昼は多くの生徒と教員で賑わっていた学校も、放課後になると人の数が少なくなる。
もっとも活動中の部活があり、完全に無人とは言えないが。
そんな中で、士郎は陸上部で使うハードルを修理していた。それももうすぐ終わる。
「よしっ、終わったぞ」
「ありがとう。衛宮君」
振り向いた先にいたのは、ほんわりとした雰囲気を持つ小柄な少女、陸上部のマネージャーをしている三枝由紀香だった。
「本当に修理できたんだ。凄いね。衛宮君」
嬉しそうに修理の終わったハードルを由紀香は見た。
衛宮士郎の別名は穂群のブラウニー。それが趣味かと思える程、各備品の修理や整備を得意としている。
「おー、上等上等。ありがとうなスパナ」
「世話になった人物にスパナというのはどういうものか、蒔の字」
由紀香の後ろから現れた活発な女子生徒―――蒔寺楓。
突っ込みを入れた眼鏡をかけている女子生徒―――氷室鐘。
二人とも、修理のできたハードルを満足そうに眺めている。
「何にせよ。修理してくれて感謝する。衛宮」
「別にいいさ。しかし、蒔寺のあの頼み方はなあ」
「『助けて、衛宮スパナ!』か?別にいいじゃん」
授業を終えて帰ろうとしていたところを、某二十二世紀の猫型ロボットのように陸上部の備品修理を楓から頼まれた士郎は、陸上部の倉庫で大概の備品の修理を完了した。
「まあ、このくらいなら俺にもできる。だけど、新しいのは買えなかったのか?」
士郎の疑問に、三人の顔が渋顔や苦笑に変わる。
「まあ、色々あってな」
「クッ、あの眼鏡坊主が予算をケチっているんだ……」
「陸上部の予算は大幅に削られちゃったし……それに、ちょっとした故障なら直して使わないと」
「あー、そういや一成が言ってたなあ、各部活の予算偏重を正すって」
『士郎』
雑談に興じる士郎の脳内で聞こえる声に、士郎もまた脳内で返事を返す。
『どうしたんだ?キャスター』
『気になることがあるから、後でこの建物の屋上に来て欲しいのだけれど。できるだけ急いで』
『分かった』
「……どうかした?衛宮君」
「いや、何でも無い。それじゃあ俺用があるから」
突然黙り込んだ士郎を、由紀香が気遣うように顔を覗きこむが、それを士郎は誤魔化して立ち上がった。
「何だよ。用があったんなら言えば良かったのに」
「悪い、今思い出したんだ」
そのまま、部室を離れて、校舎の階段を上った。


屋上へ向かう途中で、士郎はキャスターから聞いた聖杯戦争の概要を思い出していた。

聖杯戦争。
七騎の英霊を使役して殺し合い、聖杯を手に入れる魔術儀式。
剣の英霊、セイバー。
槍の英霊、ランサー。
弓の英霊、アーチャー。
騎馬の英霊、ライダー。
暗殺者の英霊、アサシン。
狂戦士の英霊、バーサーカー。
魔術師の英霊、キャスター。
この七騎のいずれかが聖杯を手に入れる。そのための戦争。
それが、キャスターから聞いた話だった。

―――ふざけるな、と思う。

キャスターを見ただけで分かった。明らかに人間よりも上位に位置している存在、サーヴァント。
そのサーヴァントが行う戦争ならば、当然巻き込まれる人もいるのでは無いか、と聞く士郎に対し、キャスターは肯定で返した。
『普通の戦争でも、巻き込まれる人はいる以上、多かれ少なかれ確実に巻き込まれる人は出てくるでしょうね』
「……なら、俺が助ける」
救う。
一人でも多くの人を、一掬いでも多くの命を、理不尽に晒されて泣く人を見ないように。
それが、あの大火災の地獄から生還した衛宮士郎の生き方だ。
キャスターは選択肢を二つ示した。
一つは、キャスター自身を令呪と呼ばれる三画の絶対命令権で自決させ、この街から遠くへ逃げる。
自分の死という事柄を口にしても、キャスターの顔色に動揺の色は見えなかった。
もう一つは、キャスターと共に聖杯戦争の被害不拡大のために戦う。

