荒々しい呼吸が何度も繰り返される。
 酸素を求めて喘ぐ金の長髪をした美青年はその背中を森の大木に預けて身体を休めていた。
 しかし、その姿は休憩と言うには些か疑問が生じるものだった。
 なぜなら彼の全身は骨を抜かれて筋肉が弛緩した蛸のようにぐったりとしているからだ。


「───ゴブッ…ゴホケホッ!!
 ま、参ったなこれは………こちらの想像を遥かに上回ってやがるとはな……」


 咳き込む度に紅い飛沫を混じらせながら英雄───シグルドは心底うんざりした風に吐き捨てた。


 ここはあの世に最も近い地獄。

 恐怖の象徴と死の具現が棲家にしている岩山と森林だけで構成された人外魔境。
 そこに英雄は、まるで戦地に取り残された敗残兵のように、ただ独り存在していた────。



           ◇               ◇



 事の発端はシグルドの養父であるレギンがとある魔竜の所有する財宝の話をしたところから始まる。


 かつてファフニールという名の小人がレギンの兄にいた。
 そして彼ら兄弟にはフレイズマルという富豪の父親がいた。
 フレイズマルはある事故が原因で次男オトルをオーディンとロキによって誤殺されてしまったのだが、その際に彼はありったけの黄金を賠償金として神々に要求する。
 はてさてその要求は正しく叶えられたのだが、しかしここで一つの問題が起こってしまった。
 ロキが調達して来たこの財宝の山は小人の王であるアンドヴァリの財産だったのだが、その宝の一つに曰く憑きの指輪が混ざっていたのだ。

 アンドヴァリ曰く、"その黄金と指輪を持つ者は、誰も彼もそのために命を落とすことになる"という黄金を生み出す力を持つ呪いの指輪。

 そうして、アンドヴァリの残した呪いの言葉は現実のものとなった。
 黄金の山に心奪われた父フレイズマルは当初の約束を違え、息子達に財宝を一切分け与えなかったのだ。
 そのことに誰よりも激昂したの者がいた。元々残忍な性格をしていた長男ファフニールである。
 彼は弟レギンと共謀して父親を殺害し黄金を奪い取ると、今度は自分もまた父と同様に約束を違え財宝を独り占めにしてしまった。
 だが今度の財宝の所持者であるファフニールはフレイズマルよりもずっと賢く、そして遥かに厄介だった。
 なんと彼は黄金を狙う外敵から宝を守るために持てる秘術の奥義を尽くしてよりにもよって竜種へと進化したのだ。
 こうなった兄にレギン如きではもはや敵う筈もなく、弟は恨みながらも泣く泣くアンドヴァリの財宝を諦めるより他になかった。

 そう、レギンがシグルドと出会うその時までは─────。


 そこからはレギンの思惑通りに事が進んだ。
 彼は養子シグルドに武芸や知恵などの戦いや身分の高い者に必要な様々な技能や知識を叩き込んだ。
 鍛冶屋らしく、丹念に丁寧に長い時間をかけてシグルドと言う名剣を鍛えたのだ。
 養子を兄ファフニールを倒せる程の刃とするべく。
 そうして年月が経ち、シグルドは逞しい青年へと成長する。
 鍛え抜いた刃の出来栄えにそろそろ頃合だと感じたレギンはついにファフニール殺害計画を実行に移した。

 シグルドは名高き英雄シグムンド王の息子であったが、彼の母親…つまり王妃の財産は再婚した義父の物となっていた為に、シグルド自身の財産は神馬スレイプニルの血を引く聖馬グラニを除いて何もないと言っても過言ではなかった。
 そこに目をつけたレギンはシグルドにどんな王をも上回るファフニール竜の財宝の話をしてそそのかす。
 邪悪な魔竜を退治し、名誉と共に奴の隠し持つ莫大な財宝を手に入れてみてはどうか?と。
 養父は青年がまだ若く怖れというものを知らない事を誰よりも理解っていたから。
 英雄の子は若さ故に勇敢であり、そして蛮勇であったのだ。

 シグルドとて一応はファフニールという名の邪竜の存在を耳にしたことはあった。
 幾人もの強者《つわもの》と称された戦士達が悪竜に挑み、そして尽く返り討ちに遭って果てたという話を。
 しかし、若者は所詮眉唾物の誇張された風評だと考えていたのだ。
 だから大蛇《オルム》など容易く倒せると。そろそろ自分も英雄の息子として、一人前の戦士として、華々しい武功の一つや二つでも飾ってやろうかという想いに駆られていた。
 北欧世界の勇者たちにとって武功は絶対の名誉であり栄光である。
 吟遊詩人に謳われ人々に讃えられる英雄になりたくない戦士など存在すまい。
 それはシグルドとて同じであった。
 否、むしろシグムンドという偉大な勇者の息子であるからこそ、彼は人一倍に英雄になる必要性を強く感じていた。
 そんな事情もあってか、彼はろくにファフニール竜のことなど調べもせずにドラゴン退治の件を二つ返事で肯いた。
 しかしシグルドはその交換条件として毒竜を倒せるだけの名剣を作ってくれるよう名工であった養父に要求。
 レギンはその依頼を請負うと、二度の剣製失敗の後に、シグムンドの形見であった選定の魔剣グラム・バルンストックの破片を剣の材料に使う事で無類の名剣を完成させた。

 ───これが後に太陽剣グラムと呼ばれる最強の魔剣の誕生の瞬間であった。

 グラムの出来栄えに満足するシグルドにレギンは早速悪竜退治に行こうと急かしたが、まずは父の敵討ちが先だとしてシグルドは義父《おう》の助力を得て軍を編成し、フンディングの一族が支配する国へと攻め込んだ。
 そうして激しい戦いの末、仇の息子であるリュングヴィ王とその一族を皆殺しにして英雄の子《シグルド》は見事な初武功を打ち立てたのであった。
 そして帰国後。
 養子の帰還を待ち侘びていたレギンに喧しく急かされるままに、シグルドはろくな休養も取らないで養父と共にファフニール竜の棲家へと向かったのだった────。



        ◇                    ◇



 ───そうして話は戻って現在。
 シグルドは己の考えの甘さを心から呪っていた。
 ついでに毒竜退治を簡単なガキの使い程度に言ってくれた養父に対しても怒りを覚えていた。

 周囲には誰もいない。
 レギンはファフニール竜退治を彼に丸投げし、とっくに一人だけ安全な場所へと逃げ隠れてしまっている。
 地肌剥き出しの岩山と暗く鬱蒼と生い茂る森しかない土地で戦士は一人、孤独に取り残されていた。


「───ゴブッ…ゴホケホッ!
 ま、参ったなこれは………こちらの想像を遥かに上回ってやがるとはな……」


 体を大木にもたれさせて忌々しげに毒づくが全く覇気がない。
 全身に力という力が入らない。虚脱状態の勇者は生きた死体のようなものだった。

「く、クソ……ッ。なにが、ファフニールの弱点は腹だ。
 なにが、奴が這いずった跡に隠れられる溝を掘り竜が水を飲もうとする隙を突いて殺せだ!
 馬鹿言ってんなよ……そんなの…出来る訳がねえぞ…!」

 見目麗しい風貌をした美丈夫の面相が怒り皺で醜く歪む。
 穴に隠れて不意打ちで魔竜を倒すなど無理だ。
 ましてやまともに戦うなどもっと論外、ありえない、不可能だ。

 あの異形を思い出すだけでシグルドは身体の芯から震えが来て止まらなかった。


             ◇◇◇


 シグルドの一度目の進攻は惨敗だった───。

 遠征の疲れが残っていたこともあり、竜退治のなぞ手っ取り早く済ませたいシグルドはあろうことか直接ファフニールの魔窟へと向かってしまった。
 意外と単純な構造をした巨大な巣の中にはとぐろ巻くようにして眠るドラゴン。
 幻想種の頂点に君臨する竜種は、もはやまともな外敵や脅威など存在しないと宣言せんばかりにぐっすりと熟睡していた。
 養父の話によれば黄金の財宝は奴の下に隠してあるらしい。
 この千載一遇のラッキー大チャンスを前に若者の行動は迅速だった。
 シグルドは無防備な魔獣の脳天を狙って鉄をも両断した魔剣を渾身の力で突き刺した。

 ────だが、ドラゴンの外皮とはここまで強固なものなのか。

 鉄さえ叩き割ってみせたグラムの会心の一撃はファフニール竜の額に傷一つさえまともに作れずに完敗した。
 額に受けた衝撃で悪竜が目を覚ます。血よりも濃い深紅の凶眼と眼が合った。
「───しまった!?」
 剣を握った人間の姿を確認した竜はギュオオオ!と鼓膜を引き千切らんばかりの爆音で吼えると、
「なんだキサマは? そうか、また我が黄金を狙う愚か者が現われたか!!」
 そう言うや否や、邪竜は長い首を鞭のようにしならせて頭突きをした。
「ぐああああっ!!!?」
 咄嗟の判断で瞬時に後方へと跳び、魔剣と盾で身を庇ったシグルドだったが、巨竜の一撃はあまりに痛烈だった。
 巨人に払い飛ばされたみたいにそのまま魔窟の外へと勢い良く叩き出されると、そのまま川へと沈んでしまった。

 これが初日目の結末である。


 そして二日目。
 つまり今日の戦いは昨日とは違うことが起こった。
 しかし結果は惨敗。これ以上にないほどに大惨敗であった。

 シグルドの敗北を知ったレギンは養子を叱咤した後、知恵を絞って一つの奇襲策を授けた。
 それがファフニール竜が這いずった跡に溝を掘り、その中に隠れて敵を待ち伏せる。そして竜が水を飲もうと巣から現われ、シグルドの潜む穴の上を通過する瞬間を狙って下からヤツの腹部をグラムで刺し貫く、という作戦だ。

 この魔竜攻略作戦は途中までは上手くいっていた。
 シグルドは自分だけさっさと安全圏に撤退してしまった養父を尻目に一人黙々と穴を掘っていた。
 だがここで予定外の誤算が生じる。
 穴を掘っている最中にファフニール竜とまさかの遭遇を果たしてしまったのだ。
 こちらを見ながら大きく開かれるドラゴンの顎。
 ここに決定的な敗因があった。
 勇者は敵が毒竜であるという事を完全に失念していた。
 いや正直に告白すれば侮っていた。せいぜい毒の噴射程度に考えていたのだ。
 しかし実際は違った。それも桁違いだった。
 毒などというそんな慈悲深いレベルのシロモノなんかでは断じてない。
 アレは生命を奪い取る濃密な瘴気だ。
 自然界に存在する強毒性の猛毒など軽く凌駕して莫大なお釣りが返って来るくらいの魔毒。
 触れた物体を侵し、体内に吸い込んだ生物の命を一瞬にして蝕む即死の濃霧。
 たった一呼吸分にも満たない────というよりもほぼ肺胞には吸い込んでいない自分ですら現在"このザマ"なのだ。
 ズキズキと痛む全身。食道から逆流してくる血。一秒ごとに奪われてゆく体力。
 しかしこれは言ってみれば掠り傷による損害である。
 まともに食らった訳ではない──本当に掠っただけでこの大ダメージ。
 しかもシグルドがこの程度のダメージで済んだのは偏に毒竜に対して圧倒的な恐怖を抱いたからに過ぎない。
 穴掘りの途中で悪竜に見付かったという事実よりも、敵の頭部に装着されたソレを───恐怖の兜を被った魔竜を見た次の瞬間。悲鳴を上げて脱兎の如く一目散にその場から逃げ去った不名誉が、毒噴射に先んじた逃亡が、皮肉にも彼をまだ生かしていた。 


                  ◇◇◇


 こうして、極微量の猛毒に蝕まれた肉体を引き摺ってどうにか安全地帯まで辿り着いたオレはカタカタと震えていた。
 武勇伝が一つ簡単に手に入ると考えていた己の浅はかさ。
 養父の口車に乗せられて財宝目当てにこんな破滅の道に足を踏み入れてしまった愚かな自分。
「ちくしょう……なんて、ザマだ」

 あの毒霧は駄目だ。
 立ち向かえない。立ち向かった瞬間に死んで余りある殺傷力がある。
 オレはあの時ファフニール竜から必死の思いで逃げ惑いながらも、その背後で草木や岩が毒の瘴気によって次々死んでいく様をハッキリと捉えていた。
 魔竜の毒を防御する術など存在しない。
 無数の隙間が在る防具など護りとして何の役にも立つまい。
 魔術による防護も神秘として圧倒的に上位者である竜種相手では紙壁も同然。
 あのブレスは使われた時点で敗北が決定する無差別殺戮。
 あんな激毒の中で生きられる生物など、それこそ死の毒霧を吐いた張本人くらいしかいないだろう。

