すっかり暗くなった通り、ところどころの黒い世界、電灯の光が届かない。その暗がりに、鉄人さんは迷わず踏み込んでいく。わたしは、怖い。けれど鉄人さんの手の引かれて、歩き続ける。

「鉄人さん。どこへ行くんですか?」
「協力者のところだ。彼が案内してくれる」

 雑木林の奥の奥、そこに黒いわだかまりが木の根に腰掛けている。どうしてだろう、それが人の形をしていることに気付くのには時間がかかった。びっくりするぐらいに、彼は自然の中に溶け込んでいる。

「やっと来たか。遅いではないか」
「そんなことはない。時間通りのはずだ」
「そうかのう? 少し時間の感覚が狂っているのかもしれぬな」

 男の人は黒ずくめの装束を着ていた。それで見えにくかったのかもしれない。声がしゃがれているし、体も少し小さい。かなりお年を召しているみたいだ、この人。

「……む? アーチャーとやらはどうした。サーヴァントが居らぬのでは話にならんではないか」
「帰ってこないんだ。仕方ないから、僕らだけで先に来た」
「呼べばよかろう」
「この子はまだ念話が使えない」
「そうではなく……ふむ。そうか、呼べぬのか」

 お爺さんはよたよたと歩いてくる。なんか、すごく危なっかしい。この人、大丈夫なのかしら。

「お嬢さん、儂の名は菅代玄耶という。この街の安寧と繁栄を願っておる者でな。御覧の通りの老身じゃ、あまり役に立つとは思えんが、よろしく頼む」
「は、はい。わたしは志那都みことです。よろしくお願いします。わたしも、その、あんまり役に立てないと思いますけど、頑張ります」

 握手をぎゅっと。枯れ木みたいに思える掌だけど、予想よりずっと力が強い。

「おや、手の甲に痣があるようじゃが」
「これですか? 少し前に……事故に遭ったんです。なかなか治ってくれなくて」
「ほうほう。それは大変じゃったなあ」

 好々爺って、こんな人のことをいうんだろう。玄耶さんは憎めない顔でやんわりと笑う。うーん、本当に憎めない人だ。でもいい加減に手を撫で回すのは止めて欲しい。

「あの、わたしはまだ状況が飲み込めないんですけれど」
「ぬ? 説明しておらんのか」
「アーチャーが帰ってから思ってたんだよ」
「ふむ。では儂から説明しようか。儂の家は、この街に長く住む魔術師の家系でな。じゃから聖杯戦争についても知っておった」
「じゃあ、玄耶さんも聖杯戦争に?」
「いや、儂はマスターではない。既に半ば隠居した身じゃからの。街に被害が出なければ、あくまで静観しているつもりじゃった。うむ、そのつもりだったんじゃが」

 玄耶さんの手が緩んだ隙に、わたしはぐいと手を引く。ようやく撫で回し攻撃から逃れて、ほっと一息ついた。

「残念ながら、死体を積極的に増やそうという痴れ者が現れてしまってのう。そやつを止める方法を模索しておったところで、この男を見つけた」
「そういうことで、協力することにしたんだ」
「わからないんですけど、玄耶さんは夏海さんを見たんですか?」
「いいや」
「けど、この人の見た男と僕の探してる男は同一人物なんだ」

 なるほど、やっと繋がった。玄耶さんが止めたい相手は、夏海さんと一緒に居たっていう相手なんだ。それなら、協力する理由もよくわかる。

「わかりました。今から、その相手のところに行くんですね?」
「そういうことじゃ。ただし、正面から行ってはどうにもならん。地上は奴の配下が蠢いておるのでな、当てにしていたアーチャーが居らんのでは」
「だから次善の策で行く。奴らの背後を衝く」
「それはどんな方法なんですか」
「下じゃよ」

 玄耶さんがにやっと笑って、指を下に向けた。

「うわあ……」

 どんな明かりなのかわからないけれど、地下の洞窟には不思議な光が満ちている。電灯とか火の光とは違って、柔らかいのに全面を照らす。これはヒカリゴケなんだろうか。暗いのに明るい。まるで星の近くに居るみたい。

「すごい、こんな場所があったなんて」
「カカカ、すごかろう。どうじゃ、みことちゃん。本当なら先祖代々の秘密なんじゃが、今度一緒に」
「爺さん、色ボケしてないで、道案内を頼むよ」

 鍾乳洞のように、道の横には小川の流れ。ちょろちょろと音が響く。

「ふうむ。あの男、余裕がないのう。いつもああなのかね?」
「いえ、違います。いつもはもっとのんびりしてます。夏海さんのことが心配なんですよ、鉄人さんは」
「ほほう」
「夏海さんをすごく大事にしてたみたいです。だから、手がかりを見つけたら目の色が変わっちゃって」
「道理で。今の奴は、これまで尻尾を出さなかったとは思えぬ。それほどに大事だったか」