―――衛宮士郎がどちらを選ぶか、考えるまでも無い。


校舎の屋上、そこに、黒衣の女は佇んでいた。
「遅いわね」
「悪い……それで話ってなんだ?」
キャスターは視線を校庭に向ける。陸上部をはじめとする多くの生徒が部活にせいを出していた。
「この学校の近くに、サーヴァントがいるわ。数は約三体」
「なっ……」
士郎は身構え、周囲を見回す。
「こんな人のいる近くで戦闘を始める気か?何考えてるんだ」
「さあ、そこまでは、だけどいずれも強力な英霊だってことは確か。私よりも強いことは確実よ」
その言葉に、士郎は屋上の隅に隠していたモノを取り出す。
やっと成功した強化の魔術を付加した木刀。
サーヴァント相手には、戦車に竹槍で立ち向かうようなものだろうが、無いよりはマシだと思い込む事にした。
「これからはどうする?」
「……とりあえず、生徒が下校するまで待とう。巻き込まれる人がいないように」
「サーヴァントがいなくなった時には?」
「それならそれで、問題は無いさ。キャスターは戦闘得意じゃ無いんだろ?戦わずに済むんだ。素直に喜ぼう」
「……まあ、それもそうね」
サーヴァントの気配を絶つ程度の魔術はもう使っている。このままやり過ごすのも手だろう。
「学校の近くって事は俺以外にも学生でマスターになった奴がいるのかな」
「さあ、聖杯が誰をどう選ぶかは私にも分からないわ」
でも、とキャスターはいったん言葉を句切った。
「この世に意味が無い事なんて無い。正義も悪も、全ては意味があるから生まれた。士郎がマスターに選ばれたことにも何らかの意味があるはずよ」
初めて強い調子で喋るキャスターに、士郎は少し面食らった。
淡々と聖杯戦争のことに説明し、自分を自決させるという非情な策にも言及する程、キャスターは自分を主張しない。と、いうより、笹舟のように流されるだけの人といった方がいいだろうか。
流されることを良しとしているのか、それとも流されることに慣れているのか、何にせよ、いつかきちんと話をしたい。そう、士郎は思った。


冬の日暮れは早い。既に周囲は黒のペンキで塗りたくったように暗くなっている。
結局この時間まで、学校は冬の沈黙を守っていた。
士郎は廊下を歩きながらキャスターと会話を始めた。
「どうだ。キャスター、サーヴァントの気配は」
「……まずいわね。一騎増えているわ。ここで戦うかも知れない」
「どんなサーヴァンなのかはわからないのか?」
「そこまではね……でもまあ、放って置いてもいいんじゃないかしら」
キャスターの投げやりな台詞に、士郎は憤慨した様子で口を開く。
「なんでさ。ここで誰かが……あっ、そうか」
夜の学校。もう人は士郎ぐらいしか残っていないだろう。誰かが巻き込まれる心配は少ない。
「後は、隙を見て抜け出せば、どうにかなるわ」
キャスターの言葉に、僅かに安堵する。よく考えれば、急に戦いが起きるわけでもないのかもしれない。
心配のし過ぎも良くないだろう。とりあえずは、自宅に帰ることにしよう。
強化した木刀を竹刀袋に入れ、肩にかける。普通に帰っている限り、剣道の帰りに帰宅する学生に見えるだろう。
後は、別のサーヴァントに見つからずに抜け出すタイミングを考えていたとき、士郎は思い知った。
―――甘かった、ということを。

「士郎!避けて!!」

キャスターの言葉で、反射的に身を捻る。瞬間、先程まで自分がいた場所の廊下に放射線状の亀裂が走っていた。
「なっ……」
亀裂の中心に立つ顔も見えない人影は、無言で拳を自分の方へ突き出す。
いや、突き出すなんて生やさしいものじゃない、まるで砲弾のような勢い。
無理矢理に回避したが、掠っただけで腹の肉が僅かに削がれたらしく、腹部に痺れるような感覚が生まれた。
「やめなさい!」
キャスターの右手が発光する。光源が周囲を照らした。
そして、襲撃者の顔があらわになる。
それは、見知った顔だった。


