10.


 菅代優介とアーチャーが、動物園の中で逃げ回っているのとほぼ同時刻。

 昼を過ぎ、夕暮れが近づき始めた水佐波市内は、やはり変わらず死者と鼠の闘争が続いていた。
 赤く染まり始めた日差しによって照らされる街中は、やはり同色の血液によってそこかしこが彩られている。
 鼠に食われた市民。死者に襲われた市民。鼠に喰われた死者。死者に喰われた鼠。
 夏海たちのいる区画もそれは同様だが、既に避難は終わり、或いは戦場が移った為、周囲に人の気配は無い。
 ――と、ビルの入り口付近に立っていた夏海と鉄人の傍らに、トンと軽い音を立ててアサシンが降り立った。 

「で、どうだった?」
「ええ。確かに鼠の群れの中でも、一箇所だけ突出している部位がありました」
「どの辺りだ? 場所はわかるか?」
「此方から北方の大通りを、そのまま西に」
「成程、ビジネス街の辺りか。――なら其処だな」

 アサシンからの報告を聞き、鉄人は静かに頷いた。
 わけがわからないという表情の夏海。どうにもこの兄の行動は理解できない。

「――兄さん、本当にあの鼠と戦って……勝てるの?」
「信用しろつったばっかだろう。――それに、別に鼠公を相手にするわけじゃねェよ」
「えっと、どういうこと?」
「軍隊ってのは、指揮官がいなけりゃ意味が無ェんだ。戦争は別に兵士が一人でやるもんじゃないからな」
「……ごめん、意味がわかってない。あたし」

 吐き捨てるような言葉。ますます混乱した様子の夏海に、鉄人は苦笑を浮かべた。

「つまり、数人以上の集団になんかやらせたいなら、誰かが指示を出してやらにゃならんのだ。
 戦争にせよ、学校の勉強にせよ、マスターとサーヴァントにしたってな」
「うん、まあ、その辺りはわかるよ」
「で、だ。―――あの鼠どもが複雑な命令を聞けると思うか?」
「―――」

 ――どう考えても無理だろう、と思う。
 夏海にさえわかるくらい、あの鼠達は複雑な行動を取ってはいない。
 ただ前進し、喰らい、障害があれば襲う。それだけだ。

「まァ、命令出すのに無線やら念話って方法もあるだろうが、鼠どもにそれが聞けるとも思えん。
 となりゃ、あいつらは主人の後についてくるしかない――ホテルから来た以上、其処から一番遠い場所に奴らの主人はいる」

 あとはその指揮官を叩き潰せば良い、と言って鉄人は笑った。
 戦争に勝つならそれが一番手っ取り早いのだと。

「特にこっちが数で劣ってる時は、相手の頭を叩き潰すのが一番だ。
 あとはまあ、状況を一気に引っくり返しちまうのも手だが……。
 戦闘機で空母に突っ込むのだって、目的だけ考えれば別に間違っちゃいねェよ」

 方法は盛大に間違っていたが、とまるで自らが体験した事のように顔を顰めた。
 その兄の姿を、夏海は不思議そうな眼で見つめていた。

 ――――兄さんの事がよくわからなくなってくる。
 親戚の兄さんだ、と。自分は彼のことをそれしか知らない。――勿論、それだけで十分なのだけれど。
 でも、この聖杯戦争が始まってから――よくわからなくなってくる。
 魔術なんて馬鹿馬鹿しいものにも詳しくて、戦うって事にも躊躇いがなくて。
 その癖、戦いに関することを口にする度に顔をしかめて。
 だって言うのに――なんで、そんなに戦うことに関して頭が回るのだろう?

