息が切れる。肺が弾む。体が、何か別のものになったみたい。熱に腫れて、ふわふわと浮ついている。

「カカカ、見事見事。ここまで粘ろうとは思いもしなかった。まだ底を見せぬとは」

 相変わらず、どこに居るのかわからない声の主。なんだか腹も立たない。今は自分のできることに集中している。
 鉄人さんはまだ頑張っている。姿は見えないけど、わかる。鉄人さんが戦っているから、わたしの場所には鬼火が少ない。

「いや、限界を見てみたいものだが、どうも無理そうじゃのう」

 声は無視。近寄る敵に、精一杯の魔力をぶつける。また一つ、体のギアが上がっていく。
 まだ耐えられる。まだきっと、ここで踏み止まれる。ここで鉄人さんを待っていられるという希望。その曙光は――

「ライダーめ、人間相手にこんなものを使おうとは」

 ――現れた巨大な狗の影に、塗りつぶされていた。
 目が、その大きさに釘付けにされて、動かない。自分の甘さがはっきり見える。どうして理由もなく、わたしだけでもできることがあるなんて思ったのだろう。
 吐息が、大きく聞こえる。これはわたしのもの、それとも狗のもの。

「その右手だけは残ることを祈っておるよ、お嬢ちゃん」

 ぬらりと光る瞳。重機が突っ込んできたみたいに、前肢が落ちてくる。土砂が弾ける。一抱えの石が脇腹をしたたかに打った。
 息が漏れる。膝が揺れて、立っていられなかった。お腹の中身が口から飛び出る気がする。

「あ…ぃ……っ」

 洞窟の淵、岩肌に手をついて、必死に前を向く。苦しい。でも、そんな苦しさも、恐怖よりずっと弱い。
 月を隠すように、狗は顔を上げている。舌なめずりをして、獲物を見定めている。犬の形をしているのに、どうしてこんな人間みたいな生々しさ。
 死ぬんだ。強く、どうしようもなく、わかってしまう。
 セイバーやキャスターのときとは違う。死ぬんだ。わたしは、ここで、結局何をもできないままで。

「……いや」

 死にたくない。わたしはまだ、死にたくない。まだ生きていたい。助けて、誰か、誰か。

「アーチャー……アーチャー!」

 呼ぶ声は草原に吸い込まれ、消えていく。

「カカカ。令呪の使い方を知っておくべきじゃったな。令呪もないのでは、呼んだところで無駄じゃよ」
「アーチャー!」

 それでも呼ぶ。他にどうすればいいのか、わからない。
 狗は唸りを上げ、楽しそうに顔を歪めた。その口が開いて、牙が剥かれる。

「アーチャー……―――!」

 月下の光を遮る巨大な体が、一つの輝きに吹き飛ばされる。
 雲から解き放たれた月は、明かりを地上に下ろす。白くてなめらかな光は、こんなにも美しく世界を照らす。
 ああ、恐怖は消えた。今あるのは、何が何だかわからない気持ち。涙が溢れそうな、どうしようもない気持ち。
 宙に浮かぶ小さな影。その姿が、今はこんなにも頼もしい。

「さっきの話、俺も同感だ。令呪の使い方は教えておくべきだった。けど、後半は違う」

 金の輪は舞う。きれいな腕のもとへ戻っていく。その主は言うまでもない。

「呼ぶことには意味がある。マスターとサーヴァントとはパスで繋がってる。本気で呼べば、届く」
「アーチャー……!」

 空から降り立つアーチャー。涙が満ち満ちて、姿が滲む。掴んだ腕の温かさが、体に染み渡る。

「まったく。戻ってこないと思ったら、こんなところで何をしてる」
「それは……こっちの台詞なんだから……本当に……」

 ぎゅうっと手を握る。嬉しくて、嬉しくて、その気持ちを伝えたくて。
 感慨を遮ったのは遠吠えの声。三つの足音が、地面を揺らす。

「ちっ、まだ居るのか。そっちの奴もまだ動くみたいだし、面倒だな」
「おやおや、せっかく来たんじゃ。もうしばらく楽しんでいってはどうかな、アーチャー」

 好々爺を装ったまま、声は誘う。いい加減に腹が立ってくる。でも、今はそれどころじゃない。涙と鼻水を拭って、目を開いた。

 今は―――

1:ここから離れるべきだ
2:鉄人と夏海を探すべきだ
3:ライダーたちを倒すべきだ