4.

 むかしむかしの話をしよう。

 あるところに、ひとりの女の子がいました。
 女の子はふつうの女の子です。
 お父さんが大好きで。
 みんなのことも大好きで。
 野山を駆けるのが大好きな。
 そんな、ふつうの女の子でした。

 ある日のこと。
 どこからか来た女の旅人が、女の子を見ていいました。

「あの子はとても良い子だ。
 世のため人のため、悪と戦う術を教えたい」

 当然、女の子のお父さんは怒ります。
 お父さんは女の子が大好きでした。
 大きくなったら恋をして、
 恋をしたら好きな人と結ばれて、
 幸せに生きて欲しいと思っていたのです。

 でも、女の子は違いました。
 女の子は知っています。
 えらい人から国を守ってくれと頼まれた人たちが、
 自分達のためにだけ、与えられた力を使っていることを。
 その人たちのせいで、色んな人が苦しんでいることを。

 女の子は幸せでした。
 大きくなっても幸せなままでしょう。
 でも、他の人は幸せになれないかもしれない。

 だから女の子はお父さんに黙って、旅人についていったのです。



 女の子はがんばりました。
 どこかの誰かの為にがんばりました。
 剣の使い方をおぼえました。
 空を飛ぶように走る方法をおぼえました。
 姿を変える術も、いろんな薬の作り方もおぼえました。

 がんばって、がんばって、そして五年が経って。

「もうお前に教えることは何もない。
 世のため人のため、その力を使いなさい」

 旅人はそう言って、女の子をほめてくれました。
 美しく育った女の子は、お父さんのもとへと帰ります。

 でも、お父さんは女の子が帰ってきても、喜んでくれません。
 だから女の子は、お父さんのためにも、悪い人をやっつけました。
 毎晩、毎晩、毎晩、家を抜け出しては悪人をやっつけます。
 でも、お父さんは喜んでくれません。

 それは、あたりまえの事でした。

 なにが善いことで、なにが悪いことなのか。
 どうしてただの人に決めることができるでしょう。
 どうしてただの人が裁くことができるのでしょうか。

 それができる女の子はもう、女の子ではありません。
 ――女の子は人ではなくなっていたのです。





「…………うあ゛ー……」

 年頃の娘にあるまじき声をあげて、高波夏海はもぞもぞと布団から這い出した。
 視界に広がる古びた木の天井。それを見て、昨日は兄さんの家に泊まった事を思い出す。
 まあ、別にそれは変わったことじゃない。
 小さい頃から何度も泊まってるし。着替えもちょっと置かせて貰ってるし。
 問題なのは―――

「……あー……変な夢みた、なぁ……」

 ――記憶にぼんやりと残っている、奇妙な夢。
 まったく、昨日に続いてへんな事続きだ。
 変な男に襲われて、死にそうな目にあって、助かって。
 一生に一回でも経験したくないような事ばっかりだった。
 おまけに魔法使いだとか聖杯戦争だとか。わけがわからないし。

「まあ、やると決めたらやるしか無いよね」

 もっとも、高波夏海はえらく前向きだったのだけど。
 そもそも幽霊が見えることからして変だったのだ。
 ちょっぴり自分が『まとも』な世界から一歩横にずれている事くらいは、
 夏海だってしっかりと理解しているのだから。
 今更、魔術とか英霊とかが出てきたって驚く方がどうかしてる。

「よいしょーっと!」

 気合を入れて、ばさりと寝巻きを脱ぎ捨てる。
 健康的に日焼けして引き締まった体は、実はちょっと自慢だったりする。

「ふんだ。あんなのがあっても泳ぐのに邪魔なだけだもんねー」

 みことや葵みたいに大きいものなんていらないのだ、とか何とか。
 着替えのTシャツと短パンを手繰り寄せながら、そんな事をぼやく。

 結局の所、やっぱり気にはなる年頃なのだ。



「お、兄さんのご飯なんて久しぶりー」

 ややあって居間へと出てきた夏海を迎えたのは、食卓に並んだ料理の数々だった。
 作ったのは誰かといえば、それはもう一人しかいない――鉄人だ。
 まあ、アサシンという可能性も無くは無いだろうけど、和食が作れるとしたら驚きだけども。
 既に卓袱台の横で正座してる二人の間に入って、夏海もまた正座する。
 こうして皆揃ってから『いただきます』が高波家の風習だ。

