第8話 『666』


「入ります」
 ドアを開く。和室へ続く引き戸は最初から開いていた。
 由紀香は畳に正座し、テーブルに向かっている。右顔を見せていた。修行者のようにきっちりした姿勢だ。
 文庫本を読んでいる。目を離さない。ここからでは書名も著者名も見えないが、『往生要集』だろうか。
 テーブルの上には数冊の本が置かれていた。文庫が二冊、大きな画集が一冊。
 勝手に部屋に上がり込み、あぐらをかいた。由紀香は微動だにしない。正面に座るのは気が引けた。
 少女の右側から、横顔を見る形になった。私はいつも由紀香の横顔を見ている。彼女は決して笑わない。
 そんな筈(はず)はないのだが、イメージができあがってしまっていた。
 彼女は横顔で、「何?」といった。
「楽しんでるのかなと思ってさ」
 無視された。柳洞さんと同じ扱いかな?
 テーブルの下からガラスの灰皿を取り出す。タバコに火を点ける。
 何をしに来たのか、来てから考えている。テーブル上の画集が目に入った。
 ビニールでラッピングされており、まだ開けていない。洋書らしい。
 タイトルは『The Tower of Babel』、「バベルの塔」だ。表紙には精密なバベルの塔の絵が印刷されている。
 紫煙を吐き出しながら、
「絵の本、見ていいかな」
「駄目」
 読んでいる本から目を離しもしない。『往生要集』。灰皿に灰を弾(はじ)き落とした。
 煙を輪にして吐き出してみる。見向きもしない。
「そういえば、いつか行った版画館でも、同じ版画を見ていたね。あれもバベルの塔だ。何故かな?」
「私……」
 言葉を飲み込む。押し黙る。待つ。反応なし。タバコをもみ消す。
「陶芸教室に参加するために美術部に入ったんだってね。陶芸、好きなのかい?」
 由紀香は再び、「私……」といった。
 沈黙。
「今年受験だろう。大学へ行くのかい?それとも職につくのかな?」
「……私……」
 沈黙、あるいは緘黙(かんもく)。
 黙秘権を行使されている刑事みたいだ。らちがあかない。「私」がどうしたというのか? 
 何を伝えたいのだろう。はっきりいえばいいのだ。
 私はゆっくりと立ち上がった。放っておいた方がよさそうだ。
 背を向けて立ち去ろうとした時――
「アヴェンジャーさん」
 呼び止められた。初めて名前で呼ばれたことに軽い嬉しさを感じた。振り返る。立ったまま見下ろす。
 少女の横顔、茶髪のショート、目は本に止められたまま。
 四たび、「私……」という。四度めの沈黙。しかし、私は待った。
 やがて少女はつぶやいた。
「タバコ、くれる?」
 タバコを吸う女子高生がいても不思議ではない。善し悪しは別にして。
 だが私が気になったのは、由紀香が本当に告げたいことを伏せたような気がしたことだ。たまたま出てきたセリフに聞こえた。
「吸うのかい? 吸えるのかい?学生さん?」
「みんな吸ってる」
 そんなことはあるまい。しかし一本放ってやった。少女はマッチで火を点けた。
 深く吸い込み、吐く。大人びた顔だ。慣れているようにも見えた。
 確かに子供の頃は、タバコをふかしただけで大人の気分に浸れる時期がある。その程度とはレベルが違う。
 銀幕の女優のように紫煙に目を細めながら、
「驚いた?」
「びっくりしちゃったよ」本心ではない。
「私……」
 またか。でも根気よく待つことにする。しかし私を待っていたのは、真の驚きだった。
「私……私はもう一人になっちゃった。両親も、兄弟も。学校でも、家でも、町の中でも……いつも……」
 ささやくような声だ。何が、始まるというのだろう。
「一人になっちゃったの」
 その点では、私も――たとえ由紀香がいても。
「勉強だってしてる。家で計画を立ててやってる。時間は少し。家にいたくないから。
 学校の中で成績は上のほう。しくじっても真ん中より下には落ちない。
 先生に対しては素直で真面目。授業もちゃんと聞いてる。周りの子はめちゃめちゃ。
 体育とか音楽もできるだけ出てる。演じてる。いつも演じている。
 見る人を意識している。ちゃんとやってるって思わせようとしている。
 でも、真面目すぎてもいけない。だからサボるの、遅刻するの、休むの。浮いちゃいけない。
 目立たないこと、差し障りがないこと、いるかいないかわからないこと、それが大切。いつも人と溝を作っている。
 壁を立てて暮らしてる。交わらないこと。安全策。事なかれ主義。空気のような存在。
 でないと危険なの。危ないの。いつだって一触即発。人の領域に入らないこと。自分の領域に入れないこと。
 かかわらないこと。世界を閉じること。私のクラスでもいじめがあった。いじめられてた子は死のうとした。
 いじめに理由なんてない。あるのは流れだけ。他には何もない。彼女は手首を切った。でも死ねなかった。
 バカね。死ぬくらいなら逃げる。いじめてるのは普通の子たち。ワルじゃない。
 普通だから直らない。矯正できない。止まらない。だから逃げるの。逃げるしかないの。
 私はいじめに加わらなかった。助けもしなかった。見てるだけ。それしかない。教師は無力。
 話し合いは無駄。言葉が通じないもの。ムカつく、キレる、それだけ。バベル、混乱、言葉の混乱。
 それが私たち。私は最初から逃走しようとしてた。逃げたかったの。でもできなかった」
 
