―――Interlude2

 ――夜闇の中を、一匹の獣が駆けていた。
 目前に存在する草木、枝葉の悉くを踏みしめ、蹂躙し、
 不幸にも目前に立ちはだかった虫や動物の悉くを喰らい、貪り、
 一目散に林の中を走り抜ける。

 ややあって、不意に開けた場所へと獣は飛び出し、其処で止まる。
 不可思議に空間が広がった其処は、地面に奇怪な文様が刻まれており、
 また獣が辿り付くよりも前から、噎せ返るほどの血臭に満ち溢れている。


「ぬう。逃したか」

 ――――ぼとり。
 獣が声を発すると共に、何かが地に落ちた。
 と同時に、獣の身体が崩れ始める。
 ――ぼとり、ぼとり。

 鼠。
 無数の鼠である。
 獣の全身から、鼠が次々に剥がれ落ちていく。
 その数、一匹や二匹などと言った生易しい数字ではない。
 数えるものなどおらず、また数えることも不可能な数。
 であるならばそれは、正しく無限といえた。

 そうして、獣から全ての鼠が剥がれ落ちれば――其処に一人の男の姿があった。
 無道である。

「惜しいことをした。少々出遅れてしもうたか……」

 血痕。魔力の残滓。
 如何に外道の術を学んだとはいえ、無道はさして鋭くは無い。
 だが、それでもここで何が起きたのか、如実に理解する事ができる。

 闘争だ。
 闘争が行われていたのだ。

 神秘と魔術と幻想とがぶつかり合う死闘。
 聖杯戦争、恐らくはその初戦。
 目的とされる願望器でもなく、魔術師としての栄誉でもなく、
 たんに戦いに身を投じる事を目的としていた無道にとって、
 その初戦を逃してしまったのは、間違う事なき失態であった。


「――が、まあ良い。まだ争いは始まったばかり。
 拙僧の力量が試される機会もあるというものだ」

 で、あるならば。今ここで死ぬのは本意ではない。
 足元で鼠どもが苛立たしげに声を上げていた。
 そう、彼らは餓えていたのだ。
 怒りに満ち溢れ、餓えに苛まれ、永久に癒える事なき狂気に陥った獣。
 それこそが無道の呼び出した英霊――否、反英霊である。

 自ら望んで召還した狂気の怪物は、無道にとって満足の行く存在だった。
 狂戦士という枠に填められたサーヴァントは、強大な力を獲得すると共に、
 生前以上の狂気に支配され、誰彼構わずに牙を剥くようになる。
 主となった者は、敵を倒すよりも前に己の英霊の制御に集中しなければならない。
 加えて、気を緩めることがあれば自らが殺され、喰われてしまう可能性もあった。

 即ち、弱い魔術師が一か八かの賭けとして呼び出すなり、
 或いは弱い英霊の触媒しか手に入らなかったマスターが、
 それを解消するために狂戦士として呼び出す以外には、
 望んでバーサーカーを召還するような輩は存在しない。
 自らの首を絞めるのと同意なのだから。

 しかし、無道はそれを望んだ。
 己に課せられた試練をより困難にする為に。
 そして、概ねのところは満足の行く重荷となっている。

 恐るべき事に、この僧侶は令呪を一画も損なう事無く、バーサーカーを御しているのだ。
 精神性さえ抜きにすれば、歴史に名を残す高僧と同等か、それ以上の力量だと言える。
 だが――それも間近に闘争の臭い、即ちサーヴァントという餌の臭いを嗅ぎつけたが故だ。
 ようは目の前に飴があるから、鼠たちは無道に従っていたといえる。
 それが無くなれば、どうなるかは自明の理だ。

「……ふぅむ」

 徐々に高まっていく緊張感の中、さして気にした様子もなく天を仰いだ無道は、
 木々の間からも見る事ができる巨大な塔の存在に気がついた。
 夜の暗闇の中にあっても尚存在感を持つそれは、記憶が正しければ高級ホテルであった筈だ。

 人は多い。
 そして人の魂とは即ち力である。
 力を得た狂戦士はより強大となり、無道が制御する事は困難となる。

 望むところだ。無道は嗤った。

「況や、金銭に拘るような俗物であるのならば。
 拙僧の試練の糧となる事もまた因果であろう」

 無道は人である。
 故に、自らの意思で人を襲う。
 いまだ悟りを得ていない彼は、その為にこそ人を襲う。
 無道は正しく人であり、
 即ち同時に、恐るべき狂人でもあった。

 ――鮫のような笑みを浮かべ、再び狂気の獣達が夜の街を駆け抜けていく。


 ―――Interlude out