間章
 グレート・ハーロット陶酔――大淫婦の告白


 必然です。それ以外にいいようがありません。決定しているのです。
 私によってもたらされる死は必然です。神になった気さえします。
 殺人は生きた肉体を一瞬のうちに物体に変える行為です。
 人の夢も希望も思考も永遠に消し去ります。人外、まさに神の領域なのです。
 私はこの地で多くの人を殺しました。すべて私が殺したのです。
 この事実に気づいている者は誰もいません。
 冬木にはもちろん日本中でもいない筈です。彼女(マスター)は疑ってさえいない。
 サクラは優秀だといいます。その通りでしょう。優秀すぎるのかもしれません、
 私のような悪女はかえってやりやすいです。
 私のような悪。非常識で発作的でありながら、なおかつ計画的で慎重。そのうえ破廉恥(はれんち)。
 私は普通の生活を営んでいます。男か女か、いわぬが花というものでしょう。
 年齢もしかり。冬木市で皆と同じように食べて寝て遊んで、働いてまたは勉強して毎日を過ごしています。
 ただし、いわゆる普通の社会人からは少しずれているかもしれません。
 会社勤めのサラリーマンやOLではなく、警察や教員などの公務員ではありません。
 「全体の奉仕者」たる公務員など虫酸(むしず)が走ります。

「全体」って何でしょう。
 国民全体か、社会全体か。しかし……社会等というものが今の日本にあるのでしょうか。
 かつての日本はムラ社会だったといいます。知り合い同士の社会。そこでは人間関係が最も重要でした。
 今はどうでしょう。関係などというものが基本に存在していますか? 
 他人との関係どころか自分のテリトリー、「場」さえ確保できないのが現代なのではないでしょうか。
 私の……私だけの場所などどこにもない……許されているのは、生きるのに精一杯の身の回りだけ。
 最小限。でも、守らねばならない。でないと生きていけません。
 自分だけの極小の場所に他人が入ってはいけないのです。不可侵領域があるのです。
 鈍感な人間が入ってくるとたちまち爆発する。地雷です。私たちは身の回りに地雷源を持っているのです。
 日常生活を送る見慣れたこの平地は、実は地雷に満ちているのです。
 私があなたの……あなたが私の……地雷を踏まないと、誰が保証してくれるでしょうか。
 あなたは既に、私の地雷を踏んでいるのかもしれませんよ。
 
 私には時間があります。暗い空想を広げ、甘美で残酷な妄想を育て上げるのに十分な時間を持っています。
 私は常に悪行を夢見ます。被害者が死に悶える一瞬を思い描くのです。陶然としてしまいます。
 気持ちいいんです。犠牲者の日常生活を調べあげ、計画を練り、準備する期間さえ楽しくて仕方ありません。
 気分を盛り上げていくと、ある臨界点に達します。決行の時です。一種突発的な瞬間、発作みたいなものです。
 他人には無計画に見えることでしょう。だから理解されないのです。
 犯すこと、それは快楽です。
 気持ち良さに気づいたのはいつのことだったでしょう。
 死のダンスです。人肉の臭いがたまらない。脳が焼けて、とてもいい気分でしょう。
 こんなに可愛がっているのに、人間は意外と早く死にます。少し物足りなく、寂しい。
 だからなんだというわけではないんですが。
 私はおかしいんでしょうか? その通り、私は異常です。断言します。
 私は異常、わかっているのです。自分の異常に気づいていれば、その人は異常者ではないといわれることがあります。
 嘘です、俗説です。その証拠がこの私です。自覚があろうがなかろうが、異常は異常、悪女は悪女なのです。
 私にしても殺人が罪悪であることは知っています。それなりの頭脳を持ち、日常生活を営んでいるんですから。
 しかし……殺人は本当に罪悪なのか……あなたはどう思いますか?
 人類は外国との戦争を行い、多数の異国民を殺してきました。
 掠奪、強姦、虐殺を有史以来繰り返してきたのです。
 何故でしょう。それは自分の文化圏に属さないものは「ヨソモノ」だからです。
 よそ者、異人、ひょっとしたら、異物。人は違う階層、異なる文化の人間に対しては、いくらでも冷酷になります。
 例えばキリスト教とイスラム教の対立、同じ宗教上の正統と異端、これらは数限りない争いを生み出しました。
 人々は神の名のもとにあまたの死者を出してきたのです。
 人類、国、文化、宗教などの壁を越えることは非常に困難なことです。
 それどころか自分と他人の壁さえ、私たちは越えられないではないですか。
 自分以外はすべて異物。異物と異物が共存し、バラバラに散っているのが現代です。
 このような状況では殺人は殺物にしかなり得ない。むろんどんな生物にも生きる権利はあります。
 そして、どんな人間にも。すべての人間には生きる基本的人権が保障されます。
 これは社会の原則です。何故そんなものが必要なのか。
 自分の生きる権利を守るためです。共同幻想を利用するんです。
 でないと、真実が浮上してしまいます。
 生存可能な、生存に適した、強い生物だけが生きていける、という自然の鉄則が。
 もはや社会の原則や共同幻想は崩壊し、ヒトは原初の状態に戻りつつあるのかもしれません。
 だから殺人も許される……とはさすがに私もいいませんよ。
 殺人は被害者の人権を奪い、未来を消し去ってしまいます。
 周囲の人々を悲しませ、時には恐怖を与えます。社会の歯車を狂わせることもあるでしょう。
 むろん法で罰せられます。人が人を殺すなどということは許されません。禁じられているのです。
 絶対に許されない。殺人が罪悪であることは間違いないんです。
 ただし……ただし、楽しいのです。快楽なのです。人は快楽を求めます。
 他人の快楽を奪っても、自分の快楽を求めるのです。当たり前です。私だけが例外ではないですよね。
 
