――水佐波総合病院。

 まあ、わかりやすくて的確な名前だろう。
 水上都市を除けば、基本的に海辺の田舎町でしかない水佐波において、
 個人の診療所以外ではほぼ唯一と言ってよい病院だ。

 リゾート化が進行している事もあって、海での様々なトラブルに対応できる設備面はもちろん、
 その景観にだって、極一般的な病院以上に気を配っている。
 なんとなれば、この病院を利用するのはバカンスを楽しみに来た金持ちばかりなのだから。

「にしたって……これはやり過ぎだよねぇ……」

 呆然と言った様子で夏海が見上げる建物は、まかり間違っても病院では在り得ないような外観である。
 よく言えば、ヨーロッパにでもありそうな史跡。
 悪く言えば、郊外にある儲かってなさそうなラブホテル。
 つまり――城であった。

 傷一つない白亜の石壁は、処女雪のように清らかであり、鏡のように磨き上げられている。
 各所から無秩序に尖塔の生えた異形のシルエットでありながら、どうしたわけか不思議と違和感が無いのも、
 この外壁によって彩られて――勿論、白一色なのではあるが――からに他ならない。
 それこそ歴史的な建築物として存在していれば、観光名所にでもなっただろう。
 しかし、そんな代物が街中にドンと鎮座しているのでは、どうにも違和感が拭えない。

 加えて――夏海自身、何故そう感じたのかはまったくわからないのだが――どうにも、この城は"嫌"だった。
 見ているだけだというのに、何故だか酷く息苦しい。
 誰かが、頭の奥底で囁いているのを感じる。
 近づいてはならない。あれは美しい華に思えるが、その実、獲物を待ち受けて喰らう猪籠草なのだ――……。

「アサシン。これって……」
「ええ、まず間違いなく、敵サーヴァントの拠点でしょう」

 やはり、と納得する一方、夏海の息苦しさが増す。
 まるで陸に揚げられた魚のように。大きく口を開き、酸素を求めて呼吸を繰り返す。
 心臓を鷲掴みにされたような恐怖感。理由は簡単。
 ――友達が、この中にいる。

「どうします、夏海様?」
「――――――――――」

 理性が訴える判断は、きっと正しい。
 自ら危険へと飛び込むなど、百害あって一利無し。
 或いは一度後退して、兄や同盟関係にある菅代優介に連絡を取る事もできるだろうが……。

「……あ、そーだ。ケータイ、ケータイ」

 とりあえずジーンズのポケットに突っ込んでおいた携帯電話を取り出し、短縮から兄の古書店へと電話をかける。
 ――――――が、しばらく待っても反応は無し。諦めてあっさりと電話を切った。

「どうでした?」
「ダメだった。まあ、兄さんあんまり電話とか出ないしなぁ……」

 ポケットにねじ込みながら、小さく溜息。そしてしばらくの間、腕を組んで病院を睨みつけ――。

「…………よっし」

 ぱんっ、と両手で頬を叩く。
 もう他に手は無いのだ。だったら行動するより他に無い。
 高波夏海は、理性で考え、損得で動くような人間じゃないのだから。

「行こう、アサシン」

 首飾りに転じた相棒へと声をかけ、夏海はずんずんと病院へと歩き出す。
 主の好ましい判断を受けて、はい、と鈴の鳴るような声がそれに応えた。









 ――さて。
 病院、或いは城の中にもまた、夏海にとって埒外の風景が広がっていた。

 赤。

 ただ一言で表現するのであれば、それ以外の要素をそこに見出すことは不可能だろう。
 床を覆う絨毯。壁面。革張りのソファ。カーテン。
 その一切、上下左右に存在し、視野に入る全ての物品悉くが、赤色なのだ。
 それも、単なる赤色というわけではない。
 ぬらぬらと光を反射する、まるで血のような赤色で塗りたくられている。

 はっきりと言って、悪趣味――否、そんな領域すらも通り越す産物だ。
 こんな城を建て、そして此処に住める者がいるとすれば、それは狂人以外の何者でもあるまい。
 まともな感性では耐えられない。気が狂ってしまいそうだ。