「昔は料理なんてまったくできなかったのにねぇ、兄さんは」
「『士別レテ三日ナレバ刮目シテ相待スベシ』だ。何年経つと思ってるんだ?」
「……っていうかさ。あたしが料理教えるまで、兄さんどうやって生きてたの?」
「馬鹿者。昔は男子厨房に立ち入るべからず、つってな。
 男が料理作るなんざ有り得ねェって決まりになってたんだよ」
「昔は昔、今は今ですよー、だ」

 まあ、なんだかんだ言って、家庭の味が一番だ。
 お婆ちゃん仕込の夏海にしてみれば、やっぱり和食が良い。
 そりゃあ目玉焼きにソーセージにサラダにフレンチトースト、みたいな、
 ちょっとお洒落な朝食に憧れたりもするのだけれど。

(やっぱりメニューからして発想が貧困だものね、あたし)

 きっと豪華な洋風の朝食っていうのは、もっと凄いに違いないと思う。
 こう、グレートでゴージャスでデリシャスな感じ。
 お洒落なテーブルクロスを引いて、紅茶とか珈琲とかこう、素敵な飲み物があって、
 スクランブルエッグ(炒り卵と表現すると途端に和食だ)とかなんか横文字の料理が一杯並ぶ、みたいな。
 とはいえ、別に今食卓に置かれている朝食が嫌い、というわけではない。
 むしろ最高だ。

 牛蒡、大根、人参、里芋、豆腐の入った"おみおつけ"。
 御釜で炊かれた御飯には、ほんのちょっとオコゲがついて。
 ふんわりと焼かれた金色の卵焼き。
 そして近海で取れたカワハギの煮付け。
 夏の終わりの今が旬の白身魚。
 きゅっと締まった身に、何と言っても『肝』が良い。
 特にこれと言った郷土料理は無いけれど、
 美味しい野菜と魚とがふんだんに使われたこの食卓は、
 まさしく山と海とに囲まれた水佐波の味だった。


「うん、やっぱり肝の苦味が良いんだよねー」
「お、夏海も言うようになったじゃねえか。
 昔は『にがいにがいー』ってぴーぴー言ってた癖に」
「兄さんうるさいー」
「………ふふっ」
「どーしたの、アサシン。急に笑ったりして」
「いえ、仲の良い兄妹だなぁ、と」
「ん。別にあたし、兄さんの妹じゃないよ?」
「………そうなのですか?」
「うん。兄さんっていうのは『親戚の兄さん』の事だもん」
「………ま、そんな事はどうでも良い。どうするんだ?」
「? どうするって?」
「聖杯戦争」
「あー……」

 忘れてた、というわけではない。
 ないけれど。
 考えたくなかった、というのは本音だ。
 昨夜、参戦を決意したし、戦う気持ちは揺らがないが、
 いざ殺し合いに身を投じるのだと――本気で考えたくは無い。
 ひどく曖昧な心境。それを誤魔化すように、夏海は頬を掻く。

「とりあえず、どうすれば良いかなぁ……アサシンは、どう思う?」
「わらわは戦場の大英雄というわけではありんせん。
 個人の戦術ならともかく、兵法についてとなると――」
「……………って事は、俺か」

 溜息を吐いて、鉄人は頭をばりばりと引っ掻いた。
 茶碗に残った白米を一気に掻き込み、湯飲みのお茶を煽る。

「多分、防戦になりゃ負けるなぁ。
 拠点作りっつーか築城っつーか、水佐波自体は海と山があるからな。
 それこそきっちり城さえ作って迎え撃てば、負ける要素は無いんだが、
 生憎とそんな時間も場所も人手も資材も無ぇと来てる」

 煙草盆を手繰り寄せ、煙管に火を灯す。
 鉄人にはわかっていた。
 実際のところ――状況はあまり芳しく無い。
 夏海は完全に素人のマスターだ。
 魔術的には弱く、軍事的にも尚弱い。
 その上、引いた手札はアサシンと来てる。
 単純に騎士や槍兵とまともに遣り合って勝てる存在ではない、のだが。