「でも、鉄人様。どのようにして敵マスターのところへ向かうのですか?
 わらわ一人であれば、容易く鼠どもを掻い潜って行けるかとは思いますが――」
「ああ、下から行く」

 と、夏海はゴトンと言う、重いものが地面に落ちたような音で思考から復帰する。
 見れば、鉄人がマンホールを持ち上げて、路面に蹴り倒したところであった。
 下から行く――つまり、下水道を通って、ということか。
「兄さん……その、地下って鼠とかが一杯いそうな感じが――」
「まともに暮らしてる鼠なら、だ。
 鼠どもが主人に従ってる以上、あの主人が地下下水道によっぽど詳しいってんじゃねェ限り、ここは使わねェよ。
 なんせ陸軍が退避用に作った施設の流用だからな。迷いやすい構造にはなってるんだよ」
「…………なんか兄さん、ずいぶん詳しいね」

 そうか?と鉄人は小首を傾げた。態度は気楽そうだが、その顔は相変わらずのしかめっ面だ。
 水佐波の水上都市は、かつて旧日本陸軍が建設し、放棄した埋め立て島を流用――有効活用して作られた産物だ。
 陸地の方に多数の防空壕が残っているのと同様。此方もまた、各所に戦争の痕跡が残っていた。
 もっとも、今ではその大半はリゾート開発だの、ビル建設だので片付けられてしまったのだが。

「ま、運良く鼠どもが主人と一緒に行動してて、運良くマスターに土地勘がなくて、
 運良く俺の策にかかってくれて、運良く主人がいなけりゃ行動できなけりゃァ……
 ……運良く、運良く、だ。上手く行ったらお慰みってな」

 呟きながらヒョイヒョイと軽い足取りで、鉄人は梯子を降りていく。
 慌ててその後に夏海が続き、最後にアサシンが蓋を閉めながら穴に入る。
 時折、大丈夫かと気遣うように声をかけてくれるのが、夏海にとって有り難かったが――
 ――同時に、今日はミニスカートとか着てこなくて良かったと心底思う。
 兄に下心があるとは欠片も思ってないが、見られたら蹴り落としていたかもしれない。

「――――ああ、あと、そうだ。夏海、お前にも手伝ってもらわにゃならん」
「えっ!? あ、あたしも? い、いや、そりゃ、出来ることならやるけどさ……あたし、何も出来ないよ?」
「いや、夏海。これァ、お前にしか出来ん事だ。で、お前にゃァ出来る――と思う」
「思う……って」
「信用してんだ。それにまあ、其処まで危ない事でも無ェ――頼むぜ」

 暗闇の中を進みながら、少し考え、夏海は小さく頷いた。










 人気の無くなったビジネス街――夕闇が迫り、真紅に染まりきった大通りを、無道は疾駆していた。
 背後に付き従うのは鉄の牙を持つ鼠の軍勢。その数およそ八万四千匹。
 彼らが要求し、無道の体から搾り取る魔力の量は、とてもではないが通常のサーヴァントの比ではない。
 多数の人間を喰らって力量を増している今となっては――召還時のおよそ数倍は消費しているだろうか。
 しかし、その重荷を望んでいたというのに、無道の顔に笑みは無かった。

(これでは、あまりにも楽だ。試練とは言えぬ)

 八万四千匹の鉄鼠。その全てがサーヴァントという規格外の存在は、あまりにも強力すぎたのだ。
 一軍を一撃で持ってして吹き飛ばせるような英霊も無論数多くいるだろうし、
 或いは今相対している死人使いの女のように、膨大な兵力を持つ英霊もまた存在するだろう。
 だが――聖杯戦争に参加しているのは、たったの七組である。
 うち一組は自分達であるから、残りは六組。そして死人使いを除けば、後は五組である。
 その中に、果たしてどれほど、この鉄鼠と無道に匹敵するような存在がいるだろうか?

(狂戦士を呼んだのが裏目に出たか……。うぅむ、これは参ったぞ)

 こうして全力で街を駆けている今も魔力は消耗されているが、それならば重石を背負って山を登るのと大差は無い。
 何とも恐るべき事実ではあるが、無道はほぼ完全に、この鉄鼠どもを支配下に置いていたのだ。
 多くの魔術師がその重圧に耐え切れず、あまつさえ自滅していったという狂戦士を、だ。
 本人にとっては不幸なことであろうが、やはり無道の才能は異常であったのだ。
 と、その走りが不意に止まった。
 無道の前に立ちはだかる人影に気がついたからであった。

 それは、男であった。
 その立ち姿から一瞬、老人と見紛うたが――思いの他、若い。 
 着込んでいるのは甚平であり、完全なる徒手空拳。
 しかしながら、その男が纏う雰囲気は、無道をして脚を止めるに値するものである。
 ――つまり、この男。強い。