 まだ震えが止まらないオレは膝を抱えた。
 安全な場所にいるというのに落ち着かない。まるでヤツが近くにいるかのようだ。
 禍々しい姿の魔獣が脳裏に焼き付いて離れず、受けた精神的外傷は癒える気配もない。

 あれが幻想種の頂点に君臨する竜種の恐ろしさ。
 あれが万物の怪物どもに畏怖される存在。

 あれが毒竜ファフニールなのだと、シグルドはここにきてやっとその恐怖を実感した─────。




          ◇                ◇



 ───翌日。


「うわああああああっ!!!」
 オレは最悪の気分で目を覚ました。
 はぁはぁ!と荒い呼吸に、寝汗でびっしょり濡れた衣服がいきなり寝起きの気分を害してくれる。
「なんて嫌な夢だよ……くそったれが…」
 全身にへばりつく疲労感は余裕で残っていたが、それでも眠気だけは完全に吹っ飛んでしまった。
 そらそうだ。ドラゴンの毒霧に侵されて惨たらしく死ぬ自分の夢を見せられれば誰だって嫌でも飛び起きるってもんだ。
 頭皮の汗で濡れた金の長髪を鬱陶しそうにかき上げて、美青年はなんとなく枝葉で覆われた森の天井を見上げた。

「はぁ……どうする? このまま帰ろうか…?」
 ふと無意識の内にそんな台詞《ホンネ》を洩らしていた。
 今回は時期が悪かったのだ。何しろこっちは既に父の弔い合戦を一つやったばかりである。しかも休む間もなくこの魔境を訪れた。連戦のせいで疲労だって相当蓄積しているし、魔竜退治の準備だってロクに出来てない。
 だから仕方ない。ああそうだそうだとも。その通りだ。
 別に毒竜に怖れをなして逃げるわけじゃない。これは言わば一つの戦略。

 だからここは一旦退いてからまた出直す方が─────


「……起きてまで寝言ほざくかシグルド」
 怒気を孕んだ低い唸り声が地鳴りのように大気を震わせた。
 ギリリと奥歯が鳴る。毒にやられて力を失っていた戦士の肉体に僅かな活力が戻る。
 何が時期が悪いだ。何が戦略的撤退だ。
 そんなものはありえない。ましてや毒竜に恐怖した言い訳にするなど断じてありえない。あってはならない。
「オマエは…このオレは────」
 沸々と全身の力が蘇ってくるようだ。
 立てる。毒素はどうにか抜けている。両膝に力を込めた。
「貴様はオーディンの寵愛を受けし勇者シグムンドの息子シグルドだぞッ!
 エインヘルヤルとなった父上を持ちながらたかが毒竜如きに怖れをなすとは何事か!!」

 オレは雄々しく立ち上がった。
 己は英雄だ。シグムンドの子だ。ならばあんな敵に脅えるな。自分が負ける筈がないのだから。

 シグルドは胸にこびりついた恐怖の影を振り払って、再びファフニール竜と決戦するべく奴のテリトリーへと向かって行った。



             ◇                ◇



 再び昨日の地点に訪れた瞬間にオレは愕然とした。
「これは………一体何の冗談だ…?」
 辺り一帯の景色が昨日のものとは完全に豹変していた。
 あるべきもの、あったものが全て消え失せている。
 竜が噴いた毒霧に侵食された草木や岩はもはや原型を留めておらず、腐蝕したような溶解したようなそんな状態になっていた。
 無惨に変り果てた大地を見て、オレは改めて敵の桁違いの攻撃力に戦慄した。
 勝利の前提条件として、ファフニールに攻撃させないことはもう完全に決定事項だ。
 この有り様では万が一にも攻撃権を渡すことすら許されない。

「さてどうする? この圧倒的な戦力差を前にどう攻略すればいい?」
 周囲の様子に気を配りながらも英雄はなにかしらの勝つ糸口が無いかと懸命に知恵を絞る。
 まずは前回と前々回の交戦で得た敵の情報を整理してみるとしよう。

 ────ファフニール竜。
 竜種によく見られる空を飛翔する為の巨大な両翼を持たぬドラゴン。
 その巨体から生えた図太い両足は一歩踏み締めただけで地響きを起こす程の怪物である。
 レギン曰く莫大な財宝を守護しておりその宝の一つなのか、直視した者を恐慌させる兜を被っていた。
 立ち向かう者に強靭な精神力が無ければ奴と対峙することすら許しては貰えまい。
 物理攻撃力は魔獣に相応しい怪力を誇り、まともに喰らってしまえば魔法の防具を装備していたとしても一撃で命をもっていかれることだろう。
 また竜の全身をぴっちりと覆う鱗の防御力も次元違いであり、悪竜は魔剣グラムによる渾身の不意打ちをもあっさりと無効化してみせた。
 攻守共に完全無欠。
 そしてこれらに加えてさらに、ファフニール竜には全ての生物を殺し尽くせる濃密な瘴気の如き毒霧がある。

「───────」
 シグルドの白い頬を嫌な汗が伝い落ちる。
 知恵を絞ってみた結果、勝算と呼べる要素が何も無いことに呆然とする。
 唯一の攻め手らしい攻め手は腹部を狙う事だが、果たしてどうやって腹を攻めたものか……?
 と、あれこれ考えている内にオレはある異変に気が付いた。
 何の前触れも無くいきなり背後の茂みから出現した昨日と違い今度は見落とさなかった。
 ───地面が僅かだが震動している。
「……ヤツめ来やがったか」
 オレは息を潜めて物陰に隠れた。
 地鳴りと足音は次第に大きくなっていく。体を隠したまま毒竜が来るのを待ち構える。

 しかし我ながら何をやっているのか?
 待ち伏せるするのなら穴を掘ってその中に隠れなければならないというのに…。
 こんな離れた場所で岩陰に隠れていたって待ち伏せにもならないし有効な攻撃も出来はしない。
 そう頭では分かってはいてもはオレは穴の中には隠れなかった。

「クソ、やはり案の定か…!」
 オレは誰にも聞かれない小声で忌々しげに毒づいた。
 毒竜が這い跡を一つずつ確認している。
 魔獣の癖に人語を喋った時点でもしやとは思ってたが、予想通り相手もこちらの動きを予測するだけの高い知能はあるらしい。
 養父の策に従ったまま穴の中に隠れていれば確実に殺されていた。まさに間一髪とはこのことか……。

 そう安堵の溜め息を洩らした瞬間。


「やはりまだ我がテリトリーをチョロチョロしていたか、ドブネズミめ」

 二つのギョロリとした深紅の眼球が───物陰に身を潜めそっと魔竜の動向を窺っていたこちらをしっかりと捉えていた。

「ア────」
 見付かった。見付かったみつかった見付かっちまった……!!
 魔兜が強烈な威圧を叩き付けてくる。
 内臓をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回されるような身の毛もよだつ圧倒的悪寒。
 心拍数が倍加。ガタガタと膝が笑い、過呼吸みたいにうまく息が出来なくなる。
「あ、ハ、ァ…ハァ、はぁはぁはぁ……!!」
 恐慌状態になってその場から逃げ去りたくなる衝動を────


「…………ォ……オ…、オレは英雄だ! 我が魂は死後全知の大神オーディンの許へと誘われる!!
 この程度の威圧に屈することがあってなるものか────ッッ!!!」


 シグルドの勇者としての自尊心が跳ね返した。
 両脚が動く、指が腕が動く、全身が動く。
 ヘドロのように体内に溜まっていた恐怖心を全部跳ね除けて、後ろではなく前へと走り出すシグルド。

「うおおおおああああああああああああああああ!!」
 自らを奮い立たせる咆哮を上げて鞘から抜刀した魔剣を振り上げる。
 こうなれば一か八かやるしかない。
 否、殺らなければ殺られるだけだ!

 なぜならファフニール竜が剣山のように尖った牙がズラリと並んだ顎を大きく開けていた。

 敵は情け容赦なく死滅の毒霧を噴射するつもりでいる──!!


「グルルルル! 次は逃がさんぞニンゲン。毒死が貴様を捕えて離しはせん! そのちっぽけな命よ朽ち果てるがいい!!」
 無翼の地竜の大口から最強の猛毒が噴出された。
 竜に挑んだ勇者に向かって紫と緑と赤黒が入り混じったような毒々しい色彩の魔毒が一直線に迸る。
 大気中に即死の瘴気がばら撒かれた。
 竜種の吐き出す魔の猛毒に触れた草花が死んだ、木が枯れ、岩石が溶け、逃げ遅れた虫が消滅した、そして大地が腐る。
 オレの目の前で何もかもが朽ちた世界が作り出されていく。

「うおあああああ!! 見てるがいい天界の主オーディンよ!
 我が剣が邪悪なる魔竜を殺すその瞬間を────!!」

 だが、避けられぬ死滅を前にしても北欧の英雄は逃げる素振りも見せずに真正面から魔毒に立ち向かった。



「────定められし破滅の剣《グラム・バルンストック》────────!!!!!」



 飾り気の少ない魔剣の白刃が燃え立つ炎のように輝く。
 刀身が巨大な業火の剣へと変わる。
 刃の温度は英雄シグムンドの魔剣の名に恥じぬ測定不能の高温に到達。
 それはさながら灼熱のような輝きと熱量を持った攻撃だった。
 対面からは同じく滅びを与える魔毒が周囲の生命を奪いながら迫る。
 全力で振り下ろされる最高の魔剣。

 何者であろうと破滅を与える定めの一撃を以て焼き払ってやる。
 邪悪な魔竜を肉片など一つ足りとも残さずにな────!!

 剣が薙がれた。眼球を焼く極光が地上を覆う。
 神域の光熱が悪竜の魔猛毒と激突。

 そして、太陽の恒熱が彗星のように迸り────大地も木々も魔毒も悪竜も何もかもを丸呑みにして通過していった。



「ハア、ハアハアハア…! はぁぁぁ……ふぅ」
 選定の魔剣の力を存分に解放したシグルドは勝利を確信し、グラムを振り下ろした格好のまま残心している。
 その場に立ち尽くし、荒い呼吸を何度も繰り返しているが一向に毒で死ぬ気配は無い。
 どうやら死の毒霧はファフニール竜の巨体諸共にグラム・バルンストックの一撃によって全部燃え尽きてしまったようだ。
「か……勝った。オレは──オレがファフニールを倒した…んだ」
 勝利は確信出来ても、まだ実感は薄い。
 しかし結果は一目瞭然だった。
 ファフニールは死んだ。シグルドが解放した選定の魔剣による爆熱の一刀で跡形も無くなって消滅した。

 徐々に視界の土煙が晴れてゆく。周囲の様子が明るみになる。
 英雄の眼前に広がっているのは、魔剣の攻撃による無差別業火の煽りを受けて焼け焦げ荒れ果てた地表と、原型すら留めていない毒竜の死骸。
 それ以外はない。


 ────だというのにそこに、あってはならないものがいた。




 絶対にあってはならない……絶望の異形がくっきりと丸々その場に残っていた────。


「な…あ…バ、バ、バカな………なぜそんな、バカな────ッ!!?」

 長髪の美男子の面相が驚愕と恐怖に歪む。
 陸に打ち上げられた魚類のように口がパクパク動いている。
 きちんと言葉が紡げない。

 ───オレは痴呆みたいな間抜けたツラのまま愕然とソイツを見詰めていた。


「ガグルルルル……! 貴様の攻撃は……今ので終わりか───?」
「あ─────ぁ、ァ」

 死んでいなければならない怪物《ファフニール》が未だに生きていた。
 しかも五体満足のままで。

 オレは信じられないや有り得ないをとうに通り越して、平然と佇むヤツの異形を素晴らしいとさえ感じていた。
 なんて強靭な生命力。
 なんて堅牢な護り。
 なんて────圧倒的な力の差。

 ────勝てない。
 オレではどう足掻いてもあの魔物には勝てない。

 シグルドはこの戦いを通して、たった一つの確かな現実を手に入れた。


「は、ははっ…」
 自然とオレの唇から笑いが零れた。
 それは強がりか、あるいは諦めなのか。
 恐らくは後者であろう。
 なにせ自身の隠し持つ最強の切り札を使ってもなおファフニール竜には全く通用しなかったのだ。
 打つ手などもうどこにも残ってはいない。
 刃の剣先は地面を向き、魔剣を握る右腕はもはや抵抗する気も起きないのか、力を失いだらりとぶら下がっていた。

「ツマラヌ。もう諦めたか…ぐるるるるる。
 久方振りの獲物でもあるし、まだまだ遊んでやろうと思っていたのだが………。
 活きが良くともやはり所詮はニンゲンか、少々買い被り過ぎていたようだ」
 獣の分際が耳障りなしゃがれた声で落胆の台詞を吐いている。
 血の色をした毒竜のギョロ眼がこちらを見下しながら睨んでいた。
 ヤツは次の瞬間にでも蟻を踏み潰すかのような容易さで、オレの命を摘み取ることだろう。
 だが死ぬ前に一つだけ、どうしても気になった。