 ――何から?

「みんな仮面を被(かぶ)っている。役割を演じている。
 彼らは自分のことで精一杯。いつも何かに追われてる。ビクビクしている。不安を感じてる。
 落ち着かない。若い教師ほどそう。信用できない。親と同じ。口のうまい先生は人気がある。
 人気取りばかり狙ってる奴。でもそれだけ。つけあがってる。
 こっちで合わせてやってるのに。先生に合わせられない馬鹿な子も増長する。歯止めがきかない。
 未成年、子供、中学生、義務教育、だから何をやってもいい。許されると思い込む。
 暴れる。無茶をする。暴走する。自分を壊す、他人を壊す、人生を壊す、棒に振る。私はごめん」
 
 ――わかった。もういいよ……

「私はごめんなの。恭順するのも、反抗するのも。計算計算いつも計算。尻尾を振ってる。
 この私も。大人は尻尾を振ればよくしてくれる。道を作ってくれる。振らなきゃ潰(つぶ)される。
 見放される。知ってるの、知ってて利用してるの、私たち。でも、本当はいや。私は、いや」
 
 ――わかっているよ。

「……私もそうなのかい?」
 由紀香が話を止めた。私という他人が介入したせいだろう。彼女はふいをつかれた口調で、
「あなたは……よくわからない。嘘吐きだけど……誠実な人。私と違う」
 問いに正面から答えた。由紀香と会ってから初めてのような気がした。私は彼女の中に場を得たのかもしれない。
「私――」なおも続けようとする彼女を、
「由紀香」
 鋭くさえぎった。
 もういいんだよ……由紀香。
 少女のタバコをゆっくりとつかみとった。私も初めて彼女を名前で呼んだ。
 今日は記念日。お互いの名を呼び合った最初の日だ。奪ったタバコを口に咥(くわ)える。
 湿っていた。二、三度ふかす。深く吸い込んで、吐く。煙で輪を作る。一つ二つ、三つ。今度は少女も横目で見ていた。
「かっこわるい」
 そうですね私はかっこわるいよ。
「三枝由紀香」
 しゃがみこんでタバコをもみ消す。由紀香の目をのぞきこむ。目をそらした。
「あなたは話がしたかった。心の中をさらけ出したかった。気持ちを語る相手が欲しかった。
 誰もいないんですね、あなたには。見ず知らずと変わらない、私以外に。それこそかっこわるいですよ」
 由紀香の表情が凍りついた。
「何をい……」
 さえぎって静かに諭す。
「我慢を止めましょう。第一に体に悪い。あなたには真実を許容できる力がある。
 この世の欺瞞。偽り。全ての体験も夢も、存在する情報は全て現実であり、そして幻なのだと受け入れられる器がある」

