――――Interlude/9 The king , and disloyal subject.


 地獄の空には穴があろう。地と天、仰ぎ見る穴。ならば地より見える穴に潜むは鬼か地獄の主たちか。

「何だ、この女は」

 洞の中、ライダーは玄耶に問うた。玄耶が用意した場所は鳥の目にも留まらず、虎の足にも届かぬ果て。疑いの声は、その巣に女が踏み込んだから。ただ狼は牙を剥かず、唸り声も響かせない。何故なら女は身一つ、翼ある言葉のみを頼りとして向かい合っている。

「玄耶さんの友人で、名をファーティマと言います」
「……老人。推挙を許す、とは言っておらぬ。ましてや、我が獲物を狩り落とそうとする不遜者などを」
「いや、すまぬの。引き入れるつもりも、会わせるつもりもなかったんじゃが。どうも、この娘の方が一枚上手でな。跡を辿って、ここまで来られてしまったようじゃな」
「容易く尾行されたと申すか? そんな間の抜けたことでは、処断せねばならぬが」
「待って。先に、私の話を聞いてもらいたいの」

 楚々として、彼女はライダーの前に歩み出る。一歩の度に、ライダーに不快が浮かぶ。荒野の獣は、会ったときから、天敵をそれと知る。本能が告げるから。

「彼の言う通り、私が勝手に来ただけなの。何も言わずに。彼は私のことを知っていたし、信用してくださっていたから、私がこんなことをすると思ってなかったのよ」
「こやつを誑かしたと、自ら認めるか」
「ええ」

 一飛びで牙は滑らかなうなじに突き立てられよう。しかし女はただ微笑む、揺るがぬ大樹のように。

「しかし、どちらにしろ軽々しく貴様に会い、尾行されたことに違いは無いが」
「尾行はしてないわ。彼が、ここを突き止める手掛かりの一つではあったけれど」
「ほう」
「知りたいことがあって、彼と話をしたの。けれど、はぐらかされて、尾行しようとして撒かれてしまったのよ。彼はそれだけ、貴方の不利を招かないようにしていたわ」
「では、どうやってここに来た」
「彼が、いつもと少し違った。だから持っている情報を突き合わせて、彼の行きそうな場所の見当をつけたの。後は虱潰しね」
「やはり容易いように聞こえる」
「見当って言っても、十や二十じゃないわ。付け加えれば、普通は存在も知らないような場所ばかりね」
「どう知った?」
「この街に来る前から、下調べで。これでも人脈はあるの」
「時間は、どの程度だ」
「貴方の居場所を探り始めてからは、一日ほど。彼と会ってからなら、三時間。こっちは、貴方もわかっているでしょうけど」
「割に早い。どうやった」
「秘密。お付き合いしてもらえるなら、いずれ教えてもいいわ」
「くっ……くくく……そうか。お付き合い、ときたか」

 ライダーの口より笑みが零れる。横柄さも、粗暴さも見えはせず、しかし憚りも、阿りも姿を見せない。風雨を気にも掛けぬ山麓、ファーティマはそのように対している。その不敵さは、ライダーの弦を震わせている。

「よかろう。貴様の言う、お付き合い。考えてやらんでもない。どう付き合いたいのだ」
「一番の望みから言っていいかしら?」
「よい。言え」
「貴方の部下になって協力するから、聖杯をちょうだい」

 静まり返った水面のように、彼女の柔和な笑みは変わらない。
 ライダーは微かな失望を見る。痴れ者。天下に人は多く、傑物と、目を覆いたくなる欠陥品、どちらも存在する。不敵も度を過ぎれば、阿呆ということでしかない。

「そうか。死にに来たのか」
「あら、どうして?」
「我が手から聖杯を奪おうとする輩を、生かしておくと思うか」
「奪う必要なんて無いわ。貴方の贄の分を私にくれれば、それで」
「……なんだと?」
「彼女は聖杯なんて使う望みがないでしょう。だから、貴方のマスターの分は宙に浮くわ」