 カツカツカツと道を行く。変な感覚がするのは、明かりのせいなんだろうか。なんだか、こう、ゆっくり自分の中身が流されているような。

「これは……つらいな」
「かなりのマナの流れじゃからの。精神を保つには、オドで対抗するしかない。これでも流れの弱い場所を選んでるんじゃがなあ」
「どのぐらいで出られる?」
「もうすぐじゃよ。そこの曲がり角の上じゃ」

 洞窟の先、向こうの方から違う明かりが射している。玄耶さんがわたしたちを手招きする。

「ねえ、玄耶さん。さっき、奴の配下って言ってましたけど、その人は沢山の部下が居るんですか?」
「うむ。今でもかなり数、おそらく無尽蔵に増やせるじゃろう」
「増やせる?」
「うむ、奴らは人間ではない。もっとも、人間だったものじゃが」
「それってどういう」
「なあに、百聞は一見に如かず。見ればわかる」

 外気の冷たさ。開けた空には、まばゆい星々。草のたなびく野原に風が駆けていく。これは輝く自然の景色。
 ただ、そこにあるのは怨霊の声。鬼火に思える茫洋さを連れて、人の形の何かが蠢いている。

「どういう……ことだ、爺さん」

 鉄人さんの声は掠れている。わたしも声が出ない。どうしてって、それは―――ヒト型の何かはみんな、待ちうけていたように、わたしたちを取り囲んでいたから。

「クカカカッ。どうもこうもあるまいよ」
「ご苦労だった、老人」

 鬼火が割れる。見たことのない男が、威容と共に歩いてくる。豪奢な飾りを揺らして、彼は立ち止まった。玄耶さんがその側に平然と歩み寄る。

「どうかな、ライダー。これで儂を信用する気になったのではないかな?」
「よかろう。これを以って、汝の忠誠の証とする」

 鉄人さんが刀を抜く。ライダーが腕を上げると、鬼火の軍は道を塞いだ。

「こいつを止めるんじゃなかったのか、玄耶」
「止める方法がこれじゃよ。儂が手引きをすれば、犠牲は最低限で済むじゃろう?」
「貴様」
「儂は街の安寧を願っておる。それには最強の者が迅速に勝利するのが一番よい」
「本当にそう思うのか」
「儂が事を上手く運ぶ限り、無用に死体を増やさぬとの確約がある」
「もうよい。黙れ、老人。して、そこの男、アーチャーはどうした」
「居ない。夏海はどこに居る」
「ナツミ? ああ、我が寄り代のことか。案ずるな、まだ魔力が残っている。喰らうのは最後だ」

 鞘が飛ぶ。ライダーの直前、矢は玄耶さんの手で掴み取られた。

「どうやら、大人しく死ぬつもりは無いか。それもよし。欲の限り動くのが人というものだ」

 ライダーは細い目をもっと細くして、遊び相手を見つけた子供みたいに微笑んだ。
 鉄人さんがわたしの腕を引く。荒々しい指が食い込んで、少し痛い。

「……引き返せ、すぐに」

 鉄人さんはわたしを見ない。彼が見ているのは、ライダーだけ。

「ライダー、あれがアーチャーのマスターじゃよ」
「あちらがそうか。では逃がせぬな」
「いや、逃がしても問題はない。地下通路は複雑で、素人が道を覚えるのは不可能じゃ。道を間違えれば、巨大なマナの流れに出くわし、魔力に呑まれて終わりじゃよ。精神が崩れれば、肉体もすぐに分解される」
「では狩りにするとしよう。龍脈に落ちた人間が、どのように崩れていくのかは興味深い」
「外から見たところで、どうってことはないがの。すぐには死なん。だがいずれオドが尽きて、耐えられずに死ぬ。それだけじゃ。それより、体を残したまま、儂にくれぬかな?」

 あれは、自分の事が話されているのだろうか。そうは思えない。
 あの人たちはおかしい。おかしいよ。セイバーとアーチャーも怖かった、鉄人さんも怖かった。
 だけど、この人たちはもっと怖い。もっと醜い。小石が一つ転げ落ちる。人が死ぬのを、それと同じようにしか思っていない。

「行け! 早く!」
「鉄人さんは……どうするんです」
「目の前に夏海を食い物にしてる奴がいる。逃げる理由がない」

 鉄人さんに突き飛ばされる。足元の石に躓いて、尻餅をついた。鬼火の明かりが迫ってくる。鉄人さんの影がどんどん大きくなっていく。心臓が弾けて壊れそう。

 わたしは―――

1:この場に残る
2:洞窟の中に逃げる