 ジル・ド・レエ、憧(あこが)れます。
 ジャンヌ・ダルク麾下(きか)の元帥にして幼児殺戮者。ユイスマンスやバタイユが彼について書いてます。
 ジルは若くして戦功を立てましたが、錬金術に凝り悪魔を礼拝し、嬰児(えいじ)を虐殺して、処刑されました。
 死刑になるまでの八年間に、百四十から二百、あるいは八百もの子供を殺したんです。
 彼は幼児の腹を割き、手足をばらばらにし、目をえぐり、頭蓋骨(ずがいこつ)を打ち砕いたといいます。
 断末魔の苦悶(くもん)と痙攣(けいれん)を楽しみ、瀕死の被害者に向かって射精したとか。
 若かりし頃に少女将軍にかしずいた彼は、今度は子供をかしずかせたくなったのかもしれませんね。
 本当にゾクゾクする。
 きっと彼とは、良い酒が飲めるに違いありません。

 むろん私は快楽のためだけに他人を犯すわけではありません。
 私は異常だが狂ってはいない、……いないですよね? 悪行に理由がないわけではないんです。
 でも本来、動機なんてなくてもかまわないのかもしれません。
 私の動機は積み重ねによって徐々に出来上がりました。
 一言でいってしまうことも可能でしょうが、――憎悪、復讐、嫉妬、利欲、信仰……言葉に置き換えたとたんに、
 何かが失われてしまうような気がします。
 
 悪行の動機はジグソーパズルです。
 一つ一つのピースは特別重要ではありませんが、それが百、千と組み合わされることによって、明快な画像を結びます。
 出来上がった全体の絵がや「憎悪利欲」という言葉に当てはまるのだと思います。
 しかし、動機の実態は、常に一つ一つのピースそのものなのです。
 ところで私は今、二千ピースのパズルをやっています。
 パズルは目の前のテーブルに置いてあります。たくさんのピースが散らばっている。
 台紙の四隅の方から、およそ四分の一が埋まってきているんです。
 当てはまるピースを捜します。画面左下の部分ならすぐに見つかるでしょう。
 人物の一団がいます。ここに、ピースがありました。
 王の顔です。ニムロデ王なんでしょう。彼はバベルの塔の建造を命じたといわれています。
 私は今、「バベルの塔」のパズルで遊んでいるんです。
 意味不明の断片を組み合わせながら、徐々に塔の形が露(あらわ)になっていくのを見ています。
 塔そのものを建てているような気分です。レンガを一片ずつ積み重ねるようにピースを組んでいくのです。
 やがて塔は完成するでしょう。
 パズルを買った時、私は十人騙した。
 パズルを始めた頃、二十人目を犯した。
 パズルを続けながら、五十人目も殺した。
 五十人目を殺したのが二月八日。もう2週間が過ぎました。
 私はまた一人侵すでしょう。
 あっ、船のピースがありました。どこに当てはまるんでしょう。
 右の、ここか? 違う、合いません。ピースを放り投げました。ぼんやりと思いを巡らします。
 ……そうです。
 始まりの犠牲者。
 子供、女の子、少女。私のもの。
 舞台は、聳え立つ螺旋状の涜神の塔でいかがでしょうか?