10話 天の門が開かれ、ラッパの声を聞いた


 月が出ていた。
 辺境の夜がいかに危険であろうとも、夜自身の清澄さに変化はない。
 獣も人も、見る夢だけは安らかなのかもしれなかった。
 
 夢は平穏でも、今日の夜は飢えと凶気の巷だった。
 毒霧が吹きつけ、相手の思考と言葉を封じては、おもむろに砂粒ほどの浅い理性で破壊と暴走を繰り広げる人々の群れ。
 ――この大群にかかっては、全長が三メートルに達する巨象でさえ、二分で肉塊と化してしまう。
 
 闇にも色彩が生じる。
 月光を浴びて絢爛と開く純白の花びらが、風の音に異音を聴きつけたか、
 小刻みに揺れつつ、薄紅の霧で薄っすらとその姿を滲ませ、それとともに小さな、白い人影も地に堕ちる。
 手に手に淡く光る長剣を携えたそれが、霊長への外敵を根絶し、遍く罪人たちを肉塊と化した抑止の顕現だとは、
 この世界の外へ身を置いたものしか知らぬだろう。
 その他、闇の奥で、その奥で、さらに奥で輝く蒼色の眼(まなこ)は、
 単なる観察者などひとりも――一匹もいないことを物語っている。
 無造作に淡い草色の長髪を風にたなびかせ、その姿を月光が照らしている。
 質素な貴頭衣に覆われて、そして、何よりも、左手に携えた不形の長剣が、
 鮮明な想像と確信を誘わずにはおかぬ。
 そのすべてが、美しきものが身を飾るには似つかわしくない品々であった。
 
 深い深い瞳は、20メートル前方に立つ、これも黒色の影をただ映していた。
 5メートルを優に越す、溶岩石のような巨躯であった。
 ある力がセイバーの顔にあたった。
 巨体から発する呪詛であった。
 並の人間なら、それだけで精神的廃滅に追いやられ、回復まで一生を要するであろう。
 それは、7つの頭と10の角を持ち、それぞれの角に冠を持つ『緋色の獣』。
 其は、終末の世に顕現する汚らわしき退廃。
 足元からは絶えずコールタールのような物体化する程の濃縮された呪詛が
 獣の巨体からは、鳴動する魔力の残照が、気化するように全身から黒い煙を立ち昇らせ周囲を絶えず汚染している。

 それぞれが、お互いを牽制するように三角形の形へと立ち位置につくと足を止め
 凄絶な敵意が、空気を震わせるようにギチギチと壁面を鳴らし始める。



 交錯する視線。


 互いの存在が許せぬと、全力を持って対敵を滅殺せんと獲物を見定める。



 巨体の眼前で、左腕を対神迎撃砲へと組み合わされたとき、バーサーカーの右手が長剣の柄へと動いた。
 優雅な動きは、この青年にふさわしかった。
 弾丸が唸りをたてて飛んだ。
 バーサーカーの姿勢はそのまま、鞘から迸る銀光が美麗な弧を描く。
 豪々たる飛翔と緩やかな斬線とが火花を散らせて噛み合ったとき、
 セイバーは、敵の淡く光る長剣がすべてこの世ならざる物で造られていることを察知した。
 その眼に宿る凄絶な光は、声なき叫びとも見えた。
 相触れた瞬間、弾丸は中央で両断され、深々と大地にめりこんだのである。
 迎撃したバーサーカーの左肩に、黒い光条が突き刺さったのは、次の一刹那であった。
 セイバーは、第二弾も同時に放っていたのである。
 寸分の狂いもなく、等しい航路を辿ったそれは、バーサーカーの眼すら幻惑させ、その肩を貫いた。
 だが、僅かの動揺を浮かべぬ白影は、音もなく接近している。
 心臓を貫くはずの弾丸を、肩で食い止めたバーサーカーの体技の凄まじさを、彼だけは理解したのである。
 
 同時に『緋色の獣』も動いた。
 その巨体に似合わぬ凶悪じみたフットワークで、的を絞らせぬように
 かつ、確実に接近を繰り返しセイバーに迫る。
 貴頭衣の裾が閃いたのは次の瞬間であった。
 振り下ろされる光鞭の一刀に、壁面を切り裂く手応えのみを残し、黒い姿は五メートルも後方に跳び下がった。
 空中で、びいん、と弦が唸った。
 世にも美しい音をたてて、細長い影を若鮎のように空中へ撥ね上げ、
 人格を持たないカルキを制御する彼の乗騎たる機動白馬が一気に空を蹴ったのだ。
 
 第三の弾丸を弾き返す数百分の一秒が致命的になると判断したバーサーカーは
 左肩に穿孔した弾丸を抜こうともせず、疾走した。
 両者の中で最遅である、彼の脚力は、百メートルを7秒台で走破する。
 そしてバーサーカーの今の速度は7秒を切り、しかも、スピードは落ちなかった。
 だが、影は闇に紛れた。
 『緋色の獣』はすでに、消失と現界を繰り返し、その姿の捕捉を困難にしている。
 唐突な気配の消失を、バーサーカーは感じたかどうか。
 そのままのスピードで彼は疾走し、足を止めたのはまさしく、敵の消失地点であった。
 そこまで続いていた深い足跡が消滅していることに、バーサーカーは気づいている。
 天に消えたか地に潜ったか――この世界では格別特異な現象ではない。
 

