8.



 突然の爆発音に驚いて飛び出してきたのは、喫茶店レーヴェンスボルンの人々に限らなかった。
 花火の類では決してありえないその轟音。子供の悪戯である筈はなく、近隣で事故があったのかと思えばそうではない。
 何事かと顔を見合わせ、ふと空を見やり――そして更に驚愕する。
 完成すれば水佐波水上都市のシンボルとなったであろう高層ホテルの最上部が、跡形も無く消し飛んでいるのだから!
 住民達の脳裏によぎるのは数年前に発生した、飛行機が乗客もろともビルに突っ込んだという、あの事件。
 そう、事件だ。事故ではなく、事件。となれば、この後に何が起こるかわかったものではない。
 我先にと逃げ始めた人々の判断は、はっきり言って正常だったろう。しかし、状況が異常であった。

「――――うん?」
 最初に其れに気づいたのは、昼食を食べようと会社を出たばかりのサラリーマンだった。
 ホテル最上階が爆発する、その瞬間を目撃していた彼は、取るものも取らず慌ててホテルとは正反対の方向に走り出していた。
 不幸にして逃げ惑う人々の最前となってしまった故に、彼はその集団と出くわしてしまう事になる。
 その集団は――どうしたわけか、冷凍倉庫の中から現れた。ぞろぞろと何十人も連なって。
 最初は倉庫の従業員達かと思った。しかし、その衣服はといえば決して作業用のそれではない。
 私服のものもいた。背広のものもいた。大人もいれば老人もいたし、子供も混ざっていた。男もいれば、女もいた。
 そして、あろうことか、彼らはホテルの方へ向かおうとしていたのだ。
「お、おい、あんたら! あっちは危ないぞ!」
 戸惑いながら、サラリーマンは彼らに注意を促す。
 ひょっとしたら倉庫の中にいて、何が起きたのか知らないのかもしれない。
 幾ら奇妙な集団だからと言っても、見捨てておける筈は無かった。
 しかし、誰も止まらない。
 中空を睨む虚ろな眼に、だらしなく開いた口元。しかし足並みは整然としており、軍隊さながらに乱れが無い。
 ぶつぶつと何やら呟きながら、まるでサラリーマンの姿が眼に入っていないかのように、歩いていく。
 ――こいつら、何かやべぇぞ……。まるで死人じゃねェか……。
 直感的に判断し、それ以上声をかけずに走り出そうとした彼の判断は、やはり正常と言えただろう。
 しかし、状況は異常なのだ。
 背後――――つまりホテルの方向から迫り来る巨大な何かに気づいた時には、もう遅い。
 それが何なのか理解する暇もなく、雪崩の如く迫り来る鼠の群れにサラリーマンは飲み込まれ、そして消えた。

 他の市民達も、程なくして理解するだろう。

 人を貪り喰らう鼠の群れ。
 次々に数を増やしていく死者の軍勢。
 その両者の戦いの最中に、自分達が放り出されたのだということに。






「ど、どーしよう、なんか凄いことになっちゃったよぅ……っ」
「慌てるな、小日向。テロにせよ事故にせよ、少なくとも避難するのが妥当だろう。
 しかしテロだとして、水佐波を狙った目的はなんだ? ……まるで想像がつかないが」
「少なくとも私達が考える事じゃないよ、冴子」