 本当に怒っているのではない。本気で怒っているのだ。少女は少しぼんやりした感じで、
「あなた……誰?」
「あなたじゃない」
「アヴェンジャー」
「反省している?」
「驚いた」
 一拍おいてから、急に話題を変えて、
「私、一年下の間桐桜さんと仲がいいの」
「続けて」
「でも10日前、急におかしくなっちゃったの。桜さんだけじゃない。
 マキちゃんもカネちゃんも。お父さんお母さん兄弟友達先生生徒みんなみんな少しずつおかしくなっちゃったの」
「それで?」
「みんなは私を殴るの、蹴るの、血を吐くくらい。顔よりも、体、手足を」
「たまに聞きますね」
「楽しそうに殴るの」
「珍しい」
「その後は妙に優しくなる。別の……別のいじめ」
「ひどいね」
「怖かった。怖くて、苦しくて、痛くて、つらくて、私は海に入って行った。
 夜、海岸を歩いたの。毎晩、毎晩、歩いてた。家を抜け出して。
 ある夜、波打ち際を歩いているうち、いつの間にか足首まで海水につかってた。
 このまま奥へ。深いところへ。海の中へ。楽になりたかった。帰りたかった。一歩一歩海に入って行く。
 海水が足首から膝(ひざ)へ、膝から腰へ、胸へ、顎(あご)へ、上がってくる。このまま消えてしまいたい。
 二度と戻りたくない。死にたい。でも……でも、でもできないの。どうしてもできないの。
 水が口までくるとどうしても浮いてしまう。死にたいのに、浮くの。駄目なの。体を浮かせちゃうの。
 どうしても。何度も何度もやってみた。でも駄目。浮いてしまう。そしたら水の上に座っている淫らな女の人がいたの」
「それが、バビロンの大淫婦」
 いつか少女がいっていた。自分はバビロンの大淫婦だと。水の上に座る大淫婦、私と同じだと。
 大袈裟(おおげさ)な見立てと笑うことは、私にはできない。彼女は実際に世界の滅亡を見た。
 それは一人の少女の狭く小さな世界だったが、いわば現代に切り崩され、バベルの塔によって完全に瓦解した。
 彼女は確かに自分の内にバビロンの大淫婦を見たのだ。少女は抵抗した。
 死を選ぶという形でだったが。それは究極の逃走であり、闘争だった。命を捨てて何かと戦ったのだ。
 どうして笑えよう。由紀香は命を捨てて何かと戦った。そして、負けたのだ。それでよい。負けることによって生き延びたのだから。
「人に話したの……打ち明けたのは、あなただけ」
 私は少し考えてから、
「冷たいようだけど、私は力になれない。
 今、君がどんな状況にいようと、どんなひどい目に遭っていようと、君を救うことはできない。
 私には何もできない。話を聞いてやることくらいが関の山だ。それでいいなら話してほしい。いくらでも聞きましょう。
 話せば気の済むこともある。私は何でも聞いてあげる。だが、守ることはできない。
 結局君を守るのは君自身だけだ。慰めはいわない。強くなる。自分自身を強くする。
 明日の君は今より少し強い。一年後の君はもっと強い。本当にそうなるかはわからない。
 だが、それを信じて生きる。無理をすることもない。嫌なものは断りなさい。抵抗しなさい。不可能なら逃げましょう。
 ぐずぐずしてちゃいけない。逃げる時は徹底的に逃げる。
 卑怯だろうが何だろうが死ぬよりはずっといい。私にいえるのはそれぐらいです」
「……ありがとう」
「礼をいわれる筋合いはないですよ。私もいつも迷ってるから」
「――争いをやめればいいのに」
「近づかなきゃいい。無視するの得意でしょう?」
 ふと、作り話ではないかと思った。その疑問を検討する間もなく、少女は話題を変えて、
「あなたが私のところに来たときのこと、覚えてる?」
「何のことにせよ、忘れたね」