 あたかも斉天大聖と釈迦如来。されどライダーは斉天大聖ではなく、優しげな口元の女も釈迦ではありえない。胸中の屈辱を、刃を一閃させたくなる怒りをひとまず抑え、ライダーは初めてファーティマの目を正視した。
 若い雌鹿のように見えていた。如何に本能が天敵と訴えていようとも、可憐さに眼を縛られていたのであろう。小鹿の皮を被った、どす黒い獣が自分の前に居るのだとライダーは悟る。

「何故知っている」
「船遊びが楽しそうだったから。彼女のこと自体は下調べ」
「……ふむ。陰で動き回るしか能の無い者なら、目敏く見ていても不思議はなかったな」
「ずいぶんな言い方。知られてもいいつもりで、船に乗ったんでしょうに」
「鼠であることに変わりは無い。鼠は不快だ」
「ふぅん。それで、鼠とお付き合いするのは嫌かしら。夜中に齧られないか、不安で眠れない?」
「くだらぬ挑発だな」
「売り言葉に買い言葉って言うでしょう。私も石でできているわけではないの」
「なるほど、言葉では汝が上か」
「ありがとう、褒めていただいて。でも、そろそろ答えを聞かせて欲しいのだけれど」

 本能、理性、体の奥底、それらはライダーに語りかける、あたかも群臣が詰め寄るかのように。
 この女は邪悪。縦横なる策略、透き通った知性、竜虎の如き胆力、そのどれも些細なこと。彼女の心には人としての根が張られておらず、性質、悪霊鬼神に匹敵しよう。即刻手討ちにせよ。今ならそれは容易いことだと。
 しかし、一つ、たった一つが並み居る諫言を押し込める。それは、意地。彼の矜持。
 ここであの細首を噛み千切る、それは惨めな敗北だろう。彼女は刃向かう敵ではなく、形だけとはいえども頭を垂れてきている。言い分に誤りもない。蒼き狼の誇りは、常にあれ。

「……協力、と言ったな。栄光の光が照らされ、聖杯がこの手中に収まるまで。それまで我が手足となって、勝利に尽力する。それが最低限度の協力というものだが」
「そのつもりよ。貴方が聖杯を私にくださるなら」
「だが貴様のサーヴァントはどうなる。己が死を甘んじて受け入れるのか」
「あら、そういえば、まだ言ってなかったわね。彼はね、私を勝たせたいだけなの。だから彼と貴方だけが残ったときには、潔く身を引いてくれるそうよ」
「童でもわかるような嘘を吐く」
「反逆の臣が一人。それを叩き潰すことも出来なくて?」
「まこと、口が回るな」
「信用してちょうだい。少なくとも私は、最後まで、しっかり協力する。約束するわ。彼が裏切ったときも、私が貴方の手中にあれば、どうとでもできるでしょう」

 最後までとは如何なる意味か。聞いたところで、はぐらかされる。結論は既にライダーの胸中に。ならば繰言を返すのも時の浪費となるだけ。口にすべき言葉は一つ。

「よかろう。汝の臣従を許す。努めて忠勤せよ」
「ありがとう」
「裏切れば殺す」
「約束は破らないわ。人並みのプライドはあるから」
「貴様に人並みなどありうるものか。寝首を掻くときには覚悟を決めて来い」

 ライダーはファーティマに置いていた視線を落とし、腕を組んだ。醜悪な悪魔を見続けていると、心の棘が起き上がってきてしまう。彼は戦場の人、闇に跋扈する魑魅魍魎を好きではない。

「翁、あの兵の口を割らせろ」
「やっては、おるが。あれは」
「続けろ。止めることは許さぬ」

 ライダーが踵を返した。王は矜持ゆえに虫を身中に容れ、去ってゆく。狼が腸を食い破られるのか、虫を吐き出し踏み殺すのか。その結末は、未だ誰の知るところでもない。



 玄耶は己の肺腑から漏れ出す息を聞きながら、去り行く雄雄しき背中、たおやかな女神の笑み、両者を交互に見比べた。より恐るべき怪物はどちらであろう。

「やれやれ」
「ご心労をかけてしまったかしら?」
「年寄りの胆には堪えます。危険な賭けをなさったものです」
「あら。私は成功すると思ってたわ。英霊って、それぞれプライドがあるものだから。くすぐれば、交渉ぐらいはできるものでしょう」