「三枝……?」


―――■え。
ふわふわとした気分。なのにちっとも気分が良くない。
でも、何をすればいいのかは分かる。目の前に居る少年を■えばいい。
でも、なんでこの人を■うんだろう。ハードルを修理してくれた優しい人なのに。
「……三枝なのか」
さえぐさ?
三枝由紀香、私の名前。だけど、それだけじゃ無い気もする。
犬■■■飼健■。
別の名前を知っている。
―――■え。
まあ、いいや。何か喋っている人をやっつけよう。お腹にキック。
「―――うわっ!」
避けられちゃった。残念。当たればやっつけられたのに。
―――■え。
はい、わかりました。
私は口を思いっきり開けて、■■君の喉笛に―――。


「やめておきなさいな」


意識が、薄れる。


「……どうなってるんだ。なんなんだ」
突然襲いかかってきた三枝由紀香は、廊下に転がっている。キャスターの魔術によって眠りについたその表情は、いつもと変わりない三枝由紀香だった。
「魔術で、操られたんでしょうね。人を操るだけの魔術師がまだこの世界にいたとはね」
キャスターの言葉に、身体が硬直する。
操られた?
あの当たれば確実に死ぬような攻撃は、操られていたためだったのか。
「……ふざけんな」
三枝由紀香は普通の女の子だ。
生活があって、家族があって、人生があって、夢がある尊い普通の人間だ。
それが、魔術師の気まぐれで、本人自身の手で壊されようとしていた。
「許せるか、そんなもん……」
「怒りを募らせるのはいいけど、冷静で無ければ救える者も救えないわよ」
キャスターの指摘に、熱くなりかけていた頭が冷える。
ともかくも、これからしなければならないことをすることにした。



……変な夢を見た。
自分が自分で無くなって、誰かを追い回す夢。
『私』は意識が覚醒し―――

「気がついたか、三枝!」

―――全てを思い出した。
「え、だって、なんで……」
頭の中は疑問と気持ち悪さと、夢であって欲しいと言う願望で埋め尽くされる。
しかし、夢で無い事は、床の亀裂と傷ついている少年の腹部で証明されていた。
「あ、ああ、ああぁぁぁー!!」

「お、落ち着け……クッ」
パニックになって叫んだ由紀香に対し、士郎は必死に落ち着かせようとするが、腹部の痛みで一瞬動きが止まる。
「衛宮君……」
パン、と小さく音が響いた。由紀香が、自分の両頬を叩いた音だった。
「お腹、出して」
「え?」
戸惑う暇も無く、シャツのボタンを外され、傷ついた腹部が露わになる。
「何を……」
次の瞬間、衛宮士郎の表情が固まった。


「ぺろ、ぺろぺろ、今治すからね。じっとしててね、ぺろぺろ」


三枝由紀香が、傷口をなめていた。
年頃の少女が、自分の傷口をなめている。その事態に士郎は止める間もなく硬直した。

士郎は硬直したまま動けず、キャスターは、由紀香を見るだけで止めようとはしない。
「それにしても、これってなにかしら……」
その言葉に、硬直が解けた士郎はキャスターの視線の先にある物体を見る。そして一言だけ呟いた。

「なんでさ」

ピコピコと動く物体、俗に言う犬耳が、三枝由紀香の毛髪から、飛び出ていた。



「……俺は大丈夫だからな?」
「本当?大丈夫なんだね?」
治療?を終え、上目遣いで自分を見上げる三枝由紀香の姿は、本当に子犬のようで―――そういえば、この犬耳は何だ。
「なあ、三枝、その頭上のそれなんだが……」
「へ?頭……あれ」
しばらく頭をいじっていた由紀香も『それ』に気づいたようで、廊下の隅にある鏡で確認したり、引っ張ったりしている。しばらくの沈黙が時間と共に流れ、唐突にそれは終わりを告げた。


