まずは自分の安全を優先することになっていた。なにもできないって言われていたし、それは見ていてもよくわかった。
 鉄人さんとヒルダさんの戦いは見ているだけで精一杯。アーチャーとセイバーの戦いは理解の外。
 この場のわたしはどうしようもなく場違いだ。虎と獅子の側に兎がいるようなもの。近づけば死ぬと思うし、それはきっと正しい。
 わたしにできる最善はひたすら自分の存在を隠すこと。決して目立たず、この争いの間は頭を上げないこと。

 けれども、わたしは叫んでいた。

「アーチャー……!」

 血みどろになって痛めつけられる小さな体。どうして見過ごせるだろう、黙っていられるだろう。

 わたしは―――

1:それでも動けないし、動くべきじゃない
2:アーチャーの側へ
3:セイバーの剣を拾う



 動けない。このままじゃアーチャーがって思うのに、ブリキ人形になったみたいに体は動かない。動けば死の運命は避けられない。だから動くべきじゃない。でも、でも――!
 意を決して、セイバーが落とした剣の方へ足を向ける。拾い上げた剣は、ずっしりと重い。

「それ以上動くなよ、お嬢さん」

 線の細い哀れな体を吊り上げたまま、血の色に染まったセイバーはわたしに光を刺す。顔に浮かぶのは歓喜、体をも震えさせる。戦うのが楽しい。敵を倒すのが楽しい。血の臭いが楽しい。それは彼の中にある戦士の宿痾。

「そこでじっとしていれば、殺す理由はない。動けば、わかるな?」
「……わかりません」
「なに?」
「……わかりません! どうしてこんなことをしなきゃいけないんです!? アーチャーを放して下さい!」

 血塗れの戦士は口を引き上げる。狼のように口は広がる。それが笑ったのだということに気付くまで、少し時間が必要だった。

「こんなこと? それは聖杯戦争のことか?」
「……そうです。聖杯なんて、本当にあると思っているんですか?」
「あるさ。俺たちがこうして呼び出されているというのが何よりの証だ。英霊を完全な形でこの世に降ろすなど、奇跡としか言いようがない。そら――その手で確かめろ」

 セイバーは動かなくなったアーチャーを放り投げる。小さな体は無残に赤い点を降らせながら、地面に転がってくる。
 足元にわだかまる血。わたしはその中からアーチャーを抱き起こした。軽い。こんな軽い体で、この子は戦っていたんだ。
 重い剣を持ち上げ、切っ先をセイバーに向ける。でも向けただけ、それ以上は動けない。剣の振り方なんて知らない。

「敵は敵だ。道を塞ぐなら敵。俺に対するなら敵。俺に剣を向ける者は全てだ。そして敵は残らず倒す」

 途方も無い宣戦布告。その無謀さが彼をして竜を殺させ、英雄まで昇華させた。
 セイバーの足音が、ぎしりぎしりと地面を揺らす。手が震え、足が揺れている。でも、腕の中の温かさだけは見失わない。

「いい顔だ。それだけに……いささか残念だがな」

 セイバーの指、まるで鷹の爪ように尖って見える。剣はなくても、わたしの体を切り裂くのはお手の物だろう。

「目を瞑れ、楽にしてやる」
「……いやです」
「そうか。ではそのまま死んでゆけ」

 振り上げられた死神の鎌は膜に透ける月に照らされて、わたしの命は凍りつくだろう数秒後の未来を垣間見る。
 突き出しただけの剣は弾き飛ばされ、からんからんと転がった。二度目、腕は吼える。

「―――死ぬのはおまえだ」

 鈴の鳴るような声。かくして盤上は回転する。死に体は活き、王手は最悪の手へ。
 ごんと響く音。背後から前触れ無く襲い掛かった金の輪は、セイバーの口から血を零させる。わたしの前には、高く突き上げられたしなやかな腕。

「……これ……は」
「背中を取ったぞ、セイバー」

 肩の間、背中にメリメリと音を立てて沈み込む腕輪にセイバーの背骨が悲鳴をあげる。勝ち誇るのはわたしの腕の中、目を開いたアーチャ-。

「あ……があああああ!」

 捻られた体から外れて、金の輪はアーチャーの腕へ戻る。背後からの襲撃者を払いのけたものの、セイバーは未だ血を吐き、足は崩れる。全身を覆っていた血の色は潮が引くように消えていく。

