第4話 宿敵邂逅

 地吹雪が起こり、フロントガラスをさえぎった。
 積雪を強風が吹き散らしている。車がやっとすれ違うくらいの狭い道を上っていく。
 晴れていれば前方に高山が見える筈だ。小さな針葉樹林を抜ける頃、雪が大量に降ってきた。
 降雪と地吹雪で前が見えない。フォグライトでも視界五、六メートルというところだ。まさしく雪の壁である。
 送迎バスとの距離を取った。
 バベルの塔へは二十分くらいの道程だ。俺は自分のスクーターでバスの後に続いた。
 今晩挑み、決着をつける。
 ただしどうすればいいのかはわからない、でも行かなければならない。だから自分の力で行くのである。
 大きな公道に出たところ、雪は小降りになった。
 周辺に人影はない。落ち着いている。寂れているともいえた。
 『バベルの塔』到着である。塔から少し離れて駐車場に停めた。
 駐車場はかなり広く、普通車なら三十台は余裕を持って駐車できるのではないか。
 
 視界の隅に奇妙なものを捕らえた。
 駐車場の出入り口側に二人の人影があった。
 一人は神父様だ。かなり大きい。だが、その眼差しは昏い。
 もう一人は美しかった。遠めで見てもそれがはっきりとわかるほどだ。
 質素な衣服を纏い、端麗な顔立ちをした中性的な人物だ。
 この異常な状況下でなかったら、この場で呆けていたことだろう。
 近づいて、見た。敵かと思ったが、おそらく敵ではない。
 自分と同じ、異変に気づいてわざわざ敵地に乗り込もうとする酔狂な人たちだろう。
「はじめまして、と言ったところか少年」
「あんたは?」
「私は言峰。彼はセイバーだ。君と同じように、この塔がいささか目障りなのでね。
 こうして出張ってきたというわけだ」
「よろしくね」
 愛想のいい青年はニコッと笑って挨拶をする。
「こちらこそよろしく頼む。俺は衛宮士郎。
 あんたたちのような人たちがいてすごく心強い」
「衛宮……士郎?」
 神父はなお昏い眼差しで、俺をじっと観察し、得心がいったとばかりに不気味な笑みを浮かべた。

 


 挨拶もそこそこに俺とセイバーさんは塔に侵入した。
 言峰という神父は別にやることがあるといい、入口で別れた。

「以上が、この地で行われている聖杯戦争という古いシキタリです。
 ご理解いただけましたか?」
「ああ、理解した。まったくふざけた話だ。そんな物のために街のみんなを巻き込むなんて」
「あなたは青いですね」
「よく喋るなあんた?」
「接待の必要はあるでしょう?」
「お前、本当はいくつだ?
 でもそうだな。暇ならちょっと話でもするか」
 
 セイバーさんの会話にのった。
 走りながら青年年と向かい合う。
 彼はさりげなく気を遣っている。
 ささくれ立った俺の刺々しい言葉にも嫌な顔一つせず、コミニケーションをとってくれるのが有難い。