「雪、止んでる」
 しばらく前から止んでいる。
 少女は外へ出ようとする。袖(そで)を引かれた。
 広い駐車場。車は所々にしかない。薄い雲の間から少しだけ月がのぞいている。
 雪明かりが微かに辺りを照らす。二人並んでしばらくぼんやりしていた。すると――
 由紀香が三歩前に出た。くるりと振り返る。
 正面。初めて顔の全体を見た……見せてもらったような気がした。相変わらずの無表情だ。
 電灯が少女の顔を青白く照らしている。少女は静かに聞いた。
「踊る?」
「何だって」
「踊る」
「踊れるのかい?」
「知らない」
「まねでもするのかな」
 ダンスなどやったことがない。まして二人で踊れるわけがない。私には遠い世界だ。
 映画かテレビドラマなら、月光のステージで「あまり踊れないんだよ」とかいいながら
 けっこう見事に踊ってみせたりするものだ。私じゃ駄目だ。だが、これは二人の舞台だ。
 観客のいない舞台なのだ。由紀香の背に手を回す。手を組む。彼女は少し体を硬くする。形はできた。
 ステップ。……わからない。踊ろうにも思いつかない。踏み出すステップが彼女の第一歩になればいいのだが。
 何もしてやれないのか。由紀香は人に話すのが苦手なのだ。思いを口にできない。伝えられないだけだ。
 曲がっていない。踊りか。これしか知らない。一旦組んだ手を放す。少女の横に並ぶ。
 右手で右手を取り彼女の肩に持ってくる。きゃしゃな指だ。左手で左手を取って前へ。
 そして一歩踏み出す。悲しみとおかしみが同時に込み上げてきた。ステップ、ステップ、回転させる。
 
 ……足を止める。手を放す。
 由紀香は前を見たまま、いった。声に少しだけ弾みがあるのは、気のせいか?
「かっこわるい」
 まったくだ。議論の余地はない。しかし、私もいい返す。
「あなたこそ」
「ねえ、アヴェンジャー」
「なんですか?」
「悪者を全部やっつけて」
「仰せのままに。マイマスター」





『我は黄金(こがね)色の冠を戴く獣。この世全ての欺瞞という害悪の光を覆う、正義の闇の化身なり』

 その夜、各関係者が集う秘匿コミュニティサイトに開戦の狼煙となる
 一つの動画がアップされた。

『奴らの処刑を急がねばならない。それが、真実を知り
 その探求のためには死をもいとわぬ者に与えられた使命だ』

 そこには一人、彼らが信仰する主が宛てた祝詞。
 
『何人たりとも真実を穢すことはできない。
 たとえその権力を振りかざし、我々の心を弄ぼうと。
 真実を知る者はただ一人。
 それはこの私をおいて他にない。
 明日だ。明日、世界は真実に目覚める』

 今日までにアヴェンジャーが社会や経済の不満を問い、強硬な政治姿勢の批判を声高に貫き
 その都度、反体制を叫ぶ声があがり、バベルの塔と『溢れる邪淫(ルクスリア・チャリス)』 で
 精神異常を起こしている人々の思考を誘導した。
 そうした運動は、多感で、生きることに意義を見出そうと迷走する十代の青少年たちに特に大きな影響を与えていた。
 体制を打破しようと叫ぶ声に、心躍(おど)ることもあるだろう。
 何かをぶち壊す様が意味もなく格好のいいものに思えているのだ。
 あらゆることに反抗することが、生きているすべての意味でもあったのかもしれない。
 

『奴らにあるのはただ、己の欲望の成すままに快楽を貪る欲求のみ。
 だが奴らは知らない。ここに全てを知るモノがいることを。
 真実を知り、なおそれを貫こうとする強固な意志が存在することを』

 懐柔した冬木市市民の約半数となる18948人が今夜24時を契機に一斉蜂起を敢行する。
 目標はバベルの塔、聖杯戦争参加者、および印を持たぬ障害全て。

『私の心には一片の曇りもない。
 哀れな大衆のために命を捧げることを厭う気はない。
 そうなったとき、真実は世界に伝わらなくなってしまう。
 そうならないためにも、この情報を、真実を誰かに伝える必要がある。
 真実を、解放しなくてはならないんだ。
 偽りの事実を垂れ流し続けるバベルの塔。
 聖杯に縋り、人の身で神の領域に踏み込む罪人共に正義の鉄槌を下す』


 