「ふむ。見た所、サーヴァントもおらぬ。令呪の反応も無し。マスターというわけでもあるまい。何者だ?」
「あァ、別に何でも良いさ。
 昔は水佐波の鞍馬天狗とか呼んでた奴もいたが……あんた、アラカンって知ってるか?」
「いや」

 小さく首を振る無道に、そうかと残念そうに鉄人は返す。

「いや、なに。ちょいとした用事があって、それで此処まで来たんだが――」

 鼠の群れを前にしても、まったく物怖じせず、鉄人は笑って言った。

「――その鼠抜きで、あんたと戦いたくてね」
「ほう?」
「こいつァ俺の勝手な想像だがね。あんた『単純に勝ちたい』ってわけじゃあるめェ?
 もし本当に聖杯戦争の優勝を狙うんなら、こんな馬鹿騒ぎはやらかさん筈だ」
「ふむ。或いは拙僧が、戦略などまるで考えん愚者なのやもしれぬぞ?」
「ああ、それであってる。あんたは戦略なんぞこれっぽっちも考えちゃいねェよ」

 ――ほぅ、と無道は口元に笑みを浮かべた。鮫のような笑みである。
 対する鉄人は、唇の端を歪めて笑った。ふてぶてしい表情といえる。

「あんたの頭ン中にあるのは、戦略じゃなくて戦術だ。
 ――『聖杯戦争に勝つ』んじゃなく、お前と戦ってる『死人使いに勝つ』なら、確かにこいつは良い方法だよ」

 単純に戦力のぶつけ合いであるならば、それこそ数が物をいう。
 複数勢力が入り乱れるような戦争でない限り、それは必然だ。
 幾ら凄まじい強さの兵士がいたとしても、十人、百人、千人を相手にして勝てる筈も無い。
 ――それを覆せるのが英雄と呼べる存在なのだろうが……鼠と死者の争いに、英雄なぞ存在しないだろう。
 まったく忌々しい話だと、鉄人は心底から思う。

「……成程な。つまり、拙僧の目的がそれであるとして――つまり、何が言いたいのだ?」
「つまり、お前は敵に勝ちたいんだろ、って言ってる。
 それも多分、真正面から戦って、だ。――で、俺はお前の敵だ」
「―――――――ふぅむ。ふむ。成程、成程な……。
 それならば、拙僧も相手をせねばなるまいて。それに、バーサーカーを使うわけにもいかぬ」

 得心がいったと言わんばかりに、無道は頷いた。恐らくは策略だろうという事は百も承知。
 だが面白い。受けて立とうではないか。
 そう決意を固めると同時に、その強靭な精神力でもってして鼠どもに指示を出す。
 命令としては単純極まりない一言であり、また鉄鼠にとっても非常に明解だろう言葉。
 つまり――『こいつは俺の獲物だ』と。
 その仕草を見て、内心で胸を撫で下ろす鉄人。
 上手く相手が出任せばかりの口三味線に乗ってくれた――運良く、だ。

「てェわけだ。やらして貰うぜ」

 次の瞬間、鉄人の右袖から何かが飛び出した。まったくの無造作。無道はそれを刀だと見抜く。
 接近戦を想定した無道は、数珠を槍の形状へと固定。より長い射程。より大きな戦術優位。
 が、それよりも早く鉄人の右手が鯉口を切っていた。大きく腕を振りながら、鍔元を指で弾く。
 鞘内で加速された刀が、勢いもそのままに射出される。即ち、飛び道具。
 咄嗟に槍の先端で切り払う。回転して宙に弾かれた其れを、続けざまに跳躍していた鉄人が握る。

「成程、暗器使いかッ!」
「ってェわけでも無いんだが……ねッ!」

 着地から即座に疾走を開始。待ち受ける無道、躊躇う事無く槍を繰り出し、突き、払う。ただ個人による槍衾。
 対する鉄人、前傾姿勢。顎が地面を擦るほど。半世紀前に施された小細工の賜物。槍衾の下を掻い潜る。
 懐に潜り込まれた無道は、即座に数珠の構成を変化。刺又。類稀なる法力の賜物。上方から下方への打撃。
 即座に回避軌道を演算開始。後方は不可能。左右、困難。結論――前進。大きく踏み込んで、左手を伸ばす。
 僧衣の襟元を掴み、投げ飛ばす。柔術。――叩きつけられた無道は受身を取り、猫のように身を起こす。既に会得済み。