「衛宮くん、明日は九時から学校始まるんですよね」
「今日のテストもみんな妙に盛り上がっててね。
 明日はみんなダウンしてるかもしれない。予定通り始まらないかもな。
 ま、午前中は授業に出ない。
 それにしてもセイバーさん、さっきから思ってたんだが、今時の人にしては珍しく言葉遣いが丁寧だな」
「〝ですます〟は言葉の鎧(よろい)なんですよ。心を守るバリアーです」
「そんなにもろいのか?」
「連れの神父様は事あるごとに説教してくるものですから」
「二日酔いの頭にはいいかもな――眠れて」
「明日サボる人のいうことですか」
「謹言耳が痛い。が、あいつってどう思う?」
「どうって……さすがに神父様って感じです。手なみが全然違いますね。教え方も丁寧です。
 見かけは怖いけど紳士です。僕なんかよりよほど教え方が上手い」
「人の悪口を言うのは憚れるんだけど、あいつは……なんかイヤな感じがした……」
「そうですね。彼は虚ろな伽藍堂。愛を履き違えた可哀想な人です」
「…………」
 いえっと振りかぶって話題を変えようとする。
「あんたは好きな子はいるのか?」
「いますよ。人も動物も植物も、みんな大好きです」
「とぼけるなよ。美少女」
「美少女? 僕ですか?。何で名前をいわないんですか、いやらしいな。
 モデルは女性の方ですが、僕に性別はありませんよ。
 あなたはいないんですか?。卒業前に思い出を作っておいたほうがいいですよ」
「何てセンチメンタル」
「恋人いるんですか?」
「ただの後輩です。家にご飯を作りに通う理由はよくわかりません。
 ちょっとした怪我をした時に、私が償いをするって。丁重に断ったんだけど、でも、私も行くって」
 うわーにぶちんだーとジト眼で俺を見る。
「そうかもしれない」
「茶化してるんですよ」
「何が面白くてこんな塔建てるんだろな。」
「話逸らしましたね」
「やっぱり勝つためだろうなんでけどさ、ハタ迷惑にも程がある」
「そうですね。バベルの塔……でしたか。宗教のことはよくわからなくて」
「俺も。でも確か地獄のすがたが書かれてましたよね。ダンテの神曲みたいに」
「前は血の池、後ろは針の山?」
「よく覚えてないんですが、罪に応じた八つの地獄があるんだ。
 殺生を犯した者は果てしなく傷つけ合う世界に落とされるとか、盗みを犯した者は熱鉄の上で切られるとか」
「舌を抜くってのもある?」
「上の地獄にいくほど罪がプラスされてくんだよ、あれ。殺生・盗み・邪淫・飲酒プラス妄語、
 ――つまり嘘・いいかげんな言葉、この罪を犯した者が舌を抜かれるんだ。
 その名も大叫喚地獄。セイバーさんも気をつけた方がいいぞ」
「結構詳しいですよ衛宮くん」
「地獄・天国なんかについては興味があって調べたことがあるんです。『煉獄の魂』の煉獄ってなんだろうって」
「あなたも興味があるんですか?」
「でしょうね。それとも死ぬ準備でもしてるんだろうか」
「行く先の下調べですか……」
「様子を見てこようかな」
「この塔の先で?」
「セイバーさんも行くか」
「……止めときます」
「そうか」


 十数分後、俺たちはまだ塔の中を疾走していた。前を行くセイバーさんの姿も足音も耳に入らない。
 走るには不自由なかったが、それにしても彼は人間離れしたスピードであった。
 途中で彼に背負われる形で前に進む。
 風ですらあの美青年の行く手を阻むのを恐れているのかと、俺は思った。
 
 途端に全身が凍りついた。
 有無をいわさず神経に叩きつける凄惨な鬼気に、細胞のひとつひとつが原初の恐怖を甦らせていく。
 意識は前に出ろと命じても身体が反抗するのだ。人間は霊肉一致の生物などではなかった。
 20メートルほど先に豪奢な装飾品を纏った裸身の女が立っていた。
 眼を伏せててっと囁くセイバーの言葉に従い、彼の背後に降り、ゆっくりと後ずさる。
 さらにその約二メートル先に、赤いコートをまとった女性がうつぶせに倒れていた。
 顔は見えないが束ねた長髪から女と知れる。他に何もない。誰もいない。
 にもかかわらず、自らの全身を絡め取った凶気の発現点を、俺はその裸身の女の身体に感じ取った。
 セイバーも虜(とりこ)になったのか。いや。
 セイバーはすでに剣を抜いていた。
 切っ先を右足指の先端につくほど低く保った姿勢は、構えと言うには不自然にすぎるが
 それゆえに、そこから生じる技の凄絶さを窺わせるものがあった。
 また、その剣は明らかに異常だった。
 形状・材質ともに絶えず変化を繰り返し、その剣は本当に剣なのかどうかまるで読み取ることができない。
 まるで理解することが出来ない業物に気づき、萎縮した俺の胸に場違いな歓喜が湧き上がった。
 凶猛な気は彼の周囲に渦巻きながら、その身体には指一本触れずにいるのだった。
 彼は恐れていない!
 女の上の凶気が動いた。
 跳んだ!
 セイバーも空中に舞っていた。厳しい冷気に彫り込まれた秀麗な鷹の像のようであった。
 銀光だけを俺は見た。
 空間が歪んだ――そんな感じがした。
 何かが傍らを通り抜け、塔の一角を吹き飛ばして消えた。
 倒れている女のそばに着地したセイバーは女へ駆け寄った。
 呪縛は消え、冷たく平穏な空間が広がっているばかりだった。
 セイバーは女の傍らに膝をつき、脈をとっていた。
 無表情な顔は敵が何ものかの方を見ようともしない。俺は別の生物を見る思いだった。
 男の自分でさえ見惚れてしまうほど美しいこの若者が、あの凶猛な気の主よりも不気味に恐ろしく思えた。
 女の手を下ろし、彼女を抱きかかえセイバーが立ち上がった。
 こちらに飛んで俺に預ける。「怪我でも?」と訊く俺に首を振り、「大丈夫」と言った。
 俺の胸に安堵が広がった。

