Fate/MINASABA 23th 00ver

 ――――それは、いつのまにか船上にいた。
 見知った風景はゆっくりと黒い海に没していき、辺りは生け簀のようだった。
 気が付いたときには時遅く、ライダーとそのマスターは成すすべなく飲み込まれていき、
 “黒い影”はその場に留まり、蜃気楼のように立ち続ける。
 その姿を、見知った彼女に酷似しているのはなぜなのか。

臓硯「あり得ぬ―――」
 しわがれた老人の声がする。
 この場において、声を出せるのは死にゆくその老人だけだった。

臓硯「あり得ぬ、あり得ぬ、あり得ぬわ――――!」
 全身を形作る蟲、その一匹一匹が震えるような感覚に襲われた老人は、すぐさま眼前のモノから逃れようと試みる。
 だが、黒い影の速度は老人のそれを遥かに上回っており、悲鳴をあげながら蟲たちと共に黒い影に侵食されていく。

 誰も動けない。
 俺と遠坂は戦慄と恐怖から。
 セイバーとアーチャー、キャスターは魅入られたように動かない。
 ――――深海に棲む魔物。
 何もかも停止し、静まり返った世界に、あの影だけが揺らいでいる。
 それが、
 明確な敵意をもって間桐臓硯を見下ろしている。

 静かにこちらへ歩を進める。
 それが楽しそうだから笑っているのか、
 それともただ逃げたかっただけなのか。
 少女には、もう自分の心も判らない。
 ただ、受け入れた途端、あれだけ苦しかった体が嘘のように楽になった。
 ……這い上がってくる。
 体の芯から、黒い泥が肌を塗りたくっていく。
 痛みは炎になって、少女の肌を焦がしていく。
 それは呪いのように。
 少女の白い肌を、違うモノへと変えていく。
 黒い影から少しずつ少女の形へと姿を変貌させ
 少女は光のない目で、祖父であるモノ、祖父と名乗るモノ、祖父であったらしいモノを観察する。

臓硯「ぐ―――貴様正気か!? 何をするのだ、このバカ者め……!」
 老人の混乱は狂乱に近い。
 黒き檻の底。
 蟲たちの群れから頭上を見上げ、黒い影に問う。

??「だってお爺さま、先輩に手を上げたでしょう?
   だから殺すんです。先輩を傷つける人は誰であっても許さない」

臓硯「ま―――待て、待て待て待て待て……!!
   違う、違うぞ桜……! 彼奴らを殺すというのは最後の手段だ。ワシは間桐の血統が栄えればそれでよい。
   この戦の勝者となり、全てを手に入れるのならばそれでよいのだ、桜……!」

 突然の凶行に驚いたのか、それとも―――何か、言いようの無い恐怖を感じたが故の狂乱か。
 少女は支配者であった老人の叫びに微笑みを返す。

桜「……嫌です。お爺さまは約束を破りました。嘘をついたんです。先輩は殺さないって言ったのに、その約束を破ったんです。
  だから、もう――――」

 見透かされている。
 いや、そんなものは始めから決まっていたのだ。
 老魔術師は己の目的を隠そうともせず、少女は老魔術師の意向に逆らわなかった。
 だから問題などなかったのだ。
 少女はいつか、必ず老魔術師にとって代わられるだけの肉だった。
 こうして―――少女が老魔術師に反旗を翻すこの時までは。

臓硯「――――! 待て、待つのだ、待ってくれ桜……!
   ワシはおまえの事を思ってやってきたのだぞ……!?
   それを、それを、恩を仇で返すような真似を――――」

 老人は、少女の力を見誤った。
 10年に及ぶ生贄を糧に肥大化した前キャスターを取り込んだことにより、少女が孕む闇は予想を遥かに上回る
 成長を遂げてしまっていたのだ。

桜 「さようならお爺さま。」

 瞬間。
 地を這っていた黒い蟲群が、巨大な闇に飲み込まれた。 
 そして辺りに響く悲鳴を飲み込みながら数百年を生きた魔術師は沈んでいった。
 ゆらめく黒い炎は、自らを体現する、少女の自立に歓喜する。
「―――――――ふ」
 黒い少女は消えていった祖父がいた場所を見つめながら
「ふふ――――ふふ、あはははははは――――」
 糸の切れた人形のような空虚さで、いつまでも笑い続けていた。