 空気は淀み、濁り、それに伴って眼に見えない何かが流動しているように感じる。
 そして真紅の壁面――この城全体が脈動し、生きているという錯覚。
 たとえるならば、それは巨大な生物の血管の中。
 この赤色は全て、比喩でなく血潮であり、自分達はその中に取り込まれてしまったのだ。

 ――そんな幻想を、単なる考えすぎだと笑い飛ばせない何かが、この城にはあった。

「――ッ。は、ァ……くぅ……ッ」
「夏海様……大丈夫ですか?」

 夏海は胃から込上げるものをこらえるので精一杯だったが、辛うじて頷く事ができた。
 ここは、まともな人間の存在できる場所ではない。
 一歩足を踏み出すたび、毛足の長い絨毯へとスニーカーが沈む。
 それが、まるで血溜りの中を歩いているように見え、一歩進む度に眩暈を覚えた。
 淀んだ空気こそが血液であるのならば、ただ呼吸をするだけで自分の体が血で汚れるような気さえする。

 だが、止まらない。止まれない。
 それが、高波夏海の長所であり、また短所でもあった。

 誰かのために危険を顧みず進むことができる。
 それは確かに尊いことなのだろうが、やはり傍から見ていて、ひどく危なっかしいのは間違いあるまい。

「…だい――丈夫。はや、く……みことや、皆を……見つけ、ないと……ッ」
「――それ以上に、夏海様の身体が持ちませぬ。
 お友達を探している途中で倒れてしまえば――それに、敵の動きも……」
「う、ん……。ここまで、なにも無かったもん、ね……。
 こんな不気味な……。建物、なのに」

 そう、その点も奇異と言えば奇異であった。

 この城は恐らく――というか確実に――結界であろう。
 夏海は詳細を知るわけではなく、これはアサシンから教えて貰った事なのだが、
 結界と言うのはすべからく、その術者によって内部法則を自由自在に定める事が可能なのだという。
 現にこうして探索を行っている城にしたところで、各所に名残はあるものの、
 その構造はとても病院とは思えないほど、迷路か何かのように入り組んでいた。

 で、あるからして、何となれば内部にいる人間を全て溶かしてしまうなどといった、
 おぞましく、かつ致命的な結界を展開することだって、魔力と技量さえあれば簡単な事だ。

 しかし――――何も無い。

 ふらふらとおぼつかない足取りではあっても、夏海たちはある程度以上まで、城の深部へと脚を踏み入れている。
 確かに、この結界に"あてられた"のか、気分は悪くなっていたが、それが結界の機能だとは思えない。
 ただ、先刻から感じている息苦しさだけが残って――いや、さらに増していた。
 はぁはぁと喘ぐようにして口を開き呼吸を繰り返すが、それで城の空気を吸ってしまうのが気分の悪化を助長する。

 とはいえ、何も仕掛けてこないのは事実。それは、城の雰囲気に輪をかけて不気味であった。

「………あ、れ?」

 と、不意に夏海は行く手の通路――曲がり角に眼を向けた。
 赤一色の世界だから酷く見辛いのだが、ちらりと赤い布切れのようなものが覗いている。
 ごしごしと眼を擦っても消えないのだから、きっと錯覚や何かではあるまい。

「――夏海様」
「……うん。わかってる――けど……」

 誘われている。
 たとえるなら、肉食の草花が虫を誘うために、甘い匂いを発するように。

 だが――その程度。
 先にこの城の外壁を見た時から、わかりきっていた事じゃあないか。
 躊躇う事無く、夏海は走り出した。

 呼吸が苦しい。
 脚が震える。
 意識が朦朧とする。

 ――それがどうした?