 ぴいんと緊張の糸が張りつめた。
 黒いものが外の窓に押しつけられた。
 鼻も口元も平たくつぶれた異形の顔が、この世界に属さぬ笑いを浮かべて部屋を覗き込んでいる。
 ぱっ! と分厚いものが宙に舞った。
 赤い水塊だ。
 セイバーの視線は塔との境の窓に吸いついていた。裸身の女が側面から赤い大量の水を集めている。
 また、血のように赤い眼球がセイバーの身体を射た。主人から誘いの手が伸びたのだ。
 捕食者本人は訪問せず、意のままに動く犠牲者を呼ぶ。よくある手だ。
 しかし、普通は無防備に手を出す。わざわざ罠かも知れぬ道を通らせはしまい。
 盲点であった。加えて、窓の外には奇怪な影がいた。囮(おとり)か?
 女が666ガロン相当の水塊をぶつけようと一歩退がった。
 セイバーが疾(はし)った。けたたましい叫びを発して外壁がはじけ飛び、突風がなだれ込んだ。
 俺と倒れた女性との絶叫が巻き起こった。
 全員の声をセイバーはきき分けた。水塊がぶつかるより早く、何かが荒れ狂う外からこちら側へ、ドス黒い腕が伸びてくる。
 通路が吹っ飛ぶ。瓦礫の破片と爆風が石の床を隆起させ、外壁を外へ撤き散らした。
 裸身の女は対面30m先の片隅に移動していた。くくくっと忍び哂いがきこえ、
 ジャラジャラと装飾品を鳴らしながら、優雅にこちらに歩を進める。
 通路の一角が砕ける寸前、セイバーは俺と女性を横抱きに安全圏へ跳んでいたのだった。
 外壁が隆起してから吹っ飛ぶまで一秒とかかっていない。まさに神速。
 それは、俺たちとの対面に現れたらしかった。
 塔中に凄まじい呪いがみなぎり、相手を求めて声なき咆哮をほとばしらせていた。
 奇怪なことに、セイバーにはそいつの体形まで理解し得た。

「首」がセイバーと俺たちに向いた。
 凶気と呪いの凝集。「四肢」を踏みしめ、襲いかかってくる。
 ゆっくりとこちらへ向かう裸身の女を尻目に、セイバーは剣を抜いた。待っていたのは意外な結末であった。
 塔外にまで轟く絶叫とともに、凶気が消滅してしまったのだ。
 ごおごおと夜風の鳴り響く、しかし平凡な冬の空気の中に、セイバーは立ち尽くしていた。
 あり得ないことであった。凶猛な気は四散こそすれ消滅は不可能だ。
 その断片――残存エネルギーだけは、一種のガス塊となって宙に留まる。それがきれいに跡形もない。
 最初から存在しなかったと考えるのが最も妥当だった。
 考えあぐねる代わりにセイバーは動いた。
 破壊された通路と苦しみ喘ぐ俺と女性に眼をやり、次の瞬間、塔の外に身を躍らせていた。
 
 絶叫の主は外壁のすぐ上に伏していた。
 そして黒色の影が裸身の女を抱きすくめていた。全身におぞましい文字を巻きつけたかのような怪異な人物であった。
 薄い生地の布に覆われた顔の奥で、血色の眼がセイバーをねめつけた。女はぴくりとも動かない。
 白蝋の顔に別世界の悦楽を知った恍惚の表情を浮かべ、大きくはだけた胸元の乳房を影の胸で押しつぶしていた。
 いや、剥き出しになった生々しい太腿を影の足に巻きつけてさえいたのである。
 襲うものと襲われたものの描く淫蕩な秘図であった。
 異形なものの、そこだけ露出した忌わしい唇の脇から二本の牙がのぞき、あろうことか、
 女の首についた傷痕からチュルチュルと血の糸をすすり上げているのを認めた刹那、セイバーの右手が白光を放った。
 五発の対神迎撃砲が石壁に貫通する音をききながら、血の唇が笑いの形をつくった。
 女と絡み合う姿勢には一点の変化もない。この呪いの塊は身動きひとつせずに移動して、セイバーの光輝く砲弾をかわしたのだ。
 セイバーが床を蹴った。
 ドス黒い巨体が跳び、それを避ける何百分の一秒だけ攻撃に遅延が生じた。
 白光は巨体の表面を切り裂き、影とセイバーは互いにその位置を変えた。
 
