚から今日に至るまでの間に、アサシンは四騎のサーヴァントとの邂逅を重ねてきた。

見るからに騎士然とした佇まいの槍使い。
亡霊を従えた隻眼の指揮官。
背だけひょろ高く、武術の心得があるとは思えない男。
そして――ルーン使いの少年剣士。

彼らのうち二騎を観察し、残る二騎と刃を交えた。
通常であれば、暗殺と諜報を意義とするアサシンでありながら、他のサーヴァントと直接交戦するなど論外だ。
しかし、彼の場合は少しばかり事情が異なる。

「……さて。これであの少年の技も『見切った』わけだ。
 それにしても、ルーンの加速を乗せた一撃か。……八艘飛びの秘技を晒すだけの価値はあったな」

アサシンが保有するスキル――"見切り"
このスキルは一度相まみえた敵と戦うとき、回避に補正を得ることができるというものである。
暗殺者のクラスで現界していながら、あえて危険を冒してまで直接的に刃を交えた理由がこれだ。
"見切り"と宝具『薄緑』の力を複合させれば、一度でも戦った者の剣は脅威足りえなくなることだろう。

「ま、それでもようやく五分ってところかな」

アサシンは目を細めて笑った。
遂に宝具を使うわなかった少年に対し、こちらは宝具とスキルを駆使してようやく食い下がっていた。
いくら見切りの真価が発揮されるようになったとはいえ、その優位は剣戟のぶつけ合いに限られる。
相手の宝具次第では全く意味を成さなくなってしまうのだ。

それでもなお、アサシンの目は勝機を捉え続けている。

かつて身を置いた戦場には、自分より強い武士など掃いて捨てるほどいた。
むしろ個人の戦力でいえば下から数えたほうが早かったに違いない。
だが、彼は勝利を重ねてきた。
奇襲を繰り返し、崖を駆け降り、嵐を越え、兵でない者すらも殺して。
掟破りと責められようと。卑怯者と罵られようと。
ただひたすらに勝ち続けた。

「――此度の戦も、同じようにやるだけさ」

アサシンは嗤った。
来るべき闘争を楽しむ笑顔か。それとも自嘲の笑みなのか。
目を細めた笑みの裏にある感情は、彼自身にしか分からない。




――Chapter4 Midday II END



Chapter5 Dead of Night I




魔力光の照明が、冷たい地下室を淡く照らしている。
床に描かれた魔法陣と、古風で綺羅びやかな剣を乗せた祭壇、折り重なる三人の影。
地下という環境も相成って、寒々しさを感じずにはいられない光景だ。

「さぁ! 早くサーヴァントを召喚しなさい!」

ヒステリックな女の声が反響する。
女は令呪が刻まれた左手を大袈裟に振るい、足元に蹲る少女を執拗に蹴りつけている。
薄暗い光に照らされたその顔は、まさに悪鬼のよう。
本来なら美貌とも呼ばれうる顔立ちは苛立ちに醜く歪んでいた。

「戦うなんて……嫌、で……す」

少女は魔法陣の端で蹲り、両手で頭を庇いながら、女の暴力に耐え続けていた。
その右手の甲には、女と同じく三画の痣――資格者の証たる令呪が浮かんでいる。

「まだそんなことを! いい? あなたはそもそも――!」
「我がマスターよ。それくらいにして貰えないか? 声が地上にまで届いてきて、妻が怯えている」

そう口を挟んだのは、古代ギリシャ風の胴衣(キトン)と外套(ヒマティオン)を纏った青年であった。
屈まなければ地下室の扉を潜れないほどの長身だが、武人のような雰囲気ではない。
むしろ貧相の謗りを避け得ない体格といえる。

「黙りなさい、キャスター! 元を辿れば、あなたなんかが召喚に応じたせいなのよ」

キャスターのマスターが用意した触媒――
それは女神アプロディーテを祀る神殿の遺跡から無断採取した柱の断片だった。
無論、神を召喚しようとしたわけではない。
まかり間違って召喚を果たしたとしても、美の女神では何の役にも立たないだろう。