「面白い――実に面白い! 四十年近く生きてきて、世界とは退屈なものとばかり思っていたが――御仏に感謝せねば、なァッ!」

 開いた距離は、既に遠距離。数珠の構成を変化させ、弓に固定。法力によって構成された矢が続けざまに放たれる。

「得物の趣味が多い野郎だッ!――臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前!」

 鉄人、後方へと跳躍。距離を稼ぎながら素早く九字を切る。護身法――法力と拮抗。弾けるような音を立てて両者が消滅した。
 飛び道具。より長い射程。より大きな戦術優位。それを打ち消すため、着地と同時に鉄人は疾走を再開。間合いを詰める。
 迎え撃つ無道。弓の構成は既に崩れ、剣の形で固定されている。相手の得意とする武具。腕試し。新たな試練。
 日本刀を数珠が受け止める。完全な鍔迫り合い。筋力も互角。しかし鉄人は片手撃ち。左手が動く。
 左袖が揺らめく――初撃を連想、不意討ちの可能性。

「ち、ィッ!」

 直感的判断で、無道は大地を蹴って後方へと跳躍する。
 まるで袖口が大砲の筒先であるかのような反応。しかし不発。
 ブラフと気づいた時にはもう遅い。一歩、二歩、三歩。滑るような動きで鉄人が間合いを詰める。
 真横に薙がれる日本刀の切っ先を、棒状に固定した数珠で受け止める。構成を崩す。鎖分銅。刀身を絡め取る。
 負けずと刀を引き寄せる鉄人。再び拮抗する力。完全なる膠着状態。
 無道は、鮫のように笑う。
 鉄人は、空を見やり、煌めく光を認め――会心の笑み。










「あー、もう! そりゃ、確かに……あたしにしか出来ない、けどさぁっ!」

 そう叫びながら夏海は角材を振り回しながら、ビルの階段を只管に走っていた。
 其処彼処に潜んでいる鼠の目を避け、襲ってくるものがあれば棒切れで叩きのめし、必死に逃げる。
 正しくそれは、このどうしようもない街に取り残された生存者の行動であり、
 つまりは鉄人にもアサシンにも出来ず、夏海にしか出来ないものであった。

「ほら、夏海様。あそこの影にも一匹――気をつけて、飛び出してきますっ!」
「こ、んのぉっ!!」

 思い切り角材を振るって、飛び掛ってきた鼠を壁へと叩きつける。
 勿論、彼らがサーヴァントである以上、この程度で傷をつける事は不可能だが――
 ――それでも、夏海が次の階まで一気に走る程度の時間を稼ぐには十分だろう。
 伊達に水佐波の黒マグロなどと呼ばれているわけでもない。
 海で鍛えられた健脚は、ビルの中でも十二分にその性能を発揮していた。

 とはいえ、それも首飾りの姿となったアサシンがいるからこそだ。
 夏海一人ではとてもではないが不安と恐怖で進めなかっただろうし、
 鉄鼠の潜むビルの中を進んで、かすり傷程度で済むわけもない。

「はぁっ……はぁっ……兄さん、頼むぜって言ってもさぁー……っ
 ちょっと、これ……きつい、って……ッ」

 額から垂れる汗をごしごしと拭う。
 Tシャツに短パンで良かったと、つい先ほどと似たような事を考える。
 こんな所で鼠相手に棒切れ振り回して走り回るなら、ミニスカートなんてはいてられない。

「もうすぐですよ、夏海様。――――頑張って!」
「う、んっ! あと、ちょ……っとぉっ!」

 脚に思い切り力をこめて、階段を上りきり、そこにあった扉を開くと――

 ――――ゴウと吹き抜ける潮風が、何とも心地よかった。


 屋上。
 夕闇が迫り、真っ赤に染まった町並みと、海。
 ホテルほどに高い建物ではなくとも、此処から見える景色は、水佐波に生まれ育ったものにはお馴染みのものだ。
 故郷にいるにも関わらず郷愁を覚えてしまうのも仕方ない事だ――と夏海は思う。
 この風景は、本当に大好きなのだ。

