5.

 ――最早、カール・ノイマンという男は限界であった。

 彼は何もかもが破綻した男だった。
 人間であるのに生きる為に血液を求める。
 或いは怪物であるのに私利私欲で人間を襲う。

 矛盾である。
 磨り減っていく精神、肉体、魂。
 辛うじて微かに原型をとどめていた人間性が次々に零れ落ち、
 残っていくのはカール・ノイマンという名前の怪物という要素ばかり。

 己が人間であると思うならば、彼は吸血鬼に成り果てた時に死ぬべきであったし、
 生きたいと願うのであれば、彼は自分が人間で無い事を認めるべきだったのだ。

 相反する二つの要素を一つの器に納めた時点で、彼の末路は決定されたと言っても過言ではない。
 こうして極東の地の名も知れぬ森の中で土を食み、血に餓えるような醜態を晒しているのも当然といえた。

 無論カールも理解していたのだろう。でなければ、このような土地を訪れるわけがない。
 即ち、矛盾した式を解くのは『奇跡』でもなければ不可能だ、という事を。

 彼がその情報を知る事ができたのは、それこそ正に奇跡だったのかもしれない。
 冬木の地で行われた聖杯戦争。そして、水佐波で行われている新たな聖杯戦争。
 だが、それが同時に彼の更なる不幸の始まりでもあった。

 ――召還されたサーヴァントは、具体的な媒体が無ければマスターの性質に依存する。

 カールが召還した槍兵は、僅かに人間性を残しただけの怪物である。
 英雄として人々を救いながら、人を殺めて血を啜る事を良しとする怪物。
 加えて、大きく力/血を消費したカールは、通りがかりの男を死に至らしめ、
 更には一人の少女――マスターであったが――もまた毒牙にかけようとした。
 その指示に対して彼のサーヴァントは、一切の躊躇を抱かずに従った。
 またパスが繋がれば、互いの過去も夢と言う形で共有せざるを得なくなる。
 血。
 血。血。血。血。血。血。血血血血血血血。血。
 ランサーの記憶は、悉くが紅一色だった。
 戦場で彼は殺し、故郷を守る為に殺し、民衆の為に殺し、串刺した。
 それは真っ当な人間であれば吐き気を催すような所業。
 如何なる題目があったとしても、英雄たる者の行為ではない。
 怪物なのだ。彼のサーヴァントは。
 そして――それを呼び出したマスターも。

 正しく、カールは自らの鏡像を突きつけられた形となったのだ。


「……………は、ァ……はぁ……ハァ………は、ァ…………」

 故に。
 カール・ノイマンは奔っていた。否、奔らざるを得なかった。
 昼日向はともかく、夜闇が迫れば彼の時間が始まるのだ。
 感覚は異常な程に研ぎ澄まされ、筋肉には力が戻り、脳には思考が蘇る。
 だからこそ理解できた。
 知覚出来ぬ程の遠方から響く、無数の獣どもの気配。
 微かに聞える草木を食らう音。獣を喰らう音。
 それが神秘の産物であり、進行方向が街である事も。

 そしてカール・ノイマンは、その進路に先回りをする事すら可能だった。

 自らが 人間で あるの ならば
 彼は、奔らねばならなかった。
 関係ないと無視する事もできたろう。
 サーヴァントが一騎でも減るならばと傍観するべきだったかもしれない。
 だが、彼は奔った。
 怪物としての能力を用いて、人間である事を証明する為に。

 矛盾した思考回路。
 重ねて言おう。既にカール・ノイマンは破綻していたのだ。

 で、あるならば。

 破綻した存在が、まともに目的を達成できる筈もなく。

「ハァ……はッ……は―――ッ!?」

 ――――その前に障害が現れるのも、自明の理であった。
 夕闇の中、白い少女が彼の行く手を阻む。
 それだけならば、何と言う事もない。
 殺す。血を啜る。無視をする。どうにでもできた。
 だが。
 その、黒衣は。
 髑髏の徽章は。
 半世紀を経ても尚、忘れられるわけがない……ッ!