「そういやアサシン。お前さん、真名はなんだ?」
「……あ。そうそう、あたしも気になってたんだ。教えてよ」
「名前――さあ、覚えてはおりませぬ」

 そう言って彼女は、普段の飄々とした笑みではなく、何処か淡い微笑を浮かべた。
 寂しげなのとも違い、悲しいのとも違う。懐かしいというのも適切ではあるまい。
 ただ、少し遠くにあるものを見るような、そんな表情だった。

「ただ、聶隠娘とさえ呼んで頂ければ」
「―――――――じょーいん、じょう?」
「……こいつは驚いた。仙人――や、仙女様じゃねえか」
「……兄さん。どーいう事した人なの?」
「本人に聞け、本人に」


 聶隠娘。
 仙術を学び、夜な夜な悪人を退治し、悪仙や妖術使いと戦ったこともある、中国の武侠の一人。
 その性質は、アサシン――暗殺者という種別だけでは留まるまい。
 彼女の持つ宝剣が名のある銘刀でさえあれば、剣の英雄として知られていたに違いないだろうし、
 その仙術の腕前は、古代の物語に登場した魔術師達に勝るとも劣らない。
 くわえて言えば、彼女には英雄譚に付き物の『負けた』『殺された』という最期が存在しない。
 これといった弱点が無いという意味においては、随分と戦術に幅のあるサーヴァントと言える。

 ――――が。

 それはアサシンとして優秀というだけの事だ。
 彼女の性格、夏海を救ってくれたという事に関しての情を全て切り捨て、
 単純に駒、戦力としてみた場合、とても楽観できる状況ではない。
 少なくとも義侠に厚い人物であるから、裏切られる事だけは思考の外に追いやっても良いだろう。

(信用はできる。が――信頼はできねぇな)

 戦力として鑑みる限り、其処まで優れた手札ではない。
 至極あっさりと鉄人は評価を下す。そうしなければ生き残れない。
 そして悲しいかな。このアサシンこそが、此方の切り札なのだ。
 であるならば、それを駆使するしか生き残る術は無い。
 『創意工夫シ可能ニセヨ』だ。
 別に悲観するほどの事はない。こんな状況は慣れっこじゃあないか。

「防衛戦になりゃ、拠点の無い俺達が不利。かといって攻勢に出るほどの余裕も無い。
 となると――威力偵察って所かねぇ……」
「……なんか今日は知らない単語が一杯でてきて良くわかんないんだけど。
 というか兄さんが難しいこと考えてる時点で驚きだったり。
 いりょくてーさつって、なに?」
「ようは、戦って相手の戦力を確かめる、って事だ。
 向こうの手札がわからん事にゃ、行動のしようもねぇ」
「つまり?」
「早い話が出た所勝負」
「うわー……早速前途が多難だよぅ」

 がっくしとうつ伏せる夏海に対し、鉄人は仏頂面のまま煙管を噴かす。


 或いは。
 もっと楽に戦う方法だってあるのだ。
 ――今までのは『勝つ』為の思考であって、『生き残る』為のそれではない。
 『生き残る』だけならば、ようはこのアサシンがあっさりと敗退すればそれで良いのだ。
 マスターである事を明かさぬまま、サーヴァントだけが消滅すれば、夏海が狙われる事は無い。
 少なくとも『アサシンのマスター』を探すものは出るかもしれないが、
 それと『高波夏海』がイコールになる可能性は、現時点では限りなく零に近い。
 しいていうならば昨夜、彼女たちを襲ったというランサー達くらいか。

(真っ先に叩けるんなら、槍兵どもなんだろうが……)

 となれば令呪でも何でも使って、アサシンをランサーどものところに送り込んでしまえば良い。
 アサシンが勝とうが、負けようが、これで聖杯戦争における懸念は無くなる。
 口先八寸で夏海を言いくるめてしまえば、それで済むのだ。
 だけど、だが――糞。
 どうしてそんな事が言える?
 初めて会話できる霊と出会い、救えるかもしれないと決意している少女に対して、
 その幽霊を捨て駒にしろ、などと。

「………………しゃあねぇ。とりあえず、飯食ったら街に出てみるか。
 闇雲に探すよりかは、マスターと出くわす可能性も高いだろ」

 まあ昼間に連中が動くかどうかはともかくとして、だが。