「なぜオマエは生きている? 我が魔剣の一撃は確かにオマエの身を貫いた筈だッ!!」
 だからその疑問がどうしても知りたくて、殺される前にオレは叫んでいた。
 直撃しなかったというのならまだ分かる。
 しかしさっき撃った『定められし破滅の剣』は絶対に間違いなくファフニール竜の巨体に命中していた。
 ならばあの怪物は死していなければならないのだ。

「なぜとは…グフルルルル…! 命乞いではなくこれはまた随分と面白い質問をする小僧だ。
 よいだろう。では殺され逝く弱者に手向けの花代わりとして教えてくれよう。
 我が猛毒の魔霧"ドレーキエイター"はただの毒霧などではない。
 噴射された魔毒はそれ自体が強力な毒性を帯びた攻撃であると同時に、周囲一帯に拡散し広がる魔霧はこの身を護る防御結界でもあるのだ。
 一度展開された魔霧は我が周囲一帯を包み込み、外敵に対する攻性防衛膜と化す。
 そしてこの竜の毒に対する耐性を持つ者はこの世でただ一名だ。
 ガルルル…分かるか小僧? 威力を大幅に削減された魔剣如きでは我が竜鱗は貫くどころか傷すら与えられんわ。
 まあ尤も、もし仮に"ドレーキエイター"を使っておらずとも今の攻撃でこのファフニールが死に絶えたとは到底思えぬがな。
 どの道おまえの魔剣ではこの外皮一面を覆う鎧のような竜鱗を突破出来んであろうよ」
 ゴロゴロと怪音を鳴らしながら、やたら聞き取り難い濁声(だみごえ)で毒竜は真相を語った。

「なるほどようやく合点がいった」
 竜種の鱗はこの世で一番硬い物質で出来ている。などという与太話を昔聞いた事があるが、あの話はどうやら事実だったらしい。
 それにしても猛毒の霧が防御結界としても機能していたとは予想外にも程がある。
 やはりファフニール竜の毒霧は使用された時点でこちらの敗北だという予測を立てた自分は正しかったのだ。
 しかし真相を知ったところでシグルドは今更抵抗する気もなかった。
 どちらにせよこの窮地からは逃げられないと淡白に悟っていた。
 英雄としてまだ完成していない現在のシグルドの力量では今すぐグラムを先と同じ威力でもう一発撃つのは無理だ。
 つまりヤツの吐く魔竜の毒霧"ドレーキエイター"を防ぐ手段は一つも残されていないということ。
 あるいはまた運任せに逃走をはかってみるか…?

「……まさか冗談じゃないぜ」
 また前回の戦いみたく無様な醜態を晒した挙句に敵に背中を見せて殺されるぐらいなら敵に特攻して戦死した方が英雄としては遥かにマシな死に様だ。
 猛毒の瘴気に蝕まれてここで死ぬのは確実だろうが、せめてあのクソヤロウの目玉の一つや二つくらいは冥土の土産に持って逝ってやる。
 余裕のつもりなのか獲物をのんびりと観賞している悪竜。
 敵に悟られぬようこちらの決心を隠したまま足先に力を篭めた。
 仕掛けるチャンスを決して見逃すな。敵を毒殺しようとする溜め《スキ》を突いて特攻をかける。

 シグルドが覚悟に決めてファフニール竜へと突貫しようとしたその直後────。


 "────走れここは一旦逃げるのだ────"


「な──、なんだと!!?」
 オレの脳裏に奇妙な声が轟いた。
 そして次の瞬間には、ゴツゴツとした岩山と鬱蒼と生い茂る森林に囲まれた魔竜のテリトリーに突如として濃い煙が充満していた。
「貴様一体何をしたニンゲン!!?」
 想定外の事態に見舞われたのは敵も同じだったのか、毒竜が初めて聞く声音で狼狽した様子を見せていた。

 "こっちだ、こっちへ来い"

 オレは有無も言わずに走り出していた。
 勿論魔竜の方向にではなく、声のする方へと向かって。

「グワシャァァァァッ!! 逃がすかこの餓鬼がァ!!!」
 怒号のような雄叫びを上げるファフニール。
 逃走しようとする獲物目掛けて再び万物を死滅させる魔毒のブレスが噴射された。
 後ろには振り返らない。
 そんな無駄な動きをすれば速度が落ちる。
 なるべく頭を空っぽにして必死に両脚を回転させ地面を蹴り飛ばし続けた。
 背後から死が追って来る。
 少しでも肺に毒素を取り込んでしまえば全てがお仕舞いだ。
 猛毒が全身に張り巡らされた血管という血管を食い破り尽くして、惨たらしく苦しむだけ苦しんだ末に絶命する。

 いやだ。それは嫌だ。
 絶対に御免だ。
 そんな死に方してたまるものかよ────!!

「───────!!!!」
 オレは一切の呼吸活動もせずに息を止めたまま疾駆し続けた。
 勇者も魔毒も双方共に止まるということを知らないらしい。
 横風に乗った猛毒の霧が広く散布される。
 死を運ぶ魔風は周囲一帯の生物をたちどころに全滅させた。
 走り続けるシグルドの後方ではありとあらゆる生命が死んでいく音が生々しく聞こえていた。
 ボロボロと朽ちる草花。
 しゅわぁと枯れてゆく瑞々しい青樹。
 毒風に巻き込まれた野鳥が地上に墜落し生きたまま腐っていく。

 あんな風になりたくない!という死に物狂いの生存本能が激しく燃え上がる。
 脳内麻薬を垂れ流して駆ける速度も増してゆく。
 それにしても不思議な現象だった。
 突如としてドラゴンのテリトリー一帯を包み込んだ濃霧のような煙。
 それは今もまだこうして辺りに充満していたが、しかしその煙がオレの視界を遮ることは決してない。
 むしろいつも以上に鮮明に周囲の情報を肌で感じ取れてる気さえするのだ。
 そのおかげかは知らないが、木々や障害物の間を紙一重で華麗にすり抜けながら走る様子はきっと第三者が見れば背筋が薄ら寒くなるくらいに奇怪な動きに違いない。
 さらにもう一つ。こちらにとっては有り難い煙であるが、逆に魔竜はこの煙によってオレの足取りを完全に見失っていた。
 まるで加護のような不思議な白煙だと思った。
 とにかくこの煙のおかげで逃げ切れる可能性が一気に上がったのだ。
 しかし生存の望みが見えたからと言って油断は禁物。ヤツが噴射する猛毒の魔霧"ドレーキエイター"は結界だとも言っていた。結界と言うことはつまりそれは愚図愚図していれば猛毒の結界内に閉じ込められて死滅させられるってこと。
 走る。走る。走る。走る。走る。無心で森の中を走り続ける。
 酸素が吸いたい。
 身体を休めたい。
 だけどそれ以上に死にたくない。
 その一心でオレは暗い森の中を平地とほぼ変わらないスピードで駆け抜けた。

 そうして謎の声に導かれるままに逃走劇を演じていた勇者もついに終着駅へと到着した。
 
 "そのまま跳べ"

 背後には案の定即死の風がすぐそこまで追尾していた。
 考えている暇も戸惑っている余裕もない。 
 前方にあるモノがなんであるのかを承知の上でオレは躊躇せず不思議な声に従って飛び出した。

 ────断崖絶壁の下へ。

 僅かな無重力時間を体験した後、ダッパーン!と高い水柱を立てて着水する。
 こうしてオレはそのまま滝と深い川の作り出す激流に身を任せて、その必滅の死地から命からがら撤退したのであった────。




         ◇               ◇




 昨夜の逃走劇から一夜が経ち、朝を迎えた。
「……ん、んん……? 朝か…?」
 遠方より木霊する狼か何かの野獣の遠吠えが鶏の目覚まし時計代わりとなってシグルドの意識を覚醒させた。
 目が覚めて最初にオレが感じたことは命が失われていないことに対する安堵。
 猛毒を喰らった一昨日と比べれば大分マシな目覚めと肉体に残る疲労感。
 目の前には野宿した痕跡──炭化した焚き木や昨日の晩飯に食い残した野兎の焼いた肉塊──がある。
 そんな妙に生々しい人間の生活の痕跡が魔竜の死地から生還した事実を曖昧にしてくれる。
 しかし昨日の件は全部実際にあった現実なのだ。
 そう、あの摩訶不思議な老人との出会いさえも───。


                     ◇◇◇


 ─────あの後。オレは激流に流されるだけ流されて、最終的に川下まで到達した。
 ファフニール竜のテリトリーにしていた場所からは位置的にも相当離れている。
 だが逆を言えばそれは僥倖なのかもしれない。
 これだけ離れていればまず猛毒の霧の被害を受ける事もないし、衣類に付着していた僅かな毒素は清流に洗い流されただろうから。
 ずぶ濡れのまま川から這い上がったオレはとにかくまず逃走によって全身に蓄積した疲労を癒す為に服を脱ぎ、火をおこして衣服を乾かし、四肢を休めた。幸い武具は剣を始め一切紛失してなかった。
 気だるさと酸欠で朦朧とする頭。オレはついつい何度か居眠りをしかけたが、まだ非常事態であったため何とか踏み止まった。
 そして小休止を挟んだことで体力がある程度回復し、冷静な判断力を取り戻したオレは再度大きな選択を迫られていた。

 ────このままこのバケモノが巣食う死地に留まるか、それともこの地獄の釜底から撤退するか────。

 正直に告白するとオレはもはやドラゴンの財宝への興味は失せていた。
 金貨や財宝が欲しければ近隣諸国にでも攻め込んで戦利品として手に入れた方がずっと楽であり確実であろう。
 何度も相対した自分だから断言出来る。
 たかが黄金目当てであの毒竜に挑むのなど狂ってる。正気の沙汰ではない。
 あそこでとぐろを巻いているのは百回殺されても飽き足らない程の死の具現だ。
 むしろ三度にも渡るファフニール竜との戦いで未だ自分が生きているコト自体が不思議でならないのだから───。

「四度目は無いかもしれねえな───」
 しかしだからと言って撤退するか?と誰かに問われればオレは間違いなく断わると即答するだろう。
 黄金や莫大な財宝なんかには微塵も興味はない。
 そんなもの所詮副賞に過ぎぬ二次的なものだ。
 この魔竜との戦いで手に入る本当の宝物────莫大な黄金なんて足元にも及ばない程の価値のある唯一無二の宝。

 それが────英雄としての栄光。

 全ての戦士や勇者たちが欲して欲してそれでも手に入らない真の輝きを持つ不滅の偉業《たから》。
 それがファフニール竜との戦いの勝利者が手にする真の財宝の名だ。
 それを思えばもう死など恐るるに足りない気持ちになってくる。
 勝者となればドラゴンを倒した本物の英雄としての栄誉が、敗者となってもドラゴンに果敢に挑んだ勇猛な戦士としての名誉が。
 仮にどちらの結果となったにせよオレは望んだモノが手に入る。
 恐るべき異形の怪物である毒竜との戦いから逃げさえしなければ。
 三度に渡る死闘を越えて、腹はとうに括っていた。
 グラムの錬鉄に成功し、父の仇討ちに出陣する前にオレは一度他者の運命を見通せる力を持つ母方の叔父グリーピルの許を訪ねた事がある。
 予言は大まかなものではあったが、そこでオレはいずれ自分の身に起きることをすべて知った。
 当然、己の最期さえも───。
 叔父グリーピルはオレが毒竜に勝つとは言わなかった。
 が、同時にファフニールに殺されるとも一言も言ってはいない。
 だからなのかは知らないが、漠然とした奇妙な確信がある。

 ─────自分がここで終わる筈がない。この魔境はオレの死に場所にはならない、と。

 自分に都合の良い妄想かもしれない。が、実際問題としてオレは三度も絶対の死から死に損なっている。
 さっきのに至っては助かる道理なんてなかったのに突然不可思議な白煙が────あ。
 そんなことを思いながらようやくシグルドは重大な事を思い出した。

「にしてもあの煙はなんだったんだ?
 あの時は死に物狂いだったせいで大して気にもしなかったが、冷静に考えればあんなの明らかな異常事態だ。
 アレがただの煙な訳がない。それによくよく思えばオレの移動速度でファフニール竜のドレーキエイターから逃げられる筈もねえ……なんで生きてられる?」

 よくよく思い返せばさっきの一件は本当に不思議な体験で、そして明らかに条理の外の現象だった。
 本来ならば不可視である濃密な白煙の中で一切の視界不良に陥らず、ましてや逃げられっこない猛毒の霧から逃げ切った。
 そして何よりも不可解なのがあの突然脳裏に響いてきた声。きっとあの声がさっきの現象の全ての大本なんだと思う。
 事実、あの声の直後に白煙が周囲全域を包み込み、あの声に導かれるようにして自分は絶対死地の人外魔境からこうして逃げ延びた。