 如何な人間であろうと付け入る隙はあろう。それは玄耶もよく知ること。しかし怪物と向かい合えるのは、やはり怪物。人が怪物に面と向かえば、たちまち血肉の塊となって、食われ尽くすだけだ。

「儂はファーティマ殿に勝者になっていただきたいのですよ。そのつもりでここまで支援してきたのですから、このような危うい真似をされては困ります」
「最初は逃げ出そうとしていたと思ったけれど」
「あのときは協会の刺客かと思いましてな。少し慌てたのですな。お会いしてからは、出来うる限り協力してきたつもりですが」
「そうね。息子さんまで、私に差し出しているんですものね。ふふ、ひどい父親」
「あれに勝者となるだけの才気はありませんので。それに死なせないように気を配ってはいるのです。ファーティマ殿と組んでいれば、死なずに済むでしょう。儂も子に死んで欲しいとは思いまっておりませぬ」

 ファーティマの目に、虹に似た微かな輝き。怪物であろうとも、人の形をしているのならば、人と似たところもある。狼は女に甘い。ファーティマを受け入れた由の一つであろう。顧みて、女王蜂は父に甘い。父親というものに、有るか無しかの瑕が見える。

「この街から一時離れると申しておきながら、こうして舞い戻ったのも、息子のことが一つあったからかもしれませぬ」
「そう」
「あとは、街の心配。それと、ファーティマ殿のことですかな」
「私のこと?」
「儂には娘が居りませぬ。老いてから若い娘御と関わる機会も少なく。ファーティマ殿を見ていると、失礼ながら、娘が居るとしたら、と考えてしまいます」
「あら、本当に?」
「ええ。儂の娘がファーティマ殿ほど優れている筈もないのでしょうが。いや、これは少しばかり不快にさせる話でしたな」
「不快になんて、そんなことないわ」

 ファーティマが、人間であるかのように微笑む。この貢物はお気に召した。蜂が情で獲物を見逃すことはなかろうとも。しかし一片の情が逆転の布石にならぬと、どうして言えよう。

「儂はこれで失礼させていただきます。仕事がありますので」
「あの男、何なの? 玄耶さんの報告にも、こっちの調べにも浮かんでなかった」
「まだはっきりとは判りませぬ。聖杯戦争の仕掛けに乗じて、うまく潜んでおったようなのですが」
「人殺しよ、あの男。わかるの。それも作り物。あのとき気付いてれば、セイバーと一緒に殺せたのに」
「人殺しで、作り物ですか」
「ええ。ナチスの女も作り物だったけれど、また違う作り物ね」

 言葉の端々にあるのは、あけすけなる嫌悪。虫は表情無いまま卵を獲物に植えつける。それを思えば、この発露の珍しさ。怪物は怪物を感じ取る。

「参考にさせていただきます。では、これで」


 玄耶は洞の奥深く、湿り気の強い方へ足を運ぶ。苔の匂いに混じって、徐々に血の匂いが強くなっていく。玄耶は獣ではない。血の匂いを嗅ぎ取ると、雲のように憂鬱さが立ち込めてくる。二重三重の鎖に繋がれた襤褸雑巾、呻き声も立てずに転がっている。

「起きよ」

 玄耶は男を蹴りつけた。身じろぐ顔に水をかける。男はゆっくりと目を開いた。

「蔵馬鉄人」
「そういうおまえは菅代玄耶。義も無く、恥知らずの老いぼれか」

 玄耶は黙して答えず。代わりに飛んだ足が、鉄人の口から鮮やかな朱色の水を零れさせた。

「名乗った名前で暮らしておったようじゃな。古書店に名があった。もっとも、役所の類に記録は残っておらなんだが」
「僕は恥ずかしがり屋でね」
「その口の利きよう、痛みは怖くないと見える」
「爺さん。アンタが下手糞だからさ、僕が怖くないのは。昨夜のやり口で、自分の手を汚すのに慣れてないって、すぐにわかった。拷問の下手さは目に余ったよ」
「カカカ、若造が言ってくれるではないか。如何にも、儂は血生臭いのが苦手でな。いつもは自然に任せておる」
「生きたまま、海にでも捨てるのか」
「龍脈に突き落とすという手もあるのう」