「ガ……ギ」
「ちっ、生きてたか」

 よろよろと立ち上がるアーチャーを、わたしは呆然と見ていた。全身は血だらけ、鮮やかな赤に染まり、肌の上からでも砕けた骨がわかる。けれど双眸には確かに意志の光が輝きを放っている。

「アーチャー、貴様……どうして動ける。傷が治るのも速すぎる。いかにサーヴァントであろうと有り得ん」
「理由なんか知らない。俺の体が普通じゃないからじゃないか?」
「……蓮か。まさか花がそうも強靭なものとはな」

 金の輪をもう一つ腕に引き寄せて、アーチャーは拳を前へ。セイバーはよろめく足を叱咤し、口から漏れる血を吐き捨てる。

「一つ聞かせろ。今の奇襲、狙っていたのか?」
「目が覚めたらおまえが立ってた、乾坤圏との間に。だから乾坤圏を戻した。狙ってたわけじゃない」
「そうか。おまえの方が早く冷静になった分、運も傾いたか。……で、どうする」
「どうするって? 剣を拾われる前に殺すだけだ。回復されると厄介だからな」

 立て続けに乾坤圏が放たれる。機関銃のような腕輪の雨に、セイバーは転がり逃れる。しかし雨粒から逃れえる足の持ち主が居ようか。ついに腕輪は彼を捉える。
 だがセイバー、彼は最強の戦士。自ら足を地から離し、片腕を犠牲にして後ろへ跳躍した。着地した場にあったのは、彼の刃、災厄の魔剣。

 ここに来て、盤上はさらに反転した。セイバーは片腕で刃を振るい、アーチャーの宝具を唸りと共に撃墜する。
 突進は止めることは叶わず。アーチャーは横に足を引きずりながら、懸命に間合いを引き離す。
 だが矢を掴む獣に勝てる弓手が居ようか。セイバーの刃、その牙の届く距離へと迫られる。

「その首もらったぞ!」
「誰の首をだ……風火輪(フォンホールン)―――!」

 魔剣がアーチャーの細首を薙がんとしたとき、アーチャーの体は空中に弾けるように舞い上がっていた。アーチャーの足には一対の車輪、焔を放ち、大気に乗る。
 その飛行は自由自在。宙を滑るアーチャーは、今度こそ正しく腕輪の雨を降らす。

「ハッ、そうか、空を飛ぶのだったな貴様は!」
「黙ってそのまま潰れろ!」

 再びセイバーを覆う血の色。腕輪は表皮に弾かれ、傷を作り出せない。赤い騎士は足を溜め、弾丸の如く跳ね上がる。大気を唸らせ喉を裂こうとする刃を、アーチャーは腕輪で逸らす。
 攻守の立ち代りは目まぐるしい。空を舞うことによって速さの差を克服したアーチャーとセイバーは今や互角。竜虎がじゃれあうように殺し合う。
 わたしはそれを、どうすることもできずに見ていた。

「……う」

 吐き気がする。あまりの威力にっていうんじゃない。あまりの戦いぶりにってことでもない。頭の中はむしろ冷静、戦いにも目が慣れて、いつのまにか動きも追えるようになっている。
 気持ちが悪いのは他の理由、アーチャーのこと。あの子は、信じたくないけれど、楽しんでいる。あの子もセイバーと同類、命の奪い合いを喜んでいる。
 吐き出したい。吐いて消えてくれるなら、いくらでもお腹をひっくり返す。でも吐き出せるものじゃない。だから吐き気だけが胸に残り続ける。
 下を向く。膜越しの月光、微かに色がついている。その色が、唐突に消えた。

「へ……?」

 膜が溶ける。その向こう側に居並ぶ人影たち。記憶には銀の髪の妖精たちの姿が、けれど現実に待っていたのは異様な表情で立ち尽くす男たちだった。
 一目で異様さを感じる集団。どう言えば良いのだろう、その奇怪さを。整然と並んだ軍隊、ただし全て濁った瞳の男たち。淀んだ水が揺らぐように蠢いていた。
 ヒルダさんと鉄人さんは蜘蛛の子がするのと同じ、さあっと互いから離れる。