「駄目だ、考えてもまるでわからん。まさかレギンが助けてくれた……わけないか」
 オレは一瞬だけもしかしてとも思ったが、すぐにその馬鹿馬鹿しい可能性をあっさり放り捨てた。
 もし養父にそんな男らしい甲斐性があるのならこの魔竜退治でもう少しマシな助力をしてくれている。少なくとも養子だけ死地に残して一人安全な場所に逃げ隠れるなんて真似はすまい。
 この時点であの声が養父でないと馬鹿でも分かる。
「だけどレギンじゃないなら誰があんな手助けを……?」
 考えれば考えるだけ思考の迷路に嵌まり込む。
 オレは金色の長髪がまだ湿ったままの頭をボリボリと掻きながらあれこれ考えていると。

「これはこれは立派な名剣をお持ちですじゃ。もしや悪竜退治に来らした勇者様ですかな?」

「うだあっ!!? お、脅かすなテメ───って、え…?」
 オレはいきなり背後から声をかけられ心臓が止まるくらいに驚いた。
 振り返ると謎の老人がオレのすぐ後ろに立っている。声をかけられるまで気配を全然感じなかった。
 そして二度目の驚き。
 腹にまで届く程の長い髭をした老人に後光が差していた。
 オレは一瞬その老人を神聖な存在のように錯覚し、思わず眼を擦って再度そいつを見直した。
 するとなんてことはないただの襤褸切れを纏った爺だった。片目がないのは病か何かで失ったのだろうか。
 どうやら後光は見間違いだったらしい。
 まあ幻覚や錯覚は無理もない。つい先程まで毒竜を相手にギリギリの極限状態で命のやり取りをしていたのだから。

「おや違いましたかな? 儂はてっきりその立派な剣で悪竜を退治してくれるお方じゃとばかりに」
「簡単に言ってくれる。あのバケモノ竜を殺すなど生半可な真似ではないんだぞ。
 悪いがこっちは大事な休養中なんだ、他人が傍にいると落ち着かない。用がないのならとっとと立ち去れ爺さん」
 オレはそう言って髭の長い老人を追っ払おうとした。
 このみすぼらしい老人は大方この近くに住む木こりか村人といったところだろう。
 いつまでもここに居座られても邪魔だし、何よりこの辺は安全な場所とは言えない。
 しかし爺は一向にこの場から立ち去ろうとはせず、あまつさえ生意気にも竜退治の助言をしてきやがった。

「あの魔竜は巨体で体重も重く歩く度に巨大な尾が地面を擦って浅い溝が出来ますじゃ。なので───」
「あーあーもういい。それ以上は言わんでも既に知ってる。その通った跡に溝を掘ってそこに隠れろと言うんだろう?
 それはとうに実行済みでしかも失敗してる。同じ手は通用しないから困ってるん────」
 などとここまで喋ってオレはしまった、と舌打ちした。
 こんな通りすがりの爺にわざわざ己の恥ずかしい失敗談を話してどうするんだか。
 どうやらオレは九死に一生命を得た事と、こんな怪物が巣食った魔界のような土地で人間に出会った事で、ガラにもなく安心して気が弛んでいるらしい。
 なんて愚かしい油断。ここはまだ戦地だ。体調が整えばまたあの死の毒竜の所へ出発だというのにこれじゃ先が思いやられるぞ。
 オレは気持ちを引き締め直そうと両頬を強めに叩いた。
 すると、
「それではこれをお使いになっては如何ですじゃ戦士殿。
 これは"不可視の穴を掘る事が出来る魔法"が掛かった道具なのじゃが、如何せん儂らでは使い道がなくてのう」
 そんなことを言いながら隻眼の老人はどこからともなく風変わりな形のシャベルみたいな道具を取り出して、こちらへと渡してきた。
「は…? なんだと? 今、見えない穴が掘れると言ったのか?」
 老人から道具を受け取ったオレは胡散臭さ全開の疑いオーラを放ちながら、まじまじとそのシャベルらしき物を観察する。
 形状以外は特に変わった様子はない。
 どうせ下らない冗談だとは分かっていたが、とにかく物は試しにその魔法のシャベルとやらを使って穴を掘ってみた。
「お…お…、おお? なんだ、なんなんだこの軽い手応えの無さは!? オイオイオイ!
 は、ハハッ! これは…こいつは凄いぞ! 石だらけで硬い川原の地面がこんなにも軟らかいなんて!」
 そしたらなんと、地面がまるで泥や寒天のような滑らかな手応えでサクサクと掘れるではないか。
 シャベルは歴とした魔術品だった。しかしこの道具の凄いところはそれだけではなかった。
 さらに興奮することに、本当にこのスコップで掘った穴は外部から見えなかった。
 掘った穴の中に入ると穴が開いているのをきちんと認識出来るのだが、ひとたび穴の外に出てしまえばどこに穴が開いてるのか分からなくなるのだ。
 思い掛けぬドラゴン退治のプレゼントを貰ったオレは新たに降って湧いた勝算に感極まっていた。
 このとっておきの逸品があるなら勝てるかもしれないと。
 オレは礼を言うついでにこんな凄い魔術品を所持していた老人が何者なのかふと気になって訊ねようとした───、

「若者よ、今日はまだあの場所には濃い瘴気が残留しておる。挑むならば毒霧が晴れる明日以降にせよ。
 それから魔竜を刺し殺す際は流れ出す血で溺れずに済むよう隠れ穴を掘る時はもっと深い穴を掘りなされ。
 ファーヴニルに攻撃するのなら奴の心臓を一突きにするように。左腕の付け根を突き刺せば倒せる筈じゃ」

 だが老人はそれだけ言い残すと、霞のように姿を消し去っていた。

「な? お、おい!? どこに行った爺!!」


 結局オレはその後再びあの不思議な老人と出会う事はなかった。
 そうしてシグルドは受け取った餞別を強く握り締めて、またあの異形の魔獣が待つ地獄へと舞い戻って行った。


                    ◇◇◇


 ─────起床してからシグルドは野営地を手早く片付けた。
 昨夜食べ残した兎の肉を火で炙り直して表面の雑菌や汚れを落とすと、肉を四分の一だけ切り取ってそれを朝食にし腹を満たした。
 空腹感でヘロヘロにもならず、尚且つ満腹で動きが鈍るでもない、小腹が満たされた丁度良い感覚。
 消化に良いようゆっくりと噛んで朝飯を済ませたオレは、残りの肉を布で包み、焚き火に水をかけて完全に火種を消し、必要な道具を纏めると、それから目的地へと出発した。

 ファフニール竜がテリトリーにしているエリアを目指して。



「ふぅ、ようやく着いたか。さてといよいよだ、これで最後にしてやるぜバケモン」
 まだ早朝と呼べる時間帯に、シグルドは近所とは呼べないちょっとした山越えのような距離を楽々踏破して魔竜の棲息地へと足を踏み入れた。
 もうしばらく先へと進めば毒竜が根城にしている魔窟へと辿り着く。
 此処はヤツのテリトリーギリギリの地点。
 辛うじて安全圏であると言えなくもないであろう最前線基地さながらの場所で、オレは細心の注意を払いつつ周囲の様子を窺った。

「それにしても………なんだこの静寂さは…?」
 辺り一面は不気味なまでに静まり返っていた。幸い魔竜の気配はない。
 数日前と比べて大きく変貌した風景。
 腐り朽ちて死に掛けた木々が乱立する光景はまるで出来の悪い魔界の森のよう。
 生き物の気配が微塵もしない。
 それどころか動植物が放つ生命の香りすら漂ってこない。風さえ止まり草木が揺れる音も皆無。
 動きというものが一切存在せぬ停止した死に絶えた世界。
 それが幾度もファフニール竜の猛毒瘴気に汚染された棲息地の現在状態であった。

 そうして周辺の敵影と状況確認を済ませたオレは足を一歩前に踏み出してドラゴンのテリトリーに侵入した。
「────ッ!!」
 と、同時に全身に電流のような衝撃が走り、シグルドは咄嗟に口元と鼻を両手で押さえていた。
 毒霧がまだこの魔境内に残留しているような……そんな不吉な予感がしたのだ。
 勿論そんなものは錯覚だ。あの謎の隻眼の老人が言ったように毒素はきちんと晴れている。
 昨日の不思議な白煙が毒性を中和したのか、はたまた清風が吹き飛ばしたのかまでは知りようもないが、とにかく毒は残っていない。
 何度も何度も体感した死の恐怖がトラウマとなっているだけのこと。
 バクバクと早鐘を打つ心臓。ヒューヒューと震える呼吸音。
 恐る恐る呼吸を繰り返しても、やはり命を害する要素など何もありはしない安全な空気。
 オレはココにやって来て以来何度やったかも忘れた安堵の溜め息をまた吐くと、もう一度だけゆっくりと深呼吸をして心を落ち着けた。
「………よし、もう大丈夫だ。やるか」
 そっと小さく決意宣言をして、シグルドは幾度目かの魔境侵入を果たした。


 無音の世界をなるべく足音を殺して進む。
 オレはかつてこれほど風が奏でる草木の葉音や、野鳥の囀り、ささやかな虫の鳴き声、遠方の同類へと向けた猛獣の遠吠えを恋しいと思ったことはないだろう。
 自分の鳴らしてしまう微かな足音ですら警報音のようだと感じてしまうくらいに音の絶えた領地。
 緊張感が半端じゃない。ただ敵の棲家に近付くだけでこんなに神経を磨り減らすとは思わなんだ。
 それに穴を掘る位置を熟慮しなくては以前の二の舞いになりかねない。
 流石に三度もの外敵撃退に成功したせいで悪竜はもうオレが来ないだろうと油断している筈である。
 いや油断してくれなくては困る。そうでなくては勝機は無い。
 オレは慎重に慎重に慎重を四重ほど重ねて、ファフニール竜の魔窟に最も近く、そして音がギリギリ届かないであろう地点を決定すると、そこから最小の音で掘削作業を開始した。

 掘り進める方角と距離の計算は完璧だ。
 襲撃地点からやや離れた所から穴の入り口を掘り始め、そのまま地中を掘り進める。
 全長距離にして凡そ25m~30mの短い小洞窟。
 そしてドラゴンの這い跡の地下にトンネルを通し、等間隔で地表に都合四箇所ばかりの縦穴を作る。
 オレは野営地から持参したハイパースコップを使って黙々とトンネルを掘り進めた。
 常に周囲の気配に気を配り、僅かな異変も見逃さぬよう努めて土を掘る。
 兎にも角にも不思議な老人がくれた地面を寒天のように楽々掘れる魔法のスコップの恩恵は絶大で、普通ならばどんなに急いでも十数日位は余裕で掛かるであろう重作業をシグルドは僅か一日ばかりの時間で開通させてしまった。

 奇襲用のトンネルが完成に近付くにつれ、オレの緊張感は増していった。
 掘削はあくまで準備段階。隠れ穴が完成してからが本番───ヤツとの殺し合いが始まる。
 それを思えば身体が芯から震えた。
 しかしその震えは以前のようなファフニール竜への恐怖だけからくる震えではない。
 戦いを欲する戦士の本能。栄光を欲する英雄の気性。
 言わば震えと奮えが混じり合った武者震いにも似た震えだった。

 そうして重い緊迫感を伴った掘削作業最後の仕上げに、攻撃口となる地表への縦穴をこれまた慎重を何重にも重ねて静かに開通させると、ついに魔竜退治の作戦の要になる奇襲用の隠れ穴が完成した。

 トンネルは人間一人が余裕で入れる大きさの小洞窟といった感じの出来栄え。
 今回は幸運にも作業中毒竜は一度も姿を見せなかった。
 世界はすっかり光の加護を失って、いつの間にやら闇に包まれている。
 オレは顔に張り付いた長髪をかき上げて額の汗を拭い縦穴から天上を見上げた。
 天井にはぽっかりと開いた丸い空。満天の星々と満月が夜を貴婦人のように飾っている。
 随分と現実離れした景色だなと、そんならしくもない事を不意に思う。
 命を懸けた殺し合いの最中だからだろうか?なぜかその何の変哲もないただの夜天が妙に幻想的に見えてしまったのは。
 すると、そんなちょっとロマンチックな雰囲気を───、
 グゥ~っと、栄養を要求する腹の虫の駄音がぶち壊した。
「ハア…、やれやれ。詩的さも風情の欠片もねえな。そんなんじゃあイイオンナも口説けやしねえぞシグルドさんよ?」
 オレは正直な自分の体に苦笑しながら、持参した兎肉の残りを包み布から取り出した。
 穴掘り作業ではそれなりの汗もかいたので、いい加減喉もカラカラに渇いている。
 メインディッシュの兎肉と一緒に冷たい清水を汲んでおいた水筒も取り出し数時間ぶりに喉の渇きを存分に癒すと、オレは兎肉をまた朝食分だけ残して遅めの晩飯を平らげた。


 さあ戦の為の腹ごなしは十分。いよいよここからは持久戦だ。
 オレは今から昼夜を問わず穴の中で虎視眈々と魔竜を殺せる最大の好機を待ち構え続けなくてはならない。
 この魔竜退治の肝は、戦闘能力や知恵ではなく精神力と体力と決断力が成否を分かつ重大な要因となるだろう。
 特に決断力は最重要要素である。
 理屈上はファフニール竜への攻撃チャンスは縦穴と同じ数の四回分はあるが、実際に邪竜に対して攻撃出来るのは奇襲開始を決断をした一撃目だけだろう。
 まず二撃目を加える機会など無いものと思っていた方がいい。
 そして万が一奇襲に失敗してしまえばもう二度と同じ作戦は使えない。
 よってオレに要求されるのは、四度という少ない攻撃チャンスの中で必ずヤツの息の根を止めなければならないという相当難易度の高いものであった。

 だけどもし、もしも一撃必殺を完遂出来ねば───?