「ナチス………ナチスの、豚がッ! まだ、生きていた、のか……ッ!!」
「グーテン モルゲン、吸血鬼。化け物風情に豚呼ばわりされるのは不愉快ですね」
「違う、私は――私は、人間だ……ッ! 貴様らが、私を、このような―――」
「戯言は大概にして下さい、吸血鬼。前大戦から経ったと思っているのですか?
 貴方の肉体に行われた改変は、我々とは無縁のモノです。
 復讐をするつもりだったのならば、貴方は愚鈍に過ぎました」
「どちらが、戯言だ……ッ!」

 少女は、カールの怒りを鼻で嗤って退けると、その手に浮かび上がった印を見せ付けた。
 浮かび上がるのは三画の刻印――令呪。今、この地において、これが意味する所は唯一つ。

「別に貴方がたでなくとも構わないのですが。
 そろそろ閣下に首級を捧げなければならないというのに、行動が遅れました。
 手土産の一つでも無ければ申し訳が立ちませんので。
 吸血鬼、貴方を生け捕りにしたいと想います」

 きっと閣下にも喜んでいただけるでしょう、という言葉は既に耳に届いていなかった。
 この娘は生かしておけない。
 マスターだ。
 殺さなければならない/殺しても構わない。
 理由はある。
 許可もある。
 そして、彼女の横に剣士が出現するに至って――

「ラァァァンサァアァァアァァァァッ!!」
「行きなさい、セイバー」

 事ここに至れば言葉は不要。
 まず飛び出したのは赤銅色の肌を持つ剣士。
 迎え撃つのは禍々しい甲冑を纏った暴君である。


「貴様のような小童が、我に近づけるのか?」
「徹る」

 前進。

 対する暴君が指を鳴らせば、剣士の足元から槍が突き出した。
 否、杭だ。かつて幾多の屍を貫き、侵略者を防いだ杭。
 それがセイバーを直撃する。
 轟音が響き渡り――セイバーは片手の剣を盾にして、その場に留まった。
 踏ん張る足が地面に埋まり、その力は容易く大地を砕いてみせる。
 そして次の瞬間には、あいた左手を握り締めて杭へと撃ち込んでいた。
 小枝か何かのようにして杭がへし折られる。

 前進。

 次いで王が放つは無数の狼。
 剣士の肉体を牙が噛み、獣どもが四肢へと食らいつく。
 躊躇う事無く剣で叩き落し、拳で叩き潰した。

 前進。

 毒を孕んだ霧が剣士の肉体を包み込む。
 五臓六腑が腐敗する瘴気の最中を、彼は突き進んだ。

 前進。

 続けて現れたるのは流星雨の如き蝙蝠の群。
 次々に剣士の体へとぶち当たり、肉片を引き千切る。
 だが、彼は突き進むのをやめない。
 縦横無尽に剣を振るい、その悉くを切って捨てた。

 前進。
 前進。
 前進!

 ――肉薄。

 全身を血で染めながらも王へと迫った剣士に対し、
 暴君は呵呵と笑って口を開いた。


「宜しい。
 近づけるかと問うた余に、近づけると貴様は証明した。
 よって、ここに余からの言葉と言う褒美をやろう。

 ――近づくことを許可しない。 去ね」

 雲霞の如き閃光がセイバーの体を貫き、その身体を地へと縫い止めた。

 それ自体は先達ての初撃と大差無い。事実、行動自体は全く同じなのだ。
 ただ――あまりにも数が違った。
 それは正しく槍衾。
 如何なる英雄、猛者であろうと進撃を阻む、鉄壁の防備。
 誰が知ろう。
 この王こそは侵略者を阻む為に、怨敵の屍を串刺しにした男。
 祖国を守り抜いた名君にして、残虐非道な暴君。
 狂気に捕われた怪物。
 或いは、史上最も有名な吸血種。
 串刺し公、ワラキア公、ドラキュラ。
 ――ヴラド・ツェペシであった。

「主と同様に愚鈍ですね、王――いえ、悪竜の子」
「ほう、真名を見破ったのは褒めてやるが……余を愚弄するか、魔女め」
「吸血鬼が従える英霊とあれば、一目瞭然です。
 そして――――まだ、気付かないのですか?」

 娘は、蟲惑的な笑みを浮かべ、ついと細い腕を中空へと掲げた。
 唇を開いて紡ぐのは、大切に胸中に秘めていた想いを口にするように。

 Zugang―――Fevnir
「接続―――悪龍血漿」

 ――――槍衾の奥から、何かが聞えた。

「……まさか、馬鹿な」

 カールが驚きに言葉を喪い、

 咆哮。

 Drachen Leichentuch
「展開――是・竜血鋼鱗」

「彼奴は。あの小童の名は――」

 ランサー、ヴラド・ツェペシが眼を見開いた。

 咆哮。

「―――征きなさい、シグルド」
「御意」

 咆哮!!


