3.

 ――嫌な予感しかしない夜、というのはある。

 そしてそんな夜には、決まって何かしら起こるものだ。
 いつだってそうだった。
 そして決まって、誰かが死ぬ。
 別に、それ自体は良い。
 "あの頃"は誰も死なない事こそが異常だったのだから。
 理由はどうあれ、毎日毎日、誰かが死んだ。

 だが――糞。

「戦争なんざ、半世紀も前に終わってるんだぞ、糞」 

 まったく、嫌な夜だ。
 夏も終わりに近づいたというのに今だ風は蒸し暑く、
 熱気をはらんだ風が肌に纏わりつき、酷く不快だった。

 店の軒先に立ち、火の消えた煙管を噛みながら、鉄人は顔を顰めた。
 ――――夜闇の中から聞える足音。次第に見えてくる姿。
 女性に抱えられた、見知った娘。
 ぎしり、と煙管が軋む。楽観なぞできよう筈もなかった。

「―――あ」

 一方の夏海はと言えば、その苛立たしい顰め面に、何故か安心を覚える。
 帰ってきた。
 帰ってこれた。
 じんわりと目尻が熱くなるのを、擦って誤魔化して。

「あ、と……アサシン――だっけ。ごめん、もう良いから、降ろして」

 とん、と地面に降立って、そのまま兄の元へと駆け寄った。
 ――目の前には戸口に立ち、黙って此方を睨んでいる兄の姿。
 と、言うか露骨に機嫌が悪そうな顔。
 付き合いが長い夏海も、そんなに見たことのない表情だ。
 でも、わかる。
(……兄さん、本気で心配してくれたんだなぁ……)
 参ったなあと頬を掻いてみるが、どうしようもなく胸が温かくなる。
 申し訳ないという思いも勿論あるけれど、込みあがってくるものはどうしようもない。
 さっき擦ったばかりなのに、また涙が出てきそうになって、慌てて目を擦る。

「え、と……た、ただいま」
「馬鹿者」

 べしりと頭を叩かれる。
 ――と、続けてわしゃわしゃと髪が引っ掻き回された。

(…………これは。撫でてくれてる、のかな?)

 痛みに顔を顰めるべきか、それとも喜ぶべきか。
 曖昧な顔をして夏海が見上げると、鉄人は顰め面のまま後方へと視線を向けていた。
 釣られて振り返れば、その先にいるのは着物姿の美女――アサシンだ。
 微笑ましいものを見るような表情をしているのが、夏海は少し気に食わない。
 同じような感想を抱いたのだろう。
 困ったような顔をして片手で頭を引っかいた鉄人は、溜息混じりにこう言った。

「あー………とりあえず、二人とも上がれ。で、茶でも飲め」

 蔵間堂の居間は、先ほど夏海が立ち去った時とさして変わらぬ様相だった。
 たった数十分前にも訪れたというのに、何だか無性に懐かしい。
 ようやく家に帰ってこれたような落ち着いた気分になる。
 愛用の座布団に腰を下ろし、マグカップに注いでもらったお茶を飲んで、一息吐く。
 こうして落ち着いていられるのが嘘のようだと、夏海は思った。

「とりあえず、茶請けにゃ饅頭だ」
「……ん、ありがとう」
「わらわも頂いて良いのかしら?」
「……ああ。構わん、喰え」

 卓袱台を囲んで、三者三様。
 相変わらず鉄人はしかめっ面をしているし、アサシンは何を考えているのかわからない。
 夏海はと言えば、お茶を啜って顔を上げた。

「――で、ぶっちゃけ。あたし、どうなってるんでしょうか?」
「………お前、まだ状況がわかってないのか?」
「うん。もう、何がなんだか」
「――あー……ったく。ちと待ってろ」

 言うなり立ち上がった鉄人は、夏海の前に回りこむと、その眼前に指を突きつけた。
 人差し指と中指だけを立てた独特の握り方に彼女が目を瞬かせていると、
 鉄人は素早い動きで、その指を横へと振るう。
「臨」
 続けて縦に指で空間を切る。
「兵」
 横へ。
「闘」
 更に縦横交互に、
「者、皆、陣、列、在」
 そして最後に、
「前」
 と呟いて横に指を振るい、鉄人は大きく息を吐いた。
 何がなにやら理解していない夏海は、きょとんとした様子で首を傾げる。
「――なにそれ、今の」
「九字護身法――魔除けの呪いだ。何かされてるとも限らんからな。
 とはいえ、俺程度の腕じゃあ気休めにもならんが」
「……あら、魔術師だったのですか?」
「昔齧った程度だ」
 アサシンの問いに呟きで答え、また自分の座布団へと腰を下ろす。
 自分のやった事が夏海にとって何の得にもならない、と言わんばかりの表情だ。
 煙管に煙草を詰め、煙草盆に先端を翳して火を灯し、一服。
 煙を吐いて、宙を漂うそれを睨んだ鉄人は、仕方ないと呟いた。