 右に、左に。時には階段を登り、踊り場の影で翻る。
 変幻自在に動き回って夏海を翻弄する、赤い切れ端――赤い服を着た、誰か。
 その人物を追って、 汚濁した空気の中を掻き分けながら、ひたすらに夏海は駆ける。
 何となれば、それが高波夏海という人間だから、というのが理由だろう。
 彼女は考えて行動する人間ではない。損得勘定で動けるわけもない。
 自分の想いに正直で、正しいと思ったことをやるために動ける人間だ。

 そして、走っている内に理解していく。
 目前で逃げ回っているのが誰なのか。直感――というようなものではない。
 くるくると踊るようなステップ。
 あんなドレスめいた衣服を着て、こうも軽やかに動ける人物。

 夏海の知る限り、そんなのはたった一人しかいない。
 一人しかいない――もっとも大切で、仲の良かった、友人だ。

「……みことッ!!」

 その叫び声に――ぴたりと、逃亡者の動きが止まった。
 ややあって、

「あら、バレてしまいましたか。
 存外……夏海さんも勘が良いのですわね」

 くすくすと可笑しそうにみことが笑う。
 身に纏っているのは、やはり朱色のイブニングドレス。
 広がった裾と絨毯との境目があやふやで、まるで血の海から起き上がった様。
 華やかな彩りを持つ、それはまるで毒華。
 得たいの知れぬ違和感に襲われ、夏海はたじろぎ――しかし、それでも尚、彼女に近づいた。

「み、みこと……。早く、ここから出よう……?
 ……ここ、絶対に変だからさ。それに――部長とか、他の皆も……ッ」

「……ああ、皆さんでしたら最上階でお楽しみですわよ?
 あんなに騒いで、よくもまぁ声が枯れないこと……。わたくし、驚いてしまって」

「みこと……?」

「生憎と、他のお客様をお持て成ししなければならないので、人手が足りませんの。
 夏海さんをお迎えするのも、こうしてわたくし自ら出てこなくてはならなくて……。
 ごめんなさいね、無作法で」

 ――違う。
 なにかが違う。
 自分は彼女を――友達を助けに来た筈だ。
 だのに、何だろうか、この違和感は。

「……夏海様?」

 胸中のアサシンが心配そうに声をかけてくれる。
 我知らず、夏海はその首飾りを握り締めた。

「そんなの……良いから!
 早く、逃げようよ……? ねぇ……みことッ!」

「あら。夏海さんは、わたくしのことを心配してくださるのね?」

「当然じゃない、友達だもの!」

「でも――――」

 そう言って。
 くすくすと。
 みことが。
 嗤う。

「あなた、マスターなのでしょう?」

 瞬間、床が消失した。

「え―――?」

 それが落とし穴――典型的な罠だという事を認識する暇もなく。

 夏海は先の知れぬ暗闇の中へと消え、鈍い衝撃と共に、その意識も途絶えた。






**あとがき********
なっちゃんも型月主人公の一人であるのだから14へ進め!
(デッドエンドと言う意味です。デモノフォビア、ムーンライトラビリンス、
 或いは「ざんねん!わたしのぼうけんは(ry」のような物とお考えください)
もっとも選択形式で進むスレというわけでも無いので、単にデッドリーであるだけですが。
まあ、主人公である以上、死んだり死んだり死んだり死んだりするのは義務ではなかろうか。

そして思いの他、黒化みこっちゃんの評判が良くてほっと一安心。
オルフェウス好きの人には申し訳ないのですけれども、バートリさんで良かったかな、と。
やっぱキャラ立ってると書き易さがぜんぜん違いますね。返す返すもライダー戦が悔やまれます。
リベンジの意も込めて! キャスター戦、もうちょっとだけ続くのじゃ。

そうそう、それと一つ吉報が。
昨年からもう、そりゃ凄いことになってた私生活なのですが、どうにか安定しそうです。
まあ、まだ確証はないのですけども、見通しは明るいので、何はともあれ一安心。
三月にはウォッチメンという長年待ち望んでいた映画の公開も迫っておりまして。
や、もう大ファンでしてね、本当。アメコミ史上最高傑作なのですよ。アラン・ムーアは天才だー!
……まあ、語りだすと物凄い長文になるので自重しますが(笑)
そんなわけで、此方のテンション、モチベーションもがりがり上昇しまくってます。

つまり何が言いたいかといいますと、今年も何とか生きていけそうです、と。
なので、じっくり腰を据えてFWも書いていきます。皆様、どうか宜しくお願いします。