 そして一方、喫茶店レーヴェンスボルン。
 瞬く間に人々がいなくなり、取り残されたのはごく少数の人員。つまり水佐波高校の女生徒たちと、夏海、優介、鉄人、そしてアーチャーであった。
 通りで奇妙な集団――少なくとも一般市民である彼女達にはそれが死者だとはわからなかった――と、異常な数の鼠が争う光景を見ながら、
 パニックにならずに留まっていられたのは、そして異常事態に慣れた人員が残っていたのは、幸運以外の何者でもなかろう。
 ――と、優介は、喫茶店の窓際に一羽の鴉が止まっていることに気づき、それを店内へと招き入れる。
 そしてその鴉が纏っている腐敗臭に顔を顰め――それが誰から送られたのかを理解し、ますます不機嫌そうな顔になった。
 手を伸ばすと躊躇うことなく鴉の首を引っつかんで持ち上げ、その足首に巻かれた紙切れを外し、目を通すと、
 やはり躊躇うことなく、その手紙をグシャグシャに握りつぶす。親の仇もかくやと言わんばかりの様子だ。
「どーかしたで御座るか、御館殿」
「…………あーもう、面倒臭ェ」
 ため息を一つ。こうなったら、つい先ほどまで睨みあっていた男――蔵間鉄人との交渉所ではあるまい。
 そしてそれは、鉄人も同様らしかった。二人して顔を見合わせ、それから揃ったように溜息を吐いた。
「おい、あんた……取り合えずここは手を組まないか?」
「ちょうど良い。坊主、俺も似たような事を考えてたぜ。
 俺ァ、この街でのゴタゴタをさっさと片付けたい。坊主も似たようなもんだろ」
「ああ。さすがにこの状況は、あんたと殺し合ってる場合じゃないからな。まったく面倒臭ェ」
 流れるように会話が続き、あっさりとここに同盟が結ばれる。

 気に喰わないことだが、鉄人と優介はお互いに、相手と自分の求めているものが同じだという事を理解していた。
 つまるところ、菅代優介は自分が平穏に生きたいが故に、蔵間鉄人は水佐波の街と住人の為に、この状況――
 ――――ひいては、聖杯戦争などという馬鹿騒ぎも片付けてしまいたいのだ。
 恐らくは聖杯に捧げる願いが無いのも同じだろうと、互いに考える。
 それに何より、菅代の翁/あの爺と比較して――手を組むには申し分ない相手だった。
 優介は鉄人が『何者』であるのかを知っているし、鉄人――というより夏海にとって――優介のような主催者側と協力できるのは大きい。
 双方共に、生き残ることが至上の目的である以上、ここで争う必要が無い。

 こう言った双方の事情を鑑み、渋々であったが手を組むことに鉄人が同意したのは、本人の過去の経験に拠るものが大きいのだが、
 それがこうも簡単にまとまったのは、本人は無自覚であろうけれど、優介の持つ『能率』という起源に助けられたからだろう。
 詰まる所は二人揃って「利害が一致すれば私情に関係なく手を組める」人間だった、という事だ。
 ようは似たもの同士と言っても過言ではあるまい。――本当に、気に喰わない事だが。

「しかし、ありゃ何だ。やらかしてるのは九割九分九厘マスターどもだろうが、正体がわからん」
「ああ、あれは死体だ。……参った事に、誰が操ってるのかも知ってるから、それは任せて欲しい。
 かわりにあんたは鼠の方を片付けてくれ。と言うかマスターなら、あれが何だかわかんだろ?」
「ああ、それなんだがな……」

 さて、どう説明したもんかと鉄人は思考を巡らせる。
 協力体制を組む以上は明かすべきなのだろうが、しかし彼女を必要以上に関わらせるのは本位ではない。
 ――が。
 ちょこちょこと何時の間にか此方に近づき、会話を盗み聞いていた夏海には、そんな心配は関係なかった。

「あ、それ違うよー」
「あん?」
「マスターなのは兄さんじゃなくて、あたし。サーヴァントはアサシンだっけ?」
「はァ!? 素人がマスター?! なんだよそれ、ふざけてんのか! 馬鹿なのか? 死ぬのか!」
「まぁ、そういう事も稀にあるで御座るよ。慌てない慌てない」
「お前は少し慌てろ、アーチャー! くそったれ、面倒臭ェ……!」