彼女が狙っていた英霊は、トロイア戦争の英雄にしてローマ建国の祖、アイネイアスだ。

ギリシャ神話に数多く存在する半神の中でも、アイネイアスはアプロディーテを母に持つ珍しい英雄である。
主神ゼウスや海神ポセイドン、軍神アレスを父に持つ英雄は多いが、アイネイアスはその意味で例外的。
故にアプロディーテゆかりの品を触媒に使えば、息子であるアイネイアスが召喚されるはず――そう考えたのだ。
ところが――

「どうして戦う力もないあなたが聖杯戦争に首を突っ込んだの! ピュグマリオン!」

キャスターのマスターは逆上し、己のサーヴァントを罵り続けた。
アプロディーテの聖地キプロス島を治めた王、ピュグマリオン。
生身の女に絶望し、自ら作製した理想の女の像を愛し、アプロディーテの慈悲により生を得た彫像を妻に迎えた男。
確かにアプロディーテと縁深い人物だが、聖杯戦争のサーヴァントとしては不適合甚だしい。
まともな魔術はまるで使えず、得意分野の『創造』も戦闘面では殆ど役に立たない。
無理やり武器を作らせたところで、使う者が弱小では何の意味もないのだから。

「聖杯に託す願いは前にも説明しただろう?
 ガラテアがゼウスに拐かされたなどという、事実無根の伝承をこの世から抹消するためだ」
「ええ、それは聞いたわ。だけど事実無根なんでしょう。聞き流せばいいだけじゃない!」

女魔術師の苛立ちの矛先は、いつの間にかキャスターへと向けられていた。
その間に少女は床を這うように後退り、祭壇に背をぶつけた。

「そんなこと出来るものか! これは妻の名誉の問題だ!」
「問題外ね! 理解できないわ」


サーヴァントとマスターの言い合いは既に口論にまで発展していた。
キャスターの価値観は逸脱しており、軽度の精神汚染の域にまで達している。
常人と理解し合うなど土台からして不可能なのだ。

「ああ、そうだとも! 歴史の影に潜んで生きる魔術師には永遠に理解できないさ!
 ありもしないデタラメを、平然と付け加えられる我々の気持ちは!
 こういうものはね! 可能性を生み出しただけでアウトなんだよ!」

キャスターは地下室の壁を殴り、不機嫌そうに黙り込んだ。
女魔術師は精神的疲労を吐き出すように溜息をつき、怯える少女へ向き直った。

「ひっ……!」
「ねぇ、いいことを教えてあげる。あの男が私のサーヴァント、キャスターよ。
 彼の宝具は『魂息吹く愛の虚像(キプロゲネース)』と言って、彫像に命を吹き込むことができるの。
 キャスターの道具作成スキルも強化されていて、資材さえ用意できれば宝具や令呪すら生み出せる――」

先程までと打って変わって、女魔術師は優しい声色で語りかけている。
しかし、少女はこれまでよりも更に怯え、焦点の合わない目で女魔術師を見上げていた。
この声色は慈愛から来るものではない。
存在のレベルが圧倒的に低いモノを見下す、憐憫から生じた優越感。
少女はそれを理解してしまったのだ。

「あ、あ……」
「これを見なさい。令呪が一画減っているでしょう」

女魔術師は左手の甲を少女に見せた。
三画で構成されるはずの令呪が、今は二画。
確かに一画消費されている。

「あの男、私が命じたモノを造りたがらなかったから。令呪で強制したの」

にこり、と笑みが作られる。

「『マスターの資格を得た魔術師』を造れってね。だからあなたに拒否権はないのよ、お人形さん」

少女の顔が絶望に染まる。

「ち、ちが……私は、にんげ……」
「いいえ、これは真実よ」

女魔術師は平然と髪を掻き揚げた。
マスターとして充分な量と質の魔術回路を持つ魔術師を『マスターの資格込みで』造るなど、常識では考えられないことだ。
条件を満たす人造人間(ホムンクルス)でも用意し、運良く聖杯に選ばれるのを期待する方がまだ容易かもしれない。
しかし、彼女らの行為はマスター選定への割り込みであり、聖杯戦争というシステムへの介入に他ならなかった。