 傍らの岩肌に、玄耶の体が委ねられる。皺に覆われた面は鉄人に中身を悟らせない。

「だが、ライダーは僕の口を割らせたいんだろう?」
「そうなると、自然任せという訳にもいかぬ」
「迂闊に死なせれば信用を失う。けど、アンタの腕じゃ、僕を喋らせることはできないな」
「血で汚れるのも、昨日限りとしたいしのう」
「なら、さっさと消えるんだな。ここでやれることは何もない。拳を痛めたいなら、付き合ってやるが」
「ふうむ。では、話をしてみようか。ライダーのマスターのことじゃが」

 鎖が荒波打ち寄せるように鳴り響いた。虎の爪は戒めに阻まれ、玄耶まで届くことはない。

「あの子は、無事なんだろうな?」
「おそらく生きておるのではないかな。儂は一度も姿を見ておらぬが、ライダーが別の贄を用意した節もない。大事に大事に、殺さぬようにしとるんじゃろう」
「夏海に何かしてみろ。首だけになっても貴様らを殺す」
「儂には何もできん。どうやら上のどこかに隠しておるが、儂に許されるのは地下だけでな。近づくことも様子を探ることも、とてもとても。一つ、どんな慰み物となっておるかを見てみたいものじゃが」
「貴様ッ!」
「カッ、やめておけ。その鎖は大地のマナを吸い、オドを封じる。地に繋がる限り、腕力で引き抜かねばならぬ。貴様が如何に作り物であろうと、難しかろうよ」

 鉄人の目が剥かれる。知り得ぬものを語られて、身は震える。雷を前にした獣と同じ。

「ほう、当ったか」
「……あてずっぽうか」
「まあ、のう。しかし当ったか。作り物であったか、その見てくれで。生きた人間にしか見えぬが」
「昔の話だ。美男子過ぎたから、少し崩してもらった」
「また減らず口を叩くの。相当知られたくない秘密のようじゃな」
「子供がはしゃいでいたって、僕には関係のない話だ」
「―――カカカ! 儂を子供と呼ぶとは!」
「子供さ、僕から見れば」

 玄耶は手を叩き、喜び仰け反った。

「そうか、そうか。では子供の儂から、大人の貴様へ一つ悪企みの話をするとしよう」
「なに?」
「あの娘を助けたいのじゃろう? ならば、ライダーを討て」

 鎖の奏でる音は消え、静まり返った水面に一粒の雫が落ちた。

「……何を考えている?」
「街を守ることを」
「それだけとは思えないな」
「機を窺うために、信頼を得たい。貴様の情報を幾らか貰えると助かるのじゃが」
「どちらも売り飛ばせる位置で、見ていようって腹か。また自分の手は汚さずに」
「儂だけではない。貴様も損はすまい。このまま繋げられているよりも、反撃の機会があった方がよかろう」
「僕がサーヴァントを倒せると?」
「首、心臓。奴らの弱点はそこじゃ。潰せば、勝てる。不意を衝けば、と思っておる」

 鉄人は枯れた肌の男を見つめた。扉は開けてみなければわからない。

「いいだろう」
「何がどうなるか、直前までわからぬ」
「そのぐらいはわかっている」
「この洞の中に他の者が居るやもしれぬ。若い女子、などもな。容赦なく殺しておくことじゃ」
「他のことまでさせる気か」
「障壁となりそうな者は斬っておけと言っておる」
「アンタも斬っておきたいな」
「ライダーを斬るまでは、儂は貴様を味方だと思っておこうかのう」

 声はなく、二人の顔には笑みが浮かぶ。

「刀は岩の陰に置いておく」

 歯車は戻った。仕掛けは動き出し、いずれ成果を見せるだろう。



――――Interlude out