 <<System K.A.L.K.I――――対象の索敵を開始――――
 HIT――――11次元上での存在を確認――――
 確率存在検索――――HIT――――波動関数収縮検索――――ERROR――――
 ――――HIT――――ERROR――――HIT――――目標の捕捉完了、――――攻撃開始>>


 瞬間、機動白馬が弾けるように全身を無数のパーツへと分解し
 塔の屋上一帯を囲むように顫動するやいなや、爆音とともに一帯を稲妻が走る。
 たまらず、けたたましい咆哮とともに、暴れ狂いながら姿を現した『緋色の獣』は
 全身を約く聖上の雷光に悶えながら、転がり続け
 結界が解除されると同時に、接近したバーサーカーが目が眩むほどの閃光となった粛正剣で右足を切り飛ばした。

 痛みに耳を潰したくなるような叫びをあげながらも、『緋色の獣』は冷静さを失わずに
 すぐさま実体の消失を図ろうとするが、見計らったように『System K.A.L.K.I(ハヤグリーヴァ)』 は
 再度、結界を発動し消失化を強制阻止させる。
 それでもなんとか離脱をしようともがき暴れるが、バーサーカーの効率的かつ合理的な剣裁きで
 獣の全身を切り刻んでゆく。

 左肩には赤黒い穿孔、その傷口からは鮮血を滴り落としながら、眼差しも表情も、この戦いの全過程において変化していない。
 弾を抜かないのは、しかし、苦痛を感じないためではなく、敵に不意打ちの隙を与えぬ目的であった。
 彫像のごとく凍てついた姿が、急に崩れた。
 周囲は暗黒と静寂だ。
 死闘の気配に鳥たちも脅えたか、怪しい鳴き声ひとつ、唸り声ひとつきこえない。
 バーサーカーの顔がある方角を向き、すぐに身体も動いた。



『吹き荒ぶ天闢の風(イムドゥグド)』



 30メートルほどの中距離(ミドルレンジ)からのサイクロン(狂嵐)が両者を襲い
 巨大な削岩機のように壁面を削り飛ばしながら、中空ごと刺殺せんと吹き荒れる。
 宙を裂く嵐が止み、対象の確認をするため、索敵を開始しようと目を細めた
 次の瞬間、上空を疾駆する巨体は三つに分かれ、そのすべてがセイバーめがけて跳んだ。
 降り落ちる銀蛇のごとく、牙と爪が伸びる。
 そのすべてが美しい響きとともに撥ね返され、
 空中で新たな陣形を整えんとよろめく無防備な動きを縫って、再度、剣光がきらめいた。
 三つの巨体が今度は縦に両断され、さあっと血の霧が吹き煙る中を、セイバーはすでに十数メートル先を走っている。
 直後、分断された獣の身体が一瞬、煙のように黒色の気体になると、まるで意思を持つかのごとく
 セイバーの追走を始めた。
 
 セイバーの真横にも光る影が迫っていた。
 機動白馬『System K.A.L.K.I(ハヤグリーヴァ)』 に跨るバーサーカーだ。
 くわっと開いた口から迸るのは、燃える吐息か、かがやく唾か。
 白馬が渾身の力をこめて、流れるような光の塊となって食らいついている。
 ――と思った刹那、横なぐりに銀光がきらめき、反射的に身を躍らせ宙に浮かせ、セイバーは粛正剣の光撃を回避。
 さらに二撃目が白い尾を引いて、今度は黒影へと走った。
 架空元素の無属性へと変質することにより、あらゆる物理攻撃も通らぬ筈の黒色の気体は
 斬撃に触れるやいなや、感電するように全身を震わせその身を苦しみ悶えながら顕現させる。
 振り向きもせず、バーサーカーはさらに一刀をふるった。
 凶獣は吸いこまれるように、その軌跡へ身を躍らせ、光の稲妻となって全身を約かれる。
 
 闇に蒼白い炎が上がった。轟きが後を追う。
 空気と霧が肌にまつわり、ちぎれ飛んでいく。
 前方から何かが飛んできた、と知ったのは、セイバーゆえの超感覚である。
 背中から滑り出した長剣が迎え討った。
 紅霧の中でもきらめく銀糸の奔流――それに触れたものは、美しい響きを上げて打ち落とされた。
 ことごとく路上へ転がり突き立ったそれを見て、
「投剣か」
 と嗄れ声がつぶやいた。
 円錐型の胴の先に、二〇センチほどの刀身を突出させた武器である。
 通常の短剣と異なり、刀身があの長剣同様、未知の物質で構成されているため、淡く輝いており
 これを放った敵は自分と同様に、視界の悪いこの環境下でも敵を捕捉することが可能なのだとセイバーにはわかっていた。
 
 第二陣は?