 世界は一面、昏い影に覆われていた。
 背筋はおろか、指先までギリギリと痺れさせる威圧と恐れ。
 ……俺たちの目の前にいる黒い影。
 ソレがその気になるだけで、俺たちは丸ごと潰される。
 力の差は歴然だ。
 それは変貌しきり、以前とはまるで違う存在になっている。
「……………………」
 ……黒い影は何もしない。
 桜の影は月の光に揺らめくだけで、その姿はひどく淋しげに見えた。
「……………………」
 その瞳が、確かに俺に向けられた。
 先輩、と。
 手を差し伸べれば今まで通りに応えてくるような、そんな弱さをもって。
「――――――――」

士郎「――――――――さ、くら……」
 ――――目眩がする。
 どうして桜があんな姿をしているのか理解できない。
 あの黒い影は半人前の魔術師でもわかるほどの極大の呪いだ。
 ついさっきまで立つこともろくにできない身体だったのに

士郎「――――――――桜」
 理由はわからない。
 でも桜は俺たちを救うためにその力を行使したんだ。
 ……かける言葉なんて思いつかない。
 でも、今の自分に出来る事は、桜に手を差し伸べる事だけだ。

士郎「桜」
 声をかけて歩み寄る。

桜 「だめ、来ないでください……!」
 それを。
 今まで聞いた事のない必死さで、桜は拒絶した。
「――――――――」
 足を止める。
 桜は顔を上げず、ぎゅっと身体を抱き締めている。
 その姿は、己を恥じる罪人のようで辛かった。
 ……これ以上は近づけない。
 桜が自分から顔をあげるまでは、決して、近づいてはいけないと感じ取った。

桜 「……来ないで、ください。
   いま近づかれると、わたし――――何をするか、わからない」

桜 「いいんです先輩。わたしなんかに、無理に構う必要はありません」
  「……だって、もう知っているんでしょう? わたしがなんなのか、わたしの体はすごく汚れていることも、全部聞いたんでしょう?

   なら――――もう、これで」
 全て終わりだ、と。
 声にはならない言葉を、白い吐息が告げていた。

士郎「――――馬鹿言うな。俺が聞いた事なんてどうでもいい事だ。俺が知ってる桜は、今まで一緒にいた桜だけだ。
   それがどうして、こんなコトで終わったりするんだよ」
桜 「……だって、終わっちゃいます。先輩。わたし、人殺しなんですよ」

 桜は自らの肘に爪を立てる。
 ……それは、体に染み付いた汚いモノを罰するような、自虐的な行為だった。
  「――――――――」
桜 「わたしは間桐の魔術師で、先輩にそのコトをずっと隠してました。陰でたくさんの人を食べてきたことも
   先輩がセイバーさんを連れてきた時も、知らん顔して騙してたんです。
   ほら。だってその方が都合がよくて、先輩や姉さんに怒られないじゃないですか」
士郎「――――桜」
桜 「でも本当、馬鹿ですよね。そんなので誤魔化せる筈ないのに、それでも騙しとおせるって思ってたんですよ?
   自分の体はまだ大丈夫だ。自分を確かに持っていれば負けないって思い込んで、あっさり負けちゃいました。」

凛 「馬鹿っ! もっと早く言ってくれたら、こんなことには……!」
 いつもの冷静さが欠けているのか、遠坂は悔しそうに叫ぶ。

凛 「ちょっと聞いてるの!? だいたいどうしてこんなになるまで我慢したワケ!? 
   そりゃ私の手に負えそうにないから教会に行けって言ったのはわたしだけど、それでもその状態がやばいって判らなかったの!?」

桜 「ごめんなさい遠坂先輩……」

凛 「――――! ならすぐにこっちに帰りなさい、バカ! それだけじゃない、身体も治ってないのに乱入してきて、
   魔力そのものを武器にする魔術なんて行使して、ああもう、どうかしてる! なんだってそんな無茶するのよアンタは……!!!!」
 堰を切ったかのように悲鳴のような叫びを上げて遠坂は桜を正面に見据えてもの凄い勢いでまくし立てる

桜 「もう一緒にはいられません。私はもう先輩の知ってる私じゃない……。
   今こうしている間にも先輩たちを滅茶苦茶にしたいってもう一人の私が叫んでいる
   もう抑えられないんです、だからもう私に関わらないでください」
 ――――視界が歪む。
 俺の知らない桜の言葉に、思考がところどころ崩れていく。
 違う、と。

 不意に全身が急に立て殴りされたような衝撃を受け、4人は途端に地面に縫い付けられてしまう。
キャスター「これはライダーの……!?」

桜 「さようなら先輩、姉さん。今までありがとうございます、」
 そして黒く染まったライダーのいる御座船へと乗り込み、ふと彼らを悲しげに一瞥した。

桜 「ずっと大好きでした」
 夜空を照らす満月の光の下、黒き羽衣を纏いし姫は頬に雫をつたわせ天に上ってしまった。