 そんなの決まっている。
 無惨に返り討ちにあって殺される末路しか待ってはいまい。
 唯一無二の攻撃機会を仕損じることはこの戦いにおいて絶対あってはならないことだ。
 攻撃チャンスを見逃すのはまだ構わない。
 決断に躊躇し毒竜が穴の上を通り過ぎてしまうという事態もまだ致命的にはならない。
 勝負は持久戦なのだ。不可視の穴の存在さえファフニールにバレなければ、何日でも穴の底で攻撃機会を待ち続けることは出来る。
 だから一番危惧すべきは、攻撃を決行して仕留められなかった場合。
 こっちはもう最悪も最悪で完全にアウト、デッドエンド直行だ。こんな狭い穴の中に潜んでいては素早くこの場から逃げることすら出来ないのは確実であった。
 失敗は許されない。
 絶対確実に殺せるという絶好のタイミングを見抜き決断する力と、万が一すら起こさぬ急所への正確無比な必殺の一撃がこの決戦の全てとなる。

 落ち着かない無音の暗闇の中で、オレはひたすら息を殺して突き殺す相手の到来を待ち続けた。
 一時間、二時間、三時間と時間がのろのろと流れてゆく。
 魔竜はいつ来るかわからない。
 オレは身動きも殆どせずに隠れ穴から周辺の気配を探知するべく神経を研ぎ澄ませていた。
 外気はかなり冷たそうであったが、穴の中という環境が夜間の寒さを和らげてくれている。
 しかし息苦しさだけはどうにもならない。
 トンネル内の空気穴は計四つあったが、それでも人間一人が何時間も居座り続けるのに必要な酸素量として十分とは言えず、シグルドは時折酸欠で朦朧としかかる意識をどうにか叩き起こそうと、酸素求めて縦穴口近くまで顔を寄せて息苦しさを凌いだ。

 狭い穴の中で一人。
 身動きも大して取れない四肢の不自由さと、空気が足りぬ息苦しさと、肌が密着した部分から伝わってくる地面の冷たさ。
 激しくヒトの不安を煽る無音の闇。一切何も見通せない黒一色の洞穴。
 だけどそれにも耐える。
 敵はまだ現われない。緊張でヒリヒリと喉が渇く。尿意を催しては面倒だと水分はなるべく取らない。だが脱水症状を起こして倒れるのも論外だ。最善の頃合を見計らって僅かな水分補給を数時間おきに繰り返す。
 オレは的確に適切に過たず正しい行動のみを積み重ねながら、いつ来るとも知れない死の怪物を黙って待ち続けた。
 この時点でシグルドの忍耐力精神力は疑いようもなく英雄だと讃えるに相応しいものだった。
 こんなこの世の果てとも思える魔境で独り、最強の毒竜の待ち伏せるなど人間ならばきっと二時間も保ちはすまい。
 この地はそれほど地獄。魔女の釜底のような所だ。
 腐敗と汚濁と狂気。心臓を握り潰さんばかりのプレッシャーと発狂しそうなばかりの恐怖が蔓延する最果ての異界。

 そんな場所でオレは、恋人がやって来るのを待ち焦がれる乙女のように何時間もただジッとその場で待機し続け……、
 そして気が付けば、世界に光が昇っていた───。

「………夜が明けちまったか」
 外界が朝陽によって白み始めても周囲からは相変わらず朝鳥の囀りは聞こえて来ない。
 普段であればクールに見えるであろう青年の美貌も流石に今日ばかりは形無しだった。
 夜通し緊張感を保ったまましかも一睡もしてないという影響は、充血した両眼と下目蓋に浮き出た黒いクマという目に見える形で表われていた。
 だがしかし若い戦士は気力体力の消耗はあれど眠気は微塵足りともなかった。
 いやそれも当然か。命懸けの大勝負の真最中で眠気など催す筈もなし。脳髄から絶えず分泌されている脳内麻薬が英雄の覚醒状態を維持し続けていた。
 しかしただ座して待つだけでは流石に暇を持て余す。
 朝陽の明かりを頼りに兎肉の最後の残りをゆっくりと齧る。
 火で炙り直せない兎肉は油が冷え固まりあまり美味い代物とは言えなかったが、この際味なんてどうでもいい。
 ドラゴンの心臓を一撃で貫く為の燃料源にさえなってくれれば文句はない。

 オレは朝飯を沢山時間をかけて消化吸収すると、再び身を潜めて魔竜が巣穴から這い出てくる瞬間を待った。
 太陽が山の彼方から昇り切っても未だに若者が身を置く世界は静寂に沈んでいる。
 最初から分かり切っていた事ではあったが、やはりその事実には再度畏怖せざる得ない。
 もうこの毒竜の領地内に生き物は何一つとして存在しないのだ。

 自分とヤツを除いて───全てが滅びた。

 もしかしたら此処では全てが滅び去る運命にあるのかもしれない。
 ではこのまま自分もまたその他の大勢の生命と同様の末路を辿るのか…?
 毒殺《イヤ》な結末が脳裏をよぎった。
 不吉な予感は強くイメージしてはならない。強く想えば想うほど不吉な予感は現実のものとなってその身に降りかかってくるから。
 だけどオレの口元はそんな未来を想い───、
「ふん、上等だぜ。死ぬのはキサマで、生き残るのがオレだ」
 ただ静かに哂っていた。


 そうやって一体どれほどの時をこうして待ったのか。
 つい曖昧になりそうな程の長く重苦しい時間を待ち続けて。
「随分と待たせやがって。ようやく出て来たな、あのヤロウめ」

 ついにとうとう、殺す対象の気配を克明に感じ取った───。

 ズシン、ズシンと魔竜が一歩ずつ歩みを進める度に地が鳴った。
 地鳴りの震源地はまだ遠い。ドラゴンの足取りは遅いとまでは言わないがやけにのんびりとしている。
 オレは穴底で地面に耳を当てて敵の様子を探った。
 警戒心のない足音から察するにファフニールは完全に油断し切っているように感じられる。
 己の命を狙う暗殺者が地の底に潜んでいるとは予期すらしていない。
 ゴクリと、カラカラに乾いた喉が生唾を嚥下する。
 ここに来て、シグルドの緊張感が一気にピークに達した。
 ヤツの足音を耳にした瞬間に疲労感や眠気など明後日の方角に吹っ飛んだ。
 加速的に高まってゆく集中力に自分でも驚くばかりである。
 毒竜の足音が徐々に隠れ穴に近付くにつれて、オレの心臓の鼓動も速度を上げてゆく。
 失敗はできない。
 失敗はゆるされない。
 失敗はあってはならない。
 失敗は論外。
 失敗は死。
 失敗は死。
 失敗は死。
 失敗は─────!!

「ア……はっ、ハッはぁ、ハア…はアァ、はぁはぁはぁあはぁ…!」
 知らず知らずの内に呼吸が相当乱れていた。
 内臓全部が引っくり返りそうな重圧感。胃袋を喉から吐き出したい気分だ。
 ファフニール竜が無意識に放つ威圧の悪影響なのか、怖気で全身の産毛が総立ち平衡感覚までもを失いそうになる。
 悪酔いした酔っ払いのようだ、とオレは揺れる両脚を必死に抑えつけながら思った。
 すると、まるで邪竜はこちらの状態を見抜いた上で臆病者と挑発するかのように、突然激しい雄叫びを上げた。
 ドラゴンの咆哮が炸裂したと同時にオレの肉体を海底の水圧みたいな加重が襲う。
 危うく心が一撃で折れそうになった。
 口を固く引き結んで必死に耐えた。口内に血の味が広がる。どうも唇を噛み破ったらしい。
「チィ、あのクソトカゲが。このタイミングでなんつー味な真似を……!」
 かなりマズイ。緊迫感と恐怖と戦意が一気に噴出した反動を体がまともに受けてしまっている。
 不確かな手足の感覚はどこか死の香りに酔う泥酔者のようで頼りない。
 感覚がなかなか元に戻ってくれない。このままでは退治する筈の魔物から逆にくびり殺されてしまうのがオチだ。

「やばい、ヤバイヤバイヤバイ───! 早く感覚を戻さないと殺られちまう!」
 オレは必死に落ち着こうと何度も何度も深呼吸を繰り返す。
 毒竜の足音は既に近い場所にまで這い寄って来ていた。
 しかも怪物がこちらに接近すればするだけ肌で実感出来る圧倒的な竜種の力。
 空を飛ぶ為の両翼を持たぬ地竜ファフニールの足踏みは地響きなんてレベルではなく、もはや地揺れとなっていた。
 象よりも重い巨体と巨人よりも強い怪力が大地を易々と踏み砕く。
 魔竜は怪獣大行進もかくやといった迫力で水飲み場へと向かっている。
 オレという伏兵に気付かずに。

「…………………………」
 息を殺して全神経を極限まで集中させたオレは、いつでもグラムを突き穿てるよう切っ先を天空へ構えた。
 さっきまでの身体の痙攣も不確かな感覚も全部が夢幻の出来事だったみたいに今はピタリと収まっている。
 コンディションは万全と呼べた。これならいけると静かに確信するシグルド。
 ズシンズシンだった毒竜の足音が今ではズドン!ズドン!に変わっていた。ズルズルと巨大な尾を引き摺る音。グラグラと揺れる地面。
 オレの心臓がドクドクドクドクドク!と高速の早鐘を奏でている。長距離全力疾走の直後みたいな心拍数の急上昇が招く嘔吐感。
 ここで何もかも吐き戻せればどんなに楽になれるだろうか?
 オレはそんな軟弱な悪魔の誘惑を斬り殺して、ファフニール竜が隠れ穴の真上を通過する瞬間をまだかまだかと待ち焦がれた。

 そして────とうとうその時が来た。

 ついに穴まで残すところ数歩といった位置まで最強の幻想種がやって来た。
 ズドン!ズルズル。ズドン!ズルズル。規則正しいリズムが刻まれる。
 あと五歩。
 足音に紛れ込ませてオレは最後の深呼吸をした。十分に酸素を肺細胞に溜め込むと息を止める。
 あと四歩。
 右手の魔剣の柄をきつく握り締めた。掌からは冷たい鉄の手触りが伝わる。
 地揺れはより一層激しくなるばかり。足元を取られそうになるのを懸命に踏ん張る。
 あと三歩。
 心臓はドグドグドグからバグバグバグに変わっていた。
 喉がとてつもなく渇く。邪悪な魔竜を退治した後に飲む勝利の美酒はさぞ美味いに違いない。
 地中に伝わる地竜の足音が太鼓みたいに轟いて喧しい。
 意識がかつてないまでに冴え渡っている。
 あと二歩。
 死霧を噴く最悪の毒竜がついに隠れ穴まで到達した。
 気配を消し去って殺意さえも押し殺す。機械的な心境で、機械的な動作を以て、機械的に対象を仕留める。
 体内外の時間と流れが何もかもが停滞。悪竜の全体像をくっきりとイメージする。穴の底から心の臓に狙いを定めた。

 あと一歩────!!


 "────あばよファフニール─────!!!"