 バーサーカーの長靴(ブーツ)の踵が馬の胴を叩く――人馬は一体となって宙に舞った。
 霧さえ讃えるその美しさ。
 着地と同時に全力疾走に移る。
 機動白馬を狙った対神迎撃砲の弾丸は、すべて命中することなく側面を通り抜けている。

 機動白馬が地を蹴った。
 今度は弾丸を避けなかった。
 真っ向から粛正剣で弾き返し直進する。
 だが、またもセイバーを捉えるには至らない。
『System K.A.L.K.I(ハヤグリーヴァ)』と『緋色の獣』の化物じみた機動力をもってしても
 セイバーの神速に追いすがるのが精一杯なのだ。
 かの最速のアキレスに匹敵する健脚のみではない。
 反射速度・思考速度・行動速度・変形速度…etc………etc.
 桁外れの性能速度をもって、あらゆる凡俗たちを彼方へと抜き去っていく超高速。
 一度たりともアクセルは緩めずに。
 切り取られた極限の中で、際限なく破壊(かそく)する獣たちを迎え撃つ。

 都合、数十合の攻防が繰り広げられ、3組は奇しくも初回と同様に三すくみとなって対峙する。
 異変は次の刹那に生じた。

<<System K.A.L.K.I――――対象の当該データ、67.125%の解析完了。
 敵性危険基準、第9級指定判断。――――甲冑形態を起動/救世合体(シャンバラフュージョン)>>

 同時に、キィン、と金属が共鳴する高い音がこもり、バーサーカーが跨る機動白馬が俄かに発光し始めた。
 全身を構成するフレームそのものが光を放ち、
 間接の継ぎ目から赤とも緑ともつかない燐光(りんこう)が滲み出してくる。
『System K.A.L.K.I(ハヤグリーヴァ)』の足を構成するパーツが、
 装甲の継ぎ目から割れ、スライドした装甲の下に赤く輝くフレームが露出する。
 足、膝、太股でも同様の現象が起こり、腰のフロント・アーマーと胸部装甲も展開すると、
 赤い燐光が輝きを増し、白い機体を彩る鮮やかなフレームの模様を闇に際立たせる。
 そして、足元からせり上がってくるパーツがバーサーカーを覆い続けて全身を包み
 飾るように屹立(きつりつ)してゆく。
 もっとも変異が顕著(けんちょ)なのは頭部で、口の部分に相当するマスク状のパーツが開き、
 目を覆うバイザーがスライド収納された顔は、もはや人間のそれではなかった。
 その姿はまるで…………
 
 黒霧がある一点に流れ出した。
 その点は疾駆するサーヴァントのような速度で移動しつつ、巨大な漏斗状の窪みを形成していった。
 渦巻く霧が、今、自らに生じた大渦に吸収されていく。
 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!」
 血走った眼光。酸素欠乏に苦しむ喉。これ以上は無理だと、悲鳴をあげる肉体。
 それら一切を無視し、『緋色の獣』は狂気と破壊衝動のボルテージを上げていく。
 強く。今のが防がれるのならより強く。
 多く。今のが捌かれるのならより多く。
 己の体に限界はない、いや、己の体の限界など知らない、と。
 それは、
 破滅を厭わない狂躁、脳を冒された獣そのものだ。
 蒸気のように沸き上がる殺意が、『緋色の獣』の姿をさらに凶大に変えていく。
 歪み、なお熱くなっていく殺害欲求が、血肉となって『緋色の獣』の体を包む。
 
 ある者は聞け。捕われるべき者は、捕われて行く。
 剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

 大きく、大きく、さらに大きく―――
 三つ目の眼はかがり火のように燃え盛り
 耳まで裂けた口からは杭のような牙が何十本と覗き
 どこまでも、淫らで醜悪な形態は、さらに狂騒に禍々しく見るに耐えない姿となり果てる。
 
 恐怖が狂気を誘発する。
『緋色の獣』はぐいと身を沈めるや、巨大な飛翔体と化してバーサーカーへと躍りかかった。
 合わせて、セイバーも両者を殲滅せんと旋回しながら、新たな対神兵装を装填しはじめた。

 闇を裂く一陣の光も、肉と骨とを断つ刃の響きも、『緋色の獣』の肺が吐く断末魔の吐気も――認識できなかった。
 彼らは地に落ちる重い音を聞いた。
 じきに、闘いの音が遠く去り、闇の呪縛が、なお濃くなる気配へ真っ先に眼を向けたとき、
 彼らが見たものは、眼下に広がる惨たる焼け野原であった。
 その破滅の足音を、この世のものと識別し、ようやく泥沼の闘争の呪縛から逃れ得たかのように、
 静かに視線を向けるのであった。
 そして耳を潰したくなるようなおぞましい咆哮を上げると
『緋色の獣』の巨体は頭頂から股間まで、磨き抜いた鋼のような鮮やかな切り口を示して、縦に裂けたのであった。