「そうだったんだ」
 由紀香は思わず言葉を口にする。
 ――もう、あの頃の生活に戻れない感じがする。
 塔が現れる前の幸せな日々は一変した。
 息詰まるような圧迫感と閉塞感。
 そして何かに追い立てられるように、一日一日を生きていかなければならない焦燥感。
 名前も、自由も、人間としての尊厳も、そして未来さえも奪われる日々。
 選択の余地なく進まざるを得なかったこの聖戦も、平和のため、自らを律するため、
 仲間意識を高めるためと、すべて建前のために縛られた日々だった。
 そして今、身体に悪いけど寝なくてもいい。食べなくてもいい。落ち着かなくてもいい。
 廊下だって走っていい。騒いでも構わない。何をしてもいい。
 学校での生活も自由という強制力で束縛された、拘束生活でしかない。
 
 ――それは君が自由を欲しているからだ。
 いつの間にかテーブルの向かいの席に青年が座っていた。あのとき、会った青年だった。
 ――どこで会った?
 ずっと昔から知っているような気がしていた。
 ――随分と前から。
 そう青年が答える。由紀香と同じ答えだった。
 そして青年はこう告げた。

 ――君はもっと自分に正直にならないといけないね。いつも君は感情を抑えている。
 君はもっと正直に生きるべきなんだよ。泣きたい時は泣けばいい。笑いたいときは笑えばいい。
 怒りたいときは怒ればいいんだ。感情をもっと表に出して生きていってもいいんだよ。
 君はもう自分自身で歩いていけるはずなんだから。
 
 青年が立ち上がり、手を差し伸べていた。
 由紀香は自分が何をしたいのか、それを考えた。
 自分は何をしていけばいいのか。何を信じて生きていけばいいのか。
 
 ――君の内に湧(わ)く感情のままに生きればいいんだよ。
 
 青年が囁(ささや)く。
 自分の中に湧き起こるもの。
 熱いものだ。
 熱く滾(たぎ)る何か。
 それが噴出せずに、腹の奥底で溜まっている――ちょうどマグマが噴火できずに圧力を増しているような、そんな感じだった。


『今我ら鏡もて、見る如く見るところ朧(おぼろ)なり……。
 されど、かのときには顔を対(あわ)せて相見(まみ)えん……。
 私は真実を解放しなくちゃならない。「リセット・ザ・ワールド」』
 
 
 由紀香は、自らの意識の中に芽生え始めた何かに戸惑(とまど)っていた。
 この街という閉鎖されたシステムを支配しているアヴェンジャーに、空々しさを感じてしまう。
 私たちは彼の実験体であり、金のなる木なのだ。
 彼は言葉ですべてを正当化する。
 彼は世界中を黒く塗りつぶしちまう。
 世界全てが黒ければそれでいいのか。
 あなたは真実を口にしているのか。
 真実を私達に伝えているのか。
 彼の言う事が真実なのか。
 真実だと誰が知っている。
 真実は誰が決めるんだ。
 それはあなたじゃない。
 私が決めることだ。
 私がすることだ。
 何をするのか。
 由紀香の思考が徐々に短絡化していく。何がそうさせるのかはわからない。ただ頭の中で何かが叫んでいるような気がしていた。
 自分が何をすべきなのか。それがわかっているような気がしていた。
 由紀香はただ一点を見つめていた。
 何かが呼んでいた。
 向かうべき場所、あの聳え立つ螺旋の塔が見えていた。
「行かなくっちゃ」
 そう眩き、由紀香は家を出て行った。
 白い歯がこぼれていた。

『作戦名(コード)『666』を発令……。
 彼ら秋の葉のごとく群がり落ち、狂乱した混沌は吠えたけり……!!。』
 

 翌日、母親が起床を知らせるため、部屋を回っていたとき、由紀香の姿はなく、空のベッドが冷たくなっているだけだった。
 連絡を受けた私立穂群原学園にもその姿は見られなかった。
 〈理由なき失踪〉という、十代によくある家出症候群の一種ということで、数日の間、様子を見るという、
 珍しくもない処置がなされた。警察に捜素願が届けられることはなかった。
 この日、市民たちの〈理由なき失踪〉が、近郊で同時多発的に起きていた。