 シグルドは渾身の力で魔剣グラムを突き上げた。
 そしてグラムの刃は悪竜の心臓を寸分違わぬ正確さで捉える。
 完璧に貫かれた即死の急所。
 完全勝利。
 全てが予定通りだった。

 魔竜からの思いもよらぬ妨害さえ入らなければ────。


「~~~~~~~!!!」
 オレは声にもならない無言の絶叫を上げて直上型の大地震に死に物狂いで耐えていた。
 激しい縦揺れの衝撃で攻撃どころか身動きさえ全く取れない。
 今の一撃でトンネルが崩落しなかったのはまさに奇跡的僥倖だった。
 全身を抱きかかえるようにして体を丸め、顔面蒼白で地揺れで鎧や鞘が暴れるのを押さえ込んだ。
 絶対に僅かな物音も立てられない。愚鈍そうに見えても相手は魔獣。人間よりもずっと五感は優れている。こんな間近で物音など鳴らせばきっと発見されてしまう。そして見つかれば無慈悲な死が待つのみだ。
 頭上に見えていたファフニールの腹部がトンネル一番端の攻撃口《たてあな》から遠ざかっていく。
 こうして結局オレは魔竜を攻撃することも出来ず一度目の攻撃機会を失った。
 気持ちを切り替える。勝負はまだ終わっちゃいない、チャンスはあと三回ある。
 ヤツが頭上を通り過ぎた後、オレは素早く上着と靴と防具類を脱いだ。
 それから上着の布をクッション代わりにして鎧の金属音が地面の震動で鳴らないよう工夫すると、態勢を立て直したオレはすぐさま毒竜の後を忍び足で追跡した。
 地竜の足踏みが生む震動に足元を攫われて転ばぬよう注意しつつ、気配と足音を殺して進む。軍靴を脱いで裸足になったおかげでの足音は殆どしない。
 シグルドは移動速度を上げて一気に標的を追い抜きにかかった。
 敵は移動式地震発生装置の如く常に地揺れを巻き起こしながら水源を目指して直進を続けている。
 オレは声にこそ出さなかったが内心かなりの焦りを感じていた。
 震源位置から判断するに邪竜は既に二番目の穴を通り越しているようであった。
 両者がこのペースで進むと三番目の穴にはギリギリ間に合うかどうかの非常に際どいタイミングになりそうだった。

 ファフニール竜には三番目の出口で間髪入れずに強襲をかけるか?
 あるいは四番目の出口へ先行してヤツを待ち伏せるか────?

 どうする。どうする?どうすればいい? どうするのがベストなんだ!?
 トンネルは残すところ10m程度の距離しかない。
 おまけに三つ目の出口はもう目の前だった。天井の穴から差し込む外界の光が穴底を照らしている。
 考える時間など五秒もなかった。

 オレは迅速に決断を下すと、魔竜が三番目の穴を通り過ぎるよりも一足先に、三度目の貴重な攻撃機会を潔く放棄した。
 第三出口を未練なく通り過ぎると四番目の縦穴──つまり最後の攻撃窓を音も立てずに目指す。

「ふっ、ふっ、ふ……!」
 どうにか大魔獣に悟られずに最後の穴底まで辿り着けたシグルドは物静かにその場にしゃがみ込んだ。
 若干だが息が乱れている。極限の緊張感の中を走り抜けたのが少々堪えたらしい。あとやはりトンネル内の酸素が酷く薄い気がするのも息が乱れている原因の一つか。
 とにかく攻撃開始前に何が何でも状態を回復させなくてはいけない。数十秒程度の非常に短い時間であろうとも回復に努める。
 ────勝利を掴むために。

 ドズンドズンと一定のリズムを奏でるドラゴンが最後の攻撃地点に接近する。
 小洞窟の入り口に最も近い四つ目の隠れ穴にて刺し殺す怪物を待ち伏せるシグルド。
 これが本当の本当に最後の攻撃チャンス。
 この機会を逃がせばまたファフニール竜が水を飲みに巣穴から這い出てくるまで待機を延々続けなくてはならなくなる。
 本来ならばこの瞬間こそが魔竜との対決を通じて最も緊張して然るべき場面。
 しかし、オレの心はなぜかさっきよりも遥かに落ち着き払っていた。
 心臓の鼓動も平常数。呼吸はとうに正常化。手に汗を握っていた掌は完全に乾いていた。緊張でずっとカラカラだった喉も今ではさほど気にならない。
 直前に起きた攻撃中止という予想外の大ハプニングが思わぬ形で役に立っていた。
「─────────」
 落雷のような竜の喧しい足音が意識の外へと弾き出される。
 己の心臓の音が感じ取れる。まるで穏やかな湖畔の水面みたいな静けさ。重度の緊張感も心身を蝕む焦燥感もない。
 全身を高速で駆け巡る血潮。じんわりと暖かくそして頼もしいくらいのスピード。父シグムンドから授かった英雄の血かどこまでも行こうぜと語りかけてくるようだ。

 ────作戦決行か、それとも中止か────。


 オレは最後に両眼を閉じてもう一度だけ短い熟考をすると、

 今日ここでファフニールを殺すと英断を下した。

 ついに最強の敵が襲撃ポイントまで到達する。
 英雄が潜んでいたトンネル内が暗闇に包まれた。ヤツの馬鹿でかい図体《クビ》が隠れ穴を覆い隠し、天井から入る日の光を遮断したせいだ。
 まだだ、焦るなまだ早い。
 仕掛けるには若干早い。もう少し引き付けろ。
 ズシ…ン。とファフニール竜が硬い鱗に覆われた右前脚と左後脚を一歩先に進めた。
 ドラゴンの太い脚が大地を踏み鳴らして生まれた気流が何枚かの葉っぱを吹き攫う。
 葉はそのまま隠れ穴の中へと落下。頭上から葉の雨を被り、頭や肩や背中などに木の葉がくっ付いたがオレは払い落とさず無視する。
 あとほんの僅かだけ待て。一撃で殺せなければ全部無意味になる。
 だから必殺のタイミングだけを狙え。
 さらに魔竜がもう一歩前へと左前脚を踏み出したその一瞬を─────、

 ───シグルドの手にした魔剣グラムの直刀が襲う!!
 
「────う、おおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!」

 咆哮は百獣の王よりも気高かった。
 魂で雄叫ぶ勇者が渾身の力で一撃必殺の刃を突き上げる。
 しゃがんでいた両脚がバネとなって弾ける。全身のしなやかな筋肉が爆ぜ、ロケットのように天空を目指して発射された。
 鋭く無駄のない銀色の刺突。剣が矢を凌駕する速度で閃く。
 そしてズブリ───と、白刃が竜の腹部へ無遠慮に穿たれた。
 絶対に貫けなかった外皮と比べれば鱗に覆われていない腹部のなんと軟らかく感じることか。
 とは言えどあくまで竜鱗と比較しての話に過ぎない。
 悪竜の腹を刺した手応えはやはり分厚い大木を刺し貫くようなもので、抜群の鋭利さを誇るグラムを以てしても途方もなく重たく、そして切れ味の悪い手触りがした。

 しかしそれでも、オレは確かにファフニール竜の弱点に最高の一撃を加えていた。

 地震による攻撃失敗もなかった。
 今にして思えば一回目のハプニングはまさしく神々の天啓だったのだろう。あの苦渋の中断は間違いなく今回の奇襲に活かされたのだから。
 否、そればかりか大震動の予備知識がなければ成功もしなかったかもしれない。
 激しく震える大地を物ともしないでドラゴンの腹に躊躇せず精確に魔剣をブチ込むなんて真似は。

 魔竜の腹に飲み込まれた白銀の刀身から、ツゥーっと、真っ赤な雫がシグルドの手元へと伝ってくる。
 ただの一滴でも濃密な匂いと魔力が閉じ込められた血液。
 栓となっているグラムを引き抜けばもっと大量の鮮血が噴き出してくることだろう。
 あの謎の老人の竜血に溺れぬようにという助言に従って穴をなるべく深めにしておいて正解だったかもしれない。
 ドラゴンはこれだけの巨体なのだ。きっと全身に血を送る心臓だって相当巨大だし、血液量も人間とは比較にならぬくらい多いに違いない。
 オレはもう一度深呼吸をして、この後襲われるであろう出血の滝に備えた。
 そして、父の形見グラムをファフニールの心臓から引き抜こうとして、


 ─────────心臓が凍りついた。


「あ────ぁ、ぁ、ア…あ───」
 オレの眼前に朱色の玉が二つ。
 猫や蛇みたいに鋭く縦細った瞳孔。睨みだけで凶暴な猛獣を追い払うギョロリとした目玉。
 そんな鮮血よりも妖しく濡れ光る双眸と美貌の青年の眼が合っていた。
 穴に潜んでいた英雄と、体の下の穴を覗き込む竜。お互いに天地が逆転し、相手の顔が逆さに見えた。
 シグルドの四肢は金縛りにあったかのように動かない。そればかりか喉が固まり声すらも出せない。
 ただ一つ、

 ───仕損じた───

 絶対にあってはならなかった絶望があるのみだった。

「グブッ……、ゴグルルル! まざかな、まさか未だに我がテリトリーをウロヂョロしておったとはなァ……!」
 牙が乱立する大きな口から大量の血を逆流させている癖に、まるで奇襲が効いてない風にバケモノは哂っていた。
 それがオレにはどうしようもなく不気味で恐ろしかった。
 ファフニールが頭部に被っている『恐怖の魔兜』など足元にも及ばない純粋な恐怖。
「───ァ、な、なん…でだ? なぜ………オレ、は、心臓を、確かに───不死身……なの、か…?」
 上手く舌が回らない。脳が言語機能を失ったみたいだった。
 無様な馬鹿面を晒しているオレにヤツが頭上から嘲りながら称賛を投げかけてくる。
「やるではないか糞餓鬼が、我が鉄壁の肉体にこれほどの手傷を与えた者は未だかつて居なかったぞ。
 おまえが最初だニンゲン。だが惜しかった、とてもとてもな。
 勇猛果敢でこそあったが所詮は人間の一撃。
 存在の、生命の格が、根本から違うのだこのムシケラめ。貴様如きでは────我が心臓には届かぬわ」

 羽虫でも眺めるような魔毒竜の赤眼。
 傷の激痛を紛らわす演技やこちらを騙すハッタリなんかじゃない。
 目は口よりも物を語るもの。
 瀕死どころか死ぬ気配すらない魔眸が何よりの真実。

 ───ファーヴニルは殺せない───。

 シグルドは確かに最高のタイミングで最高の急所へ最高の一撃を繰り出した。
 なのにドラゴンは死んでいない。

 オレは失敗した。
 奇襲を失敗したんじゃない。
 思い知るのが、物事の道理を正しく理解するのが───致命的に遅すぎただけ。


 天地が引っくり返ってもラグナロクが起ころうとも勝てない相手なのだと、そもそも決して挑んではならなかった相手なのだと、オレは己の死を前にしてようやく思い知った────。


 倒せると思ってた。
 なんて馬鹿な思い上がり。

 英雄の子である自分ならば毒竜を殺せると信じてた。
 なんて悲惨な勘違い。

 竜を退治して最高の英雄になれると思ってた。
 なんて痛々しい妄想。

 真正面から戦わなければ勝機はあると本気で考えていた。
 なんて無様な結末。

 シグムンドの子シグルドは……オレは………。
 なんて哀れな道化。

 ああ、なんて。
 なんて─────こわい。

「───ア、…ァ…ァ、ハ」
 シグルドの体がガタガタと震え出す。
 青年の美貌が恐怖に引き攣り、目尻には涙が薄っすらと浮かぶ。
 極寒の北欧の海よりも痛寒いザクザクとする寒気が脳髄に走り末端神経を侵してゆく。
 心臓はとっくに機能低下を起こしており、肺は大気から酸素を取り込んでくれない。

 そんな絶望するだけの哀れで嗜虐心をそそる生贄の姿に最強の魔獣ファフニール竜は大変満足そうに哂った。
「グゥルルルルン…! しかし作戦は見事だったぞ?
 よもやこんな不可視の魔術が掛かった穴に潜んでいたとは刺されるまで気付かなんだ。
 一体どこの誰の入れ知恵だ? 我が弱点を知る者などそうは居な───そうかレギンの奴か?
 もしやあの愚弟の入れ知恵なのか小僧?」

 爛れた血色の目玉が金縛りのシグルドをまじまじと覗き込む。
 そして相手の表情から答えを読み解くと、悪竜は不快な濁声(だみごえ)で盛大に爆笑していた。

「ぐる──グルワァーガッガッガッガッガ!!! 
 そうかそうか! おまえはレギンに唆されてこの地獄へ来てしまったのか!
 まさか本当に可哀相な生贄だったとはなッ! これは傑作だ! ガルグッグッグッグッグッ!!
 しかしいつか屑《レギン》が我が黄金を狙ってくるだろうとは思っていたが……その刺客がおまえのような餓鬼とは拍子抜けだ。
 いや…それは違うか。あの屑は屑なりに人を見る目だけはあったらしい。
 なにせアイツの送り込んだ刺客は曲がりなりにも我が肉体に十分な傷を与えたのだからなァ!!」

 存分に笑い明かした魔竜が戦意を失った勇者の顔を再びギロリとその血走った目玉で睨み付けた。
 睨まれてシグルドの体がビクリと畏縮する。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
 いくら命に別状はなくとも痛みがあることに変わりはない。
 致命傷ではないとは言えど、こんなちっぽけな虫ケラ風情にこれだけの傷を受けて激昂しない怪物などいない。
 事実、ファフニール竜は肝が煮え繰り返らんばかりにこの小蝿《シグルド》に対して憤怒を覚えていた。

「絶望も終いだ小僧。我が体に手傷を負わせた褒美としてコレを手向けにくれてやろう。
 猛毒の魔霧"ドレーキエイター"をも上回る死滅の竜毒"ドルング"を───!!」

 死刑宣告をするや否や、ファフニール竜が吐血で汚れた牙の並ぶ顎を僅かに開いて大気を吸い込んだ。
 ガチガチと歯を鳴らして脅えるシグルドは何も出来ずにただ敵の切り札の準備が整うのを待つのみ。
 完全に戦意喪失の勇者はこの隙を突いて邪竜へ反撃に出るどころか、逃走すらも出来ないボンクラに成り下がっていた。

「骨肉どころか魂も残さず殺し尽くしてやる。
 我が"ドルング"によって魂が死滅したおまえはヴァルキュリアによってオーディンの下へ誘われる事もなくなるだろう!
 当然戦士達の切望だとかいう"エインヘルヤル"なんて下らんモノになることもないッ!!」

「─────────────」

 ───ドグン。
 と、そのとき心臓が一際力強く鳴った。

 魂が死ぬ……?