このような反則行為は、本来であればサーヴァントのスキルと宝具をもってしても困難の極みである。
それこそ神代の大魔術師でもなければ成し得ないだろう。
だが、そこに令呪の強制力を上乗せすれば、それすらも実現可能な奇跡となるのだ。

正規マスターが召喚するはずのサーヴァントを、人造の僕に召喚させる――
この計画が成功すれば、キャスターの弱さを補って余りある戦力を得ることができるだろう。
けれども、それすらも順調にはいかなかった。

「恨むならキャスターを恨みなさい。
 令呪で強要されたことへの意趣返しかしらね。あの男、性格までは指定されなかったなんて屁理屈をこねたのよ。
 だからあなたは人形の自覚もないし、聖杯戦争に参加しようという意志すら持ってない――要は失敗作なの」

女魔術師は怯える少女の頭越しに腕を伸ばし、祭壇に置かれた豪奢な剣を手に取った。
その後ろで、キャスターが抗議の声を上げる。



「失敗作だと? 心外だな。久々に会心の出来だったのだが。
 彼女が自分を人間と疑っていないのがその証左だ。ガラテアには及ばないが傑作だぞ」
「出来はどうあれ、顧客の注文を満たせないなら失敗作でしょうに」

女魔術師は剣の鎬を指でなぞった。
この剣は、最優たる剣の英霊セイバーを召喚する確率を高めるために用意されたものだ。
現状、新たな聖遺物を用意できる目処は立っておらず、触媒なしでは臆病者の少女と似た英霊が召喚されかねない。
それを防ぐため、苦肉の策としてキャスターに造らせたものであり、それ故に彼の趣味を反映した装飾過多なものとなっている。

無論、これは効果があるかどうかも分からない措置である。

この剣はあくまで気休め。お守り程度のモノでしかない。
剣を置いた程度で確実にセイバーを指名できるなら、苦労して聖遺物を求める必要など最初からないのだから。
せめて英雄の剣の贋作でも造らせたいところだったが、オリジナルを知らなければ贋作の造りようがなく、諦めざるを得なかった。
しかし――今は別の用途に役立ちそうだ。

「あなたは失敗作だけど、造り直させる時間も資材もない。急がないと本物の七人目が召喚の儀式を始めてしまう……
 だから今すぐサーヴァントを召喚してくれたら丸く収まるんだけど……」

女魔術師は怯える少女を見下ろしながら、怜悧な刃を撫でた。

「どうしても拒むというなら、その腕を切り落として令呪を私に移植するまでね。
 召喚権を得られるかどうかは分からないけど、令呪の補充が出来るだけでも良しとするわ」
「い、嫌……!」
「諦めなさい。あなたはキャスターの宝具の産物。キャスターが消えればあなたも終わりよ」

これは嘘だ。キャスターが造った物が、キャスターの消滅後にどうなるかは確証が取れていない。
恐怖心を植えつけて召喚に同意させようという算段だったが、それでも少女は首を立てには振らなかった。
――なるほど、製作者が傑作と太鼓判を押すだけのことはある。
この程度で揺らぐような人格ではないようだ。

「さぁ、その令呪を頂きましょうか。お人形さん」
「私、は……人形じゃ、ない……! 誰か……誰か、助けて!」

引き裂くような叫びが響く。
悲痛な訴えに応えるかのごとく、それは起こった。

「――――これは! いかん、マスター! 離れろ!」

最初にその異変に気が付いたのはキャスターだった。
大気中の魔力が急激に励起され、床面の魔法陣が光り輝く。
迸る閃光。暴風が逆巻き、爆発的な風圧が女魔術師を魔法陣から弾き飛ばす。
豪奢な剣がその手から離れ、旋風に弄ばれながら、陣の中央へと落下する。
――その柄を、何者かの手が掴み、受け止めた。

「君の切なる願い、確かに届いた」

軽やかな斬撃が白煙を断つ。
視界を塞ぐ煙が消えたことで、女魔術師はようやく状況を理解した。
朗々たる声。揺るぎなき意志を湛えた瞳。
王者の威容を備えた青年が、少女を守るように立ちはだかっていた。

