――――Interlude/7 Ghosts.


 亡霊。その言葉に含まれる様々な意味。文字通り死した後の霊を指す、背後にある含意。そこに込められたものとはすなわち、前時代の残り香、埋められるべき過去―――現在にはもはや居場所のないもの。
 己の存在もそうなのだろうか。ときどきは浮かび、すぐに打ち消される考え。
 認めてしまえば、二度と動けなくなるだろう。考えることもないように、浮かび上がる度に奥深くへと押し込む。水の底に枯れ木を沈めるように。

 息を潜める。ただ獲物を待ち構え、狩人は身を隠す。そして覚醒する、動き出す物音によって。

 眼下にあるのは―――

1:死霊の行進
2:逃げる男たちと追う少年


「ずっと気になっていたのですが」

 忙しなく動く右手を休めて、キャスターは珈琲を喉に注いだ。仕事中毒の職人のように左手は作業を続け、彼の面は作業台に向かったまま、背後の主へ問いかける。

「マスターのご家族はどこに居られるのですかな? 一度もお会いしたことがありませんが」
「……面倒くせ」

 せかせかと小刻みに揺れるキャスターの背中と対照的に、優介はコタツに入ったままでごろんと寝返りをうつ。全身から滲み出るのは、思考と行動を放棄することに全力を傾ける真摯さだ。いずれ食事や呼吸が面倒だと言い出したとしても、誰も驚きはしないだろう。

「それは答えるのが億劫ということですかな?」
「……んー、あー」
「なぜ億劫なのですかな?」
「……んー、あー」
「それとも、それは拒否の姿勢なのですかな?」
「かなかなかなってうるさい奴だなあ。母さんなら、とっくにどっかに逃げたよ。弟と妹も連れてってな」
「いや。これは余計なことを訊いてしまったようですな」
「べっつにー。もう十年は前になることだから、今さらどうってことでもねえしー。俺は魔術師の家系に生まれちまって、しかも長男だったから家に残されちまっただけだろー」

 ミニスカートなメイド姿のゴーレムが運んできたプリンがぷるると揺らぐ。キャスターは一口でそれを放り込み、作業に戻る。彼は正に仕事に生涯の情熱を篭める、ゆっくり休もうなどとは思わない。
 だが彼は冷血漢ではない。いつもならば正確に縫い上げるレースのフリルが僅かに歪んだのが、彼の動揺を露にしている。
 生きる時代は違うといえど、キャスターも魔術師であった者だ。主が魔術師として育ったからには、人並みの幸福さに囲まれていたとは思っていない。だからといって、主の境遇に思うところがない訳でもない。

「そういえば、お父上はどうされましたか?」
「親父ぃ? 親父はー……居ない。うちに居るのはジジイだけ。ま、今はトンズラこいてるけど」
「では、祖父御と二人で暮らして来られたのですか。そうなると」
「色気がないだろ?」

 乾いた笑いが優介の口から漏れて出る。自らを嘲る主を背後に、キャスターは両手を止めた。
 菅代の家は広い。地権者であり有力者である代々の蓄えが、緑に囲まれた庭を支えている。ああ、だが、この家、二人しか居ないのだとすれば、あまりに広すぎる。

「と言っても、困るようなことはないし、構いやしないんだけどな。今はメイドだらけになったし。にしても、おまえ、よくこんなに作るなあ」
「何かを作るのが好きなのです。おまけに、この時代の服や飾りは種類も豊富で、実に研究しがいがありますので」
「そうかあ? 面倒臭いけどな、何かを作るなんて」
「好きになってしまえば、そんなことは気にならないものですよ。それに」

 勝利のためにも必要なことだ。キャスター自身が前線に赴くことはありえない。彼はサーヴァントであるだけ、生身の人間より幾らか強いというだけ。勝ちぬくためには、彼の手足となるゴーレムに頼る以外になく、ゴーレムは彼の手によって作り出される。
 彼に怠ける時間は許されない。そのゴーレムが、他のサーヴァントに比べ、どれだけ惰弱なものでしかなくとも、彼の手札は己の技術とゴーレムの二つしかないのだから。

「マスターは、聖杯にどんな望みを?」
「望み……って言ってもな。勝ったとしても、あの怖い女が聖杯を持って行っちゃうだろう」
「そうですが、仮に手に入ったとすれば」
「……別に、夢も野心もないからなあ。そうだな、この街のみんなが、てきとーに幸せになってくれればいいや」
「―――それは、また」
「欲がないだろ?」
「いえ。欲を張りすぎです」

 首を傾けると、優介はうつ伏せになる。毒気のないその姿の上に、ゴーレムが優しく毛布を掛ける。
 キャスターは作業に戻った。人に必要なのは、きっと当たり前の風景なのだろう。一度死して、過去の存在となったからこそ、かつてわからなかったものがわかるようになることもある。


 冥府の底より声がする。地の裏側から彼らは来る。過去、礎という名の生贄になった亡者ども。呻きは重く、だが希望に満ちて。それは暗い歓喜、ともどもに沼へ沈めと呪う喉鳴り。
 一つ、また一つ、血の色の湖面を乗り越え、彼らは歩き出す。誰の命に従うというのだろう。彼らは迷いもせずに、街並みの隙間に流れを作る。

「……ふぅむ。これは、まずいのう」

 多少の犠牲は許容しよう。一人二人の欠落で済むのなら、後の繁栄がその痛みを慰めてくれる。死者は悼もう。そっと自分の胸の中で。
 外道の道にはとうに慣れた。なぜなら彼は魔術師。この地に奇跡の業を呼んだときから、人並みの倫理は捨て去った。誰が死のうと、心がささくれ立つこともない。
 それは今、心が冷えているのが証明となろう。死者が死者を作り出しているのを、目の当たりにしているというのに。

「とはいえ、街が街でなくなっては意味が無い」

 亡者ども、その背後で糸を繰る者。このまま放置しては、水佐波が廃墟となりかねない。奴らは壊すことに躊躇がない。
 もはや静観は許されまい。セイバーの魔剣とは違う。あの炎は災いを招きかねないもの。死霊の大河は災厄を呼ぶものだ。

「やーれやれ。あまり漁夫の利を狙うものではないのう」

 獣が喰らい合い、最後の弱った獲物が罠にかかるのを待っていた。手を汚さずに、奇跡を手にしようと。
 だが、暴れる獣に自分の家が壊されかねないとあっては、のんびりと木の上で構えてはいられない。

「仕方がない。愛する街を守るため、傍観者でいるのはこれまでとしよう」

 老人はしゃがれた声で笑う。目の輝きが狙うのは奇跡の杯。その皺に覆われた顔に、枯れぬ野心を滾せて。


――――Interlude out