「で、まだ夏海は何が起きたかをわかってねえ、と……。
 まあ……俺は大方予想はついているし、ある程度は知ってるんだが。
 詳細は知らん。アサシンとか言ったな。後で説明頼めるか?」
「ええ。その方が、夏海様のお役に立つでしょうから」
「よし。……んじゃあ、夏海。まず、魔術師って知ってるか?」
「えっと、魔法使いとかのこと?」
「似たようなもんだ。最も『魔法』が使えるのは何人もいないんだが。
 ともかく――大前提だ。魔術師は実在する」
「…………へ?」

 いきなりの発言に、夏海は目を丸くした。

 ……何か兄さんが変な事を言ってる。
 言葉が無い。
 というかアレですか。魔法の杖を振るってピリカピリララ、とか。
 そんな人たちが本当にいるって、兄さんは言うんですか?

 彼女の思考を察したのだろう、鉄人は苦笑混じりに頷いた。

「いるんだ。冗談でもなんでもない、真剣な話として」
「に、兄さん。ちょ、ちょっと待って。それ――本気?」
「本気だとも。俺が嘘ついた事は無いだろう?」
「そ、そりゃあ……まぁ……」
「……続けるぞ。
 で、まあ、連中は普段は裏でゴソゴソやってるだけだ。
 大昔はともかく、現代じゃ表に出て来ることは滅多にない。
 だから、別にこっちから関わろうとしない限り、大抵は害が無い。
 無いんだが……夏海。帝都大地震――じゃねえや。関東大震災って知ってるか?」
「……うん、学校で習ったもん。ええっと……1923年におきた地震、だよね」
「上等だ。水佐波もご他聞に漏れず、そいつの被害を喰らった。
 海が近いからな。津波だとか何だとか――……」

 一瞬、鉄人が口を閉ざし、手元の湯飲みを煽る。
 何となく夏海もそれに習って、マグカップを口元へと運ぶ。
 アサシンはと言えば、何を考えているのか良くわからない笑顔のまま、饅頭を齧っている。
 何かを思い出したのか、しばらく鉄人は湯飲みの中を睨んでいたが、
 ややあって顔をあげ、再び口を開いた。

「で、だ。どうしたわけか……まあ、理由は俺も良くわからん。
 その地震のせいで、この土地は魔術師にとって都合の良い代物になっちまったらしい」
「都合の良い……って、どういう事?」
「霊地ってんだが、あーっと……どう説明すりゃ良いかな。
 まあ、言い方は色々だ。
 魔力が多いだとか、気脈が通ってるとか、風水的に素晴らしいとか。
 地震で色々そういうのの流れが変わって、水佐波を通るようになった。
 意味はわかるか?」
「……まあ、何とか、だけど」
「こいつに目をつけたのが、第二次世界大戦中の同盟国だ」
「同盟国?」
「ナチスドイツ第三帝国」
「ま、またナチスだなんてそんな……。兄さん、映画の見過ぎだって」
「活動映画なんぞ何年も見てねェよ。つか、ナチスが映画の題材か」

 時代の流れだねぇと呟いて煙管を噴かす姿は、どう贔屓目に見たって怒っていた。
 いや、苛立っているというほうが的確かもしれない。
 少なくともこの場にいる人間に対して、怒りは向けられていないのだから。


「で、俺が知ってるのは連中が『霊を使って戦争をする』とかいう儀式をやろうとしてた、って事だ。
 そいつには上等な土地が必要で、本来はもっと西の方でやってたらしいんだが、
 まあ土着の魔術師連中から奪うよりは、自分たちの手で再現した方が早いからな。
 とはいえ、連中がそれで何を企んでるのかまでは俺は知らん。
 わかってるのは、遂に連中が儀式とやらを完成させて、実行しちまったらしい、って事だ」