「安心しろ。君自身がそう願う限り、君は間違いなく人間だ」

青年は肩越しに振り向き、柔らかな笑みを少女に送った。
まさしく、それは少女が望んでいた言葉。
そのたった一言で、少女の胸には青年への信頼が生じつつあった。

「ふ、ふふ……やればできるじゃない」



女魔術師は動揺に頬を引きつらせながらも、抑えきれぬ歓喜を漏らした。
追い詰められた者の望み――掛けられたい言葉を即座に察し、すかさず与えるという人心掌握術。
召喚直後の僅かな時間で、これほど鮮やかに人心を掴んでみせたのだ。
名の知れた王者であることは疑いようもない。

「名乗りなさいサーヴァント。あなたのクラスと真名は――」

その瞬間、鋭い切っ先が女魔術師の鼻先に突きつけられた。

「ヒッ……!」
「俺は"彼女"の声に応えるため、召喚に応じたのだ。貴様に命じられる謂れはない」

放心し、崩れ落ちる女魔術師。
己のマスターの自業自得とも言える窮地を見て、キャスターは呆れの表情を浮かべ、代わりに青年の前に立った。

「名も知らぬ者よ。さぞ名のある王とお見受けした。
 私はキプロス王ピュグマリオン。此度の聖杯戦争ではキャスターのクラスを得て現界している」

朗々と口上を述べるその様は、マスターと醜く言い争っていたときとはまるで別人のようだった。
それもそのはず、たとえ狂気に片足を踏み入れていようと、彼もまた王として一つの島を治めた身なのだ。

「我がマスターに憤りを覚えるのはもっともなこと。しかし、現状に至るまでには複雑に込み入った事情があるのだ。
 そのことについて話す席を設けるゆえ……今は剣を収めていただけないか」

ややあって、青年は女魔術師に突きつけていた剣を下ろした。

「貴君のご厚意痛み入る。私はセイバーのサーヴァント――ペルシア王キュロス」

セイバーの名乗りは、自ら正体を明かしたキャスターに向けられたものだ。
彼のマスターには召喚と同時にすべての情報が行き渡っており、女魔術師にはもはや一瞥もくれてはいない。
もはや存在を無視された女魔術師は、胡乱な目で呆然と呟いた。

「キュロス……ペルシアの"諸王の王(シャーハンシャー)"……か……」

人類史上五指に入る破格の征服者にして、異教徒でありながら旧約聖書において救世主と称された解放者。
かの征服王イスカンダルも、この大王が成し遂げた偉業に敬意を抱いていたという。
武勇を誇る『戦士』ではなく国を治める『為政者』に限れば、紛れもなく最上級の格を持つ英雄だろう。

「名乗りも済んだ。それでは地上へゆこうか。我が美しき妻も紹介したい」
「了解した。……さぁ、君も行こう」

セイバーは未だ立ち上がれずにいた少女へ手を差し伸べた。
その手を取るべきか逡巡する少女に、セイバーは微笑み、か細い手を握り締めた。

「君は私が護ろう。君を否定する全てのものから」




――Chapter5 Dead of Night I END



Chapter6 Dead of Night II




深夜――
月すら凍る夜の帳の下、それは在った。
枯れ落ちた生垣。荒れ果てた庭園。
雑草と灌木に侵された地に佇む、朽ちた洋館。
壁面の煉瓦は砕け、硝子はひび割れ、屋根の尖塔(ピナクル)は半ば崩壊しつつある。
しかし、電灯はおろか瓦斯灯の光すら絶えたこの空間には、本来ならばありえない量の魔力が満ちていた。

「これで全ての結界が起動したな。予定通りだ」

男は二階の窓から外界を見下ろしながら、独り呟いた。
今、この洋館は十重二十重の結界に覆われている。
館に近付く者を感知する魔術的警戒網。
侵入を試みる者を焼き払う攻性防壁。
館内の侵入者の認識を乱し、心身を封殺する迷宮異界。
傍目には廃墟としか思えないこの館は、今や魔道の粋を集めた要塞と化していた。

「これ程の魔道具を異国に持ち込むのは苦労したが、労力に見合う出来栄えではないか。
 我がサーヴァントが正気を取り戻した暁には、更に強固な城塞を築いて頂くとしよう」