「何、コレェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


絶叫が、学校中に響き渡った。


「ねえ、衛宮君。これって何?なんで犬耳が私に生えてるの?私、蒔ちゃんや鐘ちゃんや綾子ちゃんに良く子犬っぽいって言われるけど、それと関係あるの!?それとも何かの病気!?」
「落ち着け。それと雰囲気は関係ないと思うぞ」
先程とは別の理由でパニックになった由紀香を必死になだめる士郎は、助け船を求めるようにキャスターに向き直る。
「何かわからないか?キャスター」
「……魔術、或いは宝具。それくらいしか今の時点では分からないわね」
そう言うと、キャスターは由紀香の方に向き直る。
「三枝さん、だったわね」
「えっ、はい。そうです」
見慣れない美女に話しかけられた由紀香は、少し緊張した様子で会話に応じた。
「最近……多分、ここ数時間で何かあった筈よ……お願い、思い出して」



何かあった?
キャスターと呼ばれた人の言葉に、由紀香は記憶の蓋をこじ開けた。
今日は、部活が終わった後、家に帰ろうとして通学路に居たことまでは覚えている。
そして、帰っているとき、道の真ん中に、『誰か』が立っていて。
何か良く分からない、だけどとても香りがよくて美味しい物を飲み込まされて……。
そして、後から来た誰かに『私達』は……。


『私達』!?


「衛宮君、蒔ちゃんと鐘ちゃんは何処!?」
瞬間、何か、鉄と鉄がぶつかり合うような音が校庭から聞こえた。


自分達に何が起こったのか?
「ふーん、明らかに一般人じゃないわね。でもサーヴァントでも無い」
銀髪の少女は僅かに興味を持ったように、眺める。
自分達のこの力は何なのか?
「気をつけろイリヤ、二人居る以上、どちらかがお前を狙う可能性がある」
金髪の西洋剣を持った青年は、油断無く気を張っている。
そもそも、何故自分達は眼前の人物を襲っているのか?
「あら、平気よ。貴男がいるんだもの」
何もかもわからない。まるで夢の中。
「……そうか、そうだな。だが、お前達。俺のマスターに手を出したら楽に死ねると思うな」
青年の殺意を持った眼光にも、何も感じることは無い。夢心地のままに身構え―――そして。

「蒔ちゃん、鐘ちゃん!!」

夢が、醒めようとしていた。


音を聞いて、校庭に出た由紀香の眼前にいるのは、確かに蒔寺楓と氷室鐘だった。
しかし、その姿は昼間と明らかに違う。
氷室鐘の背には、巨大な翼が存在していた。鳥のそれそのものである翼は、突風を巻き起こしている。
蒔寺楓の両手両脚は、金色の毛で覆われている。そして年代物らしい剣がその手に握られていた。
何より特徴的なのは、その自分の意思を感じさせない瞳だ。衛宮士郎はそれに見覚えがあった。
さっきまでの三枝由紀香の眼だ。
「蒔ちゃん、鐘ちゃん、私だよ。由紀香だよ。どうしたの。返事してよ」
必死に呼びかける由紀香に対し何の反応も見せず、二人はサーヴァントと、マスターらしい少女を威嚇している。
「三枝、少し下がっていろ。俺がどうにかする」
士郎が前に出て、キャスターもそれに続く。
「キャスター、頼む。戦えるか……いいや。逃げられるかどうか分からないけれど……」
「ええ、あれは間違いない」
キャスターの視線の先には剣を持った青年が佇んでいた。
「セイバーのサーヴァントよ」
「ああ、そうだ。この身はセイバーのサーヴァント。話を聞く限り、お前はキャスターのサーヴァントか?」
セイバーの問いに対して答えたのはキャスターでもマスターである士郎でも無く、高速で走りながら剣を振り上げた楓だった。
青年は、何もしない。剣を振り上げることすらしない。
楓が振り下ろした剣は、真っ直ぐに青年の頭を狙っている。