 激昂する優介を他所に、鉄人は心底から頭を抱えたくなった。







「つまりあの鼠どもは、一匹一匹が全部サーヴァントだって事か」
「うん。でもさ、あたしは良く知らないけどサーヴァントとマスターって普通、二人で一組ずつなんじゃないの?」
「まあ、一人で複数のサーヴァントを従えてる例も無くは無いけどな。
 主人を無くした奴と契約をしたり、最初から二体召還したり……本家本元、冬木の聖杯戦争で何度か確認されてる。
 確かこの前の回でも一組か二組はいた筈だが……まったく、あの鼠は反則も良い所だ。面倒臭ェ」

 余りにも圧倒的な戦闘力の差に、優介は心底から溜息を吐いた。
 祖父の残した資料――過去に行われた聖杯戦争の記録と、つい最近開催された戦争の生存者からの報告書による限り、
 英雄となった鼠の大群などという、こんな馬鹿げたサーヴァントが存在する筈も無いのである。
 エーデルフェルトの双子などが、一人の英霊の正邪両面をそれぞれ召還したという特異な例も存在するが、
 あれは一人一体というマスターとサーヴァントの原則を破っているわけでもなく、参考にすらならない。
 かつて聖杯戦争に参加した時計塔の講師曰く、無数のサーヴァントを召還する宝具も存在するようなのだが、
 しかしこうも長時間――更に広範囲に渡って――扱えるような物で無いことくらい、魔術を齧っていれば誰もが想像できる。
 可能性として考えられるのは、その講師が参加した聖杯戦争の『分裂するアサシン』のようなタイプだろう。
 アサシン程度ならば、それこそ他のサーヴァントで正面から戦う事ができれば問題にすらならないのだが、
 ……………鼠の大群ともなると、正直な話、どう対応して良いのかまるでわからない。

「アーチャー、何か手はあるか?」
「……生憎、拙者は『一匹の怪物』を退治して祀り上げられてしまったのであって、戦場で暴れたわけでは御座らん。
 というより、戦場で負けたから腹切って死んだので御座るからして、ぶっちゃけ無茶振りで御座る――が。
 嫌ァなことに、正体は検討がついてるので御座るよー……多分あれ、頼豪殿で御座る」
「頼豪――頼豪阿闍梨か!?」

 その通りと頷くアーチャーに対し、思わず鉄人は顔を顰めていた。
 頼豪阿闍梨と言えば、時の天皇を恨み、絶食して果てた後、関東を襲った怨霊である。
 とてもではないが、まともな英霊の類ではない。
 であるならば、この鼠の大群こそがサーヴァントであるというのも頷ける話だ。
 なぜならば頼豪は恨みを晴らす際、その体を八万四千匹の鉄鼠へと転じたというのだから。

 どうにもこうにも打つ手が欲しいところだ。
 死者の軍勢は現在、かろうじて鉄鼠の群を押さえ込んでいるが――それ以上ではない。
 長期戦になるのは確実だし、それで果たして勝てるかどうかも不明だ。
 加えて、もしも長期戦になどなれば水佐波がどうなるのか想像もつかない。
 神秘は隠匿すべしという大原則から外れるのも良いところだ。
 ――後のことを考えると、優介としては非常に頭が痛いのだが。

 と、そこで何かを思い出したのか、夏海がぽんと手を叩いた。

「あ、でさ、兄さん達。相談中のところ悪いんだけど、ちょっと良い?」
「あん?どうした?」
「実はその、友達の彼氏が入院してるんだけど――……」

 ちょいちょいと夏海の手招きに応じて、彼女の友人達が話し合いの場へと集まってくる。
 全員が年頃の少女である以上仕方ないのだが、その顔には不安や怯えの色が濃い。
 平静を保っていられるだけでも、褒めてやるべきだろう。

「……彼女の性格からして、梃子を使っても傍を離れんだろう。様子を見に行きたいんだが」
「私や冴子、葵も鍛えてはいるけれど、正直、徒歩で行けるとは思えなくて」
「病院――水佐波総合病院か。……おい、坊主。お前、アシはあるか?」
「一応は車がある。無理やり詰めれば全員は乗れなくもないだろう」