「……と、そんな事考えてる場合じゃなかった。
 えーっと、兄さんがいるのは、どっちかな……っと」

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、屋上のフェンスへと近づき――眼下の通りが鼠で埋まっているのを見て顔を顰め――見つけ出す。

「で、ええっと……なんて言うんだっけ、アサシン?」
「――さっき教えたでしょう?」
「ごめんっ。なんかもう、ここまでくるのに必死でさぁ……」

 あははーと笑う夏海に、仕方なさそうにアサシンは溜息を吐く。 
 といっても、その姿は相変わらず首飾りのままなのだけれど。
 夏海はそれをそっと握り締めて、夕暮れの空へと掲げた。

「では、わらわについて唱えてください。――きちんと念じながら」
「わ、わかった」

 唾を飲んで、意識を手の甲――そして握り締めたアサシンへと集中させていく。

「令呪を以って命じる――」
「れ、レージュを以って命じる……!」

 眼を閉じて、身体の中を巡っている何かを、其処へ集めていく様をイメージ。
 熱が流れ込むような感覚。手が熱い。意識が朦朧とする。構わず集中する。

「アサシンよ――」
「―――『跳べ』ッ!」

 次の瞬間。
 光の矢と化した暗殺者が、狙い違わず眼下の僧侶を貫いた。








「か、ハァッ!?」

 ――何が起きたのか、まるでわからなかった。
 自分の腹から短剣が飛び出しており、背後に何者か――サーヴァントがいるのを感じても。
 何が起きたのか、無道にはわからなかった。
 こみ上げて来る何かを堪えようとして、口から血反吐が漏れる。

「悪ィな。俺は中野学校の出で――正々堂々真正面から不意を討つのが得意でね。
 あんまし教育に良かァないからやりたか無いんだが……やらせて貰った」
「拙僧を、たば、かった……の、かッ!」
「そうでもしねェと勝てないと思ったもんでね。生憎、本業は腕っ節よりもこっちなんだ。俺ァ」

 その言葉に、無道は僅かに笑みを浮かべた。
 成程と納得した。
 彼は肉体を鍛え上げた。
 精神を鍛え上げた。
 ありとあらゆる術を学び、ありとあらゆる武を学んだが、しかし――。

「それは、まだ、学んでいなかった、なァ……」

 納得すると同時に、ひどく残念だった。
 まだ知らない道があるというのに、ここで終わってしまうのは。
 ああ、だが――輪廻は巡る。
 この魂は涅槃に至るまではまだ遠いとはいえ、先はあるのだ。
 であるならば、何が欠けているのかをわかっただけでも十分だろう。

「……まったく、御仏の導きというのは―――」

 有り難いものだと呟いて。

 無道と呼ばれていた求道者は、その生涯を終えたのであった。













――――Interlude 5



 ――水佐波総合病院。

 弓兵と騎兵の戦いから遡ること一時間ほど前。
 走り去る大蛇を見送る、三人の少女の姿が其処にあった。

「うーん、あの車、すごく早かったねーっ」
「ああ。お陰で随分と助かったからな。あとであのヤクザには感謝をしなければ」
「冴子、それよりも……」
「わかっている。志那都と彼氏だな。 黒崎はどうした?」
「八重は大丈夫だと思うよ。あの子の家も、かなり大きいし」
「そうか……ブルジョアジーという奴だな」

 小日向葵、姫宮冴子、二条忍。
 言うまでもなく、夏海の友人であり、もう一人の友人である志那都みことを心配していた彼女達である。
 平穏無事な生活の中にいた筈なのに、どうしたわけか鼠と死者とが繰り広げる闘争に巻き込まれてしまったわけだが、
 この病院の辺りにはまだ騒動が広がっていないのか、不思議と静けさに包まれており、ひと時の安心を得ていた。
 無論、友人達が心配ではあったのだが――此処までくればもう大丈夫、と。そんな想いが浮かぶ。