ガキィン。


分厚い装甲を鉄パイプで叩くような、何のダメージも感じさせない金属音。
それが、渾身の攻撃が青年に与えた全てだった。楓はそのまま空中で回転しながら後方に下がる。

「けえええええええええええ!!!!!!」

怪鳥のような声を発していたのは、氷室鐘だ。
翼を大きく広げ、跳躍する。蹴りの姿勢をそのまま保ったまま、マスターである少女の方へ肉薄する。
砲弾のような蹴りは、確実にイリヤと呼ばれた少女を絶命させるだろう。襲い来る死を前にして、銀髪の少女は、
「哀れね」
少しも慌てず、悠然と立ち続けていた。その前に、光の粒子が集まって人の形状を作り出す。
「ああ、そして愚かだ」
嘆息気味に、現れた銀髪の女―――女神のような美貌を持つ女が、持っていた槍で鐘をその勢いを殺さずに弾き返す。結果、鐘の身体は後方に下がっていた楓を巻き込み、吹っ飛ばされる。
「蒔ちゃん、鐘ちゃん!」
由紀香が悲鳴を上げて、二人に駆け寄る。
呻き声も上げないままに倒れ伏した二人と駆け寄った由紀香に、金髪の男―――セイバーがゆっくりと近づく。
この後やることなど、誰でも分かる。瞬間的に士郎は飛び出した。
立ち塞がった士郎に対し、セイバーのサーヴァントは軽い驚きと共に口を開く。
「マスターがサーヴァントも連れずに飛び出すとは……正気か?」
「ああ、正気だ」
キャスターもまた、セイバーの前に回り、同時に顕現した女性の方を見やった。
「驚いた……まさか、サーヴァントを二騎従えるとはね」
呆れたように言葉を発するキャスターの姿に、イリヤと呼ばれた少女はふふん、と鼻を鳴らす。
「流石はキャスターのサーヴァント。私達の二重契約を見破るとはね。そうよ。三騎士の二角、最優のセイバーと、最速のランサーを従えたアインツベルンに敗北は無いわ」
「アインツベルン?」
士郎の疑問に、いつか出会った少女はにっこりと笑ってお辞儀した。
「今代のアインツベルンのマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンですわ。衛宮の当主。どうぞお見知りおきを」

『早く呼ばないと、死んじゃうよ』

その言葉を士郎は思い出していた。
だが、記憶に浸っている場合でも無い。今はこの状況をどう切り抜けるかだ。
「イリヤスフィールだったか?聞いて欲しい」
「ん?」
きょとんとした顔になるイリヤスフィールに、士郎は楓と鐘を指し示した。
「この二人を攻撃するのはちょっと待ってくれ、事情があるんだ」
士郎は必死に言葉を紡ぐ。サーヴァントのマスターとなったからこそ分かる。
キャスターではこの英霊には勝てない。スペックが違いすぎる。
無論、勝負がステータスの比べ合いで終わる物ではないということは、士郎も分かっている。だが、F1マシンと普通の軽自動車がタイムトライアルをしても、戦いにすらならないに決まっている。


キャスターも同じだ。綿密な準備や作戦があれば勝つ可能性もあるが、何の準備もしていない今では、戦いはただの自殺行為に他ならない。

ならば、この場は相手の善性に期待して、退いてもらう以外に、生き残る方法は無い。

それが念話のよる脳内の会話でキャスターと決めた唯一この場から生還する方法だった。
気を失った二人の介抱をしていたキャスターも口を開く。
「この娘達は別のマスターに魔術で操られていた可能性があるわ。いえ、むしろそれで間違いない。誇りを尊ぶ英霊が、そんな娘を斬り殺せば、さぞや夢見が悪いのではないかしら?」
キャスターの言葉に、わずかにセイバーとランサーの顔が曇る。セイバーが口を開いた。
「一般人か。それなら、記憶を奪う程度で済ませてもいいかイリヤ?」
セイバーに続いて槍を持つランサーも口を開く。
「できれば、ヴァルハラに行く必要の無い者の血を流したくは無いのだ。我が主」
イリヤは、少し考え込むと、にこりと笑った。
「うん、いいよ。その子達は勘弁してあげる」
ようやく、空気が少し柔らかくなった。安堵のままに士郎はイリヤに礼を言おうとする。
「ありがとう。イリヤス「―――じゃあ、殺すのはお兄ちゃんとキャスターね」」
無邪気な笑顔を浮かべて、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは残酷な命令を発した。