 凄愴の気が満ちた。
 初めて遭遇する強敵であった。
 戦闘のメイン・ファクターは一にスピード、二にパワーである。少なくとも影のスピードはセイバーに匹敵した。
 だが――。
 影の喉の奥から人間のものとは思えぬ呻きが、風に乗って流れ出たのである。
 頭頂から下顎の辺にかけて、つうと黒い筋が走ったと思いきや、左右に割れて両肩にわだかまった。
 全身を両断するような裂け目の間から冠を載せた新たな頭が複数覗かせ、間髪入れず顔を覆うや、影は塔の上へと跳躍した。
 セイバーも走る。
 両者の距離には一分の変化もなかった。
 銀色の流れ星!
 世にも美しい音を立てて、セイバーの刃は影の振りかざした長爪で受け止められていた。
 飛び散る火花に似て七つの顔が遠ざかる。
 十メートルほどの距離をおいて着地するのと同時に、互いをつなぐ空間に連続音が木魂(こだま)した。
 空中で剣を口にくわえざま影の放った超恒温の溶鉄を、セイバーの腕から延びる光る鞭が迎え撃ったのである。
 彼特有の怪力が鞭と合わせれば、街の一区画を薙ぎ払う戦略兵器並みの威力を発揮する。
 セイバーの至る所から肉を焼く音が流れた。
 だが、手傷を負わせた影もたたらを踏んで後じさる。
 顔を押さえた左手の親指が根元から消失していることを、ようやく雲間から覗いた月が認めたかどうか。
 四肢を石壁に下ろし、どちらも動かない。
 冬の名残を告げる風の怒号に乗って、これはいつ果てるとも知れぬ超人と魔物の死闘であった。
 轟音が終了を命じた。
 セイバーの上体がわずかに揺れる。
 緊張が破れた。突っ込もうとして影はとどまり、次の瞬間宙へ躍った。
 石垣を越え、闇に溶け込む速度は風以上であった。
 セイバーもそれを追わない。
 セイバーの身体を貫いた恒温の溶鉄の二撃めを恐れたわけではない。
 飛沫を全身に受けながら、セイバーの剣先は微動だもしていなかったのだ。
 ひときわ強い風が敵の気配を吹き散らし、セイバーはゆるやかに流動する剣を収めた。
 ゆったりとした衣服は汚れ、溶鉄の飛沫の命中個所を示しているが、美しい顔にはいかなる感情の色もない。
 彼らの下へ戻ると悲鳴が入り乱れた。士郎と女性はあの黒い影の呪詛に当てられて正気を失い苦しんでいるのだ。
 セイバーはもがく彼らに近づき、両手を変形させて治療器具を顕現させる。
 状態異常の診察に用心したが、十分間に合うとわかるとはさっさとセイバーは治療を開始する。
 さらに濃い闇の中に溶け込んだ。すでに闇と同化した裸身の女に、このとき初めてセイバーは不気味なものを感じた。
 何か想像もつかない世界の闇に呑み込まれそうな恐怖に首筋を凍りつかせながら、塔の上に広がる暗闇を見上げた。
 




「最初見たときはとっても憎たらしかったんだけど、あの玩具の言葉をきいた途端、それが抜けちゃったのよね。」
 この裸身の女、マザー・ハーロットは、誰にもきき取れぬ別世界の響きをきいたのだろうか。
「記憶と耳のいい私がアレを憶えてないってことは、見知らぬ誰かさんってことなのでしょうけど」
 あのサーヴァントは桁外れだ。
 この『緋色の獣』と対等に渡り合うなぞ、まず有り得ない。
 正面から対抗するのは、本気を出さないとならないだろう。
 それは些かつまらない、美しくない。
「ねェねェねェ」
 とライダーがおよそ場違いな声を張り上げ、意味ありげに『緋色の獣』を肘でこづいた。
「早くお仕事済ませてさ、わたしと一緒に世界をしゃぶらない? 前途は薔薇色よ」
 彼女は獣に乗り、手綱を握った。
 ライダーはその横顔にチラリと眼を走らせると、悪戯っぽく笑いかけた。
「どうしても怖い顔が抜けないのね、深刻屋さん。ひとつ予言をしてあげる」
 獣の瞳がギラリと光ったのを知ってか知らずか、ライダーはわざとらしく眼を閉じ、空気でも嗅ぐように鼻を動かした。
「そうよ、わたしのよく当たるんだから、えーとね――ほら、出た」
 それから隣のおぞましい横顔を夢みるように見つめて、
「彼ら、きっと笑いながらこの土地を出ていくことになるわ」