「まあ、何はともかく中に入ろう。ここで立っててもどうにもならんしな」
「―――――――――」
「どうかしたの、葵?」

 何やらぼうっと病院を見上げていた葵に、訝しげに忍が声をかける。
 すると我にかえったのか、慌てて何でもないと彼女は首を左右に振った。

「その、この病院って、こんなに白くて綺麗だったかなー、って思って」
「うん? 病院が白いのは当たり前だが――む。これは大理石か?」

 言われて見れば、確かにそうだ。
 そう新しい病院でもなかった筈なのに、その外装はとても美しくなっている。
 まるで少女の肌のように白い石造りの外壁は、確かに綺麗なのだが、とても病院らしいとは思えない。

「……気づかない間に改装でもしていたのかな?」
「なんか、ちょっと変だよね」

 とはいえ、だからと言って留まっているわけにもいかない。
 この病院の中には友人がいるのだから。それに、趣味の悪さは治療の良し悪しとは関係ないだろう。
 しかし――と意を決して病院に入った冴子は、思わず顔を顰めてしまった。

 この病院の改装を担当した業者は、よほど趣味が悪いに違いない。
 真っ赤な絨毯に壁に椅子。――まるで血のようじゃないか。








 ――――――その光景を、二人の少女が眺めていた事に、三人は気づかなかった。
 と言っても、気づける筈もあるまい。二人の少女は病院の最上階に程近い場所におり、水晶玉に映った像を見ていたのだから。

「あら、嬉しいですわね。部長さんに二条さん、小日向さんまで来てくれて……
 これはぜひぜひ、歓迎してさしあげないと。ねえ、そうでしょう、黒崎さん?」
「あ、う……」

 少女の声に対し、黒崎さんと呼ばれた少女は呻き声をあげていた。
 黒崎さん――黒崎八重。彼女の今の状態を考えれば、無理もない事だろう。。
 ――まるで磔のように拘束されているのだから。
 そして、それだけには留まらない。
 きちんと着こなしていた制服は無残にも破かれ、その所々から見える肌には、惨たらしい傷跡が走っている。
 打撃の痕跡もあれば、切り傷もあり、あるいは火傷もあった。
 小悪魔めいた笑顔が絶えなかった顔もまた、見る影もなく憔悴しきっている。
 そして左右で可愛らしく結ばれていた髪の毛も片方が解け、濡れた頬に張り付いていた。
 その髪を、返事が無いことに立腹した少女がグイと引っ張る。あまりの痛みに、八重の口から悲鳴があがった。 

「見えますかと聞いてるんですのよ、わたくしは?」
「ひっ! は、はい……み、見えます! 見えるから、もぅ、許してぇ……」
「あらあら、何を仰っておりますの? わたくしは別に、貴女に怒っているわけではなくてよ?
 貴女がわたくしに『してくださったこと』に相応しいお礼をしているだけですもの」

 くすくすと笑う少女――志那都みことの姿を見て、八重はどうしてこうなってしまったのかと涙を零した。
 無論、自業自得だ。今更悔いても遅い。だが、後悔せざるを得なかったのだ。
 仲睦まじく腕を組んで歩いている二人を見て――つい、ちょっと怪我でもすれば良いと言う思いで、背中を押した。
 転んだ先が道路で――ましてや、運悪く走ってきた信号無視の車にぶつかるだなんて、想像もしなかった。

 そんな八重の姿を見て、みことは詰まらなさそうに鼻を鳴らす。
 なんで泣くのだろう? 自分がした事をわかって、許してくださいと言うのなら、進んで身を捧げるべきではないのか。
 何故こういう事をするのか懇切丁寧に説明してあげたというのに、彼女はまるで理解してくれていない。
 泣きたいのは自分なのに。――無性に腹が立った。
 だから、決めた。
 説明してわかってくれないのなら、体でわかってもらおう。

「ねえ、八重さん。これをご存知かしら?」
「………………?」

 そう言ってみことが示したのは、鉄で出来た棺のようなものだった。
 表面に刻み込まれているのは、無骨な様相とは不釣合いなほどに暖かい笑みを浮かべた女性の姿。
 その頬を愛しげに撫でて、まるで理解できていない八重のために、みことはその蓋を開いてあげた。