由紀香は鐘と楓を介抱しながらも、事態の推移を見守っていた。自分達は助けるという言葉が出たときは安堵したが、その後の台詞に背筋が凍り付いた。衛宮士郎とキャスターと呼ばれた女性は、一歩退いて身構えている。
「お兄ちゃんは絶対に殺すって決めていたの。それにマスターなんだから助けるわけないでしょ?」
イリヤというらしい少女は、嬉々として残忍な台詞を平気で喋っている。台詞そのものよりも、そんなことを簡単にできる少女の方が怖かった。間違いない。イリヤは確実にあの少年と女性を殺すつもりだ。
「……一つ聞いておく、俺達がどのように行動しても、三枝達は助けるんだな」
ああ、あの少年はこんな時にでも人の心配をしている。怖いはずなのに、理不尽に降りかかる災厄に心折られることもなく、前を見据えている。だが、その姿には悲壮感しか感じられない。
「うん。その子達はどうでもいいけど、ちゃんと戦うのなら、助けてあげなくも無いわ」
その言葉に、少年と『キャスター』が、前に進み出る。
『セイバー』と『ランサー』も、イリヤの前に出て、少女を守るように武器を構えた。
「殺しなさい、セイバー、ランサー」


イリヤの声が戦闘の引き金となった。
キャスターは一気に術式を編むと、魔力で作られた呪いの弾丸を発射した。その数百以上。
一撃一撃が必殺の呪弾を前にして、しかしランサーとイリヤを庇うように前に出たセイバーは何もしなかった。

直撃。

呪弾の奔流は紛れもなく青年の命を奪うだろう―――普通ならば。
「なんて分厚い対魔力……反則ね」


「まあ、勝負にならないのは勘弁してくれ。お前が弱いわけじゃない」
セイバーに、呪弾は痛痒すら与えなかったらしく、平然と立っている。
キャスターの視線は、次にマスターである少女に向くが、ランサーに睨み返される。
「生半可な呪法でイリヤに害を与えようとは思わないことだ。魔術の攻撃ならば、私のルーンがこの子を護る」
「……ええ、害する前に貴女の槍が私を貫くでしょうね」
キャスターの声には、諦めの色が濃く滲んでいた。


士郎から見ても、状況は悪い以前に絶望的だった。
セイバーとランサーの布陣は鉄壁。なおかつセイバーにはキャスターの持ち味である魔術が効かない。
絶望的な状況と、何もできない自分に歯噛みする。
『士郎』
脳内に聞こえてくる声、キャスターの念話だ。教えてもらったとおりに返事を返す。
『キャスター、逃げることはできるか?』
『無理ね。相手にはサーヴァント中最速のランサーがいるわ。逃げようとしても追いつかれるに決まっている』
だから、とキャスターは提案を口にした―――衛宮士郎が受け入れられない提案を。
『令呪三画を用いて、私に足止めを命じなさい。その間に貴男は逃げなさい』
「なっ―――」
思わず、実際に口が開いた。
「できるわけ無いだろそんなこと!」
「私は死者で貴男は生者、どちらを優先させるかなんて決まっているでしょう」
何でも無いことのように言うキャスターに、思わず声を荒げるが、キャスターは涼しい顔でいる。

冗談じゃ無い。他者を犠牲にして生きるなど、『衛宮士郎』のやる事じゃない。
もし、誰かを切り捨てなければならないのであれば、それは俺自身(セイギノミカタ)だ―――!!

「話が終わったのなら、悪いがここで果ててもらう」
思考は、セイバーの声で強制的に断ち切られる。キャスターの提案で気が逸れていたが、ここは紛れもない戦場だ。今まで俺達を攻撃しなかったのは、作戦でも何でも無く、その必要が無いからだろう。
絶望と諦観が場を支配しようとしたとき。

「バーサーカー!ぶっ倒しなさい!」

唐突に、『それ』は出現した。
校舎の屋上から飛び降りた『それ』は地面に着地して土煙と轟音を上げると、魂を揺さぶるような咆吼を発する。
「◆◆◆◆―――◆◆◆◆◆◆―――◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
数秒遅れて、命令を発した人物が同じく飛び降りる。しかしそれは猫のように華麗に着地した。
士郎も、由紀香も、その人物を知ってはいたが一言も発することができなかった。あまりにも予想外な人物だ。
「こんばんは、かしら。衛宮君、三枝さん」
「……遠坂さん?」
「……まさか」
呆然と呟く由紀香と士郎に、遠坂凛はいつも通りの微笑を浮かべていた。