敵に勝とうと思ってはいけない。あらゆる手段を駆使しなければならないが、勝とうとはするな。それが鉄人さんの教えだった。
 他のマスターさんたちは人殺しに長く関わっていると思うべきらしい。なんでも、魔術師は人を人とも思わないのが基本の職業だそうで。
 魔術なんて怪しい技術に初めて触れたわたしが勝つには、伸びをしたら直撃するはずの隕石を受け止めてたぐらいの幸運が必要なんだとか。

「そうすると、基本は逃げ回ればいいんでしょうか」
「マスターは僕が引き受ける。サーヴァントはアーチャーが倒す。みことちゃんは自分の安全を第一にする。それが一番だと思う」
「わかるんですけれど……せっかく鉄人さんに魔術を教えてもらったのに」
「ちゃんとできるのは魔術回路のオンオフだけだろう? 昼間のうちにそれをマスターしたのには驚かされたけどね」

 全身に管が張り巡らされているイメージ。それを意識するだけで、魔術回路とかいうものは簡単に制御できる。
 誰でも簡単にできるものなんだと思ったけれど、鉄人さんが言うには最初は苦労するものらしい。実際、夜までにどうにか制御ができればって話だったのに、日が傾く前には自由自在になっていた。

「わたしったら才能あるみたいで、うふふ」
「よく言うな。魔術らしい魔術は入門の一歩目で躓いたくせに。肝心の魔術が使えないんじゃ才能があるなんて言えないだろう」
「あら、アーチャーったら。今はそうだけど、きっとすぐに使えるようになってみせるわよ?」
「どうだかな」
「才能があるかどうかはわからないけど、あのログハウスなら鍛錬にはちょうどいい。幸いみことちゃんはすこぶるタフだし、練習は多くこなせるよ」
「確かにタフさ加減はすごいな。なにしろサーヴァントを召喚しといてピンピンしてる。もう人間かどうかも怪しい」
「あー、そうだねぇ。生命力はちょっと底なしだね」
「ちょっと!」

 アーチャーと鉄人さんについてはわたしの心配は杞憂に終わり、思いのほか上手くいっている。仲が良くなったというよりはお互いの距離を覚えたみたい。

「でも鉄人さん。こうやって歩き回るだけでいいのかしら。夏海さんを探すなら別の方法も……」
「いやいや、これでいいんだ。まあ、あまり自慢できたことじゃないんだけど、この街の危ない部分はよく知ってるつもりなんだ。昨日のうちに調べまわったのに夏海の行方がつかめないんだから、原因は僕の知らないところにあるんだろう」
「つまり聖杯戦争か」
「じゃなきゃ、単純な事故だね。海、森、地下、工事現場。どれも僕一人で回れるものじゃないし、警察に任せるよ。僕は警察が調べられないところを調べる」
「ふーん、そうか」
「無責任に思えるかもしれないけど、普通の事故なら夏海一人で何とかできるって思うしね」
「わたしにもなんとなくわかります、それ」
「俺は知らないけど、黒マグロなんだもんな。きっと筋肉がはちきれそうなんだろ?」
「いや、夏海は細身で女の子らしい女の子です」
「なんだ、そうなのか」
「うん。あの子は実に可愛らしくてね。将来はきっと美人になるだろう。おまけに元気溌剌、明るくて、よく気のつく子なんだよ」

 さりげなく叔父馬鹿さを発露する鉄人さん。でも夏海さんの話をするなら、ときどき壁に向って話しをしていることも付け加えるべきだと思うの、わたし。

「泳ぎも上手くってねえ。もちろん走るのも速いよ。勉強は……ちゃんとやってるし、うん。それに何より人懐っこい子なんだ」
「へえ」
「色んな人と仲良くなるのがうまいんだ。親しみやすいっていうのかな」
「なるほどな。じゃあ、あの女とはすいぶん違うな」
「うん。全然違うね」

 二人が向う先、そこは坂の上、そして月の下。銀糸を風に揺らす妖精が立っていた。
 赤い瞳は血よりも濃く、鮮やかに。女性らしい体の線は軍服に纏われることで不思議な空気を醸し出す。眼光の鋭さは鷹。怯える獲物を眼下に捉える。

「ねえ、あれは――」
「敵だ。下がってろ」

 疑問に対する簡潔な答え。アーチャーがわたしを押しのける。その際に胸がむにっと押されたのだけれど、えーと、今は怒るどころじゃないのかしら。びっくりしたけど……まあ、女の子だから許そう。男の子だったら怒ってたけど。
 今はあの女の人、これまたすごい美人な彼女をちゃんと見ているべきなんだと思う。……魔術使う人ってこんなにきれいな人ばかりなのかな。アーチャーもすごい可愛いし。

「ふん。まさか気付かぬフリで通りすぎるのかと思ったが」
「いやあ、そんなつもりはなかったんだけどね」

 鉄人さんがステッキの内側から白刃を引き抜く。対峙する軍服の妖精の手にはサーベル。振るうと同時に鞘から解き放たれる。凶暴、されど洗練された光が波を打つ。

「では、わかっていよう。私の目的も」
「もちろん」
「ならば準備はよいな? もしならぬと言うなら、改めて後日に決闘を期してやってもいいが」
「いやいや、今日このままでいいさ。格式ばったのは苦手だ」
「よし。さすがにあの焔を見ても心が折れぬだけはある」
「焔?」