 そして一服。
 口にくわえた煙管を放し、かつりと煙草盆に打ちつけた。

「詳しいことは、そっちの娘さんが知っているんじゃあないのかね」
「……ええ。マスター、夏海様が参加したのは、聖杯戦争という儀式ですわ」
「せーはい、せんそー?」
「聖杯という願いを叶えるものを手に入れるために、皆で争うという儀式」
「あーっと……何か不思議なモノを七個くらい集めると願いが叶う、とか?」
「七つというのは合っておりますが、もう少々、荒事が関わってくるのですよ。
 戦争と申しました通り――七組で殺しあって、最後の一組になれたら、願いが叶うのです」

 夏海の問いに笑いながら答えたアサシンは、そう言って『聖杯戦争』について語り始める。

 参加者は魔術師が七人。
 召還される英霊は七騎。
 剣士、弓兵、騎兵、槍兵、魔術師、狂戦士、暗殺者。
 文字通り人類の規格外と言える存在を、この七種類の型に当て嵌めることで召喚し、
 それらと共に――英霊を武器にして、魔術師同士で殺しあう。
 勿論、居場所を用意したからと言って、ほいほいと英霊を呼び出せるわけもない。
 何かしらの代価――英霊に対しての報酬が必要なのだ。

「それが聖杯。つまり――英霊も主も、立場自体は変わりませんわ。
 願いを叶える為に、殺しあわなければならない――という意味では」

 即ち。
 聖杯を欲するならば。
 汝、自らの力をもって最強と証明せよ。

 ――これが『聖杯戦争』なのだ。


「…………でも、何であたしがマスターに選ばれたんだろう?」
「さあ、わらわも其れについては知りませぬ」
「……お前の婆ちゃんもそうだし、俺もそうだが。
 霊が見えるくらいだ。どっかにそういう血筋が混じってるんだろう。
 だけどな、夏海。お前は素人だ。降りろ」

 沈黙。
 語るべき事は語った。
 巻き込まれた事象を夏海は理解しただろう。
 であるならば。
 決めるのは夏海だ。
 少なくともその一点に関しては、アサシンも鉄人も同意だった。
 マグカップに視線を降し、ちびちびと夏海はお茶を啜る。

(降りたほうが良い、んだよね)

 当然だ。
 先ほどの林で遭遇した恐怖と、今後も付き合っていかなければならないのだから。
 とてもそれには耐えられそうにはない。
 今だって、そうだ。
 兄さんがいる。
 アサシンという女性もいる。
 だからこそ、こうして平静でいられるが、
 二人がいなければ、怖くて怖くて堪らなかっただろう。

(だけど……)

「……。ねえ、英霊は叶えたい願いがあるから――聖杯戦争に参加するんだよね?」

 不意に顔を上げた彼女の言葉に、皆の注目が集まる。
 少しだけ居心地が悪そうに座りなおして、夏海は問うた。

「なら、アサシンにも願いがある、って事で良いのかな?」

「ええ、そうですね。わらわにも、叶えたい願いが、一つ」

「……あたし、叶えてあげたいんだ。
 今まで、死んだ人が何を望んでいても、何も出来なかったから」

「ば、」

 ここまで黙って聞いていた鉄人の声が、思わず裏返る。

「馬鹿かお前は! 死人のために生きてる奴が命放り出してどうするんだ!?」


「む、馬鹿は酷いよ、兄さん。
 ほら、あたし『視える』だけで今まで何も出来なかったからさ。
 ……もしかしたら『視える』あたしが選ばれた、意味があるのかもって」
「馬鹿にも程があるってんだ……糞、糞、あー、もう。
 どうせ俺が止めたって勝手に動くんだろうなあ、糞……」

 ばりばりと頭をかき回す鉄人。照れたように頬を掻く夏海。二人を見守るアサシン。
 どうせ動くくらいなら、手元で見ていたほうがまだしも安全だ。
 幸いにして自分は多少の心得もある。この娘は放置しておく方が危なっかしい。
 鉄人が溜息混じりに結論を出すのに、然程の時間はかからなかった。

「わぁったよ、仕方ねぇ。俺も付き合う。アサシン、夏海の面倒みてやってくれ。
 あと婆ちゃんに電話しろ、電話。こっちに泊まるって。
 あっちの家までドンパチに巻き込む必要はねぇやな」
「やたっ! さすが兄さん、話がわかってくれて助かるよ、うん!」

 わあいと両手を上げてからバックを探って、携帯電話を取り出す夏海。
 そしてありがとうございますと、口元に微笑を浮かべて頭を下げるアサシン。

 二人の姿を見やり、鉄人は深く溜息を吐いた。

 ――――こんな夜には、決まって何かしら起こるものだ。