「何者だ、貴様ら。わたしの部下は――」
「みんな死んだわよ」

 ヒルダさんの問いに、女の人は笑って答えた。滲み出る存在感、そこに立っているだけで彼女が特別だとわかる。男たちの奥に居るはずなのに、彼らがくすんで見える。

「お馬鹿さんねえ、内側を遮断するなんて。それじゃあ、ほら、こんな風に外で何か起きてもわからないでしょうに」
「……く」

 セイバーは動きを止めている。ようやく気付いたアーチャーは訝しげに周囲の男たちを見回した。

「なんだ、こいつら」
「……ふん、少しばかり熱中しすぎたか」

 新たに現れた男たちは数十人。昨日の機械人形の方が多いと思う。けれど、背筋が凍るのは今夜の方だ。このひとたちは昨日の人形よりずっとおぞましい。

「あなたとあなたと、あなた」

 ローブで肌を閉じ込めた女の人は、わたしと鉄人さん、アーチャーを指差す。

「死にたくないのなら、どこかへ行っていなさい。私たち、あなたたちの命はどうでもいいの」 
「ふざけるな。俺はそんなの聞かない」
「あらあら、アーチャー。じゃあ、わたしたちをみんな殺す? どれだけ居るかもわかっていないくせに」
「この……!」
「待て、アーチャー」

 牙を剥こうとしたアーチャー、その唸りを制したのはセイバー。常に変わらぬ余裕を持って、彼は声を放つ。

「こんな邪魔が入っては興醒めだ。今宵は去れ、決着は持ち越しとしよう」
「む……」
「おいおい、アーチャー。どうして迷う? 半端な決着は貴様も望むまい。それとも、俺が貴様以外にやられるとでも?」
「……口のうまい奴だな。わかった。ただし、こんな奴らにやられたら、ただじゃおかないからな」
「貴様も死ぬなよ? 殺すのは俺なんだからな」

 アーチャーが宝具を消し、着地する。取り囲む男たちの一角が道を開いた。手招きするアーチャーの姿は子猫みたいで可愛らしい。でも、わたしの足は地面に張り付いたように動かなかった。

「行こう、みことちゃん」

 鉄人さんの声、わたしの手を取ってくれる。まるで迷子の子供。鉄人さんを見たら、思わず泣き出しそうになる。
 人の壁の間を進む途中、一度だけ振り返った。セイバーの血に染まった背中、それはまるで十字架、誰かを鎮める墓標のように。



 ログハウスには無事に戻れた。戻った後、わたしは窓の側で膝を抱えていた。アーチャーはすっかり元気になっていて、窓越しに野良猫とにらめっこをしている。

「眠れない?」

 鉄人さんがココアを二つ手に、わたしの横に腰を下ろした。手渡されたカップは温かい。冷えた指に染み入ってくる。

「その服、どうする? 洗って落ちるかなあ」

 アーチャーの血はわたしの上着にしっかりと残っている。傷は治っても、怪我していた事実は残る。当たり前のことだけど、今は不思議に思える。

「アーチャー、霊体化したらこの血の跡は消えるかな?」
「さあな。物質に固着しちゃうと消えないんじゃないか」

 アーチャーがぴょこりと飛びはね、わたしの前に座り込む。わたしは電気で実験されるカエルみたいに、びくんと震えた。

「……変な奴。しゃっくりか?」
「いや、みことちゃんも色々あるんだよ。ところでアーチャー、傷はもういいのかい?」
「そうだな。俺もびっくりしてるけど、もう平気みたいだ」
「やあ、それはよかった。じゃあ一つ頼まれてくれないかな。どうもストーブの調子がよくないから、裏にあった薪を取ってきて欲しいんだ」
「おまえがやればいいじゃないか」
「ちょっと疲れててね。頼むよ」
「……しかたない、やってもいいけど」
「ありがとう。四束運んだら教えてくれ」
「わかった」

 アーチャーは小鹿のような軽やかさでたったか駆けていく。それを見送って、鉄人さんはココアをぐいっと一飲みにした。

「さてと。僕に聞きたいこととか、話したいことがあるんじゃないかな?」
「……わかるんですか?」
「まあね。アーチャーが居ないところで話せる機会は少ないし、悩みを話すなら早いほうがいいよ」

 鉄人さんがカップを置く。外ではガサゴソとアーチャーの動く音がする。

 わたしは―――

1:聖杯戦争から逃げ出したい
2:アーチャーを戦わせないようにしたい
3:聖杯のことを話したい