 上機嫌に塗られていた表情が、引き潮のように消える。残されたのは端整な顔に刻まれた不機嫌な皺。

「ち……」
「ク――クク。見られていないのでは意味がなかったな」

 よく通る男の人の声。妖精の横に現れたのはきらめく英傑。場の空気を支配する存在感、それは天分に恵まれた王侯貴族。しかし玉座に座するだけの者ではありえない。猛々しさが彼の獣の顔を覗かせる。
 胸が苦しい。圧倒される。坂の上の二人は、本当にわたしの上にいる。魔力を肌で感じることができた達成感、そこに伴う意気軒昂さなんて吹き散らされている。

「黙れ。貴様のくだらぬ話を聞いているつもりはない」
「やれやれ。すぐ怒るな、おまえは」

 肩をすくめ、男の人は前に踏み出す。月の光は雲に遮られることなく、主役を鮮やかに描いてみせる。
 何なんだろう。昨日はゴーレムにさらわれかけたときも不思議な余裕があった。けれど今夜はない、まるで違う。男の人が口を開き、足を進める。それだけなのに、わたしの心は軋む。

「名乗ろう。我がクラスはセイバー。主、ヒルデガルドの御為に剣を振るう。我が敵、汝の名乗りを聞かせてもらいたい」
「俺はアーチャーだ」
「は。潔い名乗りだ、アーチャー。
 さて、戦う前に一つ提案がある。俺はちまちました手加減は苦手でな。このような狭苦しい場より相応しい場に戦場を移したい」
「今から移動するのか?」
「移動するのは俺とおまえだけだ、すぐに済む。邪魔が入らん利点もある」

 住宅街のど真ん中ではないけれど、ここにはちらほらと家も見える。昨日のアーチャーの暴れっぷりを見るに、ここで戦わせるのはちょっとまずいかもしれない。塀ぐらい簡単に壊しちゃいそうだし。でも相手の提案に乗るのもどうかと思う。……どうすればいいのかな。
 わたしは―――

(選択肢一群)
1:丘に行くことを薦める
2:谷に行くことを薦める
3:この場に留まるべきだ

(選択肢二群)
A:アーチャーから離れるのは不安
B:アーチャーは一人でも大丈夫だろう



 このままどこかに行かせては駄目。相手の土俵で勝負するのは危険だし、なによりアーチャーがわたしの見えないところで戦うなんて耐えられない。本当なら戦うこと自体に反対したいぐらい。どこかでこの子がひどい目に遭っている。そんなことは想像したくもない。

「アーチャー、行っちゃダメよ!」
「む」

 初めてわたしがいることに気付いたみたいに、セイバーと名乗った男の人が眉をぴょこんと上げる。目が合うと、彼は静かに目を細めた。
 声が出ない。値定めする瞳は綺麗、表情も穏やか、腰の剣に手を伸ばす様子もない。ただ見られているだけなのに、空気の塊に押しつぶされそうだ。

「ふむ。どうして連れているのかわからんが……まあいい。おまえを想っての女子の制止とあっては聞き入れるより他に無いな、アーチャーよ」
「回りくどく言うな。要はここで戦うってことだろう」
「はは。本当に潔いな、おまえは」

 セイバーはわたしから視線を逸らす。わたしは重石がとれたように、肺の奥に冷たい大気を送り込んだ。

「さて、ヒルダ」
「気安く名を呼ぶなと言ったはずだ」
「尖るな。部下を入れろ、どうやら仕込みを使う必要がある」
「決めるのは私だ」
「では決めろ。俺と意見が違うとも思えんがな」

 ヒルダと呼ばれた女の人は少し間を置いて、ほうと息を吐く。彼女は手にした機械、たぶん無線機か何かに向けて口を開いた。

「位置につけ」

 ヒルダ……さんの号令が下る。彼女たちの後ろ、そして私たちの後ろにぞろぞろと人影が動き出す。その影の中のどの髪も色は白銀。ヒルダさんを書き写したような女の人たちがわたしたち五人、ヒルダさん、セイバー、アーチャー、鉄人さん、わたしを取り囲む。

「これはどういうことなのかな、ヒルデガルド嬢」
「案ずるな、数に任せて縊り殺そうというのではない。街中にあっても存分に戦えるように場をこしらえるだけだ」

 ヒルダさんは鉄人さんに不敵な笑みを見せると、手を上げた。すると女の人たちが異口同音、少しのズレもなく言葉を呟く。続き、空中に電撃が走り、辺りは薄く巨大な膜に覆われていた。

「結界か」
「これで音は漏れん。いくらか乱暴に暴れたところで被害も出ない。そして――逃げ出すこともできん」

 鉄人さんが小石を蹴飛ばす。膜に当たった石ころは、嫌な音をたてて燃え尽きた。

「さすがにあの人数で敷いただけある。僕じゃ破れないな、これは。アーチャー、君はどうだい?」
「何度かやれば壊せるだろう。でもそんなことをするより、あいつらを倒した方がわかりやすい」
「やる気満々か。そううまくいくかなあ」
「セイバーは俺が叩く。その間にあの女をどうにかしろ」

 ヒルダさんのサーベルが風を切る。振り下ろされた切っ先はわたしたちに向けて。

「では、始めよう」