「ひ、ぃっ……!?」

 たまらず、悲鳴が毀れた。
 鉄の乙女の内側に、びっしりと生え揃った針。
 八重は――それが何のための道具であるかを、理解する。

「これはね『鋼鉄の処女』と言って、随分と有名らしいのだけど……わたくし、最近まで知らなくて。
 ほら、内側に針が生えているでしょう?
 中に人を入れて、戸を閉じると――ふふっ、体がズタズタになっちゃうの。
 でもね、それだけじゃないのよ。
 勿論、そんな風になってしまったら助からないのだけど……この針、急所には絶対に刺さらないんですって。
 だから――痛くても痛くても、なかなか死ねないの。凄いですわよねぇ……わたくし、一度試してみたくて」
「ひっ……や、やだっ……やめ、やめてっ、やめてくださいっ……やめてぇっ……!」

 いやいやと首を左右に振る彼女を、しょうがない子ねとたしなめながら、みことは磔台を動かしていく。
 拘束が解かれたから抵抗しようとしても、ダメだ。つい先刻まで責めさいなまれていた身体には、これっぽっちも力が入らない。
 あっさりと、彼女の身体は拷問具の中へと閉じ込められる。背中に針が刺さって、痛みから声が漏れた。

「やだ、やだよぅ……ひ、ひぃっ! ごめんなさいっ、ごめ、ごめんなさいっ……ゆるして、ゆるしてぇっ……!」
「だから、先ほども言ったでしょう? わたくしは、貴女に怒っているわけじゃないのだから―――」

 徐々に迫り来る扉。背中の痛み。眼前に近づく棘。
 隙間から見える先輩。縋るように見やる。
 その眼差しをうけて、みことは優しげに笑った。 

「―――――許せないって」

 ガチリと扉は閉ざされ、聞くに堪えない濁った絶叫と共に、溢れんばかりに血が迸る。
 ガンガンと鉄の蓋を内部から叩くので、開かないようにしっかりと錠前をかけておく。
 叩いても手に針が刺さるだけなのに馬鹿な子だと思う。
 返り血で汚れた頬を拭うこともなく、みことは小さく呟いた。
 でも、そのくらいは我慢してあげよう。この愛らしい後輩のお陰で、また一歩前進できたのだ。
 流れ出る血は全て最上階の浴槽へと送られ、そしてみことを助けてくれた『彼女』の元へと届き、その力になる。
 そして『彼女』が力を増していけば、最後には――彼が救われるのだ。

 彼がいれば、もう他には何もいらない。
 彼のためなら、何を犠牲にしたってかまわない。
 こうして友人の協力を得て、また一歩、彼の救済へ近づいた。
 さっき病院に入ってきた親友達の力も借りることにしよう。
 一人足りないけれど、夏海はきっと親戚の兄と一緒に違いない。
 彼女には、遅れてきた分、色々としてもらわなければと思う。

 その光景を想像し、みんなが手伝ってくれることが幸せだったので――


 ――志那都みことは、陶然と嗤った。


 ――Interlude out












**あとがき*********
白兵戦のが書きやすいわぁ……(*・∀・)

さてもはても、バーサーカー戦終了と、みこっちゃんはっちゃけるの巻。
思いの他、鉄人兄さんと無道さんのバトルは書いてて楽しかったのと、
思いの他、みこっちゃんのシーンも書いてて楽しかったので、
作者もはっちゃける事ができました、ええ。

ムドー先生の敗因は『自分を痛めつけようとして調子乗った』というか何と言うか。
バーサーカーの魔力消費を抜きにして考えれば、肉弾戦じゃ水佐波最強でしょうし、この人。
死徒と互角に戦える以上、単純能力じゃカール(彼は成り損ないなわけで)なわけで。
あとタダーノ君同様、アサシンに対しての警戒心が薄かった所ですか。

みこっちゃんに関しては、当初のプロット作成段階ではオルフェウスだったのですが、
それだと夏海の同盟関係が強くなりすぎる(アーチャー、キャスター、アサシン)し、
ハイランダーで龍騎で生き残るのはただ一人な以上、友人との対決は必須だと考えたので、こういう形に。

まあギリギリまで悩んではいたのですけども、HiHでは主人公ですし、感動するほど良い子なので、
じゃあコッチでは、盛大にはっちゃけてもらおう!と決意した次第であります。……怒んないでね?

あ、ラストシーンはイラスト左下って事で、よろしく!