 その言葉を聞いた瞬間、オレの体の震えや恐怖が瞬く間に静まった。
 纏わり付く泥のような絶望感が消え失せ、そして時間の流れさえも止まる。

 ちがう、そうじゃないだろうシグルド。
 聞き逃せないのは魂の《ソ》死滅《レ》じゃなくてその後だ。
 あのバケモノは確かにこう言った。

 ───ヴァルキュリアの誘いもなければ、エインヘルヤルになることもない───。

 どんな死よりも惨い行為。
 オレの…、オレら北欧の戦士達の唯一の望みを……。
 死後、戦乙女にヴァルハラへと誘われ"大神の戦士"《エインヘルヤル》になるという希望があるからこそ、我らは死も恐れない勇猛果敢な勇士で在れるというのに、その救い《いやし》が……無い?


 そうか、命だけでは飽き足らずそれさえもキサマは奪うのか──────。

 シャリン…と鈴のような美しい金属音を鳴らして心の奥底に眠っていた勇者《じぶん》が封じられた鞘からグラムを抜き放つ。



「グゥルルルルル…! どうだ? 嬉しかろうが!
 かつてこの身に挑んだ無数の救えぬ莫迦共と同様に愚か者は愚か者らしく…」

 ファフニール竜の凶暴な顎が全開した。
 赤黒い口の奥から極大の邪気を湛えた毒袋が顔を覗かせている。
 一方的な虐殺に酔う邪悪な魔竜の凶眼が愉悦の形に醜く歪んでいた。


「そうかよ。無数の名も知らぬ戦士達の唯一つの救いを、テメエはそうやって薄ら哂いながら惨たらしく奪ったのか」


 なんて馬鹿な思い上がり。
 まったくその通りだ。

 なんて悲惨な勘違い。
 悲惨すぎて目も当てられない。

 なんて痛々しい妄想。
 愚か者とは得てしてそんなもの。

 なんて無様な結末。
 これ以上無様な末路を辿る奴はそうはいまい。

 なんて哀れな道化。
 何度も何度も思い知らされた果てにようやくおまえは理解した。

 ああ、なんて。
 なんて─────恐れるに足りない魔物だと言うコトに!!


 右手にはのちに最強の魔剣と讃えられる太陽剣グラムの柄がしっかりと握り締められている。
 つまりはそういうこと。
 それがシグルド《オレ》の本質《ホンネ》だ。
 心がへし折られても体が絶望しても、今もまだこうして魔竜に穿った剣の柄を握り締め続けている意味《ワケ》。
 本物のグラムを抜刀した心の奥底の勇者《じぶん》が身動ぎせずに長剣を構えている。



 ──────だから、この手で殺さなければ。



 魂が殺意を湛えて燃え盛る。
 激情は怒りの劫火と化して、絶望も恐怖も苦痛も憎しみも諦めも憐憫も、何もかもを焼き尽くす。
 このゲス野郎だけは許すつもりはない。
 死して神々の軍団に。いつか偉大なる大神オーディンの兵士に。
 エインヘルヤル《ただそれだけ》を魂の救済として魔竜に挑み、そして虚しく戦死していった無数の戦士達。
 殺したコトをとやかく言う気はない。
 戦士の生きる世界とはそういうものだ。
 無力が悪であり、弱い奴は無様に死ぬ。ただそれだけの話だし、これからもその理のままでいい。
 シグルドが魔剣の柄をより一層固く固く握り締めた。

 だが、魂の救いすらも踏み躙り彼らの魂を闇の底へと突き落とした貴様をオレは絶対にゆるさねえ────!!



 オレの目の前で莫大な魔力を動員している波動を感じ取れた。
 魂を完全に砕くファフニール竜の最終兵器・毒竜砲が英雄のすぐ眼前で展開されようとしている。
 魔獣の大口を全開にして放たれる必殺の名はドラゴンブレス"ドルング"。
 毒霧の"ドレーキエイター"以上の問答無用さで心身霊魂を滅ぼす竜の砲撃。


「せいぜい刃向かった相手の強大さに後悔し絶望しながら死に逝け─────ッ!!!!」
「ああ、テメエがくたばれ───!!」


 右手にありったけの膂力を込めてファフニールの腹に突き刺さった白刃をさらに奥へと突き入れた。
「……ブグ─────ッ!!!? ギ、ギザマ…ァ!!」
 さらなるダメージを負ったヤツが血を逆流させた。
 観念したと思っていた生贄の予定外の抵抗に悪竜が小さな悲鳴を上げる。
 だがこんな程度でこの邪竜が死なないのは先刻承知。
 剣尖は竜の心臓から微妙に逸れていた。どれだけ深く貫いても心臓を抉らないのだから死ぬ筈もない。

 ああもうちゃんと理解ってるぜ───グラムよ。
 おまえの本当の力は。
 おまえの本当の銘は───。
 父シグムンドの形見であった支配者の魔剣グラム・バルンストックがまるで卵の殻が剥がれるようにボロボロと崩れ去る。
 そして孵化した中身と溶け合い一つの名剣となった。

 オレは体中の全魔力を右掌に集約させると、魔剣の柄へと全力全開で叩き込んだ!


 発射される必滅の毒竜砲より僅かに先んじて、奇跡を具現する真名《じゅもん》が紡がれる────!!




「─────運命られし破滅の剣《グラム》───────!!!!!」




 瞬間、途方もない力が爆ぜた。
 新たなる魔剣の力は以前の支配者の魔剣とは何もかもが次元違いだった。
 眼球を焼かんばかりの爛々たる輝きを放出する太陽の魔剣。
 この地上に存在する灼熱という温度如きでは競うまでもない、いや競う資格もない炎熱。それはさながら太陽の熱量だった。
 万物を焼き払う魔炎の太陽が一振りの刃と化して天へと穿たれる。
 すべては一瞬の出来事だった。
 魔剣グラムの刀身から爆裂した力の奔流はファフニールにドラゴンブレスを撃たせる暇さえ与えず、ヤツの半身を修復不可能なまでに完全破壊すると、天空の彼方へ昇竜のように昇って消えた。

 勇者と魔竜の勝負に完全な形で決着がつく。
 恒星の如き膨大な熱量と光を伴った太陽剣グラムの真なる攻撃は魔竜の巨体を一撃で焼滅させていた。

 シグルドが地中の穴の中にいた事は、ここいらの地域にとって幸運中の幸運だった。
 もしも万が一『運命られし破滅の剣』が上空へではなく地表へ向かって使われていたならば、きっと森や山の一つや二つ焼却され消えていたであろうから。


「─────ゴバッ、ぶぐ──ブ…ッ!!」
「今度はこちらが教えてやろうファフニールよ。
 おまえの敗因はただ一つ。オレが偉大な勇者の息子で、そして英雄だったコトだ。
 だからここで死《おわ》る筈がない」


 倒した相手にクールにそう言い放ったシグルドは剣を引き抜いた。
 半身を失った衝撃でファフニール竜が大量の血液を体中の穴と言う穴から逆噴射させる。
 特にオレがグラムで吹っ飛ばした傷口からの出血量は尋常じゃない。
 心臓の一部分と左上半身が破壊されたせいで溺れんばかりのどろり濃厚な竜血がドバドバとオレの居る隠れ穴へと流れ込んでくる。
 瞬く間にオレの全身が血の色で真っ赤に染まっていく。
 鍛え抜かれた肉体美を誇る上半身も、大勢の女が夢中になるであろう涼やかな美貌や唇も、戦いの要になる両脚も、背中まで届きそうな金色の長髪も、全部が毒々しい朱色に染められていった。
 口の中まで竜の血の味がする。どうも少し飲み込んでしまったらしい。
 しかし生き血と言う割には嘔吐感を催すような味ではない。むしろ珍味的な…そんなに悪くない気さえした。
 このままだと血の川が出来そうだ。などと考えていると、案の定足下に落ちていた木の葉が船となって血の川に流されて行った。
 さっき頭から被った葉っぱだ。竜への攻撃と同時に青年の体から地面に振り落とされたのだろう。

 そうして物凄い量の血を流したファフニール竜は巨体を支えていた四肢の力を失い、ついに横転した。
 ズズ…ンと重苦しい音が周辺全域に響き渡る。
 それはこの人外魔境に君臨していた魔獣の王者がその玉座から転落した音でもあった。


「名を───おまえの名を教えては、くれまいか?」
 己の死を予感したファフニールは横たわった態勢のまま長首だけを動かして血で染まったシグルドの方を見やると、唐突に自分を斃した勇者に名を尋ねた。
 するとオレは、
「ザイフリート」
 と、赤色の氷像みたいな顔でそう返事した。
「ガフッ! ぐるるる……もう長くは…ない、つまらぬ嘘は…やめるがいい。
 ……貴様の、我が身を滅ぼした勇者の本当の名は、なんと言う?」
 しかし魔竜はこちらの嘘をあっさり見抜くと、もう一度同じ質問をした。
 オレは仕方なく今度は違う台詞をファフニールに返していた。
「断わる。貴様に名乗るつもりはない。
 死せる者の最期の言葉は時として呪詛に変わる。特に貴様のような幻想種ならばヒト以上に呪いになり易かろう?」

 この時点でシグルドは既にある程度の神秘の知識を武芸や様々な技能と共にレギンから教え込まれていた。
 故に、彼は竜に真名を教えない。
 青年の言葉通り、死に瀕した者の怨念《ことば》が呪いになることを知っていたから。

「ふふ、呪いなどいちいち掛ける必要はない。そんな、真似をせずとも、どの道オマエの…命運は同じ、なのだからな。
 ぐるる…あの姑息なレギンが、宝を手に入れた貴様を、放っておく…道理はない。
 ブ、ゴホ……だがまあよい、名乗る程の価値もない名ならば、わざわざ知る必要もない」
 そうつまらなげに言って魔竜は目蓋を閉じた。
 だがそこまで言われて引き下がるほど、オレは自分の名と父の偉名を安いとは思っていない。
 オレは呪詛でも何でも好きにしやがれという意味を篭めてフンッと鼻を鳴らすと、死亡間近のファフニール竜に向かって自分と父上の名を告げた。

「死に際の妄言も大概にしておけ毒竜。オレの名の価値が如何ほどかは貴様が一番知っている筈だ。
 そこまでして知りたいならばいいだろう、くたばる前にオマエを斃した英雄の名を覚えてから逝くがいい。
 ─────我が名はシグルド。偉大なる勇者シグムンドの息子なり。
 そして父上を超えてこの世で最高の勇者になる英雄だ──────」

「そうか、おまえは…シグルド、という名か………良い、名前だ」
 ファフニールは噛み締めるようにオレの名を呟くと、
「ふ、くく…やはり、あの黄金を持つ者は……こうなる、運命(さだめ)か。
 勝利者よ聞け。財宝は…、我が巣穴の、最奥に隠して…ある。
 欲しければ、全部、くれてやろう、持ってゆくがいい。
 だがしかし、ゆめゆめ忘れるな。あの黄金は、この身と同様にいつか、おまえにも……災いを、もたらすで、あろ…ぅ」
 そうして最期に、自分を殺した相手への態度としてはむしろ好意的とも呼べる態度で、魔竜は勇者の未来を告げ息絶えた。
 期待などしていなかったが、ファフニールは自分の宣言通り本当に呪いをかけなかった。
 そのことを少しだけ意外に感じながら、シグルドはグラムに付着した血を拭い去ってから鞘に納刀した。