 優介の言葉に頷き、鉄人は黙考する。
 手はある。やろうと思えば、割合と楽だ。だが――やりたくはない。
 そうも言ってられない状況なのは重々承知しているし、実行するつもりでもいるが。

 ――糞ったれ。戦争なんていうのは半世紀以上も前に終わっただろうに。

「……よし、わァった。夏海、お前は俺と一緒に来い。お嬢さんがたは、坊主の車で病院まで送ってもらえ。
 病院は病院で何か対応してっだろうし、たぶん大丈夫だろう。その後の担当は、さっき決めた通り。坊主、良いな?」
「構わないが――――あんた、何とかできるのか?」
「ああ。だから、そっちも早いところ何とかしてくれ」






 ―――――ほど無くして。
 「大蛇」は人員を満載して、レーヴェンスボルンから走り去った。
 さすがに日本車、危なげない走りである。あの分なら、このどうしようもない状況の中であっても問題なく病院まで行けるだろう。
 しかし夏海としては――不安以外の何者でもない。
 あの夜、ランサーと血を啜るマスターに襲われた時から、たった一日だ。
 戦いとは全くの無縁だったというのに、今から行くのは殺し合い。
 ――いや、それはつい一時間前まで、この水上都市を闊歩していた多くの人たちもそうだろう。
 その内の何人が助かり、何人が死に、そして――『視る』事になるのか。
 一歩間違えば、自分もそうなるのだ。自分だけでなく、兄や、アサシンも。考えたくもない。
 何もかも投げ出してしまいたいけれど、何とかできるのも自分――のサーヴァント、アサシンだけ。
 別に主従だとかそんな事を考えてはいないが、彼女が戦う以上、自分が逃げるわけにもいかない。
 そして何より、鉄人が戦いに行くのだ。自分が逃げるわけにはいかない。
 だけど――どうしようもなく、怖かった。

「……………兄さん。大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。別に、大した事じゃ無ェさ」
「……本当?」
「本当だ」
「…………本当の本当?」
「本当の本当だ」
「……………本当の本当の本当?」
「本当の本当の本当だ。……つか、怖いならついて来なくても良いんだぞ?」
「う……。それは―――」

 できない、と。
 あまりにも魅力的な言葉だけれど、できないのだと。彼女は首を横に振って拒絶する。
 それを見た鉄人が、困ったような顔をして笑い――不意に、わしゃわしゃと夏海の髪が引っ掻き回された。
 あの晩と同じ、撫でているんだかなんだかわからない、不器用な手の動かし方。

「だったら、少しは信用しろ。
 俺ァ大丈夫だし、お前も大丈夫。それに――」
「ええ、わらわもついておりますもの。夏海様、心配する必要はありんせん」

 胸元から聞こえてくる軽やかな声。未だ首飾りの姿をしているアサシンが、穏やかな様子で囁いた。
 ――そう、あの夜と同じなのだ。
 アサシンがいて。鉄人もいて。
 不意に、胸の中に広がる暖かいものに気がついた。不安が溶けていくように無くなった事に気がついた。

「…………うん。わかった、信用する」

 だから行こう、と。
 夏海は、混乱の渦と化した水上都市へと脚を踏み出した。






****あとがき************
 さて、皆さんあけましておめでとうございます。
 今年もどうか宜しくお願いします……と、新年SS書初めでした。
 いろいろと悩みながら試行錯誤を繰り返しておりますが、
 どうにかこうにか、リハビリが終わってきたような感もあります。
 とりあえず水佐波市を大パニックにというのは当初から考えておりまして(笑)
 鉄鼠VSゾンビ軍団というB級映画もかくやな光景ではありますが、
 それがメインなわけではないので、描写も浅くせざるをえんのが残念です、はい。
 まあ、どうにかこうにか頑張って行きたいなぁ、と。
 次回はライダーVSアーチャーの――予定!