 瞬間、槍衾が弾け飛ぶ。
 沈みかけた夕陽の残滓に煌く木片。
 その中を突き進む――――存在があった。

 大きく張り出した角。
 人にあらざる金色の瞳。
 鋭く尖った爪。
 禍々しいシルエット。
 だが、それだけではない。
 自らの骨格をも歪めて生み出された悪夢の如き装甲。
 限界まで稼動している霊核――魔力炉心が吐き出す膨大な熱量。
 内包したエネルギーの総量は、小規模な超新星に匹敵すると言っても過言ではあるまい。
 それらがたった一つの指向性を持って、今ここに解放されていた。
 もはや貴様は敵ではないと宣言するかの如く、生えた禍々しい角を振りかざし。
 三千世界に響き渡るほどの殺意を孕んで、その"化け物"は顕現する。
 ――悪竜。
 まさに、その一言だった。

「シグルド…………ジークフリート、かっ!?」
「ヤー、肯定です吸血鬼。我らがゲルマンの大英雄、シグルド。正しく最優の剣霊の座に相応しい」
「チィイィィィッ!」

 ランサーが遂に腰の物に手をかけ、抜剣。数多の兵を屠った音速の斬撃が空間を切り裂く。
 吸血鬼の膂力を持ってして振るわれる剛剣の一撃を、セイバーは受け止める素振りすら見せない。
 その刃は装甲に当たるや否や、硝子のように割れ、砕け散った。
 長い年月の間、戦場で鍛えられた銘剣の末路としては酷くあっけない最後。
 だが、宝具ですらない武具である以上、それは致し方ない事。ランサーにとっても覚悟の上である。

 狙うのは――――己の持つ貴き幻想。
 宝具。その真名開放の一撃を持ってして、この大英雄の鎧を貫くのだ。

「餓え渇く鮮血の――――」
「が、ああぁあぁあぁあぁぁあぁっ!?」
 ランサーの肉体から血液が流れ落ちる。
 そして、同時に膨大な魔力消費がカールの肉体を苛んだ。
 如何にその宝具が消耗の少ないタイプであったとしても、必殺の一撃を加えるには何本あっても足りる筈が無い。
 供給される魔力は、そのまま溢れる血液へと転じ、それは即ち杭となる。

「―――粛杭…………ッ!!」



 無限とも思えるほどの尖杭の乱立。
 零距離から放たれる土石流の如き宝具の群に対し、シグルドは同時なかった。
 対抗するのは、その左掌のみ。

「な、ぁめるなぁあぁあぁぁぁぁぁあぁぁッ!!」

 ランサーの絶叫が響き渡る。
 しかし――

 圧壊。

 まさに悪夢のような光景。
 如何に悪魔と呼ばれた反英霊であっても、ヴラド・ツェペシは座に祀られる程の猛者である。
 その宝具の一撃を。
 たとえ真名を開放していたとはいえ。
 素手にて握りつぶすなど――――最早、正気の沙汰ではない!

 ――ランサーにとって不幸だったのは、彼が「悪竜」と呼ばれた猛将の息子であり、
 自身もまた「悪竜の子」を意味する字名を持ち合わせていた事だった。
 シグルド、ジークフリート、そう呼ばれる北欧の大英雄は、相手が悪すぎた。
 なぜなら彼は『悪竜殺し』によって英霊となった男なのだから……!

「が、ァ………ッ」

 オーバーフローした魔力消耗によって意識を喪いかけたカールの最後の記憶。
 即ちそれは、宝具を阻まれた自身のサーヴァントが、セイバーの一撃によって心臓を貫かれる場面であり――

「アォフ ヴィーダーゼーエン。――――また後で、吸血鬼」

 ――――白い娘の、そんな甘い囁きであった。