 この死地で生き残ったのは自分一人。
 生の実感を五体で確かめ、そして思う存分に勝利に酔う。
 時間がゆるりと流れるに従って薄れゆくこの美酒の味がとても名残惜しい。
 そうしてシグルドは、最強の毒竜をこの手で仕留めたという魂を揺さぶる感動にいつまでも浸っていた。



       ◇               ◇



 ───その後、シグルドはつまらぬ瑣末事を片付けると、この君臨者を失った魔境を後する準備を整えた。

 跡に残ったのはファフニール竜の死骸と、首を刎ねられた養父レギンの死体。



 最期まで強欲に取り憑かれていたレギンは無惨に自滅した。
 己の手を汚さずに何もかもを他人に押し付けたのがそもそもの間違いだったのだ。
 竜退治だけでなく、ファフニールの死体から祟りを貰うのを嫌がり竜の心臓の処理をシグルドにさせなければこんなマヌケな結末は迎えなかっただろうに。

 ソレは竜の血を飲み心臓を食べたいと頼み込む養父の為に、シグルドが竜の心臓を食べられるよう加熱処理を加えていた際に起こった。
 焼き具合を見ようと油が滴る心臓を指で触った時に負った軽微の火傷。
 熱さに驚いたシグルドは反射的に火傷した指を銜えた。
 この誰もが取るであろう何気ない行動が────彼らの命運を逆転させた。
 シグルドが火傷した指を舌で舐めていると、どこからともなく喋り声が聞こえてくる。
 何事かと思い声の方角へと視線を向け、そして彼は仰天した。
 なんと数羽の鳥がこちらに話しかけていた。しかし冷静に考えればただの鳥が人語を喋る訳がない。
 逆だ。鳥が人語を喋っているのではなく、知らぬ間に自分が鳥の言葉を理解出来るようになっていた。
 青年が口にした竜の心臓から染み出た血と油は神秘と英知の結晶だったのだ。故にレギンは竜の心臓を欲した。
 さらに鳥たちの話に耳を傾けると、彼らは実に衝撃的な内容を語ってくれた。
 竜の心臓を食べた者は素晴らしい英知を授かれること。雌鹿山に行けば奇しき知恵が手に入ること。そしてレギンが自分を裏切って殺そうとしていること。
 俄かには信じられない内容だったが、しかしシグルドは死に際の魔竜の言葉を思い出した。

     "レギンが宝を手に入れた貴様を放っておく道理はない"

 心が冷めてゆく。背後から歩み寄る足音が聞こえた。黒い腹の内を完璧に隠した養父が声をかけてくる。
「おいシグルド、そろそろ竜の心臓は焼─────ゲ?」
 シグルドは即座に鞘からグラムを抜刀し、振り向き様に一撃でレギンの首を両断した。
 断末魔さえ上げられずに即死する裏切り者。頭がボトリと地面に落下し、大穴の開いた首から吹き出る鮮血。そして胴体が崩れ落ちた。

「ふん、オレを裏切ろうとは馬鹿な奴だ。その醜い強欲がアンタの身を滅ぼしたんだと知れ」
 断頭した時に剣に付着した血痕を青年はつまらなそうに払い落とす。
 偉業の最後にしては実に興醒めな幕切れだったが、まあいいさ。
 オチが気に入らなければまた別の偉業を打ち立てて納得のいく終幕にすればいい。
 それからシグルドは鳥の言うように竜の心臓を半分自分が食べると、毒竜の巣穴から莫大な黄金を運び出し愛馬に積んだ。


「さてと、グラニに黄金も積んだしそろそろ行くか。次の目的地は雌鹿山《フィンダルフィヨル》だな」

 次なる目的地を目指して出発するシグルド。
 焦らず急がずのペースでグラニが歩み出した。

 青年はまだ感じない。
 己が身体の変異に。
 青年はまだ知らない。
 己が力の真価に。
 青年はまだ気付かない。
 己が英雄として完成したことに。

 最強の怪物との命懸けの決戦に勝利したシグルド。
 それはずっと内に眠らせていた資質《チカラ》をこの偉業を以て完全覚醒させた瞬間でもあった。


 そうして、彼は後世にてこう讃えられるようになる。

 北欧最大の英雄、毒竜殺しのシグルドと─────────。





                              ~Fin~






 ~登場人物捕捉~

・シグルド
 本作の主人公。後に北欧最大の英雄と讃えられるファーヴニル殺しのシグルド。偉大なる英雄シグムンドの息子。レギンの教育によって様々な技能や知識を身に着けている。それまでは魔道知識のみだったが、ブリュンヒルドと出逢ってからはルーン使いとしても大成する。
 当初は父の遺産である支配者の魔剣グラム・バルンストックの使い手だったが、後に魔剣は進化を遂げて最強の魔剣・太陽剣グラムと名を変えた。
 シグルドはどこぞの英雄デビュー戦の相手が大魔王クラスのバケモノでした。というギャグの様に可哀相なペルセウスくんと違い、ファフニール竜退治をする以前、つまり父の仇討ちの戦の段階で既に英雄と成っていた。
 しかしいくら英雄化していたところでシグルドも所詮はまだまだ駆け出し英雄。最強最悪の毒竜ファフニール(LV99)とまともな勝負になる訳もなく、やる事成す事何一つ徹底的に通用せず、何度も返り討ちに合い、恐怖し絶望させられ、だがそれでも決して諦めずに喰らい付き続けた結果、父の形見の魔剣グラム・バルンストックの進化という死闘の最中の成長を経て最強の竜種ファフニールを撃破。そして、この悪竜退治を以て彼は英雄として完全に覚醒した。
 レベルで言えば竜退治終了時点でLV50。なんと言うかもう一生分の経験値をファフニール戦で得てしまった感じ。
 そのためか、彼の二つ目の偉業である毒竜退治の際に、この世の地獄と恐怖の頂点をたっぷり見せ付けられていたおかげで、以降の武功では大して恐怖や脅威を感じる事はなくなってしまった。
 ブリュンヒルドを封じていた"盾の城"の炎壁越えも客観的に見れば十分に凄い偉業なのだが、シグルド主観で言わせれば"毒竜に比べればやっぱこんなもんか"程度になってしまっている。
 普段ならそんなことは全く起きないクールな美男子なのだが、極稀にどこぞのサイヤ人の王子のようにヘタレる時がある。
 ちなみに劇中で見られたのはシグルド王子の貴重なヘタレシーンである(笑) もう駄目だ…おしまいだぁ。勝てる訳が無いよぉ。


・ファフニール
 翼を持たない大地を這う巨竜。猛毒を噴く邪悪竜。一歩足踏むだけで地震が起こせる地竜。元巨人族の大魔術師。レギンの兄。性格は知的にして残忍。黄金の財宝独占の為にドラゴンとなった魔性の天才。
 魔術の奥義である進化の秘法によって己の存在を竜種へと昇華させた。だがそれは魂の変異も同然の大事であった為、死徒のように元の存在には戻れなくなってしまっている。(が、本人は元々戻る気もない)
 彼を打倒したシグルドを北欧最大の英雄にまでのし上げただけの事はあり、神話や伝説に登場する名付きの竜の中でも最強格の一頭で桁違いの攻撃力と防御力を誇る。
 高ランク宝具攻撃ですら貫通出来ない竜鱗の外皮と、頭部に被った『恐怖の魔兜』によって護りは一層難攻不落になり、魔爪や凶牙といったやたら威力の高い即死級の通常物理攻撃。加えて巨人族の高等魔術まで使える。
 この段階で既にパラメーター的にもカンスト状態なのにも関わらず、さらに邪竜に進化してから使用可能となった魔毒を介したブレス攻撃はもはや反則を通り越して最悪の無差別兵器の一言に尽きる。
 通常攻撃だけでも並の相手のライフゲージを振り切る程のダメージ数値を叩き出すが、特にファフニール竜が切り札としている"ドレーキエイター"と"ドルング"は次元違いの凶悪性を誇っており、これら二つは使用された時点で敗北したものと考えた方がいい。
 まさしく最強の怪物を名乗るに相応しいチートモンスターっぷりで、たとえ真っ当な英雄が相手でも真っ向勝負と言うのがまともに成立しない。
 実力では圧倒していたが、シグルドの様々な幸運と、神の加護と、奇襲策と、戦いでの覚醒、これら全要素に加え『運命られし破滅の剣』の零距離攻撃によって惜しくも倒された。
 ちなみに同じく竜種でベーオウルフが戦った火竜が居るがソイツも毒竜ほどではないがそれに準ずる廃人性能を誇っている。まったく北欧世界には化物しかいねえな!


・レギン
 巨人族の名鍛冶屋。シグルドの養父にして師のような人物。彼に武芸や鍛冶に魔術の知識、その他諸々の技能や知恵を与えた。魔剣グラムを鍛え直した名工でもある。
 シグルドとは血縁関係にないが、北欧世界では高貴な身分の子は身分の低い者の許へと養子に出るという文化があったのでシグルドの養い親となっている。
 性格は狡賢く姑息。シグルドに兄ファフニール暗殺を唆し、竜退治成功の暁には養子を殺して自分が黄金を手に入れるつもりだったが、竜の心臓の血油で鳥言語を理解出来るようになったシグルドによって逆に殺害された。


・謎の老人
 隻眼で長い白髭の謎の老人。今更言うまでもないとは思うが当然人間などではない。その正体は北欧の主神オーディン。シグルドがシグムンドの息子でヴァルハラ行きに見込みのある魂であったため裏から加護を与えていた。
 伝説では溝をもっと深く掘れという助言だけだったが、見も蓋もない話をすると伝説のままでは悪竜があっさり死亡するどうしようもなくつまらない話になるので、本作では型月風に大幅な改編を加えている。
 シグルドにインビジブルシャベルを与え、毒竜のドレーキエイターから保護&誘導など、ここぞの窮地から勇者を援助した。


・ブリュンヒルド
 本作のヒロイン。シグルドの恋人。戦死した勇者の魂をヴァルハラへと誘う役割を持つヴァルキュリアの一人。
 え、劇中に一度も出ていない? ハハハいやだなぁちゃんと最後に一瞬だけフラッシュバック風に登場してたじゃないですか。
 世の中というのは不思議なものでメインヒロインでありながら後ろ姿が一瞬だけしか映らないような方もいるんですよ。真祖の姫君とかブリュンスタッドとかアルクェイドとかアルクェイドとか。


・定められし破滅の剣
 グラム・バルンストック。
 シグルドの父親シグムンドが大樹から引き抜いた支配者の魔剣。グラムと能力が似通っており爆炎の刃で敵を焼き払う対軍宝具。
 オーディンによってへし折られた魔剣の破片を新生グラムの材料にし名工レギンによって打ち直して貰ったが、その時点では魔剣の本質はまだ前代グラム・バルンストックのままであった。
 しかしファフニール竜との死闘を通じて急成長したシグルドと共に魔剣も真の姿へと生まれ変わった。


・運命られし破滅の剣
 グラム。
 グラム・バルンストックが進化した最強の魔剣。太陽剣グラム。万物全てを焼き滅ぼす太陽の一撃は最強の毒竜とて例外ではなかった。


・ドレーキエイター
 ファフニール竜が噴く猛毒の霧。魔毒の息吹。ポイズンブレス。
 数種類のドレーキエイターが存在し、自然界の猛毒噴射→魔毒の死霧→竜毒の結界 の順にランクが上がり危険度も倍増する。
 劇中で使用された"ドレーキエイター"は自然界の猛毒の上位に当たる"魔毒の死霧"。
 毒というよりはもはや瘴気であり、その本質は死の呪いに近い。魔毒の霧は極微量ですら命に関わる甚大な損傷を与え、霧という媒介であるせいで基本的に防御手段が存在しない。シグルドが生きてたのは単に敵の手加減と幸運とオーディンのおかげである。
 またファフニールの巨人族の魔術を併用する事で最強最悪の魔毒界ドレーキエイターが形成される。
 この戦いの圧倒的過ぎる戦力差からも分かるように竜種つええええええがやりたかった(笑)


・ドルング
 上記の"竜毒の結界"ドレーキエイターのさらに上位に当たる必滅の毒。別名オワタバズーカ。
 毒竜砲の名の通り超圧縮された竜毒の広範囲殲滅砲撃であり、肉体ばかりか霊体や魂にも甚大な影響を与え 霊魂を腐敗させ消滅してしまう。多数の戦士達の魂が遊び半分のドルングによって死滅させられた。
 は?防御手段?んなもん殺られる前にぶっ殺せ以外にないよっ!

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最終更新:2011年08月06日 19:10