この男もまた、聖杯戦争のために集った魔術師のひとりだ。
彼は無事サーヴァントの召喚を果たしておきながら、召喚以降の三日間をこの要塞の構築に充てていた。
その間、ただの一度もサーヴァントを動かすこともなく、である。

「あと四日。この工房ならつつがなく守り抜けるだろうな」

溢れ出る自尊心を隠すこともせず、魔術師は己のサーヴァントへ振り返った。
視線の先では、アンティークの椅子を玉座替わりにした男が、狂気に面貌を歪めて魔術師を睨みつけていた。
これがバーサーカーのサーヴァントであることは疑いようもあるまい。

「七日間あれば狂化すら解く宝具……嬉しい誤算というべきだな」

バーサーカーのサーヴァント、その真名はネブカドネザル。
新バビロニア王国の最盛期をもたらし、壮麗たるバビロンの都を築き上げた王だ。

この魔術師は、聖杯戦争への参加にあたり、自身の得意分野である陣地構築と相性のいい英霊の召喚を目論んだ。
結果、手に入れられた触媒は王都バビロンの城門の装飾部品。
建築王ネブカドネザルであればサーヴァントとして申し分はなかったが、問題は『クラス』だった。
セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン……
そのいずれもネブカドネザルには当てはまらないように思われた。
独自のクラスを得て召喚されれば良いが、適合クラス無しと見なされて、違う英霊が召喚される可能性も否定しきれなかった。

種々のリスクを秤にかけ、彼はネブカドネザルをバーサーカーとして召喚することに決めた。
理性が奪われてまともな建築ができなくなるだろうが、その点は令呪の強制力で穴埋めが効く。
また、狂化の能力補正があれば、他のサーヴァントと直接対決することになっても引けは取らないだろう――そう考えたのだ。
結果として、この判断は想定外の利益をもたらすことになった。




「七つ時越え至る王道(コンカー・ライカントロフィー)……実に素晴らしい宝具だ」

魔術師は満足気にほくそ笑んだ。
ネブカドネザルの召喚に成功したのみならず、やむを得ないデメリットとして受け入れるつもりだった『理性の喪失』まで回復できるとは。


――しかし、彼にとっての『想定外』はそれだけに留まらなかった。


まさにこの瞬間、同市の地下において七体目のサーヴァントの召喚が成されようとしていた。
バーサーカーの持つ野性の第六感が、その予兆を鋭敏に捕らえ、召喚される英霊の気配を感じ取ったのだ。

「…………■■■■■■ーーーー!!!」
「ど、どうしたのだ、バーサーカー!?」

突如としてバーサーカーが咆哮を上げ、玉座替わりの椅子を砕いて立ち上がった。

「■■■■■■ッッッ!」

狂乱のままに振り抜かれた腕が、窓硝子を格子枠と壁ごと粉砕する。
憤怒と憎悪に濁った瞳は、地平の彼方に殺意の眼光を向けていた。

「■■■■■■ーーー!」
「ま、待て! バーサーカー!」

魔術師の制止も虚しく、バーサーカーは壁に開けた大穴から外へ飛び出していった。
令呪を使えば止めることは可能であったはずだが、突然の暴走は魔術師を酷く混乱させ、冷静な判断力を失わせてしまっていた。

「やめろ! まだ時間が――」
「■■■■■■ーーー!」

死せる庭園を破壊しながら、獣は駆ける。
五感を超えた感覚で理解したのだ。今しがた召喚されたサーヴァントは己の怨敵に相違ないと。
"奴"と己の間に、生きていた頃の面識はないはずだ。
当時の"奴"は隣国が支配する属国の王族に過ぎず、省みる必要すらない小物だったのだから。
しかし紛れもなく"奴"は怨敵。
愛する都を陥落せしめ、偉大なる王国を滅亡させた憎むべき敵。

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――!!」

遠吠えにも似た叫びが夜を震わす。
狂える獣が定めし獲物――ペルシアの帝王キュロス。
バビロニアを滅ぼした男――!




――Chapter6 Dead of Night II END